フォール・ハンター´ 7
作:アザゼル





シーン9「フォールハンター」


 フェステが帰って来たのは夜も更けた頃だった。
 もちろんそんな時間、普通ならあたしはとっくにベッドで眠りについている。夜更かしは美容の大敵だしね。
 でも、シャイロックの話したことも気になって、あたしは眠れずにぼんやりとフェステの帰りをホテルの自室で待っていた。
 することがないので気を紛らわせるためにワインを飲んでいたのだが、テーブルの上に置かれた空のボトルはすでに3本。今グラスに注いだ分を飲み終えれば、4本目である。
 そのグラスすらも空になりかけた頃、部屋の扉が軽くノックされた。
 あたしが慌てて扉を開けると、そこにはよく見知った黒髪黒瞳の男――フェステが、疲れた顔で突っ立っている。
 彼はあたしの姿を見ると、疲れた顔に小さく笑みを浮かべて言った。
「……まだ起きてたのか? とりあえず、ミルクでも入れてくれ」
 そのいつものフェステの面倒臭そうな物言いに、あたしはなぜか胸の内が熱くなって、動揺する自分を隠すのに必死になる。
 どうしたんだろうか。この男の顔なんて、見飽きるほど見ているというのに。
 そう思ってもう一度、あたしはフェステの顔を見上げた。
 どうした、といった感じで同じようにフェステも見つめ返す。
 白い肌に映える漆黒の双眸がくりくりと動き、あたしを不思議そうに捕えた。同時に彼の長い睫が、数回繰り返して瞬く。
「あ、う、うん。ミルクはホットでいいよね?」
 またまたどぎまぎとしてしまったあたしは、歯切れの悪い口調でそう言うと、フェステを部屋の中に促した。
 ああ、もう!
 シャイロックの奴が、変な話を聞かせたからだ。
 とりあえずシャイロックのせいにして気持ちを落ち着かせ、あたしは部屋の扉を強く閉めつけたのだった。


「やっぱりそうか」
 あたしが例の首飾りを見せると、フェステは納得したように頷いた。手には熱々のホットミルクが入ったカップが握られている。
「でもフェステ、あんた《堕ちし者》の匂いが分かるんでしょ? クレシダからは感じられないって言ってなかったっけ?」
 5本目のボトルから注いだグラスを小さく傾けながら、あたしは聞き返した。
 そう。彼は確かに邸宅の中で、タイモン以外からは《堕ちし者》の匂いが感じられない、と言っていたはずである。
「ああ、まあな。でも、匂いったって本当に匂いがあるわけじゃねえ。奴らの、人間とは違う気配を感じ取っているってだけだ。上級魔族になれば、それを消すことくらいできても不思議じゃねえ」
「そういうもんなの?」
「そういうもんだ」
 あたしの訝しげな眼差しをさらりとかわして、フェステは大きく頷く。
 頷きながらちびちびとミルクを舐める彼を見て、あたしは彼が神殿に行ってきたことを思い出した。
「そう言えばさ、あんたの方はどうだったの? クレシダと例の神殿に行って来たんでしょ。何だっけ……変な魔方陣の封印をするとか何とか言って」
「ああ。まあ適当に、やっぱり分からねえとか言って、ごまかして帰ってきた。おかげで、クレシダはかなり俺を怪しんでたがな」
 フェステの答えに、あたしは思わず苦笑を洩らす。
 そりゃそうだろう。封印の方法が分かると見栄をきって行ったのに、やっぱり分からないでは怪しまれても仕方ない。まあ、彼女が《堕ちし者》だとしたら、おそらくは封印を解く方を期待してたんだろうが。
「いいんだよ。俺の方はどうせ時間稼ぎだったんだからな。おかげで証拠となるような物も見つけられたし」
「そだね」
 短く答えてから、あたしは傾けて遊んでいたワインを一気に飲み干した。
 ……さすがにこれだけ飲むと、頭がぼんやりとしてくる。それに、体が火照って無性に熱い。
「ま、どうにしろあたしたちをこの街から、簡単に逃がすつもりはないんでしょ」
 グラスをテーブルに戻しそう言うと、あたしは席を立って部屋の窓を全開にした。同時に涼しい風が部屋の中に流れ込み、あたしの火照った体を冷やしていく。
「そりゃ、そうだ」
 もうすでに温くなったであろうミルクを、まだちびちびと舐めながら、フェステが声だけを返した。声色に嬉々としたものが含まれているのは、あたしの気のせいだろうか。
 まあ、あたしとてこのまま見過ごして街を出るつもりなど、毛頭ないのだが。
「……そろそろ奴らも動きを見せるだろ。なにせ、俺らに利用価値がないことが分かったんだからな」
 やっとカップから手を離したフェステが、続けて言う。口調はシリアスだが、あたしには彼がこの状況を楽しんでいるようにしか思えなかった。
「まあね。用心することに越したことはないね」
 窓外の不気味なほど静かな街を見下ろしながら――といっても、ここはホテルの2階なのだが――あたしは小さく頷きを返す。
 相変わらず街の夜に明りはなく、ただ漆黒だけが巨大に広がっていた。
 闇が蠢き、闇が支配する街――あたしが前に感じたこの街の印象は、今は確信に変わっている。
 そんな窓外をぼんやりと見つめたままのあたしの背に、フェステが声をかけた。
「さてと、俺は寝るぜ。怖いんなら、一緒に寝てやろうか?」
「バカ!」
 フェステの軽口に、あたしは思わず声を荒げ……同時に、視界がぐにゃりと大きく歪んだ。
 ……どうやら完全に、酔いが回ってしまったようである。
 薄れていく視界の端で、フェステが慌ててこちらに駆けつけるのを確認しながら、あたしの意識は一瞬でフェードアウトしていったのだった……


 ……が、眠りにつけたのはほんの僅かだった。
「おい、起きろ! オリヴィア!!」
 誰かの声が、混沌としたあたしの頭の中に響き渡る。
「こらっ!! 早く起きろ、てめえ!!!」
 どこか切羽詰まったその声は、一体誰を呼んでいるのだろうか――
「起きろってんだ、チンチクリン!!!」
「誰がチンチクリンよっ!」
 がばっと跳ね起きたあたしは、大声で目の前にいる誰かに向かって叫んだ。と同時に、何かひんやりと冷たいものがあたしの唇に触れる。
 …………え!?
 あたしの視界一面は、その誰かの顔でできた影で覆い尽くされていた。
 つまり、目の前にその誰かはいたわけで……
「うきゃうっ!?」
 あたしは妙な叫び声を上げて、慌ててその顔から自分の顔を離した。
 視界には呆然とした表情のフェステが、あたしを覗き込むような格好で突っ立っている。
「は、はれ!? フェステ……」
 ろれつの回らない口調で呻きながら、あたしはベッドの上を彼から逃げるようにゆっくり後ずさる。
 まだ柔らかい感触が残る唇。そっと指で触れると、微かに濡れているのが分かった。
 もしかして……いや、もしかしなくてもキスだ。
「フェステ……夜這いしにきたの?」
「バカ言ってねえで、さっさと着替えろ! 《堕ちし者》に囲まれてんだ、このホテル!!」  
 あたしの言葉を掻き消すようにフェステが叫ぶ。
 同時にあたしは、今度こそ本当に飛び起きた。同時に、まだ半分眠っていた頭をむりやり覚醒させる。
「いつから? どれくらい!?」
「ついさっき! けっこうな数だ!!」
 ベッドの横に置いてあった上着を羽織りながら短く聞くあたしに、フェステも同じように短く答える。
「ったく! 襲うんなら、明日にしてよねっ。ちゃんと寝ないと肌に悪いんだから!」
「文句は後だ。行くぞ!」
「はいはい」
 ぶつくさ文句を言うあたしを促して、フェステは部屋を飛び出した。
 あたしも床に置いてあった大剣を拾い上げると、その後に続く。
 それにしても……故意じゃないにしろ、あれはあたしのファーストキスだったんだけどな。とか、呑気なことを考えながら――


 ホテルを出たところで、あたしは一瞬凍りついてしまった。
 ……想像して欲しい。
 明りのない深夜の街に、ずらっと並んだ生気のない鎧姿の男たちが整列しているところを。それらは無表情に、どこを見るでもない瞳を宙に漂わせてホテルの周りを取り囲んでいる。
 こいつらが亡霊だと言われても、あたしは絶対信じる自信があるぞ。
 ……まあ実際は、それより性質の悪いものなのだろうが。
「フェステ……」
「傀儡だな」
 あたしの言葉に、横で同じように突っ立っていたフェステが短く言葉を返す。だがあたしは、彼の視線がそれら鎧姿の男たちに向けられていないことにすぐに気付いた。 
 彼の視線は、ただ真っ直ぐに鎧男たちのさらに後ろの闇に向けられている。
「出てこいよ――」
 フェステはその誰もいない空間に、静かに声をかけた。
 同時に闇の中で何かが動いた気配がする。
「……別に隠れてたわけじゃねえんだがな」
 闇の中から姿を現したのは、闇に溶け込むような黒いロングコートに身を包んだ男――シャイロックだった。
 銀髪が夜風に吹かれ、漆黒の闇に煌く。
「まさかお前、《堕ちし者》についてんじゃねえだろうな?」
 フェステが姿を見せたシャイロックに、険しい口調で語りかけた。
「俺が誰かにつくことなんて、あると思うかぁ!?」
 その言葉にシャイロックは逆に聞き返すと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。歩きながら、彼はさらに言葉を続けた。
「……てめえが《堕ちし者》に殺されるくらいだったら、俺様が殺してやろうと思ってな。来てやったんだよ。それに、そっちのオリヴィアちゃんにも、ちゃんと伝言を頼んどいたはずだがなぁ?」
「へ!?」
 いきなり話を振られて、あたしはまぬけな声を上げる。
 そんなあたしに、シャイロックは近付きながら片目をぱちりと瞑って見せた。……その仕草がまた、決まり過ぎるほど決まっていて憎らしい。
 あたしが不覚にもそんなシャイロックに見とれていると、横からフェステの不機嫌そうな声がかかった。
「オリヴィア、あいつに会ったのか?」
「え!? い、いや。領主邸に忍び込んだ時に……ちょっちね」
「ふうん。まあ、いいや」
 しどろもどろに答えるあたしに、フェステは冷たく言い放つとシャイロックの方を向き直った。同時に腰の鞘から、すらりと短刀を抜き放っている。
 横顔を盗み見ると、なぜか少し怒っているように見えた。
 もしかして嫉妬してるとか……て、そんなわけないか。
「その傀儡たちは何なんだ?」  
 そんなやきもきするあたしを尻目に、短刀を構えたフェステは、目の前まで差し迫ったシャイロックに向けて抑揚のない声で尋ねる。同時に、今はシャイロックの後ろに位置する傀儡たちを一瞥した。
「ひゃははは。どうやら、俺はあまり信頼されてねえみたいでなぁ……。こいつらは、一応の保険ってわけだ」
「保険……ね」
 シャイロックの答えに、フェステはまだ訝しげな表情で傀儡の方を睨み続けている。
「ま、安心しな。俺とお前の喧嘩には、手を出させるつもりはねえよ」
「……だといいがな」
 言って、ゆらりとフェステは短刀の切っ先をシャイロックの方に向けた。
 それに呼応するように、シャイロックも腰のシミターを抜き放つ。
「ちょ、ちょっと! どうして、戦う必要があるのよ!?」
 あたしはそんな二人の様子を見て、慌てたように口を開いた。
 だって、この前はよく分からないうちに戦いになっていたが、今回は違う。別に戦う必要もないし、その前にこの目の前の傀儡たちをどうにかするのが先だろう。
 だが、二人ともあたしの言葉など気にもとめずに、すでにお互いを牽制し合って戦闘モードに突入している。
「悪いが、こいつとはこういう関係なんだ」
「ま、儀式みたいなもんだな。オリヴィアちゃん」
 二人がそれぞれに答え、そして次の瞬間にはもう動き出していた。戦いが始まれば、あたしがどうにかする隙などもちろん……無い。
「時間がねえからな。一瞬で終わらせてやるよ――」
 フェステが言い捨てながら、シャイロックに駆けた。
 ほぼ同時に、シャイロックの構えたシミターがゆらりと霞む。
 ぶつかり合った金属音が夜の静寂な街に響き渡り、トップスピードに乗った二人の体が交錯した。
 連続する金属音と、二人が地を蹴る音。
 もはや、すでに目で二人の動きを追いきれない。
 フェステとこれほど互角に立ち回る人間を、あたしは過去に見たことがなかった。
「この前は中途半端に終わっちまったからなぁ! 今度こそけりをつけてやるぜぇ!!」
「お前の敗北という形でなっ!」
 軽口を叩き合いながらどんどん加速していく二人を、あたしはただぼんやりと眺め続けることしかできない。さっきからまるで動く気配を見せない傀儡たちと、一緒に観戦というわけだ。
 ……はっきり言って、どうしようもなく情けない光景である。
「あれ……?」
 二人の戦いをすでに諦めながら観戦していたあたしは、その時、ふとある異変に気付いた。
 動きがないと思っていた傀儡たちが、全員小刻みに震えているのである。全員が一定に打ち震えているせいで、それは一つの振動のようにも見えた。
「フェ、フェス……」
 異変に気付いたあたしがフェステを呼ぼうとした瞬間、それら傀儡のうち一体の腕が異様な動きを見せた。めきめきと音をたてた腕が、一瞬で鋭い槍に変形する。
 あれは……タイモンが見せた腕の硬質化だ。
 あたしがそれを思い出したのとほぼ同時。槍と化した腕があたし目掛けて、凄まじい勢いで飛来してきた。
「わっ!」
 かわせたのは、ずっと変化を見続けていたおかげだ。
 あたしのすぐ真横を掠めたそれは、側の地面をえぐって、また傀儡の元へと戻っていく。
 息を吐く暇すらなく、続けて数体の傀儡が腕を伸ばしてきた。飛来する槍が闇夜の中、鈍い音を奏でる。
「フェステぇ!!」
 彼の名を叫びながら、あたしは飛来するそれをかわすために身を低く沈めた。
 すぐ頭上を数本の槍が通り過ぎ、空気が擦れる嫌な音が耳朶を打つ。
「ぎゃあああああ!」
 同時に、闇を切り裂くような絶叫が辺りにこだました。
 あたしが身を起こして悲鳴の聞こえた方を振り返ると、そこには槍と化した腕で身を貫かれた男の姿が。一瞬で絶命したらしく、貫かれた男は動く気配を見せない。
 運悪く夜の街を歩いていた民間人……といったところか。この傀儡たち。どうやら、見境がないようである。
「話が違うじゃねえか!」
「ちぃっ! 傀儡の元が開放しやがったんだっ!!」
 やっとそこで戦いを中断した二人が、口々に言い争いを始めた。
 それに気付いた――のかどうかは分からないが――傀儡たちが、彼ら目掛けて一斉に腕を伸ばす。 
 ――だが、それが彼らに届くことはなかった。
 腕を伸ばした数体の傀儡が、ある者は細切れにされ、ある者は短刀に突き刺されて絶命する。
 もちろんそれをやったのは、シャイロックとフェステの仕業だ。あたしには彼らがどう動いたのかすら見えなかったが。
「仕方ねえなぁ。ひとまず、こいつらを先に片付けるかぁ!?」
「……お前と一緒に、てのが気に食わねえがな」
 言い合いながら、二人は同時に動き始めた。
 フェステの短刀と、シャイロックのシミターが、漆黒の闇の中を華麗に舞う。舞うという表現が一番だろう。彼らの一分の隙もない剣技は、まるであらかじめ決まっている舞を踊っているかのような錯覚をあたしに与えた。
 二人が剣を振るい始めて僅か数分で、かなりの数の傀儡が灰燼と帰していく。
 あたしは情けないことだが、それをぼんやりと見ていることしかできなかった。あたしだってもちろん加勢したいが、あの中に入っても足手まといにしかならないのは目に見えている。
 その時、あたしの視界にホテルから出てくる人影が映った。
 おぼつかない足取りで出てくるその人影は、あたしの姿を見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。
 ハリーだ。
「オリヴィア何してんのー!?」
 場違いな明るい声で駆け寄ってくるハリー。
 その揺れる金髪の向こうに、すっと何者かの影がよぎった。
「ハリー! 危ないっ!!」
 一体いつの間にそんなところに移動したのか、傀儡の一人がハリーの背後に差し迫っていたのだ。
 ハリーがあたしの声に反応して、こちらを呆気に取られた表情で見つめ返す。
 同時に、鋭く禍々しい槍の腕がハリーを狙って伸びた。
 間に合わない……!
 あたしが思わず目を閉じようとしたその瞬間、傀儡の首から上が綺麗に吹き飛んだ。首が夜空を舞い、地面に落下する前に灰となって虚空へと散っていく。
 こんな芸当ができるのは……もちろん彼しかいない。
「シャイロック!?」
 あたしがその名を呼びながら振り返ると、彼は変わらずの飄々とした顔つきで、口の端を大きく歪めて見せた。
 あたしは口の中だけで小さく彼に礼を言うと、ハリーの元に駆け寄る。
 近付いてきたあたしを見て、ハリーは今起こったことをもう忘れたのか、にっこりと微笑んだ。透明な碧眼が、暗闇の中でも光を損なうことなくきらきらと輝いている。
「ダメじゃない。部屋から出てきちゃ!」
 その無垢な輝きに騙されそうになるのを踏み止まって、あたしは開口一番、彼の鼻頭に指を突きつけるときつい口調で言った。
 途端にハリーの顔がみるみる曇っていく。
「だって……誰も部屋にいないし、それに、外が騒がしかったから……」
 そう言って俯いてしまったハリーを見て、あたしは深く嘆息した。それから、仕方ないかとも思い直す。
 こんな小さな子が――と言っても、あたしと同じくらいなのだが――たった一人の肉親と離れてしまったのだ。そんな時に一人になることの恐怖は、あたしにもすごく分かる。
「ま、とりあえずあっちの片が付くまで、オリヴィアと一緒にいましょ」
「……うん!」
 あたしの言葉に、ハリーはすっと顔を上げると、またにっこりと微笑んだ。
 泣いたカラスが笑うとはこのことだろう。
 あたしが苦笑しながらハリーの手を取ろうとしたその時、ふいに後ろで気配が動いた。傀儡が接近してきたのかと思い、あたしは慌てて後ろを振り返る。
 ――が、そこに立っていたのは、微かに息を荒くしたフェステだった。
 見知ったその顔に、思わず安堵の溜息が漏れる。
「もう片付いたぜ――」
「早かったね」
 あたしが言葉を返すと、フェステは軽く口の端を吊り上げて見せた。
 どうやらさっき、機嫌が悪く見えたのは気のせいだったみたいである。それとも、初めから大して気にしていなかったとか……
 フェステの顔をぼんやりと眺めながらそんなことを考えていると、視界の端にシャイロックが近付いてくるのが映った。
 さすがの彼も、フェステと同様、微かに息があがっている。トレードマークの黒いコートが所々破れていて、激しい戦闘の跡を物語っていた。
「ま、俺様だけならもっと早かったんだがなぁ。足手まといがいたから、ちっとばかし時間がかかっちまった」
 近付きながらさっそく皮肉を飛ばすシャイロックに、よせばいいのにフェステがすぐにむきになって言い返す。
「んだとぉ!? 俺の方がお前より一匹多く倒しただろうが!」
「ひゃははは。相変わらずせけえ奴だなぁ。いいか? 戦いってのはいかに華麗に戦うかなんだ。てめえのは全然、華麗じゃねえ」
「お前の方が華麗じゃねえよ!」
「――はいはい。どっちとも、子供みたいな喧嘩はやめてよね。ハリーが呆れてるよ」
 口を挟んだあたしの言葉に、二人はハリーの方を同時に見つめると、さすがに気まずそうに押し黙った。
 ……素直でよろしい。
「でもさ、これで決定的だよね……」
 とりあえず黙ってくれた二人を見据えながら、あたしが口を開く。それから真剣な表情になると、声を低くしてさらに言葉を続けた。
「今の奴ら、肩に鷹の紋章が入ってた。これでクレシダは言い逃れできないよね。なにせ、さっきの奴らだけで領主邸にいた警備兵ほぼ全員だもん」
「へ? 何がだ?」
 あたしが言った言葉に、フェステが首を傾げて聞き返す。
 やはりこの男、戦闘以外には頭が回らないようだ。
「あのね、さっきの鎧姿の傀儡たち。あれ全部、この街の警備兵だったのよ? で、おそらくあれが領主邸にいたほぼ全員の警備兵。例の壊れたギルトから持ち帰った書類に数が記載されていたから、おそらく間違いないわ。ということは今、領主邸にいるのは……」
「クレシダだけってわけか」
 納得したように言ったフェステに、あたしは小さく頷いて見せた。
 その時、興味なさそうに煙草を咥えて突っ立っていたシャイロックが、横から口を挟む。
「……おたくら、あいつとやり合うつもり満々なようだが、あいつは並の《堕ちし者》じゃねえぜぇ。なにせ、近くにいながらこの俺様が手を出せなかったんだからよぉ」
「上級魔族ってこと?」
 あたしは間髪入れずに聞き返し、同時に自分の放った言葉に寒気を覚えた。
 上級魔族――ギルトで未だその存在の確認すら取れていない、しかし確実に実在する絶対の恐怖の象徴。理由は様々だが、彼らに出会うこと自体が死を意味するなどという笑えない憶測がまことしやかにギルト内でも噂されている。
「まぁ、あんたらのカテゴリーで言ったらそうなるなぁ。だがな、オリヴィアちゃん。上級魔族っていっても、ピンキリだ。んでもって、グリールの奴は間違いなくピンの部類に入る」
 あたしの質問に、シャイロックは珍しく真剣な表情で答える。答えてから、彼はゆっくりと肺に流し込んだ煙を吐き出した。
 その煙を手で払いながら、あたしはさらに質問を続ける。
「グリールって……クレシダのこと?」
「ああ、そうだ」
「ねえ、シャイロック……」
「何だぁ?」
 聞き返すシャイロックから一瞬視線をフェステに向け、それからまた彼に戻すとあたしは自分でも信じられないことを言った。
 シャイロックはさっきまでフェステと殺し合いをしていた仲である。それでも、彼ほどの力の持ち主を前に、あたしは言わずにはいられなかった。
「……協力してくれない? 正直、上級魔族を相手にしたことないのよ、あたし。だからできるだけの準備をしたいの。もちろんギルトの報酬から、あんたの分もきちんと払うから……」
「俺はごめんだっ!」
 あたしの提案に、しかし答えたのはフェステだった。
 顔中を不満という二文字でいっぱいに固めたフェステは、吐き捨てるようにそう言った後、ぷいっと顔を向こうに背けてしまう。
 ……あんたは、子供か。
「ま、オリヴィアちゃんには悪ぃけど。俺もごめんだねぇ」
 そのフェステの態度に苦笑しながら、シャイロックはかぶりを振って答えた。
 予想できた答えだが、あたしはがっくりと肩を落とす。
「前にオリヴィアちゃんが言ってたように、俺様も勝てるかどうかの勝負はやらねえ主義でねぇ。それに……俺の専門は人間なんだ。化物は勝手が違うから殺りずれえしなぁ」
 そんなあたしを気遣ってか、シャイロックは続けていい訳のようなことを口にした。
「分かった。無理に誘ってごめん」
 あたしは素直に諦めると、シャイロックに軽く頭を下げて言う。
 シャイロックにはシャイロックの考えがあるんだろう。それに、ハリーを助けてくれたことだけで十分だ。
「……まあ、他ならぬオリヴィアちゃんのためだ。一つだけ忠告しといてやる。この街はもはや手遅れだ。それだけは覚えておきなぁ」
 頭を下げたあたしに、シャイロックはそれだけ言い残すと、くるっと背を向けて歩き始めた。長い銀髪が夜風になびいて、去って行く姿もなかなかに様になっている。
 それにしてもこの男、初めに会った時の印象とだいぶ変わったなあ。初め見た時なんて、ただのイカれた奴だって思ったもんね……
「シャイロック!!」
 そんなことを思いながら感慨深げに見送っていた背中が、フェステの大声でぴたりと止まった。……だが、こちらを振り返ろうとはしない。
「俺が《堕ちし者》に殺されるとか言ってたな。俺が何て呼ばれてたか、もう忘れちまったのかあ!?」
 続けて放たれたフェステの言葉に、シャイロックはやっとこちらの方を振り返った。それから口の端を大きく歪めると、呟くように言葉を返す。
「……フォールハンター、か。そう言えばてめえは、ゲートで一番《堕ちし者》を殺戮した男だったなぁ。その呪われた二つ名。伊達じゃねえことを祈っといてやるよぉ」
「ふん。言ってやがれ――」
 片手を上げて今度こそ去って行くシャイロックに、フェステも口の中だけで同じように呟きを返した。
 去って行くシャイロックの後姿は、数刻としないうちに闇の中へと溶けていく。
「さて。んじゃ、ちょっくら《堕ちし者》退治といくかっ!」
 それを見届けたかどうかは分からないが、フェステはあたしの方を振り向くと、まるでピクニックにでも誘うような口調でそう言った。
「そだね。とりあえずこれ以上滞在するだけのお金、あたしたちには無いもんねっ!」
 あたしも負けないくらい陽気な口調で言葉を返す。
 自分の放った言葉の情けない事実に気付き、二人して頭を抱えたのは、それから数秒後。ハリーの放った「びんぼーなんだね」の、一言によってだった。
 ……あたしたち、街を救うんだよね?
 そんな不毛な自問自答を、何度も頭の中で繰り返しながら――















あとがき

 はいはい、早いものでこの、ダラダラえせRPG風小説「フォールハンター´」も、すでに7話目です。もはや、暇な時間に天井の染みを数えることよりも劣るこの小説。しかし作者だけは、完成させる気満々です(迷惑)
 もし天井の染みを数え飽きたなら、その時こそこの小説の出番。きっと、トランプを積み上げる方が良かったかなーと、後で後悔すること間違いなし!(ダメだね♪)
 てわけで、おそらく次回で最終話。この話、最初で最後の山場です。お願いします。後生ですから、読んで下さい(笑)