夏の夜明け
作:隼





 東の空が、僅かに白み始めていた。黒はすでに空というキャンパスから姿を消し、濃藍と淡い藍が取って代わってしまった。やがて東は朱を湛え、陽を抱き、青くなる。
 もうすぐ朝になるのだ。
その夜と朝の境の、あやふやな時間に彼女は歩いていた。
一段一段ゆっくりと踏みしめるように階段を上り、木々に囲まれた広い公園に出る。そこには噴水の池があった。当然といえば当然だが、いま、噴水は止まっている。
縁石に寄って、中をのぞいて見る。そばに立っていた街灯の光に照らされ、水底で輝いているのは、無数の小銭だった。
彼女はその小銭を見て、少し顔をしかめた。悲しそうに。うれしそうに。あるいは、困ったように。
「…………………」
 あの一円玉を投げ入れてくれた人のことを思う。五円玉を十円を五十円を百円を投げ入れていった人々のことを思う。投げ入れてはいかなかった人々のことを思う。彼らは、どのような思いをあの小さな丸い金属に託したのだろうか。どのような思いを、この池に投げ込んだのだろうか。
 あの少女は、あの小さな少女、今なお語り継がれるあの少女……この池の少女は、どのような思いで、人々の思いを受け取っているのだろうか。
 沈んでいた思考を半ば無理やりに引きあげて、彼女は再び歩き出した。噴水池の、さらに向こうに。公園――――そこは、広い公園であった―――――の、より奥にむけて。




広く長い直線をゆっくりした足取りで抜け終わるころには、空はずいぶんと明るくなっていた。彼女はあちらこちらへと寄り道をするためだ。大人なら数分とかからない距離をずいぶんと回り道して、しかも、その先々にある彫刻や、記念碑に見入っているから、その説明文を読んだり、時には話し掛けたりするから、ずいぶんと……ずいぶんと時間かかかってしまった。
「もっと……もっとはよ来ればよかった……」
 静かにポツリと、呟く。余りにも時間をかけすぎてしまった。逃げていたからだ、と思う。自分はあの日のあの時から逃げていたのだ。
 しかし、それを誰が責めることができるだろう。神も仏も、彼女自身でさえ責めることはできない。できないはずだ。たとえ許すこともできず、許されることさえないとしても。
 誰が、あの地獄を、思い出せなどと。
 背後から強い風が吹いてきて、彼女の背中まである黒髪を吹きながした。慌てて髪を抑える。今は夏だから、この涼風はあと数時間とせずに熱い物へと変わるはずだ。例年に負けじと今年も熱い。そして今日も、きっと晴れるはずだった。
 あの日と、同じように。
なびく風を抑えながら、彼女は顔を上げた。
 この公園の最奥部の広場についたのだ。広場のそこかしこにはテントが足をたたんだ状態でいくつかひっそりと置いてあった。今日のイベントに使われるのだろう。
 そして、広場の奥には、巨大な青銅の像があった。
 その巨躯をどっしりと台座に座らせる青年の像。憂いを湛えた表情を噴水の遥か向こうに向け、右手は天を指し、左手を水平に伸ばす、記念の像だ。
彼女は記念像に近づいて、その顔を見上げながらそっと問い掛けた。
「つらくは、ありませんか」
 そこにいることは、辛くはないのかと。人々の祈りを聞きつづけることは、辛くないのかと。
「五十何年かぶりに会った友達は言っていました。とても辛いと。あのことを思い出すのはとても辛いと。あのことも、それからのことも、思い出すのも、語るのも辛いと言っていました。
 わたしもつらい、思い出したくない。だから逃げていました。ずっと、死んでしまったことをいいことに……。
 貴方は、つらくは……ないのですか」
脳裏につい数時間前にあったばかりの友達を思い出す。美代子という、名の通りにうつくしい娘だった……あのときまでは。



……優ちゃん!?
 ああ、ホントに優ちゃんだ。何年ぶりに優ちゃんの夢ば見るとやろうね。
 あたしも、はよそっちに行きたかよ。もうつらかと。ほんとつらかとよ。
 あたしもあのとき死んどったとなら楽やったかも知れんばってんね。ご免ね、こがんことばっかゆうて。あの時死んでしまった優ちゃんに失礼かたいね。でもね、つらかとよ。
 もう二十年も病院のベッドに寝とるとよ。直らんとよ。もう年やしね。
 あれから、あの地獄のごた中で運良く生き延びて、ひどか火傷やったけど、美代じゃなくなったばってん結婚することもできたけど、いつもあのことを思い出して怯えてたんよ。いつ自分も死ぬかね。
 この病院に来てからもずっとつらかとよ。修学旅行にきた人たちに話しばすると。あのときの話ばね、すると。話ばせんばと。そうやってね、すこしでもあの事を伝えてゆくとよ。知らん人たちに、少しでもね。中には泣きだす子もおるし、それは嬉かとけど。
 でももうあたしにはできん。あたしたちのようなのはもうあんまおらんのも……生きとらんけん、あたしもせんばいかんとはおもうけど、もう思い出したくなかと。何度も何度も思い出したよ。でももう、嫌かとよ。もう、思い出したくない。あの地獄は思い出したくない。
 ねえ、優ちゃん。連れて行ってね。そのために来たんよね。分かるよ。隠さんでも分かる。あたしはちょっと長生きしすぎた。昼のサイレンがなったら、連れて行ってね。ねえ、優ちゃん。あたしもやっと楽になれるね。もう、充分かよね、そっちに行ってもいいよね…………



「わたしは、死んでしまったから、美代ちゃんみたいにつらくはなかった。でもなぜ、生きていた美代ちゃんは苦しむの。ずっとつらい目にあっていたのが頑張っていた美代ちゃんだなんて…………わたしは、わたしは」
 そのとき、彼女はいつのまにか俯いていた顔を上げた。物言わぬ像が答えてくれた気がしたのだ。
確かに、彼は何か答えてくれた。
言葉ならぬ答え、形なき表示によって。
その像は先ほどよりも大きく、力強く見えた。きっと、どんな思いでも幾人分でも受け止めてくれる。
どっしりと台座に座る、青年の像。その右手は天を指し、その左手は水平に伸ばされ、憂いを湛えた表情は、噴水の遥か向こうを見ている。
彼女は、知っていた。この公園の噴水側の向こう、道路を隔てた隣の区画にはある広場と、一本の黒大理石の柱がある。その広場を原爆中心地といい、その柱の上空で、1945年8月9日、長崎を地獄に叩き込んだ爆弾が、爆発したのだ。
原爆という悪魔の残した傷は、まだ完全には癒えてはいない。確かに、見た目の街並み、殆どの人々はもう傷などない。それは56年もの昔の出来事だからだ。
 しかし、今でも当時から存在していた小学校のグラウンドから白骨が出てくることがある。今なお原爆症に苦しむ人々がおり、被爆二世三世はけして親を、祖父母を苦しめた悪魔のことを忘れない。
 傷を持つということは、忘れないということだ。そしてこの傷は、どんなにつらくとも……伝えていかねばならない。
「きっとあなたは」
 彼女は、そっと呟いた。
「そんな思いまで背負って行くのね……」
 空はすでに完全に白んで、日が姿を見せ始めていた。公園内のどこかで蝉が鳴き始める。
今日も暑くなりそうだった。あの日、五十数年前のあの日のように、暑い一日になりそうだった。















後書き:

 この作品で伝えたいことは、ただひとつ。むかし、そういうことがあったという事実を、知識としてでもいいから忘れないでほしい、ということです。
 作中の舞台となる公園、噴水、銅像、広場、柱は実際に存在し、小学校のエピソードも事実です。ここでは述べなかったものの、自分の知っている物語、エピソードというのはまだいくつかあり、知らないものも多数あるはずです。自分はその街で10年という歳月を過ごし、少なくない影響を受けました。おそらく一生忘れることとはないでしょう。
 しかし、所詮は他人事。この作品自体、自分自身のエゴ、満足感を満たすものでしかないことは重々承知していますし、実際にあの阿鼻叫喚を体験し、生き延びてきた人たちの思いを正確に反映しているとは思いません。かなり一面的な反映だし。
 それでも、こうして小説という形にし、この場に公開することが間違っているとは思いません。それで少しでも、心にとどめてくれる人がいるのなら。


 自分は、核のいい点も悪い点も多少は知っているつもりです。ですから否定はしません。核にしろロケットにしろ、鉄器にしろ軍事衛星にしろ、道具に過ぎない。使うのは人間。悪いのはそれを用いる人間なのだと思っています。


 この作品を呼んでくださった方に、お願いします。ただひとつ、その事実を忘れないでください。そういうことがあった、それをテーマにした小説を読んだことがある、ということを、今後の人生のなかで、たった一度でいいから、思い出してください。
 なお、噴水や像の位置、柱の描写などこまごました点で実際と異なる点があるかもしれません。それは作者の意図的なもの、あるいは記憶違いによるものです。ご了承ください。……というか、許してください(涙)