赤のクリスタルライト 5
しんじ





   5、再びマロン教

 『赤のクリスタルライト』をスピンの背負い袋につめると、一行は墓場をあとにした。
 これで一応の用事は済んだわけだったが、嫌な予感がしていたのはスピンだけではないようだった。
「何か嫌な予感がするのよね」
 そう言ったのはルビーだった。
 日の光のある暗黒街、西アイリッシュを歩いている。
 ──日の光があるということ。この闇世界では明るいというだけに過ぎない。事実昨日マロン教に襲われ、斬った張ったをやったのも昼間だった。
「そうか。アンタも嫌な予感がするのか。こりゃ何か起こるな」
 スピンがそう言うと、
「アンタって言うのやめて。アンタは嫌」
 ルビーが不快そうに言った。
「じゃあ何て呼べばいい」
「ルビーさん」
「ルビーさん? どうしてさんをつけなきゃいけないんだ」
「だって私の方が年上でしょ。違う?」
「俺は18だ。アンタは?」
「21。……ってアンタはやめてってば!」
 とルビーはほおをふくらませて見せた。
「ハハハ」とスピンはにやけながら下を向く。
「アホか。何をにやけてんだ、バカ」
 横で話を聞いていたレイエスエフが不愉快そうに言った。
「どうしてあなたはそう口が悪いの!」
 とルビーが目を吊り上げる。
「臭くて悪かったな」
「違うってば!……もうっ!」
 とルビーはふくれたまま黙ってしまうのだった。


 3人はしばらく口を開かず、黙々と北への道を歩いていた。
 話すことがなかったかというとそういうわけでもなく、3人が同じ疑問を感じ始めたというところに原因はあった。
 そろそろ訊かなければならない時期だった。
「なあルビー。アンタいつまで俺たちと一緒にいるつもりだ?」
 スピンはとがめるような口調ではなく、できるだけ優しく言ったつもりだった。
「……やっぱり迷惑なんだ……」
 とルビーはスピンを見つめる。
「い、いや。そういうわけじゃなくて……なんていうか俺たちはこのあと、この国を出てブラシの国の方へ行こうと思っている。アンタはこの国の人間だし、俺たちはこのあともずっと旅を続けるつもりだし。……もちろん俺はアンタがいてくれた方が楽しいしその……」
「しどろもどろ言うな」
 とレイエスエフ。「俺が言ってやる。正直迷惑だ。あんたがいるせいでこの先も余計な面倒がありそうだ。今すぐいなくなって欲しいくらいだ」
「レ、レイエスエフ!」
 スピンは怒鳴った。「ひどいぞお前! 言い方ってのがあるだろ!」
 ルビーは立ち止まりうつむいてしまった。スピン、レイエスエフも合わせて歩みを止める。
「……いいの。でもお願い。もう少し、もう少しだけ。せめてこの西アイリッシュを出るまで一緒にいさせて」
 ルビーは絞り出すように言った。そしてうるんだ瞳でスピンを見つめる。スピンも見つめ返し沈黙する。が、やがてスピンは重苦しく言葉を吐き出す。
「──俺はずっと一緒でもいいと思っているよ。でもこれは俺とレイエスエフの旅なんだ。レイエスエフがダメという以上、もう少ししたらあんたはいなくならなきゃならない」
「……うん」
 ルビーはうなずいて視線を落とした。
「俺のせいにしやがって……。チッ」
 レイエスエフは面白くなさそうに舌打ちをした。


「あっ! 見つけたぞ、お前ら!」
 たまたま表通りを歩いていると、3人の後ろから声が聞こえた。
「ん?」
 と振り返ると5、6人の集団がこちらに走って近付いてきていた。いつものように栗色の服を着ている連中だが、今回は何かが違う。
 連中の動きが少し不自然なこと。それから栗色の長い髪、栗色のスカートをはいている女がいること。その2点がいつもと違う。
「マ、マロン!」
 ルビーが言って目を見張る。「やばいって! アイツに見つかったら殺されちゃう!」
 ルビーは両手でスピンの腕をつかむ。どうやらルビーは本気でおびえているようだ。
 油断して表通りを歩いていたのが悪かった。
「そんなにやばい奴か?」
 スピンが訊くとルビーはうなずき、
「マロン教の教祖マロン。最強最悪の人間とも言われてる。アイツは教祖って立場を利用してゾンビを造ったり、死霊を操ったりできる『死霊使い(ネクロマンサー)』という奴。ゾンビを造れるってのは高位の『死霊使い』の証明」
「そりゃやばいなあ。逃げるか?」
 レイエスエフがなぜか笑いながら言う。
「逃げ切れねえだろうがよ。お前がいちゃあ」
 スピンは皮肉たっぷりに言う。
「いや、俺だけなら逃げられる」
 とレイエスエフが軽く杖を振ると、レイエスエフの体は30cmほど浮き上がった。
「お前らもはやく逃げろよ。ヒヒヒ」
 レイエスエフはそう言うと地面を滑るようにと翔んで行った。そして数秒の間にはるか先に行ってしまう。
「うわっ! 何だあの野郎。──とにかく俺たちも逃げよう!」
 ルビーはうなずく。
 マロン教の奴らはまだまだ後ろ。
 2人は走り出した。全力で走れば逃げ切れるはず。


「ハァハァハァ……」
 2人は息を切らしながら走る。レイエスエフの姿はとっくに見えなくなっている。
 スピンも今度ばかりは本気で命の危険を感じていた。レイエスエフがいないことが不安でしょうがない。それはどこかでレイエスエフを頼っていたということだ。
 もしも追いつかれたら……スピンはそれが怖かった。
 あそこの裏路地に逃げ込めば……。
 とスピンがそちらに向かおうとした時、
「ま、まって……」
 少し後ろでルビーの声がした。
 振り返るとルビーが苦しそうにしゃがみこんでいた。
「どうした!」
 スピンはルビーに走り寄る。そしてルビーの手を取って再び走り出そうとした。
 が、ルビーの体は動かなかった。見たところ50キロないと思われるその体が動かせない。おかしい。
「マ、マロンの操ってる死霊につかまれてるの。助けて、お願い……」
 ルビーはそう言って握っているスピンの手に力を込める。
 助けて、も何もスピンには死霊も見えなきゃそれを追い払うこともできない。スピンにできるのはルビーの手を引くことだけだ。
「痛い痛い! 手が切れちゃう!」
 ルビーは絶叫する。
 しかしマロン教の面々はすぐそこに迫っている。手を引くのをやめるわけにはいかない。
 ──とルビーの体が軽くなった。
「うわっ!」
 とスピンは勢い余って地面に倒れ込む。
「キャッ!」
 という声を上げながら、スピンと重なるようにルビーも倒れる。
 ──ついにマロン教に追いつかれてしまっていた。
「いてて……」
 とスピンが体を起こし立ち上がると、そこには化粧の濃い40歳ぐらいの中年女と1人の男、4体の変な生き物(?)が立っていた。
 この中年女がおそらく教祖マロン。男の方は臆病なあのチビ野郎。
 そして4体というのは、人間の姿をしているのだが目はうつろ、口は半開き、鼻からも体液が流れ出ているという不気味なもの。動きもあやつり人形のように不自然で、これがゾンビというものなのだろう。
「気持ち悪いな……」
 スピンの口から思わず突いて出る。これを造ったのはこのマロンという女なのか。
「はいルビー、ひさしぶりね」
 マロンはそう言って口紅で真っ赤にした口を緩ませた。
 口元を緩ませると顔全体にシワが寄り、白く塗った顔がひび割れる。
「ひさしぶりね……」
 立ち上がりながらルビーは言う。その声は震えているようだった。
「本人もゾンビだな……」
 スピンはマロンを見てつぶやいた。
「何だと!」
 その声が聞こえたかチビ野郎が言った。「貴様は美的感覚がおかしいんじゃないのか? マロン様をゾンビなんて言いやがるのは5人に1人くらいだぞ」
「こら」
 マロンが不快そうに言った。「余計なことを言うんじゃない。人がどう思うかじゃないの。アンタが私をどう思ってくれるか、なの」
 チビ野郎はその言葉に身を震わせ、マロンの前にひざまずく。
「さすがマロン様。感動しました。やはりマロン様は美しく正しいお方。この世の女王となるにふさわしい方です」
 アホだ。
 スピンはあきれてしまったが口にはしなかった。そのかわりに背負い袋を下ろし腰のブロードソードを抜く。
「やる気満々ね」
 マロンはスピンに視線を向けて言った。「でも私としては何とか、穏便に済ませたいんだけどね」
 マロンはそう言うと右の手の平をスピンに向けた。
 スピンは腰を落として剣を構える。
 ──チビ野郎よりも少し背が高いだけのおばさん。なのにこの威圧感はなんだろう。でかく見えさえする。
 スピンの隣りにいるルビーなどは何もできず、小さく震えているだけだった。
「何をそんなにおびえているの? ルビー」
 マロンは微笑む。
「べっ別に私は……」
 やはり声も震えている。
「フフッ。何も取って喰おうってんじゃないから安心してよ。──どうして私がこんな所まで来たのか分かって?」
 マロンは右手をスピンの方に向けたまま言う。ルビーは口を開かず押し黙っている。
「私はね、あんたのその根性が気に入らないの。何でも楽して手に入れようというその根性がね」
 マロンはそう言うとスピンに向けていた右手を下ろし、ルビーの方に近付いていく。
 その瞬間、スピンの体に悪寒が走った。
 何をする気だ!
 スピンは声を出そうとしたが出なかった。
 これはさっき墓場で体験した感覚と同じ……!?
 やはり体も動かなかった。これが死霊に取り付かれ、金縛りに合うということなのか。
 ──ルビーは近付くマロンに後ずさりした。足もガクガクと震えている。
 マロンはルビーの白い服の胸元をつか掴んだ。そして、
 バシッ!
 と思いっきりルビーの頬を張った。さらに返す刀で、
 ビシッ!
 この往復ビンタでルビーの両頬は、赤く染まってしまうがそれはなおも続く。
「……やめ……やめて……」
 合間、合間にルビーが小さくうめくがやめるはずもない。
 ──やめろ!
 スピンはそう叫ぼうとするが声がのど喉から上にあがってこない。ただ表情だけでマロンをにらむ。
「人の心配してる場合か?」
 小剣を抜いたチビ野郎が目の前にいた。4体の栗色の服を着た仲間を従えて。
「お前にはずいぶん世話になったよな」
 そう言ってチビ野郎はスピンをにらみつける。
 俺はお前には何もしてないだろうが。そう言いたかった。
 チビ野郎はスピンの構えた剣の間合いに入ってきて喉元に小剣を突きつけた。そのまま突き刺されれば終わりだ。
 スピンは覚悟した。それと同時に「コイツを生かしておいたこと。それが敗因だ」、そういう思いが頭に浮かぶ。
「いや、ただ殺したんじゃ面白くないよな」
 チビ野郎はそう言うと小剣をおろした。そして「ふむ」とつぶやくと、スピンの腹を思いっきり蹴り上げた。
 チェーンメイルを着ていても、鉄の入った靴で蹴られてはたまらない。その衝撃がみぞおちに伝わる。
 腹の中にあるものが戻りそうになると同時に、
「ヴッ!」
 という声にならない声が漏れ、体が「く」の字に曲がる。
 チビ野郎は再びスピンの腹を蹴り上げようと態勢を整える。
 しかし次の瞬間には、その体は動かなくなっていた。
 チビ野郎の着ていた皮製の鎧を切り裂き、脇腹に深々とブロードソードが喰い込んでいた。
「な……」
 とチビ野郎は驚きと怒り、痛みと苦しみ、様々な表情を入り混ぜながら崩れ落ちた。
 スピンは金縛りから開放されたのだった。
 ──うなり声を漏らし、体が「く」の字に曲がった。その一瞬、術から放たれた。その一瞬で完全に術を破ることは難しいことではなかった。
「フゴー!」
 という不気味な声を上げながら、チビ野郎の仲間、表情のない連中がスピンに襲いかかってきた。
 人間の形をしているがそれは化け物。容赦はいらない。
 まず一体目の胸元めがけて剣を突き出し、それを貫くとすばやく剣を抜き、掛かってきたもう一体の頭を打つ。
 ゴガン! という頭がい骨の砕ける音してそいつが倒れる。これでこの二体を倒せたのかどうかは定かでないが、スピンは残りの二体に向かっていく。
 化け物に「油断」なんてのがあるのかは知らないが、そいつらは身構えることができていなかった。
 スピンが豪快に広刃を振ると、化け物の肩口から胸前がスッパリ割ける。そいつはその一撃で糸が切れた人形のように崩れる。
 ゾンビなんてのは知能もなく武器も使わない。
 こいつは楽勝だ。残り一体。
 スピンはそいつに向き直った。
 が、驚くことに小剣の攻撃があった。
「うおっ!」
 とスピンはブロードソードでその攻撃を受け止める。そしてその小剣を押し返すと自分の剣を突き出す。
 攻撃をよける、なんてことを知らないはずのそいつは、自分の武器でスピンの剣を払った。
 ゾンビじゃないのか?
 スピンは改めてそいつを見張った。
 口は半開き、目はうつろ、鼻からも体液が流れ出ている。明らかにゾンビなのだが、その体つきは戦士のものであった。
「なるほど……」
 スピンはつぶやくと剣を大きく振りかぶった。相手はその攻撃にそなえて身構える。
 スピンは突っ込み、力まかせに剣を振り下ろす。相手はそれを自分の小剣で受け止める。
 剣と剣がぶつかり派手な金属音が鳴る。
 生身の人間ならば、その衝撃に耐えうる体を持ち合わせていただろう。しかしそいつは生身の人間ではない。
 そいつの腕の関節、肩の関節は外れ、骨が肉を突きやぶって飛び出す。そして受け止めた小剣ごと、攻撃を顔面にくらい吹き飛ぶ。
 スピンは剣を振り切った。化け物はゴミのように地面に叩きつけられる。
 これで全滅だ。
「ふうっ」
 とスピン息を吐いて辺りを見回した。
 なかなか凄惨な光景だが仕方あるまい。
 ──そうだ! ルビーは無事か!?
 スピンはルビーとマロンの方を向いた。
 と、ルビーが腹を押さえてうずくまっているように見えた。
 が、違った。うずくまっているのはマロンの方だった。そして恐ろしい形相をして立っているのはルビーの方だった。
「こ、この小娘が……」
 マロンが言いながら押さえている腹にはナイフが刺さっていた。それはあのバタフライナイフだった。
 マロンは「うぐぐ……」とうめきながら腹からナイフを抜いた。すると傷口から血が噴き出す。
 しかしマロンがそこに手を当て何事かつぶやくと、出血は止まりその表情も多少和らぐ。とはいえ、その顔はまだ青白い。
 マロンは立ち上がった。そして血で真っ赤に染まったナイフはルビーに向ける。
 ルビーは二、三歩後退る。その白い服には返り血でところどころに赤い斑点がついていた。
「ハァハァ……ねえルビー。私はアンタ達の白い服が嫌い。アンタなんて真っ黒じゃない。何がホワイト教よ。何が白い神よ……」
 マロンはそう言うと血のついたナイフを投げ捨てた。そして自分の手下どもを一瞥すると、
「このお礼はするからね……」
 とおぼつかない足取りで歩き始めた。
 とどめを、とスピンはマロンに近付こうとする。しかしマロンにキッとにらまれ、スピンはその足を止めてしまった。
 手負いとはいえスピンのかなう相手ではない。スピンは一瞬でそう諭った。
 マロンが遠ざかるとルビーはその場にヘタヘタと座り込む。スピンは剣を収めてルビーに駆け寄る。
「怖かった……」
 とルビー。スピンはルビーの肩に手を置き、
「そうか」
 とうなずいてやる。
「──やりゃあできるじゃねえか」
 とスピンの後ろから声がした。──この声は!
「お前どこにいやがった!」
 とスピンは振り返る。
 灰色のローブの魔法使いが笑顔で立っていた。
「いや収穫収穫。また一歩成長したね、スピン君」
 そう言ってレイエスエフはカラカラと笑う。
「誰がスピン君だ! お前いつからいやがった!」
 スピンは目くじらを立てて言う。
「おう。最初から最後まできっちり見てたぞ」
 レイエスエフは臆面もなく答える。
「じゃあ何か。俺が金縛りにあって喉元に剣を突きつけられたときも、黙って見てたってのか?」
「ああ。お前は大丈夫だって信じてたからな」
 言ってレイエスエフは真っ直ぐスピンの目を見る。「とはいえあの時はやばいかな、とも思ったけど」とつぶやくように付け加える。
 それからレイエスエフはルビーに目を向けると、
「アンタ、あのマロン様にずいぶん嫌われているみたいだな。何かやったんじゃないのか?」
 言われたルビーはしばらく無言だった。
 が、やがて小さく、
「……敵対してる教団だから」
 とだけ言った。