野獣 第三章
作:坂田火魯志





 僕は昨日行った店に入った。装飾品がやけに気に入ったからだ。今度はガイドも一緒である。
「へえ、なかなかいい店ですね」
 ガイドは店に入るとそう言った。
「そうでしょう、昨日入って気に入ったんですよ」
 僕は答えた。そして彼に昨日買った品を見せた。
「これはいい」
 彼はそのネックレスを見て目を細めた。
「実は恋人の誕生祝いを買わなければいけなくて」
「じゃあこのネックレスなんてどうですか?」
「彼女はネックレスはあまり好きじゃなくて」
「難しいですね」
 本当だ。人の好み程わかりにくものはない。
「ではブレスレットなんかどうですか?」
 僕は青いブレスレットを見せた。サファイアかと思ったが違うようだ。
「青いのより赤いのが好きなんですよ。情熱的だ、とか言って」
「そうですか。じゃあこれがいいですね」
 僕はそう言うと赤いブレスレットを見せた。
「あ、これはいいですね」
「じゃあこれで決まりですね」
「はい、他にも色々見ましょう」
 彼はそう言うと店の中の品物を色々と見回りはじめた。そこへ昨日の老人が出て来た。
「おお、今日も来てくれとるのか」
 彼は僕達を見ると嬉しそうな顔でそう言った。
「ええ、いいものが揃っていますので」
「それは有り難い」
 お世辞も込めたのだがそれでも嬉しいらしい。やはり彼も商いをする者らしくそうしたことを褒められると悪い気はしないようだ。
「ではこれなどはどうですかな」
 彼はそう言うと僕達のところに歩いてきた。そして品物を次々と見せはじめた。
「これはいいですね」
「これも」
 僕達はそれを見ながら口々に言った。そして気に入ったものを次々と手にとった。
「有り難うございます。こんなに買ってくれるお客さんは珍しいですよ」
「いえ、そんな」
 今度は僕達が逆に謙遜した。その時ふ老人の後頭部が目に入った。
「!?」
 見れば傷があった。あまり深くはなさそうだが新しい。昨日か今日についたものであろうか。
(こんな場所にか。何かあったのかな)
 僕はそう思った。見れば何かが擦ったような細長い傷である。
(お歳だし用心して欲しいな)
 僕はそう思った。だが口には出さなかった。
 僕達は買いたいものを全て買うと店をあとにした。そして店をあとにした。
 礼を言って店を出た。その時店の奥にチラリと人影が見えた。
「他にも誰かいるのか」
 それは若い女性のようだった。だが詳しいことはわからなかった。
 僕達は今度は博物館に向かった。そしてそこでも昨日のムングワのことを話した。
「熊みたいに巨大なネコ科の生物ですか」
 館員はそれを聞き顔を顰めた。
「はい、何かご存知でしょうか」
 僕は尋ねた。
「ううん・・・・・・」
 彼は考え込みだした。
「アフリカにはそんな巨大なネコ科の生物はいませんがねえ」
「ライオンも虎よりは小さいですしね」
「はい、虎にしろ一番大きいのはシベリアの虎ですよ。動物というのは寒い場所の方が大きくなるのです」
「それはそうですが」
 ゾウアザラシにしてもキタゾウアザラシのほうがミナミゾウアザラシより大きい。人も南方の人より北方の人の方が背が高い。欧州においてイタリア人とノルウェー人では背丈がまるで違う。
「アフリカには熊もいないと言われていますし」
 これははっきりしない。いるのではないかという説もある。
「ましてやそこまで大きなネコ科となりますとねえ」
「心当たりはありませんか」
「残念ながら。本当にそこまで大きかったのですか?」
 逆に尋ねられた。
「はい、それはもう」
「嘘を言っていると思われるのですか?」
 僕達はそれを否定した。
「いえ」
 彼もそれはわかってくれたようである。
「どうやら本当のようですね」
「そうなんです。僕達もこの目で見てまだ信じられませんから」
「本当に驚く程大きかったですよ」
 僕達は口々に言った。
「それにしても熊のような大きさですか。かなり厄介ですね」
 彼は顔を再び顰めさせた。
「そこまでの大きさですとちょっとやそっとでは倒せませんよ」
「拳銃じゃ駄目ですか?」
「お話にもなりません」
 彼は即答した。
「熊にも銃は他の動物に比べ効果は少ないようですね」
「ええ、その毛のせいもありますが大きいですからね」
 熊については僕の方が詳しかった。
「ライオンでも拳銃ではそうそう簡単には倒せませんよ。むしろ自殺行為です」
「そうなのですか」
「素早いですからね。やはり遠くからライフルで狙うなりしないと」
 それはテレビ等でよく見る。実際にライオンや豹を狩るのはかなり危険な仕事だという。
「近距離ですと散弾銃位持っていないと」
「またえらく物騒なものですね」
「私も一つしか持っていませんよ」
 ガイドが言った。どうも彼は色々と持っているようだ。
「まあ拳銃は持っているだけでかなり違いますけれどね。ただし念の為にもっと強力なものを持っておくにこしたことはありません」
「わかりました」
「あとは・・・・・・」
 彼はここで顎に手を当てて考え込んだ。
「ムングワが何匹いるかですね。今のところ一匹だけのようですが」
「何匹いると思われますか!?」
 僕は館員に問うた。
「私は一匹だけだと思います」
 彼は答えた。
「被害者の傷跡は全て同じものなのです。そして同時に事件が起こったことはありません」
「成程」
 僕達はそれを聞いて頷いた。
「ですが一匹だけでもかなり危険であることは変わりませんが」
「それはわかっています」
「そして夜行性のようですね」
 ネコ科は本来夜行性のものが多い。
「いつも夜に出没していますね。事件が起きるのも夜です」
「そういえばそうですね」
「これでかなりのことがわかってきましたよ」
 館員はそう言うと微笑んだ。
「ムングワは一匹だけ、そして夜にしか出ない。そうとわかれば対処法もかなり限られます」
「ですね。要するに夜にだけ注意していればいいと」
 ガイドはそれを聞いて言った。
「簡単に言えばそうです」
 彼は答えた。
「では夜に罠をはると」
「ええ。警察にはそう進言しましょう」
「それはいいですね」
「多分貴方達も協力することになりますよ」
「どうしてですか!?」
「発見者ですし実際に戦っていますからね。貴重な存在なのですよ」
 正直嬉しくはなかった。またムングワと出会うのは勘弁願いたいことだった。
「多分貴方達に拒否権はないかと」
「・・・・・・でしょうね」
 相手が警察だと諦めるしかない。断ってもいいことはない。僕達は仕方なくそれを了承することにした。
「運が悪いな」
「何かえらく不満みたいですね」
「うん、あまり警察というのは好きじゃないんです」
「それは私もですよ。いつも威張り腐っていますから」
「僕が嫌いなのはそういう理由じゃないんですよね」
 僕はいささか顔を歪めて言った。
「じゃあどうしてですか?」
「いや、親戚に警官がいるんですけれどね。これがまたえらく真面目な人物でして」
「いいじゃないですか、警官は真面目なのに限ります」
「あまり度が過ぎると。正直あまりにも口うるさくて困っているのです」
 何しろ常にガミガミ怒っているのである。朝早くから素振りをするのはいいがそれを家族にも強制する。僕も彼の家にいる時には必ずやらされる。僕はあまり剣道は好きではなくどちらかというとテニスやバスケが好きなのだが。
「それはまた」
「そんな人がいたら迷惑でしょう?酒も煙草も女も駄目だというのですから」
「・・・・・・一体その人は何が面白くて生きているのですか?」
 ガイドは不思議そうな顔をして僕に尋ねてきた。
「何でも正義を守ることだとか。一歩間違えなくても正義の味方です」
「そんな人が本当にいるんですね」
「身近に持つと大変ですけれどね」
 これは全くの本音である。本人に悪気は全くないのだから手の施しようがない。最悪である。
 何はともあれ捜査への協力だ。昼は事故現場の調査である。これはあまり問題がなかった。 
 問題なのは夜である。ムングワの捜索である。
「僕達のグループは四人ですか」
 僕とガイド、医者、そして引っ張って来られた博物館員である。
「こうして見るとチグハグなメンバーだなあ」
 どう考えても戦える顔触れではない。ガイドは銃は得意なようであるが勇敢ではない。僕にしろはっきり言って何の戦力にもなりはしない。しかも医者と博物館員である。囮かと思った。
「実は私は密猟者の取り締まりをやっていたのですが」
 館員がここで言った。
「え!?」
 これには僕もガイドも驚いた。
「あの、密猟者の取り締まりといいますと」
 日本にいるある作家もそれをやっていたという。かなりの体力及び格闘能力がないと務まるものではない。
「ですからある程度は戦えるつもりです」
「そうですか、それは有り難い」
 これは本心からそう思った。こうした人がいると心強い。
「お医者さんはどうなのですか?」
「私ですか?一応以前軍にいたことがありますが」
 これもよくあることだ。軍医出身である。
「では銃の使い方とかは」
「はい、心得ておりますよ。それに警察におりますし」
「では貴方も大丈夫ですね」
「少なくとも自分の身位は守りますので」
 では心配なのは僕だけとなるわけだ。とりあえず拳銃の扱い方は覚えたが。
「散弾銃お貸ししましょうか?」
 ガイドが僕に言ってきた。
「お願いします」
 僕はこの勧めを受け取った。正直自分の身だけは守りたかった。他の人に迷惑をかけるわけにはいかない。
 僕達は夜の街に出た。そしてムングワが今まで出た場所を回った。
「こうして見ると出没する場所がかなり不規則ですね」
 僕は地図を見て言った。
「普通は縄張りの範囲内で動くものなのに」
「この街全体が縄張りだとしたらどうでしょう」
 館員がそれを聞いて言った。
「そうすればムングワがこの街に不規則に出るのかわかりますよ」
「ですね」
 だとするとムングワの縄張りはかなり広いのだろうか。少なくともこの街全体を覆う程に。
 今のところ線は引けない。縄張りの中心すらわからないのだ。
「出て来る場所の地形も決まっていませんね」
 藪の中に出ると思えば市街地にも出る。役所のすぐ側に出たこともある。
「今やこの街はムングワの家のようなものなのでしょう」
 医者が言った。
「そして我々は奴の玩具なのです」
「殺される為の」
「・・・・・・はい」
 彼は僕の言葉に頷いた。
「忌々しいことですが今の状況はそうとしか言えません」
「ですね」
「そうした状況を打ち消す為にも我々は奴と奴を操る者を捕まえなければならないのです」
 僕達は彼のその言葉に頷いた。そして夜の街を進んでいった。
 もう夜の街を歩く者は誰もいない。警官達の捜査チームが歩き回っているだけである。
「そちらはどうか」
 医者はレシーバーで他のチームに声をかけた。
『異常なしです』
 レシーバーの向こうから声が聞こえてきた。
「そうか」
 医者はそうして他のチームに連絡をかけたが返事はどれも同じであった。
「どうやら今のところは何もないようですね」
「このまま出なかったらいいんですけれどね」
 ガイドが息を出して笑いながら言った。
「それでは捜査の意味がありませんよ」
 僕は彼に苦笑して言った。
「怖いですから」
 彼は困った顔をして答えた。
「それはそうですけれどね」
 気持ちはわかるがそれだと話ははじまらない。実は皆ムングワには会いたくはない。けれど見つけ出さないといけないのだ。よくあるパラドックスである。
 僕達はそのまま街中を調べ回った。だがやはりムングワの影も形も見当たらない。
「今日は出ないのかな」
 僕はふと思った。その時だった。
「!?」
 小路に何かを見た。
「あれは・・・・・・」
 間違いない、店の奥にいた女の人であった。
「ここは店からはかなり離れているのに」
 僕は不思議に思った。女性はそのまま小路に消えていった。
「どうしました?」
 三人は僕に尋ねてきた。
「いえ、さっきね」
 僕は店でみかけた女性が小路にいたことを言った。
「よりによってこんな時に・・・・・・」
 彼等は顔を見合わせた。
「小路に行きますか?」
 僕は彼等に尋ねた。
「行かなくてはならないでしょう」
 館員と医者はいささか強い声で言った。
「あまり行きたくはないですけれどね」
 ガイドは情ない声で言った。
「これで決まりですね」
 医者が言った。こうして僕達は小路に入った。
 前は医者と僕が、後ろはガイドが見張っている。そして上は館員が見張っている。やはりムングワの奇襲が怖かった。
 小路を出るとそこは街の裏道であった。左右に小さな塵が散らばっている以外は何もない。
「あれ」
 医者が前を指差した。見れば一人の女性が前を進んでいる。
「あの人ですか?」
 彼は僕に尋ねた。
「はい」
 確かにそうだった。僕は頷いた。
 僕達は追った。こんな時に一人でいるのは自殺行為だ。保護しなくてはならなかった。
 裏道は今度は左右に分かれていた。すぐに見回す。右に見えた。
「それにしてもこんな道をよく知っているな」
 ガイドはふと呟くように言った。
「私でもこんなところは知らないのに」
 そういえば不思議だ。店から離れたこんな場所で一人で何をしているのだろう。しかもこんな時間に。
(おかしいな)
 僕はその時妖気にも似た不吉な感触を覚えた。
 女性は今度は左に消えた。十字路だった。僕達は左に曲がった。
「グルル・・・・・・」
 そこで後ろから声がした。
「まさか!」
 僕達は一斉に振り向いた。やはりそこにいた。
 ムングワだ。奴は血に飢えた眼で僕達を睨んでいる。
「クッ!」
 三人がすぐに銃を撃った。だが奴はそれより早く跳んだ。
 僕達の上に来た。そしてガイドに襲い掛かって来た。
「クソッ、離せっ!」
 ムングワは爪で引き裂こうとする。しかしガイドは銃でそれを防ぐ。
「させるかっ!」
 そこへ館員が蹴りを入れた。靴の先端で奴の顔に蹴りを入れる。
 これはかなり効いた筈だ。奴は後ろに跳び退いた。
「大丈夫ですか!?」
 医者と館員が前に出る。僕はガイドに駆け寄った。
「ええ、何とか。攻撃は受けませんでしたし」
 どうやら無事だったようである。とりあえずはホッとした。
 だが前にはまだ奴がいる。牙と爪を剥き出し僕達に襲い掛かろうとしている。
 医者が発砲した。だがそれを壁を三角に跳びかわす。恐ろしい運動神経である。
 そして僕達の背に来た。慌てて後ろを振り返る。
「何て身のこなしだ・・・・・・」
 流石にこれには困惑させられる。どうやらこの場所は奴にとっては格好の狩場らしい。
 だが退くわけにもいかない。ここで遭ったが最後何とか始末しておきたかった。
 それは容易なことではない。下手をしたら僕達全員奴の餌食とされてしまうだろう。背筋に冷たいものが流れた。
「気をつけて下さいよ」
 医者は奴から目を離すことなく僕達に言った。
「軍用犬でもここまでの動きをするのはいませんよ」
「ええ、ライオンや豹でもここまでの奴はいませんね」
 館員も言った。それは真実だろう。何よりも奴から感じられる気がそれを教えていた。
 奴はとりわけガイドを睨んでいた。見れば後頭部の傷がまだ残っている。そのことを恨んでいるのだ。
「糞っ、さっさと死ねばいいのにな」
 彼はそれを見て忌々しげに呟いた。
「俺はまだまだ楽しみたいってのによ」
 そう言うと銃を撃った。だがそれはかわされた。
 ムングワは上を三角跳びの要領で跳んでいく。そして建物に上に消えた。
「来ますよ」
 館員は上を見上げながら言った。僕達は身構えた。
 何時来るか、それが問題であった。おそらく奴は建物の上から僕達の隙を窺っているのだ。
 喉が鳴った。唾を飲み干す音が聞こえる。
 来た。やはり上からだ。
 牙と爪を剥き出しにして降りて来た。まっすぐに僕達を睨んでいる。
「クッ!」
 皆銃を乱射する。だが当たらない。
 僕も身構えた。やらなければこちらがやられる。
 僕はこの時はじめて引き金を引いた。そして銃が火を噴いた。
 凄まじい反動だった。思わずその場に倒れた。
 銃弾は散らばり奴に襲い掛かった。そしてその全身を傷つける。
「グオオオオオ・・・・・・」
 奴は無様に地に落ちた。全身から血を噴き出している。
 だが立ち上がった。そして形勢不利と見たか踵を返した。
「クッ、待て!」
 僕達はそれを追って撃った。だがそれは当たらず奴は路の中に消えていった。
「しまった、逃げられたか」
 僕達は歯噛みした。だが奴に深手を負わせることはできた。
「これで奴は暫くは動けませんね」
 医者は路に残った血痕を見ながら言った。それは闇夜の中でも赤く光っていた。
「ええ、この血の量を見ると致命傷に近いですし」
 館員もその血を見て言った。
「それにまた重要な手懸かりを手に入れましたよ」
 それはこの血である。彼等はそれを見て会心の笑みを浮かべていた。