家族の食卓 9
作:芹沢 りら





 第九回 『彼女の涙』



 ――ハルがいなくなって、一日が経とうとしている。
 いてもたってもいられない気持ちだけど、警察には届けていない。その夜のバイトも、すっぽかすわけにはいかなかった。何しろ俺が出ている時は広瀬先輩が休んでいる時であって、その家に世話になっている俺としてはそれ以上の迷惑を掛けられない、という意地もある。だが、仕事に集中できるほど冷静にはなれなかった。何か連絡がないかと、ひっきりなしにケータイを取り上げて睨んでみる……が、音沙汰はない。来るのは、見るだけで腹立たしいスパムメールばかりで。
 しかし考えて見れは、ハルは、篠崎家の本当の子供ではない。
(それなら、その前にいた場所が『本当の家』なのかも……?)
 と、考えてみたりする。
 そして次の日、俺は朝一番に役所に向かっていた。はっきり言って……引っ越し手続きの時くらいしか、来たことがない。だが、こうなったら躊躇はしていられない。そして戸籍謄本を請求してみたところ、「本人と親以外には発行できません」。あ、当たり前か……。_| ̄|○
 と、落ち込んだが、「本人の家族からの委任状があり、その理由が正当であれば発行できる場合もありますけど……」と、役所の係員が青白い顔で言った。
「……本人の祖父、とかでもいいんですか?」
「祖父なら、結構です。兄弟はダメですけど」
 兄弟はダメでなんで祖父ならいいのかよく分からないが、とにかく、こうなったらジジイの出番である。俺は委任状の見本をもらって帰ると、それに、なぜか頑固に抵抗するジジイの後ろから、ほとんど二人羽織をするような感じで強引にそれを書かせた。そのためジジイは達筆なのに、ミミズののたくったような字になってしまったが……くっ、このさい仕方ない。そして荷物を漁って勝手にハンコを出して押し、その上、拇印までしっかり押させてやった。これなら、立派に通用するはずだ!
 そしてすぐに役所に引き返し、委任状を見せる。そして委任状を書いたのは祖父であり、俺は従兄であるということをクドクドと説明し、俺の印鑑と身分証明を出せというので見せてやった。役所の人はそれでもなんだかいかがわしそうな顔をしていたが、事務的にパソコンに向き合い、戸籍謄本を印字してくれた。
「悪用しないでくださいね……」
(しねーっつの!)
 心の中で叫んだものの、「ありがとうございました」と言うなり、俺はそれをひったくって役所を出る。そして、青空の下でバッとそれを広げた――が、見るなり、落胆する。四百五十円も払って(安いけど)、さんざん手間を掛けてやっと手に入れた書類だというのに、そこには、単に「篠崎家 長女 ハル」としか書かれていなかったからだ。
(なんだよ……養子なのに、本当の親の名前って書かれてねーのかよ!)
 ――この時、無知な俺は知らなかった。養子と言っても、最近は『特別養子縁組制度』というのがあり、これで養子を組むと本当の親の記載などが省かれ、本当の子供と同じ扱いになるということに。要するに戸籍謄本を見れば養子だと分かってしまう、という時代ではなくなっていたのだ。(ある意味、当然なような気もするが……)
 つまり、ハルは戸籍の上でも立派に篠崎家の一員となっているのである。と、なると……ハルの『本当の家』とか、もしかしたら『孤児院』とかがどこにあるのかも、知りようがない。俺は全く、八方塞がりになってしまった。
(何か、俺の態度とかに問題があったのかなぁ……)
 ビデオを棚に戻しながら、思うのはそのことばかり。それとも、金が足りなくなってしまったのだろうか。自分が広瀬先輩の家に行くようになってから、ハルには親から送られてくる仕送り五万円をそのまま渡してある。家賃ならそれでほとんど足りるはずだが、それではジジイとババアの食費までは賄えなかったのかも知れない。(年寄りのくせにこれがまた、よく食うんだわ……)ハルのバイト収入がいくらなのかも、考えたら聞いてみたことがない。
(その辺、もっとちゃんと相談しとけば良かった……)
 なんだか、中途半端にハルを投げ出してしまったような罪悪感というか、後悔というか、自分でもよく分からないモヤモヤした感情で俺は頭をかきむしりたくなってしまった(金田一探偵のように)。
 ――そんな、時だった。彼女から、連絡が入ったのは。



「あのなぁ……俺はこれでも忙しいんだよ。なんの用なんだ?」
『……ねぇ、会いたいの。時間、作れない?』
 待っていた相手ではなかったことに、あからさまに落胆してしまった俺は反射的につっけんどんな対応をしてしまった。だが、いつもならそれだけで激怒するあの『リカ』が、なんだか、ずいぶんと落ち込んだ声でそう言うのだ。俺はあまりの意外さに、眉をひそめた。
「何だよ? ほとんど仕事済んだから、今、いいけど……」
『……そうじゃなくて、会いたいの。会って、話したいの』
「……ええ?」
 俺は眉をひそめたまま、気乗りしない返事をする。だがあのいつも威張りくさったリカが、かつて一度でも、こんなふうにしおらしく頼みごとをしてきたことがあっただろうか――いや、無い!(断言)俺は優越感半分、同情半分の気持ちになると、「まぁ、いいけど……どこで会うよ」と言った。
『今、ヒロのバイト先のビデオ屋の前にいる』
「はあ? お前、そんなとこで待ってんの?」
『うん』
「わ、かった……じゃ、すぐ切り上げて行くから。でも外危ないから、中入ってれば?」
『いい、ここで……』
「……そーか」
『待ってるね』
 そして、リカからの電話は切れた。
(なんだ? 話したいことって……)
 俺は首を傾げたが、仕事のほうはもう終わりだ。俺は適当に店長に挨拶をすませると、奥でさっさと着替えて、深夜のビデオ屋を出た。するとそこには、確かにリカが――いた。
「おい、寒くねーの?」
 夏とは言え、時間が時間だけに随分と冷え込んでいる。なのに、リカはやけに薄いキャミソール一枚だ。ひらひらとしたシルクの花柄のスカートが、ガードレールに腰掛けた彼女の膝元で揺れている。
「おい、……ってば」
 リカはパンプスの踵を地面で弄んだまま、顔を上げない。不審に思って近づいて、俺は、ぎょっと目を見張った。リカの目の横に、青黒い痣が――出来ていた。
「殴られた……の?」
「そう」
 リカは俯いたまま、ガードレールから立ち上がろうとしない。
 ビデオ屋の明るい光が、まっすぐにそこを照らし出している。俺はリカの腕を掴むと、とにかく、立ち上がらせようと思った。それからどこかファミレスにでも連れて行って、落ち着かせようと。だがリカは頑なに座り込んで、動こうとはしなかった。
「――ここがいいの?」
「動きたくない」
「あ、そう……」
 俺は諦めると、リカの隣に軽く腰掛ける。
 それから、何となく周囲を警戒するように見回した。
「――アイツなら、いないよ」
 俺が『真っ赤なスポーツカー』を探していると分かったのか、リカが、皮肉げに言った。俺はちょっと顔をしかめ、「でも、いつもお供させてんじゃん。金魚のフンみたいにさ」と苦言を呈してやった。「でもお前、そういうことしてるとなぁ、そのうちそいつ『キレる』ぞ。世の中には結構、ヤバイ奴はいるんだからさ……」
 そう言うと、リカは顔を上げた。殴られた痣が、痛々しい。
「……これ、誰に殴られたと思う?」
「例のスポーツカーの彼氏、だろ?」
 俺は聞くまでもないというように答えたが、リカは意外にも、小さく笑って首を振った。
「違うよ。ウチの父親」
「……うげ」
 俺は思わず、呻き声を漏らす。
「一人娘に、平気で手上げるんだ。――お前んちの親父、相変わらずキッツイなー……」
「朝帰りしたら、玄関開けるなり『家の恥だ』って。ママも、見てるだけで止めないの」
「うーん、そりゃあ……」
「それでこんなに殴られたの。――信じられる? 顔よ、顔!」
「まぁ……」俺はリカの顔を見ながら、「確かに、それはあんまりだよな……」
「――訴えてやろうかと思った」
 リカが怒気を抑えた声で言う。
「お、お前、親父訴えてどうすんだよ……」
 俺は引きつった笑みを浮かべたが、こいつだったらやりかねないかも、と思った。というか、こんなに痣が出来るほど殴られたんなら、立派な『家庭内暴力』かもしれない。とは言っても、リカの親父も相当、こいつの(とち狂った)放蕩三昧を黙認してきたわけだし――『堪忍袋の緒が切れる』とかも、言うしなぁ……。
「まぁこれに懲りて、しばらくは大人しくしてろって。その顔じゃ、夜遊びも出来ねーだろ」
「――ヒロキぃ〜!」
 リカが突然、しがみついてくる。
「うぐぉっ……な、なんだよっ!」
「やっぱり、あたしにはアンタが合ってるみたい。やり直そ……ね?」
「は、はぁッ?」
「あたし、もう夜遊びなんかしないから! ホストクラブ通いも辞めるし、内緒でいっぱい浮気してたのも謝るし、お財布からお金借りて使った分もちゃんと返すから……だから、だから捨てないでよぉ、お願い……ううっ、うわあああんっ!」
 言うなり、リカは身も世もないというように激しく泣き出す。その余りの勢いに、俺は「やっぱ浮気してたんだな!」とか、「勝手に俺の金盗んでたのかよ!?」とかのツッコミをするよりも先に、リカを強引にその場から引き剥がし、無理矢理手を引いて暗闇へと引きずり込んだ。パチンコ屋と、二階に怪しげなサウナハウスがある路地裏。ぽつぽつとあるネオンの煌めきがなにか余計にうら寂しさを誘うその路地裏で、俺は、リカの肩を両手で押さえた。
「を、お、落ち着け……とにかく、なっ、落ち着け!」
 俺のほうが落ち着け、と思わなくもないがとりあえず、そう言ってみる。リカは激しく泣きじゃくっていたが、俺がバンバン背中を叩いているうちにだんだん、気分が落ち着いてきたらしい。「いだい……」と、鼻声でぼそりと呟いた。
「あ、ごめ……」
「ディッヂュ……ちょおだい」
「あ、え……も、持ってねぇよ!」
「あだし、持ってる……」
「じゃあそれ使えよ!!」
「バッグ開けて……」
「……ッ」
 全くこの女は、と思ったが、俺はリカのバッグのチャックを開き、中からティッシュを取り出す。化粧品が乱雑に詰め込まれたその中に埋もれていたそれを、取り出すのは一苦労だった。しかも、リカの腕にぶら下がったままのカバンだからよけいに。
「ウチのお金、随分つかっちゃったしィ……」
 鼻声で言って、リカがブーッと鼻水を噛む。
「家のお金って……許可もなしに?」
 俺が尋ねると、リカは小さく頷く。
「い、いくらくらいよ?」と、俺はさらに尋ねた。この女のことだ、五万や十万じゃすまないだろう――と思っていたら、ナントびっくり仰天!
「九十万」
「きっ、きゅうじうまんんんッ?!」
 俺はあまりの金額に腰を抜かしそうになる。家の金を九十万遣い込んで、その金でホストクラブ通い――お、俺がお前の親父だったらそりゃ、さすがに一発くらい殴りたくもなるかも……。
「そ、それ……どうすんだよ」
「返す。――どっかのオヤジたぶらかせばすぐだもん」
「あ、あのなぁ……」
 俺はリカに向き直ると、今度は別の心境で、その肩に両手を置いた。
「そういう考え方、いい加減やめろって。何でさ、もっとまっとうに生きようとか思わないの? お前より年下でも、ちゃんとバイトして働いて、そのうえ親は死んじまったっていうのにボケ老人の世話しながらメシ作ったり掃除したりしてる子だっているっつーのにさ、お前は……」
「――それ、あの子のこと?」
 リカの言葉に、俺はドキリとする。
「え、それ……誰だよ」
「あの、ショートカットで目が大きくてまつげの長い……マジメそーな子」
「あ、会ったの?」
「会ったわよ」
 リカは平然として言った。この頃にはもう、鼻水は出なくなっていた。
「あんたんちのアパートから出てくるところ、見ちゃったしぃ……。あんた、彼女いないとかって、よくも嘘ついてくれたわよね。もう同棲してたなんて、呆れてものも言えないわ。その上あのボケジジイ? がいるっていうのに、その家でやりたい放題……やっらしー!」
「あのな……」
 リカの言葉に、俺はガックリと頭を抱える。
「みんなお前と同じレベルの人間だと思うなよ……それにあの子は、親戚なんだよ!」
「親戚って、どうせ従妹とかでしょ。別にいいじゃない、結婚できるんでしょぉ?」
「ふっ、複雑な家のジジョウがあるんだよイロイロとな!」
「――あっそ。相変わらず……ノロイんだ、あんたってば」
 グサリと傷つくことを言って、リカはブランド物らしきバッグを開く。そこからケータイを取り出して開くと、なにやらボタンを押してメールを探しているようだった。何なのか分からないので憮然として見守っていると、不意に、リカはそれを俺に向かって突き出す。

『例の約束破ったんだから、いまさら文句言う権利がないってことくらい分かってんだろうな? アタマ来たから、てめぇの昔の男を痛い目に遭わすことに決めた。顔だけが取り柄の性格ブスのくせに、ちったぁ身の程を思い知れよ。バーカ!』

「――なにコレ? 意味わかんね」
 俺はケータイに映し出されたメールを読んで、無意識のうちに眉をひそめた。
「あたしの彼氏からー。赤いスポーツカーに乗ってたヤツ、知ってるでしょ?」
「『例の約束』って?」
「浮気しないって言ったけど、しちゃったアハハッ。だってアイツ、金は持ってるけどツマンナイんだもん。自分の価値とかゼンゼン分かってないのよね。しかも『顔だけが取り柄』って、あたしのこと美人だって言ってんのと同じじゃん。ホント、このヒト頭わるいんだから」
「『昔の男』って?」
「それはア・ン・タ」
「だって、俺は別に……何の目にも遭わされてないけど……」
 眉をひそめた俺を、リカが横目でちらりと見た。「ねぇ、このヒトってケンカとか弱いのね。だからアンタに直接ケンカ売ってきたりしないと思うんだけど、姑息だから、違う方法でなんか復讐とかしようとすると思うのね」
「――どういうこと?」
「だぁかぁらぁ。アンタにあたしをとられた、と思ってるこのヒトが考えることって言ったら、アレしかないでしょ、ほら……アンタから女の子とってやるとか、そーゆーさぁ」
 その言葉に、俺は思わずリカの襟首を掴み上げる。
「どこだよ、そいつの家はッ!!」
「ちょっ――あ、あたしに八つ当たりしないでよ! こいつボンボンだから、いくら女連れても家に戻るはずないじゃん! ホテルかどっかに連れ込んでるに決まってるでしょ、そこまであたしが知るわけないじゃない!」
「電話しろ! 今すぐ!」
 俺はリカの胸に、ドンッとケータイをつき返す。
「だ、だめよ。いま圏外だもん」
「じゃあメールでもいい」
「な、何て入れるの?」
「――その子に何かしたら、殺してやる」
「ぶっ、物騒ね……」
「いいから、そう入れとけ! それから、場所教えないんだったら今すぐ警察に訴えるって」
「えー……でもそーゆーことしたらレイプされたこともバレちゃうけど、いいのぉ……?」
 リカが気乗りしない様子で言う。「女の子にとって、そういうのって一生の恥っていうか、傷になるよねぇー? 家族にはヘンな目で見られるし、お嫁にも行けなくなるしで……」
「あの子に家族はいない。それに」
 俺は、降ろしたままの拳をぎっと握り締める。
「嫁の貰い手がないんなら、俺が貰うからいい」
「――傷モノでもいいの?」
 リカが、低い声で言った。
「俺は別に何とも思わない」
「何よ……アンタ、好きなの? その子のこと」
 リカが、わめきだしそうな勢いで俺のシャツを握り締める。絞り上げるように、きつく。
「好きかどうかなんて知らねーよ! でも、これ以上辛い目には遭わせたくないんだよ!」
 俺が怒鳴りながら振り払うと、リカはまなじりからこぼれるほど、涙を溜めて俺を見上げた。
「なんでよ……昔は、あたしのこと好きだって言ってくれたじゃない! あたしだって、いろいろ辛い目に遭ってきたじゃない! ヒロがいるから、ヒロが慰めて、支えてくれたから……あたし、生きていこうって思ったんだよ。そうじゃなかったらとっくに手首でも切って死んでる。ヒロが――ヒロがあたしに生きろって言ったのに、捨てていくの……? いまさら、他の子を好きになったからって捨てていくの!?」
「な、何わけのわかんねーこと言ってんだよ! お前は俺と別れてから、何人も他の……」
「みんな遊びに決まってるでしょ! あたし、寂しいの。一人じゃ、生きて行けないの!」
 リカはそう言って、頬を紅くしてぼろぼろと涙をこぼす。
「――あたしだって傷モノだよ! 傷モノでもいいなら、あたしを貰ってよぉっ!!」
 離れていこうとした俺を追いかけず、ただ言葉だけでリカは叫んで、立ち尽くした。
 薄暗い路地裏を、パチンコ屋に出入りする人々が冷やかすようにじろじろと見ていく。だが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。俺は何か、リカに答えなくてはいけない。――急いでてそれどころじゃないけど、でも、何も言わずに去ることだけは。
 高校時代、リカは本気で何度も死のうとしていた。何がそんなに辛く、悲しかったのかは知らない。家庭内がうまくいってなかったのが問題だったのか。だが、それでも俺はリカに「死ぬな」と言い聞かせてきた。「あたしは誰からも必要とされてない」。そう言って泣いたリカに、「じゃあ、俺がお前を必要だって言ったら……?」――そう言って、俺たちは付き合い始めたんだから。
 そして俺たちはいつしか二十歳を過ぎて、大人になっていた。
 それからは何もかも変わった。リカは誰とでも簡単に付き合うようになり、俺も、大学に入ったことは二人にとっては関係のリセットなんだ、少なくとも彼女にとってはそうなんだ、と思った。それでも時々は思わせぶりに近寄られて、やっぱりまだ何か未練があるのかなと思って、「また付き合う?」と聞いてみたりもした。だがリカの答えは、「絶対イヤ」だった……。
 だから、リカにはもう俺は、必要じゃなくなったんだ。
 そう、思った。けどそれは不思議と、俺にとっては開放感を感じさせることだった。別に義務で付き合っていたわけじゃないけど、「放っておけない」という気持ちがそうさせていた部分もたぶんに、あったんだろう。その頃は分からなかったけど、今はそういうことも分かる――それでも高校時代のこともあって心配もしていたし、友達としてごく普通の付き合いをしてきた――多少の誤解を招かれることはあっても、保護者気分で諦め混じりで。
 でも、そういう俺の態度がそもそも中途半端で、優柔不断だったのかもしれない。
 だから、リカがいつまでも俺から離れられない。
 俺も、リカをこれ以上、どうしてもやれない。
 もう、いい加減に認めなくちゃいけないんだ。

「……お前の傷は、俺には、治してやることは出来ない」

 リカの目が、大きく見開かれる。
 そして、その中からどれほど、と思うくらい涙が盛り上がり、溢れた。
 それから、俺はリカが胸元に握り締めていたケータイをゆっくり取り上げると、リカの彼氏である男の電話番号と、メールアドレスを自分のケータイに控える。それから、それをリカの手のひらを広げて、握らせた。――力が、入っていない。俺は仕方なくリカのカバンの中に、そのケータイをそっとしまいこんだ。
「……ごめん、リカ」
 俺はそう言うと、彼女に背を向けて走り出す。
 後ろで、リカが激しく泣きじゃくり、その場に崩れ落ちるのが分かった。
 でも、俺は振り向かなかった。泣けることは……泣けないことより、きっといい。
 だから、きっと立てる。一人きりでも、泣きながらでも、彼女はきっと、立つだろう――。

 ――ごめん。本当に、ごめんな。