アフタヌーン・ティーはあなたと
作:ASD





     1

 何か、夢を見ていたような気がする。
 目が覚めたあとで、その夢がどんな夢だったのか思い出せないという事はよくあることで――その朝も、結局はそうだった。
 どんな夢だったんだろう。
 考えてみてもまるで思い出せない。それが嫌な夢なら後味の悪さが、それがいい夢ならば夢の終わりを虚しく感じるような――そんな余韻みたいなものがあるはずなんだけれども、今朝はそれすらもなかった。
 きっと、どうでもいい夢だったんだろう。
 そう思う事にしよう。けれど、分からないままにしておくのが、すごくもどかしかったりもする。
 けれどそんな事も、やがてどうでも良くなっていくのだろう。
「おはよう、パルミエリ」
 眠い目をこすりながら、僕はゆっくりと寝室から這い出す。いつも通りの朝。
 キッチンに向かうと、半分夢の中にいるような僕とは対照的に、妻のタナーシアがてきぱきと朝食の準備をしていた。
「おはよう、タナーシア……今、何時?」
「……ひょっとして、今日は早く起こさなきゃならなかった?」
「いや、いつも通り」
「そう、じゃ良かった。朝御飯、食べるでしょう?」
 そう言って彼女はテーブルを指し示す。そこにはすでに二人分の皿が並んでいた。
「……今朝の食事当番って、僕じゃなかったっけ」
「いいのよ、気にしないで」
 彼女はそう言って、笑顔をこぼした。もちろん、こう付け加えるのも忘れない。
「明日はあなたにお願いするから」
 彼女の優しげな笑顔に促されて、僕はテーブルにつく。そうやって思い起こしてみると、何のかんのと言いながら今月に入って四度も食事当番を代わってもらっている事に気付く。……我ながら、出来過ぎた女性を妻に迎えたものだ。
「……今日も遅くなるの?」
 パンを口に放り込んだ瞬間に、タナーシアがそう尋ねてきた。
「うん、まあ、多分……」
 僕の返事はどこか冴えない。口に出してみて、自分でも冴えないと思う。そんな僕に、彼女は心配そうな眼差しを投げかけてくる。
「……研究室、大変なの?」
「まあね。今に始まった事じゃないけど……進捗状況が、はっきり言って思わしくないんだ。本来のスケジュール通りなら、歩行実験はもうとっくに終わっているはずなのに」
「教授も大変ね」
「ま、あの人のせいで遅れているんだけどね」
 僕はぽつりと愚痴を吐く。そして頭を抱え、重い口を開いた。
「……ね、今週末だけど」
「?」
 その言葉に反応して、さっきまで明るかった彼女の表情にさっと影が射す。そんな素振りを見せられては、言いづらい事が余計に言いづらくなる。
「……駄目なの?」
「うん……週明けまでに、どうしても提出しないといけない報告書があってね。だから多分、今週末は帰って来れそうにないよ」
「……どうしても?」
「研究室の存続がかかっているからね。報告書次第で、予算はそのまま打ち切り、研究室は閉鎖」
「ザナックは? 彼だって助手なんだし」
「彼は教授とおんなじだよ。プロジェクトに理解のない軍が悪いって、ぼやくばっかりで」
 僕の言葉に、タナーシアは大きくため息をついた。そして、僕を恨めしそうに睨み付ける。分かっている。そういう目で見られてもしょうがない話なのだ。
「パルミエリ、分かっている?」
「分かっているさ。週末は……」
「私たちの結婚記念日。……先伸ばしにはならないのよ?」
「……分かっているよ」
 寂しそうな顔をするタナーシアに、僕はそれ以上何も言えなかった。




 食事を終えると、僕達はそれぞれ仕事に出向いていった。残念ながら、僕の薄給では彼女を養う事が出来ず、共働きになるのは仕方がなかった。
 研究室に着いたのはいつもよりも少しばかり遅い時間のはずだったけれど、そこに教授の姿はなかった。
 がらんとした研究室。倉庫だった建物を改装した、ものすごいボロ屋敷だ。
 そのだだっ広い部屋の中を見回すが、人気はない。
 教授は自分が時間にルーズな割に他人には厳しい人だったから、どやされるのではないかとちょっとだけ心配していたのだけれど――それにしても、誰も来ていないって事はあるだろうか。
 もう一度部屋の中を見回すと、その部屋の隅から声が聞こえてきた。
「よう」
 僕は声の方を振り向く。隅っこにいたのは、同僚のザナックだった。
「……今日は遅いんだな」
「教授は?」
「まだだ。今日は少し、遅れて来るって」
「そう」
 彼の言葉に、僕は少しほっとした。教授のつまらない小言を聞かずに済んだから。しかしそれも束の間、ザナックはとんでもない事を言い放った。
「パルミエリ、急な話で悪いんだが」
「何?」
「例の実験だけどな。今日になった」
「何だって?」
 僕は思わず、うわずった声で問い返してしまった。
 そんな声を無視するかのように、彼は作業に戻る。何をしているのかとよく見てみれば、彼は手桶を前に何かをこねまわしていた。そう、それは確かに実験の下準備だ。
 僕はがらんとした研究室の中を、ぼんやりと見渡す。机にかじりついて調べものをする程度なら、こんな広い部屋はいらない。僕らがやろうとしている実験には、確かにこれだけのスペースが必要だったのだ。
 部屋の片隅に、教授とザナックと僕、三人分の書き物机があって、その上はメモ書きやら資料やら、紙の束でいっぱいだった。こぼれ落ちた紙切れが床にも散らばっている。元倉庫だけあって少々ほこりっぽいのが難と言えば難だったが、男三人、誰も掃除をしようなどいう殊勝な人間はいない。
 天窓から射し込んでくる、淡い陽光。その真下……部屋の中央に、その水槽はあった。
 四角い水槽。水槽というか、たらいというか……高さは膝くらいまでしかない。代わりに、縦横の幅は僕が両手を開いたよりもまだもう少し長かった。夏場に水浴にでも使えそうなものだったが、中に満たされている液体は水ではない。少なくとも、水のように澄んだ透明な液体ではなかった。
 どろりと濁った、暗い灰色の液体。液体というより、泥水と表現した方が近いかも知れない。
 ザナックがさっきから部屋の片隅でこねているのも、それだった。彼は常人には聞き取れない声で何やらぶつぶつと唱えながら、その泥水をこねくりまわしている。
「……ザナック、詠唱呪文が昨日と違う」
「パターンを変えた」
「教授に無断で?」
「教授の指示だよ。俺も、正しい変更だと思うがな」
 彼はそう言うと、詠唱を再開する。静寂の中、僕はその呪文の内容に耳を傾ける。常人にはぼそぼそとした呟き声にしか聞こえないその言葉、同じ魔法使いである僕には一言一句が理解出来た。
 それにしても、実験の日取りが早まったなんて……教授は一体何を急いでいるんだろうか。
 やがて詠唱が終わると、ザナックは泥水の入った手桶を水槽のところまで運び、中にゆっくりと流し込んだ。その際にも、呪文を唱えるのを忘れない。
「パルミエリ、手伝ってくれ」
「ん、ああ」
 ザナックが泥水を流し込む間、僕も右手をかざし、呪文を詠唱する。
 泥水が、ぶくぶくと泡を立てた。
「……今日はやたら騒がしいな」
「このくらいが丁度いいんだよ」
「僕には、危険に思えるけどね」
 泥水が、そのまま水面を波打たせて、騒がしく揺れ始める。僕は呪文を唱え、手をかざしてそれを抑え込んだ。
 注入が終わった手桶には、泥水は一滴も付着していなかった。
「よし、これで完了」
「……あとは、教授を待つだけか」
「それと、お客さんもな」
「お客さん……?」
 ザナックが言った言葉に、僕は眉を潜める。ザナックはにやりと笑って、僕の肩を叩いた。
「喜べ。週末はタナーシアと過ごせるぞ」
 僕は、ザナックの言葉の意味が分からずに、もう一度首をひねった。




     2

 そんな折、不意に研究室の扉が開かれた。
 僕は教授が来たものと思って振り返る。けれど、そこにいたのは教授ではなかった。
「すまないが……」
 その小柄な人影は、僕たちの姿を見出して、たどたどしい口調で話し始める。
「ランディエール教授の研究室は、こちらか?」
「……? そうですけど」
 尊大な口ぶりに、僕は思わず敬語で返事を返した。けれどよく見れば、そこに立っていたのは僕よりもずっと若い……いや、少年と言って差し支えのない子供だった。
 歳の頃は、十五、六と言った所だろうか。細く華奢な身体は、ぱりっとした軍服で包まれていた。腰に下げられているのは、体格にまるで不釣合いな幅広の大剣。
 整った顔立ち、目にまぶしいくらいの白い肌……華奢で小柄な身体つきといい、まるで少女と言われても疑いようの無さそうな、かわいらしい美少年だった。軍服を着ていなければ、何故こんな少年がここにいるのかといぶかしんでいた事だろう。いや、軍服姿にも多少の違和感がなかったわけでもなかったんだけれども……。
 何故ならば、僕の目に止まった肩の階級章は、大尉の位を示していた。……こんな少年が?
 ……そう言えば少年、どこかで見たような気がする。
「失礼ですけど、あなたは……ええと」
 僕は口走りながら、記憶を手繰り寄せる。こんなに歳若い大尉殿なんて、会えば絶対忘れないと思うのだが……どこで出会ったものやら。
「……タイタス・リューイリアスである」
 僕が思い出すより先に、少年がたどたどしい口調でそう名乗った。
 その名を聞いた瞬間、僕は思い出していた。タイタス・リューイリアス……軍の司令官で、僕らが進めているこのプロジェクトの名義上の統括役でもある、タイタス将軍。……目の前にいる少年はその一人息子ということになるはずだった。そう言えば前に視察に来たときに、同行して来ていたような気がする。
「ええと、大尉。一体どのようなご用件で?」
「……聞き及んでおらぬのか?」
「ええと」
 僕は反射的に、ザナックを見やった。ザナックは何か知っているのか、にこにこと笑いながら――にやにやと形容すべきか――教授はじきに来ます、と殊勝なセリフを返した。
「……少し早く来過ぎたようだ。待たせてもらって構わないか?」
 そう言われて、断る理由はどこにも無かった。
 泥水の準備が終わったので、僕とザナックは実験の手順について打ち合せをする。と言っても、これまでにも三人で討議を重ねてきた内容を、確認しているに過ぎない。
 その間、タイタス・リューイリアス大尉は僕たちのやり取りをじっと観察していた。無愛想なその表情……無表情とも言えるが、きつい眼差しは僕らを睨んでいるように見えて、僕はちょっとだけ居心地の悪さを覚えた。
 それからしばらくして、教授が何食わぬ顔でやってきた。
「おお、大尉殿。もう来ていらっしゃったのですか」
 タイタス・リューイリアスはその言葉に、軽く会釈をして見せただけだった。無表情なその素振りは、待たされて怒っているようにも見えないことはないが……。
 無言の少年とは違って、僕は真っ先に教授に詰め寄った。
「教授、一体どういう事なんです?」
 声が自分でも意外なほど刺々しかった。とは言えザナックが承知の事なら、僕だけ除け者という事になる。不機嫌になるのも当然だろう、と勝手に自己分析をしつつ、教授に突っかかる。
 彼の目が、不自然に泳ぎ出す。
「あ、いや……パルミエリ。君には事前に何の説明もなしに、済まないと思っておる。今日の実験には、こちらの大尉どのにも同席していただく事になってな」
 口ごもりながら教授はそう答える。
 同席云々よりも、実験の繰り上げの方が僕にしてみれば問題なんだけれども……。
 それを言おうとした僕を遮るようにして、大尉が教授のあとに続いて口を開いた。
「将軍閣下の代理として、こちらの実験に立ち合わせてもらう事になった。若輩者で、不満はあろうが」
「不満など、とんでもない」
 教授は調子のいいセリフを吐きながら、上機嫌に笑って見せた。
 その彼の腕を強引に引き寄せて、僕は小声で詰問する。
「教授! これは一体、どういう事ですか」
 僕に睨みつけられて、教授は弁解がましい言葉を吐いた。
「……昨日な、偶然こちらの大尉とお会いして、その折に予算の事をお話ししたのだ。そうすると、実験を見たい、という話になって……」
「……それで?」
「それで、夜のうちにザナックに連絡を入れ、実験を今日に繰り上げたのだ」
「なんでまた、繰り上げなんですか」
「下手に報告書など書くよりも、実験をじかに見ていただくのが一番であろう?」
 教授の言葉は至極当然のように聞こえた。ただし、ひとつ忘れている事があるが。
「失敗したらどうするんですか」
 僕の苦言に、教授は何も答えなかった。
 軍から予算を捻出するためには、教授の研究が軍にとって有益なものであるという事を、何らかの形で訴えていかなくてはならない。しかしこれまで、彼は目立った成果を挙げずにいた。
 もちろん、単純に短期間に成果が出るようなテーマではない事は僕も充分承知している。だからこそ、計画の遅延に無頓着な教授に成り代わって、助手である僕がこれまでは予算を巡っての折衝役に回ってきたのだ。
 一方的に研究室の閉鎖を振りかざす上層部に話をつけて、週明けに提出する報告書を見てくれと持ちかけたのはこの僕なのに……。
 まあ教授も、それなりにこの件を気にかけていたんだと思えばそれまでなのだけれども、だからと言って実験を早めるなんて無謀もいいところだった。
 僕に何の相談もせずに大尉を連れて来た事も含めて、あまり愉快な事とは言えなかった。




 ザナックと僕が準備をしている間、教授はリューイリアス大尉に実験の概要を説明していた。彼もここに来る以前にきちんとこれまでの報告書に目を通してきたらしくて、教授にあれこれと質問を返していたりもする。将軍の息子という立場に留まらず、きちんと職務をこなしているという事だろう。
 タイタス・リューイリアスは、研究室の様子を眺め回す。やはり何と言っても目を引くのは、あの泥水の水槽だ。彼はそれを、何やら複雑そうな表情で見ていた。
「大尉、あまり近づかない方がよろしいかと」
「……危険なのか?」
「このままの状態で維持しておくのは、あまり安全ではありませんね。準備は整っていますから、早く始めた方がいいかと」
「……ならば、そのようにしてくれ」
 リューイリアスは強張った面持ちでそう告げた。僕が壁まで下がるように言うと、彼は無言で大人しく従う。
 教授とザナック、僕の三人が、四角い水槽を囲むように立った。
 僕はため息をつくと、分厚い魔術書を紐解く。教授もザナックも、同じようにする。実験は古代魔術を使用するものだ。慎重にやらなくてはならない。
「…………」
 教授が、まるで声として聞き取れない音を、朗々と口にする。
 実験の始まりだった。
 教授、第一呪文詠唱。僕は心の中で、実験の手筈を確認する。
 ザナックがそれに続き、呪文を詠唱する。第二呪文詠唱開始。そしてその次は、僕だ。僕は軽く咳払いをすると、二人に続いて不明瞭な言葉を吐く。第三呪文、詠唱。
 大の男三人が、理解不能な言葉を吐くさまは、大尉には非常に奇異な光景に映っているだろう。ちらりと彼を見やれば、彼はこわばった表情を崩さぬまま、静かに僕達の実験を見守っていた。
 僕の呪文が終わるのを待って、再び教授が口を開く。
 教授、第四呪文詠唱。
 ザナック、第五呪文詠唱。
 そして僕、第六呪文詠唱。その後引き続き第七呪文の詠唱に入り、ザナックがそれに第八呪文を被せる。ここのハーモニーが重要なのだと、教授は言う。
 泥水の水面が、ゆらゆらと揺らめき始める。
「来た……」
 呪文の詠唱を終えたザナックが、ぽつりと漏らした。
 僕との合唱が終わると、今度は教授だった。右手を軽くかざし、水面の揺らぎに対して呪文を唱え始める。この第九呪文が果てしなく長く、まだ若い僕やザナックには使いこなせないものだった。
 水面の揺らぎが、ふいに……。
 ふいに、ふわりと持ち上がる。
 何かかたまりが水底から浮かび上がってくるかのように、泥の水面には丸いものが浮かび上がってくる。その丸みはそのまま、ゆっくりと上へ上へ持ち上がっていく。
 泥から出てきたそれは、徐々に何かを形取っていく。 
「……」
 ザナックと僕は、揃ってため息をついた。
「成功だ……」
「まさか、本当に……」
 二人も、それを目撃するのが精一杯だった。呪文を唱える教授の顔にも、どこか満足そうな笑みが浮かんでいる。
 さあ、ここからが仕上げだ。第十呪文の詠唱は、三人の術者による同時斉唱。教授、ザナック、僕の三人は、泥より生まれ出たそれに向かって右手をかざし、朗々と唱え上げた。
 ……誰もがその瞬間、実験の成功を信じて疑わなかった。
 やがて呪文の詠唱が終わる。
「諸君……」
 教授が口を開く。しかし、言葉が出てこない。
 ザナックも僕も、何も言うべき言葉を持ち合わせていなかった。三人ともただひたすらに、目の前にあるものをじっと見つめているだけだった。
 そう、そこにあったのは、人の形をした泥の人形だった。
 三人の中では一番大柄なザナックよりも、頭ひとつ飛び抜けていた。背丈に合わせて、横幅もがっしりとしている。そのシルエットは人間の、成人男性とほぼ同じだった。
「教授」
「大尉、いかがですか」
「……素晴らしい」
 リューイリアスは教授のすぐ後ろまで歩み寄ってきて、無言で立ち尽くす泥の人形と相対する。まるで恐れ多いものを見るような、まぶしい視線を泥人形に向けたまま、しばし無言で鑑賞した。
「いや、本当に素晴らしい」
 その言葉に、教授は満足げな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、大尉殿」
「しかし、教授」
「なんですかな?」
「これを目の当たりにして、その素晴らしさは分かるつもりだ。……しかし、当初スケジュールからの大幅な遅滞はやはり見逃せぬな。これはもうすでに、歩いているはずではなかったか?」
「は、それは……」
「近いうちに実現するというのならそれで構わぬが、大の男が三人揃って、泥の人形を作りましたでは話にならぬ」
 口調は柔らかかったが、内容は厳しかった。教授はただ、うつむくだけだった。
「今後この実験を続けて、軍に益があるという証が欲しい。……例えば、指の一本でも動かすことは出来ぬのか」
「そのように微妙な動作よりは、歩かせる方がたやすい事です。それにしたところで……今の段階でそれを試すのは、少々危険というもの」
「ふむ……」
 教授の言葉を耳にして、タイタス・リューイリアスはそのまま考え込むように背を向ける。
 ザナックと教授が、顔を見合わせる。
「教授……どうします? 能力云々はさておき、せめて我々の意のままに動く事だけでもこの場で見せられませんか?」
「ううむ、そうしたいのは山々じゃが……これ以上は本当に危険だ」
 僕はと言えば、そのやりとりをただじっと見つめているだけだった。大尉の視察は、昨日までの僕の苦労を差しおいて教授一人で企んだことだ。この視察の結果研究室が取り潰されたとしても、それが教授の行いの結果であれば仕方がない。
 二人の目がタイタス・リューイリアスの動向に注がれている今、僕はただ一人呼び出した泥人形を見やる。
「……いつかお前を動かせたらなあ」
 これを軍がどう使うつもりでいるのかは、あまり考えたくない。僕は魔法使いとしての純粋な興味の視線を、泥人形に向けた。
 ふと見やれば、教授はザナックと一緒に何かぶつぶつと言い交わしている。その談義の終わるのを、大尉が退屈そうにぼんやりと待っている。その彼と、思わず視線が合ってしまった。
 目を逸らすのも失礼かと思い、僕は軽く目礼する。反対にリューイリアスの方が、慌てて視線を逸らした。彼はそのまま、僕に背を向ける。
 僕も少しだけばつが悪く思えて、泥人形に視線を戻した。
 その時だった。
 その泥人形の顔が、僕の方を向いていたのだ。
「!」
 僕は硬直した。僕の立ち位置は泥人形の右側。その位置からは、横顔しか見えないはずなのに。
「どういう……」
 ことだ、と呟こうとして、僕は絶句してしまった。
 次の瞬間、泥水がゆらゆらと揺れ始める。
「……教授! ザナック!」
 僕は叫んだ。
 揺れる水面から、何かがふっと持ち上がってくる。それもひとつや二つではない。いくつものかたまりが水面から浮かび上がって、人の形をかたどっていく。
「……暴走か?」
 教授は呟きながら、魔術書のページをめくる。そうこうしているうちに、泥人形は全部で五体になって……そして彼らは先頭から一人ずつ、水槽から踏み出して来た。
「く、来るなっ!」
 教授が慌てふためきながら後ずさる。勝手に歩き始めた泥人形達は、真っ直ぐに教授を目指す。
「この野郎!」
 ザナックが、壁際の椅子を手に先頭の泥人形に踊りかかる。泥人形は左手を軽く振るって、ザナックを弾き飛ばした。長身の彼が、大きく宙を舞って壁に叩き付けられた。見ていて、あまり穏やかな光景ではない。
「ザナック!」
「いててて……」
 痛みをさする彼の姿が見えて、とりあえず無事だと言う事は分かった。
 僕は無意識のうちに、ゆっくりと呪文を唱え始める。解呪のための第十一呪文。しかしこれは第九呪文と一緒で、僕が唱えるには少し荷が重い呪文だった。だが、教授は今現在、のんびりと呪文を唱えていられるような態勢ではなかった。彼が当てに出来ないとなれば、僕がやるしかない。
「……」
 呪文が、僕の口からこぼれ出す。
 泥人形たちはそれに気付いたのか、不意に立ち止まって、そして歩く向きを変えた。……当然のように、僕に向かっている。足取りはゆっくりだが、比較的大柄な彼らは歩幅も大きい。巨大なシルエットが無数に連なって迫ってくるその姿――僕は走って逃げたい衝動を懸命に堪えていた。
 他の二人はまるで当てにならない。教授はおろおろと逃げ惑うだけ、ザナックは腰を打ち据えたまま立つことも出来ない。
 それを見かねてか、タイタス・リューイリアスは腰に下げた剣を、ためらわずに抜き放った。
 華奢な体格には不釣合いなほどの大剣。それでも彼は士官であり、訓練を受けた兵士だった。剣を構えるその姿は凛々しく、頼もしい。
「いやあああっ!」
 かけ声も大きく、泥人形達に向かっていく。相手は化け物だ。彼はお構いなしに背中から切りかかる。
 一撃を受けた泥人形は、一瞬よろめいて見せた。
 一歩退き、体勢を整えるリューイリアス。その目が、ちらと僕を捉える。
「パルミエリ! 早く呪文を!」
 僕が呪文を詠唱しているのは分かるのだろう。はやく、と急かされてもこればかりはどうにもならない。僕は一言一句を間違えないように唱えるだけだった。
 傷を受けた泥人形は、反撃の拳をリューイリアスに向けた。突然の反撃に、彼は身をひるがえしてそれを避ける。彼の体格では、直撃を受けるのはあまりにも危険だった。
「パルミエリ! まだか!」
 リューイリアスの声が飛ぶ。まだだ、まだ……。
 反撃をすり抜けて、大尉は果敢にも泥人形の群に向かっていく。果敢な剣戟を、泥人形たちも疎ましく感じたのか……彼らはすっかり僕から矛先を変えて、リューイリアスを取り囲んでいた。
 その太い腕が、彼の剣を弾き飛ばす。
「くっ!」
 重い剣は、遥か向こうに弾き飛ばされ、研究室の向こうの隅の壁に斜めに突き刺さった。ザナックが気を利かせて拾いに行ってくれればいいのに、それも適わない。
 華奢で小柄なリューイリアスに、素手で対抗する手段はなかった。
 泥人形の一体が、彼の二の腕を掴む。
「……離せ!」
 彼の口から、悲鳴とも思える悲痛な声が漏れる。そんな声も泥人形には届かない。泥人形は彼の腕を掴んだまま、彼の細い身体を高々と持ち上げた。
「うぐっ……」
 少年は健気にも悲鳴を堪えるが、堪え切れるものではない。
 もう少し……もう少し耐えてくれ……。
 泥人形はもう一方の手で、リューイリアスの空いた手を掴む。そしてそのまま、ゆっくりと彼の手を引っ張っていった。
「ぐあっ……」
 もはや言葉はない。高々と抱え上げられた身体からは、まるで骨の軋む音が聞こえてくるかのようだった。僕は彼の無事を心の中で祈りながら、呪文の詠唱を続けた。
 他の四体の泥人形が、再び僕に矛先を向けた。
 僕は呪文を唱えながら後ずさる。しかし、すぐ後ろは壁だった。逃げ場はない。
 何たってこんなに呪文が長いんだ! 僕はもどかしく思いながら、祈るような気持ちで……最後の一句を口にした。
 今だ!
 土の人形よ、あるべき形へ戻れ!
 詠唱の終わった呪文が、静かに発動していった。
 泥人形の身体が、不意にぐらりと崩れた。
「!」
 五体の物言わぬ泥人形たちは、順番にその形を失っていく。ぐにゃり、と折れ曲がって形を崩していったかと思うと、そのまま動かぬ泥のかたまりになっていった。
 リューイリアスの身体も、その拍子に開放された。
「ひゃっ」
 彼を支えていた腕が、ぐにゃりと曲がる。そのまま彼の細い身体は重力に任せて落下していく。ぐにゃぐにゃと倒れ崩れる泥の塊のてっぺんから、転げ落ちるように真っ逆さまに落ちていくさまを見て、僕はその泥のかたまりの足元に大慌てて駆け寄る。そのまま彼の細い身体を、飛びつくようにして受け止めた。
 そのまま、後ろ向きに倒れる。背中をしたたかに打ち据えて、僕は床にごろりと転がった。
 倒れる時の衝撃で、リューイリアスを掴む手に思わず力がこもった。
「痛っ……」
 リューイリアスの口から悲鳴が漏れる。本当は悲鳴をあげたいのは僕の方だ。打った背中が痛む上に、小柄で軽いとは言ってもリューイリアスの下敷きになっているのだ。
 それでも、僕はため息混じりに彼に告げる。
「……大丈夫ですか、大尉?」
「ああ……何ともないようだ」
 大尉は息を整える間もなく、ぼそりと呟くような声で言った。僕も慌ててねじ上げられていた彼の腕を見やる。確かに、変な方向にねじ曲がっているとかいう事はなかった。
 僕は寝転がったまま、周囲を見渡した。泥のかたまりは僕とリューイリアスの近辺で、だらしなく溶け崩れてしまっていた。人の形をしていたという痕跡すら、そこには見出せなかった。術を解いた今では、これらはもうただの泥のかたまりに過ぎない。
 そのまま上体を起こして、室内にあと二人いるはずの人間達を見やる。壁の隅の方では、ザナックが相変わらずぐったりとしたまま動かない。時折痛いとか何とかうめき声が聞こえるが、外傷はないようだ。教授はと言えば……教授の姿がない。見回してみると、彼は自分の書き物机の下に身を埋めていた。
「パルミエリ……一体どうなったかね?」
「教授……」
 その見るからに情けない光景に、僕はため息をつかずにはいられなかった。
「……パルミエリ」
 教授に何か一言言ってやりたかったけれど、それは遮られた。リューイリアスが、僕のすぐ側で申し訳なさそうな声を上げる。
「あ……」
 そこで僕は初めて、彼の身体をしっかりと抱き止めていたことに気づいた。
「も、申し訳ありません」
 僕は慌てて手を離す。リューイリアスは照れた表情を押し隠しながら、平常を装ってゆっくりと立ち上がる。
「……済まない」
 彼はただ一言だけ、照れた口調でそう告げた。
 そう言えば。
 そんなリューイリアスの横顔を見ながら、僕はふと思い出していた。以前、彼が父親であるタイタス将軍と共に、この研究室に視察に訪れた日の事を……。
 その時将軍は、彼をなんと言って紹介していたか?
「……大尉。確かあなたとは前に一度お会いしていますね? 前に、ここで」
「視察には一度訪れているはずだ。それだけは覚えているが……?」
「確かあの時、将軍はあなたの事を……」
「言うな」
 その次の言葉を、リューイリアスがぴしゃりと遮る。
「……タイタス・リューイリア。将軍はあなたを、ご自分の娘だと」
「だから」
 再び僕の言葉を遮った彼……彼女の顔は真っ赤だった。ぶっきらぼうに、まるで吐き捨てるように言いながら、僕からついと視線を逸らす。
「無粋な事を言うなと、言っている」
 彼……彼女はそのまま僕に背を向けて、ゆっくりと離れていく。その足取りが、どこかぎこちない。向かっていく先は、壁の方に弾き飛ばされた剣のある方だった。
 僕がそれを無言で見送る間に、机から這い出して来た教授が僕にすがりついてきた。
「パルミエリ! いやあ、よくぞやってくれた」
「……教授」
 僕はため息をついて、教授をじっと見つめる。いや、見つめるというか、睨みつけていた。
「……なんじゃ、その目は」
「教授。今日の実験ですけど、何故こういう結果になったのか、お分かりですよね?」
 僕のその口調は……彼を問い詰めていたかもしれない。
「あ……いや、それは」
「それとも、必ず成功すると思っていた?」
「……成功を期待して行うのが、普通であろう?」
「それは、失敗したときの事を充分考えている人のセリフですよ。次からはあの長い長い呪文、教授ご本人が唱えて下さい。机の下になんか隠れてないで」
 僕の言葉に、教授は何も言い返せず真っ青になっていた。いつもなら、僕みたいな若造が口応えでもしようものなら、真っ赤になって怒り出すはずの人が。ちらちらと視線が泳ぐ先をみやれば、剣を手にしたタイタス・リューイリアが冷ややかな視線を投げかけていた。
「パルミエリ、お前もわしの助手なら、実験の危険性は認識していたと思うが……」
「していらっしゃらなかったのは教授の方です」
「それはそれとしても、お前を危険に合わせた事は、そのう……本当に済まなんだと思っておる」
「思って下さらなくて結構」
 その言葉を口にしたとき、僕は怒っていたはずなのに、にこにこと笑顔を浮かべていた。人間というのは、面白いものだ。
「僕はね、教授。あなたみたいな人の下で働くのは、もうこりごりなんですよ」
 それでは、と最後の言葉を告げ、僕は軽くおじぎをしてから、踵を返して入り口の扉に向かう。
 そう、こんな実験とは今日でおさらばだ。
 剣を回収したタイタス・リューイリアス改めタイタス・リューイリア(確かそれが本当の名のはずだ)は、僕達が口論……もとい、僕が教授をやり込めている間に、やはりドアの前に移動していた。腰に重そうな剣を下げた少女は、まるで睨み付けるような眼差しで僕を見上げる。
「……行くのか?」
「ええ。こんな研究室、もうこりごりですから」
 そんな風に言葉を交わしていると、教授とザナックが扉の側に駆け寄ってきた。
「た、大尉殿まで。もう行かれるので?」
「実験は見せてもらった。……後は将軍閣下に報告するだけだ」
「そ、それで……いかがなものでしょうか」
「最低の実験だな」
 少女は、辛辣な言葉を吐き捨てた。表情は真剣そのものだったけど、審判を下すようなそのセリフを、どこか楽しんでいるようにも見える。
「実に不愉快だ。大切な軍の予算をこんな事に割いているのかと思うと、言い知れぬ怒りの衝動すら覚える」
「そ、そんな……」
 教授は今にも泣き崩れそうな情けない声を上げた。その表情を目の当たりにしたリューイリアが、かすかに笑みを漏らし、ちらと僕の方を見る。
「……ただし、それは私個人の意見だ。泥人形の威力、制御出来るのであれば戦力になることは間違いない。それについては、将軍閣下も軍の上層部も、興味を示すだろう」
「……それでは」
「将軍閣下にはその通りに伝えておく。後のことは、私が決めることじゃない」
 そう言い残して、彼女は研究室の扉に手をかけた。無言で押し開き、それ以上挨拶もなしに部屋を出ていく。
 あとに残された僕たちは、途方に暮れていた。正確には、教授が一番途方に暮れていた。彼は傍らのザナックに、一体どうなるのだと詰め寄った。その追求の矛先がこっちに向かないうちに、僕もまたそっと部屋を後にした。
 もはや、実験の事なんてどうでも良かった。結果はどうあれ、ザナックが言った通りに週末はタナーシアと一緒に過ごせそうだ――それだけが、僕の関心ごとの全てだった。




    3

「……と、言うわけなんだ」
 翌日の昼。休日のお茶の時間に、僕はタナーシアに昨日の出来事をそのまま報告した。色々と考える事が多すぎて、昨日のうちには何も言えなかったのだ。そう、週明けから仕事が無くなるという事も含めて。
 全部話し終わった僕は、タナーシアの煎れてくれたお茶を一口すすった。
「ね、いつも思うんだけど、安い葉でどうしてこんな味が出るのかな?」
「あら、気付かない?」
「なに?」
「今日は特別な日だから。ちょっと贅沢したの」
「へえ」
 その言葉を聞いて、僕はあらためてもう一口、すすった。
「……なるほどね」
「本当に分かってる?」
「……分かっているさ」
 そう言って、僕は曖昧に笑う。味の違いが分かるかって? そんなのいいじゃないか。
「……怒らないの?」
「怒った方がいい?」
 彼女はそう言っていつも通り、優しそうな笑顔を浮かべるだけ。その笑顔の裏で怒っているのだとしたら、ちょっと怖いかも知れない。
「……ま、仕事がなくなっちゃうのはどうかと思うけれど」
 そう前置きして、彼女は言う。
「やっぱり、ああいう研究はよくないと思うの。軍のため……それはつまり王国のため。頭では分かっていても、やっぱりあなたの研究で結果的に人が死ぬ事になるわけだし」
 彼女の言うことは、もっともと言えばもっともだった。教授やザナックはどうか知らないけれど、あの泥人形が兵士として戦場に出る事があれば、敵の兵隊も大勢死ぬ事になるだろう。自分の研究の結果戦争で死ぬ人間が増えるという風には、あまり考えたくはなかった。
「……それにしても、来週からどうしたものかなあ」
「そんなに心配だったら、あの話、断らない方が良かったんじゃないの?」
 タナーシアが、心配そうな表情で僕の顔を覗き込む。
「……いいんだ。今日は特別な日だから」
 僕はそれだけ、呟くように返事を返した。
 昨日の晩に我が家を訪れたのは、タイタス家の使いと名乗る若い兵士だった。何でも明日の午後……つまり今日今現在のお茶会に、僕を招待するということだった。
 僕はその使いの兵士に、招待されているのは僕一人か、と確認した。タナーシアが招待されていないのを確認して、僕はそれを丁重に辞退した。
 招待してくれたのは将軍だろうか。それとも、リューイリアだったろうか。それは分からないけれど、どっちにせよ僕みたいな青二才が将軍の誘いを突っぱねたのだから、不興を買っていることだけは間違いない。
 心配事は尽きなかった。けれども、タナーシアが側にいてくれるなら、今現在のところ僕は他に何も要らなかった。




    4

 研究員である僕は、一応は軍の人間である。
 前の晩のうちに転属願いと辞職願の二つをしたためて、週明けの朝、僕は軍の人事課を訪れた。
 自分から教授の元を飛び出したとは言え……考えてみれば、将軍の一人娘をあんな危険な目に合わせたのだ。免職になってもおかしくはない。そういう場合も考えて、状況に合わせて二通、用意するものは用意して来たというわけだ。
 けれど人事課の扉を潜った瞬間、僕は不測の事態に遭遇することになった。
 そこにいたのは、いつかどこかで見た初老の男性。初老とは言っても、それを伺わせるのは髪に混じった白いものだけ。がっちりとした肩幅、贅肉の無い引き締まった身体。僕よりも頭ひとつ飛び抜ける程度の長身の偉丈夫が、そこにいた。
 簡素な軍服に申し訳程度に並ぶ勲章。けれどそれだけで、並大抵の人物ではない事が窺い知れる。
 彼は僕の姿を見出すと、ひげ面ににんまりと笑みを浮かべた。
「あ……」
 僕はその人物を見て、思わず声を上げてしまった。
 そう……そこにいたのは、タイタス将軍その人だったのだ。
「……パルミエリかね」
「……あ、はい」
 一度視察のときに会っただけなのに、この人はなぜ僕を覚えているのだろう。僕はどきりとした。
「やはり、来たか。週末の実験の事は、娘から報告を受けているぞ」
「はあ」
「こっちに呼びつけるつもりだったが、ひょっとしたら来るのではないかという気もしていた」
 つまり、朝っぱらからここを訪れるのは僕しかいないという、当て推量ということか。
 そんな僕の内心を見透かすように、彼は言う。
「ひょっとして、辞職願でも持って来たのかね?」
「……察しがいいですね」
 僕は観念して、ため息をついた。将軍が無言で手を差し伸べ、僕も黙って書類を手渡す。
 将軍は無言のまま、にやにやと僕の顔を眺めつつ手紙を開封する。さっと目を通すと、元の通りに折りたたんで、僕の目の前でひらひらと泳がせる。
「……これを受理する前に、研究室がどうなるのか、知りたくはないかね?」
「差し支えなければ」
「あの研究室は、やはり閉鎖することにした」
 その言葉に、僕はやっぱりという思いを隠し切れなかった。しかし、次の言葉はちょっと予測外だった。
「あんな三流魔法使いに任せておくには勿体無いプロジェクトだ。しかも、あのバカ教授に任せておいては危険と来ている。今現在のプロジェクトは解散、新たに研究チームを編成するつもりだ。……もっとマシな連中を集めてな」
「……なるほど」
 意外と言えば意外だったけれども、話を聞けばおおむね納得の行くものだった。次の提案を除けば。
「パルミエリ。君も一応、そのリストに名前を連ねている身だが……どうかな」
「それは……」
 僕はきっかり一秒、思考を巡らせた。……いや、答えは最初っから決まっていたのだけど。
「……それは、丁重に辞退させていただきます」
「そう言うと思った」
「申し訳ありません」
 僕はとりあえずそう言って、項垂れた。そのまま、僕は将軍の次の言葉を待つ。
「……奥方は元気にしているかね」
 唐突な質問だった。僕はうわずった声で、それに返答を返す。
「え? ええと……それはもう」
「パルミエリ、家族は大事にせねばいかんぞ。特に、女房は」
「は、はあ」
 しどろもどろの僕に、将軍は身を乗り出して語る。
「まったく……君のせいで散々な週末だった」
「はあ?」
「君がお茶会に来てくれなかったものだから、娘がすっかりふて腐れてしまってな。なだめすかせるので、手一杯だったのだぞ」
「……は、はあ」
 僕は間抜けな返事しか返せなかった。それでは、僕をお茶会に誘ったのはやっぱり彼女だったのだろうか。
「まあ、それはどうでもいい。……取り敢えず、今日のところは元の研究室に戻れ。教授にはすでに通達が出されている。引継ぎのための、身辺整理をしておけ」
「了解です」
「あの教授は解雇だな。ザナックとやらは使えるのだろうか……君の新たな配属先は、私の方で見繕っておく事にしよう」
「申し訳ありません、何から何まで」
「なに、娘の命の恩人だからな」
 ぽろりと漏らした言葉。ふいに目の前の将軍が、娘の父親の顔を見せた。
 その時だった。ドアがノックされ、誰かが部屋に入ってくる。入ってきたのは、彼の娘……タイタス・リューイリアその人だった。
「将軍閣下。お呼びにより参上しました」
 少女は週末に会った時と同じように、ぱりっとした軍服に身を包み、体格にいかにも不釣合いな重そうな大剣を腰に下げている。飾りではないのは、週末に見せてもらったばかりだ。
 堅苦しく敬礼する少女を前に、将軍はすっかり父親の顔に戻っていた。
「リューイリア。例の件だが、パルミエリ氏は丁重にお断りするとの事だ」
「……」
 リューイリアは何も言わなかった。ちらと彼女を見やると、彼女は燃えるような瞳で僕を睨みつけている。
「……彼の処遇は?」
「仕事は他にもある。探しておくさ。……プロジェクトの方は、今週末までに人選を済ませておく……結果として空いたポストから、パルミエリ氏には仕事を選んでもらう格好になるが……それで満足か?」
「ありがとうございます、将軍閣下」
「こういう時は、父上、と呼ぶものだ」
 父親がため息をつく。
 親子の会話に板ばさみにされ、何も言えない僕。その僕に、不意にリューイリアが言葉を投げて寄越した。
「パルミエリ」
「はい?」
「次の週末だが、予定は空いているか?」
 唐突な質問だったけれど、結婚記念日は無事つつがなく過ごすことが出来た。職探しの必要もない今、予定はない。
「奥方と一緒でも構わない。次のお茶会には、必ず来るように」
「……はあ」
「今度は、断るなよ」
 それだけ言い残すと、リューイリアは父親に再度敬礼し、部屋を去っていった。僕はそんな彼女を見送る。去り際に僕をもう一度僕を睨みつけていった、その視線がいつまでも僕の脳裏に焼きついて離れなかった。
「……あの、将軍」
「何かね」
「僕は、大尉殿に嫌われているんでしょうか?」
 その言葉に、将軍は……娘の父親は、くくくっと含み笑いを漏らした。
「そんな事、俺が知るか」
 もっともな回答に、僕は思わずため息をついた。
 僕は一礼して、その場を後にする。廊下にはすでに、リューイリアの姿はなかった。
 お茶会の事、タナーシアが聞いたらどんな顔をするだろうか。
 僕はそんな事を考えながら、研究室に向かって歩き出した。















あとがき

 結局、某缶紅茶のようなタイトルになってしまった……(爆)
 というわけでASDです。
 今回、実に久しぶりにファンタジーを書きました。このままSF作家に転身するのかと思いきや……実に意外な成り行きです。某短編の内容と早くも食い違ってきました(笑)
 この作品を読み終えた方の中には、「これホントにASDさんが書いたの!?」と首をひねっている方もいらっしゃるかと思います。その反応は当然です。書いたASD自身、なんでこんなものが書き上がったのかまったく不思議でなりません(笑) ファンタジーなのに流血が皆無なんて、ホントにASDが自分で書いたのか!?(笑)
 おかしいなあ……元々SFを書いてたはずなんだけどなあ……(爆)
 ちなみにこの作品、一応続きがないこともないです。本作が好評ならばいつか書いてみようかなあ、と思います。ま、不評でも書くんでしょうけど(笑)

2000.12.1



2001.6.22追記
 ちょっと文章が荒いのが以前から気になってましたので、全面的に修正してみました。まあ、細かい語句が変わっているだけで、お話の大筋はゼンゼン変わってないんですけどね(笑)
 「恋する魔法使い」と結構描写に差異があるような気もしてましたので、それも極力修正してあります……そのつもりです。直ってるといいなあ。