Arcadia 〜もうひとつの聖戦〜 第3章(その1)
作:きぁ





第3章:ミフィア=S=シレン(その1)


 この時代、“地球”には3つの大陸と数十の島があった。中央大陸“カオス”、南洋大陸“ガイア”、西洋大陸“クロノ”。大陸自体の面積比ならば、南洋大陸、中央大陸、西洋大陸の順になる。しかしながら、そのうち“ガイア”と“クロノ”では、“地上人”達と、己の姿を偽り、細々と生き長らえる“天上人”達が、大小数十の国家を形成して連邦制を敷いている。その為、この二つの大陸の敷地面積をひとつの単位で束ねることは出来ず、唯一の独裁制国家“カオス”が、周辺の島々をも領土として制圧しているという点で、総面積比で言えば最大の国家ということになる。

 “聖戦”の折、7人の聖者はその特出した“力”で“破壊”を封じ込めはしたものの、その代償はあまりにも大きかった。蒼い宝石と讃えられた惑星は8つに分断され、大地の大部分は海底に没してしまった。見る影もない程痩せ細った“地球”に残されたのは、荒廃した不毛の大地。生き残った彼等を待っていたのは、厳しい現実。古の神々が成した奇蹟を、すなわち生命の創世を、己の手で再現しなければならなかった。彼等は枯れた大地に水を引き、作物を植え、家畜を育てた。人間が歩んできた道を、全てなぞり直した。そして、心血を注いで惑星を再生させた結果、やがてそこに国が甦り、現在の世界を形成し得たのである。

 “地上人”の多くは、“聖戦”の聖者を諸悪の権化、全ての元凶と見なして、末裔である“天上人”を忌み嫌っている。“破壊”という邪神を生み出したのもまた、彼等“天上人”であったからだ。“天上人”を他の惑星――すなわち“天上”へ追いやった後も、その遺恨は根強く彼等に残留し、幾つもの戦乱の歴史を経て、只今では一方が一方を迫害する傾向にあった。

 “カオス”の王ナシムが、冷酷無比な手段で“天上人”達を虐殺しても、彼の失脚を狙う者が現れないのもまた、彼等“地上人”の目から見た歴史の上では致し方ない事と言えた。


 半年後、中央大陸“カオス”――。

 「きゃぁ!やめてやめてやめてやめてぇ!痛いよぉぅ!」
 大地を照らす陽射しに、晩秋の気配が漂う夕刻。城下の街ジグルの市場に、一際大きな悲鳴が上がった。夕食時、賑わいを見せる雑踏を行き交う人々は、はじめ何事かとそちらへ視線を投げかけ、そして、皆一様にその視線を虚空へと、まるで腫れ物を扱うように、目の遣り所を求めて逃した。
 そこには、追う者と追われる者の修羅場が繰り広げられていた。
「この、小娘!」
「やぁん!助けてよぅ!」
 悲鳴の主は、まだ幼い娘だ。年の頃は10歳前後、金髪で紫の瞳の少女は人形のように愛らしく、見る者の心を奪うのに十分な容姿をしている。だが、誰も彼女の言葉を聞き届けようとはしなかった。
 彼女の額には、うっすらと入れ墨が彫り込まれている。手足には、無数の貴金属の輪が通されていて、少女の動きに合わせて、しゃらん、と涼しげな音を立てた。衣服は、少女の瞳によく似合う瑠璃色の長い布地を、身体に沿って巻き上げた簡素なもので、それで額も隠してしまっている。知識のない者にでも、それはその時代の占い師の装束だとすぐに知れた。
「この王都では、占いや呪いの類は御法度だと、何度言い聞かせたら分かる!子供だからと言って容赦はしないぞ、来い!」
 少女の腕を捕らえているのは、群青紺の甲冑で身を固めた兵士である。群衆の視線を遠巻きに感じながらも、男は平然と怒鳴りつけ、か細い少女の腕を捻り上げる。彼女はまた悲鳴を上げたが、仲裁する者はおろか、非難の声すらなかった。それどころか、皆兵士が自分の方を睨み付けただけで、自分に厄介事の火の粉が降り懸からないようにと、蜘蛛の子を散らすようにそそくさと立ち去るばかりだ。
 王都ジグルでは、このような光景は日常茶飯事だった。どんな無体も、“カオス”国王ナシムの関係者ならば罷り通った。群青色はナシムの掲げる国旗の色で、王の権力を笠に着て、兵士達は世が世ならば無法者と罵倒されるような事を、さも当然のようにやってのけた。自分の意にそぐわなければ、護るべき民衆を容赦なく捕まえて処刑する、王のミニチュアが城下には犇めいていて、民衆はその陰に怯えながら日々の生活を営んでいる。人々の心から、平等という人間の権利を誇示する意志も萎えて久しい。
「もうその位になさっては?」
 ところがそこへ、制止の声が飛んできた。囚われの身の少女とは別の、凛と澄んだ声だった。
 ざわり、と、周囲からどよめきとも感嘆ともつかない声が漏れる。
 兵士はぎろりと目を剥いて、声の方を怒鳴った。
 振り返った先には、身の丈は彼の肩口ほど、体重ならば彼の半分にも満たないであろう茶の髪の娘が、ぽつん、と立っていた。
「何者だ!俺を誰だと思っているのだ、ナシム様直属“青の騎士団”、ハルド中尉だぞ!」
「直属を名乗るなら、主の顔に泥を塗るような真似はお止めになったら如何?中尉殿」
「これはナシム様の命令だ!“天上人”は生かしておくわけにはいかん!」
「では、その子が“天上人”であるという決定的な証拠がありますか?」
 兵士はぐっと言葉に詰まった。発言主に殴りかからんとする手を、何とか理性が優って抑えている。その証拠に、彼の利き手と思われる手には既に拳が握られており、怒りの為にぶるぶると戦慄いていた。
「今日はお引き取り下さいませ。こちらにはきちんと言い含めておきますので」
 そう言って、男の前に立った若い娘はにっこりと微笑んだ。不敵な笑み。
 その気になれば、兵士の方は彼女も捕らえることが可能であったが、あまりに大胆で、しかも絶妙なタイミングで注ぎ込まれた指摘に二の句が継げない。彼自身、ここで答えに窮してしまったことで、己の落ち度を露呈してしまっている。これ以上足掻けば恥の上塗りと悟ったか、兵士は暫くあうあう、と空しく口を開閉させていたが、やがて周囲の野次馬を蹴散らしながら、足音も重々しく立ち去った。

 「いいぞぉ、ねぇちゃん!」
「やるやる!」
「格好いい!」
 周囲からの喝采に苦微笑を浮かべ、娘は呆然と立ちすくむ少女を振り返った。
「大丈夫?腕は痛まない?」
 小悪魔的な、悪戯っぽい笑みを少女に投げかける娘は、先程とはえらく言葉遣いが違う。こちらが地のようだった。
「ありがとう。あの……」
 捕らえかけられた少女は戸惑って首を傾げた。朧気ながらも、その娘に見覚えがある、と感じたからだ。
 名前を知れば思い出すかも知れない。
 少女が愛らしい頬を紅潮させて口を開きかけたところで、娘の方から先に切り出していた。
 そう、少女が求めていたその答えを、彼女が問う前に口にしていた。
「私?クラリスというの。貴方の名前を聞いてもいいのかな」
 クラリス、と名乗った娘の言葉に、少女はハッと息を飲んだ。その年齢にしては、奇妙に大人びた表情――きゅっ、と、紅を挿した唇を真一文字に結び、視線をスッと娘から外した。薄い衣に隠された全身に、一瞬にして緊張が走った。
 “読まれた”――?
 “心を覗かれた”。そう感じた。何の根拠もない直感である。だが、占い師という生業にある少女は、だからこそ戦慄した。その直感こそが、占い師としての自分をここまで導いてきたからだ。勿論、人生の何たるかを全て語り尽くせる程、少女は老いていない。まだまだ幼い部分が多分にある。だが、幼いからこそ過敏に感じ得るものがあるのだと、少女は経験から知っていた。理論では分かっていなくても。そして、直感という第六感の世界に、理論は無用である。
 少女の否定的な反応に、当のクラリスにはその理由が思い当たらない。不思議そうな顔をしている。
 それをじっと見つめ、少女は不意に、ふっと笑った。
 先程までの緊迫感、大人びた顔はサッと掻き消され、あどけない子供の、天使のような笑顔がそこにはあった。
「あたしはミフィア。よろしくねっ、クラリス!」