野獣 第四章
作:坂田火魯志





 翌日早速その血が調べられた。調べたところそれは豹の血とほぼ同じだという。
「というと大型の豹でしょうか」
 僕は館員に対して尋ねた。
「そう考えるのが一番妥当でしょうけれどね」
 彼は難しい顔をしながら答えた。
「けれどあんな大きな豹となると」
「突然変異種であるとか」
「それは考えられますね。だとしたら説明はつきますが」
 しかしそれでもやはり不自然であることに変わりはない。
「ところで奴は一体何処に消えたんでしょうかね」
 今度はガイドが尋ねた。
「それが全くわからないのです」
 ここで医者が僕達のいる研究室に入ってきた。
「わからないとは?」
「血痕が消えていまして。どうして消したのかはわかりませんが」
「そうですか」
 建物の上から逃げたのだろうか。それなら納得がいくが。
「建物の上から逃げたかも知れませんね」
「それは今調査中です」
 彼は答えた。
「そうですか」
 僕は納得した。そしてあの女性のことを口にした。
「ところであの路にいた女性ですが」
「はい、私はそのことをお聞きしたいのです」
 医者だけではない。他の二人も僕に顔を向けてきた。
「何処で見かけたのですか?」
 それは重要な捜査の手懸かりとなる。皆僕の言葉に神経を集中させた。
「とある土産物屋なんですが」
「あそこですか」
 ガイドはすぐにわかったようだ。
「どうやら貴方もご存知のようですね」
「はい」
 彼は医者の言葉に頷いた。
「ではすぐにそちらに向かうとしましょう。ただし」
 彼はここで表情をさらに険しくした。
「変装していった方がいいでしょうね。顔を知られている可能性が高いです」
「ですね」
 彼女がムングワと関係があるとしたら。そうした用心は必要であった。
 
 僕達はその店に向かった。店は開いていた。
「いらっしゃい」
 店にいたのはその女性であった。
 黒い肌に黒くあまり縮れていない髪を持っている。すっきりした目鼻立ちに均整のとれた身体を持つ美しい女性だ。緑のシャツに赤いスカートを身に着けている。
(彼女だ)
 僕はそれを見てすぐにわかった。だがそれは必死に心の中に隠した。変装しているといっても下手なことをしては
気付かれてしまう。
「何かいいものはありますか」
 僕達は旅行客を装って話を聞いた。そしてちょっとした買い物を済ませると店を後にした。
 去り際に僕は気付いた。彼女が首に何かしら細長い小さなものをぶら下げているのを。
「どうでしたか」
 警察に戻ると医者は僕に対して尋ねた。
「間違いありませんね」
 確信した。あの路にいたのは彼女だと。
「そうですか」
 それを聞いて他の二人も頷いた。
「どうやら彼女がムングワと密接な関係があると見ていいですね」
「そう思います。ただ何故彼女が店に出ていたか不思議なのですが」
「どうしてですか?」
「いえ、いつもは老人が店番をしているのですけれどね」
「ほう、老人が」
 僕はその老人について詳しく話した。
「そうですか、おそらくその老人も関係していますね」
 医者はそれを聞いて言った。
「でしょうね」
 館員もそれに同意した。
 僕達はそれから今後の動きについて話し合った。結果今夜にも店に捜査に入ることとなった。
 
 そして店に向かった。僕達は夜の闇に隠れるようにして向かった。
「行きますか」
「はい」
 僕が先導を勤めた。そして店の裏口に回った。
 見たところ怪しいところはない。ごく普通の店の裏である。
「表にも人がいるのですか」
 僕は医者に対して尋ねた。
「はい、制服の警官達が向かっています」
「抜かりないですね」
 僕は正直に感嘆した。
「当然です。相手は化け物ですよ」
 医者は顔を引き締めて言った。
「化け物ですか」
「そう言わずして何と言いますか?」
「・・・・・・いえ」
 これには僕も反論できなかった。確かに奴は化け物だった。
 僕達は左右に散り扉の前に来た。そしてその扉をゆっくりとこじ開けた。
「いきますよ」
 医者がこじ開けている。軍では特殊部隊にいたのであろうか。やけに手馴れている。
「行きましょう」
 扉は簡単に開いた。どうもあまり大した扉ではなかったようだ。見ればかなり古い。
 僕達は銃を構えながら中に入った。そして部屋の中を懐中電灯で照らした。
「気をつけて下さいよ。何時何処から襲い掛かって来るかわかりませんよ」
「・・・・・・はい」
 医者の言葉は実感があった。僕達は少しずつ手探りのような状況で進んでいった。
 入口には何もなかった。見ればそこにも警官達が来ている。
「これで完全に包囲しましたよ」
 医者はそれを見て満面に笑みを浮かべた。
「逃げられるものではありません」
 かなりの自信があるらしい。闇夜の中に浮かぶ警官達の顔を見た。見れば精悍な顔立ちの者ばかりである。精鋭なのであろう。
 次の部屋に入った。その後を数人の警官が続く。
 そこは調理場であった。見たところ誰もいない。
「油断は禁物です」
 そこで館員が言った。
「ここは危険なものが一杯ありますから」
「確かに」
 ガイドがそれを聞いて声をあげた。確かにここには包丁や鍋といった凶器となり得るものばかりある。
 僕達はやはり少しずつ慎重に進んだ。ムングワが潜んでいるかと思うとやはり怖かった。
 だが結局ここにもいなかった。すぐ側で音がする。どうも店の品物が置かれているところにも警官達が入って来ているようだ。
「開けますよ」
 耳を澄ませてそれを聞いていた僕に対し医者が声をかけた。見れば左の部屋の扉の前にいた。館員やガイドも一緒
である。
「は、はい」
 遅れた形になった。僕はすぐにその扉の前に向かった。
 扉が開かれた。そして中に入った。
 そこは寝室だった。粗末なベッドが一つと鏡や化粧道具等が置かれている。服は壁にかけられている。この国特有の長い服である。
「あの女性の寝室でしょうか」
 僕は医者に対して尋ねた。
「おそらく」
 彼は答えた。そして早速部屋の中を調べはじめた。
 くまなく捜した。だが何もなかった。
「何もないですね」
 僕はベッドを調べながら言った。
「ええ、ここにもないかな」
 ガイドも館員も化粧鏡や服を調べている。だが結局何も見つからない。
「ベッドには結局何もないな」
 懐中電灯を使って調べたが結局何も見つからなかった。今度はその下を調べた。
「ここにもないかな」
 僕はその下にも光を当てた。やはり何もなかった。かに見えた。
「ん!?」
 少し色が違う部分があった。
「床の色が違うのか?」
 僕は最初はそれを単に貼りかえるありしたものだと思った。だが違うようだ。
 ベッドをどかしてよく見ることにした。すると四角くその部分だけ色が異なっていた。
「どう思いますか?」
 僕は他の三人をその場に集めて問うた。
「そうですね」
 医者はその部分を手でコンコンと叩いていた。
「どうも匂いますね」
 色が違う部分を叩く。音が異なっていた。
「よく調べてみましょう」
 その周りも調べてみた。するとやはりあった。
 何とそこが外れたのだ。そして中から階段が現われた。
「行きますか?」
 医者は僕達の顔を見て尋ねた。
「当然です」
 ここまできてそれを断る者もいない。僕達は意を決した。
 階段を降りて行く。その後ろに警官達が続く。
 全て降りた。そこは鉄の扉であった。
「いけますか?」
 僕は医者に顔を向けた。
「任せて下さい」
 彼はそう言うとその前に行った。そして鍵の前で作業をはじめた。
 すぐに開いた。そして僕達はその扉をゆっくりと開けた。中から炎の光が見えてきた。
 ゴクリ
 喉が鳴った。僕達は扉の中に入った。
 そこは何かの祭壇であった。炎で部屋中が照らされ部屋の中央にその漆黒の祭壇がある。
 その中心に巨大な木像が置かれていた。
「これは・・・・・・」
 それは巨大な豹の像であった。いや、違った。
「ムングワですね」
 館員がそれを見て言った。そうだった。確かにそれはムングワだった。
「間違いないですね」
 ガイドもその像を見て言った。
「けれど何故こんなところに」
「それは決まっているわ」
 そこで女の声がした。
「まさか・・・・・・」
 僕達はその声がした方を振り向いた。そこにあの女がいた。
 彼女だけではなかった。あの老人もいた。全身に無数の傷を負っている。
「その傷は・・・・・・」
 僕はその傷に見覚えがあった。あの時の散弾銃の傷だ。
「そうよ、あの時の傷よ」
 彼女は僕に対して答えた。
「祖父をよくも傷つけてくれたわね」
「祖父・・・・・・」
 僕は彼女の怒りに震える声を聞いて眉を顰めさせた。
「そうよ、祖父はムングワに姿を変えることができるのよ。偉大なる我等が神に」
「神・・・・・・」
 一種のシャーマニズムであろうか。にわかには信じられなかった。
「我々は古くよりサバンナで生きてきた。偉大なるムングワの庇護の下」
 どうやらムングワというのは彼等の神のようだ。話からすると彼等は元々はサバンナで暮らしていた部族だったのであろう。
「しかしそれはあの愚か者達により壊された」
「愚か者!?」
 僕はどうせ白人とでも言い出すのだろうと思った。だが違った。
「あの隣の部族の者達が我等が住処を奪ったのだ」
 部族同士の抗争のようだ。これもよくある話だ。アフリカは多くの部族が分かれて暮らしている。中には今だに激しい抗争を繰り返している部族もある。
「我等のとる方法は一つ、血には血で清めるだけ」
「それがタンザニアで昔起こった事件か」
「そうだ」
 これであの時の事件の謎が解けた。彼等は復讐を行なっていたのだ。
「だが一つ聞きたい」
 僕は問うた。
「何故貴様等はここにいる?貴様等の故郷はサバンナではないのか」
「知れたこと。ここにも仇がいたのだ」
「こんなところにも!?」
「そうだ、奴隷として売られる筈であった者達がな」
「奴隷・・・・・・」
 それを聞いてガイドも医者も館員も顔色を暗くさせた。
 かってアフリカ西海岸は黄金海岸と呼ばれていた。それは何故か。奴隷貿易で潤っていたからである。
 アフリカは長い間奴隷の供給地であった。多くの黒人達が奴隷として集められ売られた。アフリカ系アメリカ人達もその祖先は奴隷であった。彼等の多くは抗争により敗れ勝者に売られた者達だ。アフリカは決して一つの血で支配されていたわけではなかった。
「だが彼等に罪はないだろうに」
「そうだ、彼等が君達に何をしたというのだ!?」
 僕達は反論した。幾ら何でも奴隷としてここまで連れて来られていた者達の子孫に罪があるとは思えない。
「それは貴方達にはわからないことだ」
 彼女は言った。
「血の報復は永遠に続くものなのだ」
「血の報復か」
 僕はそうした考えはあまり好きではない。あからあえて皮肉を言うことにした。
「では何故僕達を襲った」
 最初の襲撃のことを問い詰めた。
「それは決まっている」
 彼女は落ち着いて言い返した。
「私達のことを嗅ぎ回っていたからだ」
「確かに」
 僕もムングワに興味をもちここまで来た。それを否定するつもりはない。
「復讐を完全に終わらせる為に。邪魔立ては許さん」
「・・・・・・そうか」
 ここまでくると最早狂気である。どうやら殺戮そのものを目的とするカルト教団ではなかったが考えようによってはそれよりも性質が悪いかも知れない。
「そして偉大なるムングワに傷をつけたその罪は重い」
「襲われて反撃するのは当然だと思うが」
「ムングワの手により死ぬ。この上ない名誉だとは思わないのか」
「全く」
 正直狂ってると思った。そんなもの有り難いと思う人間がいるのだろうか。
「・・・・・・愚かな」
「少なくとも僕はそうは思わない」
 ここまできたらもう命も惜しくはない。思いきって言った。
「そんな知りもしない過去の先祖のことで殺された者にとってはいい迷惑だ。無意味に命を奪われる者の身にもなってみるがいい」
「どうやら血の尊さがわかっていないようだな」
「少なくともあんた達よりはわかっているつもりだ」
 僕は言い返した。
「血の絆は復讐とは関係ない。愛情とは関係あってもだ」
 両親から教えられたことをそのまま言ったに過ぎない。だが血の報復よりは確実に立派な考えだと思った。
「あんた達のそれはただの虐殺だ。報復に名を借りた単なる殺戮に過ぎない」
「我等の報復をそのように愚弄するか」
「だったら反論してみろ。違うという反論をな」
「・・・・・・許せん」
 どうやらこれが反論のようだ。
「我々を愚弄するとは。最早生かしてはおけぬ」
 最初からそのつもりはないだろう、と言いたかったが時間がなかった。彼女は首にかけてある笛を吹いた。
 何やら空気を切り裂くような音が聞こえた。そして老人が急に姿を変えはじめた。
「いよいよか・・・・・・」
 僕達はそれを見て喉を鳴らした。目の前で老人の姿が瞬く間に変貌していく。
 全身が毛に覆われていく。そして顔が変貌し豹のようになっていく。
 すぐに四本足で立った。そして尻尾が生えてきた。
「グルル・・・・・・」
 そこには奴がいた。あの野獣、ムングワである。
 彼女は再び笛を吹いた。ムングワはそれを合図に床を蹴った。
「ウワッ!」
 僕達に襲い掛かって来た。負傷しているとは思えない素早さである。
「偉大なるムングワよ」
 彼女は感情の篭っていない声で言った。
「その愚か者達を貴方に捧げます」
 つまり僕達は生け贄というわけだ。たまったものではない。
 ムングワは尚も僕達に襲い掛かって来る。左右に跳び爪で切り裂かんとしてくる。
「クッ!」
 僕達は銃で狙おうとする。だがとても狙いを定められない。
 あの女を狙おうにもムングワに手が一杯でそれどころではない。その間に傷だけが増えていく。
「どうやらムングワの生け贄になる運命だったようね」
「何を・・・・・・」
 僕達は歯噛みした。だがとてもそれに対して言い返す余裕はなかった。
 ムングワの攻撃は続く。それと共に僕達は傷を負い徐々に動きが鈍ってきた。
 このままでは死ぬ、そう思った。何とかしなくてはならない。
(しかしどうやって・・・・・・)
 女を狙う余裕はとてもなかった。ムングワの攻撃を避けるだけでも必死である。
 その時だった。扉の方から音がした。
「ここでしたか!」
 警官達だ。どうやら僕達の助っ人に来てくれたらしい。
「探しましたよ。家の何処にもいないんですから」
「隠し階段はそのままにしておいた筈だが」
 医者はそれを聞いて苦笑した。
「いえ、暗くて。中々見つからなかったのですよ」
「そうか、それにしても遅いぞ」
「すいません、けれどその分は働きますよ」
 警官達はムングワと女に向かおうとした。
「君達は女を頼む」
 医者は言った。
「ムングワは我々がやる」
 彼は強い声で言った。
「それでいいですね」
 それから僕達の方を振り向いた。
「はい」
 ここで下手な犠牲を出すよりは。この四人で倒したかった。
 僕達はムングワに向き直った。そして睨みつけた。
「いきますよ」 
 医者が奴を睨んだまま僕達に言った。僕達はそれに対し頷いた。
 まず医者が発砲した。ムングワはそれを上に跳びかわした。
 そのまま僕達に襲い掛かる。だがそこを館員の足が襲った。
 格闘技でいう踵落としだ。まず上に跳躍し振り下ろした。
 それがムングワの脳天を直撃した。芸術的な程綺麗に決まった。
 そこにガイドが銃を放った。直撃こそしなかったが奴の右眼を掠めた。
「ガッ」
 ムングワが呻き声を出した。どうやら瞼のところで防いだらしい。しかし血が眼に入った。
 それで見えなくなった。片目を失いさしもの奴も動きが鈍くなってきた。 
 それだけではない。見たところ女が警官達と死闘をはじめてからその動きが少しずつ遅くなってきている。どうやらあの女の笛によりコントロールされていたらしい。
「やはりな」
 あの笛は犬笛と同じだったのだ。ムングワを意のままに操る笛だったのだ。
 横目で女を見る。警官達を相手に棒を取り出し戦っている。見たところ彼女もかなりの戦闘力だ。
 しかし多勢に無勢だった。やがて息切れし捕まることだろう。
 それよりもムングワだった。こいつを倒さないと話は終わらない。僕達は奴に銃を向けた。
 奴が身を屈めた。力をためている。次の動きはわかった。
 跳んできた。予想通りだった。それも僕のところに来た。
 これまでだったらかわすしかなかった。だが今はその動きがあきらかに鈍っていた。
「いける」
 僕は咄嗟にそう思った。そして奴の開いた口に散弾銃を入れた。
 そしてトリガーを引いた。不思議と力は入らなかった。
 すぐに衝撃が全身を襲った。僕はその衝撃に身をのけぞらせた。
 銃身から炎が吹く。それは奴の口の中を襲った。
 無数の銃弾が奴の体内を荒れ狂った。流石にその中を守るものはなかった。
 全身がまるで爆発したように膨張した。そして銃弾が皮を突き破らんと暴れ回る。
 だがそれも止まった。ムングワはそのまま前に落ちていった。
「終わったか!?」
 僕はそれを見て呟いた。ムングワは前に倒れた。
 そのまま動かなかった。さしもの化け物も体内を破壊されてはどうしようもなかった。
「お祖父様!」
 女がムングワの死を見て叫んだ。だがそこに警官達が襲い掛かる。
「クッ!」
 だが彼女はここで信じられない力を発揮した。そして警官達を退けた。
 そのままムングワへ駆け寄る。今までとは信じられない程小さくなったように見えたその亡骸を抱えた。
「これで我等の報復は・・・・・・」
 さしもの血の報復もムングワがいなくてはどうにもならないようだ。彼女の顔が絶望したものになった。
 しかしそれは一瞬であった。彼女はキッと顔を上げた。
「こうなったら」
 壁に飛び移り松明の一つを手にとった。そして祭壇に投げ入れた。
「何っ!」
 祭壇は忽ち炎に包まれた。それはすぐに地下室全部に行き渡った。
「死してこの身を捧げるのみ。報復がならなければ生きている意味もない」
「何と・・・・・・」
 最早そこには一欠の雑念もなかった。最早それは絶対であった。
「ならば死してこの身を神に捧げるのみ!」
 信じられない速さであった。彼女は炎の中に飛び込んだ。そしてその中に消えていった。
「何という女だ・・・・・・」
 僕は突然目の前で起こったこの光景に我を失った。暫し呆然とした。
「逃げましょう!」
 その僕を引き戻したのはガイドの声だった。
「急いで下さい。火がすぐそこまで来ていますよ!」
「えっ」
 気付いた時には部屋もう炎の海の中であった。警官達も皆逃げ出していた。
「行きましょう、このままだと丸焼けになりますよ!」
「は、はい!」
 ガイドに手を引かれるようにして僕はその部屋をあとにした。扉を潜り抜けた時炎がそこから出ようとした。
 何かが落ちる音がした。あの巨大なムングワの像が落ちたのであろうか。
 炎は僕達を追うように上に登ってきた。僕達はそれから逃れるようにして家を脱出した。
 最後に家を出たのは僕だった。そのすぐ後ろで炎が燃え盛る音がした。
「終わったな」
 僕は振り返った。見れば家は全て紅蓮の焔に包まれている。
 炎は全てを焼き尽くさんとしていた。家は瞬く間に焼け落ちすぐに炭の山となった。
「これでムングワも死にましたね」
 僕はその炭の山を見ながらガイドや医者に言った。見れば炭にはまだ火がついている。
「ええ。意外な事実でしたけれどね」
 医者はその焼け落ちた家を見ながら呟くようにして言った。
「まさか人が変身していたなんて」
「アフリカにもあったんですね、人が獣に変身するのは」
 この時僕の念頭にはヨーロッパの狼男があった。
「アフリカにもこうした話はありますよ」
 館員はそんな僕に対して言った。
「狼男はいませんがね」
「わかりましたか」
「ええ。変身といえば皆まずそれを思い浮かべますから」
 そうだった。僕も狼男のことはハリウッドの映画で散々見てきた。
「アフリカの歴史は長いですからね。こうした話は各地にあります」
「そうなのですか」
 これは少し意外であった。
「ライオンや豹、ガゼル、中には象に変身する話をありますね。呪いや魔術等が殆どですが」
「やはり」
 これはどの国も同じか。我が国の変身譚もその多くは呪術であったり血筋によるものだったりする。その根底にはトーテミニズムがあるのだろう。
「しかし実際にこの眼で見たのははじめてです」
「・・・・・・・・・」
 皆その言葉に言葉を失った。
「まさか本当にこうして変身するとは。どうやら信仰によるものでしょうが」
「一種の魔術ですね」
「はい」 
 館員は僕の言葉に答えた。
「彼は信仰によりムングワに変身したのでしょう。ムングワは彼等にとっては神だったのです」
「その証があの巨大な像」
 僕は祭壇に置かれていたあのムングワの巨大な像を思い出した。
「その通りでしょうね。あの像にどんな力があったかはわかりませんが」
 彼は言葉を続けた。
「彼がムングワに変身したのはまごうかたなき事実です」
「事実ですか・・・・・・」
「はい、夢ではありません」
 彼は言った。
「その証拠に我々は今こうして傷を負っています」
 それが何よりの証拠であった。
「それにしても手強い奴でしたね」
 ガイドが前に出て来た。
「銃も全然通用しないし。正直駄目かと思いましたよ」
 彼は口の端を少し歪めて笑った。
「ええ。まさかあんなに素早いとは」
 僕もそれに対しては全く同意見であった。
「けれど女の笛が途絶えてから動きが鈍くなりましたね」
「あれは犬笛だったのでしょうね」
 館員がそれに対して言った。
「笛でムングワを操っていたのでしょう。だから笛が吹けなくなると」
「自然にムングワの動きも鈍くなったと」
「そういうことです」
「成程」
 僕達は館員のその言葉に頷いた。
「それでもあれは思いつきませんでしたよ」
 ガイドはここで僕に話を振ってきた。
「まさか奴の口の中に散弾銃をぶっぱなすなんて」
「あれはたまたまですよ」
 僕は苦笑して答えた。
「奴が僕に口を開いて襲い掛かって来ましたからね。咄嗟にああしたのです」
「それでもあんなことはそうそうできませんよ」
「そういうものですかね」
 実際にまだ実感はない。あの時の光景はこの目にはっきりと焼きついているがまだ何処か夢のようである。これは何故だろうか。自分でもよくわからなかった。
「それであの化け物を倒したんですから。お手柄ですよ」
「そう言ってもらえると悪い気はしませんね」
「ええ、今からそれを祝いませんか」
 ここで医者が顔を綻ばせながら言った。
「祝うとは?」
 僕はそれに対して尋ねた。
「宴会ですよ。ムングワも倒したし事件も解決した。それを祝おうじゃありませんか」
「それはいいですね」
 酒の好きなガイドが身を乗り出してきた。
「それでは私も。丁度今日は休みですし」
 館員もそれに賛成した。
「貴方はどうしますか?」
 三人は僕に尋ねてきた。
「決まっているじゃありませんか」
 僕は満面の笑顔で答えた。
「仕事のあとにはお酒はつきものです」
「わかりました」
 三人は僕の言葉に笑顔で頷いた。こうして僕達は医者に連れられ勝利を祝う宴に向かった。
 ふと空を見た。もう夜があけ朝日が昇ろうとしていた。
 
 宴が終わり数日経った。僕の帰国の日がやって来た。
「いやあ、信じられませんでしたね」
 僕はガイドが運転する車の中にいた。そして隣にいるガイドに対して言った。
「私もですよ。まさかムングワと戦うなんて」
 彼は車を運転しながら笑顔で僕に言った。
「ええ。調べに来たら本物に出会うなんて」
「しかも戦うとは。世の中一体何が起こるかわかりませんね」
「同感です」
 僕は答えた。車は今空港に向かっていた。
「おっとと」
 僕はここで車の天井に頭をぶつけた。
「ちょっと丁寧に運転してくれませんか」
 そして彼に対し注文をつけた。
「私は丁寧に運転していますよ」
「嘘でしょ」
 見ればメーターは100キロをとうに振り切っている。とてもそうとは思えない。
「いえいえ、本当に。速度の問題ではなく」
「速度が問題でしょう?」
「違いますよ。さっきは道路がへこんでいたからです」
「本当ですか?」
 ここでまた頭をぶつけてしまった。
「またですよ」
「スピードとは関係ありませんよ」
「本当ですか」
 その言葉は信じてはいなかった。何はともあれ僕達は空港に着いた。
「お待ちしていましたよ」
 そこに医者と館員もいた。
「来てくれたんですか」 
 まさか見送りに来てくれるとは思わなかった。これには正直驚いた。
「何水臭いこと言ってるんですか」
「そうそう、一緒に戦った仲じゃないですか」
「・・・・・・戦友ですか」
「ええ」
 二人は微笑んで答えた。
「一緒にムングワと戦ったね」
「そうですか。何だか嬉しい言葉ですね」
「そりゃそうでしょう。この国では最高の褒め言葉なんですから」
 医者は言った。軍人であった彼が言うと説得力がある。
「またお会いしましょう。今度は仲良く心ゆくまで酒を酌み交わしましょう」
「それはもうやりましたよ」
「何度でもですよ。酒というのは幾ら飲んでも飲み足りないものです」
 館員が言った。僕もそれには同意見だった。
「またいらして下さい。特上の酒を用意しておきますから」
「はい、楽しみにしてます。もし日本にいらした時はこちらが」
「ええ、日本の酒を飲みましょう」
「はい」
 僕達はこうして別れた。そして飛行機の中に入った。
 窓の外を見る。戦友達は何時までも僕に向けて手を振っていた。


野獣    完




                2004・5・26