最後のバンブ島3
作:しんじ



3、ガレオン



 次の日もやっぱり雨は止んでいなかった。
 止んでいなかったが、昨日よりも雨は弱くなっているように思えた。
 タイシンはその雨の中、傘もささずに砂浜にやってきた。そして手には傘の代わりに古びた短剣が握られていた。
「まだハヤヒデは来てないみたいだな」
 タイシンはひとりごちてみた。そして辺りを見回してみる。
 暗い海と空に囲まれてタイシンの白い服は少し目立っていた。
 白装束。――死に装束といったところか。タイシンはそう思ってみると体が少し震えた。
「……寒い……」
 タイシンはつぶやいた。が、もちろん体の震えが寒さのせいだけじゃないことも分かっていた。
 海は昨日ほど荒れてはなく舟を浮かべることくらいはできそうだった。
 ひょっとしたら何事もなくバンブ島にいけるかもしれない。
 タイシンは少しだけ希望が見えた気がした。
「オッス」
 海を見ているタイシンの後ろから声がした。
 振り返ると薄緑の服に身を包んだハヤヒデがいた。
「オッス」
 タイシンはあいさつを返した。そしてハヤヒデの目の下にできたクマを見つけて、
「お前も眠れなかったみたいだな」
 と言うとハヤヒデは、
「バカ言うな。熟睡したっちゅーに」
 と言った。
 タイシンはそれを聞いて少し笑うとハヤヒデの持ってきていたクワに目をやった。
 柄が肩の高さほどまである大きめのクワだ。
「あれ、お前のところ、農家だったっけ?」
 タイシンは言った。
「いいや。漁師だけどクワくらいあるだろう」
「そうか? うちはないぞ」
 と二人はたわいもない会話をして気を紛らわそうとする。
 ――突然、雨が強くなった。タイシンとハヤヒデは海の方を見る。
「くそっ。ティコティコの奴、なめやがって」
 ハヤヒデが言った。
 雨が強くなった。それはティコティコはやったことなのだ。
 雨を呼ぶ怪物、アメフラシ"ティコティコ"。
 そんなものを退治しようというんだから正気ではない。タイシンはあらためてティコティコの恐ろしさを感じる。
「しかし……」
 タイシンは言う。「しかし実際こんなクワとか短剣なんかで追い払えるのかな?」
「やるしかないだろ」
 とハヤヒデ。
「いや、その前に舟がティコティコのいる所までたどりつけるかってことだ。こんなに波が強けりゃ舟も前に進まねえだろ」
 とタイシンが言うとハヤヒデはあきれたように、
「なんだ、おじけづいたのか?」
「いや、そんなじゃないけど……」
「じゃあ、どんなだ」
 ハヤヒデはそう言ってタイシンをにらんだがタイシンは何も答えなかった。
 ハヤヒデはこうして憤ることで恐怖を押し消そうとしている。それがタイシンにはわかった。
「なんとか言えよ」
 ハヤヒデは言った。
「もういいから」
 タイシンはハヤヒデをなだめるように言った。しかしハヤヒデは、
「何がいいんだ」
 としつこい。
 タイシンは困ったように視線を外した。
「チケット?」
 タイシンは外した視線の先の人影を見て言った。ハヤヒデもその言葉に反応してその方向を見る。
「チケットじゃねーよ、あれは。……あれは……」
 ハヤヒデが言った。
「ガレオンか」
 とタイシン。
「なんだアイツ。何しに来たんだろう。海水浴かな」
「海水浴はねえだろ。……あれ? どうしてチケットと見間違えたかな」
 とタイシンは言いながらも自分で見間違えた理由は分かっていた。
 いつもバンブ島に行く時はチケット、タイシン、ハヤヒデの3人だったからで、チケットがこの場にくることが当たり前だと思っていたからだ。
 ガレオンはタイシンたちのところまでやってきた。今日も小ぎれいな服だ。ひらひらのついた白いシャツと黒いズボン。今日はベルトではなく吊りバンド(サスペンダー)だ。そして手には……。
「オッス」
 ガレオンは言った。
「オッス」
 とハヤヒデは返し、
「今日は吊りバンドか。えーっと、何て言うんだっけな、本当の名前は」
「さあ? 吊りバンドでいいんじゃねえか?」
 ガレオンはいつもの平然とした顔で答える。
 しかしタイシンはそんな吊りバンド(サスペンダー)のことよりもガレオンが手にしているものの方が気になった。
「なあガレオン。その手にしている剣って……」
「ああ、これか。家にあった飾りだ。高そうだろ?」
 ガレオンはそう言うと高くて重そうなその剣を振り回してみせた。それはさやに納まっていないので、あぶねえなコイツ、とタイシンは思う。
「本当に高そうだな。俺にくれよ、それ」
 とハヤヒデ。
「ティコティコ退治から帰ってこれたらな」
 ガレオンは笑って言った。


「本当にいいのか?」
 タイシンは舟を海へとひきながら言った。
「死んじまうんだぞ」
「そうだゼ、ガレオン。お前は俺たちと違って明日があるんだ。何もこんなことで死ぬこたない」
 とハヤヒデ。
 しかしガレオンは何も言わない。その代わりに舟を押す。
 舟は雨を含んで重くなっていた。舟の中にたまっていた雨は最初に一度かき出したが舟の真ん中にはすぐに水たまりができた。
 まあしかし何とかかんとかで舟を海まで動かし浮かばせることができた。
 が、その直後に強い波がきて舟とタイシンたちは少し押し戻されてしまった。
「あーくそっ!」
 ハヤヒデが言った。
「……これはアレだな。海に出るなって意味だよ」
 タイシンは大雨の砂浜に座り込み両手をついて言った。するとハヤヒデが、
「何言ってんだ、いまさら」
「いや、俺たちじゃなくてガレオンが、だ。やっぱりガレオン、お前はこんなところで死ぬべきじゃない。帰れ」
 タイシンがそう言うとガレオンは目を丸くして、
「死ぬと決まっているわけじゃないだろう。そんなこと言うなよ」
「迷惑なんだよ」
 とタイシン。「お前は俺たちほどチケットを知っているわけじゃないし絆も深くない。俺やハヤヒデはチケットが死ぬなら俺たちも死のうと思っている。お前が死ぬ理由はどこにもない」
「だったらなおさらだ」
 とガレオン。
「なんでだ」
 これは天然パーマのハヤヒデ。
「お前らは死ぬつもりで俺は生きるつもりだ。チケットを救えるのは俺だけだ」
 ガレオンがそう言うとタイシンは砂浜を一度強く叩き、
「……勝手にしろ」
 と怒ったように言った。



 チケットと一緒に死ぬことが美徳なのだとタイシンは考えていた。しかしそれは間違いだとガレオンに気付かされた。
 結局、本気でチケットを助けるつもりはなかったのかもしれないな。
 タイシンはそう思っていた。
 事実、どうやったらバンブ島に行けるか、とか、ティコティコを追い払えるか、とかいうようなことはまったく考えていなかったし、とにかく荒れる海に突っ込もうとしか考えていなかった。
 本当はガレオンが来てくれてタイシンは安心したし何とか出来るんじゃないか、という気になった。
 本当はガレオンが来てくれてタイシンはうれしいと思っている。
 ――タイシンたちは小さな舟で荒れる海に出ていた。
「舟がひっくり返ったら俺が一番最初に死ぬな。泳げないんだから」
 ガレオンは言った。それを聞きハヤヒデが
「え、マジで? 死ぬぞお前」
 と驚いたように言う。
 ガレオンは運動神経もよく身軽でもあるので泳げるものなのだとタイシンは思っていた。まあしかし泳げようが泳げまいがこの海に落ちれば死ぬのは先か後かだ。
「そっか。泳げないんだ、お前」
 タイシンはそう言いながらガレオンにも欠点があるんだ、と感心した。
 ――波が強い。立ちあがるだけでも舟から落ちてしまいそうだ。
 タイシンは舟の縁を両手でつかむ。
「あっ!」
 とタイシンは思わず声を出した。2mほどもある波が目に入ったのだ。
 そのでかい波が舟を襲う。舟は大きく揺れてから空に投げだされる。
「あぶねえっ!」
 とハヤヒデは叫んでなぜか立ちあがる。
 舟は空を飛びタイシンは息を止める。
 空を飛んだ舟が運よくひっくり返らずに再び水の上にたたきつけられるように戻ると、天然パーマのハヤヒデはそのショックでバランスをくずし頭から海に落ちた。
「何やってんだ、お前!」
 舟からタイシンが叫ぶ。
「ゴホッ! オヘッ! み、水飲んだ!」
 ハヤヒデはそう言いながら両手をバタつかせて波にのまれまいと舟の方に手を伸ばす。
 その手をガレオンが取りハヤヒデを引き上げながら
「あぶなかった。もっと沖なら助からなかった」
「わ、わるい」
 とハヤヒデ。
 もっと沖ならどうなっていただろう。
 タイシンはそう思いながら岸の方を振り返ってみる。
 やはりというか何というか舟は100mほどしか進んでおらず波の強さ、雨の強さをものがたる。
「フーッ、死ぬかと思ったゼ」
 と舟に戻ったハヤヒデはその後数回せきをするとつばを海に吐いた。
「しかし……」
 オールを持つタイシンは口を開く。「これ以上先に行くと絶対死ぬぞ」
 タイシンは言ってから二人の顔を見る。
「だろうな」
 ガレオンが言う。
「これ以上先に行けば波はもっと強くなる。プラスこの雨だ。これ以上進むのは危険だ」
「しかしこんな浅いところにティコティコはいないだろう」
 とハヤヒデが舟の中にたまった雨の水たまりをピシャピシャ叩きながら言う。するとガレオンが、
「いや、アメフラシってのは元々浅瀬にいる生き物だ。巨大アメフラシと言えどもここにもくるかも知れない」
 と言った。
「さすがガレオン。学校出てる奴は違う」
 とタイシンは嫌みのようなことを言ってから、
「しかしティコティコは10mもあるって化けもんだ。この辺は10mも深さはないゼ?」
 と言うとガレオンは、
「いやティコティコは全長が10mだっていう。だから体高自体は数m程度のはずだ。この辺りにも来れるはずだ」
「じゃあここでティコティコを待つのがとりあえずの作戦か」
 とタイシンが言うと
「そうだな」
 とリーダー(といつ決まったかは知らないが)のガレオンは言った。


 ハヤヒデは木のバケツで舟にたまった雨をかきだしていた。雨がまた強くなったのだ。雨はもう痛いくらいで豪雨と呼べるほどになっていた。
 これはティコティコが活動を始めた、ということではないかとタイシンは推測しティコティコの姿をさがす。
「なあガレオン。ティコティコは今どこにいる?」
「知るか」
 ガレオンは舟にしがみつきながら言った。どうやら激しくなった波に振り落とされないようにすることでせいいっぱいらしい。
「そんなことよりもこの舟、ずいぶん流されてねーか?」
 ガレオンは岸の方を見ながら言った。
「そうか?」
 とタイシンも岸の方を見た。
 確かに。
 さっきは岸から100m程度のところにいたはずなのに今はもう200m以上は離れてしまっている。どうも波がきつくなったとタイシンも思っていたところだ。
「どうする、少し戻るか?」
 タイシンは言った。
「いや、何だかいやな感じがする。もどっちゃダメだ」
 と言ったのはバケツ係のハヤヒデだった。
「いやな感じ? どういういやな感じだ」
 舟にしがみついているガレオンが言った。
「おばけとか化け物が出るときのあの感じだ」
 ハヤヒデがそう言うとガレオンの目つきが変わる。タイシンも身を緊張させる。
 とその時タイシンの目にデカイ物がうつった。
「津波だ!」
 タイシンは叫んだ。
 5、6mほどある高い波が舟にせまっていた。
 やばい!
 タイシンはそう思い舟にしがみついた。バケツ係のハヤヒデも
「やべえ!」
 と言いながらバケツを持って立ちあがった。
「バッ、バカ! 座れ!」
 タイシンは怒鳴った。
 ああ終わりだ。ついに俺は死ぬのか。
 そう思うと不思議なほど時間はゆっくり動いた。
 バケツを持って立ちあがり何かを叫んでいるハヤヒデの表情が妙におかしい。そして鋭い目をして高くて重そうな剣を身構えるガレオンはすごくりりしい。
 え? 何やってんだ、コイツ?
 タイシンがそう思った瞬間、ガレオンは津波に飛びかかった。
「ガッ、ガレオン!」
 タイシンは叫んだ。
「お前泳げないんじゃないのか!」
 と叫んだのはハヤヒデ。
 ガレオンの体は舟から数m飛んで津波に向かう。そしてガレオンはその津波に剣を突き立てた。
 タイシンはそこで初めてガレオンが何に向かっていったのかが分かった。津波の中に巨大な紫色をした生物がいたのだ。
「ティコティコ!」
 タイシンとハヤヒデは同時にそう叫んだ。
 これがあの巨大アメフラシ、ティコティコか!
 タイシンは目を見開きそれを見すえる。
 するとその瞬間、舟に向かってきていた津波は爆発を起こした。ティコティコが飛び上がったのだ。
 その爆発で舟は弾き飛ばされる。
「うあっ!」
 タイシンは叫んで舟にしがみつく。
「おおー!」
 ハヤヒデはそう声をあげバケツを持ったまま舟の上でバランスをとろうとしている。
 だがその甲斐もなく舟はひっくり返ってしまった。そのひょうしにハヤヒデはどこかに飛ばされてしまう。
 舟がひっくり返った勢いでタイシンも水面に叩きつけられ海に沈む。
 タイシンは水を大量に飲み、ああ俺もついに死んでしまうんだな、と悟りながら意識をなくした。