CLOSED・WORLD ――イマンスィペイト―― 9
作:アザゼル





 2135年 12月26日 07:50
 CASE9
――夕凪香澄――
 私は深い闇の底にいた。光の届かない暗い闇の世界。何も無い空間の継続は、私から自分という存在を希薄にさせいく。私が、私で無いような感覚―― 誰もいない、京谷も長門も那智さんも鈴谷さんも夢瑠ちゃんも…… 誰もいないその場所で、私は一人考えている。
(私…… 皆の役に立っているのかな?)
 私の目の前に、自分がいつも使っているマグナムが現れた。これは、去年那智さんにもらったものだ。以来手入れを欠かしたことの無いそれは、いつも鈍い輝きを放っている。(これは…… 私が皆の役に立つために必要な物。でも、本当はそう納得させたい自分を…… 皆の中にいたい自分を弁護するための物)
(そんなこと分かってる――)
 マグナムが消えると、今度は私の父が現れた。不自然に肥えた身体と、ポマードの匂いのきつい頭皮に貼りついた髪を見てると、吐き気がする。
 父がその分厚い唇を動かして、口を開いた。
(お前はどうして私の元から去ったのだ? 私が手配して、あの実験も特別に免除してもらったというのに)
(やめて! 自分が何をしたのかも分かってないくせに!)
 私は現れた父を、力いっぱい突き飛ばす。
 父はそのまま、闇の中に溶けるように消えていった。
(…… あんなことを、したくせに……)
(!?)
 私の目の前に、突如あの時の私と父が現れた。母が生まれた時に死んで、頼れる存在が父しかいなかったのに、それをあっけなく裏切った父との思い出したくもない嫌な過去。私が家を出るのを決意したあの日、そのままの光景。
(嫌!! こんなこと、思い出させないで!)
 だがその光景はすぐにまた消え去り、目の前にはその頃の京谷が立っていた。落ち込んでいた私を解放軍に誘ってくれた、京谷が。
 私は安堵と喜びのため、その京谷に抱きつこうとする。
 だが、京谷の隣に夢瑠ちゃんが現れて、私は思わず手を引っ込めた。
(…… 夢瑠ちゃんが解放軍に入った時、私は嫌な気持ちになった。それはきっと……)(それはきっと、嫉妬していたんだ。夢瑠ちゃんに)
 京谷と夢瑠ちゃんはお互いに手を取り合い、そしてそのまま闇の中に消えていこうとする。
(行かないで! 待ってよ、京谷…… 私には、私にはあなたしか――)
 その時、闇の世界に光が降り注いだ。圧倒的な光の奔流。
 そして、私は……



「―― !?」
 目が覚めると私は全身汗びっしょりで、ベッドの中にいた。ずきずきと身体中が痛む。よく見ると、全身の至る所に包帯が巻かれていた。
(そっか…… 私あの時、炎に焼かれて……)
 辺りを見まわすと、そこは見覚えのある場所だった。第11区画のアジト。そこにある仮眠用の2階の一室だろう。
 私は痛む身体を何とか支えながら、ベッドから起き上がった。そしてふらふらとした足取りで部屋を出ると、下の階へ降りていく。
 階段で何度も倒れそうになりながら、私は何とか下の階に辿り着いた。
「駄目じゃないか、夕凪君。君の身体は、まだ全然完治していないんだから……」
 下の階に降りた私に、知った顔の男の人が慌てたように声をかける。鈴谷さんだ。
「あの…… 私、どれくらい寝てましたか?」
 その鈴谷さんに私が尋ねると、彼は少し苦い顔をして答えた。
「ん。まぁ、3日くらいだ。それより、とりあえず座りなさい」
 言いながら、鈴谷さんはテーブルの椅子を引いて私に勧める。
 私はそれに素直に応じると、引いてもらった椅子にゆっくり腰掛けた。
 鈴谷さんもそれを確認して、反対側の椅子に腰掛ける。
「……」
「……」
 軽い沈黙が続いた後、それに耐えかねたように鈴谷さんが口を開いた。
「…… 何があったかは炎の少年からだいたい聞いたよ。彼が君と長門君をここまで運んできたんだ、3日前にね。何やら色々あったみたいだが…… ま、しばらくはここで休んでおくといい。我々の身の振り方とかも、考えなければならないしな」
「京谷…… 京谷はどこにいるんですか!?」
 私は鈴谷さんが言いにくそうに放った言葉に、とっさにそう叫ぶ。それから、呆気にとられている鈴谷さんの顔を見て、顔を赤らめた。
「炎の少年は……」
 鈴谷さんがそんな私に向かってゆっくりと口を開く。その表情には苦渋の色がありありと浮かんでいた。
「炎の少年は外にいるはずだ。何だか知らないが、あれは酷い状態だな。身体が…… と言うわけじゃなく、心が」
「心…… ?」
 私が聞き返す。
 だが、鈴谷さんはその私の問いかけに答えることなく、それっきり口を閉ざしてしまった。
 私の胸の内に、不安が立ちこめる。
(そんな…… 京谷は絶対あきらめたりはしないわ――)
 私は鈴谷さんに京谷を探してくることを伝えると、そのままアジトを飛び出した。
 街は相変わらず殺伐とした空気に覆われていて、朝の清々しさは欠片もない。どんよりと澱んだ空気と、くすんで色あせた街並み。悲しい瞳をした路を行き交う人々。
(でも、これが今の私たちの国。今の私たちの世界……)
 私は痛む身体を引きずるように、京谷を探して街を当てもなく歩いていた。
 だが、京谷の姿はどこにも見つからない。
(一体…… 何処にいるの、京谷?)
 私はいつの間にか、奥まった路地の中に迷い込んでいた。路地の中には社会から外れたそういう人間が、路の上に身体を丸めて何人も寝そべっている。
 私はそれらを避けながら、さらに路地の奥を目指した。何故だかは分からない。何となくそこに、彼がいるような気がしたからだ。
 その時、私の目の前に突然一人の年老いた男が現れた。
「!?」
 男は本当に突然私の目の前に現れたので、私はその場から動くことも出来ずに、ただその男をぼんやりと眺めている。
 男が静かに口を開いた。その声はひどく小さくしわがれていたので、とても聞き取り辛い。
「あんたは…… あの少年の知り合いじゃろ」
「えっ?」
 だから、私は初め男が何を言ったのか分からず、思わず大きな声で聞き返した。
 だが、その男は私の大きな声には何も答えず、ただ路地の先を、持っていた杖で指すとにっこりと微笑むだけだ。
「…… 京谷が…… 京谷がいるんですね!?」
 私はなぜか直感的にそう悟った。
 だが、相変わらず男はにこにこと笑みを浮かべるだけだ。
 私はその年老いた男に軽く頭を下げると、路地の奥に向かって走り出す。
 そして―― 彼はいた。
 路地の行き止まりで膝を抱えてうずくまっていたから顔は見えないが、間違いなく京谷だ。
 私が京谷に近付くと、彼はゆっくりと顔を上げた。ずっとここにいたせいか、顔色が悪く、その瞳はどこか虚ろで生気というものがない。いつもはセンターで分けた前髪を立たせているのに、今日は寝かせているせいかまるで別人にも見えた。
「……」
(これが…… 京谷?)
 私はあまりの彼の変貌に、一瞬言葉を失う。
 京谷はそんな私の視線に気が付いたのか、すっと顔を背けた。そして、ぼそりと小さな声で呟く。
「…… まだ、寝てた方がいい」
 言いながら、彼はまた膝の中に顔をうずめこんだ。
 私はそんな京谷を見て少し悲しい気分になると、灰色の空をゆっくりと仰ぐ。なぜか溢れ出た涙がこぼれそうになったからだ。
(駄目。ここで私まで悲しくなったら、何のために私がいるのか本当に分からなくなっちゃうもの)
 私は涙を必死に堪えると、京谷の隣に腰を下ろす。
 京谷の身体が微かに震えているのが、服越しに私に伝わってきた。
 二人の間に、永遠とも思える沈黙が流れる。
「…… 俺は……」
 意外にも、先に言葉を発したのは京谷だった。京谷のまるで自問自答のような言葉が続く。
「俺は、一体何をやっていたんだ? 踊らされているとも知らず、いい気になって…… 沢山の人に協力してもらって、結局何が変わった!? 支配する者が変わっただけで、現実は何も変わっちゃいない。だったら、俺が今までしてきたことは何だったんだ? 全くの徒労だったってのか?」
「…… 京谷」
 京谷はさらに言葉を続ける。その吐き続ける言葉は、今まで何十回と自分の胸の内で繰り返してきたんだろうと思われた。
「…… ごめんな、香澄。俺はお前すら守ることが出来なかった。それどころかお前や長門に逆に守られて…… なぁ、香澄。俺はもう誰からも必要とされない人間なんだろうか? 俺は解放軍の霧島京谷でなくなったら、俺の存在する意味はどこにあるんだ? 榛名夢瑠は兄貴の仲間だった。俺はとんだピエロだ。何もかもを失った俺は、これからどうすればいい? 俺はこれから誰のために、何のために……」
 パンッ――
 京谷の言葉を遮って、乾いた音が路地に響き渡る。それは私が京谷の頬を平手で打った音だ。
 京谷が呆気に取られた顔で、私の方を見つめる。
「冗談じゃ…… 冗談じゃないわ! 私が好きな京谷は、絶対にそんなこと言わない。誰からも必要とされていないって!? 私はずっと…… ずっと前から京谷のことを必要としているし、今でも必要としているわ! 私には京谷が必要なのよ! それなのに…… 京谷がそんなことを言ったら、私だってどうしていいか分からなくなっちゃうよ!」
 最後の方は涙声になっていた。自分でも何を言っているのか分からなくなる。視界が見る見るうちに霞んできて、私はすっと立ちあがるとその場から駆け出した。
 どこをどう走っているのか分からない。涙が次から次へと溢れ出てきた。
(京谷、京谷、京谷、京谷、京谷、京谷……)
 体の痛みは、すでに気にならなくなっている。私は何とかアジトの前に辿り着くと、立ち止まって溢れ出た涙を手で拭い去った。そして、その手をじっと見つめる。
(私は、こんなにも京谷のことが好きだったんだ――)
 その思いを私はそっと胸にしまうと、アジトの扉にゆっくり手をかけたのだった。



 路地に一人残された京谷は、香澄に叩かれた頬を手で押さえながらぼんやりとしていた。
 その京谷に一人の年老いた男が近付く。
「どうした少年。酷い顔だな――」
「…… あなたは?」
「酷い顔だが…… ここに来る前より、よっぽどいい顔だ」
「……」
「いい子だな。ああいう子は大事にしないといかんぞ。男として、な」
「でも、俺にはもう……」
「私や…… ここにいる者は皆、もう先がない。だが、少年。少年にはあるだろう? 自分の信じた先にある未来が。それはとても遠いところにあるものなのかもしれん。だがな、少年――」
 そこまで言って、その年老いた男はにこりと微笑んだ。人懐っこい、優しい微笑みだ。
「…… 少年。あんたはまだ何もかもをあきらめるには、ちと早過ぎるだろう? そう思わんかね?」
 男の言葉に、京谷はいつの間にか握り締めていた拳を、じっと見つめる。そしてそれを何度か開いたり閉じたりした後、何かを決意してすっと立ちあがった。
 もう一度、香澄に叩かれた頬を軽く撫でる。
 そして彼は、その男に礼を言うと、その場から駆け出したのだった――
 駆け出した京谷の背に、年老いた男が一言呟く。
「…… 頑張れよ、少年」
 と――



 12月27日 06:20
 まだ、アジトの皆が寝静まっている早朝――
 私はこそこそと仕度をしてアジトを出ようとする京谷の前に立ち塞がった。私の横には長門もいる。
 京谷が扉の前に突然現れた私たちに驚いて、声をあげそうになった。
 それを私たち二人が慌てて、人差し指を口に当てて制止する。
「な…… お前たち、どうして? まだ、怪我が治ってないのに……」
 静かな声で京谷が叫ぶ。
「何を言ってるんだ、京谷。僕たちは……」
「仲間でしょ!?」
 長門の声を遮って、私が答えた。
 長門が台詞を取られて、少し渋い顔をする。
「…………」
 その時、私たちの目の前で、京谷の瞳から大粒の涙が一つ零れ落ちた。
 京谷が私たちの前で涙を流したのはそれが初めてで、私と長門が今度は驚く。
 京谷が、かすれた声で口を開いた。
「…… ありがとう」
 言いながら、彼は流れ落ちた涙を拳で拭うと、にっと笑った。
 私も、長門も、つられて笑みを浮かべる。
「それじゃ、行きましょ! ラストバトルに!」
『おぉ』
 私の掛け声に、京谷と長門の声が見事にはもったのだった――