赤のクリスタルライト 1
作:しんじ





   プロローグ

 ずた袋からは2本のストラップが出ている。
 スピンはその2本に両腕を通しずた袋を背負った。
 なかなかいい感じに作れたんじゃないだろうか。スピンは満足げに笑みを浮かべた。
 巨漢の戦士であるスピンに「ずた袋を裁縫して背負い袋にする」という作業は大変だった。が、モノ作りにも充実感があるものだとも感じた。
 だからと言ってこの先、裁縫で生計を立てていくつもりはない。旅に必要な背負い袋を作っただけの話だ。
 終戦から5年。世の中は復興へ模索を続けている。すべてを失ったこの町にとどまり続けるよりも外へ出て何かを見つけたい。
 もしかしたら国の英雄、アイリッシュやフリミールのようになれるかもしれない。
 スピン=ワルド。18歳の旅立ちだった。


   1、馬

 どこからが町の外、ということが決まっているわけではないが、スピンは町の出口で一人の男を待っていた。
 レイエスエフ。幼なじみだ。
 いや幼なじみだった、と言った方がいいかもしれない。
 幼少時代、仲の良かった二人は一緒に遊ぶことも多かった。しかしある日を境に、レイエスエフはいつもの集合場所に来なくなってしまった。──町からいなくなってしまったのだ。
 なぜいなくなったのか。
 子供だったスピンは深く考えなかったが、最近この町に戻ってきたレイエスエフを見てすべて理解した。
 ――レイエスエフはまだ来ない。
 スピンはかぶっていた丸いヘルメットを脱いで両手に持った。はずした丸いヘルメットの下からも丸い坊主頭が現れる。その坊主頭は少し汗ばんでいた。
 鉄のヘルメットはやはり暑い。しかしなれなくてはならない。頭を守るのは大切なことだ。
 ――精悍な顔立ち。太いまゆ、鋭く見開かれた目は非常に男性的。そして坊主頭。こういうのが好き、という女性もいなくはないだろう。
 スピンは額の汗を拭ってから再びヘルメットをかぶった。そして町の外に目を向ける。
 視線のずっと先には巨大都市アイリッシュがある。300年前に偉人アイリッシュと大偉人フリミール造った街だ。
 このアイリッシュの国の首都でもあり、大陸最大の都市でもある。
 ――いつかアイリッシュやフリミールのように。
「なにボーッとしてんだ?」
 妄想に浸っていると背後から声を掛けられ、スピンは慌てて振り返った。
 男が立っていた。灰色のローブを着た細身の男。
「あ、ああ。これからのことを考えていたんだ」
 スピンはそう答えて取り繕った。
「違うな。これから起こる楽しいことを考えてた、が本当だろ? でもこれからはもっと気を張り詰めて生きていかなきゃな。後ろからブスッとやられるぞ」
 男はそう言うと陰気そうな風貌とは裏腹に、陽気そうに「ヒヒヒッ」と笑った。
「相変わらず毒舌だな、レイエスエフ。分かったよ、気を付けるよ」
 スピンはそう言って表情を引き締めた。
 ――汚く中途半端に伸びた黒髪、うつろな目、突き出た歯、そして灰色のローブと杖。
 最近町に戻ってきたレイエスエフの姿を見て、彼が今まで何をやっていたか、なぜ町から姿を消したかをスピンは瞬時に理解した。
 大陸に建つ3つの魔術師の塔。おそらくそのひとつのアイリッシュの塔に行っていたのだ。そしてスピンとともに旅立つために、このパドスールの町に帰ってきた。
 かつて大偉人フリミールが偉人アイリッシュにしたのと同じように。
「ウヒヒヒヒ。楽しい旅になりそうだな、スピン」
 レイエスエフはそう言って横目でスピンを見た。
「ああ、そうだな」
 スピンはそう言いながらひきつった笑いを浮かべた。


 川沿いに道が続いている。
 幅が数十mはあろうかという広大な川。この川にもやはりアイリッシュの名前が付けられている。アイリッシュ川。
 パドスールの町から上流に行くと首都アイリッシュ、下流に行くと港町アイリーンがある。ちなみに港町アイリーンの人をアイリッシュと呼んだりすることがあり、あのアイリッシュはこのアイリッシュだとも言われる。
 スピンとレイエスエフは上流、アイリッシュの街の方に向かっていた。
「ああ、疲れたな。おぶってくれよスピン」
 レイエスエフは口を半開きにし、うつろな表情を浮かべて言った。
「何言ってんだ。まだほんの少ししか歩いてないじゃないか。本気で言ってんのか?」
 スピンはぶ然として言い放った。
「本気に決まってるだろうが。体力のない魔法使いをこんなに歩かせるんじゃないよ。年寄りは労わってくれんとな……ゴホゴホッ」
 とレイエスエフは杖にもたれかかり、咳をする振りをした。
「誰が年寄りだ、誰が。同い年だろうが。――それにそんなに疲れたなら魔法でピューッと飛んでいけばいいんだよ」
「そんなことできるか」
 今度はレイエスエフがぶ然として言った。
「できないのか?」
「そういう意味じゃない。それをやると余計疲れるって意味だよ」
 できるのだろう。スピンは改めて幼かった頃のレイエスエフとは違うと思った。今でも体力の弱いレイエスエフだが、あの頃の本当に弱かったレイエスエフと違うのだ。
 いじめられやすかったレイエスエフ。精神的にも肉体的にも弱かった彼を、守ってあげたのはいつもスピンだった。
 でもあの頃とは違う。内に秘めている強さは量りしれず、立場は逆にすらなっている。
「なあレイエスエフ」
 歩きながらスピンは言った。
「あん? 何だよ」
「どうして俺と旅に出ようと思ったんだ?」
「あん? ……えーと……」
 とレイエスエフは少し考えていたが、何かいい答えを思いついたらしく、「お、そうだ」と口にしてはにかむと、
「俺が偉くなるためにお前が一番都合がいいからだ」
 と悪びれもせずに言った。
 そうだ。それがこの世の真実だ。スピンのためでも世の中を良くするためでも何でもない。
 スピンはその答えに満足し、
「俺も同じだ」
 と微笑んで言った。


 空が赤く染まり一日が終わりに近付いた頃、ようやく二人はアイリッシュの街にたどりついた。
 石造りの街並みは美しく、四角い建物が整然と並び夕日を照り返す。雑然としたパドスールの町とは違う。
 都会、だ。
 とはいえスピンも何度かこの街に来たことがあった。もっともその時はただの買い物だったが、今度は旅の通過点としてこの街を訪れる。
 訪れた理由が違えばやはり見え方も違ってくる。さらにあの時とは格好も違う。以前のような軽装ではなく、鎖を編んだチェーンメイルを着込んでいてヘルメットもかぶっている。そして腰には広刃の剣(ブロードソード)も携えている。立派な旅人だ。(旅人が立派かどうかは分からないが)
 空が赤く染まると、ほんの少しの時間で黒の闇夜が訪れる。
 しかし急いで宿を探す必要はない。街に入ると宿は乱立しているから。
「どの宿にするんだ、スピンちゃん」
 レイエスエフが言った。
「……気持ち悪りーなあ。その風貌で"ちゃん"とか言うなよ」
 スピンがあからさまに嫌そうな顔で言うとレイエスエフは顔をしかめ、
「何だ、その嫌そうな顔は。親しみを込めた俺の愛情が分からねえのか」
「誰が愛情だ、誰が。人が聞いたら誤解するだろうが。──それよりも結局どの宿にするんだよ」
「うーん、そうだなあ。これだけ宿があるとな……」
 とレイエスエフは腕を組み考える仕草をした。だが結局、
「どれでもいいか」
 と言った。
「そうだな。アレでいいか」
 とスピンが指さすとレイエスエフもそっちに目を向ける。
 『ホークの宿』と書いた宿がある。
「そこにしよう」
 言ってからスピンは歩きだした。レイエスエフも後に続いた。


『ホークの宿』のドアを開けて中に入るとまぶしいほどの光が二人を包んだ。
「いらっしゃい!」
 元気なおかみの声で二人は迎えられたが、目があまりの明るさにな慣れず戸惑った。
「ああ、まぶしい!」
 とスピンは部屋の中央にある光源に目を向けた。
 ああ、これか。
 スピンは目をしばたかせる。隣りを見るとレイエスエフもそれを見ていた。
 しばらくすると光に目が慣れてきて、二人はようやくそれを凝視することができた。
「でっかいクリスタルライトだな」
 部屋の中央の光るものを見ながら、スピンがそう言うと中年のおかみが、
「そうでしょ。うちの自慢なのよ」
 とうれしそうに言った。
 小さなテーブルの上に小さなザブトンが乗っていて、その上に光る水晶玉が乗っている。
 ――クリスタルライト。
 前世紀の発明王、フレイミングの最大の発明である。フレイミングはこれで九大偉人の一人として数えられるようになった。
 詳しい原理、製造方法などは一部の人間以外に知られてない。しかし太陽の光を吸収し暗くなるとその光を放出する。それだけは誰でも知っている。
「ほんっとでかいなあ。いくらぐらいしたんだ?」
 レイエスエフが人の頭ほどもあるクリスタルライトを見ながら訊いた。その質問におかみは困った顔をしたが、
「うーん、あんまり言いたかないんだけどねえ。何万ギニーかしたんじゃないかねえ」
「何万!? 本当か!」
 スピンは思わず声を上げた。レイエスエフも驚いた表情。
 これがクリスタルライトの魔力、か。
 スピンは改めて驚くのだった。


 二人が案内された部屋にもクリスタルライトが置いてあった。
 クリスタルライト――本当はこんなもの存在しなければよかった。大陸に大きな災いを呼んだから。
 部屋にあったそれは一般の家庭にあるものよりもずっと小さく、親指ほどのかわいい水晶玉だが十分な光を放っている。
 クリスタルライトが呼んだ災い――あまりに物としての価値の高さに、クリスタルライトの原料は奪い合いになり大戦へと発展した。
 しかしこの部屋にある程度のクリスタルライトでは争いなんか起きないだろう。小さなクリスタルライトはそんなに値がしない。
 大戦――その戦争は10年続き5年前に終結した。世に言うクリスタルライト戦争という奴だがもう思い出したくもない……。
「で、これからどうするんだ」
 背負い袋を下ろしながらスピンは言った。そして自分で縫い付けたストラップが切れかかったりしてないか、クリスタルライトの明かりで確認してみる。
 クリスタルライト――災いの種になろうがなんだろうが、もうなくてはならないものなのだ。仕方ないことなのだ。
 背負い袋のストラップは大丈夫みたいだ。切れたりほつれたりしていない。
「どうするってどこに行くかってことか?」
 木のイスに座りながらレイエスエフ。スピンは無言でうなずく。するとレイエスエフは笑みを浮かべ、
「まずは下の食堂に行こう。めしだ、めし」
 と言って部屋を出ていった。
 スピンも後を追おうと、ヘルメットを脱ぎ次にチェーンメイルも脱ごうとするが「チェーンメイルは軽いし服みたいなもんだから脱ぐ必要もないか」と考え食堂に急いだ。


 カーテンの隙間から朝日が差し込み、細い光がスピンの顔に落ちる。
「ん……ん……」
 とスピンは寝返りを打って光から顔を背けた。しかしいつもと違う布団の感覚に、違和感を覚えて目を覚ました。
 いつもと違う景色が広がる。
 ――そうか。俺はレイエスエフと旅に出たんだ。
 スピンは少しだけ体を起こして隣りのベッドに眠るレイエスエフを見やった。
 寝返りを打つこともなく、寝たままの姿勢で静かに寝息を立てて眠っている。
 ――幼なじみだったレイエスエフと旅に出ることになるとはな。
 スピンは感慨にふけってみる。
 10年近くも姿を消していたくせにふらっと帰ってくるなり「一緒に旅に出よう」だもんな。本当は一人で旅立つつもりだったのに、これが運命という奴か。
 スピンは穏やかな気持ちでレイエスエフの寝顔を見ていた。
 すると突然レイエスエフが目を開き、顔をこちらに向けた。
「何だよジロジロ見るなよ。気持ち悪い」
 いきなり毒舌が炸裂した。


 朝食を終えて二人は部屋に戻ってきた。
 カーテンはまだ閉められたままで、小さなクリスタルライトにも黒い布がかぶせてある。
 スピンはまずクリスタルライトにかけられた黒い布を取った。が、クリスタルライトはもう光を放っていず、ただの水晶玉になっていた。光を放出しきったのだろう。
 次いでカーテンを勢いよく引く。巨漢のスピンが思いっきりそれをやったため、カーテンから「ビビッ」という破れたかのような音がした。しかしスピンは気付かない振りをする。
 カーテンが開くと朝日が部屋中に広がり、スピンは眩しさに目をしばたかせる。
「壊したら弁償させられるぞ。気をつけろよ」
 レイエスエフがイスに座りながら言った。そしてその前にある小さなテーブルに片手を置く。反対の手は杖を握っている。
「大丈夫だ。壊れなかった」
 スピンは真顔で言った。するとレイエスエフは苦笑しながら、
「それは結果論だ」
「何でもいいじゃないか。そんなことよりこれからのことだ。今日のことだ。どうするんだ」
 スピンはベッドに腰掛けながら言った。
「ああ、そうだな。──まず先立つものが必要だと言ったよな、偉くなるには。つまり金が必要なわけだ」
 レイエスエフは杖の先をスピンに向けて言った。
「そうだな。ある程度は持ってるけどな」
「いや、ある程度じゃダメだ。ものすごく必要だ。この世はすべて金だ」
 とレイエスエフが真剣な顔で言うので、スピンは思わず眉をひそめて、
「いや俺はそんなことはないと思う。人間金じゃない」
「そういう意味じゃない」
 レイエスエフが制すように言った。
「金の影響力のことを言っている。何をするにしても金という要素が必要になる。それを言っている。……あーまあいい。とにかく金を得る方法が東にある。東の国ブラシルームにある。そこに行こう」
 東? ブラシルーム? 
 スピンは少し考えた。ひょっとして……。
「魔物退治か?」
 スピンは聞いた。
「そうだ。あそこには並の人間よりも弱い魔物が多くいる。人々はそれを困っている。利用しない手はない」
「でも隣国とはいえ遠い所だぞ。それでも行くのか?」
「ああ。でも疲れるから俺をおぶって行ってくれ」
 レイエスエフは真剣な表情で言った。
「本気か?」
「いや嘘だ」
 とまた真剣そのものの口調で言った。
 まったくコイツの冗談は分からない。今のだっておぶっていく、が嘘なのかブラシルームに行く、が嘘なのかも分からない。まあ少し考えれば分かることだが。
「しかし馬か何か欲しいところだよな。俺はいいがレイエスエフ、お前は正直あまり歩けないだろう」
「ああ、昨日歩いただけで足がひどく痛い。今日はあまり歩けそうにない」
 どうやら馬は絶対に必要なようだった。


 『ホークの宿』のおかみに「サラブー馬を売っているところを教えてくれ」と聞いた所、「北の方にいくつか売ってくれそうな所があるよ」とのことだった。
 アイリッシュの街は巨大だ。
 北の方と一口で言われてもとてもじゃないが割り出せない。
 アイリッシュを4つに分けて、東アイリッシュとか西アイリッシュとかいう呼び方があるがここは北アイリッシュだ。北アイリッシュの北の辺りを探すというのは、簡単そうだがそこに行くだけでも一苦労だ。
 本来、馬はあちこちで手に入れられるが、いいとされるサラブー馬はちゃんとした所でないと手に入れづらい。そのため少しぐらい大変でも、そこに行く必要があるのだ。


 北アイリッシュの北の方にたどり着いた時には、もう日は暮れかけていた。しかしそこにはたくさんの厩舎を見ることができた。
 ――厩舎。簡単に言うと馬小屋だ。
 木でできた長屋のようなものが立ち並んでいて、その辺りの地面は土になっている。
「ここか」
 土の上を歩きながらスピンは言った。
「そうだろうな。しかしここにいるのは上等なサラブー馬ばかりだろう。売ってくれ、なんて言ってもはした金じゃ売ってくれないだろうし、よそでブラシ馬とかの安馬を買った方が利口だろうに。どうしてお前はサラブー馬にこだわるんだ。……それに今日はもう遅い。暗くなる前に宿を探そう。な、明日にしよう」
 レイエスエフは疲れているのだろう。スピンの後ろを歩きながら、休みたいと思われる言葉を連発した。
 うるさい奴だ。
 スピンはレイエスエフを横目でにらんだが、とりあえず何も言わずにおいた。そのかわりに、
「この厩舎に入ってみるか」
 と言って馬小屋の一つを指さした。


 厩舎の中は十数の馬房が向かい合わせに並んでおり、その間が通路になっていた。馬房の柵越しには数頭の馬が顔を出している。
 そこには馬以外に誰もいないようだったので、スピンとレイエスエフは勝手に入り通路を歩く。
「ああ馬クセーなー。いや馬くさいというより馬のクソくさいか」
 レイエスエフが顔をクシャクシャにして言った。
 すると、人の声に反応したのか、また数頭の馬が馬房から顔を出した。
「あれ?」
 スピンは声を上げた。
「どうした」
 とレイエスエフ。
「ああ。一番奥に白い馬がいる」
 とスピンは奥の馬房を指さして言った。
 ――「誰だお前ら」
 突然背後から声がした。スピンとレイエスエフは驚いて振り返る。
 中年の男が立っていた。前髪は薄く目の下には濃いクマのある強面の男だ。
「あ、ああ。ちょっと馬を見せてもらってた」
 スピンは一瞬たじろいだが臆せずに言った。
「馬を見てた……ってお前うちの馬の馬主でもなんでもないだろう。うちは馬を預かってば馬車馬(ばしゃうま)に育てるのが仕事だ。見たところ旅人みたいだが、馬を売ってはやれないぞ」
 強面の中年はそう言いながら、両手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「だから言っただろう」
 レイエスエフが言い出した。
「ここはサラブー馬ばかりだしサラブー馬ってのは馬の中でも一番高いんだ。確かに脚も一番速いらしいが」
 誰に言うでもない。スピンに対して言ってるようで強面の中年に弁解しているようでもある。
「どうしても売ってくれる気はないのか?」
 スピンはつぶやくように言うと中年に背を向けて奥の馬房に向かって歩きだした。そして一番奥の馬房の前にたどり着くと、
「俺はコイツが気に入った」
 と馬房の中の白い馬を指さして言った。
 そこにいた白い馬は指をさされて不審に思ったか、顔をしかめてスピンを見ている。
「俺はコイツが気に入った。俺は白馬の王子さまになるのが夢だ。それもサラブー馬じゃなきゃダメなんだ。コイツを俺に売ってくれ」
 スピンは恥ずかしがりもせず夢を口にした。
 すると中年は不敵に「フフッ、フハッ」というように笑いながら、スピンの方に近付いてきた。
「面白い奴だな、お前は」
 男は口元に笑みを浮かべたまま言った。
 面白い奴? それはどちらかというとレイエスエフのことじゃないだろうか。
 スピンはそんなことを言われたことがない。
「お前は運がいい。丁度この馬は馬車馬を引退したばかりの馬だ。去勢(きょせい)手術……ってタマ抜きだな、それもやっている。場合によっちゃあ売ってやらんでもない。馬主ともそう言う話になっている」
「本当か!」
 意外な展開にスピンは声を上げた。
「待て」
 様子を見守っていたレイエスエフが言った。
「コイツは馬車馬を引退した馬なんだろう? だったらもっと若い馬の方がいいんじゃないのか?」
 レイエスエフが暗く低い声で言った。
「……まあそうだろうな」
 中年男は言った。「しかしコイツはサラブー馬の中でも高級な丈夫と言われるタワーって馬の血を引いているエリートだぞ。しかもそれでいて白馬。よく知らないだろうが白馬ってのは突然変異でしか生まれない。専門的に言えば色素を持たずに生まれてくる異常な馬だ。この大陸中で数年に1頭生まれるかどうかってものだ。年だからとかそんなことは問題にはならない。本当にお前は運がいい」
 そう言われると自分はついてるんじゃないか、という気がしてきた。しかしここまでいい条件を並べられてしまうとスピンも不審に感じてしまう。
 何だろう。こっちが馬に詳しくないと思ってだまそうとでもいうのだろうか。やっぱりサラブー馬はやめて、普通にブラシ馬――東の国ブラシルームで作られた馬――の方がいいのだろうか。
「……いくら出せばいいんだ」
 とりあえずスピンは訊いてみた。
「まあ待て」 
 中年男は言い、「本来お前みたいな若造が出せるよう金額じゃない。しかしだ。頼みたいことがある。それをやってくれればこの馬をくれてやってもいい」
「なに!?」
 これにはスピンも内心喜んだ。しかし腑に落ちない。話がうますぎる。
 スピンはレイエスエフの顔を見た。
 魔法使いの顔にも疑念の色がうかがえた。
「なに、頼みたいことってのもたいしたことじゃない。そんな目で俺を見るんじゃない」
 中年男はそう言って悪人のような笑顔を浮かべた。


 中年男の名前はサウスと言ったが、サウスの頼みというのは本当にたいしたことではなかった。
 ただ時間がかかるというものではあった。
 用事は西アイリッシュの方に行き、あるものを取ってくるというものだった。
 ここは北アイリッシュの北の方。ここから歩いて西アイリッシュまで行くと2日はかかり、往復で4日はかかるだろうと中年サウスは言った。馬たちの世話があるためサウスは4日も出ているわけにはいかず、こうしてスピンたちに頼むことになったのだという。
「まあギブアンドテイクって奴だな。ハッハッハッハ」
 とサウスは笑っていたが、何かしらだま騙されいる気がしていたのはスピンだけではないようだった。
「なーんかウソついてんだよな、あのおっさん。何がウソなのかは分からんが……」
 イスに腰掛けながらレイエスエフが言った。
 宿屋の一室。小さなクリスタルライトが天井からぶら下がっていて、夜といえどもかなり明るくなっている。
「確かに怪しい。しかし白馬の王子さまになるためだ。しょーがない」
 スピンはヘルメットを脱ぎながら言いベッドに腰掛けた。
「ヒヒッ。お前白馬の王子さまになるのが夢だったんだな。王子さまねえ、王子さま。ヒヒッ」
 レイエスエフが冷やかすように言った。
「悪かったな。それよりもあのサウスとかいうおっさんだけどな、お前の魔法で何考えてるのかとか分かんないのか?」
「そんなことはできない」
 レイエスエフは即答した。
「なんだお前って何にもできないんだな」
 スピンが言うとレイエスエフはぶ然とした表情になり、
「お前ふざけるなよ。魔法使いにはできないことはないとでも思ってるんじゃないか? いいか。魔法ってのは自然界の力を借りるだけのことなんだ。風の力を借りて空を飛ぶとか太陽の力を借りて光を作ったりとか。できること、できないことがあるんだ」
 そう言いながらレイエスエフは杖をスピンに向けて振る。
「お前、それ時々やるけどそれやめろ。何か腹立つんだよ。杖を俺に向けるな」
 スピンはそう言いながらレイエスエフの杖を指さした。
 と、その杖の先には光の玉が浮かんでいた。丁度天井から吊り下がっているクリスタルライトと同じくらいのサイズだ。
「お?」
 スピンはそれを指さしたまま声を上げた。
「そこにあるクリスタルライトの光を借りてこれを作った。分かるか? これっぽっちの光から俺はこれだけのものが作れる。俺は無能なわけじゃない。力を乱用しないだけだ」
「悪かったよ」
 スピンは素直に謝った。


 朝になり身仕度を整えると、2人は西アイリッシュへの道を歩き始めた。
 ――ほんの少しの旅、何でもない旅になるはずだったのだが……。