暗殺者の哀歌 後編
作:紗慈鴻玄







 シーマはどこか変だった。これからおそらく死ぬであろう戦いを始めようというのに、妙にわくわくしているのだ。そして同時に言いようもない懐かしさを感じてもいる。
「何でしょうかね、この気持ちは」
 シーマは廊下の真ん中に立って相手を待っている。
 破砕音が聞こえてから約三分。相手の気配はまだ捉えることが出来ない。先の窓付近に仕掛けた罠以外が作動した様子もない。だが胸の高鳴りは大きくなる一方だ。だから彼女は相手が間違いなくこちらに近づいてきていると確信していた。
「……こんな気持ちは、初めてです」
 心臓の鼓動はますます早くなっている。恐怖のためではない。これはむしろ喜び、期待の高鳴りだった。そしてその感覚が身体に震えを起こすほどになったところで、
「…………?」
 シーマは廊下の向こうに何かを見た気がした。位置は約15メトル前方。ちょうど影が濃くなっている場所で、ここからではよく見えない。
「気のせい…でしょうか……」
 シーマが首をかしげ、そこからほんの少し目を離す。
「!」
 突然シーマの心臓が痛いくらいに脈打ち、反射的に視線を元に戻した。すると、
『あ……』
 全く同じ言葉が二つの口から漏れる。
 シーマの瞳が5メトルほど離れたこれでもかというぐらいに武器を抱えた一人の少年の銀色の目と重なり、一瞬思考が停止する。
 少年のほうも小さく口を開いて驚いた表情のまま固まっていた。
「っ! 何者!」
 先に我に返ったシーマが短剣を投擲。少年の喉元を急襲する。
「おっ」
 少年は軽くのけぞるようにしてナイフを交わすと、そのまま床を蹴って少しシーマとの間合いを空けた。
 少年が動きにあわせて彼の持つ武器がこすれて音を出す。
「どこから沸いて出てきました?」
 シーマは驚きを即座に封じ込めて相手を観察する。そして、彼女はその少年が宿で自分の存在を看破した相手だと気が付いた。
「あな――」
「あちゃあ。これはいよいよもって変だな。まさか「黙歩」使ってたのに見つかるとは……」
 少年――ブラッドは大きくため息を吐いて首を左右に振った。
「質問に答えてください。どこから沸いて出ました?」
「どこって、普通に向こうから歩いてきたぜ? もちろん見つからないように影の濃いところを選んでだけど」
ブラッドは背中のほうを指差しながらくっくっくと人を食ったような笑い声を上げた。
「それだけのものを抱えて物音一つ立てないなんて一体どう……いえ、もうそんなことはどうでもいいことです」
 シーマは一つ咳払いをして気持ちを静めた。
「あ、どうでもいいんだ」
「ええ。それよりも、初めまして、と言う必要はありませんね?」
「ああ、そうだ…な!」
 空気が切り裂かれる音が響き、ブラッドの持っていた剣が一本虚空を飛んでシーマの後方の床に突き刺さった。
 自分の頬数ミリをかすめた刃に全く微動だにせずシーマは苦笑する。避けられなかったわけではないが、何故か絶対に当ててこないという確信が彼女にはあった。
「一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「何?」
 新たな剣を天井に生やしつつ、ブラッドは答えた。すでに壁や床に三本の剣と一本の槍が生やされており、彼は背中に背負ったもう一本の槍に手をかけた。
「あなたの、名は?」
「今何やってるか聞くわけじゃあないんだな」
「些細なことですから」
「ふ〜ん? まあいいけど。俺はブラッド。ブラッド・トルディスタン」
「それは本名ですか?」
「まさか。組織に勝手につけられた名前さ。他にもビヴァーク・ヘムネスとかボルドウィン・セルネイとかいろいろあるぜ。これがたまたま最初につけられたものだから使っているだけだ。まあ厳密には名無しとも言えるな。本当の名前は、忘れたよ」
 自分の横に槍を突き立てると、ブラッドはじっとシーマを見つめた。不思議なことに、楽しみな何かを待つ子供のような顔をしている。
 だがシーマが何も言わずにじっと見つめ返すと、まずおやっとした顔を作り、次いで何故か非難するようなすねた顔に変わった。どうやら自分が名乗り返してくることを期待していたらしいと思い当たったシーマは、
「……シーマ。私の名前はシーマ・グリュフィルドです」
「本名?」
「そうであるともないとも言えます。私は過去の記憶を持っていませんので。……強いてあげるとするのなら、もう一つの名はお嬢様が使っていたミレナ・ノースという名くらいでしょうか。私には全く覚えが――――あら? どうかいたしましたか?」
 シーマは突然うつむいたブラッドに気付いて言葉を止めた。
「ミレナ…ノース……?」
 ブラッドはまるで呪文でも唱えるかのようにその名を呟く。明らかに様子がおかしい。先程までの会話の間も一切の隙を見せなかった彼が、今は完全に隙だらけだ。
「これは……」
 好機。本来ならまともにやりあって勝てる相手ではありませんが、今ならばおそらく……
 シーマは短剣を手に取った。だが、
「…………くっ」
 最初の時と違い、なぜか今度は投げることに躊躇した。そしてその一瞬の躊躇が、彼女の必殺の機会を奪ってしまった。
「っと」
 ブラッドは我に返り、油断なく剣を構えた。
「危ない危ない。なあ、さっきの名前って実は何かの呪術だったりするのか? あれ聞いてから今までの記憶があいまいになってるんだけど」
「知りません。私も驚きました」
「ふーん? ま、それはそれとして、何で何もしなかった? お前の実力なら三回ぐらい殺されてるはずだけど?」
「何故か躊躇しました。理由はわかりません」
「……出来なくて、後悔してるか?」
「……そうですね、少しだけ……」
「そうか」
「ええ」
 それきり二人とも黙り込み、対峙したまま動かない。一生とも思える数秒の後、二人は同時に仕掛けた。
 ブラッドが恐ろしい脚力で八メトルの間合いを一気につめにかかる。
 しかしシーマはその直線上に短剣を投擲し、ブラッドの頭部を狙う。
 金属のぶつかる音が響き、シーマの短剣は回転しながら弧を描いて壁に突き刺さった。
「ん?」
 ブラッドは突撃の速度を少し落とした。短剣を払うほんのわずかな間にシーマの姿が消え失せていたためだ。
 横の部屋に飛び込んだ様子はないな。左右に狭い廊下で姿を消すには……上、か。
 顔を天井に向けると、先にブラッドが投擲しておいた剣をつかんで落下してくるシーマを捉えた。一瞬迎撃を考えたが、ブラッドはそれをせずに加速してシーマの下をくぐり抜けて刃を避ける。
 さすがに、速いですね。
 シーマは着地と同時に再び短剣を投げつけた。今度は頭と足への同時攻撃である。
 ブラッドは背後から迫る攻撃を振り向きざまに片手で剣を下から切り上げてはじき、懐に入れた反対の手で勢いのままに忍ばせておいた短剣を投げつけ、自分も再度切り込む。
 そうきますか。なら――
 シーマは深く身を落とすと、地を這う大蛇のように廊下を走った。短剣はわずかにその頭上をかすめる。
 なかなか!
 ブラッドはそれを見て即座に切りを突きに変化させた。
 二つの影が交錯し、離れる。そうしてまた向かい合った。
「……今の動きで確信した。お前、俺と同類だな?」
 浅く切り裂かれた左頬に触れながら、ブラッドはシーマに矢のような視線を向けた。
「かもしれません。伯爵様に助けていただいた時から、あなたのような者を相手にするのに長けていましたからね。過去の記憶がない以上仮定でしかありませんが」
 シーマは左肩を軽く動かして傷の具合を調べた。傷、出血ともにたいしたことはない。
「……変な事聞くけどよ、俺達どっかで会ったことあるか? 多分、かなり前に」
「奇遇ですね。私も全く同じ様に感じました。なんとなく、あなたといると懐かしい感じがするんです」
「そうか。案外、俺はお前の過去を、お前は俺の過去を知っていたのかもしれないな」
「ということは、私達は幼馴染か何かであったと……?」
「もしかしたら、な」
 会話が閉じる。互いの息遣いさえ聞こえない静寂の中で、二人は無言のまま武器を構えた。
「―――――!」
 シーマが切りかかり、ブラッドがそれを受け止める。
 一瞬の火花が照らす二人の顔は、笑っていた。仲の良い友人同士で遊ぶ子供のように、無邪気に、無垢に、純粋にこの時を楽しんでいた。
 ブラッドは武器を槍に持ち替え、目にも留まらぬ連続突きを放った。
 シーマはそれをひらりとかわし、時に剣でいなしながら懐にもぐりこもうと画策する。
 感覚が研ぎ澄まされていく。それに比例して、周りの速度がどんどん緩やかになっていった。本当ならここまで戦うことなど出来るはずがなかったというのに。病み付きになりそうな緊張感。それはまるで麻薬のように、シーマの動きを高めていく。
 シーマが上段から切り下ろす。
 ブラッドはそれを槍の中心で受け止めつつ身体を横にひねって受け流し、石突で反撃する。
 それはまるで舞を踊っているようだった。わずかな月明かりに照らされた火花咲き誇る舞台での、生と死を賭けた美しくも激しい命の輪舞。
 しかし、それは唐突に終わりを告げてしまった。
 槍をかわして繰り出したシーマの剣がブラッドの胸元を襲い、ブラッドの服が切り裂かれ、そこから飛び出した青い鉱石が月明かりを浴びた。
「!?」
 それを見たシーマの目が一瞬それに釘付けになる。
 しまっ……
 即座に視線を元に戻すが、黙歩で足音を消したブラッドの姿をシーマは完全に見失ってしまった。
 どこにい――
 シーマの身体を強い横からの衝撃が襲い、彼女は勢いよく壁に叩きつけられた。
「っ……!」
 無言の戦いの中で発せられたわずかな悲鳴。その瞬間、勝者と敗者が決定した。
「……俺の、勝ちだ」
無防備の相手に剣を突きつけたブラッドは、どこか残念そうにそう言った。
「その…ようですね……」
「……何故、最後に手を抜いた?」
「手を抜いたわけではありません。ただ少し驚いてしまっただけです」
「驚く? 何に驚いたって言うんだ?」
 シーマは限界を超えた運動のせいでひどい鈍痛を放つ身体を動かし、ブラッドの胸元で輝く青い鉱石を指差した。
「それが、あまりにも良く似ていたものですから」
「これが、何と?」
 ブラッドは片手で鉱石を弄びながら尋ねる。
「形ではなく、輝きが。月明かりに照らされたときの淡い輝きが、お嬢様の持っているものとよく似ているのです。……あなたはそれをどこで?」
 そう聞かれて、ブラッドは一瞬眉をひそめるが、
「……まあ、いいか。多少興味もあるし。お前の話に付き合おう。ええと、これをどこで手に入れたかだったな。はっきり言って、分かんねえ。気が付いたら持ってた」
「では盗んだり拾ったりしたものではない、と?」
「盗んだものではないと思うけど、拾ったかどうかは分かんねえな」
「そうですか」
 シーマはそれきり黙りこむ。その時の顔は、何かに満足した者の顔だった
「……で、時間稼ぎはこのくらいでいいのか?」
「ええ。これで十分役目は果たせたはずですから」
「じゃ、先に逝っててくれ。遅かれ早かれ俺も同じ所に行くと思うけど、そん時はデートでもしようぜ」
 照れくさそうに笑うブラッドに対し、シーマは悪戯っぽい笑みを返した。
「お嬢様方があなたより早く来なければ、考えておきます」
「たは。それは厳しいな」
 ブラッドが静かに剣を振り上げる。シーマはゆっくりと目を閉じた。
 剣がシーマめがけて振り下ろされる、その刹那。
「ちょっと待ちな」
 高い金属音が響き、ブラッドの剣は横から出された別の剣に受け止められた。


「……何の真似だ? クレイ」
 ブラッドは自分の右手に立つ軽薄な笑みの男に視線を向けた。
「そりゃこっちの台詞だ。何も聞き出さずに殺そうとするなんて、何を考えてやがる?」
「標的ならとっくにどこかに行っちまってるよ。場所も分からない」
 剣を引きながらブラッドはつまらなさそうに言う。
「だからそれがどこかこいつに聞くんだよ。なあに、俺に任せとけよ。こいつはなかなかの上玉だし、俺にとっちゃ趣味と実益を兼ねたいい仕事になるんだ。まあ十五分もあれば居場所は聞きだせる。俺はここで待ってるから後はお前がそこに行って標的をつれてくればいい。それで仕事は完了だ」
「こいつが吐くとは思えない。時間の無駄だ」
「じゃあどうしてもこいつを殺すって?」
「ああ」
「そうかい。なら――」
 クレイは肩をすくめて一歩下がり、
「お前はこの場で処分する」
 何の躊躇もなくブラッドに切りかかった。
 甲高い金属音。
 ブラッドは何気ない動作でクレイの一撃を軽々と受け止めた。しかし、
「くっ……」
 ブラッドが大きくクレイから跳び離れる。彼の片手は右脇腹をおさえており、その指の隙間から血を流していた。
「油断したな、ブラッド。そうやって他人を見下してるから足元をすくわれるんだ」
 剣と逆の手に血の付いたナイフを持ったままクレイは口の端を吊り上げて笑った。
「……クレイ、どういうつもりだ?」
「ああ? どうもこうもない。さっき言った通りだ。お前は、今夜ここで、俺に処分されるんだよ」
「……上の命令か」
「そうだ。お前たち「第一世代」ってのは俺達「第二世代」以降の奴らと違ってだいぶ無茶をやった存在だからな。今じゃそのあまりの危険性から絶対にやらねえような処置がいくつも施されている。だからなんかのひょうしに暴走することがままあるってわけだ」
「俺は正常だぞ?」
「ははっ。何を言っている。この場所を見ればそれが嘘だって一目瞭然だぜ?」
 そう言ってクレイは廊下のあちこちに刺さったり転がったりしている武器を指差した。
「どこにこんなことをする暗殺者がいる? 今のお前はただの戦闘狂。暗殺者として失格なのさ。それにどのみちお前の耐久年数はそろそろ切れる。だから無駄な被害が出ない内に処分する必要があるわけだ」
「その言い方だと、仕事が終わった後でも結局俺は殺されることになってたみたいだな」
「ああ。本当なら仕事が終わった時点でお前を殺すはずだったんだが、お前が暴走を始めたようだったから予定が変わったんだよ」
「そうか」
 ブラッドは冷め切った声で呟いた。
「さあ、こいよブラッド。俺がお前を殺してやる」
「くだらない。こんな傷をつけただけで俺に勝てると思うのか?」
「勝てるさ。俺は絶対にお前には負けない。そう…決まってるんだよ!」
 クレイが燕のような素早さでブラッドとの間合いを詰めにかかる。
ブラッドはその場でそれに応戦した。
「ひゃはははははっ! ほらほらどうしたよブラッド? 力が入ってねえぜぇ?」
 クレイの剣がブラッドに向かって何度も振り下ろされる。それもありえないほどの高速で。
 対してブラッドはそのすべてを防いではいるが、全く攻撃出来ないでいた。完全に防戦一方である。
「ん〜? 何だよブラッド。少しは反撃してこいよ。ま、あっさり終わってくれてもいいんだがな。ははははっ!」
 聞いていて嫌になる笑い声を上げながらクレイは攻撃を続ける。運動量は全く落ちていない。むしろ上がっていた。
「くそ!」
 ブラッドはクレイの切りに合わせて剣を振るい、一瞬の隙を作り出した。そして即座に「黙歩」で相手の死角に音もなく回り込む。
これで――
「甘いぜぇ!」
「!」
 クレイは何の迷いもなくブラッドのいるほうに向き直り、上段から思い一撃を放つ。
 それに驚いたブラッドは何とかそれを回避し、再度黙歩でクレイの視界から消えようとするが、
「だから甘いって言ってんだろうが!」
 それでもクレイは正確にブラッドの居場所を見つけ出す。
「何で……?」
 完全に蚊帳の外となっているシーマは呆然とその様子を見ていた。ブラッドの黙歩は完璧であり、一度視界からはずすと再び捉えるのは非常に困難であるはずだ。戦った彼女だからそのすごさはよく分かっている。
「勘…じゃない。なら何を……」
 戦いが長期戦になる。しかもクレイの攻撃は後になればなるほど正確さを増していっている。
「駄目。私には分から……、ん?」
 とここで、シーマは鼻をつく嫌な臭いに気が付いた。
「何? この臭い。一体どこから……って――」
 シーマがはっと息を呑む。臭いの発生源は、紛れもなくクレイの猛攻にさらされているブラッドの身体からだった。
「さっきのナイフ……」
 シーマはすぐにその異変の原因に思い当たった。おそらくあのナイフにはある種の毒が塗られており、それが体内に回ったために身体から妙な臭いを発しているのだろう。
「臭え。臭いぜブラッド。そんな変な臭いを出しといて隠れられると思ってんのかあ?」
 ブラッドは無言のまま防御を続ける。
「安心しな。そいつは致死性の毒じゃあない。本当ならさっきので殺してもよかったんだが、俺の株を上げるためには戦ってお前を倒さないといけないんでね!」
 切り札を封じられたブラッドに対し、クレイは高笑を上げながら白刃を閃かせる。
「くっ……。おい! お前! シーマって言ったな」
「え? あ、はい……」
 戦いに見入っていたシーマは名前を呼ばれて瞬きをする。
「体はもう動くだろう? さっさと主人の所へ行け。そこにいられると邪魔だ!」
「は……?」
「ブラッド! てめえこの期に及んで何をとち狂ったこと言ってやがる!」
 クレイがブラッドへの攻撃をわずかに緩め、シーマのことを気にしだした。
 その様子を見てシーマはブラッドの言わんとしている事にようやく気が付き、急いで自分の体の状態を確認すると、多少ふらつきながらも立ち上がる。
「逃がさねえ!」
 クレイはブラッドを振り切ってシーマに襲いかかろうとする。だが、
「お前の相手は俺だろうがっ!」
 そうはさせまいとブラッドがその行く手を塞ぐ。
「何のつもりだ、ブラッド! そこをどけ!」
「何ってそりゃあ、嫌がらせ」
「な……」
 クレイが絶句する。
 ブラッドはそのわずかな隙の間に首にかかる革紐を引きちぎり、青い鉱石を後ろにほうり投げた。
「あ……」
 きらめきながら弧を描いたそれは、その様子を見ていたシーマの手の中に納まった。
「それ、持って行ってくれ。後で取りに行くから」
「と、取りに行くって……」
「そん時はさっきの約束、果たしてもらうぜ」
 そう言われて、シーマは先ほどのやり取りを思い出し、わずかに顔を上気させる。何か言おうと口を開きかけるが、すぐにつぐんでしまった。
 それを肯定と受け取ったのだろう。ブラッドはシーマの動きに注意を向けるのを完全にやめ、全神経を目前の敵に向ける。
 シーマはぎゅっと渡された鉱石を握り締めると、意を決してブラッドに背を向け、一度も振り返ることなく執務室の中へと消えていった。
「ブラッド……てめえよくも……」
「言っただろ? これは嫌がらせ。んで、お前を倒して俺は自由を手に入れる。それで嫌がらせは完了だ」
「調子に乗るなああああああっ!」
 目に怒りの炎をたぎらせたクレイは、再び目にも留まらぬ速さで剣撃を繰り出す。
 ブラッドも同じように防御をしたが、五撃目でついに耐え切れなくなったブラッドの剣が半ばから折れる。
「ははははっ! これで終わりだブラッド!」
 クレイは大きく剣を振り上げた。もう相手には身を守る武器がなく、避けることもかなわないと判断した彼の慢心が、その行動を起こさせた。
「だからお前は駄目なんだよ」
 折れた剣を放り出し、まるで流水のように滑らかに、ブラッドはクレイのがら空きになった懐に入り込んだ。そのまま静かに、だがすばやく右の掌を相手の体に密着させる。
「ふ……っ!」
と同時に足裏から背中を通して右手に集めた力を一気に相手の体の中へ解き放った。
「ぶふっ……!」
 クレイの身体が嘘のように吹っ飛び、四メトルほど飛行したところで床に不時着して転がった。
「ぐっ…はあっ……。て、てめえ……一体…何…を……」
「覚えときな。切り札とか奥の手ってものは、本当の最後の最後まで取っておくものなんだよ。そして、見せる以上は確実に相手を、仕留める」
「馬鹿…な。これ…だけの技…を、五年以…上見てきて……一度も……」
「いや。使ってたさ。少なくともお前と組んだときでは二回。ただお前の目の前でじゃないし、きっちりと剣で止めを刺したけどな」
「な……て、てめ…え……あのおん…なをに…がし…たのは……」
「それもあるけど、逃がしたかったのは本当だ。生きていてもらわないと口説けないし口利きもしてもらえないからな」
「ふざ…けんな……。話が…違う…じゃねえ…か…よ……がふっ…!」
 クレイは口からどす黒い血を吐く。先の一撃はクレイの内臓を完全に破壊していた。
「言ったはずだ。お前は俺には勝てないと」
 ブラッドは冷ややかにクレイを見下ろす。
「……くっ…はは……はっ…はっはは……」
 もううまくしゃべれなくなってきたクレイは、それでも確かに分かるあざけりの笑い声を発した。
「何がおかしい? それともショックでお前のほうが狂ったか?」
「い…やいや……。俺…はここで…死ぬ…。だか…ら……お前…みたいに……俺も嫌…がらせ…を…しよう…と…思……ってな」
「いまさらそんな強がりを」
「いい…か…? よく…聞け。第い…ち世代…にと……って、本当…の名…は……最大の……禁…忌だ」
「本当の名? 禁忌?」
 思わず聞き返すブラッド。それに気をよくしたのだろうか、死に逝く男は凄惨な笑みを浮かべた。そして、
「―――――――」
 突然クレイの声が小さくなり、何を言っているのか分からなくなる。
話に興味を持ってしまったブラッドは、それを聞き取るために耳をクレイのほうへ近付けてしまった。
 すかさずクレイは残る力のすべてを使って、はっきりと一つの名を口にし、息絶えた。
 後には不気味なほどの静寂が残される。
 その中で、ブラッドは身をかがめてクレイだったものへ片耳を向けたままじっとしていたが、突如勢いよく立ち上がって天井を見上げた。
 その目は限界まで見開かれており、血走った瞳が彼の銀色の目を紅眼のようにさせている。そしてすぐに全身が激しく痙攣しだし、彼は床に転がってのたうちまわった。
「はあっ……はっ…あ……あああああああああああああっ!!」
 激しく体中を掻き毟りながら、ブラッドは苦しみの叫びを上げる。途中何度も嘔吐し、それでもブラッドの異変はおさまらない。
 やがて、喉が潰れたのだろうか、叫び声が収まる。時同じくしてブラッドの体は仰向けになったまま動かなくなり、時折ビクッと痙攣するだけになった。
 そしてまたしばらく経ってから、血走りがひいて銀色に戻った瞳の黒い部分が大きく広がり、それきりブラッドは全く動かなくなった。




 シーマは地下通路を歩いていた。明かりはない。手を壁に当てながら手探りで進むしかなく、一本道であるのが唯一の救いであった。
「これはなかなか……」
 通路はシーマにとっては十分な広さがあるが、あの伯爵にとっては狭いにもほどがあるだろうという程度のものだった。
 ブラッドと別れてから数十分。移動速度がそれほど出ていないため、おそらく丁度今頃街の外に出たころだろうとシーマは推測した。
「どこに通じているのでしょうか……」
 当たり前だがシーマはこの通路を使ったことがないためどこに通じているのかを知らない。外から行かなかったのはそのためだ。
 もっとも、あの時すでに敵が近くにおり、外から行けば十中八九後を尾けられていただろうが。
 さらに十分ほど歩き、シーマは縦穴にたどり着いた。真上を見上げてみると、そろそろ夜が終わりそうな空が見えた。
「梯子は上げられてしまっているようですね……」
 シーマは短剣を五本取り出し、それぞれに丈夫な糸を巻きつけた。
「よし」
 シーマは短剣を首ぐらいの高さに柄だけが残るように突き刺した。そしてひょいとそれに飛び乗り、すぐさま反対側にも同じように短刀を突き刺してそれに乗る。
 それを後三回繰り返してシーマは地上に出た。その時になって縦穴の正体が森の中の小さな井戸だと分かった。
 周りにはぼうぼうに草木が生い茂り、井戸そのものはすぐ近くに来ないとまず見つからない。
「おっと」
 シーマはすぐに糸を引っ張って短刀を回収する。そして注意深く辺りを観察した。
「……これですね」
 シーマは踏み荒らされたばかりの草を見つける。伯爵が通った跡だ。
 それを確認すると、シーマは方々の草を踏み荒らし始める。特定の場所だけが踏み荒らされているのは目立つが、他も同じようになっていれば多少は分かりにくくなるはずだ。
「さて……」
 作業が終了すると、シーマは最初に見つけた跡をたどって行く。
 足跡を消しながらそろそろと歩いていくと、森から出て広い草原に出た。所々に木々と茂みの見える中、ひときわ目を引く立派な大木がある。
「あれは……」
 伯爵が狙われるようになる以前に、よくリエラに連れてこられた場所であった。
 彼女はシーマをここに連れてきては何かを思い出さないかとしつこく聞いてきたが、シーマは何も思い出さなかった。
 辺りに注意しながら歩いていくと、その木の根元に寄り添う二つの影を見つけた。まだこちらに気付いた様子は見られない。
 シーマはわざと音を立てて歩いた。すると大きな影がばっと立ち上がり、剣を抜く金属音が静寂に響いた。
「私です。伯爵様」
「! シーマか!?」
「シーマ!?」
 小さい影もあたふたと起き上がり大きい影の隣に立つ。
 シーマは二人から見える位置までゆっくりと歩いていった。
「シーマ!」
 シーマの姿を確認すると、リエラはわき目も振らずにその胸に飛び込んだ。
「シーマ! シーマ! ああ、良かった。本当に良かった」
「シーマ。よく、よく無事で……」
 伯爵は天を見上げて目からこぼれそうなものを押さえ込もうとする。しかしすぐに前に向き直り、自分の娘ともどもその大きな胸に抱き寄せた。
 しばしそうして再開を喜び合うと、三人は抱擁をとき、草原に腰を下ろした
「それで、シーマよ。邸で何があったのだ?」
「順を追って説明します」
 シーマは邸で見てきたことのすべてを伯爵に伝えた。
「ふむ。その暗殺者の少年がそのようなことを……」
「はい。彼が相手だったからこそ私は今ここにいることが出来ます」
「しかし私も立場上その彼を全く咎めないというわけにはいかん。結果がどうあれ娘の命を狙ったことは確かなのだからな」
「それは……」
 シーマが唇を噛んでうつむく。
 その姿を見たリエラが話題を変えようと、
「ね、ねえシーマ。その人からもらった物ってどんな物なの?」
「え? あ、はい。……これです」
 シーマが服の下からブラッドの鉱石を取り出した。その瞬間、リエラの目がこれ異常ないくらいに見開き、両手を口に当てて息を呑んだ。
「お嬢様?」
「リエラ、どうしたのだ?」
 その様子に驚いた二人が心配そうにリエラを見つめるが、彼女の目はシーマの取り出した青い鉱石に釘付けになっていた。
「こ、これ……これを、その人が……?」
「はい。そうです」
「どこ…で、手に入れた…って…?」
「気付いたときには持っていたと言っていましたが……。お嬢様、これを知っているのですか?」
 リエラは答えなかい。かわりにその瞳にはみるみる涙がたまり、ついに溢れ出した。
「リエラ、一体どうしたんだ?」
 伯爵が話しかけてもリエラは何も言わない。ただただ涙を流して青い鉱石に見入るだけだ。
 そして、
「……セ…ティ…………」
 搾り出すようにして一つの名を紡ぐと、リエラは突然シーマの肩をつかんだ。
「シーマお願い答えて! これを持っていた人はあなたと同じ黒髪で、銀色の瞳をした人じゃなかった!?」
 今さっきまでの静けさから一転。リエラは大きな声を出しながらシーマに詰め寄る。
「お、お嬢様落ち着いてください。そのように大きな声を出されては……」
「お願いよシーマ。これはとても大事なことなの。その人の容姿の特徴を教えて」
「た、確かに、ブラッドは黒髪で銀色の瞳でした。間違いありません」
 シーマが質問に答えると、リエラはシーマから手を放し、今度は自分の服のすそをぎゅっとつかんだ。
「見つけた……。やっと…やっと見つけた……」
「……お嬢…様……?」
 シーマは伯爵に顔を向ける。しかし伯爵は頭を振った。
「行かなくちゃ…。戻らなくちゃ…。セティを、セティを迎えに行かないと……」
「お嬢様!」
「リエラ!」
 ふらふらと立ち上がって抜け道の井戸のある森に向かおうとするリエラを、シーマと伯爵が引き止める。
「放して! 私は行かなくちゃ行けないの! 待ってるだけじゃ意味がないの! 早く、早くしないと……また…いなくなっちゃう…………。だから放して!」
 ぼろぼろと涙を流しながら狂ったようにリエラは叫び続けた。だがその体は伯爵によってしっかりと抑えられているため、リエラはずりずりと地面に足をこすり付けるだけだ。
「伯爵様!」
 シーマの声に伯爵が苦い顔をしながらもうなずく。
「失礼します。お嬢様」
 シーマはリエラに当身を入れる。
 叫び声をぷっつりと途絶え、静けさが戻ってくる。なんともいやな静けさであった。
「セティ……。お嬢様はそう言ってましたが、何か知りませんか? 伯爵様」
「うむ。その名に聞き覚えはない。しかし……」
「しかし?」
「……もう、十年程前になるのだが、リエラがいなくなったことがあってな」
 伯爵は気を失っている娘の頬をなでながら先を続ける。
「勝手に屋敷を抜け出すのはそう珍しいことではなかったのだが、その日は夜になっても帰ってこなくてな。邸の者が総出でして捜索したのだ」
「そのようなことが……。それで、お嬢様はどこにいらっしゃったのですか?」
「ここだ」
 伯爵は自分の座り込んでいる地面を叩いた。
「ここ…ですか?」
「うむ」
「何故、この場所に?」
「分からん。見付けた時はここでじっとうずくまっておった。さらに何故かその場を動こうとしなかった。何を言っても「ここでまってなきゃいけない」の一点張りでな。結局リエラが疲れて眠ってしまうまではてこでも動かなかった」
 伯爵は当時のことを思い出しているのだろう。どこか遠くを見るような目をしていた。
「待っていなければならない……ですか。一体、誰――」
「きはあっ!」
 突然奇声が発せられ、一人の男が剣を手に突進してくるのが見えた。
 先の騒ぎのせいで接近に気が付けなかったのだ。男はすぐそこに迫っており、いまさら回避はできない。
「くっ」
 伯爵がリエラに覆いかぶさり、娘を守ろうとする。シーマはその前に立ち塞がって二人を守ろうとするが、
 いけない。あの長さだとここにいても伯爵様にまで剣が届いてしまう。
 とっさにそう判断したシーマは、あえてその刃に向かって突進した。


 目が覚めたとき、少年は自分がどこにいるのか全く分からなかった。体を起こそうと動くが、何があったのか全身が痛くてうまく動けない。それでも少年は歯を食いしばって何とか立ち上がる。
 ここは?
 そう声を出そうとして、少年は声を出せないことに気が付いた。
 ゆっくりと首をめぐらし、窓から外が見える。目の前が霞んでよく見えないが、それでも今があと一時間ほどで明け方であるということはぼんやりと理解できた。
「……あ…いぁ」
 声にならない声を発して、少年はよろよろと歩き始めた。


 体に走る衝撃。澄んだピイィィンという音の後に、何かが体を通り、背中から飛び出る感覚が分かった。シーマは自分の胸を見る。ちょうど自分の両の乳房の真ん中辺りに、鈍く光る鋼が見えた。
彼女の体を貫いた刃は、すんでの所で伯爵には届かずに止まっている。
「か…はあ……」
 シーマの口から鮮血が吐き出される。それはようやく上った朝日を受けて、一際紅くきらめいた。
「シーマ!」
 顔を上げた伯爵が目の前の光景を見て絶叫する。すぐに剣を取ると、シーマの体から剣を引き抜こうとしている賊を一閃の下に切り捨てた。
「シーマ、シーマ!」
 伯爵は支えを失って倒れるシーマを抱きとめ、必死に名前を呼ぶ。
「ああ……御無…事でしたか……。よか…った……」
「待っていろシーマ。今医者を」
 伯爵の言葉に、シーマは首を振る。誰がどう見ても、シーマの受けた傷は致命傷だ。何をやってももう手遅れだろう。
「いい…のです。伯爵様……」
 シーマは弱々しく微笑む。それは、どこか満足げな笑みだった。
「シ、シーマ!?」
 今の騒ぎで目覚めたのだろう、声にした先には驚愕に目を見開くリエラの姿があった。
「シー…マ。何で、何でこんなことに……」
 ふらふらとシーマの元にやってくると、リエラはシーマに刺さる剣の柄に手をかけようとする。
「リエラ!」
 伯爵はその手をはじいた。無理に抜けば一気に血が流れてシーマは死んでしまう。この剣はシーマの命を奪うものであり、また今その命をつなぐものでもあるのだ。
「何をするの? お父様。だって、早く抜かなきゃシーマが、シーマが…………」
 その場に泣き崩れるリエラ。自らの力の至らなさを悔いる伯爵。そんな二人を見て、シーマは二人に出会ってから初めて涙を流した。
「私…は、し…あわせ……者です…ね。私の…ために、こ…んなにも……悲し…んでくれるひ…とがいる……」
「すまない、シーマ。本当にすまない」
「嫌だよ…シーマ……。どこにも行かないで。私を、また私を置いていかないで……」
「申…し訳…ありま…せん。で…も、もう……無理み…たいです。なん…だか……とてもね…むくなっ…てきました」
 シーマのまぶたがどんどん閉じられていく。
「嫌! シーマ、シーマぁ! 駄目、死んじゃ駄目! お願い、シーマ。お願いだから死なないで……」
 シーマにすがりつくリエラの悲痛な訴えが、明け方の草原に響き渡る。
 しかしシーマには、そのほとんどがすでに聞き取れない状態になっていた。
 ああ、また私はお嬢様を泣かせてしまっている。全くこの子は昔からそうなんだから。
 シーマは最後の力を振り絞ってリエラの頬をなで、
「泣く…な。リエラ……」
「シー………ミレナ……?」
 リエラの問いに、少女は答えない。頬をなでていた手が力なく垂れ下がり、少女の命の灯は燃え尽きた。
「………………」
 無言のまま伯爵は静かにシーマの体を横たえると、その身から剣を引き抜き、胸の前で手を合わせてやる。
 その時、伯爵は傍らに落ちている青い鉱石を見つけた。そこで悪いとは思いながらもシーマの首にかかる革紐を引っ張ってみると、思った通り小さくなった鉱石が出てきた。
 伯爵は二つの鉱石をシーマの手の中に入れてやり、勇敢な少女の冥福を祈った。
 リエラは放心したように抜け殻となったシーマを見つめていた。
 親娘はそろって何も言わず、しばらくそのままその場で過ごした。
 やがて日が完全に昇り、街全体が起き始めた頃、
「む?」
 遠くを見つめていた伯爵の目が一つの影を捉えた。
「おのれ性懲りもなく……!」
 伯爵は烈火のごとく怒って剣を構える。この明るさならすでにこちらも見えているだろうに、影は何の反応も示さず、ただただのろのろと伯爵の元へ向かってくる。
「……賊…ではない……?」
 じっと目を凝らしてよく見てみると、それは少年だった。黒い髪の、ぼろぼろになった服を着た一人の少年が、うつむいたまま遅々とした歩みで向かってきているのだ。
「黒髪……もしやあれが……」
「セティ?」
 リエラもそちらのほうを見る。少年はもうすぐそこまで来ており、ただまっすぐに二人の居る場所を目指していた。
「そこな少年! お前がブラッドという者か!?」
 伯爵の問いに、少年は答えない。
「答えよ! 何も言わずこれ以上近付くならば――」
「待ってお父様」
 リエラが父親を制し、じっと歩いてくる少年を見つめる。その顔は喜びと悲しみ、そしてあきらめの入り混じった複雑なものだった。
「リエラ、一体どうした?」
「お願い、お父様。少し離れていて」
「何を言っている。あれが賊で――」
「大丈夫だから」
 強い調子でそう言われ、伯爵は仕方なく三歩ほど離れた。見たところ武器は持っていないし、隠すにもああもぼろな服では隠せまいと判断したからだ。
 やがて黒髪の少年はリエラのすぐ前にやってきた。うつむいていた顔を少しだけ上げ、その黒い部分の増えた銀色の目でリエラを捉える。
「……悪い。だいぶ遅れた。もしかしてずっと待ってたか?」
 完全に喉が潰れており、それはひどい声になっていたが、リエラには一字一句違えることなくその言葉を聞きとった。
「うん。先に帰ってきてたミレナもふてくされて寝ちゃってるよ」
「そうか。それは後が怖いな」
 少年は気持ちのいい笑みを作る。リエラもそれに笑って返した。
「ああ……だけど、正直俺もなんか眠いんだ。悪いけどちょっと寝かしてくれ。っつーか今日は昼寝にしようぜ。ミレナも寝てるしよ」
「うん。天気もいいし。たまには悪くないよね」
「んじゃ……」
 少年はシーマの隣に座ると、そのまま仰向けに寝転んだ。
「こいつも寝てるときはかわいいのにな。何で起きるとあんなかね」
「あ、それ言いつけちゃおうかな〜」
「やめてくれ。明日がなくなる」
「嘘だよ。ほら、セティ眠いんでしょ? 今は早く寝て、それから遊ぼうよ。また、三人で」
「そうだな。三人で」
 少年が目を閉じる。リエラはそれを見計らったように、
「ねえ、セティ」
「んあ?」
「お帰りなさい」
「……ああ。ただ…い……ま……」
 少年が脱力する。リエラはその手をシーマのと同じように胸の前で合わせてやった。
「リエラ、その…少年は……」
 一部始終を見ていた伯爵は言葉を濁した。
「そんなことはどうでもいいの。十年もかかったけど、二人ともちゃんと約束を守ってくれたんだから。だから、これ以上わがままは言わない」
 リエラは横たわる二人の顔を愛おしげになで、それぞれの頬に短いキスをした。


エピローグ

 一際大きな大木の前に、一人の女が立っていた。手には花束、その足元には二つの墓碑があるところを見ると、墓参りに来たのだろう。女は花束を二つの墓碑の間に立つ石碑の前に添える。
 墓碑に刻まれている名は、

 ブラッド・トルディスタン
 シーマ・グリュフィルド

 そして真ん中の石碑には、こんな一文が彫られている。

 『我が親愛なる者にして恩人たる者ここに眠る。
 願わくは、双方の魂が共にあらんことを』

 と。
「最近来られなくてごめんなさい。急だけど、一月くらい王都に行かなきゃならなくなったの」
 突然の疾風が巻き起こり、辺りの草を騒がせる。
「あはは。大丈夫よ。心配しないで。だって私には――」
「お母様ぁ」
 たどたどしい言葉遣いでそう言いながら、三歳くらいの女の子が女の足元にまとわりついてきた。その胸元には小さな青い鉱石がきらめいている。
「どうしたの? ミレナ」
「セティ兄様が〜」
「セティが?」
 女がひょいと女の子の走ってきたほうへ顔を向けると、
「ほ〜らバッタだぞ〜」
 今度は五歳くらいの男の子が緑色の昆虫をつまみながら走ってくる。その胸元にも、やはり青い鉱石が下げられている。
「い〜や〜。お母様助けて」
 少年と少女は女の周りをぐるぐると回って追いかけっこを始める。
 それを微笑みながら見守っていた女は、少年が前に回ってきたところでひょいとその体を持ち上げた。
「あ……。あ〜あ」
 持ち上げられたことに驚いてバッタを落としてしまった少年は、悔しそうに口を尖らせた。
 そんな少年を地面に降ろし、後ろでその様子を伺っていた少女をその隣に並ばせる。
「母様?」
「お母様?」
 少年と少女は母親の行動が理解できずに首をかしげる。
 女はそんな二人を抱き寄せ、
「私にはこんなに優秀な騎士が二人もついているんだから。安心して」
 にこやかに笑って墓碑に告げた。
「お〜いお前達、そろそろ時間だぞ〜」
 ちょうどその時、少し離れたところから、男が三人に向かって手を振っているのが見えた。
「あ、父様が呼んでるよ。母様、ミレナ、早く行こう」
「あ、兄様待ってよ〜」
 幼い兄妹が走って行き、女もその後に続く。
「用事は終わったかい?」
 男は優しい笑顔を浮かべて女と二人の子供を迎える。
「ええ」
「じゃあ行こうか。義父上も待っている」
 家族で草原を歩いている途中、女は男にぽつりと言った。
「ねえ、あなた」
「何?」
「置いて行くのと行かれるのって、どちらがつらいことだと思う?」
「……うーん……。やっぱり置いて行かれることじゃないかな。だからと言って置いて行くことがつらくないとは言わないけど……」
「そう……。そうよね。どちらも同じくらいつらいのよね」
 女の気持ちが沈んだのが分かったので、男は、
「僕は君を置いて行ったりはしないよ。君の最後はしっかりと僕が見守る」
「あら? それじゃあ私はあなたを置いて行かなければならないのね。つらいなあ」
「え? あ。えっと……」
 こんな切り返しが来るとは予想していなかった男はしどろもどろになって必死に言葉を考える。
 その様子を見て、女はくすくすと笑った。
「ごめんなさい。ちょっとからかっただけ。……ありがとう、あなた」
「いや……どういたしまして」
 女と男は互いの顔を見つめ合い、段々その間が縮まって、
「父様、母様。早く行こう」
 先行していた少年の声が二人の間に立ち塞がった。
「やれやれ。そろそろセティの奴に色について教えてやらんと」
「もう。でも、変なことまでは教えないでよ?」
「はいはい」
 男は大きく手を振る兄妹の元へと急ぐ。
 女はすぐには続かずに、後方の大木へ振り返った。そしてにこやかな笑みを浮かべる。
「それじゃあ、行ってきます」















あとがき

 ということで、紗慈鴻玄(さじこうげん)が送る小説第三弾(SSS入れると第四弾)、暗殺者の哀歌(エルジーと読んでも可)。いかがだったでしょうか?
 実は企画用に書いていたのに間に合わなかったという根も葉もある噂が……
 時間は戻らないので悔やんでも仕方ないですけど。(それ以前に悔やめる作品になっているのかどうか……)
 えーっと、まあとりあえず復帰後一作目ですので、以前以上に至らない点が多々あったやも知れませんが、ここまで読んでくださいましたことをお礼申し上げます。