ドラキュリア 終幕
作:九夜鳥





終幕 死生


 振るった剣が、幾度となく黒い爪に弾き返される。お互いに決め手に欠けるまま切り結んで、どれくらいの時間が経つだろう。
「来たれ!」
 叫んでディティアが空間を捲ると、身の丈二メートル近い狼が飛び出した。真っ直ぐに召喚者であるディティアの敵に向って飛び掛る。
 ドラグは狼の爪が届く直前に身体を翻して驚異を避けた。そのまま地に降り立つ瞬間に狼の後頭部に一撃を入れ、絶命させる。そのとき既にディティアはドラグの背後に迫っていた。
 だが。
「……甘い!」
 返す刀を大きく振り回し、ドラグはディティアを打ち払った。危うく胴薙ぎにされるところだったディティアは爪で弾いて剣の餌食は免れた、が再びドラグと距離が開いてしまう。発した妖気の玉を投げつければ、討魔剣の霊気によって打ち払われて掻き消えた。そのまま距離を置かざるを得ない。
 例えドラグが男子であったとしても、本来身体的な能力はディティアの方が上であった。脚力や膂力、あるいは反射神経など人間と比べるべくも無い。だが、ドラグには討魔の剣があり、その霊性によってディティアは能力を著しく引き下げられているようだ。さらにドラグは戦闘のエキスパートでもある。
(しかも)
 ディティアはドラグに語った自分の言葉を思い出していた。
『ドラグという名前がドラゴンの霊性をお主に与えてくれる』
 今夜が竜の加護が働く刻であるならば、その恩恵を最も多く享受するのは誰か。他でもない、ドラグに決まっている。
 突出した身体能力と超常的な異能を持つディティア=ディティスにしたって、戦闘という行為に慣れているわけではない。総合的戦闘力で二人は拮抗しているのであった。
(まずいな……予定外だ)
 ディティアは、ドラグを殺すつもりなどなかった。ドラグを気絶させ儀式を終えればひっそりと消えるつもりであったのだ。だというのに、これでは……。
(殺すどころか、油断すればこっちが殺されてしまう)
 振り回す両の爪を捌かれて、ディティアは内心で焦っていた。
(だが……)
 それはそれで、ディティア=ディティスの生の決着としては、悪いものではないのかも知れない。
 一方のドラグは油断無く構えながらも内心で渦巻く思いに気を取られそうになっていた。何度かの激突によって二人は互いに細かい傷を体中に負っていた。それらは大した傷ではないが、ドラグにしてみれば護り仕えると定めていた対象に、自らつけていった傷である。
 剣がディティアの身体を掠めるたびに、自分の心が同じ傷を拵えるのがわかった。
「オオオ!」
 叫びながら斬りかかる。当たるな、という声が頭を過ぎる。望んだ通りディティアはしゃがみ込んでドラグの一撃をかわし、突き上げる形でドラグの腹と顎に爪を突き立てようと試みる。危うく串刺しにされるところ、ドラグは剣の腹で薙いでディティアの体を吹っ飛ばした。いや、今のは……。
(自分で飛んだか!)
 手ごたえが無さ過ぎた。
 宙に浮かんだディティアの体がすぅっと消える。霧化。殺気を感じて振り返るとディティアの爪が目前に迫っていた。首を折ってギリギリのところでかわす。頬の肉が少し削がれた。剣を振り上げる前に、ディティアは再び霧となって姿を消した。いつの間にか正面、五メートルばかり離れた場所に立っている。
 頬の血を拭い大きく息を吐きながら、ドラグは思った。ずっと昔、男爵様に拾われたときのことだ。
『貴方を護るものが貴方の血を護る』
 それがブランディアード男爵の、占いの結果だった。だが、なんという皮肉か。当たりどころか、正反対ではないか。今、当の男爵の血を引く者を、ドラグは殺そうとしているのである。
(……何のために)
 必死に生きようとしている、ディティアを殺すのはなぜだ。それが、ディティアにとって一番いい形……なのか。
 なにを根拠に。俺は、俺は……。
 俺は。
 振るった剣が、ディティアの左腕を切り裂いた。激痛に身を捩り、煙を噴出す傷口を押さえてディティアが地にうずくまる。討魔剣の聖性による傷口には、吸血鬼の超再生能力も鈍ってしまう。この拮抗状態で片腕が使えなくなるというのは決定的であった。
「ドラグ」
 吸血の姫が、自らを傷つけた騎士の名を呼ぶ。月光を背にした騎士の顔は翳ってよく見えないが、その瞳には迷いが見えた。
「恨みはしない。私を斬れ」
 ディティスはずっと孤独だった。死にたくは無かったから逃げもした。たった独り、山奥に隠れ住み、普通の人間とは比較にならない時間を、ずっとずっと。見付かった後はディティアと融和までして。
 ディティスがディティアと融合して、しばらくの間、ディティアの中のディティスは嬉しかったのだ。ドラグとブランディアード男爵はろくに顔を合わせる事も出来ずに戦場に征ってしまったが、ディティスが諦めていた『家族』が、そこにあったからだ。ディティスは孤独から救われた。
 だが、夜と昼が同時に存在することは出来ない。傷ついた父と父を失った母は、ディティアのせいで死んだ。癒されたはずの孤独がディティアを……ディティスを襲う。頑なに拒んだ者には魅了の力を使ってまで、ディティスは館の人々を全て辞めさせた。もう、自分の周りに居るものの死を見たくはなかったから。
 そして今。ディティアが慕う最後の人物が目の前にいる。彼はディティアを殺そうとしてくれている。
「死ねば、もう寂しいこともないだろうからな。殺してくれ」
 ドラクは無表情のまま、無言で剣を逆手に持ち替えた。ディティアはそれでいい、と呟く。独りで生きるか、独りで死ぬか。それならば、いっそのこと。手にかけてくれるのがドラグであればなおさらだ。ありがとう、とすらディティアは思った。
「俺は、なにやってるんだろうな」
 ドラグの呟きがディティアの耳に届いた瞬間。跪くディティアの目前で、ドラグは討魔剣を自らの胸に突きたてた。
「なッ……?」
「……最初からこうすればよかったんだ」


「ば、バカな! ドラグ、貴様一体なにをしておる!」
 仰向けに倒れたドラグの身体を起こしながら、ディティアは罵倒した。心臓は無事のようだが、剣は左肺を貫通している。気管に血が溢れて、口から血の塊が溢れた。
「俺は『ブランディアードを護る者』なんかじゃないってことだよ……」
「もう喋るな、いいから黙っておれ!」
 討魔剣は人間にとっては、ただの剣でしかない。それでもこの傷は致命傷であった。剣を引き抜けば出血が酷くなる。抜いたとしても止血は無駄だろう。
「俺……俺は『ブランディアードの血を護る者』だから……。ディ、ティアが生きていれば、それでいい……のに。魂を救うだのなんだの……なに勘違いしていたんだか」
 ドラグの顔には、くっきりと死相がくっきりと浮かび上がっていた。保って数分か。
「ディティア……、生きろ。人の血を喰らってでも生きろよ……。死ぬな」
 ドラグの瞳から、次第に光が消えていく。口は動いていても言葉が聞き取れないほど弱弱しく、小さくなっていく。
「死ぬな、ドラグ。死ぬな、私を独りにしないでくれ、もう嫌なんだ、死んでくれるな」
 たとえ独り夜に塗れても、昼の世界でディティアのことを忘れないで居てくれる誰かがいるのならば、それはせめてもの救いだと思っていた。ならばこそ孤独を生きていけるのだと。なのに、その役を負うべきドラグが……。
 いや、そんなことはどうでもいい。ただ、このままではドラクが、ドラグが死んでしまうではないか!
ドラグ、ドラグ!
 ぼろぼろと流れ落ちるディティアの涙が、ドラグの顔に零れ落ちた。ああ、ディティアが泣いている。俺のせいかな。俺のせいだろうな。ドラグはぼんやりと思って、ごめんと呟いた。呟いたつもりだったが、かすかに唇が動いただけだった。
「ドラ……ドラグ! 死ぬな、死ぬなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
 ディティアは手が焼けるのも構わずに剣を引き抜き放り捨てた。月光を浴びて剣が地面に突き立つ。次の瞬間ディティアは、ドラグの首筋に牙を突き立てた。


  *


「……なによ、これ」
 農婦マリーは、数年ぶりに訪れたブランディアードの館を目の当たりにして、絶句した。男爵や夫人が相次いで亡くなったというのは知っていた。だが、この一月近く病気がちであるはずのディティアは勿論のこと、村に戻ってきたはずのドラグでさえ村に姿を現さない。彼女は仕事の合間に暇を作って、様子を見に来たのだ。初夏の日差しが強くなり始めた頃のことである。
 ところが。
 門をくぐって間近に見る館は、マリーの思い出にあるものとまったく異なっている。屋敷全体に蔦が絡み、庭園や花壇は荒れ放題だ。人のいる気配は待ったくしない。いるはずのドラグの名前を呼んでも、誰も返事を返してはくれなかった。
 庭に回ってみて、マリーはさらに息を飲んだ。真ん中に抜き身の剣が突き立っている。その側には、芝生の上に大量の黒い液体がぶちまけられた様な痕。いや、これは……。
「け、血痕……かしら?」
 さらにあたりを見回してもっと異様なものをマリーは見つけた。端のほうに、ひっそりと女性と思われる人物の死体が転がっていたのだ。それは、やはり黒ずんだ液体で描かれたらしい六芒星の魔方陣の上に横たわっている。
「か、カラカラに干乾びている……吸血鬼?」
 墓地に出る蝙蝠、カラカラの死体。マリーは噂を思い出した。吸血鬼の噂。
 なにがあったのかわからない。ドラグもディティアもいない様だ。とにかく、マリーは悲鳴を上げてその場を走って逃げ去った。教会、村の教会へ!
 誰も居なくなったブランディアードの館の庭で、地面に突き立った剣と、誰であったのかさえわからない干乾びた死体だけが残された。


 懸命な捜索がなされたが、ディティアとドラグの行方は、皆目手がかりさえ掴めなかった。月日が流れて、捜索隊は解散。村人たちも新しい領主を迎え、やがて次第にブランディアードのことを記憶の片隅に追いやっていった。
 着衣などから庭に残されていた死体は先月に隣村で浚われた女性であり、死因が大量失血であると噂が流れたため、村人はしばらくの間、吸血鬼の影に怯えることとなった。


 ディティアとドラグがどうなったのか、知る者はいない。ただ、時折この地方では月夜の晩に黒猫と白狼がじゃれあっているのを見かけることがあるという。気がついたときにはそこにおり、気がつけば既に消えている。番いの吸血鬼ではないかと噂が流れたが、真偽のほどは誰にも分からなかった。
 ディティアとドラクの失踪からやがて二年ほどが経ち、オーストリア皇帝カール六世はオスマントルコを撃退し講和条約を結ぶことに成功する。そのパッサロヴィッツ条約により、トルコは東欧側領土であるワラキアの全てをオーストリアへと譲渡することとなった。
 そこは、かつて吸血鬼と呼ばれたヴラド・ツェペシュが支配した地。ワラキア公国と呼ばれた地であった。


 ……降り止まぬ雨はなく、明けぬ夜は無いというが、ドラグよ。ならば永劫に晴れ続けることはあり得ぬし、夜を迎えない昼はないのだ。見よ、皆夜を悪し様に言うが、この星空もなかなか捨てたものではあるまいよ……。


                                     了















後書き:

 この作品は、2005年6月に募集されたプロット競作『吸血鬼』に応募する予定だった作品です。ところが、何処をどうしたものか規定プロットを大幅に逸脱し規定枚数もぶっちぎってしまって……。というわけで、細切れにして一般の応募に回してもらうことにしました(泣

 最初プロット競作『吸血鬼』に参加するつもりで構想を練っていたのですが、規定プロット(村から女の子が吸血鬼に浚われた。旅の若者が吸血鬼の居城に乗り込み、 娘を救い出す、というもの)に捻りを加えようとしたのが拙かった。
「……実は若者も吸血鬼だったとかしたら面白いのでは? けど、ただ吸血鬼を悪者にするのでは在り来たりだから、実は村の領主として村人から結構好かれている、 女の子は遊びに行っていただけってのはどうだろう。いっそ、吸血鬼の村という設定にしてしまおうか。じゃ、女の子も吸血鬼ってことになる……な」
 悪者ではない吸血鬼、しかも女の子……イケるかも!
 そう思った結果、暴走。
 舞台に中世東欧とその歴史を織り込んだら物語に厚みは増しましたが、字数も嵩んでしまって……。体重を絞り込めずに失格になった格闘家の気分です(泣

 九夜はけっこう長いこと『やっぱり富士がみたい』にお世話になっていますが、実を言えばファンタジー系を投稿するのはこれが初めてだったりします。格闘シーンも初めて。その意味では前作『ダメ人間の強盗指南』同様実験的要素が強いです。書きながら、もっといろいろなジャンルの物語を書いて実力をつけていかなければならないなと感じました。

 なお、舞台は中世東欧ですが、かなり適当な味付けになっています。歴史的事実や当時の風俗に関して事実と異なる部分がありますが、あまり目くじらを立てずにスルーしていただけと助かります。楽しんで読んでいただけたら、なおさら有難く思います。
 それでは、また。