赤のクリスタルライト 7
作:しんじ





   7、脱出

 暗闇での出発になってしまった。
 とはいえ、小一時間もすれば夜明けが訪れると思われた。
 スピンとレイエスエフは荷物をまとめ家具の弁償代金を支払うと、眠ったままのルビーを置いて、宿を出ることにしたのだった。
「ああ、眠てえし頭痛え……。まだ酒が抜けてないんだな」
 スピンはそう言って、頭をさすりながら街並みを見回す。
 静まり返った西アイリッシュも、こうして見るとそれほどの危険を感じないものだ。もちろん内にひそむ危険、家々に灯るクリスタルライトの光を忘れてはならないが。
「悪かったな」
 レイエスエフが歩みを止め、つぶやくように言った。
「何がだ」
 とスピンも立ち止まる。
「いや、俺は薄々気付いていたんだけどな。ルビーの狙いが最初から『赤のクリスタルライト』にあったってことに。でもはっきりとした確証がなかったからお前には黙っていた。それがこんな結果を招いた」
「それが悪かったってことか。──いいよ。そんなことは。それにホントの意味で悪かったのは全部……ルビーの奴だ」
 スピンはそう言って遠くを見る。「ルビーは嘘をついていた。父親が殺されたとか、組織に追われてるとか、助けて欲しいとか……。全部嘘だったんだ。──くそっ!」
 スピンはそう悪態をつくと再び歩きはじめた。
 レイエスエフもそれに続き歩き出す。
「でもな、スピン……」
 レイエスエフが口を開く。「お前をなぐさめるってわけじゃないんだが、ルビーはほとんど嘘はついちゃいなかった。もっと嘘らしい嘘をついてれば俺はもっと早く気付けた。ルビーは『赤のクリスタルライト』が欲しかった。それだけだ」
「……そうか。何のなぐさめにもなってないがな。でも俺たちに好意を持ってくれてたのは、嘘じゃないってことか……」
 スピンが言うとレイエスエフはうなずき、
「マロン教のマロンを始め、いろんな敵に立ち向かうために必要だったんだろうな。『赤のクリスタルライト』の力が」
 そのレイエスエフの言葉にスピンはますます悲しくなってしまった。
 好意を抱いていたルビーにだまされてたってことも当然その理由だが、人それぞれに訳があり思惑があって様々に生きている。それがなぜか悲しいのだ。
「ハァ……」
 スピンはため息をついた。
 ──と、二人の後ろから馬車が駆けてくる音がした。
 馬車? ……まさか!
 振り返ると暗闇の中に、首のない馬二頭が引く馬車が見えた。そしてその馬車の上には──。
「デュラハン……。さっき帰ったばかりじゃねえか。まさかこんなに早く舞い戻ってくるとは……」
 レイエスエフががく然と言う。「これがデュラハンの本当の恐ろしさか……」
「くそっ、レイエスエフ! 俺の剣にまたあの魔法を!」
 スピンが剣を抜きながら言うと、レイエスエフは首を何度も振り、
「できねえ。今日はもう本当にできねえ。魔法を使い過ぎた……」
「なに? だったらそのままで戦うまでだ!」
 スピンはそう言ってブロードソードを構える。
「バカやめろ! 無茶だ!」
 レイエスエフは声を荒げ、「さっき勝てたことを実力だと思うな! 運がよかっただけなんだぞ!」
「じゃあどうしろってんだ!」
「いつものように逃げる。それしかねえ」
 レイエスエフはそう言ってスピンの肩をつかむ。
「逃げても追ってくる。そう言ったのはレイエスエフ、お前じゃねーか」
 そう言いながらスピンは剣を下げる。
「そうだ。逃げても追ってくるってのは本当だ。だがもうじき夜明けがくる。夜明けはデュラハンの唯一の弱点だ。だから逃げ切れるかもしれねえし、うまくやればデュラハンを倒せるかもしれねえ」
「……分かった」
 スピンはそう答えると剣を鞘に収めた。そして迫りつつあるデュラハンを一瞥すると、「行こう」
 とレイエスエフとともに駆け出した。


 相手は馬車。
 走って逃げたところで逃げ切れるものでもない。ときおり振り返ってみると、剣も鎧も新しくなったデュラハンがその差を詰めてきていた。
 しかし相手は馬車。狭いところなら通れまい。スピンとレイエスエフは裏路地に飛び込んだ。
 家と家の間の細い道。下手をすると行き止まりになりかねないが、もうひとつ向こうの通りに出るだけなのでそういうこともない。
 二人は裏路地を抜けて大通りに出た。
 見るとデュラハンは馬車から降りて、裏路地に入るところだった。
 スピンとレイエスエフは再び駆け始める。
「デュラハンの奴、俺たちを見失ってくれるってことはねえかな」
 走りながらスピンが言う。
「ハァハァ……。見失うことはあるかもしれねえが、本当の意味で見失うことはない。デュラハンにはお前のいる所が分かっているから」
「そうか」
 ──レイエスエフは走ることが本当につらいのだろう。息もたえだえ、という感じだ。
 と、レイエスエフが突然何もないところでつまずいた。
「うわったったっ!」
 と声を上げながら顔面から見事に転ぶ。普段なら大笑いだがそんな場合ではない。
「大丈夫か!」
 スピンが声をかける。しかし顔を上げたレイエスエフはとても大丈夫そうではなく、鼻血をダラダラ流していた。
「痛ってー! 俺はもうダメだ! 先に行け!」
 レイエスエフはこぼれる鼻血を両手で受けながら言う。
「バカ! そんなことができるか!」
 スピンは熱く言う。
「勘違いするな。追われているのは俺じゃない、お前だ。早く逃げろ!」
 とレイエスエフは先を指さす。
「分かった。でもはぐれたらどうする」
「何とか俺が見つけてやる。分かったら早く行け!」
「分かった」
 とスピンがうなずいた時、デュラハンが裏路地から抜けてきた。
 スピンはそれを視界にとらえながら走り出した。


 スピンとデュラハンの追い合いはしばらく続いた。
 始めはスピンの方がわずかに速いようだったが、時間の経過とともに差は詰まっているようだった。疲れでスピンの脚が鈍ってきたということなのだろう。
 デュラハンに疲れというものはないのだろうか。振り返るとデュラハンはすぐそこにまで迫っていた。
 夜明けはまだだ。東の空も真っ暗なまま。これ以上の逃走は無理。
 勝算がないわけじゃない。やってやる!
 スピンは覚悟を決め、立ち止まり向き直った。
 広く長い道の真ん中。ここなら障害物も何もない。
 スピンは素早く剣を抜き、
「おい! デュラハン!」
 と叫んだ。その声は暗闇に響き渡る。
 その声に、かどうかは知らないがデュラハンも立ち止まった。スピンは息を整え始める。
「ハァハァ……。お前は強い戦士だ。きっとそんな姿になる前も立派な騎士だったんだろうな」
 ──デュラハンは腰のバスタードソードを抜いた。そして両手で柄を握り、剣先をスピンに向ける。
「俺はお前と純粋に戦ってみたいと思ってた。もっともレイエスエフはそれを許してくれなかったがな」
 そう言いながらスピンもブロードソードを両手で握る。
「決着をつけようじゃねえか」
 暗闇の決闘。スピンの目もとっくに慣れていてデュラハンの動きもよく分かる。どっちの有利不利もない。
 ──先に斬りかかってきたのはやはりデュラハンだった。
 振り下ろされた長剣をスピンは広刃の剣で受け止める。しかしまともに受け止めては力負けしてしまうので、スピンは剣を倒して攻撃を流す。そうしてそこから円を描くように剣を回して攻撃へとつなげ、跳び下がりながらデュラハンの腕を叩く。
 ゴッ!
 という音がしてデュラハンの全身鎧の一部、ガントレットがへこむ。
「くっ!」
 鉄のかたまりを叩いたスピンの手にしびれが走る。
 腕を叩かれると握力が負けて剣を落とす三流剣士もいる。スピンはそれを期待したが、デュラハンはすぐに反撃に転じ、退ったスピンに向かって剣を突き出してきた。
 スピンはその不十分な攻撃を不十分な態勢のまま剣で払った。するとデュラハンの長剣は力なく軌道を変える。
 二人の剣士は一旦間合いを空けた。そして態勢を整えるとお互い剣先を相手に向け、再びジリジリッと詰め寄る。
 ──勝てるかもしれない。
 スピンの頭にそういう思いが浮かんだ。
 最初の対戦では圧倒的な力の差を感じた。しかしそれは防御をまったく考えない、デュラハンの戦い方に戸惑っただけだったのだ。それを分かってさえいれば勝てない相手でもない。
「覚悟しろよ……」
 スピンはそうつぶやくと、デュラハンの間合いに踏み込み小さく剣を振って、先ほど叩いたデュラハンの腕を狙う。
 やはりデュラハンはそれをよけることもなく、ガントレットで受けるとそのまま剣をスピンに向けて突き出してきた。
 スピンはそう来るだろうと読んでいた。その突きをかいくぐってデュラハンのふところに鮮やかに飛び込んだ。
 ──スピードもやはり俺が上か!
 スピンはその場で踏ん張ると、デュラハンの胴を剣で思いっきり打った。
 デュラハンの体重がどのくらいあるのかは知らない。だがその攻撃でデュラハンは弾き飛び、地面に転がる。
 勝てる! 
 スピンは確信し、倒れているデュラハンに向かって、剣を振り上げ飛びかかった。
 と、デュラハンはいきなり立ち上がり、長剣を突き出してきた。
 まったく予想していなかった。普通ならあんな攻撃を受けて、すぐに立ち上がれる訳がないのだから。
 デュラハンの剣は、不用意に飛びかかったスピンの肩の辺りを打った。
 今度はスピンが弾き飛ぶ番だった。
「ぐあっ!」
 叫び声を上げながらスピンは地面に転がった。
 肩、というよりも鎖骨に直撃した。チェーンメイルの上からでも長剣が当たれば骨は砕ける。唯一救いなのは、喉元にこの攻撃をくらわずに済んだ、ということだ。
 スピンは這いつくばりながらも、デュラハンを視界に捉える。
 ──生身の人間である以上、異界のものには勝てないのか?
 デュラハンは剣を振りかぶった。そして倒れているスピンに向かって容赦なく剣を振り下ろす。
 が、デュラハンの剣は地面を叩く。
 スピンは転がって攻撃を避けたのだ。
「ぐっ! まだだ! まだ俺は負けてねえ!」
 スピンはそう叫びながら立ち上がると、ブロードソードを振り上げてデュラハンに立ち向かった。


 レイエスエフが二人を見つけた時、もう夜は明けていた。そして朝日がまぶしく二人の剣士を照らしていた。
 デュラハンとスピンは相変わらず戦い続けていて、決着はつきそうになかった。
 しかしレイエスエフにはこの戦いが、終わりに近付いていることが分かっていた。
 なぜならデュラハンの首の上には、ひげをたくわえた中年男の顔があったのだから。
 ──とその時、馬車が駆けてくる音がした。誰も乗っていない馬車だったが、デュラハンの馬車だと分かった。
 馬車を引く二頭の馬。彼らにも首がついていた。
 デュラハンは馬車を一瞥すると、スピンと間合いをあけた。そしてスピンに背を向ける。
「逃げるのか!」
 スピンは声を上げ、デュラハンの背中に斬りかかった。
 しかしスピンの剣は宙を切るようにデュラハンの体をすり抜ける。
「なんだ!?」
 とスピンはデュラハンを見上げた。
「首がある……」
 スピンはこの時初めて気がついたようだった。
 レイエスエフはスピンのそばに寄っていき、
「お前の勝ちだ」
 と声をかけた。しかしスピンはレイエスエフの存在に気付いていないようで、
「俺の勝ちでいいのか?」
 とデュラハンに話しかけた。どうやらレイエスエフの言葉をデュラハンの言葉と勘違いしているらしい。
 デュラハンは振り返りうなずいた。そして笑った。
 いや、笑ったように見えた。なぜなら次の瞬間にデュラハンの姿はなくなっていて、確認することができなかったから。
 見ると馬車もその姿を失っていた。
「消えた……」
 スピンがつぶやく。
「ああ、消えたな」
 レイエスエフがスピンの隣りでつぶやくと、
「うわあっ! 何でお前ここにいるんだ!」
 とスピンは驚いて剣を落とした。


「ここはもう西アイリッシュじゃないんだな」
 明るく人通りの多い街並みを歩きながらスピンは言った。
「ああ。デュラハンから逃げている時に出られたみたいだな、恐怖の街を」
 レイエスエフがそう言って楽しそうに「ウヒヒヒヒ!」と笑う。
「何がおかしいんだ、バカ」
 スピンは顔をしかめる。
「誰がバカだ、バカ」
 レイエスエフが子供のように言い返してくるが、ここは無視だ。
 ともかく大変な街だった。もう来たくない。
 ──だがなぜだか、ルビーに会うためなら来てみてもいいかな、という想いもあった。
 会ってどうするわけでもない。話すことなんてないし、言い訳を聞こうとも思わない。
 でも心のどこかで彼女を許している。もう一度会えたら、と思う。
 そしたら……。