Closed・World 閉鎖世界の歌姫 第一話
作:アザゼル





「外にはね――」
 自分の顔のすぐ傍で、透明に近い質感をもった肌の黒髪の少女は、いつもの如く夢見様に語り始めた。酷く夢見がちで、その上幻想的な妄想空癖の類に違いは無かったのだが、自分はそれを聞くのが酷く好きだった様な――気がする。
「外にはね。天の頂は無く、ソラというどこまでも果てしない空間がそれこそ久遠に続き、そのソラの中をクモという巨大な飴菓子がたゆたっているの。想像、してみて」
 少女の声音はまるで歌を歌っているかの様で、誘われる様に自分も其の様な世界を夢想しようとしたが、試みは視界の端に映る少女の艶やかな黒髪に遮られる。
 作り物の様な漆黒の髪。
 部屋の薄暗い灯りに照らされているにも関わらず、其の髪は光を反射させずに、逆に吸い込んでしまっている。だから、きっと作り物に見えるのだろう。人形の様な、輝きを忘れた黒髪。
「ソラとクモを世界に照らし出すのは、タイヨウ。魔光の人為的に造られた光とは違う、温かみを有した恒久の光。そんな世界がすぐ傍にあるのに――」
 つうと、頬に少女の冷えた手が触れた。体温を感じさせない無機質な冷たさに、ぼんやりとしていた自分の意識が瞬時覚醒する。
 少女は片頬をベッドのシーツに僅かに沈ませたまま、じっとこちらを凝眸していた。 
 ガラス玉を想起させる薄い色の瞳に、自分の間抜けな顔が映し出されている。
「それなのに、私たちは閉じ込められてしまっている。大人たちは外に出るなと、外には無限の闇しか存在しないと、私たちを欺き自分たちをも欺き、この小さな世界に閉じ篭ってしまっている。愚かな、ことだと思わない?」
 形の好い桜色の唇が、小さく動き、問いかけていた。
 答えられない自分を置いてけぼりにして、セルロイド人形が如き少女はさらに言葉を紡ぎ続ける。熱に浮かされたような言説は、矢張り歌の様に自分の耳朶を心地良く弾ませた。
「誰も出ようとする者は無く、外に目を遣ること自体が禁忌として成り立つ世界。まるで私たちを大きな世界から孤立させるためにかけられた――これは呪いね。かけられた者たちがかけられたことを忘れ去るほどに時間が過ぎ去った今、其れはより強固に機能してしまっている。呪いを解けるのは、其れに気付いた者たちだけ。私たちだけなのよ、シン」
 自分達だけ。
 なんと――魅力的な甘言であろうか。
 彼女と同じ思いを共有でき、彼女の笑顔を見ることができるのであれば、自分は何にでもなれる気さえする。そして其れは――
 きっと、彼も同じなのであろう。
「シン。私たち、ずっと一緒よね?」
 見据えるガラス玉の双眸が、微かに揺らめく。
 濡れた唇が自分の唇と重なるか重ならないかの間際――ぎいと部屋の立て付けの悪い扉が開く擦過音が室内に響き渡り、彼女は動きを止めた。
 無粋な闖入者は二人。
 其の姿を見て、彼女は我が身が衣服を何も纏っていないことすら厭わず、半身を起こして驚愕の声を洩らした。
「とう――」


「何をぼっとしているの、シン」
 俺は俺の隣にいつの間にか並んで歩いていた赤髪の女――ユウヒに声をかけられて、茫洋としていた意識を覚醒させた。
 どうやら、歩きながら夢の様なものを見ていたらしい。
「しっかりしてよね、リーダー。遊びじゃないんだからさ」
「……分かってるよ」
 見ていた夢は思い出せない。見ていた間は瞭然としていた筈なのだが、目覚めると曖昧模糊になってしまい、結局何も覚えていないのと同義になってしまう。内装はしっかりしているのに、外壁は脆い――俺達の国とは真逆の様な性質だ。
「オーマは、どこだ?」
「シンが言いつけた通り、今は魔光炉のポート操作中。自分で言っておいて忘れるなんて、頭――大丈夫?」
 ユウヒは何処か呆れた様に、自分の頭を指で指し示しながら、俺に胡乱げな視線を投げかけた。
「一応……大丈夫だとは思いたいけどな」
 答えながら、俺は現状把握の意味合いも兼ねて、周囲の景観を見渡す。
 くすんだ色合いの無機質な鉄の壁が通路の先まで延々と続き、至る所に同じ様な扉が点在する其の様は、殺風景を体現しているかの様な造りだが――この閉ざされた閉鎖国内では、有り触れたものだ。そもそも風情があるということは、それだけ無駄があるということで、一部の娯楽を許された階級が謳っている其の意味すら俺には理解不能である。
 ここは、我が国の大凡凡ての動力の源たる魔光源を産出管理している魔光炉が在る、一般人には不可侵の場所――魔光ステーション。
 一般人たる俺達がこの場に居る理由は明白。
 そう、俺たちは―― 
「そろそろ、オーマがポートを開け終えたところだろ。どうせ此処ももって後数刻。そろそろお暇の時間だ」
 そう、俺達は違法に魔光炉を一般に開放しているのだ。不平等である魔光源の配分を、悉皆平等に民衆に明け渡すという、正義を振り翳して。
「ちょっと、遅過ぎたみたいよ」
「……らしいな」
 気配に気付いたユウヒが、吊り上り気味の眼を細め胸元から銃型(ガンタイプ)の魔光具を取り出したのに対し、俺は肩を竦めて応えた。知らず知らず口端が上を向くのは、俺の性質故か。
 其れを目聡く見咎めて、ユウヒがぼそりと呟く。
「戦闘馬鹿」
「ほっとけ」
 軽口を叩き合いながらも、お互い背を合わせ、俺達は何処から湧いて現れたか――周りを取り囲む数十のガーディアンと対峙した。ここまで気配を察知させずに近付いてきていたとは、流石に国護を掲げる最強部隊――ガーディアンの面々、といったところか。
 彼等は手に手に、剣型(ソードタイプ)銃型、中には鎚型(ハンマータイプ)の魔光具を携えて、無表情に俺達を睥睨している。
「どうした。突っ立っているだけじゃあ、国賊は狩れねえぞ?」
 一定距離から様子を見て近寄らない彼等に、俺はわざと禍々しい笑みと挑発の言葉を投げかけ、
「マグロは――ベッドの中だけにしときな」
 さらに愚弄の言葉と共に、背中のフォルダーから取り外した魔光具でない唯の剣を彼らに向けて構えた。
 揺れる鋼の切っ先は、無感情を装うガーディアン達の矜持を如何程刺激したか――
 少なくとも彼等の内最前列に居た短髪の若い男は、すぐに触発され、顔を赤くして俺に向かって襲いかかる。
「賊風情が!」
 吼えながら、彼は手にした剣型の魔光具を俺の右方より斜めに斬りつけた。魔光具の刃の部位が淡く光り輝き、軌跡をなぞる様に銀光が宙を奔る。
 良く訓練された、鋭い太刀筋であったが――俺にとっては、唯それだけ。
 一歩向かい来る彼に向けて歩を進めた俺は、容易に予断のつく其の太刀筋上に自身の剣を構えて受け止めた。
「なっ?」
 若い男の顔が、驚愕に歪む。
 理由は、俺が唯の鋼の刃で魔光具の刃を易々と受け止めた所為であろう。魔光源の力で強度を高めた刃を、普通の刃で受け止められる筈が無い――と高を括っていた訳だ。
 だが其れについて、此処で種を明かしてやる義理も無論無い。
 俺は受け止めた刃を膂力で強引に下方に引き下げると、反動を利用し身体を左に半回転させて、短髪男の頸筋に素早く斬りかかった。刃は男の頚動脈を正確に斬り裂き、僅かに間を置いて迸った鮮血が、俺の右頬に降りかかる。
 温い――良く知った感触だ。
 未だ状況を飲み込めず、蒼白となった顔面で意識を混濁させる眼前の男を押し退け、俺は後ろに控える他のガーディアン達に向けて今度は逆に襲いかかった。
「あーあ。スイッチ入っちゃった」
 背にかかるユウヒの、場にそぐわぬ呑気な呟きを聞きながら、俺はまずは近場に居た銃型の魔光具を此方に向けて照準する男目掛けて、袈裟懸けに剣を振り下ろす。
 男は咄嗟に銃身で受け止めようとしたが、
 ――甘い。
 俺は魔光具を持つ其の手ごと、容赦無く斬り落とし、手の付け根から先を切断されて苦悶の叫びを上げる男を掴まえると、男の後ろから槌型の魔光具を叩きつけてきていたガーディアンに向けて突き飛ばす。
 ぐしゃりと、槌は見事に手を失った男の頭を粉砕し、辺りにどろりとした脳漿やら骨片を散開させた。
 自らの手で仲間の頭を潰した男は、瞬間顔の筋肉を弛緩させ自失する。
「何をぼさっとしてるんだ?」
 男に俺の声は如何聞こえただろうか。
 視界の隅に横手より新たに迫り来る別のガーディアンを収めつつ、俺は身体を跳躍させ翻すと、鉄板を底に仕込んだ靴で自失の男を蹴り飛ばした。靴越しに骨を砕いた鈍い感触が伝わり、俺の中の昂揚感を煽る。
「――闘いの渦中なのに、な?」
 其れは、先に迫っていたことを視認していた者に向けて放った言葉だ。
 未だ宙空に在る俺に、鋭い斬撃を見舞おうと剣を振り被っていたガーディアンは、ぎくりと顔を強張らせ一瞬手を止めた。
 冗談の様に空を舞う首。
 成したのは後から放たれた俺の宙空からの斬撃で、強張ったままの首は他のガーディアン達の面々の直中に、ごとりと転落する。勿論、俺がわざと底意地の悪さを見せつけるために狙ってやった所業だ。
 僅か数刻の間に仲間四人を倒されて、彼等は其処で初めて騒然となった。
 円を描くように取り囲んでいた陣形が、俺を中心として蜘蛛の子を散らすが如く、隊列を乱し輪を広げる。
「な、なんだこの男は?」
「どうして唯の鋼の剣しか持たぬ奴に、歯が立たない?」
「こんな話聞いてないぞ。下賎な、魔光源を掠め取るつまらぬ盗人共という話では無かったのか?」
「こいつは、もしや団長と同じ――」
 各々戦々恐々と手前勝手な戯言を吐き出す様は、酷く滑稽だ。先に姿を現した時の、威風堂々としたガーディアンたちの姿は其処には見る影も無い。其処に在るのは、差し迫った死という恐怖の観念に呑み込まれた、有象無象。最早、俺たちがこのまま此処を後にしたとて、誰一人追う者などいないだろう――
 だが俺は、俺の前に立ち塞がった敵を逃すつもりは無かった。
「真逆、俺から生きて逃げられるとか――考えてないよな?」
「其れくらいにしとこう。そろそろ引き揚げの時間だ」
 逃げ腰になり始めた彼等に更なる加虐心を刺激された俺が、凶刃を構え直した処で――まるで頃合を計ったかの様に声は通路に滔滔と木霊した。声の主が誰であるか確かめる前に、俺は直様悪態をつく。
「嫌だ。敵は……」
「凡て皆殺し、か。それじゃあ、彼等の相手もしてくれるんだな?」
「彼等?」
 俺は其処で初めて、声の主の方を胡乱に振り返る。
 俺達から僅かに離れた殺風景な通路の先に、飄々と立つ男が一人。目深に被った派手な黄色と緑のストライプのニット帽に、双眸どころか顔半分を覆い隠す様な黒い風防眼鏡(ゴーグル)の異装の男は、口に咥えたままの折れ曲がった煙草から紫煙を曇らせ、シニカルな笑みを浮かべて此方を見ていた。
 ――俺たちの仲間の一人、風変わりな名前の男オーマ。
「彼等ってのは、何なんだ!」
 殆ど怒罵に近い大声で、俺は再度同じ問いかけを繰り返す。
 間に挟まれる格好になったガーディアン達は、逃げ出す機会を逸して――無論逃がすつもり等微塵も無いのだが、状況を情けなく見守っていた。芥には憐れむことすら煩わしいが、其れでも矢張り惨めである。
「彼等は彼等。此処に僕たちにとって、有益な者が居ると思うかい? 先に魔光炉のポートを操作していた時にね、どうも警報装置の罠に掛かってしまったらしい。だから、実はこんな処でのんびりしている暇は無いのさ。僕は、逃亡の身なんだよ」
「へまを打ったの?」
 言葉の中身の深刻さとは裏腹に、惚けた仕草で肩を竦めるオーマに、ユウヒが此方は幾分危機感を声音の中に含めて聞き返した。
「御明察」
「御明察も何もないだろ、馬鹿!」
 俺は無性に苛立ちを募らせ、口汚く罵る。それから暫し沈思し――否、俺には如何やら一瞬間も考えを巡らせる暇すら無いようだった。
 鉄製の床を五月蝿く踏み鳴らす、多勢の足音。
「皆殺しは、如何する?」
「中止だ」
 意地悪く揶揄するオーマに、俺はあっさりと意趣を翻す。流石の俺も、此処に居る二倍以上のガーディアンを相手に立ち振る舞うつもりは無い。敵を殲滅するのは信念だが、信念に殉じて身を滅ぼす訳にはいかない。
 俺は、未だ――
 何故だか自身でも理由は分からないが、死ぬ訳にはいかないのだ。
「脱出するぞ。オーマ、ユウヒ」
「オッケー」
「了解、了解」
 今一つ緊迫に欠ける二人の応答を待たずして、俺はガーディアン達の包囲網から駆け出した。予断通り、俺達を追う者は無かったが、其れも後発のガーディアン達が到着するまでだろう。
 広大な魔光ステーションを、こうして俺達は後にした――つもりだった。
 ――彼の、女に出遭う迄は。

 
 確保しておいた脱出経路を順当に辿り、俺達は魔光炉の在る最上層から、ステーションの最下層に降り着いた。其処は丁度吹き抜けの空間になっており、天を仰ぐと複雑に蜘蛛の巣が如く絡み合った鉄の肢が、最上層に在る魔光炉を支える様に張り巡らされている。
 仰ぐ度に、眩暈に襲われる様な景観だ。
「ソラとクモ……」
 魔光炉から洩れる魔光源の淡い光を瞳に照らしながら、俺は俺の意思とは別な処で、聞いたことも無い言葉を口に出して呟く。
 前を行くユウヒが訝しむ様に眉根を顰めて、立ち止まった俺の方を振り返った。
「リーダー様、またぼさっとして。如何かした?」
「……いや、何でも無い」 
 俺は僅かに周章して、悟らせまいと直様視線を降ろすと頸を微かに横に振る。
 ソラ、クモ――タイヨウ。
 今口を吐いて出た言葉は、自身が放った筈の言葉であるのに、まるで異界の文句の様に瞭然としない。悠久の彼方に忘却され、此岸に還れなくなってしまった呪言。
 何なのだろうか、この喪失感は。
「何でも無いなら先を急ごう。此処は目立ち過ぎる」
「ああ」
 後ろから追いついたオーマが、珍しく真摯な顔で先を促すのに対し、俺は何処か上の空のまま答えると、歩みを再開した。
 ――其処で、初めて俺は其の女の存在に気が付く。
 女はまるで幽鬼が如く、吹き抜けの空間の中央部に立ち尽くしていて、先の俺と同じ様に天を仰ぎ見ていた。
 何時から、其処に居たのであろうか。
 白く儚い磁器を思わせる肌と、不思議な色合いの白みがかった黄金色の髪。相貌は髪の翳になり窺い知ることができなかったが、何故か俺は彼女が見据える先が魔光炉等では無いことを、既に知悉していた。
 幽かに耳朶を擽る音――
 これは、
「歌?」
 反射的に言葉を口にし、呼応する様に女はこちらをゆるりと振り返る。
 左右対称に造形された顔貌は、まるで匠が半生を費やし意匠を凝らした芸術作品の様に整っており、小さく弧を描いて見える口許は、朝露に濡れた花の蕾を想起させた。整い過ぎていて、余りに現実感が乏しい。魂魄の宿った人形の様だ。
「あら。私、歌ってた?」
 人形はだが、俺達を一瞥すると意外に人間臭い口調で語りかけてきた。頬に人差し指を当てて、不思議そうにくるくると硝子玉が如き眼を動かす様は、何処か戯けた様子すら窺える。
「耳に障ったなら御免なさいね。これでも歌には自信があるんだけれど、誰もそういう風には聞いてくれないからさ。自分の技巧ってものが計れないんだよね。歌歌いが歌自体を評価されないなんて、其れこそ本末転倒。そう思わない?」
 女――自称歌歌いは、呆気に取られる俺達等お構い無しに、流暢に捲し立てながら緩慢と近付いて来る。
 俺は咄嗟に身構えた。
 近付く女に敵意害意が無いことは明白だが、其れでも敵で無い保証は無い。
「心配性な人ね。武器等持っていないわよ」
「此処で何をしている?」
 まるで心を見透かしたかの様に手を広げ何も持たぬことを誇示する女に、俺は内心の狼狽を隠し尋ねる。見透かされたこともそうなのだが、狼狽の原因は女の目だ。歩きながらもずっと俺を注視し続けている、女の双眸。
 見つめられているだけで、何故か酷く頭が痛む。
 懐旧、既視――罪悪。様々な感情の畝りが、綯い交ぜになって俺の脳裏を支配し、懊悩の海へと誘う。此れは――一体何を示唆しているのだろうか。
「逃げているのよ。囚われの姫君は、王子様が助けて出しに来てくれないから自ら脱出を試みたの――なんてね」
「巫山戯るなっ」
 俺は女の冗談めかした言葉に、怒号した。
 呑気に歌を歌っている逃亡者が、何処の世界に居るというのだ。何より女からは、逃げている者特有の緊張感緊迫感の類が、微塵も感じる取ることができない。寧ろ今など、何処か安堵している節すらある。
 だが、女は再び真面目な顔つきで巫山戯てなどいないと繰り返した。
「本当に逃げているのよ。でも入り口の門扉は外からは勿論、中からも開けることの叶わぬ堅硬なもの。私は窮して、途方に暮れていたって訳」
「で、歌を歌ってた?」
「そう」
 訝しむでも無く、無感情に合いの手を入れたオーマに、女は真摯な顔で頷く。
 何という整合性の取れぬ回答であろうか。扉が開かないので、逃げることが叶わないのは分かるとして、其れで如何して歌を歌う必要があるのだ。
「歌を歌っていたのは、諦めの境地から? 随分と、余裕のある逃亡者ね。まあ、何から逃げているか知らないし、私達には如何でもいいことだから聞かないけどさ。二人共、そろそろキョウヤさんとの落ち合いの時間よ」
「そう、だったな」
 俺はユウヒの幾分酷薄な物言いに、僅かに躊躇しながらも頷く。彼女の言う様に、俺達に残された時間は少なかった。外に居る協力者の一人――キョウヤ氏が、此処の警備システムの網を掻い潜って正面扉を通過可能状態にする時機迄、後数刻。時間を過ぎれば再び堅硬なステーションの門扉は閉ざされ、俺達は閉じ込められてしまうことになる。
 だが、
「お前も、来るか?」
「何を言ってるのシン! 気でも触れたの?」
 女に向けて思わず口を吐いて出した提言に、夜叉の様な形相でユウヒが反発した。
 俺は其の余りにもの剣幕に気圧されながらも、言い訳染みた篭り口調で言葉を返す。
「いや。此処の連中から逃げているなら、俺達と立場は同じだろ。だから――」
「だから何? だからこの女が彼等の間者で無いと、如何して言い切れるの? 少し――可笑しいわよ、シン」
「お、俺は可笑しくなんか無い。この女は、敵じゃ無い」
 自分で言ってても可笑しいと判るほど、俺の言説は論拠に欠けている。俺の立場を鑑みれば、斯様な発言は問題視されて然る可きだ。ユウヒが正しい。
 ――だが。
 俺は視線をユウヒから女の方に移した。
 人形の様な女は、俺達の遣り取りが自分の先を少なからず左右することにまるで頓着する様子も無く、無関心とも違う表情の無い表情でじっと見つめている。整ったシンメトリーの相貌からはどの様な感情も露見してはいないが、俺の目には何故か俺への全幅とも言える信頼の感情を読み取ることができた。
 勿論、手前勝手な気の所為であろう。
「……シンは、其の女の方を、仲間である私の言葉よりも信頼するわけ?」
 ユウヒの声は、恐ろしく冷たい。俺の仲間になってから、此れほど冷厳な発言を彼女が俺にしたのは初めてだ。
 だが、最早引くことはできない。
「赤毛の言う通りよ。其の女は信頼できるような玉じゃ無い!」
 俺が或る覚悟を決め、拳を握り締めたのと同時。
 吹き抜け空間に、引き裂くような高音域の声が響き渡った。大気を震撼させ、耳を劈く酷く不快な声音だ。
「下賎な盗人にしては賢しいね。其れとも――単に、嫉妬しているだけかな?」
 耳障りな声と共に俺達の前に現れた人物は、頸の後ろに手を遣りながら、野卑た言葉をユウヒに投げかけ哄った。
 漆黒肌と染髪された不自然な白髪の、如何にも身持ちが軽そうな女
 女は身に纏ったガーディアン専用の純白の外套を棚引かせ、俺達を舐め回す様に一瞥すると、ふんと小さく鼻を鳴らし――其れから聞かれてもいないのに、勝手に名乗りを始めた。
「私はヒョウ様率いるガーディアン第一部隊の副団長、エリよ。盗人共に告ぐ。私の受けた命は其処の女の引き渡し。従うなら特別に命は保障してあげるけど、従わなければ命は無いと知りなさい」
「面白いな」
 俺は漆黒肌の女――エリの高飛車な言説を聞き終えるや否や、やっと自分の調子を取り戻したかの様に、剣を片手に口端を大きく歪めて凶悪な顔を見せつけた。俺にとっては先までの自分の位置が定まら無い問題に立ち行くよりは、こういった分かり易い図式の方が幾倍も遣り易い。確り敵と分かれば、滅すればいいだけだ。
 此れで、口実もできる。
「言っておくが、俺は如何なる理由があったとしても、お前等ガーディアンの益になるようなことはしない。この女が必要なら、絶対に渡さない。其れだけだ!」
 ユウヒに対しての弁解の意も篭めて、俺は態とらしいほど大声で宣告した。
 エリの容貌が、俺にも負けぬほど禍々しい相を描く。
「良かったわ。此処で簡単に引かれたら、私が来た意味が無いもの」
「其れは、幸運だったな」
 短い会話の終わりが、戦闘の契機となった。
 瞬きする暇すら無く間合いに踏み込んだエリーが、俺の胸元よりも下方から掬い上げる様に斬撃を放つ。
 剣を抜き放ったことすら視認できないほど、其の動きは疾い。
 俺は何とか太刀筋を見極め上体を反らし躱したが、予想外の刃の伸びに衣服が縦に大きく切り裂かれた。
「運がいいわね」
「実力だ」
 見上げるエリーと、見下げる俺は交互に軽口を叩き合う。
 伸びきった腕を俺は咄嗟に掴み取り、動きを封じたまま彼女の腹部に蹴りを撃ち込んだが、不安定な体勢のまま軽業師の様に宙空に飛んだ彼女にあっさりと躱され、逆に頭上から強烈な踵落としの反撃を受けた。
 掴んでいた手を離し、攻撃を受け止める。
 腕越しに全身を駆け抜けた衝撃は、女とは思えぬほどの膂力を有するもので、俺は思わず片膝を地面に付けて地に伏した。
「芥は、這い蹲ってる姿こそお似合いよ」
 頭上からの勝ち誇った声と、再度の斬撃。
 自由になった彼女の手に握られる獲物は、通常の剣型の魔光具とは異なった、刃部が大きく反った形状の――刀と呼ばれる珍しい武具だ。
 淡い光の軌跡が、俺の頭頂に吸い込まれるように線を描く。
「甘い!」
 だが魔光の銀線が俺の四肢を裂く一歩手前で、俺は自身が掲げた鋼の剣で其の進行を阻んだ。重なった刃間に魔光の火花が咲き、互いの視界を彩る。
 驚愕するエリー。
 瞳孔を開き俺を凝視する彼女は、刀を持つ手の力を僅かに弛緩させた。
「如何した。不思議なことでもあったか?」
 俺は意地の悪い笑みを浮かべ、愕然とする彼女に揶揄の言葉を放つと、力任せに剣を持つ腕に最大の膂力を篭める。
 弾かれる様にエリーの身体は後方に吹き飛んだが、流石はガーディアンの副団長――上手く衝撃を中和させ、俺から幾らか離れた箇所にふわりと其の身を降り立たせた。
「やるな。芥の集まりのガーディアンにしては、別格だ」
「貴様は――団長と同じ……」
 俺の賛辞なのか侮蔑なのか分からぬ言葉を無視し、彼女は半ば呆然とした顔つきのまま何かを言いかける。が、語尾は吹き抜けの空間内に騒々しく響き渡った、数多の足音の所為で掻き消された。後発のガーディアンと合流した先の者達が、遅ればせながら到着したのであろう。
 そう言えば、先のガーディアン達の中の誰かも、彼女の今の言説と似たようなことを言っていた気がする。
「遊びの時間は仕舞いだ。キョウヤ氏の言っていた時間が来た」
「あ、ああ」
 何時の間にか隣に立っていたオーマの声に俺は直様我に返ると、彼に急かされる形で未だ自失しているエリーを置いて、駆け出そうとした。だが直ぐに足を止めると、同じように駆け出していたオーマの制止の言葉を振り切り、先の場所で立ち尽くしたままの人形女の処まで引き返すと、
「来い」
 一言だけ告げて、強引に其の手を引く。
 柔らかく、冷たい手――
 俺は女の答えも聞かぬまま、此方に向けられているであろうユウヒの冷たい眼差しから逃げるように、ステーションの正面扉に向けて再び疾走を開始した。 















あとがき

 本年初になる長編です。
 なんだか、年を追う毎に遅筆になっていく気が(笑)
 今回はアザゼルもそろそろ本格的に何処かに投稿することを指針に書き始めてみました。なにせプロフィールにも、プロ志望、とか嘯いているみたいだし☆
 宜しければ、アザゼルの妄想小説。
 どうぞご賞味下さいませ。
 感想は激の付かぬ辛口程度でお願いします(笑)