家族の食卓 3
作:芹沢 りら





第三回 【憧れの同棲生活】


「お前しゃんちには、急須っちゅうもんはないんか?」
「あ、ありませんが……あの、それよりあなたはどちら様ですか?」
「急須急須。おい、話は茶ー飲んでからだっちゅーに。ちょっと上がるでオイ……あっりゃあ、なんちゅー狭い家だここは!? やっぱしこきゃ都会だのぅ」
 言うなり、枯れ木のようなジジイがずかずかと人様の城に踏み込んでくる。まぁ、確かに全く大したところではないのですが……って、何で俺が遠慮せねばならんのだ!!
「あの、すいません。あの。……家を間違えてらっしゃいませんか?」
 俺はジジイの肩を掴んで止めると、明らかに不審げな顔で尋ねる。たまに、酔って自宅を間違えるサラリーマンもいる。コイツは酔っている様子はないが、とにかくこんなジジイがうちに来るなんてことはまず、あ・り・え・な・い。
「お前しゃん、ヒロシじゃろ? 何言っとるだ」
「ヒ、ヒロシですが……た、確かに大塚ヒロシですけども、」
 さも不審げな顔のジジイを前に、俺はわずかにうろたえる。何でお前が知っとるんだ!
 ――そ、そうだ。その時ふと、閃いた。
 ――そうだ、俺はテレビ局に騙されてるんだ!!
 そう考えて、不意に愕然とした。昨日、突然やってきた美少女。そして、このジジイ。ありえない。全てが、ありえなさ過ぎる。俺は猛烈な勢いで部屋中をあさり始めた。どこかに盗聴器や、隠しカメラがあるはずだ。今頃、スタジオでは失笑が起こっているに違いない。何も知らないシロウトを騙して笑いを取ろうとする下らない企画。くそっ、一体俺を推薦したのはどこのどいつだ!! 確かに俺は単純単細胞、すぐに騙されるバカのお人よしですが!!
 ――その時、ピンポーンと、チャイムが鳴り響く。
 俺は、ギクリとした。ついにネタバレの瞬間か? 俺の唖然とした、マヌケな面が全国のお茶の間に晒されてしまうのか? そ、そんな事には耐えられない。俺は部屋に備え付けられた、インターフォン直結の受話器を取り上げて怒鳴った。
「もういいから帰ってください、お願いしますよ!」
『……な、何言ってんの? ヒロ?』
 受話器の向こうから、面食らったような小さな声がした。
「げっ……リカ?」
『何が「げっ、リカ」よ。あんた、何よそれ?』
「ご、ごめ……タチの悪い勧誘の人かと」
『勧誘くらいサクッと追い返しなさいよ、もー……それはいいけど、入れてくんない?』
「あ、ああ……今、開ける……」
「ヒロシー、お前しゃんも茶飲むかー?」
「ちょっチョチョチョアンタっ! 何、勝手に台所っ……」
『何、中に誰かいんの? ってかあたし、激しくおジャマかしら?』
 俺は目を白黒させて、ジジイと受話器を交互に見つめる。
「い、いや、ってか、微妙に取り込み中……」
『あんたさー、この間からちょっとおかしいんじゃない? いるんでしょオンナ? 見せなさいよ、別に噛み付いたりしないから』
「チャッパがない、チャッパ。ヒロや、チャッパはどこじゃ」
「ねえよンなもんッ!」
 俺はジジイを振り返って怒鳴りつける。
『あーもー蒸し暑くてガマンできない。早く、あ・け・て!』
「全く、昔からちぃとも可愛げのない子じゃのー……」
 俺は、ジジイの意味深な言葉も聞かずに玄関に走り出た。そして、一呼吸おいてから十センチほどドアを開ける。案の定、ドアに張り付いてたリカがニヤリと笑みを浮かべた。「きーちゃった(はぁと)」。隙間から覗くいつもの顔に、俺はガックリと肩を落とした。
「……で? どこよ、あんたの新しいカ・ノ・ジョは?」
 そこへ、茶筒(どこにあったのだろう……)を手に、台所の窪みからジジイが姿を見せる。
「おぉい、なんだぁガスの火がよう点かんわい……んん? 誰じゃこのオナゴは?」
「……この人、ナニ?」
 リカがジジイへと指を差し、俺の方をくるりと向いて問いかける。
「し、知らねー……」
「知らないって……」
「何言っとるだ、全くお前しゃんは……」そんなことも分からんのか、と言いたげにジジイが顔をしかめた。「わしゃー、ヒロの祖父だがな」
「え……ぅえっ!? そ、そうなのか!?」
 衝撃的な事実を知り、俺は素っ頓狂な声で尋ねる。
「ちょっと……アンタさ。自分のじいさんも分かんないの? ボケてない?」
 リカは冷ややかに言ったが、俺はブルブルと首を横に振った。
「だ、だって知らねーってこんな人っ! あっ、会ったのだって今が初めてだぞ! ボケてんのはこのジジイだよ、そっ、そうに決まってる!」
「わしがボケとるかボケとらんかも分からんのか? 頭ダイジョウブかいな」
「きゃっはは!」
 リカが素で笑った。
「おっかし。ジジイに言われてるし……」
 発作的な甲高い笑い声とはうって変わって、テンションの低い口調でぼそりと呟く。
「誰だぁ知らんけど、あんたも茶ー飲むんか? なんだコップが足りんけどなぁ」
「いいえー、今日は失礼します。用事もないんでぇ」
 リカはそう言うと、ちょっと背伸びをし、俺の耳たぶを引っ張って言った。
(ヒマだからシヨーと思って来たけど、なんかヘンなヒトいるし、今度ね☆)
 ……こ、このオンナは……。
「じゃっ、帰りまーす」
「あっ、おっ、送るよ暗いし!」
「そんならわし、ちょっと布団敷かせてもらうわ。今日は疲れたのー」
「ごめん……やっぱ送れない。この変なジジイを一人で家に置いとけない……」
「外でカレシ待ってるから平気ー」
「そっか……じゃあ大丈夫だな……」
 と言いかけて俺は、彼氏を待たせて昔の男とナニかをしようという、このオンナの精神構造を本気で疑った。つか彼氏いるなら彼氏としろっつーの。相変わらず、なんか壊れてるよお前……。
 リカが降りていった後、少し窓を開けて外を見てみた。
 確かに、見慣れない真っ赤なスポーツカーが路上に停まっている。しばらくしてリカがその車に近づき、話しかけている。ほんとに、待たせてやんの……。俺は微妙にブルーになり、窓に背を向けた。そして、深く溜め息をつく。
「コンロの火がつかんっちゅーに、何とかしてくれんか?」
「茶が飲みたいんですか……? 自販機で買ってきますから、触らないでください……」
 ――ピンポーン。
 ――再び、チャイムが鳴った。
(忘れ物か……?)
「何?」
 玄関を開ける。そこには、リカの姿があるはずだった。少なくとも俺の想像の範囲内では。
 だが、目に映ったものはそれとは違っていた――大幅に。
 そこにいたのは、リカよりも小柄で華奢な少女。額に落ちかかる髪を耳にひっかけるような仕草をしながら、少女――もとい、美少女は、恥ずかしそうに微笑んだ。
「こんにちは。……おじいちゃん、先にお邪魔しちゃってて済みません」
「えっ……君……」
 驚きで軽く絶句すると、美少女は丁寧に頭を下げた。
「私、篠崎ハルと言います。大塚ヒロキさん……ですよね。初めまして」
「あっ……は、初めまして……?」
 息を呑みながら、弱々しく返事をする。
 ――目の前にいるのは、確かに、例の『白雪姫』だった。


 俺は夢うつつでいたが、はっと現実に返った。
「あっ、君、えっと……昨日、ここに……いたよね? 俺の気のせいじゃなかったら」
「ハイ……すいません。あの、ちょっと勘違いしちゃってて」
 少女は玄関先に立ったまま、恥ずかしそうに目を伏せる。
 どこか憂いを帯びた瞼と、嘘みたいに長い睫。芸能人みたいだと思った。
「昨日、ヒロキさんが出てきて……私、おじいちゃんは来てますかって尋ねたら、いないって仰って。それで中に入るのもなんだし、外で待ってたら……入ればって、仰っていただいたんで……。そしたらヒロキさんがすぐに寝てしまって、困ったんですけど、私も時間を潰しているうちに眠っちゃったみたいで」
 俺は美少女の説明に、初めてことの成り行きを理解した(三割ほど)。
「朝になって、おじいちゃんがいないことに気づいて、慌てて家を出たんです。おじいちゃん、このアパートが分からなくて迷子になってたらしいです。警察から電話が来て、迎えに行って」
「おぉい、ヒロ! ハルを中に入れてやれぇや!」
 後ろからジジイの呆れたような声と、テレビの音声が聞こえてきた。
 いつのまに、テレビを見るほどくつろいでいたんだ……。
「あっ、ごめん……中、入る? 狭いけど……」
「はい。お邪魔します」
 ハルは礼儀正しく言うと、頭を下げた。俺は手持ち無沙汰気味に、その様子を見守る。だが、ハルが廊下に置いていたらしい、どでかいスポーツバックを担ぎ上げた時にはぎょっとした。その、重さにではない(それほど重そうではなかった)。なんで、そんな大荷物なのかということに、だ。
「そ、その荷物……」
「あ、しばらくお邪魔になるんで、とりあえず服だけ」
「お、お邪魔になるって? ……ど、どういうこと?」
「え、聞いてません?」
 ハルのほうが、驚いたように目を丸くした。そして、ジジイの方に視線を向ける。
「おじいちゃん、ヒロキさんに説明したの?」
「んなもん、いちいち説明せんでもええがな」
「………」
 この沈黙は、俺のものだ。ジジイは、すっかり寝転んでテレビを見ている。時代劇……。
「だめじゃない、ちゃんと言わないと。……あの、じゃあ私が説明しますね。とりあえず、座ってお話しませんか?」
 言われて、俺は小さく頷いた。ざぶとん、などという気の利いたものがあればと思いつつも、何もないのでフローリングの上に直に座る。ハルも、軽く足を崩して座った。……痛そうだ。
「ごめんね、何もなくてさ……」
「いえ。慣れてます」
「……え?」
「うちの、篠崎家は」
 ハルは、しっかりと区切るように話し始めた。
 近くでよく見れば、美少女ではあるがどこか中性的な感じもする。線の細い美少年と言えば、かなり通じそうだ。最も、それはまだ彼女が若いからだが……。(おそらく高校生一年、二年くらいだと思われる)
「そちらの、大塚家とはあまりお付き合いがなくて。……うちの両親の、母の方が、ヒロキさんのお母様の姉にあたるんですけど」
「えっ……じ、じゃあ君って、俺の従妹なの!?」
「そう、なりますね」
「そ、そうなんだ……」
 イトコ……イトコか……。軽く、脱力。
「じゃあ、このジジ……お爺さんは……」
「……?」
「お、俺の祖父でもあるのかな?」
 言いながら、俺はこわごわと後ろを振り返る。ジジイは相変わらず、時代劇に夢中だ。
「そうですけど……? ご存知ありませんでした?」
 ハルが細い眉をひそめる。
 俺はと言えば、初めて聞かされた衝撃的な事実に、どう反応していいか分からない。
「ご、ごめん知らなかった」
「そう、ですか……篠崎ゲンジと言いますけど。おじいちゃんはガンコ者だから」
 ハルの説明が、飲み込めない。怪訝な顔をしていると、ジジイが耳ざとく「何言っとるだ。あっちが頭下げてくるまで、わしゃよう知らんぞ」と言った。その言葉の意味も、ハッキリ言って皆目、ワカリマセンガ……。
「――大塚家と、断絶してるんです。おじいちゃん」
「――えっ?」
「ヒロキさんに言うのは何ですけど……ヒロキさんのご両親の結婚を、おじいちゃん許してないみたいなんです。もう、何十年も昔のことなのに……」
「それだけじゃありゃせんぞ。あのムコがな、勝手にわしの土地を売ったんじゃ!」
 くつろいで時代劇を見ながら、ジジイは頑固に主張する。
「おじいちゃん。あれは、うちのお母さんがやったのよ。何度も言ってるでしょ」
「わしゃ、腹が立って、腹が立ってな。はらわたが煮えくり返ったわい!」
「……ごめんなさい、おじいちゃんちょっと最近、ボケ気味なんです」
 ハルが、小さな声で俺に囁いた。俺は思わず、「えっ」と呟く。到底ボケているようには見えないが……最近、ボケもいろいろとあるらしい。もしくは、軽度なのだろう。
「あそこには、大きい白樺の木があってな。ばあさんと植えた木だで。それも、切り倒して売ってな。若いもんはわしらが大事にしとるもんも、ポイポイ捨てるしな。好きなことしてくれるわいや」
 ジジイは腹が立った出来事を思い出したのか、口調が荒くなってきた。だが、「この紋所が……」とテレビから流れた瞬間、「ええぞ!」と身を乗り出す。話の内容は、どうでも良くなったようだ……。
「おじいちゃん、今日お茶何杯飲んだの?」
 そんなジジイに、ハルが声を掛ける。ジジイはテレビに夢中なので、知らん顔だ。
「……あんなですけど、一応、自分のことは自分で出来ますし……たぶん、ヒロキさんにご迷惑を掛けるようなことは、ないと思います」
 ハルは俺に視線を戻し、髪を耳にかきあげながら言った。
 えっ……っていうかジジイも住むの? あの、居るだけでカナリ迷惑なんですが? という言葉をごくりと呑み込み、俺はかねてから頭にあった問いをついに、口にした。
「あの、さ……。それで、どうして君とお爺さんが、ウチに……来るのかな?」
「うちの両親が、亡くなったから」
 ハルが、ぽつりと答えた。
「――えっ?」
「亡くなったんです。うちの両親。……先月」
「えっ、ちょっ、どういうこと、それ!?」
 俺は思わず腰を浮かせた。
「俺、知らないよ!? 仮にも親戚なのに、葬式にも」
「外国で亡くなったんです。……爆弾テロに巻き込まれて、遺体もなくて」
「……ば、爆弾テロっ?」
 ――あまりにも、非日常的な言葉だった。
 俺はどういうことか分からないまま、ハルの顔を見つめ続けた。ハルは――そんな悲惨なことがあったなんて微塵も感じさせない、淡々とした表情で口を開く。
「親戚づきあいがなかったから、正直、行くあてがなくて……」
「う、ウチの実家に行けば良かったんじゃない? うちは裕福じゃないけど、何とかさ」
「おじいちゃんが、『ヒロの顔が見たい』って言ったから……」
「……そ、そうなの?」
 俺は、チラリとジジイのほうを見る。
 ジジイは、いつの間にか寝てしまっていた……。早い……。(しかも静かだ……)
「私、てっきり事情を話したんだと思っていたんですけど、違ってたんですね。その点は、ほんとにご迷惑お掛けしました」
 ハルは妙に律儀に言う。
「え、いや……別に、いいんだけどさ……」
 良くないし、かなりビビッたけど……。
「近いうちに、ヒロキさんのご実家に挨拶には行こうと思ってるんです。でも、何のつきあいもない断絶状態の親戚だったのに、今更、いきなり押しかけていっても……って。ヒロキさんは年が近いし、従兄だから、その分少しは気が楽だったんです。それで、『ヒロなら面倒見てくれる』っていう、おじいちゃんの言葉に騙されて来ちゃったんです。……ごめんなさい」
 おっ……俺が面倒!?
 こ、このジジイは何を……。
 しかし。悲しいことに、美少女の前で「んなことムリに決まってんだろ!」と言えない俺。口から出た言葉は、「そんなこと、気にしなくてもいいよ。俺、できる限り力になるからさ……」だった……。
 ――ああ、悲しい男のサガ。