CLOSED・WORLD ――イマンスィペイト―― 5
作:アザゼル




 2135年 12月21日 14:05
 CASE5
――榛名夢瑠――
 優生政策は極東保安隊が発案し、後の人口削減政策との相乗効果を持って今の日本の指針を決定している要因の一つだ。簡単にいえば、優秀な遺伝子――つまり能力者としての適合因子を持った――人間だけを残していこうとする政策である。
 どうして政府はそんなにまでして能力者を造ろうとしているのか? それはおそらく、この先外の世界に出た時の自分たちの力を蓄えるためではないかと思う。有限なエネルギ―を動力として武器を使用している限り、この小さな島国では外に広がる広大な大陸を持った国々にはかなわない。だが能力者が使う異能力は違う。無限に近いエネルギーと、現存する武器をも凌駕する破壊力。それがあればこの国は、外の国々とも互角以上に渡り合えるだろう。そのために政府は極東保安隊という非人道的な組織を設立し、その中で非人道的な実験を繰り返しているのだ。
 …… あの人は言っていた。だから世界は汚れていくのだと。そんな人間たちが国を動かしているからだ、と……



「どうやら、囲まれているみたいだな」
 長門さんがそう言うと、京谷君と香澄ちゃんは無言でうなずいた。
 ここは解放軍第11区画のアジトらしい。1階の潰れたプレハブ小屋の地下にあるアジトはすごくシンプルな造りで、白い壁に囲まれた部屋にある物と言えば、長いテーブルと沢山の椅子だけだ。
 今、アジトの皆と京谷君たちは入り口の扉の前に集まり、各々武器を手にして身構えている。緊迫した空気が辺りを支配していた。
 扉の向こうに極東保安隊の人間たちが囲んでいる。それは外にいるアジトのメンバーの報告で分かっていた。後、数分もすればこの中に踏み込んでくるだろう。
 そして、それは私の予想よりも早くやってきた。
 何の通告もなしに上のプレハブ小屋の扉が蹴破られる音が響く。続いて地下への階段を何人もの人間が下ってくる音。
 アジトのメンバーに、さっきにもました緊張が走る。
 京谷君が拳に力をこめた。
 その時、アジトの扉が鈍重な音と共に蹴破られる。そこに現れたのは巨大な体躯のサングラスの男と、後ろに続く無表情な軍服に身を包んだ人間たち。そしてその中には……
「なっ、俺がいる?!」
「馬鹿な…… あれは僕か?」
 京谷君と長門さんが同時に叫ぶ。しかしそれも無理はなかった。その無表情な人間たちの中に、二人にそっくりな者がいたからだ。
 長門さんが言葉を続ける。
「…… もう、完成していたのか……」
「その通りだ。さすがに察しがいいな、長門君。これが我々が開発したクローン能力者だよ。まぁ、君たちの存在は上の方でもかなり煙たがられていてね。早々に始末するために開発を急いだらしい。陸奥参佐は君たちにやられて今は療養中でな。仇、というわけではあるまいが…… いかしてもらうぞっ!」
 長門さんの言葉にサングラスの男が野太い声で答えた。と、同時に突っ込んでくる。男の筋肉質な腕が軋む音が微かに聞こえたかと思うと、瞬時にそれは膨張した。
「筋肉の自在操作?!」
「うおぉぉぉぉぉ!」
 長門さんの驚きの声を掻き消して、男が吼える。
 それに呼応して、クローン能力者が室内になだれ込んできた。 
 戦闘が始まる――
 香澄ちゃんがマグナムをサングラスの男にぶっ放した。
 だがそれは男の腕の一振りで弾き飛ばされる。  
 その男の腕を今度は長門さんが捕えた。長門さんの雷が男の腕を中心に男の体中に駆け巡る。
 だが、長門さんの雷を喰らっても男が倒れる様子はない。
 戦況は圧倒的に解放軍が不利だった。能力者に旧式の武器は通じないし、数の上でも圧倒的に分が悪い。
 クローンの異能力は、性能がオリジナルに劣るとはいえ次々にアジトのメンバーをその能力で打ち倒していく。
 息絶えていくアジトのメンバーをぼんやりと見つめながら、私は何の感慨も無くぼそっと呟いた。
「命なんて、儚いのに……」
 その時、私の傍まで迫っていたクローン能力者2人が、私に向かって異能力を開放する。火炎と雷。私にはそれらを防ぐ手段は、無い――
「夢瑠っ! 危ない!!」
 私が諦めて身体の力を抜いたその時、京谷君が私をかばうように目の前に立ち塞がった。京谷君の身体を異能力の力が襲う。
「がぁっ!」
 彼の身体が大きくのけぞった。
 私はそれを見て、一瞬今までに無い感情が胸の内に生じたのを感じる。
(これは…… 何?)
「京谷ぁ!」
 倒れた京谷君に気付いた香澄ちゃんが駆け寄る。香澄ちゃんは荒い息の京谷君を抱き起こすと、泣きそうな顔で私の方を一瞬睨んだ。だがすぐに京谷君の方に向き直ると、彼の名を何度も叫びながら身体を揺する。
「京谷、京谷、京谷ぁ…… しっかりしてよぉ!」
「…… 命が消えていってる……」
 私が見たままにそう呟くのを香澄ちゃんは今度は無視して、長門さんを呼んだ。
 長門さんはさっきの大男と戦っていたが、香澄ちゃんの悲痛な呼びかけにこっちを振り返る。そして、京谷君の倒れているのを目にすると、サングラスの男から飛んで間合いを取った。
「撤退だ。夕凪と榛名は京谷を頼む!」
 そう言うと長門さんは、手のひらを地面に突き立てる。
「はっ!」
 長門さんの掛け声と共に、極東保安隊の連中の動きが止まった。おそらく床の表層に雷を発生させ、それを微妙に操って敵にだけ攻撃を命中させたのだろう。長門さんは自分の能力を完璧に近く操っている。
「長くは動きを止めることは出来ない。皆、早く外へっ!」
 長門さんがそう言うと、アジトで生きているメンバーは皆一斉に外に駆け出した。
「何してるの! あなたも手伝ってよ!」
「えっ?」
 私は香澄ちゃんの声に我に返る。
 彼女は京谷君の身体を、その小さな身体で懸命に持ち上げようとしていた。
 私は彼女の得体の知れない迫力に押されるように、もう片方から京谷君の身体を持ち上げる。
「こ、これで…… いいの?」
「うん」
 私がおずおずと聞くと、香澄ちゃんは少し微笑んで答えた。
 私たちはそのまま急いでアジトを出ると、もう一つの旧表参道にあるアジトを目指す。京谷君の身体はしかしその間にもじわじわと体温を無くしていった。
(このままじゃ…… 京谷君が死んじゃう。私はどうしたら……)
 ふと、香澄ちゃんの方を見ると、彼女は走りながら泣いていた。嗚咽が私の心を絞めつけるように動かす。
 そして私は気付いた―― 自分も涙を流していることを。涙なんてあの時以来、枯れ果ててしまったと思っていたのに……
(どうしたらいいのですか?)
 私は走りながら、ただひたすらにあの人に胸中で問いかけ続けたのだった――  



 12月21日 18:00
 緊急回避用のアジトの中は、今暗い雰囲気に包まれていた。結局、解放軍の死傷者は30人以上にも上って、そのうちの半数以上が死んでしまったらしい。でも、私はそれ自体にはやはり何の感慨も無かった。だが……
「京谷ぁ…… ねぇ、しっかりしてよぅ。お願い…… 目を覚まして、よぉ……」
 香澄ちゃんのその悲壮な鳴き声は、さっきからずっと続いていた。
 私はその彼女の様子を、ただぼんやりと見つめている。
 その時、彼女が私の視線に気付いてこちらを振り返った。その顔は泣き過ぎたせいでぐちゃぐちゃだ。
「ねぇ、夢瑠ちゃん。どうしたらいいの? このままじゃ、京谷が死んじゃうよ」
「香澄ちゃん……」
 寄りかかってくる香澄ちゃんを抱きしめながら、私は彼女の身体が小刻みに震えているのを感じる。
(こんなにも香澄ちゃんは、京谷君のことが好きなのね……)
「炎の少年の様態はかなり悪いな。背中の細胞組織がぼろぼろだ。何とかしてはやりたいが、こう酷くては…… 我々には手の出しようが無い。すまない、夕凪君」
「そんな……」
 片腕を吊った状態の鈴谷さんが、私に抱きついたまま泣き崩れている香澄ちゃんにそう言うのを聞いて、彼女の顔が言いようもないくらい歪んだ。
 …… 歪んだ香澄ちゃんの顔を見るのは辛い。
 私はある決意を胸に秘めると、寄りかかる香澄ちゃんを優しく押し戻した。そして、京谷君が瀕死の状態で眠るベッドに近付く。
「榛名ちゃん、どうしたんだ?」
「……」
 ベッドの傍に付いている長門さんが、近付いてくる私に気付き声をかけた。
 だが私はそれには答えずに、京谷君が横たわるベッドの隣に腰を屈める。
 京谷君はほとんど色を失った顔色で、荒い息を上げていた。その痛々しい姿を見るだけで、また私は涙腺が緩む。それを堪えながら私は誰にも悟られないように、そっと京谷君の身体に手をかざした。
 淡い、私にしか見えない白い光が、京谷君の身体を包み込む。それは徐々に京谷君の身体の中に浸透していった。
 生命の糸―― あの人はこれを、そう呼んでいる。
 私はその光が全て京谷君の身体におさまり、彼の呼吸が落ち着いたのを確認して、心からほっとした。安堵のため息が漏れる。
(これくらいは…… 許してくれるよね……)
 私は胸中であの人にそう問いかけた後、ベッドを離れた。そしてそのまま、まだ床に力無く屈みこんでいる香澄ちゃんに近付くと、そっと彼女に呟く。
「香澄ちゃん。もう京谷君は大丈夫だと思うわ。彼のこと看てあげてて」
「え?!」
 彼女が驚いた顔で私の顔を見上げる。
 私はその香澄ちゃんに軽く微笑むと、そのままアジトの扉を開けて外に出た。扉をゆっくりと閉めた後、私はもう一度小さなため息をついて空を見上げる。星は見えない。ただ真っ暗な闇を見上げて、私は空に向かって呟いた。
「…… 良かったのよね」
 と――
 向こうから人影が近付いてくるのを感じながら、私は静かに瞳を閉じたのだった。



 12月21日 19:15
 私は深淵の闇の中、その人と対峙していた。
 こんなにも辺りは闇に包まれているのに、私はその人の全てを愛でるような温かい視線を感じている。
 その人が口を開いた。
「夢瑠、経過はどうだ?」
「はい、順調です。あなたの言っていた通り、第2層への鍵は手に入りました。しかし……」
「クローン能力者、か?」
「はい」
「あれは僕の見落としていた事象だった。それに他にもしなくてはならないことがあったのでな。どうだったクローンというものは?」
「…… 嫌な感じでした。人の本来の香りが少なくて……」
「だろうね。あれは僕の最も忌むべき存在の、言うなれば集大成みたいなものだからね」
「……」
「どうしたんだ、夢瑠?」
「あの…… やはり、最後には殺してしまうのですか?」
「何をだ?」
「解放軍の人たち、です」
「…… 今は殺さないが、時がくれば…… 仕方ないな。僕の世界には必要無い存在だし、それに万が一もある」
「…… でも、あの人はあなたの……」
「それも、仕方ないことだ」
「……」
「じゃあ、僕は行くよ。次は…… あの場所で」
 その人はそう言い残すと、暗闇の中に溶けるように消えて行く。
 私はそれをただ黙って見送ることしか出来なかった――
 私はあの人に逆らうことは出来ない。なぜなら私にとってあの人が全てだからだ。あの人は救ってくれた。生まれた時から皆に奇異の目で見られていた私を、同じ匂いのするあの人は…… 救ってくれたのだ――



 2131年 1月10日
 狭い部屋。灰色で統一されたその無機質な部屋の中には、私が眠るためのベッド以外、何も無かった。その中で、私は小さいころからずっと飼われ続けていた。誰とも話すことが出来ず、私と面会することが許されているのは白衣を着た無表情な研究員だけ。私の身体を使い、毎日透明な溶液の浸かったカプセルに裸体のまま入れて、私の中を調べている。すでに羞恥心は抜け落ち、私はただあるがままにその実験を受けていた。何も無く、ただ時間だけが過ぎていくのを虚しく感じる日々―― 
 その研究員はどうも私の力を使い、極東保安隊に不老不死の研究をさせられているみたいだった。私の体内に内在するクロトー遺伝子と呼ばれる遺伝子が、常人が一定期間で減少していくのに対し、私のそれが無尽蔵に増大していくことが私に目をつけた原因だったらしいが、今となってはそんなことはどうでも良かった。
 その日も私はいつもと同じ研究員に連れられて、裸のまま特殊培養液の中に浸かっていた。最近ではこの中で何も考えずに浮かんでいる時が一番落ち着く。
 その時、研究員以外は絶対に足を踏み入れることを許されていないはずのその部屋に、誰かがノックもせずに入ってきた。
 その人物は警告を発しようとした研究員を、音も無く何か見えない衝撃で地面に倒す。そしてまるで何事も無かったように、私が浸るカプセルに近付いて来た。
 私はそれをただぼんやりと眺めている―― あまりにも無感動な日々のせいで、私の心は完全に凍結していたからだ。
 その人物は、まだ若い――おそらく私よりも少し上ぐらいだろう――青年で、銀色の長い髪と少女のような端正な顔が印象的な人だった。青年は私のカプセルの前に近付くと、しばらく私の身体をじっと眺めていた。
 忘れかけていた羞恥心が、じわじわと私の心の中でこみ上げてくる。
 だが、青年の視線はそういう意味で私を見ているのではなく、何かを観察している風に見えた。
 どれくらい時間が経過したのか。青年に見つめられていると、それすらがあいまいに感じれてくる。
 そして、青年が動きを見せた。青年が私が浸っているカプセルの開放ボタンを押す。培養液が回収ダストにゆっくりと吸い込まれていった。
「……」
 カプセルから出てきた私は、その青年にそっと抱きかかえられる。
 青年がその時、初めて私の方を見て静かに微笑んだ。そしてゆっくりと口を開く。青年の声はまるで何かを歌っているように澄んだ声で、私は思わずうっとりと聞き入ってしまった。
「榛名夢瑠。君の存在はとても綺麗だ―― 大丈夫、もう誰も君の自由を奪わせたりはしないからね」
「…… はい」
 私は青年に言われて、虚ろな瞳のままそう答える。
 これが、私とあの人の初めての出会いだった。以来、私はその青年の願いのために、彼に忠誠を誓ったのだ。
 私を研究していた政府と極東保安隊の人間は、彼が私を連れ出したことに対しては何も言わなかった。彼は極東保安隊の中でも特殊な位置にいる人間らしく、何も言えなかった、というのが事実だろう。
 彼はとても私に優しくて、よく失語症になりかけていた私の話し相手をしてくれたが、時々ものすごく悲しい目をして虚空を仰ぐ癖があった。私はそれが気になって仕方がなかったが、彼にその理由を聞くわけにはいかなかった。ただ、その時の彼はとても寂しげではあったが、その何とも言えない神秘的な表情は私の心を痛いほど絞めつけるのだった。狂おしいほどの彼の魅力。しかし彼はそんなことをまるで意識することもなく、誰にも理解されることのない願いを内に秘めていたのだ。
 ――世界への愛。
(私は彼のためなら何も惜しくは無い。そしてこの気持ちは、未来永劫変わることはないだろう)



 2135年 12月21日 20:00
「今でも、あの時の思いは変わらないわ。でも……」
 私は冷たい風に晒された身体を守るように、両手で自分の身体を抱きしめながら誰にともなしに小さく呟いた。その呟きは夜の暗い空の中へと、誰に聞かれることもなく溶けていく。
 私の頭の中に、私を護る為に自分の身を張った京谷君が頭をかすめた。
(どうしても、避けられないのかしら……)
 私はあの人と京谷君のことを交互に頭の中に浮かべる。
(駄目…… どっちかでも死んでしまうなんて、私は嫌だ)
 その時、私はふと何かを思い立って、手の甲に貼ってある偽りの聖印のシールをはがした。
(そうだ…… 私は皆をだましている。皆は私の本当のことを知ったら、許してくれるだろうか?)
 私はそう考えた後、少し自嘲気味な笑みを浮かべる。
(…… 許してくれるわけない、か。真実を知ったら、京谷君だって私を許さないに決まってるわ)
 その時ひときわ激しい風が、私の立っている傍を吹き抜けた。
「――!」
 あまりにもの風の冷たさに、一瞬身体が強張る。私はその冷たさを少しでも防ぐように、さっきよりもより一層きつく自分の身体を抱きしめながら、一つの結論を導き出していた。
(結局…… 私にはあの人しかいないんだわ……)
 その思いを胸に、私はそっと目を閉じたのだった。