Arcadia 〜もうひとつの聖戦〜 第4章(後編)
作:きぁ





第4章:エイン=J=ディアマス(後編)


 「んじゃ、今回の作戦の説明するわ。まず、ここにいる12人を3つの組に分ける。最初は全員一緒、裏門から侵入、上手くいったら三手に別れる。正門の方は守りが堅くて、俺等じゃ手に負えねーし。奇襲がバレるのは目に見えてっからな。相手にしねーで、こっちは予め眠らせる方法を採る。例の“お姫さん”に手配はしたが、確率は五分五分って所だそーだ。それが成功するのを祈るしかねーかな、情けない話だが。
 一組目は裏門を占拠して、逃げ道を確保する。外の連中に気付かれねーようにな。特に、街を回ってる巡回兵が城に戻らんようにしてくれや。外だけじゃなく、騒ぎが起きれば城からも、わんさか兵隊やらが押し寄せてくるだろう。女子供、戦力にならなさそうなヤツが助けを求めたら、逃がしてやってくれ。俺達の目的は別にあいつ等を殺す事じゃない、無駄に命を奪う必要はねーからな。
 で、他の二組は、片っぽは、地下にある牢獄に捕まってる連中を出してやってくれ。上手くいったら、とにかく城から出て逃げろ。門にいる誘導する組も、そいつ等が城から出てきたら、そいつ等を守って一緒に行くんだ。多分傷付いた者が多いはずだ、フォロー忘れんなよ。
 最後の一組は……、こいつは言うまでもねーが、領主の首を頂きに行く。
 ――ここまででご質問、ご意見は?」
 一息に説明すると、ルーソは暗がりに浮かぶ同胞の顔をぐるりと眺めやった。そして、その緊張した面々がひとりひとり、彼に向かって同意の意志を示すのを全て確認してから、話を続ける。
「これは肝に銘じておいて欲しんだが、間違っても『差し違えても』なんて気、起こさねーでくれよな?俺は、名誉の死なんてのはまっぴらだ。恥晒しでも何でもいい、生きて帰って来よーぜ。勿論、全員でだ」
 ニヤリ、と笑うルーソの顔は、決して憂いや迷いはなく、その瞳には暗がりでもはっきりと分かる精気が満ちていた。
「おぉ!」
「そうだそうだ!」
 集まった男達の雄々しい声が響く。
 ルーソは志気の高ぶる彼等を更に勇気づけるように、力強く頷いた。
 そして、そこにいる仲間達の名前を記した紙を広げた。

 流暢な文字で刻まれた名前を読み上げて、ルーソは彼をじっと見つめるふたり分の視線に苦笑した。明らかに不服そうなミフィアの視線と、それを微笑しながら見守るエインの瞳。彼等ふたりの名は、そこには記されていなかった。
「ミフィア、そんな目で見んなって。心配しなくても、ちゃんと連れてくから。ふたりは、俺と来い。領主の首を、俺達3人で頂戴するんだからな。後は出来るだけ平等に、半分に分けたつもりだ。片方が門に残り、もう片方が城内に潜入する。中に入る組には、若い連中の、出来るだけ戦闘経験のあるヤツを中心に選ばせて貰った。許してくれな、ユーノのじーちゃん?」
 彼に『じーちゃん』と呼ばれた、エインよりも小柄な白髪白髭の老人は、ひょい、と道化のように両手を天高く突き上げ、“お手上げ”を見せた。老いて深く皺の刻まれたその顔には、他の若い男達同様の、青年期の勇敢な戦士のような溌剌とした勇ましいさが溢れている。
「仲間に入れて貰うただけで感謝しとるよ。これでやっと、女房の仇が討てる」
「じーちゃんじーちゃん、じーちゃんはな、門で待ってる方なんだよ」
「そんな事、わかっとるわい!」
 横からの茶々入れに、ユーノ老人は顔を赤らめて怒鳴った。この辺りでは彼の怒声は有名で、皆思わず苦笑する。誰もが、この人生経験豊富な老人に一度ならずとも怒鳴られて育ってきたのだ。
 ぶるぶると震える拳を振り上げた老人は、それをゆっくりと下ろしながら、ぼそり、と呟いた。
「ただ、ただ――謂われなく死んでいった者達が、その魂が、やっと救われる。その手伝いが出来る。それで死んだもんが生き返る訳じゃあないが、充分な仇討ちじゃなかろうか……」
 老人の震える掌には、古びた青銅のロケットが握られている。永い歳月を主と共に歩み続けたそれは、今にも壊れそうな蝶番をかちりと震わせ、内に大切にしまわれた一枚の肖像を、涙目の老人に、周囲の者にそっと覗かせた。そこには、うら若い女性が優雅に微笑んでいた。彼の妻は、この場に集まった者の大半が生まれるより前に、既に他界していた。
 周囲がしん、と静まり返り、老人は決まり悪そうに目頭を拭った。それから、ごほん、と咳払いをひとつ。
 ルーソは静かに頷いた。
「じーちゃんの言う通りだ。確かに、死んだ者は生き返らねぇ。これは、無念のまま死んだ奴の、今生きてる連中の為の戦いだ。だからこそ、みんな死なずに戻って来るんだ。みんなで、美味い酒を飲む為に、なぁ?」
 事もあろうか、ルーソはそう言って、自分の頭上にあるミフィアの顔を見上げて笑った。
「んだよぉ!」
 睡魔に圧されて話題が掴めていないミフィアは、ルーソの言葉に訳も分からないままに頷いた。笑いが起こる。
 皆、彼の言葉通りにはならないであろうと知っている。それは希望や理想では語れない現実であり、事実だった。今やこの世界でも屈指の国家勢力にのし上がった“カオス”の統治者が、その強大な権力を最大限に発揮して各国から戦力を掻き集め、自ら組織した精鋭部隊、“青の騎士団”。人間としての品位や知性はともかく、腕っ節の強さを自他共に認める選りすぐりの猛者だけで組織されているという、文字通り最強の兵士を相手取るのだ。嘗て、同じようにあの城に挑んで、志半ばにして空しく散った同胞の数がどれ程になるか、知らない訳ではない。否、寧ろ嫌と言うほどその背中を送り出してきたのである。すなわち、決して他人ではなく、自らの父であり、叔父であり、兄であり、弟であり、友だったのだから。
 誰もが、覚悟していた。仲間の顔を見るのは最期になるかも知れない、と。

 エインは、ふと、自分を見つめる視線に気付いて顔を上げた。
 ルーソだった。先程まで彼が仲間達に見せたあの強気な、自信に溢れた表情のままであった。だが、その眼光は先程よりも鋭い。射るような視線に、エインはスッと己の背筋が伸びるのを自覚した。
『エイン、話がある』
「……」
 それは声ではなく、彼等とミフィア、3人だけの間で通用する暗号のようなものであった。身振りだけで相手に意思を伝達する。盗賊という職業柄、ルーソはその類の言葉無き言語を数百というレベルで身につけていた。そのうちのほんの初歩、ミフィアのような幼い子供でも分かるようにと彼が手を加えたものだった。
『分かった』
 同じく手振りだけでそれに応じると、エインは他の仲間達に気付かれぬように、そっとその集団から抜け出した。

 ルーソと出会ったのは、エインがまだほんの乳飲み子だった頃だ。彼等の出会いは、例えば親戚縁者の仲とか、道すがら出逢った旅人が意気投合した、などという平凡なものでは決してなく、まさしく偶然。しかし、その偶然はそもそも、常軌を逸脱した状況下に起こった。
 それは、強者と弱者、奪う者と奪われる者の関係だった。盗賊という生業の青年は、エインが生まれ落ちた村に、当時の彼が与していた盗賊団の仲間達と押し入り、ありとあらゆるものを強奪していった。金品、財宝、絵画や装飾品の類を奪い、両親の生命を奪い、少年の目の前に開けたばかりの未来さえも奪おうとした。
 ルーソは、少年を斬ろうとした。そして――出来なかった。
 以来、彼は自らの手でエインを育ててきた。その時、ルーソはまだ15歳になったばかりで、エインは2歳にも満たなかった。十余年の歳月が経ち、エインはあの時のルーソの年齢になった。今ではあの赤子が、立派にルーソの参謀としての役割を果たせるまでに成長した。あの人選を記した紙も、エインが自分で考案して彼に提起したものだ。多少の修正はしたが。
 エインは、己の両親を奪った相手と知りながらルーソについてきた。確かに仇である。だが、現在彼があるのも、ルーソのおかげである。仇でありながら、命の恩人でもある男。エインはその事について、考えないことにしている。……否、考えないことにしていた。つい先程まで。
 しかし――。
 彼には分かっている。自分一人をルーソが呼んだ、その理由が。

 三日月が完全に闇に没する頃、エインとルーソ、ふたりの青年は、今宵彼等と生死を共にする仲間達から少し距離を置いた位置に立ち、まるで世間話をするかのように和やかな、何気ない雰囲気のままで、彼等の未来を左右する重要な会話を交わした。
 彼等だけが、己の人生をかけた戦いに挑む訳ではない。皆、極力明るく振る舞うよう努めてはいるものの、当然ながら、不安も迷いも、恐怖もある。どんなに些細なことでも、仲間達の先頭に起つふたりが、不穏な影を周囲に落とす訳にはいかなかった。
「僕等の事は心配要らないよ。ミフィアの面倒は僕が看るし。だから、構わず探しに行ったらいいよ、リーマさんを。その為に、僕が選んだ他の人をみんな外しちゃったんでしょ?メンバーから」
 少年はその年齢とは思えない程大人びた顔で、穏やかに微笑んでいる。
 それを横目に見て、ルーソは長く伸びた金髪を掻きむしった。くわえていた煙草を、ひょい、とエインの前に差し出す。
「……お見通しかよ、参ったな」
「一応息子だからね、その位は分かるつもり」
 ぺろり、と、先程の微笑みとは打って変わってあどけない表情を浮かべて、エインはルーソから煙草を受け取った。悪戯をする子供の顔で、馴れた様子で煙草を吸う。
「ちっ、そんな教育、した覚えねーんだけどなぁ?」
「『親が無くても子は育つ』んだよ」
「……エイン」
 ふわり、少年が燻らせた紫煙が、仄白く光沢を放ちながら立ち上る。絹糸のように闇に漂い、ルーソの視界から彼の表情を隠した。
 その白い影の向こうで、エインはふっと俯いた。己を諫めるように。薄く、乾いた微笑は彼が無意識のうちに覗かせるもので、ルーソにも見覚えがあった。窶れた老人のような顔だ、と、いつかルーソが思った表情。ふたりの間を流れてゆく煙が、その錯覚をより鮮明なものにした。
「僕の“運命”だとか未来だとか、そんなもの、ルーソが心配する事じゃないよ。僕はもう、自分でその位決められる歳になったんだ。例えば、ミフィアの“白昼夢”のように、僕や貴方が何らかの形で、この世界の“運命”を肩に乗せられているんだとしても、それはルーソのせいじゃない。そして、ミフィアのせいじゃない。僕は――」
 エインは面を上げた。
 ハッと、ルーソは息を飲む。
 普段、このような会話を彼とすることは決してなく、ましてエインのこの時のような眼差しを、顔つきを、彼は嘗て目にしたことがなかった。
 成程な――。
 ルーソは内心、独り言つ。彼の脳裏には、ある神殿で彼が見上げた、白磁の立像があった。
「僕は、自分で選んだんだ」
 遙か彼方、目に見えない何かを見据えるように虚空に眼差しを投げかけるエインは、ルーソが少年時代に羨望を込めて仰いだ立像、“翠緑の神”の姿、そのものだった。
 成程。古の“神”とやらに、エインが“運命”の申し子として選ばれたのが何故か、分かる気がする。神様、あんた達の選択は恐らく、間違っちゃいないよ。
 間違っちゃいない。だからこそ、俺は――。
 ニヤリ、とお得意の不敵な笑みを頬に浮かべて、ルーソは息子から煙草を取り上げた。
「全く、出来過ぎた息子だ」
「それは貴方の教育がいいからでしょう?」
「……。そりゃ、そうだ」
 ふたりは顔を見合わせて、笑った。
「そんじゃ、行くか」
 ぽーん、と、吸い挿した煙草を放り投げ、それを足で揉み消すと、ルーソは歩き出した。
 その横顔に、尊敬と憧憬の視線をほんの一時投げかけて、エインが続く。
 それは、紛れもなく親子と呼ぶべき姿であった。


 静かに、だが確かに、世界の歯車が軋みながら廻り始めていた――。

 その歯車がやがて、“運命”と呼ばれる不可視の糸を絡め取り、手繰り寄せ、彼等を同じ奔流へと導くであろう事を知る者は、天より他になく――。

 そして、彼等を乗せた奔流のその果ては、神さえも知らない。