一緒にワルツを踊りませんか
作:ASD



※この作品は第24回企画短編「イラスト競作:その2」参加作品です※
以下のイラストを元に書かれました。

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(イラスト提供:玉蟲さん)




 有り体に言えば、逃げ出してきたのだ。
 王都での私には、役目が課せられていた。日々それをこなすことに疑問すら感じることなく、求められるがままに黙々と努めを果たしてきたのだ。
 人々がいつまでも正しく恩恵を受けていられれば、それで良かったのかも知れない。私はそれにただ満足していたはずなのに、いつの間にかそれが苦痛になっていった。同じように頑張っているつもりなのに、思ったような結果が以前のようには得られなくなっていったのだ。
 私はいたたまれなくなって、自分がそのような役割を課せられるに足る者なのかと、いつの日か疑問を覚えるようになっていった。
 そして私は今、砂漠の真ん中にいる。
 そこは見渡す限り砂と岩しかない、本当に何もない荒野だった。別にそこで無ければならない必然性はなかった。王都以外のどこかであるならば、どこでも良かったのだ。
 それでも、ここは全くゆかりのない異国の土地というわけではなかった。地図の上では一応は王国の版図であったし、実際は王都からどれほどの距離でもなく、さほどの辺境の僻地でもなかったのだ。
 だからいずれ、この場所も誰かに発見される事になるのだろう、とは薄々思っていた。
 滅多に人が通らぬ砂漠を、旅人が一人、こちらに向かってやってくるのが見えた。遠くからでもその人影ははっきりと見えた。
 私がいるのは、荒野の真ん中に残された、うち捨てられた朽ちた神殿の跡地だった。私はそこにただ一人、隠れ潜んでいたのだ。
 渇き果てたこの土地は、それでも風は冷たく、そろそろ日も沈もうという頃合いになると意外なくらいに冷え込んでくる。袖のない装束で過ごせる季節も次第に過ぎようとしていた。
 私が旅人の姿に気付いたように、彼もまた、ここにいる私の姿に気付いていたかも知れない。神殿の建物は、すでに屋根が落ちて柱がいくつか残っているだけだったし、私はと言えば巫女の装束たる、目に鮮やかな青い衣をまとっていたので、恐らくは遠目にもよく目立っていただろう。
 彼が一体何をしにこの地を訪れたのか、その用件は大体想像がついた。
 一体、何と言って追い返せばいいのだろう……私は今更隠れたり逃げたりするのも諦めて、石段の上に座り込んだままそんな事をぼんやり考えていた。
 だが……やってきた旅人の正体を知って、私は思わず驚きの声を上げてしまった。
「テト王子……?」
 その名前が、思わず口をついて漏れてしまった。
 面識の無い人物ではない。最後に会ったのは随分と前の事になるが、確かにお互い顔も名前も見知った仲だった。まさか彼とこのような場所で再会しようとは、夢にも思っていなかった。
 騎馬こそいかにものろくさそうな顔つきをしていたが、乗っている銀髪の若者は、端正な面差しでこちらをまっすぐに見据えていた。
 砂塵よけの外套をまとったその身体は、決して屈強たる偉丈夫ではない。荒野に一人放り出されて、荒々しく猛々しく踏破していくような剛の者とは到底言えない、線の細い印象の青年だった。
 彼は馬を下りると、石段に腰掛けたまま呆然とほおづえをついている私に、恭しく膝を折って頭を垂れた。
「誠にお久しゅうございます、《リマ・ディーナ》」
 流暢な口ぶりですらすらと挨拶の口上を述べ、まっすぐに私を見据える。
 そんな視線に、私はいたたまれない思いでいっぱいになって、思わず目を背けてしまった。曖昧にそっぽを向いたまま、いささか上ずった声で、どうにか告げる。
「《リマ》の名は返上するわ。今の私には、そんな資格など無いもの」
 随分とふてくされたような声の私に、テト王子は柔らかい笑み浮かべたまま、物静かに返答する。
「何をおっしゃいますやら。今も身にまとっているその青い衣、神の代行者たる《リマ》の証そのものではないですか」
「それは……まぁ、そうなんだけれど」
 私は返答に窮した。確かに、逃げてきた私にこの衣をまとう資格など無いはずだった。自分で今しがた言い捨てた言葉に、明らかに矛盾する出で立ちで、私は彼の前に立っていたのだ。
 私は慌てて、話を逸らすように問いかける。
「それは、そうとして……どうしてテト王子ともあろうお人が、お一人でこんな所へ?」
「僕をその幼名で呼ぶ者は、今は一人もおりませんよ。今の僕の名前は……まぁいいや。僕、正直今の名前はあまり好きではないのですよ。貴女は僕の事を、テトと呼んで下さって結構ですので」
「それは、どうも」
 私はぞんざいに答えた。
「名を改めたということは、無事成人の儀も済まされたみたいですね。……ともあれ、せっかく王子自ら私を迎えに来て下さったというのに、恐縮ではあるのですけど、私は王都に戻る気はありませんので」
「どうしても、戻っては下さいませんか」
 王子はため息をついた。
「あなたが王都に帰還するその日を、国民一同首を長くしてお待ち申し上げているというのに。父王などは、あなたが失踪したことで、我が王国は神の恵みに見放されたのだと、日々まさに半狂乱といって良いほどに深く嘆き悲しまれ、国政もろくに手に付かぬありさまでして……」
「それで、わざわざあなたのような人がこんな所まで迎えに来てくれた、というわけね」
「そうです」
 彼はそういうが、王族に名を連ねる者が、供の者を一人も連れぬままというのも妙と言えば妙だった。そんな余裕がないほどの窮状なのだ、と言われれば納得も出来たが、それを言えば一人放り出しても構わぬような末の王子が迎えの役ということは、私のことを皆が待ちわびているという言葉の方が、少々眉唾物ではないかとも思えてくる。大勢で迎えに行くほどの価値もない、とばかりに皆私には失望しているのだろう。
「あなたが言うほどに、私の事はそれほど期待されはいないのではなくて? あなたも、末の王子だからと厄介仕事を押しつけられて、何だか気の毒にも思いますよ。……私が言うのも何ですけど」
「一人で来たのは、僕が一人で勝手に決めた事だからですよ。……公務ではなく、まったく個人的な思いから、あなたをお迎えに上がりたかったのです」
 私のやっかみに、王子は毅然とした面持ちのままそう答えた。
 そのようにまっすぐな物言いを突きつけられて、私は面食らうと同時に、困惑した。
「あなたが来てくれた事は、嬉しく思います。……でも、今のままの私が王都に帰るわけにはいかないのです」
 私はそういうと、おもむろに立ち上がった。石段を駆け上がって、崩れずに残ったままの柱が立ち並ぶ、大広間だった場所の中央に立つ。
 テト王子も、それとなく私の後を追って広間の脇に移動してきた。その場所から、私がこれからする事を黙って見守っていた。
 そんな視線を感じつつ、私はまっすぐに天を見据えると、両手を挙げ――そして、最初のステップを踏んだ。
 手順は、身体が覚えている。
 伴奏など無くとも、身体が自然とリズムを刻む。素足で砂に覆われた石畳を踏みしめ、ステップを踏み、軽やかに舞う。
 それこそが、《リマ》の称号を持つ者に代々受け継がれてきた舞いであり、それを舞う事が私に課せられた務めだった。
 これを私は、百数十年の長きに渡って踊り続けてきたのだ。今更忘れようにも、忘れる事など出来なかった。
 私の一挙手一投足を、テト王子がじっと見守っていた。楽士の伴奏も、大勢の観衆もなく、私は一人無言で舞い続けた。
 そして最後のステップを踏みしめたその瞬間――。
 遠くで、地鳴りが聞こえてきた。
 私たちが立っている神殿の床までもが、かすかに揺れるのが分かった。私は何が起こっているのか、地鳴りがした方を敢えて見ようとはしなかった。テト王子は何事かとばかりに慌ててそちらを振り向いたりしていたけれど……私は、見たくなかったのだ。
「うわ……これは大変だ」
 テト王子が、そのように声を漏らす。何がどう大変なのか、気にならないわけではなかったが……私は地響きがすっかり収まるのを待ってから、恐る恐るそちらを見やった。
 彼方の荒野の一角が、大きく陥没しているのがここからでもよく見えた。
 かなり広範囲にわたる、大きな災害だった。そこに通りがかっている旅人でもいたのであれば、ひとたまりもなかっただろう。
 さすがに犠牲者などは出ていなかったろうが――元より誰が通りがかるわけでもない不毛の荒野だ――私は何ともいたたまれない思いに囚われてしまった。テト王子が呆気にとられたまま彼方を見やっている、その横を私はうつむいたまま通り過ぎ、元の石段に腰を下ろす。
 背中に、テト王子の視線を痛いほどに感じていた。
「分かるでしょう」
 私は、吐き捨てるように言う。
「この土地も、確かに多少は痩せた、恵みに乏しい土地ではあったけれど、ここまで渇き果てた砂の海では無かったわ。私は本来であれば、今の舞いを通じてこの大地に、そこに住まう人々や生き物たちに神の恵みをもたらさなくてはいけないのに、今の私がいくら踊って見せても、こういう結果にしかならないのよ。……このまま王都に戻ったりしたら、どうなると思う? それこそまさに、神に見放されたような大災害に見舞われる事になるわよ」
 半ば捨て鉢になってそこまでまくし立てた私の言葉を一通り黙って聞いていたかと思うと、王子は深々とため息をついた。
 何を言われるのか――一瞬の沈黙が、私には永遠に思えた。針のむしろとは、まさにこういう瞬間のことを例える言葉なのだと知った。
「……分かりました。そういう事であれば、無理に王都に戻れとは言いません」
 王子の言葉は、諦めとも哀れみともつかないものだった。無理もない。私ははるばるここまでやってきた彼を、深く失望させてしまったのだ。
 でも……次に出てきたのは意外にも、私への気遣いの言葉だった。
「でも、こんな寂れた土地に一人きりなんて。どなたか、身の回りの面倒を見る者などはいないのですか? 食べるものとか、一体どうしているんです?」
「……それは、私の身体は、世俗のそれとは違うものだから」
「そうか。そうでした」
 すみません、と王子は申し訳なさそうな声で言った。背中越しに声を聞いただけだったけれど、そういう奥ゆかしげな物腰は、彼がまだ幼い子供だった頃と全然変わっていなかった。
 私の肉体は市井の人々のそれとは別種のものであり、そこに流れている時間にも差違はあった。私は王子がまだほんの幼い子供だった頃から知っている。
 そんな子供だった彼が、私を捜し求めて、何もない渇いた砂漠をたった一人で渡ってきたのだ。
 幼い少年は立派な若者に成長した。屈強な偉丈夫とは言えないまでも、腰に下げた黒い剣に、どこかから借りてきたような違和感などは全くなかった。勇ましくそんなものを振り回すような若者に育ったのだと、私は少なからぬ感慨を覚えていた。
 小さな坊やだったテト王子。その彼が立派な青年になるまでの間、私はあの薄暗い神殿の奥で、たったひとつ覚えたステップを延々と繰り返していただけだ。
 本当に、私の踊りに神の祝福などあったのだろうか。
 本当に、人々は私の舞いで、幸せを享受など出来ていたのだろうか。
 むしろ、現状のこの大地の荒れ方は、私の無力に対する天罰と言えた。もちろん私が役目を放棄しているからこそ、山河はこんな風に荒れ果ててしまったのではあるが……私の未熟さに怒りを覚えた神が、私を懲らしめようと世界をこんな風にしているのかも知れないと、私は思ったりもするのだった。
 そんな風に考え込んでいると……いつの間にかテト王子も大広間を下りて、石段を下って私の眼前に立っていた。私の顔を覗き込むようにして、あの子供の頃のままの眼差しで、こんな事を言い出すのだった。
「せっかくここまで来たんだから、王都に帰る前に、少し莫迦なお願いをしてみてもいいですか」
「お願い……?」
 私は思わず問い返していた。頼み事がどうのということよりも、敢えて『莫迦な』などと前置きする意味の方が私には気になった。そのような頼み事とは、一体なんだというのだろうか。
「僕ね。小さい頃から、一度あなたとワルツを踊ってみたかったんですよ」
「……なんですって?」
 私は思わず聞き返してしまっていた。あまりに予測の範囲外の申し出だったので、間の抜けた裏返った声を出してしまって。次の瞬間赤面してしまった。
 困惑する私に、王子はもう一度同じ頼み事を繰り返した。
「ですから、僕と一度、ワルツを踊ってくれないかな、とそう思ってみたのです。……どうです、これは本当にばかばかしいお願い事でしょう?」
「それは、まぁ……確かにそうね」
「幼い頃、何気なしに父にそのように話してみたところ、罰当たりなことを考えるな、と火がついたようにめちゃくちゃに怒鳴られてしまいました」
 王子はそのように言いつつ、苦笑いを浮かべた。
「どうでしょう? あなたも、それは途轍もなくばかげた、罰当たりな事だと思いますか?」
 そう言って、青年は私にそっと手を差し伸べる。
 私は何も答えずに、ごく反射的にその手を取っていた。差し出された手だから、そうしなければいけないという気がしたのだ。
 青年は私を優しくエスコートしてくれた。そっと手を引いて、私たちは元の大広間跡へと戻っていく。
 そのように誰かに手を引かれるなんて事、今まで経験したこともなかった。戸惑いっぱなしの私なのに、テト王子はまるで余裕の笑みを浮かべていた。私をいざなう素振りも、まるっきり板に付いたもので、それが何だか腹立たしくも思えたりしたのだが。
 あとはもう完全になすがままだった。神に捧げる踊りならば、ステップは完全に覚えているはずだったのに。一、二、三、二、二、三……まったく足がおぼつかない。今にももつれて転んでしまいそうな私なのに、テト王子は余裕で私の手を引いて、優しくフォローしてくれる。
 彼の優しげな微笑みが、ほとんど息のかかるような距離にあった。彼に誘われるまま、私はただ目を白黒させながら、慣れないリズムに追従していくので精一杯だった。
 楽士もいなければ、観衆もいない。ただリズムと旋律が――そこに本来は無いはずの旋律が、私と彼だけに聞こえていて――やがてそれが止んだ瞬間に、私は見事に足をもつれさせ、よろめいてしまった。
 思わず、王子にしがみついてしまう。急に倒れかかってきた私を、彼はその腕でしっかりと抱き留める。それを見やって、彼はまるで悪戯っ子のように、意地悪そうに笑うのだった。
 私は顔を真っ赤にしながら、慌てて彼から離れる。
「こ、こういうステップで踊るのは、初めてだから」
「でしょうね」
「……本当よ? 本当の本当に、初めてなんだってば」
「分かってますって」
 テト王子はそう言って、にやにやと満足げにほくそ笑むばかりだった。
 その王子の視線が、不意に広間跡の石畳の上に落とされた。
 ひび割れた薄い裂け目から、よく見ると一輪の小さな白い花が咲いているのが見えた。
 ……そんなもの、そこにあっただろうか?
 いいや、有るはずがない。この神殿跡の周囲四方、灌木がまばらに生えている他は、花らしい花など一度たりとも見たことがなかった。
 テト王子がわざとらしく問いかけてきた。
「ね、リマ・ディーナ。ここにこんなものって、咲いてましたっけ?」
「ええと……多分、最初から生えていたはずよ。うん、きっとそう」
 そうよ、きっとそう……自分に念を押すようにそう口の中で繰り返すと、私は敢えてその白い花から目を逸らした。
 見れば、神殿の周囲一面に、何故か同じ白い花がびっしりと群生しているのが見えたけど……それも、敢えて気付かないふりを決め込む事にした。
 何故急にそうなってしまったのかも、努めて考えないようにした。
 ……のだけれども。
 まるで何もかもを納得しているように、テト王子は悠然と微笑んでいるのだった。そんな彼と思わず目が合ってしまって、私は真っ赤になってうつむいてしまう。
 そんな私に、テト王子がこんな事を言い出すのだった。
「よければもう一曲、お付き合い下さいませんか?」
 冗談じゃない。私はこれ見よがしに、フン、とそっぽをむいて……でも結局は、彼が差し伸べた手をもう一度取るのだった。
「何でしたら、僕がステップを教えますよ」
「……そうね。知っていれば、いざという時に恥をかかずに済むかもね」
 私の精一杯の強がりの言葉に、彼はただは小さく肩をすくめるばかりだった。















あとがき

 えー、というわけでおよそ9ヶ月ぶりの新作でございます。てな具合に指折り数えてみて我ながらゲンナリしてしまいました(笑) 小説サイトの管理人なのにこんな生産性低くていいのか、自分……(汗)
 実はもう一本これより先に下書きまで書き上げた作品があったのですが、久々の新作なのに、また人様のイラストが課題だというのに、あんまり後ろ向きな内容だったりするのもどーなのよ、ということでそっちは破棄して新たに書き上げたのが本作だったり。何てこたぁ無い掌編ですが(掌編って分量でもないかも知れませんが)、皆様よろしくお願いしますです、ハイ。

(2006.5.29)