Because It Is There〜選定の恋文〜 1 |
作:アザゼル |
ex1―p「12月24日 17時42分」
アトラクションタワーとして、高度成長期に建設されたビル――『ラプンツェルの塔』
舌を噛みそうなそのネーミングに反して、動員した客の数は日本内ではトップクラスの娯楽建造物。だが改築に改築を重ねて繁栄した『ラプンツェルの塔』も不況には勝てず、枝分かれしていた企業が軒並み手を引いていく中、最後まで残っていた資本元の社長が死去したのを境に取り壊しが決定される。取り壊しは来年に予定されていた。
灰色の凍えそうな寒空に、突き出した『ラプンツェルの塔』の屋上。
そこに今一人の人影がある。
黒い上下のスーツに身を固めた男――リュウジだ。リュウジというのが本名であるのかどうかは定かではなく、そしてそれは彼の仕事に別に支障となるものではなかった。
リュウジに与えられた仕事は、この取壊しの決定されたビルに時限爆弾を仕掛けることで、そしてそれは明らかに社会の歯車の外。つまり世間で言えばどうでもいいことだった。発破工事は年明けにはいずれ行われることであり、解体業者でもない彼がそれを行うのはなんの損益もない愉快犯にしか他人の目には映らないだろう。だが、そんな世間の目こそ、彼にとってはどうでもいいことだった。
どこを見据えているわけでもないリュウジの眼差しは、やはりどこに向けられるでもなく宙を漂っている。
眼下に広がる街でもなく、凍りついた空でもない。リュウジの向けられる先にあるものは、そういう目に見える情景ではなかった。
不意に、リュウジの黒いスーツのポケットが微かに振動する。それはスーツのポケットに入っている携帯電話のバイブレーションが起こす振動だった。
一瞬それを無視しようかと考えたリュウジは、だがすぐに思い直してポケットから携帯電話を取り出すと、耳に押し当てる。
同時に携帯から漏れてきたのは、女のやけにテンションの高い声だった。
――ハァ〜イ、リュウジ! イブは楽しんでる?――
「……何の用だ」
女のテンションの高い声に、リュウジが返した言葉は素っ気ないものだった。
だが、まるでめげた様子もなく、女は同じ口調で言葉を続ける。
――アハハハ! さては彼女にフラれたな、リュウジ? ダメよ、今の男はカッコイイだけじゃ……――
「忙しい。切るぞ」
そう短く言って、リュウジは躊躇なく電源ボタンに手をかけた。後少し女が言葉を発するのが遅かったら、彼は間違いなく切っていただろう。
――ちょっと、ちょっと! 相変わらずシャレの分からない男ねえ。それに、忙しいなんてウソ。あんた、ただビルの上でぼんやりしてるだけでしょ。仕事も終わったみたいだし――
「リリィ……。また『視てた』のか? 相変わらずプライバシーも何もない奴だな」
女――リリィの言葉に、リュウジは僅かに顔をしかめる。同時に彼は、携帯を手にしたまま視線を暗くなりつつある空へと動かした。もちろん、そこには闇が霞んだような色の、何もない虚空が広がるだけだ。
――失礼ね。そういう場面は、なるべく見ないようにしてるわよ――
「……で、用件は?」
視線を空から戻し、リュウジはこれ以上リリィを相手にしないように逆に質問する。
――あなたには、会話のコミュニケーションとかないの? まあいいわ。とりあえず、そこに『分岐点』が向かっている。これが伝えたかったことよ。じゃあね――
「分岐点?」
聞き返した時にはすでに通話は一方的に切られていて、リュウジは切れた携帯に視線を落とした。
小さなディスプレイに映る「電源ボタンを押してください」の文字。
それをぼんやりと見据えながら、リュウジは一瞬思慮に耽り、それから考えるのを無駄と悟った後、元のスーツのポケットにゆっくりと戻す。
異変が起こったのは、リュウジが一連の動作を終え、ポケットに携帯を戻したのとほぼ同時だった。
『ラプンツェルの塔』の屋上に続く唯一の扉。それが激しく音をたてて開け放たれ、そこから勢いよく一人の少年が屋上に飛び出してくる。
黒い学生服に身を固めた細身の少年。
少年は屋上の広場――このビルは中央を吹き抜けにしているため、そこはまるでドーナッツのような形状だ――に出てきた瞬間、リュウジの姿を見つけると、迷わずそちらの方に向かって駆け寄ってきた。
少年が駆け出すのと同時に、再度屋上への扉が激しく開けられる。
飛び出してきたのは、少年と同じく学生服を身に纏い、手に鈍く輝く一丁の拳銃を持った少女だった。少女は恐ろしいほど整った顔を激しく歪めて、リュウジに駆け寄る少年を見つけると、凄まじい勢いで少年を追いかける。
それらをまるで遠い場所を映したテレビの映像を見るように、リュウジは眺めていた。
少年がリュウジの手の届く範囲まで近付く。
――瞬間、最後の異変が起こった。
『ラプンツェルの塔』全体に轟く轟音と、衝撃。
続けて起こる、理不尽な荷重による崩壊。
屋上の床に次々と広がっていく裂け目を見て、リュウジは胸中で叫び声をあげた。
(なんだってんだっ! まだ、爆発する時じゃないはずだぞ!?)
だがそんな胸中の虚しい叫びが始まった崩壊を止めるはずもなく、リュウジは仕方なく我が身をその時のために備えて身構えた。
あらゆる局面を想定し、訓練されたリュウジなら、この状況でも生き延びられる。
それを理解していたからこそ、焦りはなかった。もちろん、予想外に早く爆発した時限爆弾に対しての苛立ちはあったのだが。可能性としては、自分以外の誰かが、『ラプンツェルの塔』の各場所に設置したそれの起動装置を、知らずに押してしまったのだろう。全てがセンサーで同時誘爆を起こす仕掛けとなっており、一つでも起動プログラムが入ったら全部に命令が行き渡るようになっているのだ。
(リリィの言っていた『分岐点』てのは、このことか……)
もはや常人では立つことすらも困難なほど崩壊の進んだ床の上で、リュウジは先の携帯での会話を呑気に思い出す。と同時に、視界に先の少年が腕を自分に向けて伸ばす姿が映った。
少年の双眸が、リュウジをしっかりと見据える。
次の瞬間、一際大きな爆発音が起こり――『ラプンツェルの塔』、最後の崩壊が始まった。
伸ばした腕が陥没していく床と共に一瞬で落下していくのを見て、リュウジはまるで吸い寄せられるようにその腕を必死に掴む。
なぜそうしたのか分からない。
理屈とかそういうのではなく、自然に差し出してしまった手。
掴んできたリュウジの手を、少年もそうなることが当然だったと言わんばかりに握り返した。
自由落下しながらも、リュウジの体勢は着地の瞬間に備えて宙で構えられている。
腕の中の少年は、リュウジのスーツにしっかりと掴まりながら、身を任せていた。
二人の周りを崩れた瓦礫の破片が一緒になって落ちていく。
非現実な世界が総じてそうであるように、今二人を包む空間は、時がコマ送りで刻まれていた。
刹那の世界の中。
少年の口が小さな動きを見せる。
誰に向けられて放たれたのでもないその言葉は、だがしっかりとリュウジの耳には届いていた。
「……僕には、初めから分かっていたのかもしれない」