CLOSED・WORLD ――イマンスィペイト―― 2
作:アザゼル





 2135年 12月10日 19:00
 CASE2
――夕凪香澄――
 いつからかこの国、日本は閉ざされてしまっていた。歴史の類の書物はほとんど出回らないから私にはよく分からないけれど、第三次世界大戦というのがあってから、この国は世界から逃げ出して、殻の中に閉じこもってしまったらしい。だから私たちは外の世界のことは分からない。それに何より、私たちにそのようなことを考える余裕なんていうのは無かった。Pカード制度の導入により、この立体都市東京の最下層に暮らす私たちは全てを管理されている。第三層に天を貫くようにそびえ立つ建物「バベルの塔」 そしてその中にあるマザー管理システム「シャマイン」 殻に閉じこもってしまったこの小さな日本の中では、人口削減政策を敷いたところで焼け石に水だった。資源が圧倒的に足りなくなっていたのだ。最下層に暮らす人々にPカードで配給される多くの資源――食料とか石油とか薬品とか――は、実際のところ圧倒的に不足していた。
 …… だから私たちは、壊さなくてはならない。上の層で摂取しては貯めこむだけの政府と、その中核を成している極東保安隊が、人々を支配するためのシステム「シャマイン」を。そのために私と霧島京谷、長門祥司は13区画に分かれる最下層でそれぞれに別のアジトを持つ自由な組織、解放軍を作ったのだ。それらのアジトは解放軍の中核を成す私たち3人が行動の拠点に置く時以外は、普段は何もしない。だから今までは私たちの存在がばれることは無かった。今年の頭から行動を開始し始めた私たちは、すでに今回のを入れて13区画それぞれにある「シャマイン」からの分離システムを、3つ破壊することに成功している。だが、そのことで極東保安隊も、そろそろ私たちのことに感付き始めているだろう。次からは今まで通りにはおそらく……



「何か、考えごとかい? 香澄ちゃん」
 上から突然降ってきた声に私が顔を上げると、そこには人の良さそうな中年の不精ひげの男の顔があった。男の名前は那智隆平。ここ第4区画の解放軍の諜報員だ。
 彼は私の座っているテーブルの向かいの席に腰を下ろすと、ポケットから折れ曲がったフィルターの無い煙草を取り出し、口にくわえふかしこんだ。青白い煙が部屋の中に、ゆっくりと霧散していく。
 小汚いカウンターと、2つしかないテーブル席。表には「居酒屋・紫」と書かれたぼろぼろの看板がかかっている。ここが、第4区画の私たち解放軍のアジトだ。
 私はそっと目の前に座った那智さんから視線を外すと、カウンターにいる京谷たちの方に顔を向けた。
 京谷は、横に座るこの前の作戦で解放軍に入った榛名夢瑠という少女と、楽しそうに話をしている。
 榛名夢瑠はすぐに解放軍の他のメンバー――特に男たちを中心――に受け入れられた。彼女は確かに女の私から見ても可愛いし、女らしいのだが…… 私はなぜか彼女のことをあまり好きにはなれないでいた。
(どうしてだろう……)
「不思議な子だね、彼女は」
「えっ?」
 私はその声に、慌てて視線を那智さんに戻す。
 那智さんはしかしそんな私にさして疑問を持った様子も見せず、目の前に置かれたコーヒーを軽くすすると、京谷と榛名の方を見ながら言った。
「あの榛名夢瑠という少女。確かにJ・ DNA組み替え実験被験者の証「聖印」を持ってはいるが、失敗作というじゃないか。私の記憶が正しければ、実験の失敗作は全て処理されるはずなのだがね」
 言ってから、那智さんはまた私の方に顔を戻すと意味深な笑みを浮かべる。
「聖印? 処理されるって?」
「おや? 京谷君や祥司君から聞いていないのかい?」
「…… ええ。私はあのことに関しては、あまり……」
 私の聞き返した言葉に那智さんが不思議そうに尋ねるのを見て、私は思わず言葉を詰まらせた。
(そう。何せ私はあの実験から逃げ出したのだから……)
 脳裏に政府お抱えの、食料流通会社社長であり私の父である男の顔がよぎる。私はそれを頭の中から振り払うように首を振った。同時に軽い吐き気が私を襲う。
「大丈夫かい。顔色が悪いよ、香澄ちゃん」
「う、うん。平気。それよりさっきの話なんだけど……」
 私がそう言うと、那智さんはまだ心配そうな顔をしながらも話し出した。
「聖印というのはね、証なんだよ。J・DNA組み替え実験被験者の証であり、極東保安隊特務軍令部所属の証。京谷君の首のところや祥司君の手の甲に彫られているのが、その聖印ってわけだ。だが、あの実験は実際のところ全くの不完全なものだったんだよ。その証拠に被験体の98%以上は失敗作で、様々な理由をつけられて廃棄されたんだ。まだ先のある子供たちを、ね」
 言い終わると那智さんは少し寂しそうな顔をする。それから灰皿の上のほとんど灰になってしまった煙草を手に取り、一度煙を吸い込むと、その中で揉み消した。
「…… 私の娘もね、あの実験の被験者なんだよ」
 ぼそりと呟いた那智さんの言葉に、私は少し驚いてまじまじと那智さんの顔を眺める。
 那智さんはそんな私の視線に気付くと、軽く微笑んだ。そして胸ポケットから銀のロザリオを取り出すと、テーブルの上にそれを置く。
「…… これは?」
「その娘がね、父の日に私に送ってくれたものさ。その次の年に私の娘は極東保安隊に連れて行かれた。私にはこれをつける資格が無い。娘を守ることも、一緒に街から逃げ出すことも選べなかった臆病な私には…… こんな素敵な物をつける資格はね」
 言った後、那智さんは今度は自虐的な笑みを浮かべて黙り込んだ。
 私はそんな那智さんを直視することが出来ず、ただテーブルの上に置かれたロザリオをぼんやりと眺めることしか出来ない。
「ごめん、ごめん。話がしんみりしちゃったね。しかもずいぶんとずれてしまった。年を取ると、どうもつまらないことを人に愚痴ることが多くなってしまう」
「そんな…… そんなこと、ありません」
 那智さんの言葉に、私は首を振って答えた。それから逃げるように視線を京谷たちの方に移す。彼らはまだ、アジトのメンバーも巻き込んで楽しそうに談笑していた。榛名夢瑠が京谷の隣で微笑むのを見て、私の心はなぜか少し痛みを感じる。
 その時、那智さんの手が軽く私の手に触れた。
 私は思わずびくっとなって反射的に手を引っ込めると、那智さんの方を振り返る。その那智さんの手には、さっきのロザリオが握られていた。
「これは……」
 私が不思議そうに尋ねると、那智さんは私の方にそのロザリオを持った手を突き出して、言う。
「これは香澄ちゃんが持っていてくれ。私には少し重た過ぎる物だ。それから……」
 私の手にそのロザリオを無理矢理握らせると、那智さんは私と同じように京谷たちの方を眺めながら言葉を続けた。
「それから…… 私の目には香澄ちゃんの方が、ずっと魅力的に映ってみえるよ。自信を持っていい。なぁに、すぐに彼も気が付くはずさ」
 そう言って軽く片目をつむって見せると、那智さんは私を残してテーブルを離れて行ってしまう。
 一人残された私は、手の中のロザリオをぼんやりと見つめながら、アジトの低く薄汚れた天井に向かって一つ大きく嘆息したのだった。



 12月10日 22:35
「…… で、次の作戦の話に入りたいんだが……」
 長門がアジトのメンバーの前で、解放軍作戦会議の話を進めているのを上の空で聞きながら、私はまた榛名夢瑠の方を眺めていた。
 彼女は相変わらず京谷の隣で、どこか私と同じように上の空で何か物思いにふけっている。黒く艶やかで長い髪に透明な肌、淡いピンクの唇の彼女はやはり女の私から見ても、憎らしいくらい綺麗だ。その容姿はどこか人間離れした、神秘的な感じすら漂わせている。
「…… 第8区画、旧大手町から旧銀座の管理タワーを次の目標としたいんだが。何かこの案について意見のある方は、挙手をお願いします」
 長門の言葉に何人かのメンバーが手を上げた。
 私はだがやはりそれらを聞き流しながら、ただぼんやりと彼女の方を眺めている。その時彼女の右手の甲の部分に、那智さんの言っていた聖印を見つけた。それは確かに京谷の首の付け根のところや、長門の左手の甲にある刺青と同じ模様だ。

「私の記憶が正しければ、実験の失敗作は全て処理されるはずなのだがね」

 那智さんの言っていた言葉が頭の中をよぎる。
(あの言葉が真実なら、榛名夢瑠は本当は人工能力者なのだろうか? でも、もしそうだとして、彼女が私たちにそんな嘘をつく理由が分からない)
 私がそんなことを考えていた時、彼女が座っている席を突然立ち上がった。
 横に座っている京谷が、立ち上がった彼女に尋ねる。
「どうしたんだ、夢瑠?」
「すいません。あの…… トイレです」
 彼女の答えに、京谷は顔を軽く朱に染めると「行っていいよ」 と、気まずそうにうつむきながら言った。
 だが彼女はそんな京谷の態度をまるで気にした様子もなく、すっと背を向けると部屋をさっさと出ていく。
 私はその彼女の後姿をばんやりと見送りながら、また考えていた。
(嘘をつかなければならない理由。それは、もしかして……)
「そこまでよ!」
「?」
 私が不安な思いに辿りついたその時、突然アジトの扉が何者かの声と同時に蹴破られた。
 中に極東保安隊の軍服に身を包んだ人間たちがなだれ込み、一瞬にしてアジトの入り口を取り囲む。
 会議中のアジトのメンバーは、あまりにも突然のことに皆――長門も京谷も――呆然とした表情で、ことの成り行きを見守ることしか出来ない。
 極東保安隊の中の、おそらくリーダー格である金髪で額に聖印のある女が、京谷と長門の方にゆっくりと近付いて来る。その女の形のいい赤い唇が獲物を見つけた肉食獣のように歪んでいるのを見て、私は嫌な戦慄を感じた。
「…… まさか解放軍のリーダーが、あなたたちみたいな子供だとはね」
 女はそう言いながら京谷と長門のそばまで近付くと、二人を舐めるように上から下まで観察する。
 私はそれを見て、入り口を取り囲んでいる極東保安隊の連中に悟られないように、胸の内側のホルダーに仕込んだマグナムに手を伸ばした。
 だがそれは、私の隣にいた那智さんに片手で制される。
「今はまずい。もう少し様子を見よう」
 いつもの優しい那智さんが厳しい表情でそう言うのを聞いて、私はしぶしぶマグナムから手を離した。那智さんの表情に、微かに苦渋の色が見えるのは気のせいだろうか。
「一体、僕たちに何の用なんですか? 僕たちはあなた方極東保安隊の方々にこうやって強制摘発のような真似をされることは、何も無いはずですが……」
 長門が額に聖印の女に向かって苦しい言い訳をする。だが、もちろんそんな言い訳は通用しないのだろう。それは長門の頬を伝う一筋の冷汗が物語っている。
「それは通らないわね。あなたたちがそうであるのはすでに調べがついているのよ。ねぇ、J・DNA実験被験者、成功体No,15と16」
『!?』
 女の言葉に、長門と京谷は驚きのため声にならない声を上げた。
「あなたたちが逃げ出したせいで,上層部の連中はかんかんだったのよね。何せあなたたちは珍しい直接攻撃タイプの異能力を身に付けた、逸材だったんだから。それのせいで……」
「ふざけるなっ!」
 女の言葉を遮って京谷が叫ぶ。その顔は私の知っているどんな時よりも険しい。
「ふざけるなよ。お前らがあんなことをしているから、俺たちはこうやって解放軍を作って戦っているんじゃないかっ! お前らがあんなことを――」
「あんなこと? 実験のことを言ってるのかしら? それなら愚問ね。あれは必要なのよ。この閉鎖された国を秩序の下に支配するためにはね。それがどうして分からないの?」
「分かる訳……」
 京谷の手が拳をつくっているのが私の目に映る。あれは京谷が能力を発動させるための予備動作だ。
「…… ないだろうが!」
 京谷が拳を前に突き出すのを合図に、アジトの入り口を固めていた極東保安隊がいる辺りに火炎爆発が起こる。京谷の能力、大気中の燐を任意に連鎖爆発させることにより一瞬にして巨大な炎の塊を生み出す力だ。
「逃げるぞっ!」
 長門が発した言葉を皮切りに、京谷の炎で混乱する極東保安隊の間を、アジトのメンバーが駆け抜けて行く。
「那智さんも早く!」
 私も、なぜかさっきからぼんやりとしたままの那智さんの手を引くと急いでアジトを出る。何人かの極東保安隊の連中が走る私を止めようとするが、私がマグナムを威嚇で放つとすぐにうろたえて追って来なくなった。
「何をしているの! 早く追うのよ!」
「は、はい! 陸奥参佐」
 後ろで女が部下を叱咤する声が聞こえてくる。
 だがその頃にはもうアジトのメンバーは、ほとんどが外に逃げ出すことに成功していた。



 12月10日 23:47
 立体都市東京の最下層。13区画を環状線に走る電気型自動車「アザゼル」 が、この東京での唯一の移動手段だ。それぞれの駅には昔でいう関所――ゲートが設けられており、違う区画へ行くには政府の認可が必要となる。情報の交流を途絶えて反乱をなくすのが主な目的だろう。
「やっと、まいたみたいだな」
 京谷のその声で私と長門、それにいつの間にか逃げ出していた榛名夢瑠は、駅のベンチにどっと腰を下ろした。
 皆疲れた顔をしているが、長門だけがなぜか釈然としない表情で何か考え込んでいる。
「どうしたの、長門。浮かない顔して?」
「いや……」
 私が尋ねると長門は眼鏡の位置を直しながら、皆に聞こえるように言った。
「何だか、あまりにも簡単に逃げれたのが、少し気になってな……」
 言いながら長門は、今逃げてきた方を振り返る。
 私も少し気になって長門の顔を向けた方に視線を移した。だがそこには駅の灯りも月や星々の明かりも届かず、ただ深淵の闇が広がるばかりで何も見えない。そう、スラムの街には夜に明かりが灯ることは無いのだ。電気ですらも私たちには圧倒的に不足している。
 ――2番ホーム。環状線外回り到着――
 その時、駅構内に機械音の無機質なアナウンスが鳴り響いた。
「ま、皆無事だったんだし。それでいいじゃないか。電車も着いたみたいだしな、行こうぜ」
 京谷は長門にそう言うと、榛名の手を引いて駅に入って行った。
 私はそれを見てまた心が少し痛くなる。
「じゃ、僕たちも行こうか……」
「…… うん」
 長門の何となく気を使った声に、私も軽くうなずくと駅の中へと向かったのだった――