家族の食卓 6
作:芹沢 りら





第六回『絆……?』


 ハルに誘われるようにして、俺は、近くの公園まで来ていた。
 ハルは、肩口までしか袖のない、ひらひらした白い上着を着ていた。胸元のところで、組紐が交差しているのがかわいらしい。もちろん、その下にむ、胸が――なんてことは皆目なく、ちゃんと、桜色のタンクトップを着込んでいた。下は、洗いざらしの麻のスカートだ。暗くてよく見えないが、水色のストライプの線は、もうほとんどはげて見えなくなっている。
「――ごめんなさい」
 ブランコの前で足を止めると、開口一番、ハルはそう呟いた。
「迷惑、掛けるつもりはなかったんです……いいえ、迷惑掛けるかもしれないことは分かってたけど、こんなに掛けるつもりじゃなかったんです」
 ハルはうつむいていた。どういう表情をしているのか、分からなかった。
「私、今、バイトで少しずつだけど、お金を貯めてます。高校を出てからずっと働いてきて、貯金も六十万になりました。ヒロキさんにとりあえず十万お渡しして、残りのお金で、どこかに引っ越すつもりです。……足りない分はまた、後でお返しします。本当に、ごめんなさ――」
「違うだろ」
 俺は思わず、ハルの肩を掴んでいた。ハルが、びくっと体を震わせる。
「違うだろ。そういうことじゃなくてさ――生活費とか、そんなのどうでも良くってさ。……俺だって金持ちじゃないし、親に仕送りしてもらってる身分だけど、でも、君とじいさんの生活費くらい今だって、何とかなってるんだ! ……その上に、あのばあさんが住むのかどうかは分かんないけどさ、――そうなったらそうなったで、何とか考えるよ。でも、そうじゃなくて……俺が聞きたいのは、そんなことじゃなくってさ!」
 ハルが、俺の顔を見上げた。俺は軽く唇を噛む。
「ハルちゃん、君はさあ、どうしてそうやってすぐ……ごめんなさいとかすみませんとか、そういうこと言うんだよ。――俺を頼って来てくれたんだろ。俺だって、少しはそれに応えたいんだよ。大変だろうけど、二人で頑張れば何とかなるんじゃないかって……そう、思ってんだよ!」
「ヒロキ……さん」
 ハルが、驚いたように目を見開いた。
「出て行くなんて、そんなに簡単に言うなよな……俺、寂しいじゃん」
 ヒロキは、ハルの肩から手を離して顔をしかめた。感情的になった自分を恥ずかしいと思ったが、でも、今はきっと、ハルはそんなことは気にしないだろう。だから自分も、気にしなくていいのだ。……たぶん。
「君が来てから、俺、短い間だったけど楽しかったよ。……ジジイは、いまさら祖父だなんて言われてもぜんぜん実感ないし、役に立たないし、いろいろハラも立つけど、でもそれでも、家族だもんな。――それに君はさ」
 俺は、言おうか言うまいか、少し迷ってから、それでも口を開いた。
「君は、血の繋がってないジジイを、ずっと一人で面倒見てきたんだろ。俺が放り出したら、申し訳が立たないよ。君にも、君のご両親にも……」
 そう言った時、ハルが「いいえ」と、強く言った。
「私が、面倒を見てきたんじゃないんです。おじいちゃんが、ずっと、私を育ててきてくれたんです。――だから、だから、血が繋がってなくても、おじいちゃんは私のおじいちゃんなの。――離れるなんて、考えられなかった。だけど……」
 ハルが、俺から視線を逸らす。「だけど、どうしていいか分からないの。シゲさんを見て、おじいちゃんにとって、どうするのが一番幸せなのか……私には、分からない。おじいちゃん、もうずっと、あんなふうにひねくれたままで。昔はもっと、優しくて、おおらかで、私、そんなおじいちゃんがとても好きだった。老人ホームにいる時、おじいちゃん、昔に戻ったみたいだった。――シゲさんといて、とても、幸せそうだった。私、どうしたらいいのか……ヒロキさん、私、どうしたらいいの……?」
 ハルがそう言って、俺に縋りついてくる。
 俺はその背中をかすかに抱きしめながら、美少女が抱きついてくる……これが、夢にまで見た男のロマンだよなー――などと、悠長に感動するゆとりなど微塵も、今はなかった。それどころか、俺の心の中だって、とてもじゃないけど他人には見せられないくらいぐちゃぐちゃだった。つまり俺は、こう考えていたのだ。ジジイを、老人ホームに入れればいい。そしたら……あのバアサンだって老人ホームに戻るだろう。万事、解決だ……と。
(……それってサイアク……なのか?)
 分からない。
 俺だって、どうしていいか分からなかった。だが、考えなくちゃいけない。
 ハルが、泣くほど悩んでいるから。
 ハルが、こんなに苦しんでいるから。
「……とりあえず、さ」
 俺はハルの背中をぽん、と叩くと、その顔を上げさせる。
「あのバアサンのこと、放っておくわけにいかないじゃん。……きっと、あのバアサンも老人ホームを抜け出して来たんだろ。ホームの人も、家族も、心配して探してるだろうしさ。やっぱ警察に届けて、それで、連絡が来るまではウチで預かるってことにしないか?」
「で、でも、それじゃ、ヒロキさんにますます迷惑が……」
「いや、もうカナリ十分、迷惑はかぶってるって」
 俺は苦笑しながら言った。
「でも、仕方ないじゃんか。それに、嫌だってわけじゃないしね。……ただ、どうにも、あの部屋じゃ全員で寝られないのが問題なんだよなー……」
 それだけは、困った……。
「お布団も、二組しかありませんしね……」
 ハルも、困ったように眉をしかめる。そう、ウチには布団は一組しかないのだ。俺はロフトに寝ていて、マットレスの上に寝転び、手近な毛布をひっかぶって寝ているだけ。正式な布団は一組しかなく、それは、ハルが使っている。(ハルはジジイを寝かせると言ってきかなかったが、ジジイは勝手にソファで寝てしまうので、結局布団は余ってしまった)我が家は現在、そう言った状況下にあるのだ。――つーか、ほぼ末期。いっぱいいっぱい。
「六畳一間で、四人はムチャだよなぁ……」
「私と、シゲさんが一緒にお布団を使うのはどうでしょう。……あ、私、別に床の上でも構いませんし」
「いや、床っていったって……寝れるようなスペースないじゃんか。……それに、シゲさんて……あのバアサン? あんな見知らぬバアサンと、同じ布団に寝るなんてあんまり……」
「私、平気です」
 俺は渋ったが、ハルは本当に平気そうに言う。
「――うーん、よし、分かった」
 俺はしばらく考えた後、頷いた。
「君が、ロフトに寝る。ジジイは今までどおりソファ。バアサンは布団」
「……ヒロキさんは、どこで?」
「俺は、バイト仲間の人のところに泊めてもらうことにするよ。一人暮らしのくせに、けっこー広いとこに住んでるからさ。なんかあったら、宿代わりに使っていいって言われてんだ。それに、近いし」
「――ごめんなさい」
 また、ハルが謝る。
 俺は苦笑して、ハルの頭に手を置いた。
「謝らないの。……元はと言えば、ウチも関係してることだしさ。……親やジジイの代のゴタゴタを、孫の代まで持ち越されるなんてたまったもんじゃないけどさ。……でも」
 俺は一度言葉を切ると、ハルから手を離しながら、続けた。「でも、ジジイのことは、いずれウチの親父たちを交えて、ちゃんと話しなきゃいけないと思う。……俺らに出来ることにも、限界はあるし。それに君の両親のことだって、お葬式とか、ちゃんとやらないといけないだろ……」
「――はい」
 ハルは、小さく頷いた。
「うん、じゃ、そーゆーことでさ。……俺はこのまま先輩んとこ行くから、君は戻って、ジジイとバアサンのこと見てやってよ。大変だろうけど……宜しくな」
「はい」
 ハルは、また頷いた。
「ヒロキさん、ありがとう」
「……いや、そんなの別に」
 謙遜するのも、照れるのも、なんだかおこがましいような気がする。俺はあいまいに言葉を濁して、ハルに手を振った。ハルは、何度も振り返りながら、アパートに戻っていく。それを見届けて、俺は、広瀬先輩のアパートへと、夜道を歩き出した。


「やー、珍しいな。大塚君。君が来るなんて」
「すいません。……お言葉に甘えちゃって」
「いや、いいよ。ほんと、毎日一人だと気が滅入っちゃって。……あんま綺麗じゃないけど、あがって」
 今日はたまたま、二人ともバイトのシフトを外れている日である。俺はそのまま上がりこむと、そこは、ほとんど新築に近い、綺麗なアパートの一室だった。俺は思わず目を見張る。
「うわ、ここ……家賃、いくらです? 高そー……」
「月十万。でも、安い方だよ。……ま、立地条件が悪いんだけど」
「え?」
 俺が怪訝な顔をすると、広瀬先輩はちょいちょい、と手招きする。そして裏の窓を開けた。
「ほら、後ろに高層ビル建っちゃっててさ。日当たりがイマイチなんだ。それに道路に面してるから、けっこううるさいしね。……ほら、夜になると族とかが、パパラパラパパーつって」
「ははは」
 ゴッドファーザーかよ、と、俺は思わず笑ってしまった。
 だが、この新しさで十万とは破格ではないか。ざっと見回した感じ、キッチン兼リビングが十二畳、それに、寝室らしき六畳くらいの部屋がついている。バスもトイレも独立型。玄関の横には、物置というには勿体無さげな、大きな空間が倉庫代わりになっているようだ。
「ベランダもあるんですね。いいなあ」
「でも、洗濯がめんどくさくてさー。干したことないんだよ、コインランドリーばっかで」
 広瀬先輩はそう言いながら、埃ひとつ落ちてなさそうな、フローリングの床の上を歩いていく。冷蔵庫を開けてビールを取り出すと、「飲む?」と俺に尋ねてきた。
「あ、ハイ、いただきます」
 それから、床に座って、ガラステーブルを挟んでビールを飲んだ。
 薄型テレビに、部屋の隅に置かれたクロームのランプ。灰色のラグマット。シンプルだが、全体的にセンスのいい部屋だ。俺のウチのダサさと汚さとは、天と地ほどの開きがある。(だいたい畳とフローリングって、それだけでなんかぜんぜん違うような気がする)
「それにしても、……彼女に追い出されちゃったの? 大塚君」
 広瀬先輩が、ビミョーに冷やかすような顔で尋ねてきた。
「え、……だから、彼女いませんーって」
 俺は苦笑したが、ここまで来て、隠すこともないだろうとも思った。
「……親戚の子が、泊まりに来てんですよ。ジジイ連れで。それでウチじゃあまりにも狭いもんだから、脱出してきたんです」
「あー、なるほどねぇ。三食の謎が解けた」
 広瀬先輩は軽く笑う。
「親戚の子かぁ。……いくつ?」
「いくつかなぁ……たぶん、ちょい年下ですね。高校は卒業してるくらい」
「十八、九ってとこかな。いいなあ、それくらいの子が俺、好きだよ」
「――狙わないでくださいね、広瀬先輩。……どうせモテるでしょ」
 釘を刺すと、広瀬先輩は意味深に「いやー、そんなことないけど」と笑った。
 ウソツケよ貴様、W大出でそのルックスだったらモテないわけないだろー! ……と思ったが、プーというのはかなりのマイナス要素かもしれない。いや、それにしたって、やっぱこの顔なら女は寄ってくるに違いなく……。
 広瀬先輩は、薄い茶色に髪を染めた、芸能人みたいな顔をした男だった。だからって甘ったるい、というわけではなく、どちらかというとシャープな印象である。目元も切れ長で、男から見てもなんとなく色気がある。俺のような典型的しょうゆ顔から見れば、こういう涼しげな顔立ちは実にうらやましい。
 が、どうも向こうから見ると、俺のように「男らしい」(ゴツイってことだろ??)顔立ちが憧れなんだそうだ。確かに、広瀬先輩は少し柔弱そうな感じはしなくもない。体育会系ではなく文型、インテリっぽい感じだ。俺はガタイはいい方ではなく、どちらかというと細いけれど、分類すればやっぱり体育会系っぽい方なんだろう。(昔、リカにそういわれた)
「その親戚の子に、なんだって追い出されちゃったワケ? この間までは蜜月だったんだろ」
 また唐突に話を振られて、俺は思わず「ミツゲツって何すか」と聞こうとしたが、頭の中で「ハネムーン」と訳されたので、意味が理解できた。(聞いたらアホかと思われるところだった)
「いや、追い出された……とかじゃなくて……」
 思わず、なんと説明したものか言葉を選んでいると、広瀬先輩は「ああ!」と膝を叩いた。
「そっか、可愛いから欲望を抑えきれなくなったんだな。……偉いなー、避難するなんて」
 俺だったら襲ってるかも、と、冗談なのか本気なのか全くわからない口調で広瀬先輩が言う。俺は何をどう答えたものやら考え込んでしまったが、まあ、酒も入っていることだし、あまり細かいことは言わないことにしよう……。
「その子っていつまで君んちにいるの?」
「うーん、どう……ですかね、ちょっと分からないですけど、しばらくは」
「へー……じゃ、その間ウチに泊まる? 合鍵余ってるし、あげとこーか」
 広瀬先輩が、有難い申し出をしてくれた。
 この人……なんていい人なんだ……。
 感涙しそうになったが、涙が出なかったので「申し訳ないですけど、お言葉に甘えさせてもらって……」とずうずうしく言っておいた。
「うん、俺、男と同居すんの慣れてるから。……つい半年くらい前までも、友達と家賃折半で暮らしてたしね」
「あ、じゃあ俺、家賃半分持たせてもらいますよ。生活費も込みで、月七万でどうっすか」
「あ、そう? じゃあそうしてもらおうかな。……いやー、助かるなぁ」
 広瀬先輩は屈託なく笑った。
 言っていることはけっこうシビアだが、不思議と嫌味がない。むしろ、あっけらかんとしている感じだ。日本人というより、イタリア人とか、アメリカ人とか、良く分からないがそういう感じのオープンさが、この人にはある。「金さえあるならいつでも来な、面倒見るぜ」みたいな、そういうところが妙な安心感であるのだ。(まさか、ホモじゃないだろうし……)
 まあ、もしそんな事態になったら、高校まで続けていた柔道(+空手)の技でひっくり返してやる、などと思いつつ、俺は生ぬるくなったビールを全部、ぐいとあおって飲み干した。















 ***途中書き***

 すいません、なんだか勢いで書いているので、誤字脱字・人称の混乱などが見られますが、完結したら推敲して改定する予定です。てか、さっき送ったばかりの分の中にも、ミスがけっこうある;; 拙いうえに乱筆乱文ですが、もう少しお付き合いいただければ、幸いです。(涙)