紋章
作:坂田火魯志



※この作品は第24回企画短編「イラスト競作:その2」参加作品です※
以下のイラストを元に書かれました。

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(イラスト提供:玉蟲さん)




 それは昼の世界の話であっただろうか、それとも夜の世界の話であっただろうか。その狭間にある夕暮れの世界での話であったかも知れない。確かなことはわかってはいない。
 書には残ってはいない。ただ人々の話には残っている。幻想の世界の話である。
 赤い太陽が砂漠の彼方に消えようとしている果てしない空虚な大地、そこにある崩れた神殿の遺跡。かっては神々が祭られていたであろうこの廃墟の側に二人の女がやって来た。
 一人は赤い、いや薄紫の髪に日に焼けた赤い肌、そして白と赤の服を身に纏っている。剣とズボンの服装から彼女が戦士であるとわかる。美少年にも見える精悍な顔の右の頬に何やら紋章が描かれているが髪の毛に隠れよくは見えない。その髪は短いが紋章を隠すには充分なものであった。
 その隣には豊かで膝まである黄金色の髪の少女がいた。青く丈は長いが所々が露出している青い服に頭からその服と同じ色のヴェールを羽織っている。その肌はまるで象牙の様に白く、月夜の幻想を思わせる美しい顔には切れ長の青い目があった。今その二人が馬に乗り廃墟を歩いていた。
「そろそろ日が暮れるわね」
「そうね」
 赤い戦士は青い服の少女に対して頷いた。二人は一頭の馬に乗っていた。戦士の少女が手綱を握っていた。
「どうするの?グルド」
 青い少女は赤い戦士に尋ねた。
「今日はもう休む?」
「ここでかしら」 
 グルドと名を呼ばれた少女はそれを受けて廃墟に目を向けた。
「ええ。これ以上進んでも当分砂漠しかないようだし」
「休むのはここだと言いたいのね」
「私はそう思うけれど」
「わかったわ、ビルキース」
 グルドはその言葉に従うことにした。
「今日はここで休みましょう。それでいいわね」
「ええ」
 ビルギースと呼ばれた青い少女は頷いた。こうして二人はこの廃墟にて休むことになった。
「それなら」
 まずはグルドが馬から降りた。風の様に軽やかな動きであった。
「ここで一休みね」
「ええ」
 次にビルギースも降りた。彼女の動きは羽根の様に穏やかなものであった。
 二人はそのまま馬を引いて廃墟の物陰に向かう。そして丁度よい場所に辿り着くとそこに腰を下ろした。そしてビルギースが
魔法で火を出したのであった。
「食べ物、持ってる?」
「ええ」
 グルドがビルギースの言葉に頷いた。そして服の下から干し肉を出してきた。
「これと。あとナツメヤシ」
「鞍にもあったわよね」
 ビルギースは側にいる馬の鞍を見て言った。
「確かチーズが」
「あとパンとね」
「何だ、結構あるじゃない」
「チーズとパンは置いておく?」
「そうね」
 ビルギースはその言葉に頷いた。
「明日は砂漠を越えなくちゃいけないし。置いておきましょう」
「お水もね。程々にしといた方がいいよね」
「そうね、お水も」
 そう言いながら鞍にある水袋を見た。
「大切に置いておきましょう」
「砂漠を出たら大きな街があったわよね」
「カリフのおられる街よね」
 今二人がいる国はカリフが治めているのである。温厚で慈悲深いカリフだと言われているが本人に会ったことはないので
確かなことはわからない。
「そこに行けば。また食べ物が手に入るね」
「ええ。それに仕事も」
「仕事、かあ」
 グルドはそれを聞いて顔を見上げた。
「最近安い仕事ばかりだから。大きな仕事がしたいわね」
「キャラバンの警護とかじゃ嫌なの?」
「あたしはいいけれどあんたが困るんじゃないの?」
 グルドはビルギースに顔を向けて言った。
「スケベな親父に囲まれるから」
「そんなの気にはならないわ」
 ビルギースはその整った顔に優雅な笑みを浮かべて言葉を返した。象牙色の顔が次第に深くなっていく夜の闇の中に映っていた。
「グルドがいつも一緒だから」
「あたしは別に何もしていないわよ」
 グルドはスッと笑ってそれに応えた。
「いつも。ビルギースに助けてもらってるし」
「そうかしら。グルドの剣がないと私なんてとっくに」
「あたしだってさ。ビルギースの魔法がないと」
 二人は互いにそう言って褒め合っていた。そして干し肉とナツメヤシを食べながら夜を過ごしていた。そのままうとうとと眠り
に入ろうとしていた時に火がゆらりと揺れた。
「!?」
「よお姉ちゃん達」
 如何にもといった感じの悪そうな男の声が頭の上から聞こえてきた。
「ここは誰の縄張りかわかってるかい?」
「狼でもいるの?」
 グルドはこう言いながら顔を上げた。するとそこには濃い髭を顔中に生やした大男が立っていた。皮の鎧にみすぼらしく汚い服を着てその手には巨大な棒を持っている。
「残念だが違うんだよ」
 男は下卑た笑いを浮かべながら言った。
「ここはな、俺達の縄張りなんだよ」
「そんなこと誰が決めたのかしら」
「俺達がさ」
 男はグルドの問いに答えた。
「自分達で決めたんだよ。それでな」
「お金ならないわよ」
 グルドはすぐにこう返した。
「生憎だけど」
「じゃあ馬でも置いていってもらうか」
「冗談でしょ。馬なしでどうやって旅を続けろっていうのよ」
「それじゃああんた等自身だ」
「生憎身体を売る商売はしてないの。おわかり?」
「じゃあその剣と服でも置いていってもらうか」
「剣は商売道具なのよ」
 やはり譲らない。そもそもグルドは交渉をする気すらないのだ。
「はいそうですかと渡すと思う?」
「そうかい、じゃあ交渉決裂だな」
「さっき俺達って言ったわよね」
「おうよ」
 男はそれに頷いた。
「俺達さ。それがどうした」
「あんただけじゃないってことは」
「こういうことさ」
 ここで男の後ろ、そして周りから一斉に得体の知れない男達が姿を現わした。見ればどの顔もお世辞にもいい顔とは言えなかった。如何にもといった感じの悪そうな顔ばかりであった。
「俺達はな、この廃墟を根城にしてる盗賊なんだ」 
 男はグルドとビルギースに対して言った。
「ここを通る旅人やキャラバンから金や食い物を貰ってな。生きているんだ」
「奪っているの間違いでしょう?」
「おいおい、人聞きの悪いことは言うな」
 男は下卑た笑みを浮かべながら言葉を返した。
「俺達は別に命まで奪おうってわけじゃねえよ」
「全然説得力がないわね」
「金や金目のものさえ渡してくれればそれでいいんだ。殺しちまったって何にもならねえしな」
「で、あたし達には剣をと」
「ついでに一晩といきてえんだがそれは駄目かい」
「お生憎様。あたしもビルギースも男は選ぶの」
「おやおや」
「さっさと帰って。一晩だけここを借りるだけだから」
「それで盗賊がはいそうですかと帰ると思うかい?」
「帰らないつもり?」
「こっちも生活がかかってるんでな」
「真面目に働いたら?」
 グルドはつっけんどんに返す。
「そうした方が気が楽よ」
「真面目に働くって?馬鹿言っちゃいけねえよ」
 男はその言葉を身体全体で笑い飛ばした。
「それじゃあ盗賊でも何でもねえじゃねえか」
「で、あたし達に通行料を納めろと」
「ごたくはもう飽きたからさっさと出しな」
「これで最後にしていいかしら」
「ああ」
「それじゃあ。嫌よ」
 グルドはきっぱりと言い切った。
「あたしもビルギースも。そんなの払うつもりはないから」
「やるつもりかい」
「ええ。ビルギース」
 そして今まで黙っていたビルギースに声をかけた。
「やる?」
「グルドがそう言うのなら」
 静かに頷いた。
「私はそれでいいわ」
「わかったわ。それじゃあ決まりね」
「どうしても払わないつもりかい」
「最初から言ってるじゃない」
「仕方ねえな。手荒なことはしたくねえんだが」
「随分優しいのね」
「これでもそれなりに人の道はわきまえてるつもりでな」
 盗賊をしていて何を、とも思うが確かにこの男は案外穏やかであった。
「まあ、こっちもこれが仕事なんでね」
「おじさんとは他のところで会いたかったわね」
「今更そんなことを言っても何にもならねえわな」
 盗賊達は二人を取り囲んだ。
「悪く思うなよ」
「ええ、こうなったらお互い様」
 グルドは剣を抜いた。ビルギースも印を結んだ。
「容赦しないわよ」
「グルド、けれどこの人達それ程悪い人達じゃないわよ」
「だけれど盗賊なんだって」
「そんなに悪い人達じゃないから。剣や魔法を使うのはよくないわ」
「それじゃああれをやるの?」
「ええ」
 ビルギースは頷いた。
「あれをやりましょう。今日は後はもう寝るだけだし」
「わかったわ。それじゃあ」
 グルドは一旦構えを解いた。そして一歩下がりビルギースの隣に来た。
「やるわよ」
「ええ」
 二人は呼吸を合わせる。そして周りを取り囲む盗賊達と対する。
「何をしようってんだ、一体」
「すぐにわかるわ」
 今度はビルギースが答えた。グルドのそれとは違って楽器の様に清らかな声であった。
「おじさん達悪い人達じゃないから。これで」
「まあ戒律は中立なんだけれどな。それでどうしたい」
「終わらせるわ。グルド」
「ええ、ビルギース」
 二人の髪が上がった。そして同時にそれまでよく見えなかった二人の頬が見えた。右頬も見えた。
 その右頬には同じ紋章が描かれていた。そっくりそのままの紋章が。それは二人の頬で白く輝きはじめていた。
「その紋章は・・・・・・何だ!?」
「これが私達の力」
 ビルギースは言った。
「全てを封じる紋章の力」
「封じるたって俺達は魔法なんか」
 如何にも使えなさそうな顔触ればかりであった。それは容易にわかった。
「封じるのは魔法だけじゃないわ」
 ビルギースはそれに応える形で言った。紋章の光はそのまま増し、やがて同じ色の光が二人の下に表われた。そしてそれはそのまま魔法陣を描く。
「何もかも」
 ビルギースは言う。
「そう、動きさえもね」
「動きって・・・・・・まさか」
「ええ、そのまさかよ」
 今度はグルドが応えた。
「動き、止めさせてもらうわ」
「その頬っぺたにあるのは魔法か」
「ええ、ちょっと変わった魔法でね」
 グルドは説明をはじめた。
「二人でないと使えないのよ、それも特別な二人でないと」
「双子でないと」
 ビルギースも言った。
「何っ、双子ってことはまさか」
「聞いたことないかしら、双子の戦士と魔法使い」
 グルドは言う。その間に魔法陣を描く白い光はそのまま陣全体を輝かせ、二人を完全に覆った。
 そしてすぐに辺りに光を飛ばす。それはそのまま盗賊達を貫いた。
「うおっ!」
「それがあたし達なのよ」
「そうかい、御前さん達があの」
「聞いたことあるみたいね」
「男勝りで口の悪い戦士と無口で無愛想な双子の女冒険者」
「・・・・・・何かあまりいい呼び名じゃないわね」
「けれど本当のことね」
 ビルギースはそれを聞いて頷いていた。
「口が悪いのも無口なのも本当だし」
「それを言っちゃお終いでしょ」
 グルドは姉妹の言葉に苦い顔をした。
「折角魔法を決めたのに」
「チィッ、動くことができねえぜ」
「だからそうした魔法なんだって」
 光が消え同時に魔法陣も消えていた。そして後には二人の周りを取り囲む盗賊達がまるで石像の様に立っているのであった。
「動けなくなる魔法だってさっき言ったでしょ」
「まさかこんなところで出会うなんてな」
「思わなかった?」
「おう、会う可能性なんて殆どねえからな」
 男は立ったまま言った。どうやら口だけは動く様である。
「噂通りで安心したぜ」
「まあ今夜はそのまま固まっていてね」
 グルドは構えを解きながら言った。既に髪の毛は下がり頬の紋章は隠れていた。ビルギースも同じである。
「朝になったら解けるから」
「何だ、朝までかよ」
「意外だった」
「俺はてっきりこのままずっと思ってたぜ」
「メデューサじゃあるまいしそんなのじゃないから」
「安心して」
「そうかよ。で、あんた達はこれからどうするんだ?」
「ここで休ませてもらうわ」
 グルドは馬から敷物を取り出してその上に寝転んだ。ビルギースは自分のマントを下に敷いてその上に寝転がった。
「美女二人の寝姿拝めるんだから感謝してよね」
「へいへい、いい目の保養で」
「あまり嬉しそうじゃないわね」
「動けねえのに嬉しいわけねえだろうが」
「それもそうか、あはは」
「まあ立ったまま寝るとするか」
 彼等も諦めて寝ることにした。そして二人もそのまま眠りに入るのであった。
「お休み、グルド」
「お休み、ビルギース」
 こうして二人は眠った。周りにいる男達の目は特に気にすることはなかった。彼等も寝ていたからであった。
 朝になった。見れば男達はまだ立ったままであった。グルドとビルギースは朝日の中で起き上がった。
「おい」
 あの髭の男が二人に声をかけてきた。
「で、何時解けるんだ?」
「あっ、もう朝か」
「もうかじゃないよ。あの時翌朝解けるって言ってたよな」
「うん」
「解けてないじゃないか。どうしてくれるんだ」
「何か相変わらず煩いわね」
「こっちはおかげであんまり寝られなかったんだ、当然だろうが」
「そのわりに血色いいわね」
「ふん、俺達は何時でも何処でも寝られるのが強みでな」
「さっきと言ってることが矛盾してるわね」
 ビルギースはまだ眠そうな目のままそれを聞いて突っ込みを入れた。
「女は小さなことにこだわるな」
「それを言うなら男なんじゃないかしら」
「無口だが口の減らない娘だな」
「まあね。意外でしょ」
「うむ。で、何時解けるんだ?」
「うっさいわね。解ける解けるって氷じゃあるまいし」
 都では氷はよく売られている。砂漠の中にあるこの国の都では氷は非常に人気があるのである。
「すぐに解いてあげるわよ」
「そうか。早くしろよ」
「解けた途端に襲われそうだけれど」
「安心しろ、それはない」
 だが男はそう言ってグルド達を安心させた。
「言っただろ、俺達はこれでも人を殺めるのは好みじゃないと」
「ええ、確か」
「だからだ。今更御前さん達にどうこうするつもりはない。それに襲い掛かって来たらまた動けなくするつもりだろう」
「今度は動けなくするだけで済むかどうかはわからないけれどね」
 グルドは笑ってそう応えた。
「何なら。試してみるかしら」
「いや、いい」26
 だが男は当然のようにそれを断った。
「今度は洒落になりそうもないからな」
「よくわかったわね」
「わかったから早くどうにかしてくれ」
「わかったわ。ビルギース」
「ええ」
 ビルギースはグルドの言葉に頷いた。
「それじゃあ魔法を解きましょう」
「いくわよ」
 二人は今度は向かい合った。そして両手の平をそれぞれ重ね合わせる。そしてその手の平から今度は淡い金色の光が溢れ出た。それはゆっくりと周りを覆った。まるで月の光の様に。
「おお・・・・・・」
 男達の身体がゆっくりと動きはじめた。それまで石像の様であったのが嘘の様であった。
「やっと。動けるようになったな」
「どうかしら、私達の魔法は」
「凄いものだ。何処で覚えたのか」
「それは風の噂に聞いてみて」
 グルドはくすりと笑ってこう言った。
「きっと面白い話が聞けるから」
「とんでもない話みたいだな」
「さて。愛と希望のメルヘンかも知れないわよ」
「少なくとも御前さんにはそんな話はないだろうな」
「わかってるのね」
「わかるさ、すぐに」
 男は髭だらけの顔をかなり崩していた。
「そっちのお嬢さんも多分ねえだろうな」
「そうかしら」
「まっ、そのうち物好きが現われるかも知れねえから楽しみに待っとくんだな」
「期待しないで待ってるわ」
「そうかい、で、これから都に行くのかい?」
「そうだけど」
「そうか」
 男はそれを聞いて髭をしごきながら考える顔をした。
「ギルドに行くのよ。それで仕事をもらうつもりよ」
「キャラバンの護衛でも何でも」
「なあ皆」
 男は仲間達に声をかけた。
「俺達も。ギルドに入ってみねえか?」
「えっ!?」
 グルドはその言葉を聞き思わず声をあげた。
「いやな、御前さん達と話してて思ったんだけどな、どうも俺もこいつ等も悪党には向かねえようだからな」
「顔だけなら合格なんだけどね」
「口が減らねえな。まあいい、とにかくそうなると何がいいか」
「ギルドで職を探すってこと?」
「俺達は戦士にレンジャー、盗賊だ。まあ何か雇ってもらえるだろうしな」
「じゃあ行ってみれば?」
「おう。皆、それでいいな」
「御前がそう言うのならな」
「どうもここは今一つ稼ぎが悪いしな」
 仲間達もそれに賛成した。
「そういうことだ。これで決まりだ」
「じゃあ途中まで一緒に行く?」
「悪くねえな。何なら都でも一緒に仕事するかい?」
「それは簡便願いたいわ。むさ苦しい男とずっと一緒にいたくはないから」
「麗しい王子様ならともかく」
「へっ、夢見てるみたいだな」
「夢は幾らでも見られるわ」
 ビルギースは表情を変えずに返す。その間にグルドは馬を引っ張って来た。
「じゃあ先に行ってるよ」
「おう、じゃあ追っかけるぜ」
「都でまたね」
「今度は飲みながら楽しくやろうぜ」
「いいね。けどあんたのおごりだよ」
「ちゃっかりしてやがるな、おい」
「あんた達が更生した祝いだよ。それだったらいいだろ?」
「じゃあそう考えるか」
 男達はそれで納得することにした。言われてみれば悪い気はしなかった。
「御前さん達とはこれからいい付き合いをしていきてえな」
「それはあんた達次第だね」
「期待してるわ」
「期待されてやるぜ」
 これが一時の別れの言葉であった。グルドとビルギースは馬に乗り先に都に向かう。男達は一旦廃墟の奥に戻ってそこから支度をはじめる。紋章がもたらした出会いと運命。後にその名を知られることになる双子の女冒険者のまだ駆け出しの時の話であった。

紋章   完


                                    2006・4・26