フォール・ハンター´ 4
作:アザゼル





シーン5「死のベッドイン」

「痛っ……」
 あたしは脇腹の火傷に、手にした瓶の中のアルコールを垂らすと小さく呻いた。傷が沁みて鋭い痛みが体を駆け抜ける。だがそれには頓着せず、あたしは続けて厚い布を肩からきつく巻いていった。
「……よっ、と」
 鏡を見ながらあたしは布を巻き終えると、火傷のある方とは反対の脇腹で固く結ぶ。それからゆっくりと座っていたベッドの上から腰を上げると、脱いでいた上着を上から羽織った。体中汗だくだったし、すぐにでもシャワーを浴びたい気分だったが、この怪我ではそれは諦めるしかない。
 あたしはそのままホテルの部屋にある備え付けの冷蔵庫からワインを取り出すと、それをグラスにも注がずボトルのまま一気に口の中に流し込んだ。よく冷えたワインが喉を通り過ぎていき、火照った体を冷やしていく。
「――さてと、眠りますか」
 ボトルを一本空けたところで、あたしはほどよい睡魔に襲われてベッドに転がり込んだ。固いシーツだったが、あたしたちの取る安ホテルなんてみんなそんなものだから気にならない。それよりもあたしが気になっているのは、あの姉弟の宿泊代の方である。
 ケチと言うなかれ。あたしたちにとってみれば、死活問題なのだからしょうがない。
 あたしは幾分情けない気持ちに陥りながらも、ベッドの上でホテル代と現在の財布状況に頭をフル稼働させていた。
 ホテルの古ぼけた天井を見据えながら、そんなことを考えていると、さっきまで僅かにあった眠気がいつの間にかどこかへいってしまっていることに気付く。もう一本ワインを空けて眠りにつこうかとも考えたが、ホテルの割高のワインをこれ以上飲んでしまっては財布状況が本気で洒落にならないことに気付き、あたしは諦めた。
「貧乏はヤダヤダ……」
 愚痴をこぼしながら、あたしはベッドから起き上がると窓を開ける。
 窓外から見える街の景観は、さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。街灯はことごとく消えていて、街を照らす明りは皆無に近い。真の闇が包み込む街は、一種異様な雰囲気を醸し出していた。
 あたしの知る限り、こんな風に夜に全部街灯を消してしまう街など見たことがない。どこの街にも眠らない場所が普通は存在するものである。
「……《堕ちし者》が住み易い街……?」
 あたしはふと浮かんだ考えを口にして、その考えに僅かながら背筋を冷たくした。
 《堕ちし者》は確かに夜を好む。日が昇っている間も《堕ちし者》はもちろん活動しているが、日が沈んだ後と比べるとその数は圧倒的に少ない。それにこれはギルトでもまだ調査中のことだが、《堕ちし者》は闇の中でこそ本来の力を取り戻すらしい。だからか、昼間出会ってもさして脅威にはならないゴブリンなどの下級魔属も、夜に出会うと意外に侮れない存在に化けるのだ。
「考え過ぎ……だよね」
 あたしの洩らした呟きが、狭い部屋に虚しく掻き消えていく。
 人工の明りが灯る街には《堕ちし者》は滅多に姿を見せない。だが、この街にはその明りが無い……それが意味するのは一体何なのだろうか? おそらくはその辺りに、この地方の《堕ちし者》が急増した原因がありそうだ。
 あたしはそう結論付けたところで、もう一度窓外に目を遣った。
 街は相変わらずの漆黒の闇に包まれていて、星明かりだけがここを街だと思い出させるようにぼんやりと外観を照らし出している。通りを歩く人の気配は皆無だが、その闇の中には何かが蠢いているよな感じが確実にあった。
 嫌な予感が徐々にあたしの中で大きくなっていく。だがそれが今まさに起ころうとしていることだとは、この時のあたしには予想も出来なかったのだ……


 あたしは自分の部屋を出ると、用心のため扉に鍵をかけた。別にどこに行くというあても無いのだが、部屋の中でじっとしていても眠れそうにない。
 あたしはきちんと扉に鍵が掛かったのを確認すると、ホテルの閑散とした通路を足音をたてないように歩き始めた。夜もかなりふけた頃なので、あたしの足音ぐらいじゃ誰も起き出すとは思えなかったが。
 その時、あたしの隣の部屋の扉が、中からゆっくりと開かれるのが視界に映る。扉は音を響かせないように細心の注意を払っているのか、微かな軋み音すら洩らさずに静かに開かれていった。
 確か……隣の部屋は、あの姉弟の部屋のはずだ。
 あたしは反射的に曲がり角の柱の影に身を隠した。別に隠れる必要はまったく無かったのだが、何となく嫌な感じがしたからである。
 ――扉から出てきた人影は一人だった。
 肩より僅かに下に伸ばした赤髪と、病的なほど白い肌。薄い下着のみという格好で出てきたその少女は、姉弟の姉の方――名前は確かヘレナとかいったはずだ。
 彼女は扉から出てくると辺りを何度か確認し、それから開けた時と同じように細心の注意を注いで静かに扉を閉めた。その一連の行為には、何か秘密めいた感じが漂っている。
 次にヘレナは、足音を忍ばせるとゆっくりとあたしのさらに隣の部屋へと歩いていった。
「あ……!?」
 あたしはその部屋に何の躊躇もなく入っていく彼女に思わず声を洩らしそうになって、慌てて自分の手で自分の口を塞いだ。……あの部屋はフェステの部屋だ。
 こんな時間に男の部屋に薄い下着のみで押しかける。その意味が分からないほど、あたしは子供ではない。気にならないかと言われれば確かに気にはなるが、プライベートなことまであたしが首を突っ込むことは出来ないはずだ。
 だが、気が付けばあたしはフェステの部屋の扉の前にいた。しかも、ぴったりと扉に耳まで貼り付けている。……これではまるで、あたしが盗み聞きしているみたいではないか。「…………」
「……」
 扉越しに微かに二人の話し声が聞こえるが、もちろん何を言っているのかまでは聞こえてこない。あたしの理性が、これ以上ここにいても意味など無いことを告げるが、あたしはなぜか動く気にはなれなかった。
 しばらく二人の話し声が続いた後、唐突に沈黙が訪れる。時間にすれば僅かにすぎないのだろうが、聞き耳を立てているあたしには息が詰まるくらい長く感じられた。
 そして――ベッドの軋む音。
 あたしはその音から逃れるように、すっと立ち上がった。これ以上ここにいても、それこそ虚しいだけである。
 だが次にあたしの耳に届いたのは、快楽の声や喘ぎ声ではなかった。
 ――耳をつんざくような、獣に近い咆哮。
「ぎゃぁああああ!」
 あたしはとっさに盗み聞きしていたのも忘れて、扉に手をかけた。
 同時に内側から凄まじい力で扉が開けられる。中から飛び出してきたのは、裸で血塗れのヘレナだった。
 ちょうど扉の前に立っていたあたしは、飛び出してきた彼女ともつれ合って地面を転がる。転がりながら、あたしはヘレナの顔を見て背筋を凍らした。
 乱れた赤髪の隙間から覗くヘレナの目。いや、目と呼ぶのもはばかれる。目のあった部分は深く落ち窪み、漆黒の闇の中小さな点のような光がちかちかと輝いていた。その形相は、人間というより《堕ちし者》に近い。
「オリヴィア! そいつを逃がすな!」
 扉の向こうから飛ぶフェステの言葉に、あたしはハッと我に返った。同時に逃げようとするヘレナを視界の端に捕え、あたしは反射的に足を伸ばす。
 だがヘレナは伸ばされた足を軽々と飛び越すと、身を翻して逆にあたしに襲いかかってきた。人間とは思えない鋭く伸びた爪が、あたしの首筋を狙って突き出される。
「くっ!」
 空を切り裂くヘレナの爪の攻撃が、あたしの首の皮すれすれをかすめていく。同時にあたしは前方に低く身を屈め、彼女の両足にタックルをかました。
 ヘレナが通路に大の字になって倒れ伏す。
 あたしはそれを好機と見て、彼女の体に覆い被さった。同時に彼女の両手を足で踏み付けて動けなくする。――チェックメイトだ。
「とどめを刺せ、オリヴィア!」
 だがフェステの次に飛んできた言葉に、あたしは動揺してそれ以上動けなくなった。確かにヘレナはあたしを殺そうとして攻撃してきたし、素手で生き物を殺す術など腐るほどある。……が、いくら形相が《堕ちし者》に近いとはいえ、彼女の容貌自体は人間そのもの。本来あたしたちが守るべき存在のそれなのだから、あたしが躊躇するのも仕方がなかった。
 ――あたしは、人間を殺したことなどない。
「ぐがぁぁ!」
 躊躇したせいでヘレナの両手を踏み付けていた力が僅かに緩む。彼女はその機を逃さず、不気味な咆哮をあげると少女とは思えない膂力であたしの足を跳ね除けた。
 あたしのバランスが崩れ、ヘレナの鋭い爪が再度あたしに襲いかかる。
 反射的に身をひねってかわそうとしたが、彼女の爪は予想以上の伸びを見せてあたしに執拗に食らい付いてきた。もはや、かわせる間合いではない。
「そいつは《堕ちし者》だ!!」
 飛んできたフェステの言葉と、殺されるという感情があたしの中で瞬間――交錯する。それと同時に体は勝手に動き出していた。
 差し迫ったヘレナの爪の攻撃を、とっさに高く上げた足の裏で受け止めると、あたしはその足を思いっきり横に薙ぎ払う。爪が折れる乾いた音があたしの耳朶に届くのを聞きながら、続けてあたしは親指を彼女の窪んだ目に突き立てた。
「ぎゃっ!」
 短い悲鳴と、ずぶりという柔らかい何かに触れる手応え。あたしはそれが何であるかを理解しながら、突きたてた親指を曲げてそれを引き抜いた。
 脳漿と大量の鮮血があたしの体に降りかかる。
「ぐぎゃぁあああああ!!」
 そして……断末魔の悲鳴。
 ヘレナは気が狂ったように四肢を痙攣させながら、それでもまだ血塗れの顔を近付けて最後の力であたしに襲いかかってきた。
 鼻が擦れるほど間近まで接近した彼女の顔が、大きく醜悪に歪む。開けた口には爪よりも鋭い牙がびっしりと並んでいて、腐肉の嫌な臭気があたしの鼻腔を刺激した。
 あたしはなぜかその顔に深い悲しみのようなものを感じて、まるで金縛りにあったかのようにその場に凍りつく。
 ――だが、彼女の牙があたしに食らい付くことはなかった。
 フェステの後ろから放った短刀が、正確無比に彼女の眉間に突き立ち、彼女は悲鳴をあげることすら叶わず一瞬で絶命する。
 ヘレナの細い体が、ゆっくりとあたしに身を預けるように倒れかかってきた。
 あたしは呆然としたままそれを受け止めるために両手を差し出すが、彼女の体はあたしの両手に届く前に瞬時に灰となって霧散していく。
「……死ん……だ?」
 あたしの洩らした呟きも、同じように虚しく通路に霧散していった。
 同時にさっきの嫌な感触があたしの手に蘇る。ヘレナの命を引き千切った……嫌な感触だ。
「気にすんな。あれは人間じゃねえよ」
 フェステが通路の床に落ちた短刀を拾い上げながら、独り言のように呟く。適当な感じの物言いだが、おそらくはあたしを気遣ってくれているのだろう。だが、フェステのその言葉にもあたしは納得ができなかった。
 ついさっきまで、彼女は確かに人間だったのだ。
「《堕ちし者》の上級魔属がたまにああいうのを作るんだ。人間の魂だけを食らい、自分に都合のいい傀儡を作る術を奴らは持っている」
 あたしの心中の疑問を察したのか、フェステは変わらずの淡々とした口調で言葉を続ける。あまりにも淡々とした口調だったから、あたしは言っている意味を飲み込むのに少し時間がかかった。
「……じゃあ、やっぱり元は人間だったのね」
「おそらくは、な」
 あたしの噛み締めるように放った言葉に、フェステは少し言い難そうに答える。それからあたしにゆっくりと歩み寄ると、すっと肩に手を置いて言葉を続けた。
「殺らなきゃ、こっちが殺られるんだ。オリヴィアのしたことは間違っちゃいねえよ」
 フェステのその言葉に、あたしは手に付いた血を服で拭いながら小さく頷く。彼女の血はすでに乾いていて軽く拭ったぐらいではなかなか落ちなかったが、それでもあたしはしつこく拭い続けた。
「ま……何にせよ上級魔属が絡んでくるとなると、この街は一筋縄じゃいかねえな」
 そんなあたしの様子を何か言いたげに見つめながら、フェステはわざと大きな声で愚痴をこぼす。
 あたしはそれに先と同じように小さく頷きを返すだけだ。こびり付いた血のように、嫌な感触はいくら拭っても拭い取れない。
 ごしごしとあたしが血を拭う音だけが、閑散とした通路に響き渡る。おそらく他に客はいないのだろう。あれだけ結構な騒ぎがあったというのに、他には一切物音がしない。
 ――耳が痛くなるような静寂が、辺りを包み込む。
「ねえ。そう言えば、あの子はどうしたのかな!?」
 その沈黙を破るように、あたしは不意に口を開いた。
 片手で短刀を弄んでいたフェステは、あたしのその言葉に不思議そうな顔でこちらを振り返る。
「あの子って?」
「あのヘレナって子の弟。確かハリーとか言ったっけ」
「……寝てんじゃねえか?」
 あたしの疑問に、フェステは何を言ってるんだという顔で答えた。
 あたしはそのフェステのあまりにもの見当違いの答えに、思わず突っ伏しそうになりながら声を荒げる。
「違うわよ! あの子ももしかしたら……てことを言ってんの!!」
「それはねえな。あいつはシロだ」
 あたしの言葉にフェステは突然真剣な表情に戻ると、きっぱりと言い放った。
「どうしてそんなこと分かんのよ!?」
「匂いで分かる」
「匂い?」
 フェステの台詞に、あたしはありったけの猜疑の目を彼に向けて聞き返す。
 だがフェステは意味深な笑みを浮かべたまま、それっきり黙りこくってしまった。
「な、何よぉ?」
 意味深かつ何か言いたげな視線に耐えかねて、あたしが口を開く。フェステの漆黒の瞳が意地悪そうに輝くのが、何となく気にかかった。
 黙りこくっていたフェステはそんなあたしの言葉にさらに笑みを深めると、もったいぶった様子でゆっくりと口を開く。
「俺はな、《堕ちし者》を匂いで嗅ぎわけられんだよ。つまり、初めっから分かってたってわけだ。それとな……のぞきもいいけど、んなことばっかしてると男が出来ねえぞ?」
「なっ……!?」
 その言葉に文字通り言葉をなくしたあたしを尻目に、彼はそれだけ言い放つと笑いながら自分の部屋にさっさと戻っていってしまった。
 一人残されたあたしは、聞き耳を立てていたことがばれたショックでしばらく呆然と立ち尽くしてしまう。それから急に恥かしくなって、自分でも分かるくらい顔を真っ赤に染め上げた。
 結局フェステは初めからあのへレナという少女が《堕ちし者》だと気付いて行動していたってわけで……
「……なら、最初っから言ってくれればいいじゃん!」
 あたしが荒げたその声は、やはり虚しく通路に霧散していったのだった――


 シーン6「領主の依頼」

 安ホテルのバーで、あたしたちは遅めの朝食をとっていた。
 今日の朝食のメニューは頑固と名がつきそうなほど固いパンと、一人一粒あるかないかのコーンが魅力の冷えたスープである。まあ、一泊いくらの安いホテルなのだから、朝食が付くだけマシと言えばマシなのだが。
 あたしとテーブルを挟んで向かいでは、フェステがその固いパンをガリガリと音を立てながら頬張っている。たまに固いパンの破片があたしの方に飛んできて、汚いことこの上ない。
 そして――その横ではハリーが、重い面持ちで置かれたスープ皿をじっと見下ろしていた。
 昨夜のことは、さすがにそのままハリーには伝えていない。姉のヘレナは用事があって、急に昨夜ハリーをあたしたちに預けて出ていったことにしている。まさか正直に、あんたの姉は《堕ちし者》だったから始末したとは言えなかった。
 もちろんそんなことをいきなり信じろというのも無理な話だし、実際ハリーも初めは冗談だと思って安心していたのだが、ヘレナがいないのは間違いない事実なわけで。
「早く食べないと冷めるよ? ……て、もう冷めてるか」
 あたしがそう言って笑いかけても、ハリーは一向に沈痛の表情を和らげようとはしない。   
 だが、それも無理はなかった。
 ハリーには、聞いた話によると両親がいないらしい。彼が物心ついた時には、すでにスラムで姉と二人で暮していたそうだ。そのせいかヘレナは彼にとって姉というよりも母親に近い存在で、それに置いていかれたというのはやはり酷くショックなのだろう。
「いらねぇんなら、俺が食ってやろうか?」
「ばかっ!」
 あたしは無遠慮にハリーの皿に伸ばそうとしたフェステの手に、容赦無くフォークを思いっきり突き立てる。 
 フォークは見事にフェステの手の甲に突き刺さり、彼は意味不明な呻き声を上げたが、あたしはそれを完全に無視した。それからゆっくりとあたしはハリーの方に向き直ると、少し強い口調で諭すように彼に語りかける。
「……ねえ、ハリー。別に捨てられたわけじゃないんだよ? お姉ちゃんはハリーがもう一人前の男だと思って、安心してあたしたちに預けていったんだと思うな。それに……」
 あたしはそこまで言ってから少し間を置き、ハリーがあたしの言葉に小さく首を動かしたのを確認してから、言葉を続けた。
「それに、お姉ちゃんはすぐに帰ってくるはずだよ。その時にハリーがそんな顔をしていたら、お姉ちゃんを心配させることになると思うな。だから……ね?」
「…………うん」
 あたしの言葉に、ハリーは今度は深く頷いた。それからすっと顔を上げ、あたしの方を碧眼の双眸できらきらと見つめながらにっこりと微笑む。それがあまりにも無邪気な微笑みだったため、あたしは自分のついた嘘に僅かに後悔した。
「さ、ご飯食べよ! 冷たいスープがさらに冷えちゃうしね!!」
「うん」
 あたしが暗いムードを打ち消すように明るい声でそう言うと、ハリーはまた大きく頷いて、それからかき込むようにパンとスープを平らげ始めた。お腹が空いていたのだろう。ハリーの目の前の皿は、瞬く間に空になっていく。
 あたしがその光景に目を細めていると、突然視界いっぱいにフェステの手が伸びてきた。同時に恨めしい声があたしの耳朶に届く。
「何を和やかにおさめようとしてんだぁ? 見ろ。俺の白魚の手が、お前のフォーク攻撃のせいで真っ赤に腫れちまってんじゃねえか!?」 
「誰の手が白魚の手だってのよ。子供じゃないんだから、それくらいで騒がないでよね」
「誰だっていきなりフォークで思いっきり突き刺されたら騒ぐわっ!」
 唾を撒き散らしながら喚くフェステを、あたしはうっとうしそうに見据えながら、大きく嘆息した。本当にこの男、あたしより一回りも年上なのだろうか……
 ――あはははは。
 そんなあたしたちの様子を見て、朝食を食べ終えたハリーがお腹を抱えて笑う。よほどおかしかったか、ハリーの笑いはなかなか止まらなかった。
 あたしも思わずつられて笑ってしまい、私たち二人は憮然とするフェステを前に笑い続けていたのだった。


 その訪問者たちは、私たちが朝食をとり終えて一服しているところに現れた。
 遅い朝食の後だったので、時間は限りなく昼に近い。外に出れば、太陽がじりじりと照りつけて酷く暑いことだろう。もっとも温度調節機の調子が悪いのか、このバーの中もさして変わりなく暑いのだが。
「――失礼いたします」
 あたしが訪問者に気付いたのは、彼女たちがテーブルの上に影を落とした時だった。
 同時に頭上に、聞いたことのある美声が響く。
「あ……クレシダ……さん」
 あたしは慌てて顔を上げると、その女性の名を呼んだ。
 自ら輝きを発するような銀髪と、艶やかな漆黒の肌。金色の瞳を持つこの絶世の美女は、あたしたちが街に入る時に検問で出会ったこの街の領主だ。
 領主クレシダの後ろには、国の警備隊たちが居並んでいる。その中には、昨日の夜に火災の場に居合わせた中年オヤジ――タイモンもいた。
 タイモンはあたしに気が付いた様子も見せず、ただじっとクレシダの後ろで突っ立っている。次会ったら殴り飛ばしてやろうかと考えていたが、さすがに領主の前ではそんなことも出来ない。
「で、何の用なんだ?」
「はい。実は……」
 いきなりぶしつけに質問するフェステに、クレシダが気にした様子も無く喋り始めようとしたので、あたしは慌てて彼女に席を勧めた。
 クレシダはそんなあたしに小さく会釈を向けると、ゆったりとした物腰で素直にあたしの勧めた椅子に腰を下ろす。彼女の身につけている衣服に飾られた様々な装飾具が、小さく音をたてて揺れた。
「……実は、今日はあなた方にお願いがあって参りました」
「お願い?」
 聞き返したあたしの言葉に、クレシダは静かに頷く。それからフェステの方に軽く視線を振って、また喋り始めた。
「この辺り一帯だけでなく、この街自体にも《堕ちし者》が巣食っているのは昨夜の騒動でもう御存知ですね?」
「はぁ……まぁ」
「《堕ちし者》がこの地方一帯に数を増やし始めたのは半年以上も前ですが、街にまでその勢力を伸ばしてきたのはここ最近のことなんです。気が付けば彼らは、私たちの日常生活の手の届く範囲までその手を伸ばしてきていました。ギルトや警備兵が当時はきちんと機能していたにもかかわらず……です。そしてギルトは……」
「今では《堕ちし者》の巣と化し、ついでに言えば警備兵たちは臆病にも《堕ちし者》から逃げ出す始末……てわけね?」
「……申し訳ありません」
 クレシダの言葉を受けて言い放ったあたしの言葉に、彼女は深くうなだれると消え入りそうな声で謝罪した。
「あんたが謝る必要は無いよ」
 言って、あたしはタイモンの方をきっと睨む。
 だが彼は、相変わらずの無表情であたしのその視線にもまるで動じた様子を見せない。ただそのガラス玉の瞳を、意味も無く宙に漂わせているだけだ。
「で、お願いってのは何なの?」
 あたしは結局タイモンのことは無視することに決めて、クレシダの方に視線を戻して言った。
「はい。……実は我々もただ《堕ちし者》が街に巣食っていくのを、傍観していたわけではありません。ここ半年ほど彼らの出現ポイントなどの調査を独自に彼らと共に行なっていたのです」
 クレシダは答えながら、視線を後ろに控える警備兵たちの方に一瞬向ける。
 おそらくはさっきのあたしの言葉を気にして、彼らをかばって言っているのだろう。だが昨夜の彼らの行動を見た後では、彼女のその行為もあたしには意味を成さない。どんな理由があるにせよ、警備兵が街の人間を見捨てることなど許されないはずだからだ。
 あたしは彼女に先を言うように視線だけで促した。
 クレシダはそれに頷いて見せると、ゆっくりと言葉を続ける。
「……それで最近判明したことなのですが、《堕ちし者》はどうもある場所から無尽蔵に増殖しているようなのです」
「どういう意味?」
「つまり《堕ちし者》は外からやって来ているのではなく、内側――このティルスの街の中から発生してその数を増やしているみたいなんです。だから……」
「……俺らにその場所を調べに行って来いってわけだな?」
 さっきまで黙っていたフェステが、唐突に口を開いた。
 それに対しクレシダはフェステの方に真摯な表情を向けると、静かに首を縦に振る。彼女の長い睫が金色の瞳に影を落とし、こちらからではどういう表情をしているかは見えない。
「――2つ疑問がある」
「何でしょうか?」
 フェステが指を2本立てながら放った言葉に、クレシダは少し不安そうに尋ね返した。 彼はそんな彼女を剣呑な眼差しで見据えながら、いつもより低い声で言葉を続ける。
「まず1つ。どうしてそれを警備兵たちがやらねえんだ?」
「もちろん、何度も調査隊をその場所に送り込みました。ただ無事に帰ってきた者は一人としておりません。残念なことですが、我々の力ではあそこに近寄ることすら難しいのです……」
「2つ目。検問の時に何で俺らにその場で依頼しなかったんだ?」
「それは……あの時はあなた方の力が分からなかったからです。なにせ我々の警備兵がまるで歯が立たない場所。もし力の無い者が向かえば、余計な犠牲者を増やすだけです」
「……だからあの場では警備兵に手を出させないで、黙って俺らの力を見定めてたってわけか」
 フェステがクレシダの答えに、納得したように頷いて見せた。それからあたしの方を振り返ってもう一度小さく頷く。
 それを受けて、今度はあたしがクレシダに向けて大きく頷いた。
「分かりました。では、その依頼を受けさせてもらいます」
「あ、ありがとうございます!」
 あたしの言葉に、彼女は感極まったように深々と頭を下げた。長い銀髪が彼女の顔を覆い尽くすように垂れ下がる。
「んじゃ、まず依頼料のことなんだけど……」
 あたしは頭を下げたままのクレシダに、さっそく報酬の交渉を始めた。
 その頃にはすっかり興味をなくしたのか、フェステは大きな欠伸を一つ残してハリーと共にバーから姿を消してしまっている。
 だが残されたあたしはそのことにすら気付かず、熱心にクレシダとの交渉を続けていたのだった……















あとがき

 ダッシュ四話です。相変わらずのダルダルぶりです(笑)
 それにしても、今回はあまりにもの書けないぶりに泣きそうになりました。何度書いても納得できないので、同じ所を書き直しまくってます。しかも、結局大して変わってなかったりして(爆)
 ではでは、流し読みでも飛ばし読みでも眺めるだけでも結構ですので……よろしかったらご賞味下さいませませ。