CLOSED・WORLD ――イマンスィペイト―― 8
作:アザゼル





 2135年 12月22日 24:00
 CASE8
――霧島京谷――
 バベルの塔頂上の、その吹き抜けのフロアーには、さっきまでにも増して強い風が吹き荒れていた。
 倒れ伏してぴくりとも動かなくなったクローン能力者たち。
 それらの上空にたたずむ、俺の兄―― 霧島裕樹。
 その兄がゆっくりと口を開く。
「そして―― 時は満ちた。京谷、今まで僕の計画のために踊ってくれてありがとう」
「計画?」
 俺は地面に倒れたまま、現れた兄の言葉に対して聞き返す。
 兄は相変わらず宙に浮いたまま、僕を見下ろすと答えた。
「計画だよ。君たち解放軍が極東保案隊をかきまわす間に、僕は天然能力者だけの組織を作っていた。そのために僕も、色々と君たちを助けてあげただろう?」
 俺の脳裏に今までに浮かんだ、数々の疑問がよぎる。
(そんな…… 俺たちが第4区画のアジトから簡単に逃げ出せたのも、バベルの塔のクローンが全滅していたのも、全て兄の仕業だったのか!?)
「言っただろう、京谷。僕は世界を汚す者に粛清を与えなければならない、と。それが僕の使命なのだからだ、と――」
 言いながら、兄は俺の側に静かに降り立った。そして倒れたままの俺を無視して、俺の横をゆっくりと通り過ぎて行く。
「夢瑠!?」
 兄は俺の後ろにいた夢瑠に手を伸ばした。
 夢瑠がその手を握り返す。
「!?」
 俺は驚きのため声にならない声を上げて、夢瑠の方を振り返った。
 夢瑠は俺の方を一瞬寂しそうな表情で見つめた後、兄に身体をあずけるように寄り添う。「残念だったな。夢瑠は元々僕の同士だったんだよ。それに彼女は……」
 兄は僕の方を見て嫌な笑みを浮かべると、夢瑠の手の甲にある聖印をはがした。
「なっ!」
「それに彼女は、僕と同じ天然能力者だったんだ。君たちとは違う、選ばれた人間なんだよ」
 兄はそう言うと、夢瑠の肩を抱き寄せる。そしてそのまま彼女の唇に自分の唇を重ねた。 夢瑠は兄のその行為に抗うこともなく、ただ身を任せている。
 兄の軽く開けた瞳と目が合った。
「そんな…… 夢瑠……」
「ふふ。京谷はこの女に惚れていたのだろう―― だがこの女は君の、言うなればスパイだったわけだ。本当に、残念だったな」
 兄はそう言うと、夢瑠から身体を離して俺をおかしそうに見下ろす。それから今度は極東保安隊の、巨漢の男と額に聖印のある女の方を振り返って言った。
「君たちともこれでお別れだね。この世界を汚すだけの存在はもう必要ないんだよ。これからは僕と夢瑠の二人のユニットと、僕の集めた天然能力者の同志たちが世界を支配してあげる。それが…… この世界のためでもあるのだから――」
「ふざけるなよ、小僧がっ! お前が世界を支配するだと!?」
「そうよ。あなた、極東保案隊を裏切って、ただで済むと思ってるの!?」
 兄の言葉に、極東保安隊の二人が吼える。
 だが、兄はそんな二人を冷ややかな目で見つめ返すだけだ。
 二人は軽く顔を見合わせると、兄に向かって地を蹴って襲いかかった。
 男の腕ははちきれんばかりに膨れ上がり、女の姿はその場から掻き消える。
「君たちは…… 僕に触れることすら、叶わない」
 だが兄がそう呟いた瞬間、巨漢の男の腕は元通りになり姿を消していた女は兄に届く前に地面に倒れ伏した。
「な…… 俺の能力が!?」
「か、身体が…… 思い通りにならない」
 二人はまるで自分の身に何が起こったのか分からないと言った風に、身体を押さえて呆然としている。
 兄がその二人に笑みを携えたまま、ゆっくりと近付いた。近付きながら、兄が口を開く。「君たちの身体の内部エントロピーを、少し操作させてもらった。熊野の能力は身体を構成する筋肉の一部を瞬間的に膨張させている。そして陸奥、君の能力は肉体の反応速度を一時的に脳の伝達能力の加速により速めているに過ぎない。どちらもエントロピーを元に戻せば、変化は元通りに戻るんだよ。僕に君たちの能力が通用しないこと、分かってもらえたかな?」
 兄は言い終えると、まだ呆然としたままの二人に向かって手をかざす。
 瞬間、二人の身体がかすかに震えた。
「がぁっ!!」
「きゃっ!」
 巨漢の男と額に聖印の女の悲鳴が重なる。そして、そのまま二人ともぴくりとも動かなくなってしまった。
「これで、後は…… 君たちだけだな」
 兄が俺たちの方を振り返る。その瞳には昔の兄の優しい輝きはなく、どこまでも透明な得体の知れない冷たさしかなかった。
(もう…… 目の前にいるのは俺の兄じゃない……)
 俺は地についた手に力をこめると、ゆっくりと立ち上がる。
 その横には香澄と、そして同じように立ちあがった長門が、俺と共に兄と対峙した。
「あなたは……」
 香澄が口を開く。香澄は、俺の兄と昔、俺もいれて3人でよく遊んでいたので面識がある。
「あなたはもう…… この世界を支配する妄想に抱かれた、ただのパラノイアでしかないわ。私たち人間の、敵よ!」
 香澄はそう言うと、手に持ったマグナムを兄に向けて構えた。
 兄が香澄の方を向いて、底の知れない笑みを浮かべる。
「なるほど。僕は人間の敵か…… 確かにそうかもしれない。だが、僕は人間の敵であると同時に、世界の味方でもあるんだよ。香澄ちゃん、君には分からないだろうがね――」「分からないわよ、そんなこと!」
 香澄は兄の言葉にそう叫ぶと、マグナムのトリガーを引いた。だが、放たれた弾は兄の身体に届く前に、消滅する。
「そんな!?」
「くらえっ! 兄貴!!」
 香澄の驚愕の声が漏れる瞬間、俺は拳を兄に向けて構えた。巨大な火炎の塊が兄のいる場所に出現し、そして―― あっさりと消滅する。
 それとほぼ同時に長門が生み出した雷も、兄の体に長門が手を触れた瞬間、同じように消滅した。
(どうして!?)
「言っただろう。僕の能力はエントロピーを自在に操作出来るって。君たちの能力が僕の身体に届くことは、絶対にあり得ないんだ。それに……」
 兄はそう言うと、宙の中の何かを掴むように手をゆっくりと動かす。
「それに…… エントロピーとは熱力学の言葉らしくてね。大気に散らばる構成物質を特定し、それのエントロピーを極限まで下げれば、こういう真似も出来る――」
 兄の手を動かした場所に、俺が生み出すのと同じ巨大な炎が出現した。そして、それは俺の方にすごい速度で向かってくる。
 俺が慌てて同じ火炎で打ち消そうとするが、間に合わない。
「危ない! 京谷!!」
 俺があきらめて衝撃に耐えようとしたその時、長門が俺の前に立ち塞がった。
 俺に来るはずの衝撃が、長門を襲う。
「ぐぁぁぁ!」
「長門っ!」
 背を焼かれた長門が地面に倒れ伏す。
 それを見て、兄がおかしそうに笑った。
「あははは。自らを犠牲にして京谷を守るなんて、君の手下は優秀だね」
「…… 手下なんかじゃない」
 兄の言葉に、俺は押し殺した声でそう答える。
 そんな俺に兄は笑みを絶やさぬまま、もう一度尋ねた。
「じゃあ、何なんだい? 君が解放軍のリーダーなんだろう? じゃあやっぱり彼は……」「仲間だっ!」
 俺は叫ぶと同時に話している最中の兄に向けて、拳を構える。
(兄は隙だらけだ…… 今なら!)
「だから、無駄だって」
 だが、俺が生み出すはずの火炎は、今度は出現する前に兄に掻き消された。
「…… 今度こそお別れだな、京谷。僕の理想に人工能力者は必要ないんだ。せめて自分と同じ力で、葬ってあげよう」
 兄が先と同じように大気から炎を生み出す。
 俺はそれを、ただ呆然とした表情で眺めるしかなかった。
(もう、どうしようもないじゃないか―― )
 炎は俺に向かって一直線に向かってくる。
 俺は何もかもをあきらめて、目を閉じた。
「駄目ぇ! 京谷ぁ!!」
 だが、その訪れるはずの衝撃はまたしても俺には訪れず、俺をかばうように目の前に飛び出した香澄を襲う。巨大な火炎を受けた香澄は、そのまま俺の腕の中に崩れ落ちた。
「か…… 香澄!?」
「…… 駄目だよ。…… 京谷が…… 京谷があきらめたら…… 私はどうすれば…… うぅっ……」
 香澄は俺の腕の中で、消え入りそうな声でそう言うと、静かに目を閉じた。
「香澄!!」
 俺は慌てて香澄の心臓に耳を当てる。
(大丈夫だ。まだ、なんとか生きている)
「…… 本当に君の手下は殊勝だね。それにしても女の子に守られるなんて、どんな気分なんだ、京谷?」
「…………」
 兄が蔑んだ目で俺に尋ねた。
 だが、俺はそれに答えることすら出来ない。香澄を抱いて、勝手に震える身体に身を任せるくらいしか…… 俺には出来ない。
(俺は…… 俺は、仲間を守ることも出来ず…… 一体、何のために……)
「……」
 兄はそんな俺を哀れみにも似た表情で見つめると、すっと背を向けて夢瑠の方に歩き出した。そしてそのまま夢瑠と共に、バベルの塔の中に入っていこうとする。
 俺は香澄を抱いたまま、その去って行く兄に向かって叫んだ。
「どうして! どうして、俺を殺さないんだ!」
 兄が俺の叫びに対し、背を向けたまま答える。
「京谷。君にはそんなことをする必要すら無いようだ。君は絶望の淵で、僕と夢瑠の創る新しい世界を見続けるがいい――」
 俺にそう言い残すと、兄と夢瑠はバベルの塔の中へと消えていった。
 残された俺は、絶望感と虚無感に囚われ地面にへたり込む。そして、獣のように天に向かって泣き叫び続けたのだった…… 



 12月23日 12:00
 極東保安隊、特務軍令部総長―― 古鷹重。バベルの塔5階にある、モニター管制室に彼はいた。
 その扉がゆっくりと開かれる。
 入ってきたのは霧島裕樹と最上雅史だ。
「な、何をしにきた!? 君たちはもう、ここの人間ではないのだぞ!」
 古鷹がずらりと並ぶモニターの前の椅子から腰を浮かして、入ってきた二人に叫ぶ。その顔には余裕が無い。
「何をしにきたって? 殺しにきたんだよ、あなたを」
 その古鷹に、裕樹がまるで世間話のような気軽さでそう言った。
 古鷹の顔が、恐怖のためか青ざめる。
「だ、誰か! 誰かいないのかっ!!」
「誰もいないよ。だって皆、殺しちゃったもん」
 古鷹の叫びに、裕樹の隣にいた雅史が楽しそうに言った。そこには罪悪感とかいうものは存在せず、ただの純粋さしかない。
 古鷹の顔は、ただもうひたすらに青ざめていく。
 その古鷹に、裕樹がゆっくりと近付きながら口を開いた。
「…… 古鷹さん。あなたの計画も全て水の泡ですね。あなたがそれぞれの総長と、参謀総長の官邸に配備させていた人工能力者とクローン能力者は、僕の同士が全て殲滅させてもらいました。どうせ、あの事件に乗じて自分が極東保安隊の実権を握るつもりだったのでしょう? ふふ、安心してください。総長も全て消しておきましたよ。これであなたが思い残すことも無くなったでしょう――」
「い、一体…… 何を企んでいるんだ、君たちは?」
 古鷹が近付いてくる裕樹に後ずさりながら、尋ねる。
 裕樹はそれに手を広げる大仰な仕草をまじえながら答えた。
「僕たちの理想世界。そのために僕は、天然能力者だけの組織を作っていたんだ。あなたたちが解放軍の処理に追われている間にね」
 言いながら、裕樹が古鷹を部屋の壁際に追い込む。そして、ゆっくりと彼に向けて手をかざした。
「お話は、これで終わり。さようなら――」
「まっ……」
 裕樹の冷たく言い放った言葉に、古鷹がその場から必死に逃げようとする。
 裕樹の口が禍々しく歪んだ。
「がぁっ!」
 古鷹の身体が一瞬激しく震えて―― そして、彼は事切れる。
 それを裕樹は静かな眼差しで確認すると、雅史と共に部屋を後にした。
 こうして部屋には、不気味な沈黙だけが残されたのだった――