ダメ人間の強盗指南 2
作:九夜鳥





 *

 なるほど。
 ケロリとした顔で突っ立っている人質くんを見て、あたしは全てに合点がいった。要するに彼は、ただ時間稼ぎがしたかったのだ。
 警察に通報したのは、最初に逃げ出した客なり行員なりの誰かに決まっている。別に私たちが……銀行内に取り残されている誰かが、警報機なり電話なりを操作する必要なんて何処にもない。怪しい素振りなんて見せることもない。警察のほうから勝手にやってきてくれるのだから。
『繰り返し、犯人に告ぐ! 大人しく、人質を解放し、降伏しなさぁい!』
 しかしまあ、なんとうるさいことか。
 カーテンのかかった窓の向こうに視線を向ければ、通りの反対側にいっぱいの野次馬と、道路を塞き止める形で警察が配置していた。いったいいつの間にこれだけ集まったのだろう。サイレンの音は聞こえないが、ぐるぐると回るいくつもの赤色灯。パトカーも一台二台じゃないだろう。もうこれは、とっくの昔に裏口まで包囲完了って感じだ。
『犯人にィ、告ぐッ! この建物は既に完全に包囲しているのであるからしてェ!? 諦めて出て来たまえいッ』
 ほら、言わんこっちゃない……て、お巡りさん? 貴方もイントネーションがなんか変な気が……。いや、変なのはイントネーションではなくて、テンション……?
『……いやぁ、本官、こんなドラマのような展開に憧れておりましたッ。苦節十余年、ついにそのときがやってきたと思うと本官感無量ッ!』
 はい?
『本官の説得により改心した犯人は投降する。そして夕日をバックに、本官は彼の肩に手を置いて一言。「……償ってこいよ」。なーんてな!! くぅぅぅ本官カッコいいでありますッ』
 えっーと。
『では本官はこれより犯人説得を開始するであります。では一発目ェェェェッ!! ……♪ハッハッハッ、犯人さん? 隠れて隠れてどうするの? 出ェてきて出ェてきて出ェておいで?♪』
 う、歌いだしたよ。なんなのさ、これ。
 あまりの態度にあっけに取られていたら、人質君が困ったような顔をしている。どうしたんだろう。いや、わたしだって困ってしまうけどさぁ、あんなのは。
 警察の意味不明な説得(?) は止まらない。二発め行きます、と誰にとも無く宣言し……。
『犯人に告げまーす。お母さんも嘆いていらっしゃるぞ。(えー、ゴホン)……タ、タカシ? こんな馬鹿な真似は止めて出ておいで。お母さん悲しいわ』
 気色の悪い裏声。この警官は一体何をしたいのだろう。ていうか、もうあなたが止めていただけませんかね? いやマヂで。
「わ、私の名前はタカシではなぁぁぁいッ」
「わァッ」
 ビックリしたぁ……突然叫んだりしないでいただけませんか。
「く、そぉぉぉぉう。完璧だったハズだ」
 悔しそうに歯噛みしながら、犯人はわなわなと震えた。
「一体何処に間違いが在ったと言うのだッ」
 ……穴だらけのような気がしますが。と思ったけど、口にも顔にも出さなかった。だって睨まれたらイヤだもの。
 見ればあたし以外の皆も似たような顔だ。憮然として、でもどこかで安心したような表情。何より瞳が強く語っている。またしてもいつの間にか壁際に下がっておられやがりました新人と目が合って、彼は力強く頷いた。……ごめん、君が何言いたいかなんて判らないよ。―――アイコンタクト、不成立。
 ま、あたしもきっと同じ顔をしていることだろう。
 警察が、来たからだ。
 取り敢えず、警察はやってきたのだ。
 それだけだが、重要なことだ。
 つまり、私たちは安堵した。
 と、いうことだ。

 *

 僕の、見た感じ。
 警察が来て状況が好転しつつあると思っているのが大半で、その逆は二人しかいないようです。その二人のうち片方は僕の後ろにいる犯人で、もう一人は犯人の前に立たされて首筋にカッターを突きつけられている僕だったりするわけで。
 しかし、何て無茶苦茶な警察なんだ!? 歌っているって、なんだよ!
 僕が警察が来るまで時間を稼いだのは、他でもない。僕にナイフを突きつけている犯人逮捕を、ぜひこの目で見てみたいと思ったからです。幸いにも犯人は僕を傷つけるつもりも無さそうだったし、多少御馬鹿なところも在るようで、扱いやすいと思ったのに。
 こんな奴らが来ると最初から判っていたのなら、時間稼ぎなんかしなかったのですが。とっとと犯人が逃走するように仕向ければよかった。
 ああ、僕は生まれて初めて、後の祭りという言葉の意味を心から噛み締めていると宣言できます。ええ、それこそ世界で誰よりも、唯一といっていいほど真摯に、心の底の底から。
『犯人に告げまーす。お母さんも嘆いていらっしゃるぞ。(えー、ゴホン)……タ、タカシ? こんな馬鹿な真似は止めて出ておいで。お母さん悲しいわ』
「わ、私の名前はタカシではなぁぁぁいッ」
「わァァッ」
 馬鹿な真似を止めるのはあんた達のほうだ。逆上した犯人が思わずナイフを横に引いただけで、僕の首から鮮血が噴き出すというのに。
「一体何処に間違いが在ったと言うのだッ」
 やはり覆面……? 覆面がいけなかったのか。覆面よりも仮面で行くべきだったのか……。だが仮面で強盗など前代未聞だが……いやしかし、だがしかし……!!
 ぶつぶつと何かを呟きだす犯人。……其処? 其処が間違っているのですか? そこは間違っていないと思う。というか、其処以外の殆どが間違いだと思うんですが。
『タカシィッ。あんた、あんなにいい子だったじゃないの……ほう、お母さん。そうなのですかな……(ゴホン)そうなのです。タカシは成績がとても良く、弟の面倒もちゃんとしてくれて、本当にイイコだったんです。それが、それが……』
 ぶつぶつと思考の世界に埋没していく犯人、半ば解放されるのが決定したように安堵が見え始めている他の人々。訳のワカラナイコントを繰り広げている警察。その警察のお陰で死ぬ確率が跳ね上がってしまった人質(僕)。
 途方に暮れるとは、きっとこういう時を指していうのだろうか。
「はぁ……」
 がっくりと、僕は大きなため息をついた。
 余計なこと、しなければ良かった。

 *

 ピリリリッ、ピリリリッ。ピリリリッ、ピリリリッ。
 延々続くかと思われた一人漫才に場が支配され、三者三様の空気が流れ出したとき、この奇妙な沈黙を破ったのは電話のベルだった。一斉に部屋中の電話が鳴り出してあたしは正直びっくりした。この音は、外線。つまり誰かがこの銀行に電話をかけて来たのだ。
 あたしと、人質君が突然鳴り出した電話を見詰める。ぶつぶつと何かを呟いて自分の世界に入り込んでいた覆面が少し遅れて、ハッと顔を上げた。僅か迷い、考え、そしてあたしに向って、出ろ、と命令した。
 はっきり言って、あたしは別に彼の部下でもなければ手下でもなく、従ってその命令を無視することだってできるのだ。できるのだが、それをしなかったのはやっぱり彼が、たとえ一時的であろうと道化であろうと愚君であろうと人間の屑だろうとカスだろうと、更に言えばこの世で最も下等な存在であったとしても。残念ながらこの場この時に措いてのみとは言え、絶対的な支配者であったからだ。
 私に非が無くったって、私のせいで人が死ぬのはイヤだ。ちくしょう。
 ぴりりぴりりとなり続ける電話の受話器を取った。
「……もしもし」
 こんな緊迫した状況でも、あやうくつい営業声で『お電話ありがとうございます』なんて言いそうになってしまった。これだから条件反射とは恐ろしい。
『あー、もしもし。警察のものだが……。君が銀行強盗の当人かね?』
「えっ……いや……」
 冗談ではない。そう言いたがったが、上手く舌が回らなかった。
『では、人質か、中に取り残された誰か、ということですな。お名前は』
「夏野、といいます。この銀行の行員ですが……」
 ちらりと犯人のほうをみると、ガチガチに緊張していた。どうやら直感で電話の向こうにいるのが誰なのか悟ったらしい。
『では、夏野さん。犯人に代わっていただきたいのですが、よろしいですかね』
 非常に落ち着いた、初老くらいの男性の声だろうか。実に丁寧な、それでいてどっしりとした自信に満ち溢れている。さっきからずっと拡声器で漫才を繰り広げているのはもっと若い感じだが、その声が受話器の向こうから伝わってくる辺り、やはりすぐ側からかけているのだろう。カーテンを捲れば見えるかもしれない。
 あたしが犯人に、警察からで代わって欲しいと言っていることを告げると、犯人はやはりガチガチに緊張した様子で何も答えない。
 仕方がないのであたしがまた受話器に耳をつける羽目になった。
『電話に出る気がない。では仕方がないですな……』
 警部(とあたしが勝手に任命。いや、警察の階級なんて良く知らないんだけどなんとなく)は少し考えるようにして、では、と続けた。あたしは言われたとおりに、外部スピーカーのボタンを押す。すると警部の声が、沈黙を保つ部屋に響いた。
『もしもし、犯人に告ぐ。私はこの現場の責任者を任された有野という者だが』
 この後はもうただ解放されるだけだと決めてかかっていたあたしは、突然始まったドラマのワンシーンみたいなこの展開についていけず、ただただポカンとしながら、頭の半分でまるでドラマみたいだなあと考えていた。
 残りの半分を占めていたのは、なぜか今年の正月は実家に帰るかどうか、ということだった。

 *

 有野、と名乗った刑事は、私に二つのことを要求してきました。
 一つは、人質の解放。もう一つは、私との電話を介しての交渉だった。彼はそれだけを告げると、一方的に電話を切ってしまった。プーッ、プーッという電子音が空しく響き渡ります。その音が、まるで私の人生の終了をカウントダウンしている様で、頭の中を占めてしまって離れようとしません。
 プーッ、プーッ、プーッ、プーッ……
 私はつまり、はっきり言って途方に暮れていました。
 計画では、私は人質を取り銀行からバッグいっぱいに金を入れて、すぐに逃走するつもりでした。途中人質としているこの青年からの、とても親切な申し出により多少の時間が掛かってしまったとは言え、警察がやってくるのはもっと後であるはずなのに。
 怪盗を主人公とした映画や漫画の中ではどれだけトラブルと予定外に見舞われたとしても、警察を小ばかにした華麗な逃走劇を展開するというのに。事実は小説より奇なり、というではないですか。虚構の人物に出来て、私に出来ないはずがない。
 なのに警察は卑怯にも、サイレンを一切鳴らさず現場にやってきました。そんな、約束が違う! ドラマではあれだけ派手に鳴らしてやって来るというのに。私はその音を合図に脱出する予定だったというのに。ええ、実は聴力には自信がありまして。唯一といっていい取り柄でしようか。いや、そんなことはどうでもいい。
 問題は、どうするのかということです。
 いえ、勿論、脱出はしなければならないのですが。
 ふむ……。
 ちらり、と正面に立ったままの、若い女性行員に目をやります。彼女は例えば、ボンドガールのように、物語の核心に迫る秘密を知っていて。
 なるほど、その可能性がある、か。
 ならば彼女と一緒であれば、おそらく『誰も知らない秘密の通路』を通って逃げおおせることも可能でしょう。そんな通路、あるはずが無いのだから、警察だって押さえてはいないことでしょうし。
 ふと。
『あの時、俺たち誓ったじゃねぇかヨォ! 絶対に社会の荒波に負けたりはしないってっ! 誓ったじゃねえかよぉぉぉッッ!!』

 *

 警察にもマシな人がいるものだなあ。
 そんな当たり前のことが、非常に嬉しく思える。何でだろう。
 有野、と名乗った(多分警視くらいなのでは? いえ、警察の階級システムはよく知らないんですが)彼は、十五分後に再び電話すると宣言し、自分の直通の番号を伝えて切ってしまいました。でもこんな簡単に切ったりしてしまっていいんでしょうか。ネゴシエイトって。
 まあ、この犯人に主導権を渡したところで碌なことにならないのはわかっていますが。
『タカシィィィィッ、タカシィィィィッ、タァァァァカァァァァシィィィィッ』
 ……それでもノリノリで絶叫している彼に渡してしまうよりはましだとは思いますがね。
『ターカーシ』
 語尾にハートマークの付きそうな猫なで声でもダメです。気持ちの悪い。
「……………………」
 当のタカシさんはといえば、沈黙を保ったままです。いや、彼は自分の名前がタカシではないと断言しているのですからまあ、便宜上と言うか。というか、タカシさん? なんだかブツブツと……な、なんだか物凄く不穏な空気が流れてくるんですが。一体何を考えているんでしょうか。
 尤も僕に彼の考えをトレースしようなんて、無理に決まっています。だって僕と彼は完全な赤の他人ですので。まさかアニメか映画のように、華麗な脱出劇をどう演出するかなんて、考えていないでしょうね。
『あの時、俺たち誓ったじゃねぇかヨォ! 絶対に社会の荒波に負けたりはしないってっ! 誓ったじゃねえかよぉぉぉッッ!!』
 どんな設定ですか、それは。
 僕が心の中でツッコミをいれた時、犯人が口を開きました。
「壁際に並んでいる人たち……。もういい。行きなさい」
「へ」
「早く、出て行きなさい。早く、早く……早く出て行けェッ!!」
 僕も、正面のお姉さんも。壁に並んでいる他の人たちも、揃って身を竦めた。それはまさに晴天の霹靂とでも言うべきの、突然の激昂だったから。
 多分、この数十分で初めて。
 覆面は感情を表に出して叫んだ。突然の出来事に、僕らは完全に立ちすくむ。いえ、僕はずっと立ちすくんだままですが。
 数秒、凍った時間が動き出し。解放を宣言された他の人々は、途惑いの中にも喜びを隠せない様子でわらわらと出口に殺到した。ほら、いっぺんに出て行こうとするから詰まる。
 目をやれば、お姉さんは困ったように突っ立っている。ああ、彼女は壁際の人たちではないので、出て行っていいのか迷っていのでしょう。
 やがて再び、クラシック音楽がしっとりと流れる、奇妙な静寂が戻ってきた。相変わらず一人漫才が続いているけれど。
 と、思ったら。
 首筋のナイフが、すっと降ろされた。
「もういい。もういいから、君たちも行きなさい」
 解放を、宣言される。彼は力なくうなだれて、もういい、もういいと呟いて受付口のスツールに座り込み、ため息を吐いた。
「どうせ私には無理だったのでしょう。『社会の荒波に負けない』か……。そう言われるということは、私は社会の荒波に負けたということなのでしょう。マサカ見ず知らずの、顔さえ見えない誰かに宣言されるなんて……フフフ」
「オジサン……?」
「ええ、負けたなんて今まで思っていませんでした。女の人に振られようと、虐められようと、仕事をクビになろうと。未だ童貞でも。占い師に哀れまれようとも。生きている限り負けにはならないって、どこか心の中で思っていましたとも。どれだけ苦しくても……」
「…………?」
「でも、負けなんですね。負け、負け……。負けかぁ……」
 僕と、お姉さんはただ、じっと彼の言葉に耳を傾けることしか出来なかった。