フォール・ハンター´ 1
作:アザゼル





 プロローグ「堕落を狩る者たち」

 突き抜けるような晴天の空を、巨大な白い雲が悠々と泳いでいる様は圧巻であった。その雲が流れてくる先から巻き起こる暖かい風は、たっぷりと湿度を含み、下界で動く人間たちの肌からとめどなく汗を流させている。季節は夏――
 大陸の最南に位置するアシェル王国。その国のほぼ中央に首都ティルスという大きな街があり、今一台の馬車がその街に続く街道をゆったりとした速度で走っている。
 首都に向かう街道だというのに、その街道は驚くくらい人通りが少なかった。普段は露天でも出て賑わっているのが当然の、巨大な街道であるにもかかわらずである。
「はぁ。寂しいところだねぇ――」
 馬車の窓から顔を突き出した少女が、寂寥感の漂う閑散としたその街道を額に手をやりながら見渡すと、誰にともなしに呟いた。金髪の明るい髪を頭の上の部分で二つに括り上げた少女は、大きな青い双眸をぱちぱちと瞬かせ、馬車の中に視線を戻す。
 視線を戻した先には、黒髪黒瞳の青年が薄っすらと目を開けたまま熟睡していた。この暑い中、厚手の白いジャケットを羽織っているというのに、青年の白い肌からは一滴の汗も流れ落ちてはいない。
 少女は青年が深い眠りに落ちているのを見て、いたずらっ子のような笑みを口元に浮かべた。と同時に、足元に置いてある巨大な布袋に包まれたモノを片手で軽々と持ち上げる。それはかなりの重量をもったモノらしく、少女が持ち上げると先端が重力で一瞬下を向いた。だが、少女が僅かに力を込め直すと、それはまるで少女の手の一部のように宙で安定する。
「ニシシシ……」
 奇妙な笑い声を上げながら、少女はそれを青年の頭上に静止させた。同時に少女の手に込められていた力が、一瞬で抜ける。支えを失ったその巨大なモノが、青年の頭上を強襲した。
 鈍い音が馬車内に響き渡る。
「痛ってぇ!!!!!!!」
 次に、頭頂に予期せぬ攻撃を食らった青年の悲鳴が響き渡った。
「アハハハハ!」
 最後に、少女の心底愉快そうな声が響き渡る。
 馬車を運転していた初老の御者が、その騒がしさに何事かと車内を振り返った。深く刻まれた皺から覗く細い目が、少女の大きな碧眼とぶつかる。
「どうかなされましたか?」
 初老の御者が、車内の二人に向かって呆れたように声をかけた。その声の調子から、道中同じようなことが繰り返されてきたことが容易にうかがえる。
 少女はくりくりと碧眼を瞬かせながら、御者に向けて日に焼けた細い腕を振って答えた。
「何でもないっすー。目覚ましの儀式だから」
 言って、白い歯を剥き出しにして笑った少女の頭頂に、今度は青年の拳が無言で振り下ろされる。それはかなりの力が込められていたらしく、鈍い音が御者の耳にも届くくらいうち響いた。
 少女は声にならない悲鳴を上げ、それから恨みがましい視線を青年に向けて抗議の声を上げようとする。
 だが、それは少女の口を塞ぐように突き出された青年の青白い手によって防がれた。
「むごごごご!」
「……何でお前が被害者顔してんだよ?」
 怒りを通り越して呆れの表情を浮かべる青年に、なおも少女は食ってかかろうとする。いや、文字通り青年の手に、少女は小さな口を大きく開けてかじりついていた。が、その少女の反撃は、突然馬車内を襲った衝撃で一旦中断される。
「ひゃぁぁぁ! 《堕ちし者》じゃあ!!」
 続けて、御者の混乱した悲鳴が響き渡った。馬に何か起こったのか、馬車は激しい衝撃音と共に停止する。
 普通こういう事態に陥ったら、さらに混乱が連鎖するものだが、幸か不幸か馬車内に乗っていた乗客は少女と青年の二人だけだった。おまけに二人は、こういうトラブルは日常茶飯事の自由兵である。それは間違いなく御者にとって幸運なことであったと言えるだろう。無理やり二人にここまで馬車を出させられたのは、不運であったと言えるのかもしれないが……
 青年は腰に差した二対の短刀を横目で確認すると、馬車の窓から外にふわりと踊り出た。
 続けて少女も、巨大な例のモノを片手で掴むと、青年と同じように窓外へと身軽に踊り出る。
「な〜んだ。ただのゴブリンじゃん!」
 馬車の外に出た少女が開口一番、つまらなさそうに呟きを洩らした。それから無造作にモノを包んでいた布袋を剥がし取る。
 中からは、巨大な刀身をもった大剣が現れた。刃の部分だけで、優に少女の背丈を越える巨大な剣だ。
「こいつらならあたし一人で充分じゃん?」
 大剣を馬車を取り囲んでいる異形の者たちに向けながら、少女は可愛い声でうそぶいた。
 異形の者たちは言葉が通じないのか、少女の手にした巨大な大剣に目を馳せながら何事かわめき合っている。耳元まで裂けた大きな口と、先のとがった大きな耳。背丈は少女ほどの大きさしかないが、醜悪なその顔にうかぶ白目の多い瞳は不気味にぎらついていた。《堕ちし者》の下級魔属の中でも最もポピュラーな眷属、ゴブリンである。様々な亜種が存在を確認されているが、総じて知性が低く狂暴なのが特徴だ。決して油断できる相手ではないが、戦い慣れた者にとってはそれほどの脅威でないのも事実である。
『キギャギャ!!!!』
 数体のコブリンが奇声を上げながら、少女めがけて襲いかかってきた。ゴブリンの武器は、細い腕の先に付いた鋭い爪である。不潔に黒光りしたその爪で傷を付けられると、感染症にかかったりするから厄介だ。
 だが、少女の華麗な動きの前に、ゴブリンの爪は全くの無意味だった。
 まず先頭を駆けてきたゴブリンの攻撃を、少女は軽いステップで横にかわす。と同時に、少女は大剣を流れるような動作で水平に薙いだ。それはゴブリンの顔面の上半分を、磨り潰したかのように斬り飛ばす。どす黒い血飛沫が返り血となって少女に向かったが、その時にはすでに少女の姿はそこには無い。
 後ろを駆けていたゴブリン二体が、少女の姿を見失って辺りをキョロキョロと見回す。
「どこ見てんのさ!」
 声はゴブリンたちの頭上から降ってきた。日の光を背に受けて、少女の陰影がゴブリン二体の真後ろに急転落下する。次の瞬間、少女は身を屈めた状態から巨大な大剣を適当な感じで振り上げた。
 それは正確にゴブリンの体を、股から頭上へと真っ二つに両断する。両断された四肢が、ただの肉塊となって地面へ崩れ落ちた。
「ギャギャ!!!」
 仲間が凄惨な死を遂げたのを見せつけられたもう一体のゴブリンは、だがまるで頓着した様子もなく少女に向かって襲い掛かってきた。やはり、知能は低いようである。
 少女は振り上げた大剣を、今度は間合いの中に詰め寄ってきたゴブリン目がけて凄まじい速度で振り下ろした。ゴブリンの頭頂を一瞬で陥没させた大剣は、そのまま勢いを緩めることなく一気に大地まで刃を滑らせる。
 凄まじい重量の刃で体をすり身にされたゴブリンは、黒い血を噴出させながら先のゴブリンと同じように肉塊となって地面を黒く染め上げた。
「キメッ!」
 少女は噴出する血から華麗に身を翻すと、ゴブリンの死体から離れた場所でガッツポーズを作って大剣を頭上に掲げ上げた。どうやらそれが彼女なりの勝利の印のようである。だが、その悠々たる勇姿は長くは続かなかった。横手から突然疾風のように現れた青年の蹴りで、少女の体は大剣といっしょに吹っ飛ばされる。
「何すんのよっ!」
 少女が体勢を立て直しながら、青年に向かって非難の声を上げた。だがすぐに状況を把握して、押し黙る。
 青年の側には、少女が葬ったゴブリンの優に数倍の数のゴブリンの死体が累々と積み重なっていた。おまけに、ついさっきまで少女が立っていた場所には新しいゴブリンの死体が地面に黒い染みを作っている。つまり、少女は青年の蹴りによって助けられたわけだ。
「すぐに油断するのは、お前の悪い癖だな」
 青年は腰の鞘に短刀を直しながら、少女の方を向いてにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。それからゆっくりと視線を馬車の方に向けて、僅かに顔をしかめる。
 青年が顔をしかめた理由は、少女にもすぐに分かった。
 馬車の動力源である馬が、先のゴブリンにやられたのか、一匹残らず食い殺されていたのだ。このままでは馬車を動かすことが出来ない。
 ティルスまで後僅かという所まで来てはいたが、徒歩となると半日は優にかかるだろう。他の馬車を探そうにも、閑散とした街道を他の馬車が通るのを待っていてはいつになるか分からない。
「万事休すですな……」
 安全を確認した初老の御者が、馬車から降りながら青年と少女に向けて口を開いた。それから無惨に食い散らかされた馬たちに目を遣ると、深い溜息を吐く。馬は安いものではないし、正規以外のルートを自由に運行している個人営業だから、当然国の保険も効かないのだろう。まぁ、命が助かっただけでも儲けものと思うしかない。
「仕方ねえな。こっからは歩きだ」
 青年が街道の方に目を遣りながら、気だるそうに呟いた。青年の視界にはもちろんティルスの街が映るはずもなく、ただ果てしない地平線が続いているだけだ。
「えぇー! あたし歩くの嫌だ!!」
 青年の言葉に、即座に少女が反論する。
「んなこと言っても、馬がいねえんだからしょうがねえだろ? 歩くのが嫌なら、ここにずっといとくんだな」
 だが青年は少女に冷たく言い放つと、さっさと御者と一緒に街道を歩き始めてしまった。
 少女はしばらく頬を膨らませて拗ねたままその場に立ち尽くしていたが、青年と御者が街道をどんどんと歩いて行くのを見てしぶしぶと歩き始める。
 真っ青な空のキャンパスには、相変わらず巨大な雲が悠々と泳いでいた。流れる暖かな風が、眼下を歩く者たちの肌からとめどなく汗を噴出させている。
 季節は夏――

 
 シーン1「美人領主登場」

 やっと辿り着いたと思ったのに、まだ街には入れないなんてふざけた話だ。だいたい街に入るのに検問があるなんて聞いたことがない。それに……フェステみたいな見るからに怪しい男ならともかく、あたしみたいな超絶美少女を捕まえて身元調査するとは言語道断である。
 あたしはかなりイライラとしながら、座り心地の悪い椅子に腰を掛けて結果とやらが出るのを待っていた。ティルスの街の入り口に設置されている検問所の待合室は、温度調節機もなく、蒸し暑いことこの上ない。このままでは、美少女の干物が出来あがるのも時間の問題だろう。
 ……と、このままあたしの愚痴を延々と続けても意味がないので、仕方なく自己紹介アンド相棒紹介でもすることにする。ほんとはそんなことも言えないくらい暑さでイライラしてるんだけどね。
 取り敢えず、あたしの紹介から。名前はオリヴィア。上で二つに結んだ金髪がチャームポイントの超キュートな美少女だ。武器は背丈の倍はある大剣。職業は自由兵。詳しく説明するとフリーランスの戦争屋で、大陸中で組織化されている自由予備兵ギルトの末端兵だ。強さや功績から階級分けされていて、あたしは二級自由兵。一番上は0級で一番下は8級自由兵だから、あたしは上位自由兵に位置していることになる。ま、実力からいっても当然なんだけどね。
 ちなみにあたしは戦争の類には一切手を出さない。あたしが力を使うのは二年前から猛威を奮いはじめた《堕ちし者》を駆逐する時だけ。《堕ちし者》ってのは異形の怪物たちのことで、二年前から大陸に突然現れはじめた闇の眷属だ。出生、素性、生態、その他諸々まだまだ謎な部分も多いのだが、一つだけはっきりとしていることがある。それは奴らが人間を捕食する者たちということだ。だから、奴らを専門に駆逐する者が人間には必要だってわけ。当然普通のパンピーにはそんなことできるはずもないから、あたしらみたいな自由兵がやることになる。最近は地底国の問題もあってか――これは後々説明するけど――戦争をやらかす余裕もない国が多く、ギルトも資金繰りに困っていたからまさに渡りに船って感じだったみたい。人間に仇をなす《堕ちし者》のおかげでお飯が食えてるというのだから皮肉な話だ。
 んで、今回はギルトの上層部からの命令で、ここ最南の国アシェル王国の首都――ティルスに調査のため来ているってわけ。なんでも最近この地方で《堕ちし者》が大量発生しているらしいのだ。もちろんあたしたちの前にも数多くの自由兵が送り込まれたのだが、それらはほぼ例外なくこの地で行方不明になっている。この国にもギルトの支部は存在するのだが、ここ最近は本部との連絡が途絶えているらしい。非常に怪しい且つ危険な任務だが、それだけに実入りもいいのであたしたちはこの仕事を引き受けたってわけだ。貧乏に勝る不幸なし――あたしたちはあたしの頼りになる相棒のおかげで、万年貧困に喘いでいるからね。
 その相棒というのが……
「腹が減ったぞオリヴィア――」
 横で椅子にも腰掛けずに壁にもたれ掛かってだらけきっている男だ。
 名前はフェステ。同じ自由兵を生業としていて、階級は1級。体格自体は屈強な男が多い自由兵には珍しく小柄で華奢なのだが、怪しい能力と剣の腕が立つため、こと戦闘に関しては確かに頼りになる。黒髪黒瞳で、肌はあれだけ太陽にさらされていたというのに透き通るほど白い。女性顔負けなくらい顔立ちも端正で、強さも折り紙付きなのだから相棒としてはいうことないのだが……この男、呆れるくらい金銭感覚がない。基本的に自由兵の稼ぎというのは依頼主が支払う依頼料からギルトの取り分を差し引いたものを指すのだが、本当の収入は任務を達成した後に渡される依頼主からの御礼が大半を占める。だがフェステは人がいいのか、それらを一切受け取らないのだ。そのせいであたしたちはいつも……なのである。
「何か食べるもの持ってねえか?」
「……非常食はあんたが全部食べちゃったでしょ」
 腹を手で押さえながら訴えるフェステに、あたしは呆れたように言葉を返した。一応ティルスに向かう前に数日分の非常食は用意していたのだが、それは道中フェステが全部平らげてしまっている。全く、華奢なくせにエンゲル係数のかかる男だ。
「ちっ、だいたいなんで街に入るのに検問があるんだよ……」
 フェステは立ち上がりながら、待合室の向こうの扉に向かって毒づく。そこはさっきあたしたちの取調べをした男たち――この街の警備兵たち――が消えた扉だ。
「そんなことあたしに言ってもしょうがないでしょ!」
 あたしはイライラしていたのと暑さのせいで、つい大声でフェステのその独り言に対して声を荒げた。言ってしまってからちょっと悪かったかなと思ってフェステの顔を覗き見る。
 だがフェステはまるで気にした様子もなく、立ち上がったついでにと待合室の中を物色し始めていた。このくそ暑い中、よくそんなに動き回る元気があるものだ。おまけにフェステは白い厚手のジャケットを身に纏っているというのに、汗一つ流しているようには見えない。
「お待たせいたしました――」
 フェステが部屋の壁にかかった悪趣味な動物の剥製に手をかけた時、先の扉からあたしたちを取り調べた数人の警備兵たちと、一人の女が現れた。待合室に静かに響いた透き通るような声は、その女のものだ。
 フェステが思わずといった感じで、剥製から手を離し女に見入る。これだから男は……て言いたかったが、その女を見れば誰もがそうなるだろう。
 浅黒い光沢のある褐色の肌。透き通るような銀髪と、金色の瞳に深く影を落とす長い睫。桃色の唇は何も塗っているようには見えないのに、ふんわりと妖艶な蜜で彩られている。完璧な美。その女を形容するには、そんな陳腐な言葉しか思い浮かばない。
「暑い中、大変申し訳ありませんでした」
 女はまるで歌うように声を紡ぐと、あたしたちに向けて軽く頭を下げる。それだけの行為で、蒸し暑かった部屋の空気が一瞬清々しいものに変容した気がした。
「で、あんたは誰なの?」 
 あたしは女の放つ雰囲気に飲まれまいと、無理に語調を強くしながら尋ねた。だが、女の金色の瞳だけは凝視できない。思わず目を逸らしてしまう――そんな不思議な迫力がそこにはあったからだ。
「申し遅れました。私はクレシダ。この街の領主をさせて頂いております」
 あたしの質問に、その女――クレシダはやんわりと微笑んで答える。見ている者の心を気持ち良くさせる、嫌味な感じのない自然な微笑みだ。ただ笑うという行為をここまで無邪気に行なえる人間というのを、あたしは見たことがない。だからか、あたしはこの時何か得体の知れない違和感のようなものを微かに感じ取っていた。もちろんそんなことは口にはしなかったが。
「ま、あんたのことなんてどうでもいいんだけどね。それよりどうして街に入るのに検問なんか張っているのか、そこんところを説明して欲しいね」
 自分で聞いておいてどうでもいいというのも酷い話だが、あたしは素直な疑問を口にした。別に暑い中待たされたのが気に食わなかったわけではない……念の為。
 クレシダはあたしのその質問にふっと顔を曇らせると、対面の椅子に腰を下ろしながら答える。
「はい……最近この地方に《堕ちし者》が多発しているのは自由兵なら御存知でしょうが、実は検問を敷いているのはそのためなのです。少し前に自由兵を名乗る者たちが街に現れて、《堕ちし者》を駆逐するために来たと言うので歓迎したのですが……彼らが実は野党の一味だったらしく街の人間を襲って大変なことになったのです。その時は警備兵たちが何とか彼らを追い出したのですが、それ以後そういうことがないようにこういった検問を敷かしてもらってる――というわけなんです」
 クレシダは言い終えると襲われた街の人を思ってか、さらに表情を暗くした。
 あたしはそんなクレシダを気遣って、僅かに顔を横に背ける。なるほど、そういう事情があったのなら検問も仕方ない。
「そっか……それなら仕方ないね、フェステ――」
 あたしはクレシダの気まずい沈黙に耐えかねて、助けを求めるようにフェステに話を振った。だがフェステの方に顔を向けた瞬間、ぞくりとする。
 さっきからずっと押し黙っていたフェステが、普段はあまり見せないような険しい顔つきでじっと一点を見つめていたからだ。フェステの視線を追うと、それはクレシダの後ろの扉に向けられているもののようだった。
「フェステ?」
 あたしがもう一度呼びかけると、彼はそこで初めて気が付いたようにあたしの方を振り返った。すでに険しい表情は消えている。
「そ、そうだな。仕方ねえな……」
 取って付けたようにフェステはそう言うと、一瞬あたしに目配せしてから言葉を続けた。
「んじゃ、俺たちは問題ねえってことだよな。いつまでもこんな所にいるわけにもいかねえし、《堕ちし者》の調査もしなくちゃならねえから、俺たちはこれで行かせてもらうぜ?」
 言って、フェステは返事も待たずにクレシダたちとは反対側――あたしたちが入って来た方――の扉に手をかけた。
 あたしもこれ以上ここに留まるのは正直ごめんだったので、フェステの後にさっさと続く。とにかくこの部屋は暑過ぎるのだ。ダイエットには最適かもしれないが、生憎とあたしはそれを気にするようなおデブちゃんではない。
 フェステが出ていき、あたしもそれに続いて扉を通り抜けようとした時、クレシダがあたしたちの背中に声をかけてきた。
 フェステはすでに彼女らの視界から消えていたので、気にせずにさっさと外に出ていってしまうが、あたしはまだ見える位置にいたので仕方なく立ち止まる。ただ、振り返りはしなかったが。
「あの……《堕ちし者》の討伐、よろしくお願いします」
 クレシダの透明な声があたしの耳朶を打つ。
 あたしはそれに軽く右手を挙げて答えると、今度こそ部屋を出ていったのだった。


「はぁ。寂れたところだねー」
 あたしは検問を出て通りに出た瞬間、正直な思いを口にした。今歩いているのはこの街の中心にあたる大通りのはずなのだが、どことなくうらぶれていて寂しい感じが辺りに漂っている。先の街道のように全く人通りが無いというわけではないのだが、行き交う人間の顔色が皆一様に暗いのだ。これも《堕ちし者》の影響だろうか。
「ま、とりあえずホテル取って飯にしようぜ」
 隣を歩いていたフェステが、別段そんなことは気にした様子もなく呟く。相変わらずお気楽な奴だ。もしかしてこの男、観光か何かと間違えているんじゃないだろうか。
「ダメだね。先にギルトに行って報告しなくちゃならないでしょ?」
 あたしは言いながら、手にしていた大剣を反対側の肩に担ぎ直した。この大剣、普段武器として扱う分には問題ないのだが、ただ持つとなるとやたらと重いのが欠点だ。
「面倒くせえよ。いつも通り、お前だけで行ってきてくれ」
「また!? たまにはあんたも顔出しなさいよ。そんなんだから0級候補のくせにいつまでも1級止まりなのよ?」
 心底面倒臭そうに言い放つフェステに、あたしは呆れたように言葉を返した。この男、見るからに軽装でライトファイターのくせに、信じられないくらいものぐさなのだ。ギルトに入るのも堅苦しいからと言って、自由兵の認証――免許証みたいなものね――の更新の時くらいしか顔を出さない。だからか、実力的にはとっくに0級のライセンスを持っていても不思議じゃないのに未だに1級のままなのだ。
「別に興味ねえしな。んじゃ、俺はその辺で飯でも食ってるぞ?」
「はいはい。面倒くさいことは全部あたしに押し付けて、どうぞ行ってらっしゃい」
 あたしが嫌味のつもりで言った言葉にもまるで頓着せず、フェステはあたしから遠ざかっていこうとした。
「あ、そうそう!」
 その背中に、あたしは思い出したように声をかける。
 フェステがあたしから結構離れた位置で、不思議そうに振り返った。ちなみにあたしもフェステも結構目立つ格好――なにせフェステはこの暑い中白いジャケットを着込んでるし、あたしは見た目少女なのに物騒な大剣を背に担いでいる――をしているというのに、通りを歩く人間は誰一人としてあたしたちに注目を払っていない。どこに行ってもあたしたちの組み合わせは奇異の目で見られて結構うっとうしかったのだが、注目されないとそれはそれで悲しかったりする。
「何だ?」
「さっき検問のところでさ、あんたものすごい形相で領主の後ろの扉睨んでたじゃん。あれは何だったの?」
 あたしがずっと気になっていたことを口にすると、フェステは僅かに顔をしかめて口ごもった。
「ああ、いや……まあな。ちょっと知った気配を感じてな。気のせいだとは思うが……」
 曖昧にそう言うと、フェステはそれ以上詮索されるのを避けるように通りの向こうに消えていった。一応人通りは多いせいか、すぐにフェステの姿は群集に紛れて見えなくなってしまう。
「気配……ねぇ?」
 残される形となったあたしは、フェステが消えていった方をぼんやりと眺めながら呟いた。確かに、フェステほどの剣の使い手となると人それぞれの気配を見極めることが可能らしいが、だとすればここにフェステの知り合いでもいるのだろうか。まあ、フェステと知り合ったのは1年ほど前だし、それ以前のことはあまり本人から聞いたことが無いからそういうこともあるのだろう。
 あたしはそう自分を納得させると、ティルスの街にあるギルトへと足を向けたのだった―― 















 あとがき

 えっと、例の作品の手直しを加えた方の第一話です。
 題名が某格闘ゲームの続編っぽくなったのは手抜きです。
 形式はプロット段階ではオーソドックスなファンタジーに成り下がった気もしますが、読んでくれれば幸いです。では――