ダメ人間の強盗指南 3
作:九夜鳥





 *

 人質の解放から、更に数十分が経った。しかし突然の解放に続いて犯人からのリアクションも無く、電話も取ろうとしない。もう二人、人質がいることは確認が取れているのだけれども……。
 何度目かの電話、また取られないだろうと思っていたのに、今度は反応があった。最も待ち望んでいた反応というのに、ちょっとだけ期待を裏切られてしまった気分だ。
『……有野、といったな』
「そうだ。私が有野だ。先ずは人質を解放してくれたことを礼を言わせていただく」
『まだ、二人残っている。多すぎても仕方ない』
 彼が提示して来たのは、逃走用の車を用意することだった。勿論燃料は満タンで。金はいらないのか? と尋ねると『それは此処にたっぷりあるのでな』、と皮肉まで交える。しかし……思っていたより。なんというか……。聞いていた話となんだか印象が違う気がするのだが。先だって解放された人質の印象では「風船のような自信に満ちた」と形容されたのに。この電話では本当の意味で自信に満ちている、というか……。気のせいだろうか。
『ふふふ、予め言っておくが、狙撃などは考えないほうがいい』
「む……」
『いくらなんでもカッターナイフ一本で銀行など襲うものか。私が心停止すればその瞬間に爆発するように仕掛けたダイナマイトを数本、用意してある』
「なっ、ダイナ……!?」
 企業秘密なんで、数は教えられないな、と受話器の向こうで彼は笑う。
 解放された人質からも、そのようなことは聞いていない。ダイナマイトだと? そこまで強力な武装をしていたとは。
『驚いていただけたようで嬉しいよ。それで、だ。逃走の際には当然人質のお嬢さんにも同行していただく。ダイナマイトを体に巻きつけた上でな』
 なんて卑劣な……!!
『では、十分以内に車を用意していだだけると助かる。別に遅れたとしても構いはしないが……。ま、そのときはドカーン、と行くかな?』
「ぐ、むぅ……。わかった。十分だな。用意しよう」
『頼んだよ、有野警部補』
 そこで電話は途切れた。
 私の階級は警部なのだが、そんなことはどうでもいい。すぐさま周囲に指示を出す。
「車を用意しろ、大至急だッ。あと、野次馬を下がらせろ、もっとだ。早く!!」

 ……
 …………
 ………………

『わかっていると思うが、逃走の邪魔はしないでいただこうか』
 と彼は、電話口で言った。車の準備が出来たことを告げたときのことだ。
『車の中に人が隠れていてもらっても困るな。とにかく、私にとっての万難を排したまえ。でなければ、ドカンと行く。信じられないならそれでも結構。……私が死ぬのは仕方のない自業自得で済むだろうが、フフ、何の罪も無い人質にとってはたまったものではないな』
 そのやり取りが、つい数分前のことだ。
 睨みつける我々を尻目に犯人は、正面玄関から出てきた。おそらくは金の入っているバッグを持ち、人質にナイフを突きつけながら。用意された車に乗り込む。助手席側から人質の女性を押し込み、運転させるつもりのようだ。間髪入られずに自分も乗り込んだ。
 狙撃も、邪魔も出来ない。出てきて車に乗り込むまでの僅かな間に、そんなことをする余裕も時間など無かった。
 エンジンがかかるとすぐに、車は走り去る。そのまま信号を無視して、走っていってしまった。見失うことは無い。発信機は取り付けているし、ヘリも追跡しているから。
 しかし此処から先、私にできることなど何も無い。指揮権はほんの二分ほど前に、県警の刑事たちに渡ってしまったから。犯人の車を追うのも捕まえるのも、彼らの仕事であって私の仕事ではない。
 結局、私には何も出来なかった。何も出来ず見送るしかない。人質を解放して以来の犯人の行動をとめることはできなかった私に残っているのは……。
『いやぁぁぁぁぁ、タカシィ、タカシィィィィィッ! 行かないで、あたしを置いて行かないでタカシィィィィィ』
 ……敗北感と馬鹿だけだ。頼むから死んでくれ。
 そもそも何で私はあいつに交渉役を担当させようと思ったのだろう。なんだかいろんな意味で悔いが残るが。取りあえず一つ決心したのは、あいつをあとで一発殴ってやることだった。
 少しの間、そんな逃避の世界に心を躍らせていたか。
 視界の端ではテレビ局のリポーターがカメラに向って何かを叫んでいる。
「警部、有野警部」
 私を呼ぶ声。
「なんだ、どうした」
 振り返ると、制服を着た警官が息を切らして敬礼している。
「君らの班にはもう一人の人質を保護するように言ったはずだが」
「それが……いません。どこにも」
「何を……」
 その若い警官は、困惑しきった顔で、続けた。
「ですから、もう一人の人質、ナイフを突きつけられていたという青年が、建物内の何処にもいないんです」

 *

 数十分後。某テレビ局の報道ヘリ。
『―――ハイ、現場の鳥越です。私たちは今、南国市で起こった銀行強盗の乗った自動車をヘリで追跡しているところです。エー、数十メートル先には、警察のヘリも出動しているのが見えます。
 逃走を続ける犯人の乗った自動車は、時速100キロを超えるスピードで現在も高速道路を北上し続け、現在は北南石市の中心部に差し掛かったところです。
 警察からの発表によりますと、未確認ながら犯人はダイナマイトで武装しているという可能性があり、事実上手を出せないでいるのが現状で……あっ今犯人の車から、何かバッグのような物が放り出されて落ちて行きます。中から何かひらひらと……現金? 現金が、お札が……撒き散らされて……!!』

「有野警部!!」
 再び、私はさっきの若い警官に呼ばれ、振り返った。
 まったく、ウンザリする。私は今、行方不明となったもう一人の人質の青年を捜索する陣頭指揮で忙しいというのに。
 ……なんだか最近苛々する事が多くなった気がするな。私ももう既に若くは無いのだから、そろそろこの殺伐とした仕事を引退するのもいいかも知れない。その前にあの馬鹿を首にせねば。あいつのせいで随分と生え際も後退してしまって……いや。
 弱気になるな。それは、もっと後で考えればいいことだ。消えた人質が見つかった後で。
 銀行内には様々な場所に防犯カメラが仕掛けてあった。だが、回収したビデオテープは、全て同じところでストップしていた。それには確かに犯人にナイフを突きつけられた青年が映っているというのに、なぜか何処にもいない。
 何かヒントが見当たらないかとそのビデオを見返していたのだが……。
「で、何事だ」
「それが、その……たった今、上からの報告なんですが……」
 歯切れの悪い。全くいらいらする。
「なんだ? 簡潔に伝えたまえ」
「それが、その……未確認だが、消えた人質が見つかった、と」
 一瞬、何を言われたのか判らなかった。
「なっ? はぁ? いったいどこで。どうして犯人を追いかけている県警が人質を見つけ……未確認?」
 どういうことだ。
「それが……犯人と思われていたあの、車に乗り込んだ覆面の男なのですが……」
「逮捕したのか! しかしどうやって?」
 いや待て、人質が見つかったのではないのか。犯人逮捕の報告とどう関係する?
「それが北南石の先のパーキング・エリアに入って、自分から逃走を止めたそうです。それで、覆面を取って、駆けつけた警官に向って自分が人質にされた青年で、ダイナマイトを仕掛けられ脅されてやったと……」
「…………それで?」
 彼は更に、照会の為に回収したビデオテープと先に開放された人質を数人連れてきて来るようにという命令を伝える。
「…………で?」
「は?」
「それで、仮にその覆面が本当に人質であったとしたら、犯人は一体何処に行ったんだ……?」
 結局、人質だろうと犯人だろうと、誰かが一人消えたという事実にはなにも変わりはないではないか。

 *

 住み慣れた、街を出ることにした。
 もう、そうそう戻ってくることもない。寂しいといえば寂しいし、残念といえば残念だ。だが、もう決心したこと。
 考えてみれば、私はこの四十と数年、自分の意志というものを持っていなかった気がする。当たり前の様に高校を出て当たり前のように就職し、何も考えず、ただ目の前にあるものを片付けていっただけ。まるで条件反射のように。
 確かに、私はダメな人間だった。何がダメって、全てにおいて。顔も頭も良くはない。占い師にさえ同情される始末。将来性は低いどころか、皆無ですらある。
 だが、それは私が気が付いていなかったために。あるいは諦めていたためによるものだ。そんな部分はなんとでも出来たのに。自分で自分を立たせることがなかったから、もっと重要な部分を見捨てていたのだと、今更になって気が付いたのだった。
 諦めるな。まだ終わっていない。
 終わらせるな。まだ途中だ。
 あの、一喝は。
 私の心の深い部分を揺さぶった。心の底の底で、何時からかずっと燻っていた部分。だから私はあの一言に奮い立たされたのだろう。でなきゃ、あんな計画実行しようなんて思いもしない。
 そして実行したからこそこうして、手錠をかけられることなく、歩いていられるのだろう。一点の疑いも曇りも無く、正直にそう思う。
 人には自慢できはしない上に、唯一のと形容することになるのだけれど、私は今ではたった一つだけ、成功したと思えることがある。
 強盗だ。私は銀行を強盗し、しかも成功した。奪った金額は多寡が知れたものだが、何。そこはそれ、金額などどうでも良いことだ。大事なのは、私が成し遂げたという事実。
 空が高い。もう、秋も深まった。名前も知らない小鳥が抜けるような青空を渡る。
 今日、私は街を出る。
 住み慣れた街だ。もう、そうそう戻ることもないだろう。昨日の内に業者と大家に連絡は着けたから、今頃はもう既に部屋の掃除だって始まっている。もう、戻ってくる場所もないのだ。
 しかも行く先には、今までとは異なる困難が待ち受けていることは、想像に難くはない。それでも私は往く。もう諦めることはない。
 一つ、惜しむらくは、あの二人に一言、礼を言えなかった事だ。
 プラットホームに電車が滑り込む。何処に行くのか、調べてはいない。駅に着いたときたまたま時間が近かったものの切符を買っただけのこと。不安は隠せませんが、同時に、根拠のない自信が胸の中に湧いているのを感じます。大丈夫。きっと上手くやれるから。
 タラップに乗り込んで、ドアが閉まる。その直前、私はありがとうと呟き…………。
 電車が走り出した。

 *

 ああ、太陽の光がこんなに気持ちのいいものだったなんて……。
 僕は大きく伸びをしました。そよぐ風、緩やかな日差し、単なるアスファルトでさえ、今の僕にとってはとても新鮮です。これがお勤めを終えて出所した犯罪者の気分ってところでしょうか。
 もっとも、僕は逮捕されたというか、形式上は『保護』ということらしいのですが。単なる保護で丸二日も留置場には入れないでしょうねぇ。取り調べも受けていたし、結局半分は犯人か、でなきゃ共犯者と疑われていたようで。ああ、疲れた。
 いや、確かに共犯ではあるのですが。
 県警の建物、その敷地のすぐ側には軽の自動車が止めてあり、僕は何気にスルーしたのですが、その車がクラクションを鳴らしたので振り向くと。
「はあい」
 運転席には手をひらひらと振る、あの受付のお姉さんがいました。

「やっぱりあなた、ええっと、唯忠くんだっけ。犯人だって疑われていたのね」
 しばらく車を走らせた後、僕たちは初めて自己紹介をしました。実は僕たち、あの逃走中車の中では一切会話していなかったのです。警察の盗聴器が仕掛けられていた可能性があったので。僕は彼女の胸元の名札から、苗字だけは知っていましたが。
 彼女が此処に来たのは、例の有野という刑事さんに僕が釈放されるのが何時なのかを予め聞いていたからであるという。
「ええ。夏野さんとか他の人質の証言、それにビデオもですよね。僕が人質本人だっていうことが証明されていなければ冗談ではなく逮捕されていたかもでしょうね」
 ハッハッハ、と笑って僕は手にしたジュースを啜った。ちなみに、彼女のおごりです。
 終わったからこそ笑えるものの、その証言が無ければ冗談抜きで誤認逮捕も在り得たんですよねぇ、僕。冤罪冤罪、とは言え逮捕は逮捕な訳でして。ま、この場合実際には冤罪でも何でもないのですけれど。
 そんな人生棒に振るリスクを負っていたというのに、代償として手にしたのがペットボトル一本ですか。結構安い人生です。
「夏野なんて。千雪でいいわよ。……でもそんな笑っちゃって、イイのかなぁ」
 憮然として僕は返す。
「いいのかなって……。自分から言い出したくせに」
 夏野さんは、にまりと笑った。適当な入れ知恵で犯人を言いくるめていた僕が言うのもアレですが、悪戯を思いついた悪がきのような笑みでした。

 ―――あの時。犯人が全てを諦めたとき。
「甘ったれんじゃ、ないわよッ」
 バフッと音がして。夏川さんの平手が炸裂したけど、犯人が覆面を厚手の覆面をしていたためなんとも情けない音だった。
「まだ、生きているくせに勝手に負けとか決めてるんじゃない!! ああもう、こんな奴にいいようにされていただなんて、腹立たしい」
 本当に腹立たしそうに彼女は髪を掻き揚げ、犯人に向って言った。
「死んでないんだから諦めるな、諦めるんだったらあたしの見ていないところで諦めろ! なんだったら手伝ってやるから。ほら、早くナイフを突きつける」
 なんだか訳のわからないことになっているんですが。手伝う? 一体、誰が、誰を……誰と? ものすごい嫌な予感がするのですが。
「そ……んな、人の気持ちも知らないで……ッ」
 半分キレかかった犯人が、立ち上がる。再び僕にナイフを突きつけ、ってちょっとォ!?
「私がどれだけ、どれだけッ……どれだけ頑張ってきたか知りもしないで」
「知らないわよそんなの。知ったこっちゃないわよ全然。悪い? でも宣言してあげる。ここで諦めるんなら、あんた一生負けよ。一生どころか永遠に負けよ。例えあと百年生きても、百回生まれ変わっても負けよ負け。負け負け負け。あーそりゃもう一から百まで徹頭徹尾負けッぱな。宣言っていうか予言よね。確定事項よ」
 うわ、きっつう。そこまで言いますか。
「あたしね、そんなのがあたしの周りにいるのが許せないの。あたしは勝つから。どんな形でもあたしは勝つつもりだから。世間的に負けでもあたしはあたしの基準で勝って見せるから」
 だから、と続けた。
「選べ。今すぐ。諦めて捕まるか、とりあえず頑張って強盗を続けてみるか。続けるんなら、あたし達が協力してあげるから」
 協力って、ええと。あのう。それはどうかと思うのですが。
 しかも、達。つまり、複数? 最低二人? やっぱり、僕、ですか? サラリとさり気無く、しかし確実にがっちりと頭数入ってますか。しかも協力って。犯罪幇助って立派な犯罪なんですけれども……知ったこっちゃないって勢いですね……。
「えーっと、僕も手伝うんですかね」
 一応確認してみた。
「あたりまえじゃん」
 わあい即答、頼もしいや。さらりと言ってのけたよ。少しでいいから躊躇って。
「でなきゃ、証言してあげる。ナイフ突きつけられていた青年もグルだったみたいだって。うちのあの防犯ビデオ、録音は出来ないからなんとでもなるわよ」
 …………。
 選択の余地無し。
 解放してくれそうだった強盗さんよりタチ悪い気がする。あまりの強引さに最早爽快感さえ感じるのですが。
 仕方なく、僕は口を開きました。俯きながら、口元がビデオに映らない様に
「はぁぁぁ。仕方ないですね……。では、犯人さん。お姉さんを脅してもらえますか」
「……?」
「防犯カメラを全部止めるように。早く。でないと計画も立てられないから」
 えーと、まあ僕もちょっとワクワクしていたことは否定出来ないんですけど。

「ま、大丈夫だと思うわよ」
 根拠も無く千雪さんは言い放つ。
「言われた通りに口裏は合わせたし、矛盾が多少あったとしても、混乱していたからおびえていたからはっきりしない、で済んだし」
 お互いの証言の僅かな食い違いのお陰で、僕の犯人グル説がなかなか崩れなかったのですが……。多分、ギリギリでシロと判断されるだろうと思っていました。いや、だって最近では警察も色々と大変だし。汚職とか。ワイセツ行為とか。万が一僕が違っていたら……という思いは何処までも拭うことが出来ないようでしたね。
「あのおじさん、逃げ切れるかな」
「大丈夫でしょう。何せ証拠が少なすぎますから」
 カメラを停止させた上で、僕が計画の青写真を伝える。犯人との入れ替わりは僕のアイディアでしたが偽ダイナマイトは犯人の発案です。新聞紙を丸めて紙テープでぐるぐる巻きにしたものでしたが、ぱっと見遠目にはそれらしく見えなくも無い。本物なんて見たことも無い、怯えているはずの素人に見分けろというのも無理な話で。
 どうして今の今まで出さなかったのかと尋ねると、拳銃だったら試し撃ちで脅すことも出来ただろうけれど、こんな出来の悪いものでは使えるかどうか不安だった、とのこと。
 確かに火を点ければただ燃えてお仕舞いですからね。せいぜいスプリンクラーが作動するくらいが関の山。
 ズボンは似た色のジーンズだったので不要でしたが、僕らは上着と靴を交換。あとは僕が覆面を被れば成り代わることが出来る、とそこで。
 覆面を脱いだ犯人を見て、僕らは大笑いしました。
「だって、まさかね。覆面の下にストッキング被っているなんて思わないもん」とは彼女の言。僕も激しく同意です。世の中に本当にストッキングを被って強盗する人が存在するなんて……。
 目元口元に切り込みを入れたそれは、覆面の上からはわからなかったけど、確かに、彼がどんな顔なのかは隠されていたのですから。
 しかし、一番恐れていたモンタージュや似顔絵が、これでパスされたも同然なのです。何せ正確な顔が判らないのだから仕方が無いし。しかも適当な嘘をついて、僕と千雪さんの証言が食い違いから疑われる心配も不要、と。
 とはいえ、一応似顔絵も作らされはしましたが。僕の証言(ここでは嘘はつきませんでした)を基に作られたそれは、担当の刑事さんが顔をしかめて一言、「無理だな」と呟くほどひどいものでした。
 そのくだりを説明すると、千雪さんも似たようなことがあったらしい。
「見てみたけどさ、アレじゃ無理だよ。絶対」
「とりあえず全国に指名手配するポスターに乗るらしいけれど、正確な似顔絵が出来ていないのであれば大して意味は無いでしょう」
「うん、だね」
 あとは簡単な話だった。
 僕たちが玄関から出て行く直前、彼は裏口に潜み、待機。警察が一人残っているはずの人質を探しに入ってきたら裏口から出て行く。まさか強盗もいないのに、裏口を蹴破ってくることも無いでしょうから。
 道は空いていましたが、信号が赤になったので彼女はユルユルスピードを落として停止した。停止線ぴったり。あの時薄笑いを浮かべながら信号無視に時速百五十キロ近くで爆走して見せたのと同一人物の運転とは思えない、丁寧なものでした。
「偶然とは言え、僕のあの白のトレーナーは裏が青いリバーシブですから。知っているのは僕らだけですし、僕らが白と証言すれば彼は白のトレーナを着て逃げたことになります」
 僕らが犯人もいないのに車に乗って逃げたのは、時間稼ぎにダイナマイトが遠隔操作できるという嘘をでっち上げたからだった。それも、半径数十キロという強力な奴である。冷静に考えてみたら強力すぎる設定だったけれど、まあそれは僕も興奮していたから。
 考えてみれば、あの事件は驚くほど証拠が残っていません。犯人の着ていたジャンバー、覆面、靴、バッグ、カッターナイフに偽ダイナマイト。そのどれもに犯人と僕の指紋や髪の毛がくっ付いていますけれど、ただそれだけ。全てそこらの量販店で手に入るものです。
「それだって、あれでしょ? 今後あのオジサンが指紋採取されない限り意味の無いものでしょう」
「ですね。聞いた話では今まで無事故無違反の無遅刻無欠席。超のつく真面目人間だったそうですから、その心配は要らないでしょう」
「……結局、強盗自体は成功ってことよね。お金持っていっちゃったし」
「そうなりますね。結局のところ被害総額は五十万円プラス札束三つでしたっけ。あと丸一日の営業停止による影響」
 自分の物には出来なかったけど。窓からひらひらと舞い落ちる諭吉さんを見ているのは非常に爽快な気分だったのは秘密にしておきましょうか。
「ちょっと勿体無かったかなぁ、なんて思うよね、あれ」
 と千雪さんが同意を求めてきた。確かにそう思わないこともないですが。
「でも僕らはあくまで<犯人に協力を脅されたので犯人が持っていったお金の番号が判らないよう言われたとおりに、仕方なく>やったのであって」
 すると彼女はにやりと笑った。
「ま、人生本音も建前も大事だしね。そういえば、支店長の首が飛んだわよ」
「……そりゃまた」
 悪いことしましたね、というと
「別に構わないわ」
 にこり、と彼女は微笑んだ。
「強盗が起きて真っ先に逃げ出すし、それでなくても嫌味だし、仕事はできないし。女子の行員にセクハラするし。聞いた話じゃあ横領もしていたとか? 本店の方でもいい機会だったって思っているそうだから、自業自得よ。ところで」
 あたし、事件で疲れたから、しばらく休みってことになってるの、と彼女は言う。
 黄色い帽子を被った小学生が数人、目の前の横断歩道を渡っていく。手を上げて。柔らかな日差しの、のどかな風景だった。
「することも無いからどこか遊びに行かない?」
「アグレッシブな方ですね」
「犯人にビンタかますしね。イヤ?」
「問題ないですよ。僕でよければ」
「ヨォシ、じゃあ何処にいこうか」
 そういって彼女は再びアクセルを踏み込んだ。信号は青。
 目の前の坂道を抜けると、真っ青に抜ける青空が目に入る。何処までだって行けそうだ。何処までだっていけますよ、と僕はあのおじさんを思い浮かべて呟いた。

 了















あとがき

 隼、と名乗っていた頃から数作、ここに作品を送らせていただいていますが、この作品はその頃から通じて初めての実験作です。はっきり言って、あんな突拍子も無いキャラクターは出す予定は無かったのです。なかったのですが、「このシーンはお約束だから」と何となくで出してみた途端、詰まっていた部分がスムーズに流れ出したので不思議なものです。起承転結の、承→転の部分ですね。あの警官です。
 今まではエンターテイメントよりもメッセージ性に意識を向けていたので、「読者にいかに自分の考えを伝えるか」から「どうすれば面白いと思っていただけるか」というのに意識的になったのも、多分初めて。初めてな分中途半端感は否めませんが、考えてみたらずうずうしいことこの上ない話ですね。
 と、言うわけで九夜鳥としての初の作品、いかがだったでしょう。先に述べたように、この作品はあくまで実験が目的のものであるので、ストーリー的な矛盾や設定の不自然さには目を瞑っていただけたらなぁ、と。……ダメっすか?
 もしこの作品を読んで頂けたのであれば、「駄作」の一言だけでよいので感想をいただければありがたいです。出来ればズタボロに貶していただきたいなあ。厳しい批評をお待ちしています。
 お目汚しでは御座いましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
 それでは、また。