ベスト・パーティ ep.2
作:緑





ep.2 冒険のしたくとか。


 冒険者ギルドで『炎のダンジョン』のマップを買い、僕らは遅いお昼ご飯を食べた。
 二人は冒険から帰ってきたばかりだったので、荷物を置きに、これから僕の宿へと向かう――。


「本当に割にあわないクエストだったんだぜ?」
「そうですかぁ……災難ですねえ」
 赤髪の戦士――リフ・エバンスの言葉に僕――イーファ・ベルは頷いた。
 定食屋から宿に向かう途中。街は人ごみで溢れている。
「そうそう!『水』の神殿の精霊、全滅してたのよ? あたしの魔力を上げるどころじゃなかったわ! はるばる1ヶ月も旅させて……骨折り損のくたびれ儲け! 世の中狂ってるわ」
 整った容貌のエルフがことわざ? を言うのがおかしくて、僕は笑った。
「なによ、あんた人をバカにしてんの?」
 僕の顔をにらむエルフの少女――ティアナ・C(クレア)・オパール。
「いえいえ。そんなことはありませんよー」
 変に神妙な顔で僕は手を振って見せた。
「なんかむかつく……その態度」
 そう言ってティアナが、僕の赤茶けた髪を引っ張る。
「い、痛い! 痛いってば!!」
「なんで男なのにこんなに髪が長いのよ……」
「本当は女なんだろ? 嬢ちゃん」
「ち、違いますよお! 僕は本当に男です!!」
「かーっ! 一回ひん剥いてやろうかしら……」
「勘弁してよ! ティアナ!!」
 僕はまたしても大仰に痛がってみせた。
 その様子を見て2人が笑う。今日会ったばかりなのに、まるで昔からの友達みたいに。
 ――これがパーティってもんなんですよね。


 目的地である宿に到着したのは、夕方くらい。
 地方、とはいえ、ユマはこのあたりで一番大きい都市なだけはある。街の逆端のギルドからは歩いて20分以上かかる。
 まして2人はギルドに置いていた荷物まであったから尚更だ。
 夜の闇が目覚めようとして、薄暗いもやが出始めた。
 もやの中で、木造2階建ての、こぎれいな宿がそびえている。
 狼の咆哮が聞こえてきそうな――そんなゴシックな風景。
「イーファちゃん!」
 不精ひげを伸ばし、バンダナを巻いた宿の主人が中庭から駆け出してくる。
 ――年は50くらい。糸目で、どちらかというと宿屋の主人というより海賊っぽい。
 中庭の青々とした芝の上には、物干し竿と洗濯物がゆれていて、情緒をぶち壊していた。
「こんばんは、おじさん」
 僕は微笑んで、ぺこりと頭をさげた。
 この宿との付き合いももう一週間。おじさんはいつも駆け出して迎えてくれる。
「ダメだよ。イーファちゃん! こんばんは、じゃなくて、ただいま、だろう? 自分の家のようにくつろいでくれって言ったじゃないか!」
 おじさんが糸目をさらに細くして僕をにらんだ。
「ごめんなさい。それじゃ、ただいま……おじさん」
「うんっ! よろしい!!」
 おじさんは満足げに笑って、親指を立てた。
 そのまま背後に目をやり、「もしかして、パーティ組めたのかい?」と問い掛けてきた。
 おじさんは僕が冒険者(みならい?)だってことを知っている。教えたから。たぶん教えなかったら、そうは思わなかったに違いない……。
「ええ。組めたんですよ、パーティ」
 おじさんがしたように、僕もびしっと親指を立てた。
 僕の背後にいたティアナがぴょこっと顔を出しておじさんに話し掛ける。
「よろしくね、おっさん。あたしのイーファが世話になったようで。あたしはティアナよ」
「お、おい! ティアナ口悪すぎ――」
「はっはっは!! 面白い嬢ちゃんだ!! えらいべっぴんさんだなぁ! イーファちゃんとは違ったタイプだがなあ!」
「このパーと一緒なわけないでしょ」
 ティアナが心底イヤそうな顔をして言うと、「はぁっはっはっは!」とおじさんが豪快に笑った。
「――そちらの戦士さんはなんて言うんだい?」
 ひとしきり笑ったおじさんが、首を傾けてリフを見た。
「リフ。リフ・エバンスだ」
「そうかいリフ。私はリンディ・ジョーンズだ。イーファちゃんをよろしくな。あんたは頼れそうな男だ」
 そう言って、おじさんが手を差し出す。
「そらぁどうも。お眼鏡にかなって光栄だよ」
 リフが照れ臭そうに笑い、2人はかたい握手をした。
 手を離すと、おじさんは僕に向き直って言う。
「夕飯、用意しにいくよ。イーファちゃん、この二人の分もいるんだろう?」
「ええ、お願いします。おじさん」
 僕は首をたてに振った。
 途端、ティアナがいぶかしげな目で僕とおじさんを見る。
「なに、ここ? 客にいちいち夕飯まで出してくれるの?」
「イーファちゃんは特別なんだよ。べっぴんさん。私の娘、みたいなもんだからなあ」
「おじさん……僕は男だよ――って……もういない……しょうがないか」
 僕がげっそりして呟くと、おじさんは「なはははは!!」と、やはり豪快に笑いながら建物の中に消えて行った。
 リフがにやにやしながら僕を見ていた。
「さすがね。オカマも堂に入ってるわ……自他共に認めてる」
 ティアナが呆れたように言った。


「嬢ちゃんにアイアンメイルは無理だって!」
 翌日の午前。僕たちは冒険に向けて、街に買いだしに出ていた。出発は明日だ。
 今いるのは武具店。
 ティアナとリフはともかく、初めて冒険に出る僕は、装備から決めないといけないのだ。
「ええ? 僕ファイターなんだから、こういうゴツイのがいいよお」
「『レベル1』のくせに言うことはいっちょ前ね!」
 そう言ってティアナが僕にでこぴんをくらわせる。
 僕は、「痛い!」と叫んで額を押さえた。
 もう! 本当にティアナは乱暴だ!
「いやぁ。武器屋のあっしが言うのもなんでげすが、お客様にそれは無理ですわぁ」
「ほーらね」
 筋張ったガイコツみたいな店員の言葉に、ティアナが胸を張った。
 店員は30男で、変な喋り方をする。
「で、でも……僕、防御力が……」
「だぁら、どんな硬い鎧着てても、そのせいで動けなくなったら意味ないだろう?」
 呆れたようにリフが諭した。
 ――自分でも解ってるんだ。確かにね。僕にアイアンメイルなんて無理だ。でも、それを認めちゃうのは……男としてなんか。
「軽いアイアンメイルってないですか?」
「お客さーん。アイアンメイルは重いのが売りみたいなもんですわぁ。連れのニイサンくらいのガタイがないと無理っすねん」
「うう……そこを、なんとか」
 ――ゴン!
 そう音がするくらい(本当に音がするくらい)強く、ティアナが僕の頭を叩いた。
「あんたバカ? ないもんはないのよ! あきらめて皮アーマーとかにしときなさいよ」
「皮はやだよぉ。蒸れて臭そうだもん……」
 ……それに。
 これは内緒だが、僕の昔読んだ冒険小説の主人公の『女のコ』が着てたんだ。
 方向音痴の、マッパー兼詩人という。
 僕はファイターだし、ましてや『女のコ』じゃないからね! アイアンメイルがいいのさ!
「こんなのはどうだ? これな」
 そう言って、リフが吊り下げられていた銀色の部分鎧を差し出した。胸あて――プレートメイルだ。
 不自然なくらい輝いていて、竜が彫られている。胸の真中の所に、僕のピアスと同じルビーがはまっていた。
 持ってみると、信じられないくらい軽い。
 材質はよく解らないが、強度もかなり高そうだ。
「お目が高いですなあ! ニイサン! そいつはすげえもんですぜぇ。プラチナと鉄の合金に、魔法の宝珠まで埋め込まれてんでげすよ。全属性の攻撃を25パーセント軽減するっちゅうとんでもねえもんです」
 店員が歯を剥き出して笑った。
「そ、そうですか……」
 あいそ笑いをして、僕は考え込んだ。
 ――うーん。
 あれは確かにいい。竜とか入ってて、いかにも男っぽいのがいい。金属なのも男っぽい。
 問題はなあ……。
 たぶん高いと思うんだよねぇ。ものすごく。武器や防具って、そもそもすごい高いし、ものによっては信じられない値段がする物だってある。たとえば、例のケルベロスの皮のマントとか。下手したら家が1軒建っちゃう。それでもそういうのを買うのは命が掛かっているからなわけで……うーん。
 でもお金ないと買えないもんは買えないもんなあ。
「それ……いくらですか?」
「こちらですかぁ……50万メタですわぁ」
 う。高い。
 さすがに家とかいうレベルじゃないけど、高い。
 手持ちのほとんどだ。
 僕が首をひねっていると、ふいにティアナが僕を見た。
「心配しないでもお金ならあるわよ。あたしがプレゼントしてあげるわ」
「いや……こんな高いもの……悪いよ」
「あたしのお金をなんに使おうとあたしの自由よ」
 ――ゴツン!
 またティアナのこぶしが僕の頭に落ちた。
「い、痛い……!」
「パーティなんだから、当たり前でしょ?」
 ティアナの言葉に、僕は何も答えられずにもじもじとしていた。
「気にすんなよ嬢ちゃん」
 リフが優しい目で笑う。
「で、でもね」
「あんたが足手まといなのなんか最初から解ってるの!」
 そう断言されて、にらまれた日には返す言葉もない。
 暴力大好き人間の姫様(くらいえらそう)を守ろう、なんて思ってたのはどこの誰だったか……。


 結局、これはティアナの好意に甘えることにさせてもらった。
 せめて武器くらいは自分のお金で買おうと、安物のダガーを手に取ったら、店員がこう言った。
「ああ、これあっしがプレゼントしますわ」
 店員が古めかしい小刀を取り出した。よく解らないレリーフのついた茶色い柄の。
「これ、業物ですぜ。そのプレートメイルには劣りますけどな。『土』の加護がついてますねん」
 属性攻撃というのは魔法でもアイテムでも、その人自身の属性のしか使えないのだが、『土』というのは一般的な人間の属性なので、僕にも使えるのだ。
 ちなみに『土』は『水』に強く、『風』に弱い。
「そんな高価な物、いいんですか?」
 僕が驚いて尋ねると、店員が「お客さん、かわいいからサービスや。ははっ」と笑った。
 さらに、『冒険から帰ったらデート』とかよく解らないことを頼まれた。
 ごはんおごってくれるらしいから、OKしたけど――ティアナがピクピクしてたのはなぜ?
 一応お礼を言って僕らは店をあとにする。
 帰り際に店員がそっと耳打ちしてきた。
「お客さん、いい仲間をお持ちですな」、と。
 僕はスマイル全快で頷いておいた。
 そろそろお昼時だ。


「ティアナー、野菜もちゃんと食べようよー」
 武具屋を去って、訪れたのは昨日の昼と同じ定食屋。
 混み合った店内の、窓際の席に僕らは陣取っている。
 注文したのは、具だくさんシチューと、かったーい黒パン。あとスパイシーな手羽先。
 もう冬だから、やっぱり温かいものがいい。
「あたしがなに残そうとあたしの勝手」
 僕の呼びかけには応じず、ティアナが舌を出した。
「体壊しちゃうよ?」
「体壊すのもあたしの勝手、よ」
 そう言って、「ふふん」とティアナが鼻を鳴らし、シチューの中のニンジンをよけた。
 ――ガキんちょめ。野菜嫌いのキートンと同レベル。
 ちなみにキートンは教会で一緒に住んでいた孤児。7歳(!)だ。
「ニンジンなんてね、馬の食べるもんなのよ。ウマ! 馬車のほろにでもくくりつけて、スピード上げるためのもんなのよ!」
「はぁ……農家の苦労を知らないね」
 田舎育ちの僕には解る。ニンジン一本作ることがどんなに大変か!
 僕は、『木こりの村』の外の世界を知らなかった。
 両親のことも、まったくといっていいほど知らない孤児である僕――ピアスが母の形見とは教えられているが――には、あの村と、あの教会が全てだったから。
「そういうのを見ると悲しくなるよ」
 僕は「はぁ」と大げさにため息をついて肩を落とした。
 そのままティアナの方から視線をそらし、黙々と黒パンをかじる。
「た、食べりゃいいんでしょ! 食べりゃ!」
 そんな僕を見て、あわてたティアナがスプーンでよけたニンジンの山をすくった。一気に飲み込んで、目を白黒させている。
 ――ふっふ。勝ちました。
 実は、これ、よくキートンにやった手なんだ。
 強く説得して、すっと引く。すっと、が大事。
 相手は妙な罪悪感に動かされてしまうんだな。
 やっぱり子供みたいなソフィアの反応に、無意識に頬が緩んでくる。
 僕がにやにやしてると、リフが、タレのかかった手羽先のホイルを握ったまま、「姫さんと嬢ちゃんは姉妹みたいだぜ」と笑った。
「姉妹……ですかぁ」
 僕は首をひねった。
「髪の毛、切った方がいいですか? 女のコみたいなのって、コレが原因でしょ? 村の皆にはすごい反対されて、村じゃ切ってくれる人がいなかったんですけど。この街なら切ってくれる人いま――」
 僕がそうリフに言いかけると。
「ふざけないでバカ!!」
「ダメだっ!!」
 物凄い反応速度でティアナとリフが叫んだ!
 驚いた店内の人々が僕等のテーブルを見つめる。
 ――やれやれ……2人も、『木こりの村』の皆と反応が同じだ。
 昔、腰までくらいこの髪はあったんだけど。一回だけ内緒で、自分で切ったことがあるんだ。それでやっと今、肩口の所まで伸びたってわけ。
 その時は。
 僕を育ててくれた修道女ユーイは、「神の御心に反するわ」とか言って、一週間口も利いてくれなかった。
 教会の子供達は「お姉ちゃんじゃない! 悪魔が変装してるんだよ!」とか素晴らしい推論をたててくれた。
 隣の家のサイクスは大泣きして、やけ食いをした(これはどうでもいい)。
 そんなこんなで最悪だった。
「髪。切ったら、だめかな?」
 うんざりしたように、僕は赤茶色の髪を触って言った。
『だめぇ!!』
 ティアナとリフの2人がまた叫んだ。
「……」
 ティアナにじろりとにらまれる。
 その目は明らかに獲物を狙うような――危険な目だ。
 当分髪の毛は切れないようだ……。
 ため息をついて、僕は早々に諦めた。


「たん・たん・たぬきのき〇たまはぁ〜♪」
 上機嫌で僕は歌った。
 顔は火照っていて、音程もメチャクチャだった。
 勝手に身体が前後に揺れる。
「リフししょお、凄いですぅ〜〜!! 世界が2つに見えるんですよお〜!」
「おめェ、そりゃ酔ってるんだぜェ〜!!」
 そう言ったリフもかなりの乱れっぷり。
 なぜか上半身裸で、僕のいるテーブルの前で踊りまくっている。
 狂ったように強烈なランタンの灯火と、酒の匂い。
 五感の全てが刺激される世界。
 地方都市ユマ片隅にある、酒場の夜は長い――。
 店内の客が、「かっけえぞ! ニイチャン!!」などとはやしたてる。
 ――どうして僕が酒場にいるのか、説明したいと思う。
 あれから僕たちはお昼を食べ終えて、露店を見回った。
 携帯用カンテラの燃料や、薬草、毒消し草(あぁベタだ)……その他もろもろを買った。
 雑貨屋で、人数分の水筒も買った(2人はこの前のクエストで壊したらしい)。それと一応、ロープも。
 それで宿に戻ると、ちょうど夕飯時で。魚の焼けるいい匂いが鼻についてきた。
 すぐ僕たちはおじさんの特製メニューを平らげた。
 食堂から部屋に戻るとき、リフがそっと耳打ちをして来た。「いい所に連れて行ってやるよ」ってね。
 明日の出発に向けて、早めに床についたティアナが寝静まるのを待って――僕らはココに来たのだった。
「イェェェェェィ!!!! 今晩はノリノリだぜえ!!!」
 裏返った声でリフが絶叫した。
 店のあちこちから「ヒューヒュー」という口笛の音が響く。
 それからリフがなにをしたかは、ここでは語らないでおく。
 ただ、僕は『新しい世界を知ってしまった』、とだけ付け加えておこう。


 最悪なのは、このあとだった。


「お酒クサぁぁぁぁい!!」
 ぼろぼろになって、明け方に帰ってきた僕に、ティアナが言った。
 僕が部屋の扉を開けると、ティアナが立ちはだかっていたのだ。
 3人とも部屋は別々にしているのに――なんで?
「お願いだから……大きな声を出さないで」
 僕が眉間を押さえて言うと、扉の外で「おうぇぇえ!!」という世にもイヤな音が響いた。
 リフだ。多分、ぶちまけてしまったんだと思う。
「冗談じゃないわ!! 大きな声も出るわよ!! クエストの前日に! なに考えてんのよ!!」
 キーンと耳の奥が痛んだ僕は、思わず部屋の外に出てしまった。
 案の定、自分の部屋に入ることさえ上手くできずに、リフが凄いことになっていた。
 嘔吐物の海――とでも形容しようか。
 リフはかなり夜遊びになれているようだが、あれだけ飲めば、さすがに象だってダウンしてしまうだろう。
 それを見た僕にも、強烈に喉に込み上げてくるものがあった。
 大急ぎで廊下を走り、トイレに駆け込んだ。
「おうえええええええええええええええええええ」
 ――ビチャビチャ、ピチャッという醜い音が流れた。
 僕は「はあ」と軽く息をついた。落ち着いたと同時に、異臭が鼻をつく。
 少しだけ頭が冷静になった。まだ鐘を鳴らしているような頭痛はしているのだが。
 吐くと、相当ラクになるんだな……。
 しかし、そう思った途端、第二波が襲ってきた。
 大急ぎで便器に向かい直す。
「おうええええええええええええええええああああああああああああ」
 今度のはかなり大量だった。
「おえ……おふ……」
 最後の一滴まで吐いて、便所を出た。
 この姿を見れば、1000年の恋も冷めるだろうなあ……などと思いながら。
 再び部屋に戻ると、僕のベッドの端にティアナが腰掛けていた。
「なんでいきなり逃げたのよ」
 つり上がった目で問いつめられる。
「いや……ちょっとね。ごめん。ティアナから逃げたってわけじゃないんだけど。汚いとこ見られたくなくて」
 僕は笑ってごまかそうとした。「ゲロ吐いてきた」とは言いづらくて。
 心なしかティアナのつり目が直った気がした。
「……吐いてきたの?」
 心配そうにティアナが言った。
「うん」
「大丈夫……? まだ気持ち悪いの?」
「だいぶ楽にはなったよ。なんとか平気」
「水、持ってきてあげるわ。ベッドで寝てなさいよ」
 そう言って、ティアナが扉の方に近付いて来る。
 面倒ごとなのに、どこか嬉しそうな表情だった。
 ティアナが魔法で出す『水』は飲めないんだろうか、とかそんなまぬけな疑問が浮かんだ。
「ティアナ……やけに優しいんだね」
 僕は弱々しく微笑んで言った。
 少し身体をどかして、ティアナを通らせる。
 ティアナは返事をしなかった。
「もう飲みに行かない。約束するよ」
 部屋の外に出たところで、ティアナが振り返った。
「そんなナリしてるくせに女心が解らないんだから! バーカ」
 べー、と舌を出して中指を立てられた。
 なんじゃありゃ。


「で、結局今日は出発できないのね……」
 ティアナが呆れたように言った。
 僕の部屋にあったベッド脇のいすに座って、ベッドにいる僕を眺めている。
 ティアナが水を持って戻ってきたときには、僕はもう深い眠りについてしまっていた。
 だからティアナは、すっかり夕方になってしまった今まで、ずっと僕の寝顔を見ていたらしい。
 なんか恥ずかしいんだが。
「ごめん……」
 僕はうなだれて答えた。自分が情けなかった。
「まあいいわ――」
 ティアナがおかしそうに笑った。
 怒ってなさそうだったので、僕はほっと胸をなでおろした。
 ――突如。
「――なんていうと思ったのこの大バカ!!!」
 ――ガツッ!
 ティアナが僕の頭に思いっきり鉄拳を振るった。
「人をなめるのもいい加減にしなさいよ!!」
「い……痛い……」
「そう! そうよ!! 二日酔いは、病人じゃないのよ! 心配して損したわ!」
 ティアナは勝手に1人で納得しだした。腕を組んで、頭を上下に振っている。
「あたし、夕飯食べてくる!」
 勇ましくそう宣言をすると、僕にでこピンを食らわせて出て行った。
 ――僕も食べに行くかな。
 しっかし。
 ……おでこが痛い……。


「嬢ちゃん、今日も行くかい?」
 隣のいすに座ったリフがそっと耳打ちしてきた。
 すっかり顔色もよく、酔いは完全に抜けたようだった。
 僕は無言で首を横に振った。
 さすがに今度はティアナに殺されそうだ。
「おっさん、これなかなかいけるわ」
 そう宿のおじさん――リンディ・ジョーンズに語りかけて、ティアナがシーフードサラダを指差した。
 ジョーンズおじさんは「そうかい! そうかい!!」と言って大笑いしていた。
 どうも、おじさんは奥さん(僕に似ていたらしい)が早くに死んでしまったらしく、子供も出来ていなかったので、僕らのことを子供のように思ってくれているらしかった。
 ティアナは僕らの会話に気付くことなく、平和に夕食を食べているようだ。ひとまず、僕は安心した。
「いいじゃねえか。行こうぜ」
 こりずにリフが囁いてきた。
 呆れて顔を見てみたが、まったく悪気はなさそうだった。
 いつかのような優しい瞳で、「ん? なんだ?」と笑いかけてきた。
 なんかこの人って……大人な子供って感じだろうか? 頼りになるが無責任だ。
「絶対、さすがに今日は無理ですよ……」
 僕はリフに耳打ちした。
「ティアナに殺されちゃいます……」
 僕が言うと、「嬢ちゃんは絶対に殺されないから大丈夫」とリフが応えた。
「むしろヤバイのは俺だ」
 リフが真顔でそう付け加えた。
 ――結局、今晩飲みに行くのはやめた。


「……やっと明日、初めての冒険だ……」
 自室に戻った僕は、ベッドの上で寝付けずにいた。
 冬の初めだっていうのに、シーツが体温で温められていて気持ち悪い。
 落ち着かなくて、つい何度も寝返りを打ってしまう。
 ――村から出て、9日目。
 初めの6日間は、冒険者の登録をしたり、レベル審査を受けたりしていた。
 7日目にティアナたちと、冒険者ギルドで出会って。
 8日目に、買い出しに行って。それから初めて酒場にも行った。
 9日目の今日は、ほとんど寝込んでいた。ティアナには悪いことしたな。
 そして、明日。
『木こりの村』から出発して、10日目。とうとう僕は、冒険に行くんだ。
 村を焼き尽くした、獰猛なケルベロスに立ち向かう冒険者になる。
 みっつの頭からそれぞれ炎の玉を吐く魔獣に、勇猛果敢に挑んで。パーティの仲間と力を合わせて、ダンジョンを攻略していく。
 擦り切れてボロボロになるまで、村の教会のベッドで読んだ冒険談が、なにもない部屋の天井に映像化されては消えていった。
 ――明日はなにが起こるかなあ……。
 ――僕はうまく戦えるだろうか……。
 不安もいっぱいだけど、きっとなんとかなるに違いない。
 僕はこんなに冒険に焦がれているんだから。
「ふぅ……」
 僕は、1度大きく深呼吸をして、目を閉じた。
 眠りにつくのに、そう時間はかからなかった。


 そして朝。
「イーファちゃん……元気で帰って来るんだよ」
 ジョーンズおじさんが宿屋の玄関で見送りをしてくれている。
 バンダナを巻いたひたいの下に、なぜか汗がにじんでいる。
「心配しないで下さい。きっと、無事で戻ってきますから」
 僕は微笑んで応えた。
「ほら、さっさと行くよ!」
 ティアナが僕の服のそでをつかんで言った。
『炎のダンジョン』というくらいだから中は暑いのかもしれないが、外はもう冬の初めなので、僕は長袖で黒いニットのタートルネックを着ていた。
 おととい買った胸あてをその上につけて、さらにその上に黒いジャケットを着ている。ちなみにズボンは柔らかくなったジーパンだ。黄色いリュックサックも背負っているので、ベルトにつけた小刀がなければ、冒険者だとは解らないかもしれない。
「ティアナ嬢ちゃんと、リフも。怪我するなよ」
 おじさんが親指を立てて言った。親指を立てるのはジョーンズおじさんのくせだ。
「あたしはよゆーよ。よゆー!」
 ティアナは親指をびしっ、と立ててから、水色の髪をかきあげた。
 初めて会ったときと同じ、純白の魔法使いローブ(何枚か同じのを持っているらしい)に、左腕に銀のブレスレットという格好なのだが、寒くはないのだろうか。
 ――まあいいや。寒そうだったら、僕の上着を貸してやろう。
 まるで手間のかかる子供みたいだな……。
 そう思っていると、知らず知らずのうちに、頬が緩んできた。
「ま、なんとか頑張ってみるよ。無理そうだったら逃げるがな」
 リフが笑って言った。
 ティアナとは対照的に、こっちは、赤い全身鎧を着込んでいる。
 まるで絵本に出てくる騎士みたいだ。僕だったら重くて動けないと思う。
 物凄い強そうで、こんな仲間がいることが少し誇らしく思える。
 2人を見ていると、なんか胸に込み上げてくるものがあって、泣いてしまいそうだった。
「じゃあ、行ってきます!」
 僕は元気よくおじさんに言って、玄関の扉を開いた。


 ――外は、快晴だった。