Arcadia 〜もうひとつの聖戦〜 第7章(前編)
作:きぁ





7.アリオン=M=カオス(前編)
 
 室内を照らし出す陽射しに、人々の微睡みを醒ます程のたくましさが備わり始めた頃、ナシム王の寝所には、合わせて“4人”の人間の姿があった。
 そのうちのふたりの瞳は閉ざされており、ひとりは見開かれたまま、何者をも映さぬ眼球を虚空に向けている。そして、ただひとりだけが正気の眼差しをもって、それを見つめている。
 鋭い眼光で睨み付けたまま、正気の青年が口を開いた。
「半身をシーンの許に送りましたね?それで“術”が成功するのですか?」
 盲いたひとりが、重々しく答える。まだ幼い、少女とも少年とも取れる声である。
「それは、妾には容易い事。それより……、あまり“反魂の術”を多用されるは感心致しませぬぞえ、王子?」
「貴方にそれが言えた義理か?」
 “王子”と呼ばれた青年が応える。些かその呼称に気分を害したらしく、応じる声音には微かな怒りが含まれている。
 青年の変調に気付いて、対話の相手は密かに含み笑いを零し、頷いた。
「無論。妾は既に、この世ならざる不浄の世界に融解した仮初めの身故、その魔性の魅力、ようく存じ上げております」
「では、余計な口出しは無用。貴方は“盟約”の通り、貴方の役目だけを果たされるがいい、“古(いにしえ)の魔女”」
「……御意」
 “魔女”と呼ばれた盲目の少女は、ゆっくりとした動作で黒装束に包まれた掌を翻した。指先が仄かに紅の光を帯びた刹那、雷に似た烈しい閃光が室内を走り抜けた。
 そして、少女の前の“ひとり”が閉ざされたままだった目を、ゆっくりと見開いた。
「おはようございます、ナシム王」
 青年は恭しく跪くと、彼の父であり、偉大なる権力者であった男に向かって頭を垂れた。その口許に、先程も垣間見せた冷笑を浮かべながら。
 
 アリオンは少女を王の寝床に寝かせると、白を通り越してやや仄青く血の気の引いた頬を流れる露を、そっと拭った。
 それから俯せると、少女の頭部に己の額を押し当てた。吐息すらお互いの頬を愛撫する距離で、青年は眠り続ける少女だけを見つめる。
 名のある魔術師や、或いは彼の父であれば、アリオンの“変化”を文字通り肌で感じ得たかも知れない。だが生憎その場にはそれの適う意識ある者はおらず、彼が再び見開いた瞳が、先程までの青玉の光沢を失ってゆっくりと白く澱んでいく様を、目撃した者はなかった。
 ゆらり、と、その身から放たれる“気配”が、あたかも彼とは異なる生物が憑依したかの如く揺らいだ。白濁した瞳は深海魚のそれに似て、何者をも映さぬ、ただの飾り、細胞の結合体に過ぎなくなっていた。それでも、アリオンは己の意思で、彼が“第2の目”と名付けた“能力”を発現させる。一時的にであるにせよ、五感を失ってなお、代償として余りある情報をもたらしてくれる、己の身に宿る偉大なる“能力”。その有用性を、彼は正しく見抜いている。“青の騎士団”の長たる者として、国王の子息として、一介の戦士として。彼は立場に応じて如何に“第2の目”を利用するか、その知識を経験という無形の財産として身につけていた。
 彼自身には、無論、己の瞳に生じている変化を知覚する事は出来ない。彼にとってその“能力”の覚醒は、あくまで己の脳内世界で展開する。ゆっくりと視野が暗濁し、少女の透き通るように白い肌も、長い睫も、何もかもがモノトーンに染まる。真の暗闇が彼の前に降りてくる。
 発現させる時、アリオンはいつも思う。死して渡る世界、冥府。そこは己の手すらも分からぬ暗黒の世界だと言われている。まさに今、己を包囲するこれと同じだろうか、と。
 やがて、ぼんやりと、朝ぼらけの町並みを高台から臨むように、仄かに、ゆっくりと光ある世界が彼の目の前に還ってくる。その情景は、薄暗い城下町の夕暮れであったり、華やかな貴族のティータイムであったり、白御影石の神殿の夜明けであったりと、彼の在る筈の場所を、時間帯を、人間関係を、現実の全てを超越する。彼自身が足を運んだ事のある場所の時もあれば、この中央大陸“カオス”では決して見られない景色であったりもする。良く知った人物が居る時も在れば、あかの他人と喧嘩をしていたりもする。
 彼の脳裏に映るそれは、その名の通り、彼以外の“知人の目”が見ている世界。或いはその記憶。
「……ク、ラ、リス……」
 アリオンは、最も近しい血縁にある“男”の“見た記憶”の中から、少女に関する情報を引きずり出した。“カオス”領下にある孤島、白の神殿、その巫女姫。“彼”記憶の中で巫女姫は、アリオンがその手ですくったものと同じ温もりを持つ涙を零した。
 
 「夜這いにゃ、ちっとばっかし明る過ぎると思うがね、アリオン?」
 不意に背後から声がかかり、アリオンの首筋に冷たい刃が触れた。
 “第2の目”に意識を集中していたアリオンは、刹那、表情を強張らせ、いつでも反撃出来るよう全神経を戦闘状態に移行させたが、相手に思い至って、口許に僅かに笑みを浮かべ、その緊張を解いた。相手に殺気はない。もっともそのせいで、気配や物音に鋭敏に反応出来るさしものアリオンも、彼を感知する事が出来なかったのだが。
「……シーン。随分遅いご登場だ」
 ゆっくりと、相手が驚かぬよう、誤解せぬように細心の注意を払いながら、アリオンは身体を起こす。昏睡状態の少女、それに覆い被さる自分。確かに在らぬ誤解を招きそうな情景である。無論、相手――シーンは冗談のつもりだろうが、気配を完璧に押し殺し、彼の傍らに立った時点で、恐らくは違う意味で警戒心を抱いたのは間違いないようだ。
 アリオンが彼女に“何を”していたのか、シーンはこの世で唯一知り得る人物なのだから。
「へっ、よく言うぜ。あの年増のばーさんを仕向けたのはお前だろーが?」
 シーンは悪態をつきながら、突き付けた小刀を懐に納めた。
「“彼女”の意思です」
「ふん、“魔女”の意志、ね。父子共々大嘘吐(つ)きだな」
「貴方に言えた義理か?シーン。その『ばーさん』を止められなかったのは――、止めなかったのは、一体誰です?」
 少し毒を込めた台詞を、意識的に吐く。彼の義弟ほど直情的ではないにせよ、感情に流されやすいシーンは、案の定、居心地悪そうに目を細め、視線をアリオンから外した。そして、全く別の話題を振る。
「そんな事より、あの淫乱男はどーした?」
「死にました」
 至極さらりと、微塵の感情も隠らない淡白な言葉で、アリオンは答えた。
 問うたシーンの方が余程狼狽え、問い返す。
「……、な、に……?」
「死んだんです。正しくは、殺された。蘇生はしたが、もう思考能力はない。生きた屍だ」
「殺(や)られた、だと?誰に?」
「誰だと思います?」
「……まさか」
「その『まさか』です。私が駆けつけた時には、勝負は決していた」
 ベッドに横たわる少女の、殺人者としては美しすぎる寝顔を目を細めて見つめながら、シーンは率直な感想を漏らした。
「彼女が?信じられねぇな」
「私もです。だが、もし彼女が“最後の神”ならば、話は別だ。――違いますか?」
「!」
 振り返った眼差しに、背筋を悪寒が走る。
 シーンは、息を飲んだ。
 
 『――考えた事はないですか、シーン?“世界”は“8つ”に分かれたのに、何故“神”は“7人”しかいないのか。本当にそこに、“神”はいないのか。或いはいるならば、それは一体何者なのか、と……』
 彼がそう切り出したのは、一体いつのことだったか。
 真っ直ぐに見つめるアリオンの視線に既視感を覚え、シーンは己の中に眠る記憶を手繰り寄せた。
 まだ、彼に“青の騎士団長”などという肩書きのなかった時代。嘗ては“アルス”と呼ばれた大陸に独裁者はなく、小国が林立し、現在彼等の立つこの場所には、内戦という虚偽と暴力と犠牲だけが蔓延(はびこ)り、屍が累々と大地を埋め尽くしていた。彼等を取り囲む世界が日々目まぐるしく変貌していた、血塗れの過去。
 新たな生活を営み始めた矢先だった。盗賊として稼いだ資金を元手に、繁栄を極めた一族の歴史を再興しようと目論んでいた矢先。自身も商人と再出発を果たしていたシーンは、戦禍にあってその職を一時保留せざるを得なくなった。彼は、息子の為に自らの身分を隠匿して一介の傭兵に身を窶し、いずれ恐怖政治によって世界を統治する独裁者・ナシムを擁立する政権に附いた。当時のナシムは、まだ“天上人の敵たる天上人”ではなかったのだ。
 対するアリオンも当時、己の素性を偽っていた。剣の技量は勿論、10代半ばにして落ち着きのある物腰と、時には味方をも糾弾出来る冷徹な判断力を買われ、特例的に警備兵の一員として迎えられていた。彼等を命令出来る立場にある筈の少年は、何故かそれを継承し、行使する事を拒み続けていた。
 本来であれば交わるはずのない経歴と地位のふたりは、そこで偶然に出会った。
 お互いが“運命”と呼ばれる、不可視の、悠久の呪縛に拘束されている。或いはこの出会いすら、その“定められた未来”の一部なのかも知れない――。
 それを先に語ったのは、少年兵アリオンだった。
 月明かりのひどく冴える夜だった。野営の当直だったふたりは、焼け野原に立ち、遙かな山間を青白く染める下弦の月を見上げていた。
 その時、アリオンは唐突に、淡々と喋り始めた。
『……アリオン?』
 訝(いぶか)しむシーンを後目に、アリオンは構わずに話し続ける。あたかも、何かに憑かれたかのように。
『我々はそもそも何者なのか。“神”とは一体誰で、誰にとっての“神”なのか。そして――、本当に戦いは終わったのか、と』
『一体、何を言ってる?』
『もしも、本当に“聖戦”などというものがあるなら、それが続いているなら、それは一体、“誰”と“誰”の戦いなのか。……シーン、“天上人”の本当の“敵”は、討つべきなのは、“地上人”ではないのではないか――そう、思いませんか?』
『じゃあ、“7神”とやらの生まれ変わりだという、俺やお前、エインの本当の“敵”とやらは、誰なんだ?まさか、その居るかどうかすら分からん“欠番”だなんて、言わねーだろーな?』
 己が生を受ける前に定められた、自らの意思で操る事は勿論、触れる事さえ敵わぬ絶対的な“未来”。己の人生である筈が、自身が真偽を確かめる術はおろか、その渦中にある認識さえも持ち得ぬ、あまりに現実味のない、掴み所のない話。
 笑い話で済めば、どれ程いいか。
 そんな心持ちを込めて皮肉ったシーンに、アリオンは彼とは別の意味合いを内包した笑みを浮かべた。それは恐らく、自嘲であった、と今にして思う。
『……分かりません。でも、これだけは言える。私達にもたらされた“聖戦”の伝説は、何かが歪曲している。それも、事実の核心に迫る部分が、敢えて歪められて伝承されている。ひょっとしたらその事が、私や貴方の“運命”とやらを狂わせるかも知れない……』
 
 薄暗い廊下を暖める陽射しは、既に早朝の脆さを払拭し、世界を守護する恵みを備えた力強さを帯びている。その中を、目も醒めるような碧瑠璃の甲冑を纏ったふたり組が、朝陽を蹴散らしながら、金属音も高らかに駆けていく。
「どうした!」
 牢の警備に当たっていた当直の看守は、その物々しい気配に驚いて立ち上がった。退屈紛れに遊んでいたカードが、ぱらりと床に散る。それを構わず、強面の男は、敬礼すらも省いて問い質した。最下層の地下牢にまで“青の騎士団”が直々に降りてくる事など、滅多にない。即ち、緊急事態である。
「戦況が芳しくなく、守衛の兵も導入せよ、とのご命令です!」
「戦況だと?上の“天上人”どもは、まだ駆逐されていないのか?」
「はっ!」
「分かった。お前、怪我をしているようだから、ここにいろ!他は全員ついて来い!」
 その命令に、伝達に降りてきた鎧姿の若いふたりは、一瞬、困惑の色を見せた。だが、すぐに先を行く当直の後を追って、指名されたひとり――騎士と言うには酷く小柄で、武装にも戸惑っているように見えた――が駆け出した。
「さて、と……」
 警備に当たっていた兵士が全て出払うと、“権力”の象徴に身を固めた男は、おもむろにその兜を脱ぎ捨てた。忌々しげにそれを床に投げ捨てると、今度は装備さえも解除いてしまった。
 あっ、と、牢の中から驚嘆と歓喜の声が挙がる。
「カイル様!」
「カイル王子!」
「牢を出たら左だ、階段を駆け上がって、表へ出ろ。正面の裏門へ、何があっても立ち止まるな」
 牢の鍵を手早く外しながら、カイルは的確に指示を出す。わらわらと逃げ惑う人々の中、カイルは知った顔を見付けた。“革命派”のひとりだ、どうやら捕らえられてしまったらしい。身体中に刻まれた生傷は、カイルよりも数段生々しいものだった。
「フォスタ!」
「カイル!カイル……」
 呼び止めた男は、彼の姿を視認すると、安堵と憤怒の綯い交ぜになった、奇妙な表情にぐにゃりと歪め、カイルに向かって叫んだ。
「爺さんが――、爺さんが殺された!」
「……!」
 カイルの形のいい眉がぴくり、と引きつった。彼自身は知る由もなかったが、それは彼の義兄も知るカイルの無意識の癖だった。
「爺さんが、あいつら、爺さんを寄ってたかって……!」
 呼び止められた男は、そこまで何とか説明すると、残酷極まりない光景を思い出したのか、あとは空しく唇を噛み締めた。
 己の中で暴れ狂う感情を何とか押し留め、カイルは苦渋に満ちた声を絞り出した。
「……今は、逃げろ、フォスタ」
「何だと?」
「……今、お前に死なれるのは困る。皆を引率して逃げろ」
「だが!」
 なおも反論を試みる男の肩を乱暴に掴み、彼としては――鉄仮面の青年と呼ばれたカイルにしては珍しく、言葉を荒げて怒鳴りつけた。
「しっかりしろ!サイノスを置いて、死にたいのか!」
「……!」
 閉口する男を前に、カイルは呟いた。
 その時、フォスタと呼ばれた男にははっきりと、青年の中から憤りに沸き立つ紅蓮の炎が見えた。
「爺さんの仇は、俺が討つ。だから、逃げろ」
 それは、“神”の激昂、それだった。


 泣いている。
 誰かが泣いている。
 己の“血”が人を殺めると、己の“運命”が世界を滅ぼすと、泣いている――。

 すぐ傍から誰かに呼ばれているような、けれどそれは久遠の彼方の囁きのような、曖昧な覚醒の感覚に、クラリスは閉ざしていた瞳を開いた。
 淡く揺らめく紅の地平を、クラリスはぼんやりと見下ろしていた。
 己に“天上人”の血が流れている事は、神官であった義父より聞き及んではいた。“風の女神”の巫女としての知識を学ぶうち、その歴史や宗教観は勿論、類い希な“真性”の“力”を有している事も、そしてそれを操る事が出来る“能力”がある事も、無意識とはいえ理解していた。
 けれど、こんな事って――。
 紅に見えたのは、無数の人間の、成れの果て。緋色、赤、紅、周防、葡萄茶、褐色――。その色彩を配しているのは、死屍累々たる故の、血色。
 全てが滅び、死に絶えた世界。
 さながら地獄絵図のように。
 さながら“聖戦”のように。
 何故?どうして、こんな惨い事に?
 クラリスは彼等の頭上から、すなわち中空から死の世界を見ていた。
 どれ程“能力”があるとは言え、“天上人”は既に天空を飛翔する“力”を失ってしまったのではなかった。それなのに、自分は今天を舞い、“世界の終焉”を見下ろしている――。
 “終焉”?
 その言葉に思い至って、クラリスは声にならない悲鳴を上げた。
 地に伏した、もはや還らぬ人々、物言わぬ亡骸。対して、唯一“生きている”自分。
 では、彼等を死に至らしめたのは――!


 「今日は、このままお引き取り頂けないですか?シーン……、いえ、“レジスタンス”のルーソ」
 突然、話題をすり替えられ、ルーソは訝しげな視線をアリオンに向けた。
 それを受けアリオンは、彫刻家の芸術作品にも喩えられた、その類い希な容貌に不敵な笑みを浮かべた。
 思わず、ルーソが戦慄に息を飲む。
 それはあまりにも超然とした、人智を越えた微笑だった。
「……私の方も、これから色々忙しい。“先代”の方は、先程も申し上げた通りもう使えないし、と言って今、それを公にするのも得策ではない。穏便に済ませるならば、やはり、ナシム王の“不在”を伏せる必要がある、少なくても春までは。そこで投票でも何でもして政権交代を……」
「――待てよ!一体、何の話だアリオン?」
 割って入るルーソに、アリオンはふっと表情を引き締め直し、いつもの沈着冷静な“青の騎士団長”の顔で、さらりと告げた。
「取引を。貴方の大切な“妻”をお返しする。この大陸からの脱出の猶予も付けて。その代わりに、“彼女”を……、私に頂きたい」
「なっ……?」
 唖然とするルーソを後目に、アリオンはベッドに横たえられた少女に歩み寄ると、彼女の傍らにあっさりと座した。
 “敵”に人質を取られる――。阻止すべき行為を、ルーソは黙認してしまった。そしてその事に、アリオンが再び口を開いた後で認識した。
「悪い話ではないでしょう、お互い。貴方にとっては彼女も仲間かも知れないが、“彼女”はもともと、誰のものでもないのだから」
「何を、訳の分からない事を」
 否定の言葉を紡ぎながらも、己の中で何かが“疼いた”、とルーソは感じた。表現し難いそれは、間違いなくアリオンの語る“物語”に惹かれ、彼の中でゆっくりとその首をもたげている。さながら、それを熟知し、賛同の相槌を打つ何者かがルーソという一己の認識を凌駕しようとするかの如く。
 そう、焚き火の元で少年兵が“運命”を語った、あの夜とまるで同じ感覚がルーソの中で蠢いた。
「『分からない』?貴方は、本当に分からないのか、ルーソ?――否、それは“分からない”のではない。“分かる事を拒絶している”、貴方の血が」
「俺の、血だと?」
「貴方には、“闇の神”の血が流れている。そう、“7人の聖者”、或いは“7神”の、その第6の席を埋める者の血が。私には第2の席、義弟カイルには第3の席がある。だが“彼女”――“第7の女神”にはもうひとつ、“最後の”席がある。“最後”とは、決して“7番目”ではない。8つの惑星に7人の神、その空白の一席を埋める存在。それが“存在する”という事象から、貴方は逃れたいと思っている」
 どくん、と、血液が逆流するような緊張がルーソを貫いていく。
 アリオンは先程見せた笑みを、また浮かべていた。毒蛇の如き、獲物を射竦める眼差しが真っ直ぐに彼を捕らえていた。
「貴方だけじゃない、あの小さな占い師も、貴方の右腕も、皆、そこから目を背けようとしている。……まだ分からないのか、ルーソ?これは偶然じゃない、私達の“聖伝”にある矛盾、歪曲された“運命”とやらは、まだ廻っている。それも――、今、この現在においても」
 彼は何人をも寄せ付けぬ雰囲気を醸し出したまま、懐に手を伸ばした。そこから、六芒星の首飾りを取り出すと、少女の首に恭しくそれをかける。
 義弟カイルが現在のアリオンを見れば、何某の違和感を、そして既視感を得たかも知れない。
 その表情は、彼の手の内に落ちた少女が垣間見せた、あの“別人のような”微笑であった事に。