最後のバンブ島 1
作:しんじ





1、 バンブ島


 この3人でバンブ島に行くのはもう何度目になるだろうか。
 タイシンはそんなことを考えながら小舟のオールを漕いでいた。
 海のずっと上から照らす太陽がまぶしい。しかし春の海はまだ寒い。
 タイシンは身ぶるいをして少し長い髪(男のくせに)を揺らした。
「代わろうか?」
 チケットがタイシンに言った。オール漕ぎを代わろうか、と言っている。
 きっと動かずにおとなしく座っていたので寒くなったのだろう。
 みんな長そでの服を着ているのにチケットだけはこの寒さの中、半そでを着ている。それも布の質のよくないものなので薄手ときている。
 タイシンはチケットの顔を見た。するとかわいそうにチケットの男らしい太いまゆは下がってしまっていた。
「あ、ああ。代わってくれ」
 タイシンはそう返事をしチケットとオール漕ぎを代わることにした。
 タイシンとチケットは小舟の上で立ちあがりお互いの場所を代わる。その時に2人はハヤヒデの上をまたいでいく。
「ふむな、ふむな」
 またがれたハヤヒデが言った。天然パーマが特徴の男だ。
「ふんでない、ふんでない」
 タイシンは笑いながら言う。ハヤヒデは冗談(?)が好きなのだ。
 チケットは入れ代わった場所に腰を下ろすと、
「よし、飛ばすぞ」
 と言ってオールを力強く漕ぎはじめた。その勢いのわりに舟は進まないが、まあタイシンが漕いでいた時よりはずっと速い。
「寒いなあ」
 天然パーマのハヤヒデが言った。
「ああ、寒いなあ」
 とタイシンは答えておく。
「でも寒いのは俺たちがボロい服しか持ってないからだぞ」
 太いまゆのチケットがオールを漕ぎながら言った。
 しかしそれは貧しい家に生まれたのだからある程度はしょうがない。タイシンはそう思う。
「なんだ、それは俺に対するいやみか?」
 第4の男、ガレオンが言った。
 ガレオンはいやみのとおり、エリのついた真っ白の長そでのシャツを着ている。そのうえ背も高くて格好のいい男だ。
 このガレオンの真っ白の服にくらべて、タイシン、チケット、ハヤヒデの3人は白なのか黄色なのかよくわからない色のくたびれた服を着ている。
「いや、いやみってわけじゃないゼ。ありのままを言っただけさ」
 チケットが太いまゆをつりあげて言う。
 しかしそれをいやみと言うのではないだろうか。
 ガレオンに対してライバル心むき出しのチケット。それをなだめるように天然パーマのハヤヒデが、
「まあまあ、ボロは着てても心はニシンって言うじゃないか」
 とくだらないことを言う。
「それを言うなら心はニシキだ」
 とタイシンはあきれながら言っておいた。


 タイシン、チケット、ハヤヒデの3人はいつも一緒に過ごしてきた。
 いつから3人でいるようになったのか、タイシンもはっきりした記憶はないのだが、一番古い記憶は7歳の頃に3人だけでバンブ島に行ったということだ。3人は同い年なのでその時はチケットもハヤヒデも7歳だった。
 それから数えきれないほど3人でバンブ島に行った。
 3人の住む港町(漁村)、ブルータウンから2km程度のところに浮かぶ島、バンブ島。
 小さな無人島なのだがさほど何があるというところでもなく、大人はこんなところに来たりはしない。しかし子供にとっては絶好の遊び場だと言える。
 ――3人はもう15歳。そしてこれが3人で行く最後のバンブ島になるのだった。


 3人とガレオンの乗った舟はバンブ島の磯辺にたどり着いた。
 3人は舟が完全に磯に着く前に海に飛びおりて舟をひっぱる。しかし黒い上等なズボンをはいたガレオンだけは、海水でぬれるのを嫌って舟の上で待機する。
「なあガレオン」
 タイシンは話しかける。
「何だ?」
 と舟の上からガレオン。
「お前さ、バンブ島に来るの何回目だっけ?」
「3回目だ」
 ガレオンは臆面もなく言う。
「じゃそろそろそんな上等な服着てくるのやめたらどうだ?」
 タイシンは言う。
「こういう服しかないんだ」
「……ないのか……」
 そう言われてはタイシンとしては言葉がない。
 さすがは壁の向こうの上流階級の人間だ。
「ふん、つまらねえ奴だ」
 チケットがまた太いまゆを吊り上げて言った。
「悪かったな、つまらない奴で」
 ガレオンも悪びれずに言う。
 すると天然パーマのハヤヒデが見かねて、
「やめろってば。俺のギャグ聞かせてやるから」
 と言うのでタイシンも、
「いや、お前のギャグはもういいから」
 と言っておく。そうすることでとりあえずこの場がおさまる。
 3人は舟を海水のない所まで引き上げた。そこでガレオンはようやく磯辺に降り立ち、
「サンキューな」
 と言い、3人の顔を見まわしてからうなずく。これがガレオン流の礼の仕方なのだろう。
 しかし3人はその礼に対して特に何も返さない。返さないがタイシンはガレオンにこうやって話しかける。
「やっぱりバンブ島は何回来てもワクワクするだろ」
「まあな。……でもバンブ島そのものよりも、バンブ島に来たっていうことにワクワクするっていうのが本当かも知れないけどな」
 とガレオンは遠くを見ながら言った。
 小さな無人島バンブ島。数回来ればひととおり見て回れる程度大きさの島だ。ガレオンの考えは正しいと言わざるを得ない。
 タイシンはリーダー(と決まっているわけではないが)のチケットの方を見た。するとチケットは、
「よし、今日は森の方に行こう」
 と両うでを腰に当てながら言った。


 ガレオンと3人が知り合ったのはほんの2ヶ月ほど前のことだった。
 3人が港町ブルータウンの砂浜からいつものようにバンブ島に行こうと舟を準備していると、ガレオンはひとりでそこにやって来てこう言った。
「君らは今からバンブ島に行くんだろう? 僕は今まで一度もバンブ島に行ったことがないんだ。よかったら僕も連れていってくれないか?」
 ガレオンはこの時も身なりがよく、3人はこのガレオンがブルータウンの人間ではなくブルーエンプレスの人間だとすぐに気付いた。
 ブルーエンプレスというのはブルータウンに隣接する都市のことで、ブルータウンもブルーエンプレスも海に面した町ではあるのだが両者の地形には大きな違いがある。
 ブルーエンプレスは丘の上の高台にあり、万一、津波や大雨などの災害が起こっても被害を受けにくい。
 それに対しブルータウンは砂浜に面した町で、小さな堤防があるだけの水害を受けやすい町だと言える。
 そう言った理由やその他さまざまな理由でブルーエンプレスとブルータウンの地価には大きな差ができてしまい、ブルーエンプレスは上流階級の街、ブルータウンは下流階級の町と位置付けられている。
 その上流階級の街、ブルーエンプレスから来たと思われるガレオンの「バンブ島に連れて行ってくれ」という頼み、断る理由のなかった3人はそれを承知した。
 育ちのよい上流階級では「バンブ島など行くな」としつけられていたらしい。
 ガレオンは3人と同じ15歳で、父親は伯爵を名乗る身分の高い家だと簡単に自己紹介してくれた。


 森といえどもバンブ島の森は小さい。その森で4人はおいしい実のなるバンブの木の方をめざしていた。
「♪バーンブの木、木〜、バーンブの実〜」
 そう歌いながら歩いているのは天然パーマのハヤヒデだった。タイシンはそのハヤヒデにこう質問してみる。
「お前、その歌はいつ作ったんだ」
「え? 何言ってんだ。昔から歌っているじゃないか、この歌」
 などとハヤヒデが言うのでリーダー(と決まっているわけじゃないが)のチケットが
「うそを言うな、うそを」
 と言う。そしてタイシンが
「そうだ、うそを言うな。もう1ぺん歌ってみろ」
 と言うとハヤヒデは少し困った顔をしてから、
「♪バーンブの実はうまいよ〜」
 と歌った。
「さっきと違う!」
 3人はいっせいに言った。ガレオンだけは腹を抱えて笑いながらだったが。
 そうするうちに4人はバンブの木のしげる一帯にたどりついた。
 今は春なのでバンブの木を見上げても、
「やっぱり実はなってないな」
 リーダー(と決まっているわけじゃないが)のチケットがそう言う。
「そりゃそうだよ。だってまだ花がついてるんだぜ」
 とタイシンが言う。
 そうタイシンが言うように、木には薄黄色の小さな花がついていて実などなっているはずもない。
 がチケットは
「いや、それはわかってる。でもな、最近本で読んだんだ」
「何を?」
 とタイシン。
「バンブの木の中には冬に花をつけて春に実を成らすものもあるって」
 チケットが珍しく自信なさそうにそう言うと、ガレオンが口をはさむ。
「あれは作り話だ。『バンブでボンブ』って本だろ? あれなら俺も読んだ」
 ガレオンがそう言うと、チケットは怒ったのか顔を真っ赤にして、
「作り話ってことくらいわかってるよ! 言ってみただけじゃねーか!」
「いや、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
 ガレオンは冷静に答える。
「怒ってねーよ!」
 チケットはそう言ってそっぽを向く。ガレオンはやれやれ、という顔をして天然パーマのハヤヒデの方を見た。二人のなだめ役のハヤヒデも困った顔をする。
 すると、そっぽを向いたチケットが突然声をあげた。
「おい! あそこの木、実がなってないか!」
 と少し遠くの木を指さす。タイシンは、
「あれ、実〜?」
 と言うが、チケットはその木の方に走りはじめた。
 チケットがその木の方に走りはじめてしまったので残された3人も歩きながらついていく。そしてタイシンは歩きながらつぶやく。
「チケットの奴、どうしちまったんだ。実、実って」
 それを聞いて天然パーマのハヤヒデも、
「ほんとだよ。そんなにバンブの実が食いてえなら花を丸めて食えばいいんだ」
「ああ、ほんとだよ。花を丸めてもうまくないけどな」
 とタイシンがまともに受け答えしたので、ハヤヒデは口をとがらせて横目でタイシンをにらんだ。冗談を言ってるのに、という顔だ。
「たぶん……」
 ガレオンが口を開いた。「たぶん本の影響だろう。春になるバンブの実を食べたがるってのは」
「何だ、その春になるバンブの実ってのはそんなにうまいのか? 俺たちゃ字が読めないからそんな本のことは知らないんだ」
 とタイシンは恥ずかしげもなく言う。
「……うまいとかそういうことじゃなくて、それを食べると頭がよくなってそのうえ力持ちになる。……ただそれは本の中での話で実際は……」
 とガレオンが答えると、タイシンとハヤヒデは顔を見合わせた。その二人の様子を見て不思議に思ったのかガレオンは、
「どうかしたのか?」
 と聞いた。
「あ、いや。あ、ああ。……来週……」
 とタイシンは考えながら「試験があるらしいんだ」
「試験? 何の?」
「看護婦の」
 と言ってごまかそうとしたのはハヤヒデ。
「……本当は?」
 ガレオンが再び聞く。
「……うん。お前に聞かれるとシャクなんだけど……」
 とタイシンは言ってから、「軍隊の試験だ」
「軍隊?」
 とガレオン。そして納得の行かない顔をして、
「どうしてそれがシャクなんだ?」
「お前には分からない」
 とタイシンはそれだけ言った。
 上の街ブルーエンプレスに住む上流階級に下の町ブルータウンに住む人間の気持ちは分かるまい。
 生まれた時から何不自由なく生きてきたであろうガレオン。そして遊ぶこともままならず幼い頃から働かされてきたタイシンたち。
 それは字が読める、読めないというところに顕著にあらわれている。しかし、読み書きできること、それが軍隊に入るための最低条件となっている。
 上の街の軍隊に入る。それが上の世界への数少ないとびらのひとつなのだ。
「それでバンブの実の力を借りて試験に合格しようってことか」
 とガレオンは言い捨てるように言った。タイシンはそんな言い方をするガレオンに対して、
「言っておくけどな、チケットはそんなものに頼らなくたって合格できる能力(ちから)は持ってんだぞ。読み書きなんてお前らには簡単なことかも知れないけど、今までアイツがどれだけ努力してきたか知らないからそんなふうなことが言えるんだ、お前は」
 と怒って言った。するとガレオンは
「別に俺はそんなつもりで言ったんじゃないけどな」
 と冷静に答える。
「本当かいな」
 と言ったのはハヤヒデだった。ハヤヒデまでもガレオンを責める。
「おーい! やっぱりこれバンブの実だぞー!」
 チケットが呼びかけてきた。タイシンたちは声のした方を見た。チケットが実のなっている木に登って手を振っている。
「はやくこいよー!」
 とチケットは再び呼びかけてきた。しかしタイシンたち3人は何も答えず、歩く速度をほんの少しはやめただけだった。
 するとチケットは3人を待ちきれなくなったのか、成っている実に手をのばして実をひとつもぎ取った。そしてそのリンゴに似た実の表面を両手でこすってからその実にかじりつく。
 遠くから見ているタイシンはそれを見て
「あ、食ってやがる」
 と口に出し、果物好きのハヤヒデは、
「俺にも食わせろー!」
 と叫んで走り出す。
 ハヤヒデが走りだすとタイシンも走りだし、仕方なくと言う感じでガレオンも走りだす。
 タイシンたちがその木にたどりつくと、木に登っていたチケットが降りてきた。手には食べかけの実を手にしている。
「どうだ、うまいか?」
 と天然パーマが聞くと、リーダーは手にした実を土の上に落とした。そして、
「……これはバンブの実じゃない」
 と言うと腹を押さえてうずくまってしまった。ハヤヒデはその様子を見て、
「あり、どうしたんだ?」
 と首をかしげて言う。
「まさか!」
 いつも冷静なガレオンが声をあげた。そしてチケット登っていた木を見上げる。
「スプリングバンブー……。絶滅したんじゃなかったのか……」
 ガレオンはつぶやいた。タイシンはガレオンのつぶやいたその言葉をくりかえす。
「スプリングバンブー?」
「……って何だ?」
 とハヤヒデが聞く。
 だがガレオンはその言葉には答えずうずくまるチケットに寄り、
「大丈夫か?」
 と言った。しかしチケットは何も言えずに
「う……う……」
 とうなっているだけだった。ガレオンはチケットの口の中に自分の手をつっこんだ。そして
「吐け吐け」
 と言った。
 二人を見守るタイシンとハヤヒデはようやく深刻な事態だと気付きはじめた。
「毒……か?」
 タイシンはハヤヒデに聞いた。しかし知るはずもないハヤヒデは何も答えない。
「おえっ!」
 とチケットが食べたものを吐き出した。それと一緒に赤い液体も吐き出す。
「血……」
 死……。タイシンの頭にその言葉がよぎった。
 ちょうどその時、タイシンの顔に何か冷たいものが当たった。タイシンは空を見上げた。さっきまで青かったはずの空が黒くにごっていた。
 空を見上げたタイシンの顔にまた雨が一つぶ当たる。
「急いで帰るぞ」
 ガレオンがチケットの肩を抱きかかえながら言った。タイシンとハヤヒデは無言でうなづく。
 ガレオンはチケットを背負い、
「くそっ、雨か」
 と言うと走り出した。タイシンとハヤヒデはそれに続く。
 3人は舟のある磯まで走った。
 磯までたどり着くと雨はずいぶん強くなっていた。
 ハヤヒデが海に舟を浮かべるとチケットを背負ったガレオンがまず乗り込む。続いてハヤヒデが舟に乗り込む。
 波が強くなってきた。帰れないんじゃないかと思うほどだ。
 タイシンも急いで舟に乗り込もうとした。と、そこで一瞬動きが止まる。
「どうした?」
 ガレオンが言った。
「……いや、何でもない」
 タイシンは答えた。しかしその目は海の浅いところを見ている。そこには少し大きめのアメフラシがいた。だがそんなものはないでもない。
「何でもない」
 タイシンは再び言って急いで舟に乗り込んだ。
 タイシンが乗り込むとハヤヒデは舟を動かし始めた。
 雨はしばらくやみそうになく、遠くで雷が鳴り始めていた。