Closed・World 閉鎖世界の歌姫 第二話
作:アザゼル





 閉塞されたこの世界にも地上は在り、上の世界が在る限り、下の世界も在る。
 地下に存在する閉鎖世界の更に下層域――通称、地下街(アンダータウン)
 一部の支配階級の人間や、国王護衛と閉鎖世界を管理することを掲げ謳う武力組織ガーディアン達の監視の目から逃れ、一般人達が秘めごとを行うに適した場所は其処にしか無い。青楼に住まう遊女が闊歩し、非合法の薬物を取り扱う闇の商人が至る処に点在する、日陰の国。僕達の組織の中継処は、其のような地下街に、他の区画を含めて数カ所在る。
 僕達の組織――『ミイール』が掲げるは、開放と到達。
 解放とは魔光源の民衆への解放。到達とは――閉ざされた世界から外界と呼ばれる外の世界へと到達することを指す。但し後者は、組織の存続のために行っていた筈の魔光源の摂取に為りを顰め、今では唯の形骸へと成り変わっていた。
 僕にとっては、非常に危惧すべき事態だ。
 だが――
 僕は視線を仄暗い室内に這わせて、再び沈思する。
 地下街の、場末と呼ぶに相応しい酒場。照明の抑えた店内には、所狭しと俺達の恩恵に与った者達が、騒々しく酒精の放つ容器を手に騒いでいる。中には幼子や乳呑児まで混じっており、彼等の誰も彼もが、禁制されている音楽に合わせて身体を揺らしていた。
 此処は組織の中継処であり、彼等は皆僕達の協力者である。
 音楽を鳴らす再生機も、店の照明も、店内を快適な温度に保っている空調ですら、凡て僕達が違法に魔光炉から搾取した魔光源を元に機能している。今の世に魔光源無しで駆動する物等何一つ無く、だからこそ、僕達は彼等の救世主足り得ているのだ。
 肥大化した組織に、個人の思想は届かない。
 組織の創設者である僕の思惑とは違う方向に進んでいる組織自身を、僕には最早如何することもできない訳だ。何より僕自身が、困ったことに現状を其れほど憂いてはいない。勿論、何れは外界に到達する手段を手に入れなければならないのだが、
「オーマ様」
 思慮に耽る僕の背後から、五月蝿い音楽に紛れてか細い女の声がかかった。
「君か」
 僕は振り返ることなく応答し、背後に現れた者に隣に座るように指で示唆する。僕が腰掛けているのは店の隅に忘れ去られた様に在るテーブル席の、背凭れが半ばで朽ちている椅子とも言えない代物だったが、目立たないという点ではこの場が最適だ。
 現れた女が、立て付けの悪い椅子を軋ませながら腰を下ろす。
「報告です――」
 同時に事務口調で、女は淡々と喋り始めた。
 語らう心算毛頭無しの其の素振りに、僕は口元だけで苦笑を浮かべる。
 彼女は組織に数多に存在する情報提供者の一人であるが、雇い主は組織では無く僕個人。つまりは他のこの場に居る者達と違い、彼女への報酬は僕個人が直接支払っている。例えば僕が組織を通じてでは無く、個人として依頼しているのが、組織にとっての何等かの背徳行為に値するのだとすれば――彼女が僕に妙に余所余所しいのは正常な反応なのだろう。
「セントラルの所在地候補ですが、最有力が第参区画と第八区画。前者は国王御前処。後者はガーディアンの本部で、他の魔光炉の供給経路を考慮してまず間違い無くどちらかが該当しているかと思われます。両区画の通過認証に必要な暗証番号は現在キョウヤ様が解析中。解析完了次第、オーマ様へ連絡の手筈になっております。勿論、本件にシン様の関与は有りません」
 然も其れが、僕の行為の不当性を示唆しているかの様な物言いであるが、僕は特に気にしない。
 この手の反応は慣れたものだ。
「分かった。他に報告は?」
 風防眼鏡のずれを微細に矯正しながら、僕は更なる情報開示を促した。
「いいえ。他には特に……あ」
「何だ?」
 何かを言いかけた女に対し、其処で僕は初めて彼女を鋭く見据える。
 微細な情報が重要な意味を持つことは良くあること。情報とは詰まるところ、どの様な瑣末なものも凡て内包し、一つの意味を持つものだ。何かが欠けたまま時が経過する程始末の悪いことは無い。
 女は僕の視線に萎縮した様に、無表情を装っていた顔を強張らせて答えた。
「噂に過ぎないし、調査の件とは直接関係は無いのですが……」
「構わない」
 前口上は無駄だ。僕は更に先を促す。
「第八区画と其の近隣区――第壱と第七及び第弐拾参、弐拾四区画調査中に判明したことなのですが、対象区画の地下街で数十人の人間が失踪しています。然も、失踪したのは凡て幼児と子供のみ」
「家出とかでは無くて?」
「出る家等、彼等には有りません。其処で此処から先が噂なのですが、如何も背景にガーディアンの動きが有るようです」
 後半部は誰に聞かれるでもない上に、騒然としている店内にも拘らず、女は声を顰めた。
 ガーディアンはこの閉鎖国内では絶対的恐怖の存在だ。例えガーディアンを敵視する組織の根城と言えど、発言に慎重に成らざるを得ないのは甚仕方あるまい。
 其れに僕が言及すべきは、其の様なことでは無い。
「君の言う噂の出所とは?」
「私は間接的に聞いただけです。実際は私も第八区画に潜入しているタケル様より伺っただけで、噂の真贋については私よりも彼に直接聞いた方が早いかと」
「分かった」
 僕があっさりと首肯したことで何処か安堵とした面持ちを表し、女はまるで逃げるかの如く席を立つと、早々と店外へと消えていった。余程、僕と同席し続けることが苦痛であったらしい。
 去り行く女の後ろ姿を見送りながら、僕は再び沈思する。
 軍事組織であるガーディアンと、地下街の子供達。両者の接点等、如何に考えを巡らせた処で想像も付かないが――
 何故か、僕の思慮の網に引っかかるものがある。
「……君は、如何思う?」
「気付いてたのね」
 勘付かれたことにまるで頓着した様子も無く、僕の座る席の後ろから、また新たな女が姿を現した。
 この国では珍しい天然の白みがかった金髪と、血管が透けて見えそうな透過質の肌。現実感を根こそぎ喪失した、人形の様な其の女は、シンに招かれ魔光ステーションから僕等の中継処まで付いてきた正体不明の自称歌歌い――ユメルだ。
 ユメルは僕が勧めるよりも先んじて、僕の隣に腰を下ろす。
「盗み聞きとは、中々結構な嗜好をお持ちだね」
「私は最初から其処に居たわ」
 僕の皮肉った物言いに、ユメルは直ぐ隣のテーブル席を指しながら事も無げに答えた。
 成る程。確かに隣の机上には、半分まで中身の減った硝子容器が放置されていて、先まで人が居た気配の残滓の様なものが漂っている。
 僕が気付いていなかっただけか。
「皆と騒ぐのは嫌いかい?」
「別に、そういう訳じゃない――」
 煙草に火を点けながら放った問いかけに、彼女は今度は微かに表情を翳らせて答えた。否――実際には相貌に変化は無かったので、僕の気の所為かもしれない。瞬きの刹那に瞳に落ちた翳が、僕に其の様な印象を与えたのだろう。
 唯、顔貌が整い過ぎている分、ぞっとする様な表情に窺えた。
「其れとも、あちらが気になる?」
 僕は妙な重圧を彼女から感じ取りながらも、軽薄な口調で店の中央を指差し、質問を続けた。指した先は中央のカウンターで、大勢の人だかりが出来ている。群集の中には、店中の若い女達に囲まれたシンの姿があった。
 反ガーディアン組織のリーダーとして、彼は地下街の女達に絶大な人気がある。
 ユメルは一瞬間だけ群集の方を見遣ると、直ぐに視線を元に戻し僕の顔を睥睨した。
 硝子玉の双眸が僕の姿を映し出し投影する。吸い込まれて二度と還ることの叶わぬ深遠の淵に放り出されたかの様な焦燥感が、僕を包み込んだ。何も悪いこと等していない筈なのに、罪悪感にも似た感情を隆起させられる眼差し――
「如何して、私が気にすると?」
「……いや。世迷言さ。気に障ったなら謝るよ」
「何でも見透かしてそうな人ね。怖い人。オーマさん……だったかしら?」
 見透かされているのは、恐らく僕の方だろう。
「オーマでいいよ」
「不思議な響きの名前ね」
「芸名なのさ」
 其処で初めてユメルは、口に手を当てて小さな微笑を零した。先までの超然とした風容は淡雪の様に掻き消え、ふわりと辺りが一瞬暖気に包まれた様な錯覚を覚える――そんな極上の笑顔だ。
 女の持つ極端な両義性は、何時だって男を惑わせる。
 僕は心中で何処かの誰かが言った格言めいたものを思い返しながら、僅かに口の端を緩めた。
「さて。ユメル君」
「ユメルでいいわよ」
 先の僕の言葉を倣って、ユメルが言う。
 僕は出鼻を挫かれた格好になり一瞬言葉を失ったが、直様態勢を取り戻すと言葉を続けた。
「じゃあ、ユメル。君は如何して、魔光ステーションなんかに居たんだ?」
「秘密」
「質問を変えよう。君は確か歌歌いとか言っていたね。では、唯の歌歌いが仮にもガーディアンの副隊長に狙われる理由は?」
「ガーディアンの隊長さんが、私の美声に惚れ込んだ……とか?」
 質問に質問を返す形で、嘯くユメル。勿論今の言説は虚構に過ぎず、其の証拠に彼女自身が薄っすらと微笑を浮かべている。
 如何も、真相を僕に伝えるつもりは無い様だ。
 僕は彼女が歌歌いということから一つの推測を立てていたが、この調子ではいずれにしても真相を導くことは困難だろう。周辺から僕の頼りない憶測の補強をしていくしかあるまい。
「さらに質問を変えるよ」
「何だか記者の質疑に応える、人気女優の様な心持ちね」
「悪くないだろ?」
 僕は灰の伸びた煙草を机上の銀皿の中に押し潰しながら、戯けた様に肩を竦めて言った。
 ユメルは少し考えた後、白色混じりの金髪を掻き上げ、
「スリーサイズは答えられないわよ?」
 矢張り同じ様に戯けた調子で片目を瞑る。
「其の髪は地毛かい?」
 だが僕の次の質問で、彼女の相貌が緊張の色を孕んだ。
「如何して?」
「いやいや、深い意味は無いさ。唯ね。此処の世界の人間は、ほぼ生まれながらにして皆黒い髪が標準だろ?」
 僕は彼女の射竦める様な眼差しを受けながら、言い訳がましく――と言うよりも事実、言い訳を述べる。
「髪を染めている人は沢山いるわ」
「ああ、確かにね。でも君の髪があまりに見事な金髪なんでね。少し疑問に思っただけさ。他意は無いよ」
「そう……」
 僕の言説に彼女は少しほっとした様に、同時に微かに悲哀の色を湛えて、目線を下に落とした。睫が瞳に翳を作り、彼女の表情を隠す。店内の照明が薄暗いことも相俟って、顔色は全く窺えなかったが、其れでも俯いた顔が哀切に彩られているのは雰囲気から容易に想見することができた。
 矢張り、僕の予見は当たっているのかもしれない――
 視線を机上に向けたままのユメルを沈着と見据えながら、僕は胸臆で自身の考えが正しいかもしれぬことを感じ取りつつ、同時に真逆と思う念も捨てられずにいた。確率的には如何考えても、斯様な辺境の場に其の存在が在るとは如何しても思えなかったからだ。
 何れにせよ、まだまだ確乎とするには情報が足りなさ過ぎる。
「最後の質問だが。いいかな?」
「……どうぞ」
「君はもしかして、シンを――」
 幾分僕の質問攻めに諦観の様相を見せ始めたユメルに、僕が言葉通り最後の――そして一番聞きたかった質問を口にしようとした其の時。
 店の入り口付近が、俄かに色めきたった。


「何だ、手前らはっ!!」
 店中に、野太い声が響き渡る。声の主は恐らく僕達の組織に出入りしている、地下街の血気盛んな無頼漢達の内の一人か何かだろう。
 僕はユメルから視線を外し、声の方に目を遣った。
 予断通り声を荒げていたのは、酒気で皮膚を赤く上気させた大柄な体躯の持ち主で、先の怒号は店の入り口の向こうに居る誰かに向けて放ったものらしい。
 ちらりと、店外から白い髪が覗く。
 次の瞬間、店の中の凡ての人間の目の前で、巨躯の男の頸が何の前触れも無く宙を華麗に舞った。自身の身に何が起きたか理解する前に刎ねられた男の顔には、怒りの表情が貼り付いたままであり、其れが事態の非現実感に拍車をかける。
 恐らく見ている者誰一人として、何が起きたか分かっていない筈だ。
 ――僕とシンを除いては。
「……き、きゃぁあああ!?」
「ひぃ!!」
「いやぁあああ!」
 間を置いて床に男の頭部が落ちたのを契機に、我に返った者達の悲鳴と叫喚が店中に連鎖する。恐怖が伝染するのは火が回るより早し。一瞬で辺りは恐慌状態へと陥った。
 此れを狙って先の所業を行ったのなら、店外の人物の目論見は見事なものである。
 だが、
「五月蝿いね、芥共がっ!」
 店の中に響き渡った恫喝は、訪れた恐慌状態を一瞬で静まり返らせた。
 寂然とした店内に、無遠慮に踵を鳴らして侵入して来た人物は、不自然な白髪と褐色の肌の明暗が特徴的な、ガーディアンの副隊長――エリだ。魔光ステーションでユメルを追い、シンと五分に渡り合った彼女だが、如何も見た目通り何も考えない性格らしい。先の行為は単に自分への駑馬に腹を立てた末の凶行、の様である。
「芥が芥らしく処理されただけ。下らないことで、戦慄かないでくれる?」
「なら、お前が殺されても後ろの奴らは戦慄くなよ?」
 静まり返った店内から、物騒な挑発と共に入り口付近に進み出たのは、組織きっての単細胞――シンだ。
 彼の挑発に反応して、エリの後ろに控えていたガーディアンの面々が店に雪崩れ込んでくる。其の数、大凡二十といったところか。此れだけの数が居ると、店内の非戦闘者を擁護して場を済ますのは骨が折れるかもしれない。
 僕は懐に忍ばせてある銃に手をかけながら、事態の進展に目を遣った。
「残念ね。この間のデートの続き、といきたいところだけど。今日は別件で来ているのよ。お相手はまた今度ね」
「つれないこと言うな。お前に今度は無いんだからよ」
 黒い開襟から覗き見える元は十字を模っていたであろう首飾りに手をかけながら、すらりと鋼の剣を取り出し、シンは多勢に無勢を物怖じともせず、不敵な笑みを浮かべてエリに対峙する。
 彼の性格上、相手が百でも取る態度は変わらないだろう。
「不遜な男だね。分かったわ。望み通り貴様の相手は私がして上げる」
 エリは先の言葉を一瞬で撤回し、自身もシンと対峙する様に、特殊な刀型の魔光具を構えた。成る程、単細胞同士の頂上対決といったところか。
「エリ様。斯様な下賎な者共の相手を貴方がされる必要も無いでしょう。私共に……」
「黙れ。この男の相手は私がする。お前達は任務を遂行しな」
 エリは横に並ぶ槍型(スピアタイプ)の魔光具を携えた厳しい表情の大男を一睨みで黙らせると、最早シンしか目に映らぬかの如く、烈火の勢いで彼に向けて駆け出す。
 次の刹那には、彼女とシンの剣と刀が激しく火花を散らし交錯した。
 魔光ステーションで見せた時と同等――否、其れ以上の疾さで次々と繰り出される彼女の剣撃には、ガーディアンに仇なす組織の長への制裁の念だけとは思えぬほどの気迫が篭められている。何に妄執しているかは分からぬが、将に疾風怒濤の連撃だ。
 手数で徐々に後退させられるシンを見て、だが僕は状況とは裏腹に安堵する。
 今の彼女の攻撃がシンを捉えることは有り得ない。剣筋があまりに正直過ぎて、悉く彼に見極められている。予断の付く剣撃等、個対個の戦闘に於いては全く脅威にならないことを僕は知悉していた。
 勿論、其れも一定以上の技量を持った者のみの間の話であるのだが。
「如何した。息が上がってるぞ?」
「……黙れっ!」
 罵声と共に渾身の勢いで水平に薙いだ剣撃も容易に躱され、初めて彼女は僅かに体勢を崩した。
 生じる隙は、瞬きの刹那。
 だが彼には十分過ぎるほどの時間だ。
「がぁっ!」
 シンの鉄板入りの蹴りがエリの鳩尾を真芯に捉え、鈍い音と共に彼女の華奢とも言える身体は錐揉みしながら吹き飛ばされる。吹き飛ばされた先は他のガーディアン達の最中で、何人かは巻き添えを喰らって彼女と一緒に押し倒された。
「まだ、デートは始まったばかりだぜ。副隊長さん」
 其れを剣の背で肩を軽く小突きながら、余裕たっぷりに見下ろすシン。
「……調子に、乗るなよ芥がっ」
 周りのガーディアン達を払い除けながら、憎々しげな面魂で、刀を杖代わりに立ち上がるエリ。
 再び対峙する二人の間を、剣呑な空気が包み込む。
 だが情勢は明白だろう。
 気迫のみで立ってはいるが、エリの顔色はすっかり蒼褪めていて、額からは幾筋かの汗が間断無く流れ落ちている。先のシンの攻撃で、肋骨を何本か折られた所為だろう。普通の人間なら悶絶するか気を失うかしていて不思議ではない状態で、未だ闘志を無くさないのは見事だが、気力だけでシンは如何にかなる相手ではあるまい。
「エリ様――」
「何度言わせる。お前達は任務を遂行しろっ」
 再度エリを気遣い言を述べる先の厳しい顔貌の男に、彼女はシンの方を向いたまま、先と同じく冷然と言い放つ。
 漸う、男は諦めたようだ。
 手にした槍型の魔光具を構え直し、今度は僕達の方――つまり、店内のシン以外の凡てに向けて厳しい面を向けた。
「お前達。気が進まぬは分かるが、此れも責務。くれぐれも逃すなよ」
 逃す、とは如何いう意だ。
 男が他のガーディアン達に指令を下すのを聞き咎め、僕は一瞬思惟に陥る。が、答えを導き出す時間や猶予を、彼等が与えてくれる筈も無かった。
 男の言葉を契機に、他の多勢のガーディアン達が一斉に強襲する。彼等は店内に居る凡ての人間に、誰彼構わず攻撃を開始した。
 点在と、悲鳴が巻き起こる。
「くっ」
 僕は予測外の事態に周章し、取り出した銃を何処に照準するかで躊躇した。
 或る程度の戦闘は避けられまいとは思っていたが、真逆国護を掲げるガーディアンという公的組織が、非戦闘員や女子供も遍く含めて殲滅に掛かるとは。此処の国王は公明正大な人物だと仄聞に及んでいたのは、誤謬であったか。
「取り敢えず、君は隠れているんだっ。彼等の今回の標的は君では無い様だが、君が彼等の標的であることには変わりがない」
「……ええ」
 彼女は何処か釈然としない面持ちで頷くと、両手で自身の身を抱きながら、店の裏口へと消えていった。有事の際の脱出経路は既に彼女には教えてある。此れで少なくとも彼女の身は安全だろう。
 後は、
「後ろだ、ユウヒ!」
 僕は泳がせていた照準を、ユウヒの背後から忍び寄っていた一人のガーディアンに合わせると、引き金を躊躇無く引く。
 乾いた銃声が二度、店内に響いた。
 僕の携帯する銃はユウヒが扱う魔光具の類では無く、既に滅びた失文明の遺品で、火薬を用い鉛の玉を吐き出す仕様になっている。シンからは骨董品呼ばわりされている代物だが、僕にとっては貴重な相棒だ。
 銃弾は正確にガーディアンの剣の魔光供給部位と、刃を撃ち抜き粉砕した。
「戦闘の様な野卑た蛮行は、僕の趣味じゃないのだけどね」
 僕は突如武器を破壊され戸惑うガーディアンの一人に緩慢と近付くと、再度引き金を絞る。
「きっ……」
 何か言いかけた男は、何か言う前に胸に銃弾を穿たれ床に倒れ伏した。どす黒い血が倒れた男を中心に円を広げ、床に染みを描く。
「大丈夫だったかい、ユウヒ」
「ええ。私はね。それより――」
「分かってるさ」
 緊張した相貌を覗かせるユウヒに、僕は肩を竦めて見せると、戦場と化し今や其処彼処で敵味方が入り乱れる騒然とした店内に身を向けた。
 後は、可能な限りこの場の犠牲者を出さぬよう努めるだけである。
「ユウヒには、女子供を優先して脱出経路へと誘導してもらおう。被害はなるべく最小限に留めなくてはね」
「分かったわ」
 僕の言葉に彼女は短く答えると、直様身を翻し行動を開始した。
 シンの様な単細胞とは違い、怜悧な彼女なら安心して任せることができる。信頼できる仲間とは、本来彼女の様な人物のことを指すのだろう。少なくとも敵を皆殺しにすることにのみ全霊を注ぐ様な愚者は、信頼に足り得ない。
「さてと」
 僕は頼もしい仲間の背を見送りながら、減らした弾倉に弾を補充すると、戦闘の続く乱戦の場に身を進めた。
 ――だが、この時の僕には、分かっていなかったのだ。
 ガーディアン達の真の狙いが、何なのかを。


 傍目には瓦礫と塵埃に塗れた廃墟にしか映らぬ、魔光鉄道の駅。この閉鎖世界で唯一の移動手段である、魔光源を源として走る魔光列車の駅なのだが、一般人の使用頻度が少なく、駅舎の中は深閑な様相を醸し出している。
 其処を、僕達は声も無く歩いていた。
 ガーディアン達は意外な程あっさりと引き上げた。だが――
「糞っ。ユウキもランもソウジも……俺は守れなかったってのか!」
 シンの駑馬が、粛とした空間に木霊する。彼は叫ぶだけでは納まりきらなかったのか、辺りに散乱している瓦礫の一つを蹴り飛ばし、壁に衝突した瓦礫が、同じ様に周囲に音を木霊させた。
 だが、誰も彼に応える者は居ない。
 ユウキやラン、ソウジというのは、彼を慕っていた地下街の子供達の名だ。皆身寄りは無かったが、一様にシンを実兄の様に好いていた。そして彼も同じ様に、子供達を弟が如く可愛がっていた。
 平気で敵を殺す男は、何故か無条件に子供達には優しかったのだ。或いは、彼の失くした記憶の何かが、彼等に共鳴したのかもしれない。
「落ち着いて、シン。貴方だけの所為じゃないし、私達に大切なのは此れから如何するか――でしょ?」
「分かってる!」
 シンの後ろを歩いていたユウヒの言葉に、彼は苛立った声を返す。だが直ぐに其れが単に八つ当たりにしか過ぎぬことに気付くと、彼は消え入りそうな声で小さく「すまない」と謝った。
 ――子供達は、ガーディアンに攫われた。
 キョウヤ氏が現れ、ガーディアンが入れ替わり気味に僕等の中継処としての酒場から姿を消した時、店の名には見事に子供達の姿だけが無かった。残されたのは無数の重傷者達と、戦闘の痕を示す残骸や血痕のみであった。
 槍の男が言っていた逃すなの意は、子供達を逃すな、という意だったのだろう。
 ユウヒの言う様にシンに非は無い。あるとすれば数刻前に同じ話を聞かされたにも関わらず、何の注意も喚起できなかった僕の方にこそ、だ。
「兎に角、彼らの狙いが何であるかが今一つ分かりかねるが、こういう事態になった以上、僕らの最優先事項は子供達の奪還だ。其の為に、ガーディアン本部の通過認証は手に入れてある」
「手回しが早いわね」
「仕事と女には勤勉でないとね」
 ユウヒの合いの手に、僕は胸襟の動揺を悟られぬ様、態と諧謔めかして答えた。ユウヒやシンには未だ、僕が組織とは別の目的を糧に独自に調査を行っていることを知られたくない。通過認証が子供達奪還の為であるというのも、勿論欺瞞であるのだが――
 察した訳ではないだろうが、彼女も其れ以上は特に言及しなかった。
「……そうだな。オーマの言う様に、何をおいても子供達の無事が先決だ。後悔なんて柄じゃなかったな。後から悔いる前に、まずは行動。ガーディアンの本部に殴り込みなんて、面白いじゃねえか」
「あぁ」  
 代わりにシンが今度は口を開く。何処か物騒な色の声音だったが、暗にはガーディアンの本部を壊滅させてでも、という意が内包されているのだろう。他人が聞けば不安に駆られる剣呑な口調だが、事態が事態だけに不思議な心強さがある。
 ガーディアンの本部と言えば、練磨された戦士の巣窟だ。別に本当に殴り込む訳では無いだろうが、状況は厳しいと言わざるを得ない。しかし其れでも何とかなりそうな――そういう意思の強さが窺える声音だ。
 僕が彼をこの世界の相棒と選んだのは、彼の愚直なまでの意思の強さに魅かれたからなのかもしれない。
「頼もしいですな」
「キョウヤ氏……」
 僕は背後から突然かかった声に、僅かに反応を鈍らせて振り返る。
 視界には白髪混じりの黒髪を丁寧に撫で付けた、無闇に姿勢の好い好々爺然とした初老の男が僕等を見据えて立っていた。目尻の皴が深く、表情が窺えないのはいつものことである。組織の重要な情報提供者であり協力者である――キョウヤ氏だ。
「だが油断は禁物。何せ本部には例の男が居る筈だからの」
「例の男?」
 キョウヤ氏の言葉に、シンが不審に聞き返す。
「そうじゃよ。ガーディアン創立にして最強の男と風聞されとる、有名な男。彼の前には千の戦士ですら意味を成さないとの評判じゃ」
「豪く大仰ね」
「そうじゃな。だが、真実だよ」
 ユウヒの横槍に、キョウヤ氏は淡々と答えた。其の真摯さには、思わず全員が生唾を飲み黙り込んでしまう迫力が内包されている。
 一騎当千の戦士。ガーディアン最強の男。
 不気味に再び静まり返った駅舎の通路で、僕は考えを巡らせる。
 もし斯様な男が僕等の前に立ち塞がり、シンですら敵わぬ時が訪れた時。僕も覚悟を決めねばならないだろう、と。
 不意に僕は誰かの視線を感じた。
 視線の元を辿ると、中継処を出てから駅に着くまで、誰とも口を聞かずに黙していたユメルの視線にぶつかる。硝子玉の双眸が凝視していた先、其れは――
「男の名前は」
 シンの声。
 暫くの後、キョウヤ氏の声が響く。
「男の名は、ヒョウ――」















あとがき

 漸う完成。第2話です。
 この調子ですと完成に漕ぎつくまでに如何ほどの時間がかかるのか。
 先の見えなさに軽い眩暈すら起こしそうな勢いです(苦笑)
 少なくとも既作の中では最大に長くなりそうで、今年一杯では終わりそうな気がしません☆
 それでも付き合って頂ける親切な方。
 どうぞ最後まで見放さないでやってください♪