いざ戦場へ
作:養老





 様々な思惑が交錯し、この場に集う多くの者がその時を待っている。年恰好は皆バラバラだった。男、女。若い者もいれば、老人と言っても差し支えない者もいる。子供の姿も少なくない。辺りにはある種異様な殺気ともとれる気配が漂っていた。それも仕方がないだろう。まもなく壮絶な戦いの幕が切って落とされるのだから。
 敵は数百人。いや、もしかしたら千人を越えるかもしれない。対するこちら側は友が二人だけ。分が悪いどころの話ではない。いくら苦楽を共にした気心の知れた戦友――今はあえて戦友と呼ぼう――が側にいても心強いとは言い難い。自分たち三人以外はすべて敵なのだ。だからと言って手当たり次第斬り倒してゆくという戦法は使えない。そんなことをすれば特殊武装をした最強の集団がこの場にやって来る。そうなれば間違いなく勝利は得られない。この戦いには何としても勝利しなくてはならないのだ。
 腕に嵌めた時計で時間を確認する。戦いが始まるまであと10分。この腕時計は最愛の人から貰ったものだ。今どうしているだろう。彼女に何も言わず戦場に赴いたことを責めるだろうか。どうして私も連れて行ってくれなかったの――と。だが分って欲しい。例え身勝手なことだとしても、この絶望的とも思える戦場に赴いたのは愛する君の為なのだということを。君に約束する。必ずやこの戦いに勝利し、君の元へ帰ると。
 ざわめきが徐々に大きくなっていく。誰もがこれから始まる戦いへの興奮を抑えられないようだった。
「いい? 絶対手を放しちゃダメよ。しっかり手を握って一生懸命に走るのよ」
 側にいた女性が、まだ年端も行かぬ幼子に話しかけている。幼子は壮絶な決意と共に首を縦に振る。戦場では子供といえど容赦はされない。それが戦場の鉄の掟。強き者にこそ勝利の女神が微笑むのだ。

 ふと、過去の戦いが思い起こされる。
 ある時は戦いが開始されると同時にいきなり孤立した。元々、戦場に着くことに遅れその時点でかなり不利な条件だったのだが、仲間と共に一塊となり一気に戦場を突っ切って目的の場所まで辿り着くという作戦だった。だがその作戦は出だしで孤立するという致命的な失敗に陥り、結果、敵の群集に飲み込まれてあえなく敗北の味を噛み締めることとなった。
 またある戦場では、歳経た女性の集団に遭遇してしまい訳も分らないまま、あれよあれよという間に遥か彼方まで弾き飛ばされてしまっていた。あの時の光景は今でも脳裏に深く焼き付いている。まさしく阿鼻叫喚だった。
「ちょっとアンタ! それは私がはじめに掴んだのよ! 放しなさいよ!」
 叫びながら手にした衣服を引っ張り合う者。
「どいてどいて、どいてぇぇぇぇ〜!!」
 まるで酒樽のような体躯をした女性が、重戦車さながらに人垣に突進していったり、いったいそんなにどうするんだ、と思うほど両腕にあらゆる物を抱えて周りの人間を弾き飛ばしながら走り去った者もいた。あの時チラリ、と垣間見えたのは俗に言うTバックなる下着もあったような。歳を考え……いや、多くは語るまい。

 再び時間を確認する。残り2分を切った。後ろを振り向き側にいる戦友に目配せをして無言で頷き合う。その戦友の後方にはあの最強の種族『おばちゃん』の集団が見えた。彼女らは普段のほほんとした優しさを漂わせていても、いざ戦いが始まれば鬼神と化す。過去の経験からそのことを嫌というほど思い知らされていた。恐らくは今回もまた最大の敵となるだろう。じわじわと湧き起こる戦慄を意志の力で無理やり押さえ込み唇を噛み締める。
 間もなく戦いが始まる。眼前にはその戦いの場が広がっていた。だが、まだその場に足を踏み入れることはできない。目に見えない壁が行く手を阻んでいる。見上げれば大段幕にプリントされた文字が目に入った。

『夏物先取り! お客さま大感謝セール開催!!』

 仕事をサボって、2時間をかけて市内で一番大きなデパートまで来たのだ。最前列。一体どれほどの時間待っただろう。すべてはこの瞬間の為に。目玉商品を手にするその為だけに!
 そして戦いの幕は切って落とされた。
 時は、2004年6月某日。午前10時00分。
「大変長らくお待たせいたしました。只今よりオープンいたします!」
 正面入り口にいた係員の声と共に自動ドアが開く。
「うおぉぉぉぉぉー!!」
 瞬間、一斉に雄叫びを上げながら一目散に駆け抜ける。
「皆様、大変危険ですので慌てずゆっくりとご入店ください!」
 係員の制止の言葉など誰も聞いちゃいない。目指すは1Fフロア奥に設けられた特売コーナー。

 さぁ! いざ戦場へ!!