家族の食卓 4 |
作:芹沢 りら |
第四回 【朝げの匂い】
――という、ひょんな事情から、俺の六畳一間のアパートには、じじいと、じじいの孫である美少女と、俺とが、三人暮らしをすることになってしまった。俺の実家には、もう少し落ち着いてから挨拶に行きたいというじじいの孫、篠崎ハルの意向もあり、俺はこのことをしばらく、実家にも黙っていることにした。つーか、何て説明したもんか皆目、分からん……。
(それにしても、ご両親が爆弾テロで亡くなったなんてな……)
それはあまりにも身近に感じられない出来事ではあったが、確かにテレビを見れば、ここしばらく物騒なニュースが続いていた。テロもレジスタンスも戦争も、いつのまにか当たり前の出来事になっている。――誰だよ、戦争する時代は終わったなんて言いやがったのはよ。
だがそんな辛い出来事があったなんて微塵も感じさせないほど、ハルは、毎日精力的に働いていた。朝は七時に起床し、八時には食事の支度をし、九時にはどこかへバイトに出かけ、四時に帰宅して洗濯をし、掃除をし、七時には栄養のつきそうな夕食がちゃんと出てくる。俺はハルと暮らし始めて、はじめて、自分の家にこれだけの食器と、食事を作る材料が揃っていたんだということに気がついたくらいだ。
――そして、今日も。
大学に行く時間まで寝る、というダラシナイ暮らしを続けていた身にとっては、早起きは少々、というよりカナリ辛いことではあった。だが、台所から響いてくる、トントントン……という例の、包丁の軽快な音。そして、飯の炊き上がる湯気の匂い。味噌汁の香り……。
そういう、「新婚さん来やがれ!!」みたいな光景が、まさにウチの台所から発生しているわけですよ! というか俺は今眠くてまともなことを考えられないのだが、それにしたって、寝ぼけ眼で見下ろすハルの背中――エプロンをしている――にはそそるものが……じゃない、和むものがあった。
(結婚したら、こんな感じなのかなぁ……)
あぐらをかいて座り、ロフトから台所から眺め降ろしていると、そんな気分になってくる。
(いいなあ……俺、結婚しようかなあ……)
と言っても、ハルのように美少女で、家事が得意で、料理がウマイ女の子なんてそうそう、というか、ほとんどいるわけがない。目をこすりながら、従妹って、結婚してもいいんだっけ……? と思いつつ、俺はロフトから降りていく。その途中でハルが振り返り、「あっ、ヒロキさんおはよう」と、花のほころぶような笑顔で言った。
俺は階段につかまったまま、なぜか赤くなりながら「お、おはよう」と返した。
「は、早起きだねー。朝メシなんて、俺、食わなくても平気なのに」
「駄目ですよ、朝にしっかり食べるほうが、健康にいいんですから」
ハルはそう言って、またガスコンロに向き直る。
「でも、これちょっと、火がつきにくくて……」
「あ、それちょっとコツがあってね。俺が……」
やるよ、と言おうとした瞬間、床に降ろしかけた足がぐにゃり、とヘンなモノを踏んだ。俺はぎょっとして下を見る。――干からびた棒。ではなく、ジジイの生足だった。俺は声もなく、まるでマンガのように――目の下に線を作って、(うげえ……)と青ざめた。
――ハルは、料理上手だ。
それは、認める。季節感重視の素材、栄養を考えた献立、丁寧な盛り付け。そして何より、うまい。うまい……が、何かが……違う。何かが……。
「……あ、お口に合いません……か?」
箸を止めた俺を、ハルが心配そうに見る。
「あっ、いやっ、う、うまいなーと思って!」
俺は慌てて言うと、箸を動かして白いメシをむさぼり食う。
朝食に並んでいる食事――塩気のほとんどないシャケ、減塩みそ汁(具は俺のキライな豆腐とアサリ)、ほうれん草のごま合え、おからと梅干――。まさに朝食。まぎれもない、立派な朝食。だが、だが……。
(ああ、ハルちゃんゴメン……でもこれ、これって、ジジイの食事じゃ……?)
俺が梅干を口に突っ込んで涙目になっていると、ハルが、なおも心配そうに俺の顔を覗きこむ。「本当に大丈夫ですか? ……あの、おじいちゃんちょっと高血圧だから、お塩とかは控えめで……ヒロキさんの分だけ、違うの作ったほうが良かったかな……」
後悔と、自己嫌悪。
ハルの顔に浮かんだその表情を、俺は打ち消すようにムリヤリ笑顔を作った。
「いや、大丈夫だよ、ホント! 朝からこんなメシ食えるなんて、嬉しいなー、アハハ!」
(無理してる……無理してるよ……俺……)
引きつる笑顔。だが、ハルは安心したようにほっと顔をゆるめる。それがまた、可愛らしかった。俺はうっとりとそれを見つめながら、キライな豆腐を無意識のうちに口に入れていた。
俺の隣では、ジジイがテレビを見ながら茶をすすっている。
「おじいちゃん、どうしておから、残すの?」
ハルが非難めいた口調で言う。俺は慌てて、おからを口に詰めるだけ突っ込んだ。
(も、モガモガ……ッ!)
喉に詰まりそうになる。慌てて、お茶でおからを流し込む。
「おからはモサモサするから好かんー」
だがジジイが、悪びれもせずに言った。
俺は、口に含んでいたおからをブーッと吹きそうになった。
「だって、昨日食べたいって言ってたじゃない!」
「昨日は昨日じゃ。今日はいらんわい!」
(振り回されてる……振り回されてるよ……俺……)
俺は再び涙目になりつつ、おからをごっくんと飲み下す。
――そう言えば、おからなんて食べたのはどれくらいぶりだろう。
俺も、おからはあまり好きではない。ジジイではないが、モサモサするからだ。だがジジイが気まぐれに「食べたい」と言ったから、ハルは、早起きしてわざわざ作ったのだろう。それとも、昨日のうちに準備していたのか。
(――けなげな子だよな)
俺はそう思って、ハルの顔をちらりと見る。
ハルは黙々と箸を動かして、小さな茶碗に盛られた、すりきりよりも少な目のご飯を食べていた。小食らしい。それとも、ダイエットなのだろうか? 女の子は痩せていてもダイエットしたがるから、よく分からないが。
「あ、ハルちゃん、洗い物、俺がするからね」
何となく、そんなことを言ってみた。ハルは一瞬顔を上げて、「え……」と言ったが、「そんな、悪いです……」と俯いた。俺は「悪いも何も、メシ作ってもらってて何もしないなんて出来ないからさ。洗い物くらい、させてよ」と言った。
「……あ、……ありがとう」
ハルは小さな声で言って、また、黙々とゴハンを食べ始める。
ジジイは好きなものだけ食べ、好き勝手に残して(シャケは全部食べたくせにほうれん草には手をつけていなかった)、またテレビの前にごろんとなった。
「おじいちゃん、みんなが食べるまで食卓に……」
言いかけたハルを、俺が軽く首を振って制する。
ハルは俺を見ると、ちょっと赤面して、俯いた。
(ジジイなんかいないほうが、楽しいもんな♪)
俺はハルと向かい合い、本当に少し新婚気分で、朝食を全て、片付けたのだった。
「ねえ、大塚君」
ビデオ屋のバイトの休憩時間。倉庫に荷物整理に来た、もう一人のバイトである広瀬カイトが、ダンボール箱の上で缶ジュースを飲んでいた俺に突然、話しかけてきた。
広瀬とはもう、3ヵ月くらいの付き合いになる。あまり喋らないが、たまに話題があれば盛り上がったりもする。友達というほど濃厚ではないが、バイト仲間(一応、向こうのほうが二ヶ月分先輩だ)としては気心が知れるほうだ。その広瀬が、不思議そうな顔をして俺を見ている。
「何すか?」
「大塚君さー、最近なんか、いーことあったの?」
「えっ?」
意表をつかれて、俺は聞き返す。
「だって前はダルそーに仕事してたのにさ、今は動きも機敏だし、接客態度もいいし」
「……え、前、そんなに態度悪かったっすかね? 俺」
「いや、まあ普通だったけど、なんか今は、イロイロ嬉しそうだなって」
「あー……いや、彼女っていうわけじゃないけど……いい友達が出来て」
俺は言葉を濁しながら、苦笑いする。
「へー。どんな子? 写真とかないの?」
「いや、ないです。そんな親しくはないし」
というのは、方便だった。ケータイで撮るくらいなら、多分撮らせてくれるだろう。だが、あの美少女を他の男に見せたくないという浅ましい気持ちが働いたのである。広瀬は人の彼女を狙うような趣味はないが、たまに、そういう奴もいる。何がどうなって誰と誰がつきあうのか、全く人間、分かったものではない。恋愛とは、魑魅魍魎渦巻く、弱肉強食の世界なのである。(言っててイミわかんなくなってきた)
「それと、最近三食食ってるんで、なんか体調がいいんすよねー」
「三食食ってんの? コンビニとかで? ……大変じゃない?」
「あっ、……と、そう、コンビニとかで。アハハ」
「あ・や・し・い、なー」
広瀬が、ニヤリと笑って言う。だが、そろそろ仕事に戻る時間だった。広瀬はダンボールの中からミネラルウォーターを取り出し、それをボックスに並べながら言った。
「彼女なんじゃないのー? ……ご飯作ってくれるって、いいよね」
「あー、そう……すね、彼女欲しいですけどねー。まだぜんぜん」
「早くゲットできるといいな。……ま、君なら余裕だろうけど」
広瀬の言葉に、俺は内心首を傾げた。どういう意味だ。
「なんにしても、君ももう二十歳だろ。今の内に進路とか決めとかないと、後がツライぞー」
脅すような広瀬の言葉に、俺は眉をしかめる。
「え、まだ先のことだし……あんま、考えてませんけど」
「俺みたいになっちゃったら、困るよ。……W大出て、コンビニバイトだもん」
「うげ」
俺は思わず素っ頓狂な声を出した。
「W大出でコンビニっすか。……キツイっすね」
「就職戦線に乗り遅れちゃってさ。……まあ、探してはいるけど……難しいね」
不況だから、と淡々と広瀬は言った。そしてミネラルウォーターを片付け終えると、店内に出て行く。俺は時計を見て、休憩時間が残り五分だと確認した後、壁にもたれて天井を仰いだ。
「……就職かぁ……」
広瀬は、きっと高いところを目指しているのだろう。そうでなければあれほどの有名校、ほどほどの仕事ならどこでも取ってくれるのではないか。……いや、逆に敬遠されちゃうのか。
人生は、何がどう転ぶか分からない。
誰が言った言葉なのかは知らないが、その実感は確かに、最近ある。
親の庇護下でぬくぬくと育ってきたけれど、ハルを見ていると、いつか自分が、人一人、もしかしたらその上に子供とか、養っていくような立場になるんだなとしみじみ、思うのだ。
今の自分にそんな力は、とてもじゃないけどありはしない。
コンビニ弁当や外食で済ませていた頃よりも、ハルが自炊してくれるほうが正直、安くついてはいる。それでも、三人が暮らしていくにはヒロキ一人の稼ぎではあまりにも、少ない。
ハルは、どこでバイトをしているのだろう。
どれくらい、稼いでいるのだろう。
その金は、何に使うのだろう。
生活費を入れるとは一言も言っていなかったが、それでもあの律儀な性格だ。入れないはずがない。それに、両親の保険金……そういうのも、あるのではないか。海外で爆弾テロで死んだら、保険金が下りるのかどうか、俺には皆目わからないけれど。
でも、そんなものをあてにするのというのも情けない話だ。
俺は男なんだし、ハル一人くらい、なんとか養ってやりたい。
ジジイも……気が乗らないが、捨てるわけにもいかんだろう。
何といっても、俺とハルの(自称)祖父なのだ。
(実家にそれとなく問い合わせて、ジジイのこと……聞き出してみるか)
俺はそう思って、戻ったら久しぶりに家に電話しよう、と心に決めた。
だが――事態は、それどころではなくなってしまったのである。
帰宅した俺を出迎えたのは……いつものようにハル、そして奥で寝転んでいるジジイ。
だが、その隣にぽつねん、と座っているのは……
「あ、あんた……誰っすか……」
茫然自失で呟いた俺を、ハルが、すがるような瞳で見上げる。
(ど、どういうイミなんだ、その顔はーーーっ!)
そこに小さく座っていたのは、まぎれもなく……
東南アジアから来たみたいな皺くちゃの顔の、見知らぬババア――だった……。