黒い祠の戦士 序章 -The Stage is Set-
作:えむえむ





 大陸一の軍事力を誇る、ネウガード共和国の、とある港町。
 停泊所には数艘の商船が停泊し、水夫たちが荷の積み下ろし作業をしている。
「Cの刻印のついた荷は三番倉庫に運べ!!割れモンだから気をつけろよ!!」
「了解!!」
 町には水夫を主な客とする酒場、露店、宿が立ち並び、売り子、客引きの声が響き渡る。
「そこのかっこいい水兵さん!酒場『渚亭』へどうぞ!!今、珍しいムロマチの舞踊団の舞踊が見れるよ!!」
「ムロマチの舞踊団か…おもしろそうだな…行ってみようぜ」
「三名様入りま〜す!!」
「そこの旦那さん!!いいモンありますよ!!例えばこの瓶に入っているのは古代遺跡で発掘された『透明薬』。これは使えば壁を貫いて物を見る事ができるという魔法の薬!賢明な旦那ならこの薬の有効な利用法、わかるでしょ?どうです?今なら200のところ、150にしときますけど?」
「俺はそんなモン使うほど落ちぶれちゃいねえし、女は事足りてる。他に掘り出しモンはあるか?」
「そりゃ失礼!では、そうですね、この短剣なんか……」
 太陽が人々の真上にある時、港町特有の活気のある喧噪があたりを支配している。
 しかし、この町で喧噪から隔離されている場所があった。
 停泊所に停泊されている、一艘の船である。
 見かけはただの商船だが、目ざとい者ならばその船がどこかおかしいことに気づくだろう。
 まず、停泊しているというのにタラップを降ろしていない。だからといってすぐに出港する様子はなく、甲板で巡回している十数人の男の手には長銃が握られていた。そのような厳重な警備が敷かれる船は政府関連の船か、見つかったらヤバイ物を積んでいる船くらいのものである。
 これは、おそらく後者であろうと思われた。政府関連の船がこんな片田舎の港町に来る事は稀であるし、巡回している男たちの身のこなしから、正規の訓練を受けた兵のものでなく傭兵のものに似通っていたからだ。
 その通り。この船で売られている物は普通ではない物だった。

 その、何の皮肉か『黒竜の顎(あぎと)』と名づけられている船の、船室。
「……38000シルバー!」
「39000!!」
「………39500」
 声を張り上げているのは立派な服に身を包んだ男たち。自分の懐具合と比べながら、競売に参加する。
 男たちの表情は真剣、下卑た笑い顔、のどちらかだ。
「39500シルバー出ました。さあ、もういませんか、いませんか…?」
 少しの間。
 ガンガンッと、木槌で何かを叩く音がする。
「39500シルバーで、ウィル様にエルフ男児を売却します」
 そう。その船は奴隷船。あちこちから非合法に集めた子供を、売りさばく。危険だが、儲かる商売だった。自分の意のままにできる人間を欲しがる金持ちどもはいくらでもいる。
 今日も、既に10人が「売れて」いた。
 生きた「商品」を買い求めようと集まった金持ちたちは、十五人ほど。
 醜い肥満体が多い中で、一人飛び抜けて高い身長と鍛え上げられた体を持つ男がいた。額から生える角は、彼が鬼族であるという事を表している。しかし、二本あるはずの角は一本しかなかった。
 その男に、隣にいたとびぬけて肥満体の女性が話し掛ける。
「シレットさん、次にとうとう『あれ』が出ますわね。ワタクシは『あれ』を買うためだけにわざわざ首都から来たんですのよ。
 そういえばあなたもまだなにも「買って」いませんわね。まさかあなたも『あれ』狙いでは?」
 欲望に支配された、その顔は醜かった。
 しかし、シレットと呼ばれた男は彼女を軽蔑しなかった。何故なら、彼女を軽蔑するという事は自分自身を軽蔑する事と同じだから。
 彼女のように「買った」子供を慰み者にこそしないものの、彼は「買った」子供を過酷な道に進ませていた。それは、彼女がしていることよりも酷いことかも知れない。だからシレットは微笑みながら彼女に「そうだったらどうします?」とだけ言った。
「あなたに買われたら口惜しいですわね。『あれ』は普通はでない代物ですものね」
「ふむ……」
 シレットは思った。『あれ』は彼の施設の目玉になるかもしれない、と。
「さあ、今回の目玉!ファル神聖皇国より「入荷」しましたウィングスの男児!!これを逃すともう手に入りませんよ!!」
 司会人のどら声と共に一人の少年が引き出される。

 痩せ型の、おどおどとした雰囲気の子供だった。年は12、3といったところか。髪は航海のせいか汚れてはいるが洗うと輝くような金髪が表れるだろう。瞳は海の底のような蒼。しかし最も特徴的なのは背中から生えている一対純白の羽。
 それこそが、ファル神聖皇国の『輝く山野』のみに存在する少数種族、ウィングスの証。
 純白の翼を持ち、ある程度飛行できる人種、ウィングスはファル神聖皇国では神聖視されているところもあり、子供をさらうことは難しい。
 彼らがどうやって得たかシレットは知りたかったが、周りの金持ちどもは「目玉商品」に眼を奪われている。
「では、50000シルバーから!どうぞ!!」
「55000!!」
「70000シルバーだ!!」
「80000シルバー」
「……85000!!!!」
 あっという間に値が釣り上がっていく。少年はその値が自分に掛けられているものだとはわからないらしい。きょとんとした顔をしている。
「125000!!!」
「ウィングス……か」
 その呟きは何を意味したか。
「150000シルバー…限界だ」
「155000!!!!」

「…300000シルバー」
 シレットの口からつむぎ出されたその一言が他の欲呆けどもの期待を断ち切った。
 司会人の緊張気味の声。ウィングスといえどもまさかこれほどの値がつくとは思ってなかったのだろう。
「……300000シルバー出ました。他にもういませんか、いませんか」
 沈黙。
「……ないようなので300000シルバーでシレット様にウィングス男児を売却いたします」
 300000シルバー。彼の手持ちの金のほとんど全てだ。それを出したのは単に施設の目玉になると思ったからだろうか?それとも……
 本当のところは、彼自身にもわからなかった。
 シレットは彼を睨む者どもの視線を無視しながら、少年に近づいていった。

 こんなつもりじゃ、なかった。
 ただ村を出て、自由に生きていたかっただけなのに。
 今、彼は村にいた時よりもさらに自由を制限されていた。
 手枷と足枷をかけられ、広い船室の床に放り出されているのだ。
 彼に対する好奇心を持っていたエルフの少年に事情を聞くと、ここは奴隷船の船室であるということ。
 港につけば彼らは売りに出されるであろうことを教えてくれた。
「まあ、今は慈悲深いご主人に買われるように祈るしか、ないさ」
 エルフの少年は、どこかあきらめたように笑いながら言った。
「売られる……」
 ウィングスの少年は呆然として呟いた。
「おいおい、あんたは珍しいからな。売られても労働させられることはないよ。金持ちの貴婦人やらの召し使いになるのかもな。
 いままでよりも贅沢な生活が送れるかもしれないぜ」
「贅沢な生活……」
 贅沢な生活がなんというのであろう。自由がなければどんなに贅沢な生活をしていても同じだ。彼は、エルフの少年にそう言った。
 エルフの少年は笑いながら、
「…ウィングスという種族はみんなそう考えているのかい?俺はファルに行った事ないからよくわからないけど…。まあ、自由か。
 自由なんて、あいつらに捕まった時点で諦めてたよ」
 諦める。彼は残りの一生、自由を諦めて暮らしていかなければならないのだろうか。ウィングスの少年が物思いに耽っていると、甲板の方から鐘の音がした。
「……港についたな。…いまからオークションの始まりだ」
 そう言うエルフの少年の顔には、さすがに緊張の色が表れていた。

 オークションは始まった。会場は少年たちがいる船室の一つ上の船室らしく、しきりに「30000!!」「35000!!」などの声が聞こえる。
 ウィングスの少年は、一番最後に売りに出されるらしい。エルフの少年も行ってしまった。
 彼は連れて行かれるときに、こう、言った。
「また、会えるといいな。……もしかしたら同じ人に買われるかもしれないしさ」
 心細さがつのる。
 しばらく膝を抱えうずくまっていると、船室のドアを開ける音がした。
 ドアから入ってきた盗賊風の二人の男は少年の足枷と手枷を外すと、左右から抱え、上まで運んでいった。
「さあ、今回の目玉!ウィングスの男児!!これを逃すともう手に入りませんよ!!」
 少年は、彼を見つめる人間どもの、欲望に満ちた顔を見て、怯える。自分はあのようなものに売られるのか。
「55000!!」
「70000シルバーだ!!」
「80000シルバー」
 また数字の連呼が始まる。少年には数万シルバーという単位はすぐには理解できなかった。
「ん……?」
 彼を見つめる視線の中で、唯一つ欲望にまみれていないような視線があったのだ。
 いや、欲望にまみれていない、というよりなにか別な事を考えているような視線。少年がその男を見ている間に、
「300000シルバー」
 男は、言った。300000シルバー?
 ……彼は、300000シルバーで買われた。
 彼の前に立つ男は、シレットと名乗った。長身と鍛え上げられた体をもつ、片角の鬼族の男だった。
「俺は、お前を買った。お前は、これから俺のものだ」
 簡潔に言う。
「僕は…どうなるんですか?」
「お前は、うちで働いてもらう」
「うち?」
「剣闘場さ。いい成績を出せば、自由にしてやる」
 男は、口の端を吊り上げ、にいっ、と笑って見せた。



 ガァン!ガァン!……
 銃声が辺りに響き渡る。
「いたぞ!!そっちだ!」
「逃がすなよ!」
 ネウガード共和国、ヘオリウルの港。軍港として知られる港に、剣呑な空気が満ちる。追う人間は複数、逃げる人間は一人。
「ちっ、……やはり、ネウガードとは相性が悪いな」
 追われる、長身に黒のジャケットに黒のロングコート、黒のスラックスを着込んだ黒尽くめの男は物陰でそう呟いた。
 呟くと同時に、動き出す。彼の近くを巡回していた軍服の男の前に無造作に表れた。
「なっ……貴様…………!」
 男に何かあるのか軍服の男の顔に恐怖の色が走る。そして、恐怖は人の動きを滞らせる。
 男は、手刀のように腕を振るう。
 その力を特に入れていないような一撃で、軍服の男の銃身がパキィンという軽い音とともに切断される。
「…………!!」
 男は驚愕する軍服の男の顎の下に手を差し込む。そして、表面上は穏やかな声で、言った。
「今、動けばどうなるか、わかるよな?…解るんなら、動くな」

 …その後、追跡部隊の一人は気を失って制服を脱がされた同僚の姿を見つけることになる。急いで報告しても、後の祭りだった。
 男はすでにヘオリウルの港を脱出していた。

 追跡部隊の隊長は叱責される事を覚悟しながら上司の前に立って、報告した。しかし、上司の反応は意外なものだった。
「ふむ………やはり湾岸警備隊などでは歯が立たぬか…うむ、この問題については特に貴官の責任を追及することはしない。
 だが、これだけは肝に銘じておけ。この事について他言しない事。もし情報が漏れた場合…」
 しばらくして、青ざめた顔の隊長が退室すると、港の支配者である彼は、首都フェムに向けて極秘の文章を送った。
 その文章はネウガード共和国の誇る精鋭戦闘部隊、『ヘル・クライ』の出動を要請するものだった……。


 男は今はもう廃棄された古い街道を歩いていた。
 その街道はネウガード共和国の中央部の国土を横切るように聳え立つ『黒峰山脈』の峰々を突っ切って進んでいる為、死者が絶えない危険な道だった。
 だから現在は山脈を迂回する新街道が完成しており、商人や旅人は皆そこを利用する。もちろん旧街道より時間はかかるが、時間より命が大事だという事だ。今では旧街道には亡霊が出るだの怪物が居座っているだの様々な噂が飛び交っている。
 男はその事を知らなかったが、知っていたとしてもそこを通っただろう。
 男がその程度の道で命を落とすようなことは有得なかったし、そのようなところを通らない限り男には安息の場所はないのだから。
 男は湾岸警備隊の制服を脱ぎ捨て、漆黒のロングコートを羽織りなおすと、赤レンガの道を黙々と歩いていった。


 乾いた石の床に、一人の少年が倒れこむ。その少年の背中には純白の翼が生えていた。
「こらあ、ティル!!それぐらいでへばってどうする!?そんな体力で試合で勝ち抜けると思っているのか?」
 倒れた少年の背中に、容赦の無い怒声が浴びせられる。ティルと呼ばれたウィングスの少年は、全身を筋肉の鎧に包まれた男に乱暴に手を掴まれると、無理やり立たせられた。そして、自分の身長ほどもある木剣を握らせられた。
「今日はあと素振り1000回で許してやる。気合を入れてやれ!!」
 ティルは震える足で地面を踏みしめると、大上段からの素振りを始めた。浮かべる表情は悲痛そのものだ。
「1、2、3、4、5、6、7、……」
 周りではティルと同年代の、15歳程度の少年たちが同じような事をしていた。
 ……ネウガード共和国、『黒峰山脈』の北に位置するフィンド自治領にある、ここは剣闘士の訓練場。
 金で買った剣闘士の雛の、『商品』としての価値を高めるためにある場所。
 強い剣闘士の所有者には、高額の金が舞い込んでくる。剣闘士には負ければ、死が待っている。
 それに、勝ち続ければ、自由になれるか、破格の待遇を受けられる。
 訓練される方も、させる方も、必死になっていた。
 同期でこの訓練場に入れられた雛の中で、ティルは教官の悩みの種だった。ウィングスの種族としての特性だろうか、体力、筋力が無い。
 剣闘に必要なのはまず体力。体力が無ければ話にならないと、教官は考えていた。
 それは剣闘で50勝を挙げ、自由の身となった彼のポリシーだった。
「こんなんじゃ、試合に出てもすぐスタミナが切れてやられちまう……でも、そんな事になったら俺はシレット様に怒られるだろう…ああ、どうしたものか」
 教官は、横目で素振りをするウィングスの少年を見た。
 まだ100回にも達していないのにもうふらついている。
「…………」
 教官が頭を抱え込もうとした時、部下の一人が一通の手紙を持ってきた。
「なんだ…シレット様からか…ううん…なに?」
 教官は手紙を読み終わると、なにか肩の荷が下りたような顔をすると、ウィルに向かって、こう言った。
「おおい、ティル。お前は『黒い祠』に移動だ。そこでシレット様が直々に稽古をつけてくださるそうだ」
 ティルは素振りの手を休めると、教官に聞いた。
「黒い祠って?」
「剣闘場さ。黒峰山脈に立つ見捨てられた祠を使用していてな。だからそう呼ばれている。そこには訓練施設もあるぞ。シレット様は一年を通してだいたいあそこにいるんだ」
「剣闘場…」
「お前の初陣ももうすぐかもな……まあ、シレット様に稽古をつけてもらえるんだ、簡単にやられる様なことはないさ」
「……」
 少年は何も答えなかった。
 もうすぐ闘わなければならない。闘いになったら殺すか殺されるか。
 少年はそのどちらも嫌だった。闘うぐらいならきつくてもここで訓練をずっとし続けるほうがいい……
 拳を握り締めて震えるティルをよそに、教官は嬉々として馬車の手配をしていた。



「……やはりあの男はこの旧街道を通っていったようです」
 赤レンガで舗装された旧街道で足跡を調べていた赤髪の女は言った。
 腰には短剣をさげ、動きやすいように改造された革鎧を着込んでいる。
「そんな事、よくわかるな…俺にはわからんぞ……時間的ロスを考えると、奴はもう黒峰山脈に入っちまったんだろうな……俺たちもあそこに行かなければいかんのかあ?面倒くさい」
「当たり前でしょう…隊長。これは共和国執政府の直々の命令なのですから…」
「奴らめ…自分で厄介ごと作っておきながら後始末は俺たちにやらせるんだもんな…ったく、やってられないぜ」
 隊長と呼ばれた男は黒い長髪をかき上げながら言った。
「隊長、隊長がそんな事ばかり言っていると部隊の士気が下がります」
「部隊っても十五人しかいないじゃねえか。しかも今ここにいるのは俺とお前、あとストィアだけじゃないか…」
「他の隊員は離れられない任務に就いているのでしょうがありません………そういえばストィアは?」
「あのバカはもう街道を突っ走っていったよ……方向音痴の癖に……」
 赤髪の女はくすっと笑った。
「ストィアは隊長がまた任務を放棄する道を絶ったんですよ……さすがの隊長もこれ以上任務放棄すると辞めさせられちゃうかもって…そんなのは嫌だからって…」
「本当にそんな事考えてるのか?ただ獲物を前にした猟犬のように突っ走ってようにしか見えんが…まあ、しょうがない、レジーナ、行くぞ」
「はい、隊長」
 旧街道を歩み出した二人の腕には『Hell Cry』と刺青が彫られていた……















あとがき

 はじめまして、えむえむといいます。
 この作品が私が書く初めての長め(敢えて長編とは言わない)の小説になりそうです。
 書き手が未熟なので読むに耐えないところもあるかもしれませんが、読んでくださった方は気が向いたらはご意見、ご感想をよろしくお願いします。