月があなたと踊る夜 11
作:ASD





エピローグ




 長い長い夜に、終わりが訪れた。
 終わりは、また新たな始まりに通じる。永遠に続くかと思われた長い夜にも、朝は訪れた。
 森の中には、あらたに何人かの犠牲者が出ていた。
 それを目の当たりにしてまで、化け物を追い詰めようという勇気ある者はいなかった。村人達は、そんな犠牲者達の亡骸を携え、外の森から引き返してきた。
 内の森で、ロシェ・グラウルの無残な亡骸が発見された。
 怪物は、追っ手を振り切って逃走したのだ。彼らはそう思う事にした。



 イーヴは、まどろみから目覚めた。
 薄目を開ければ、天窓から差し込んでくる朝日が、礼拝堂に淡い光を落としている。
 傍らを見やれば、カリルが安らかな寝息を立ててぐっすりと眠っている。ちょっと揺すったくらいでは、起きそうになかった。
 不意に、外の方が騒がしくなった。何事かと思い振り返ろうとした瞬間に、礼拝堂の重い扉が押し開かれる。
 どかどかと踏み込んでくる、大人達の群れ……外の森までアーシアを追っていった村人たちだ。彼らが帰ってきたのだ。
「まったく……散々な夜だったぜ」
「いや、命があっただけ儲けものだろうさ……おい、遺体はこっちに運び込め」
「そういや、司祭様がいねえんだった。こいつらの葬式、どうするよ?」
「その司祭様の葬式がまず先だろうさ。……そういや、あのぼうずは結局どうしたんだ?」
「カリルもだ。どこへ行ったものやら……」
 思い思いの言葉を、彼らは口にする。そして――。
「……おい、こいつを見ろよ」
 やっと見つけてくれた。イーヴは半ば眠りながら、ほくそえんだ。
 中央の通路、その真ん中にどんと置かれた、その遺体――村人達はそれに強い興味を示すだろう。
「こりゃあ……薬屋のおかみだ! あの化けもんだ!」
「死んでいるのか?」
「わからねえ……」
 そんな事を口々にいう大人達。その中の一人が、眠りこけるイーヴとカリルを発見した。
 ざわざわと騒がしくなってきたので、イーヴは眠い目をこすりながら身を起こした。
「お、お前……生きていたのか!?」
 さすがに、村の男たちも昨晩のイーヴを見て、もう駄目だと思ったらしい。カリルはともかくとして、思ったより血色のいい少年の姿は彼らを少々面食らわせた。
 そして、戸惑いを覚えざるを得ないのはこの取り合わせだ。
「おいぼうず、この亡骸は、もしかしたら――」
 そう問われて、イーヴは是正も肯定もしなかった。どのみち、こんなにぼろぼろになった血まみれの死体が、他の誰であるはずもない。
「……ぼうず、お前らが退治したのか?」
 イーヴはただ曖昧に返事をしただけで、明言は避けた。傍らでまだ眠り続けるカリルも、何も言わなかった。だが、子供達は特別外傷こそなかったが、やはり血にまみれていた――。
 子供達が、アーシアを退治した。
 墓地を荒らし村人を殺害した化け物を、やはり父を殺された少年が退治したのだ――。それが、村人達の出した結論だった。




 その亡骸を前に、村人たちは冷淡だった。
 そんな化け物など打ち捨ててしまえと村人たちは主張したが、イーヴはそんな意見に耳を貸すこと無く、一通りの葬儀を行った。村に司祭がいない今、少年こそがその代理だった。クラヴィスの墓の隣に墓の地面をもらい、そこにアーシアを埋葬し……そのすぐ近くに父の分の地面も用意してもらった。
 父も含めて、命を落とした村人達の葬儀も一通り終了し――その中には、森で発見されたロシェの分も含まれていた――それで全部、お終いだった。
 残された問題は、独り身となった少年の身の振り方だった。
 王都からやってきた彼だったが、そちらにもとくに身寄りらしい身寄りはなかった(だから父とともにこの村に来たのだ)。村で面倒を見る、という話もあったが、医者も薬屋もいないこの村は少年には少々不便であろう。
「……やはり僕、王都に戻ります」
 少年は、相変わらずの青白い顔で、尋ねてきた村長にそう答えた。
「戻った所で、行く所なんかありはしないのだろう。どうするんだね?」
「王都に残した家屋敷がありますから、それを売り払えばそれなりのお金にはなるはずですし……父の知り合いのつてを頼って、どこかの寄宿学校にでも厄介になるつもりです」
 やがて少年は、僅かばかりの荷物をまとめ、ある日、村を出ていく事になった。



 その朝……というよりはまだ夜もくらいうち。まだ村人の多くが寝静まっているその時間。
 イーヴと一緒に、教会から出てきた人影を見ているものは、誰もいなかっただろう。
「……大丈夫。誰もいないよ」
 イーヴは手招きをして、その人影に外へ出てくるように促した。
 前の日のうちに、馬車は用意してあった。餞別代わりにと、村人から譲り受けたものだ。
 ささやかな家財道具を積み込んだその荷台に、その人影はさっと身を潜り込ませる。人の目が無いのを確認すると、イーヴは馬を荷車につないで、御者台に乗った。
 人目を忍ぶような出発だった。彼らを見送るものは誰もいなかった。
 馬車はとぼとぼと村を横切って、やがて街道へ続くあの森の一本道へと向かっていく。
 その先にはアーシアの薬屋があり、村の墓地があり、その向こうをずっと進んで行けばいずれ王都へ通じる街道に行き当たるだろう。
 そう、そこからが旅の始まりだった。少年は手綱を操って、馬の速度を速めようとした。
 やがて、馬車は薬屋の前に差しかかる。
 その店先に、少女の姿はあった。
 少年は大慌てて馬車を止める。少女が、小走りに駆け寄って来る。
「……カリル?」
「ここで待っていれば、会えると思ってた。……何も、こんな早くに出発する事ないじゃない」
「だって、誰かに見られるとまずいし。……ねえ」
 イーヴはそう言って、馬車の荷台に身を潜めていた旅の連れ合いに同意を求めた。
 彼女はゆっくりと身を起こし、周囲を見渡す。早い時間とは言え、まだ村も近い。
 ぐるりと見渡したその青い瞳が、少女を捉えた。
「そうね、イーヴ。私は……憎き化け物は、死んだ事になっているもの」
 彼女……アーシアはそう言って、少しやつれた顔でにこりと笑ってみせた。
「もう、大丈夫だよ。……そっち、苦しくない?」
「ううん、もうしばらくこうしている」
「でもさ」
 カリルが、口を挟んだ。
「あらためて見ると……やっぱり、似ているわよねえ」
「……そうかな」
「そうよ。だって、村の人も誰も疑ってなかったし」
 そのカリルの言葉に、イーヴはアーシアを見やる。
 確かに――母に似ている、そう思わないでもない。実際、母に再会したときには、彼自身強くそう思っていた。けれど今は、二人をはっきりと別人と認識出来る。
「どうかな……似ているのかな?」
「さあ……まさかイーヴ、私があなたのお母さんに似ているから、私を生き返らせたの?」
「別に、そういうわけじゃないよ」
 イーヴは、慌てて否定した。
 焦せる少年の姿に、カリルはくすくすと笑う。
「……でも、イーヴも思いきった事をするのね」
「そうかな」
「そうよ。私あの時、びっくりしたんだから」
 あの晩……イーヴはカリルの見ている前で、おのれの心臓をえぐり出した。
「馬鹿みたい。自分で胸を刺しておいて、後は頼むって。……私も、まさかあんな事を、一晩に二回もするなんて思っても見なかった」
 そう……今から考えれば、イーヴも大胆な事をしたものだった。
 イーヴの胸からえぐり出した心臓は、その心臓だけで強く脈打っていた。
 その心臓を、短剣できれいに半分に切り分けたのはカリルだった。その生命力に、少女は圧倒されるばかりで――半分に裂いた心臓は、やがてそれぞれが独自に、脈動を始めたのだ。
 その心臓を、彼女はひとつずつ、少年とアーシアに分け与えた。
 神秘の力は、彼らの上に半分ずつ訪れた。
 心臓が半分になったイーヴは、元の通りの病弱そうな少年になっていた。
 心臓が半分戻ってきたアーシアは、やはり以前よりは多少は顔色が悪い。荷台の上で横になっている姿、身を隠しているというよりは身体を休めているようにも見えた。
 何にせよ――心臓は、二人に等しく時間を分け与えたのだった。
 甦ったイーヴは一計を案じ、燃え残った母の亡骸をアーシアに見立てる事にした。どうせもうぼろぼろで、元の形もどうだかあやしい。結局は、村人達が誤解するままに誤解させておいた。
 そして、生き返って間もないアーシアを地下室に隠したのだった。
 そしてあれが母の亡骸だったからこそ、イーヴは村人達に指一本触れさせず、埋葬も自分で行ったのだ。
「ねえ、イーヴ」
 今度は、荷台のアーシアが、イーヴに問いを放った。
「なに?」
「あらためて聞くけど……本当に、これで良かったの?」
 真正面から見つめられて、イーヴは少しだけどぎまぎした。胸が高鳴ってくるのが分かる。脈打つ心臓、それはアーシアから譲り受けたものだ。
 ちらと、カリルを見やる。彼女はにやにやしながら、イーヴの返事を待たずに横から返事を割り込ませた。
「良かったのよ、これで」
 自信たっぷりに言い切ったカリルを、馬上の二人は不思議そうに見下ろしていた。
「二人とも、死なずにすんだ。……それで、いいじゃない」
 そうじゃない……そうじゃないはずだ。
 イーヴがこの村を出て遠く離れていく事まで、彼女が望んでいるわけじゃない……それはイーヴにも、アーシアにも、言葉を交わさずとも分かりきった事だった。
 だから、カリルの言葉に、二人は何も言わなかった。
「イーヴ、あなた本当にこれでよかったの?」
「アーシア。僕が今生きているのは、あなたが望んだ事だよ」
「そう。そして私があそこで命を落とさなかったのは、あなたが望んだ事。イーヴ」
 アーシアは照れているのか、かすかに笑みを浮かべながら……夜空を見上げる。森の木々の間から漏れてくる、柔らかい月の光。果てしなく満ち欠けを繰り返しながら、アーシアを、イーヴを、カリルを……この地上に存在するありとあらゆるもの全てを、ずっと照らしてきた月の光が、この夜もまた頭上から振り注いでいた。
「ねえイーヴ。……帰ってくる?」
「どうだろう、それは……でもカリル、もしまた会うような事があっても、僕を見失わないでよね。僕は多分ずっと、この子供の格好のままだから」
「イーヴ……」
「……なにさ、あらたまって」
「イーヴ、怒っていない?」
「……?」
「私がわがまま言って、あなたを生き返らせてもらったのよ? ……勝手なことするな、って、思っていない?」
「……思っていないよ、そんな事」
 そう言って、イーヴは優しい微笑みを、彼女に投げかけた。
「あ、そうだ」
 ふいに、思い出したような声を上げるカリル。彼女は服のポケットをまさぐると、取り出したものをイーヴに差し出した。
「これは……四つ葉のしろつめくさ?」
「アーシアに」
 言われるままに、イーヴはアーシアに手渡す。指先が触れ合わぬように、気を遣いながら。
 受け取ったアーシアが、少女に問いかける。
「……これ、どうしたの?」
「昨日、墓地へ行って探してきたの。クラヴィスさんのお墓の回りから」
「……」
「一応、旅のお守り。……イーヴをよろしくお願いします」
「……ありがとう」
 ぺこりと頭を下げる少女に、アーシアは感謝の言葉を告げる。
「……二人とも、気をつけてね」
「分かっているよ。……それじゃ」 
 やがて……出発の時はやってくる。そこにいつまでも、長居をしているわけにはいかなかった。
 イーヴが、馬車を進ませる。彼らはゆっくりと、薬屋を離れていった。
 見送るカリルの姿が、遠くなっていく。何度か振り返ってみたけれど、別れが辛くなるだけなので止めた。
「ね、アーシア」
「なに?」
「そろそろ、墓地が近いけれど……止めようか?」
「あなたは? ご両親のお墓、結局あの場所に残していくわけだけど」
「いいよ。もう別れは散々済ませたし……アーシアは?」
「私も……いいわ。クラヴィスがいるのはあんな場所じゃないもの」
 そういって、アーシアは目を閉じる。その白い指先には、カリルがくれたしろつめくさの葉が揺れていた。
「あの人は、いつだって私とともにいるから」
 やがて、馬車は墓地を通り過ぎて……村を離れ……そのうちに街道へとたどり着くだろう。
 この後、二人がどこへ向かったのか……その行方を知るものは、誰一人としていなかった。
 ただ月だけが、遠く旅立っていく二人を、いつまでも見守っていた。
 そう、いつまでも……朝が訪れるまで、ずっと。















あとがき

 というわけで、「月があなたと踊る夜」全編、無事に完結であります。
 ここまでお読みいただいた皆様、長大な作品に最後までお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。本当に、感謝の念を禁じえない、とはこの事であります。何せ、「やぱ富士」掲載作品としては前人未到の440枚ですからね(爆)
(注:「富士を見よう」時代に690枚まで掲載していただいた前科がASDにはありますが(爆))
 さすがに、ここまで長い作品になるとはASDも思っていませんでした。何せ、元々この作品は、企画短編「夜」のための作品だったわけで……まさかそれが、9倍もの分量になろうとは予測だにしませんでした(爆)
 そんなこんなで、分量ばかりではなく執筆期間もかなりの長期に渡ってしまいました。半年がかり、ここにこうやって無事作品をお届け出来て、本当に良かったと思います。
 願わくば、せめて長さに見合った面白さがわずかばかりでも提供出来ていれば、と思うのですが……。
 どうかお手やわらかに……(笑)

2001.9.6