氷の星
作:シオン





 星が一つ、ありました。地球からは望遠鏡でも見えない、名前も無い星。小さく、目立たず、ただひっそりと息づく星。
 これは、そんな一つの星の、誰にも語られることの無いお話です。



 その星には、今となっては昔のことだけれど、生命体がおりました。人間とは少し違うけれど、知性はほとんど同じくらいの生命体が。

 彼らは自分たちのことを『エス・テストラント』と呼んでいました。地球の言葉で言うと、『星の神様』というような意味になります。
 そう、その星には、彼ら以外の生命体はありませんでした。この星の環境で唯一生きていけたのが、彼らのような生命体だったからです。ですから、彼らは自分たちのことを神様だと信じていました。この星の、この世界の、この宇宙の神様。この星も、他の星も、全てが彼らのものだと思い疑っていませんでした。


 星の大きさが問題であった為、その星には丁度千体のエス・テストラントしかいませんでした。それより多くても少なくてもいけない、彼らは固く信じていました。その為、厳しい条件のもとで人数制限が行われていました。ある一体が死ねば、その頃に生まれた一体の子供は生き延びることができます。しかし、それ以外の子供は生まれる前に殺されたりしてしまいます。そのようにして、彼らは千という数字を頑なに守り続けてきました。


 ところが、ある時彼らの千一体目の子供が生き延びるというミスが起きてしまいました。
親が自分の子供を守る為、規則に背いてこっそりと子供を産んでしまったのです。
 これは、大変な事態となりました。生まれてしまった子供を殺すのは、地球の言葉で言えば犯罪となります。人殺し、いえ、エス・テストラント殺しは死刑とする、という第一条の規律があった為、いくら人数制限の為とはいえどそれはできませんでした。
 けれど、彼らは千一体目の誕生をずっと前から怖れていました。今まで強情なまでに『千』を守り続けてきた為、もしも千一体目が生まれてしまったらどうすれば良いのか、対処の方法が全くわからなかったのです。

 結局、対応を迫られた彼らの長―この星で、『ティス・エス・テストラント』と呼ばれる『星の大神様』―は、困った挙句にその子供を地下の牢獄のような場所へ一生監禁する、という処置を取りました。
 この地下室、実はエス・テストラントたちにとっては世界で最も恐ろしい場所とされていました。『ナザ・ラザ』と呼ばれた『地下』は、『世界の死んでいく場所』として忌み嫌われたところだったのです。
 そのような場所で一生を暮らすというのは、死刑よりも残酷な刑と考えられていました。最も残酷で、重い刑罰。それが『ナザ・ラザ』に監禁することだったのです。


 さて、少女―その子供は、女の子でした―は、この刑罰のことを全く理解していませんでした。『ナザ・ラザ』がエス・テストラントたちにとってどのような場所であるか、自分がどのような存在であるか、そういったことを親から教わらなかったからです。ただ、いきなり両親から引き離されることは、とても悲しいことでした。

 少女はその牢獄で、独り寂しい日々を送りました。彼女の周りには、誰もいませんでした。この世界のことを教えてくれるものも、一緒に遊んでくれるものも、喧嘩するものも。好きになるものも、嫌いになるものも、愛するものも、憎むものも。何一つありませんでした。

 両親を想って泣いてばかりだった少女は、だんだんと泣かなくなりました。強くなったからではありません、心が欠けていったからです。痛みを感じなくなるのは、少女にとっては簡単なことでした。思い出さなければいい、忘れていけばいい。ただそれだけのことでした。
 そうやって、少女は忘れていきました。両親のこと、好きな食べ物のこと、大好きな家のこと、自分の名前のこと、自分のこと。全部全部、少女がじっと縮こまっているだけで、自然と忘れられていきました。


 しかし、ある時少女に変化が訪れました。
 身体が、真っ白になったのです。

 エス・テストラントたちは、例外なく灰色の肌を持っていました。この星の長であるティス・エス・テストラントもそれは同じ、皆が平等に灰色の肌でした。
 そんな中で、少女は真っ白な身体になりました。それは、まるで少女の心と同じ。何も無い空白のように、完璧なまでに少女は真っ白に変わったのです。

 それを最初に見たのが、牢獄の番人でした。少女に毎日水や食料を運ぶ係であった彼は、少女に同情し、しかし同時に嫌悪してもいました。ですからできるだけ少女に近づくことのないようにとしてきました。
 けれど、彼はほんの一瞬だけ、少女の方を見てしまったのです。

 彼の動揺と言ったら、それはそれは激しいものでした。この星のあってはならない存在の千一体目が、更に「あってはならない」色に染まっている。彼は驚愕し、動転し、わけのわからない奇声を発しながら凄いスピードで地下から出て行きました。


 こうして、男の理性の無い行動のおかげで、真実はあっという間に星中のエス・テストラントたちに伝わっていきました。

「『千一体目のあの子』が、真っ白な色になったって!」
「やっぱり、あの子はこの星に生まれるべきではなかったんだ」
「今からでも遅くない、殺そう!」
「そうだ、あいつを殺すんだ!!」

 いくら厳しい規律があったとしても、星中のエス・テストラントがそれを要求すれば、話は変わってきます。
 そして、遂に少女は死刑となりました。「死刑にしろ」、そう叫ぶエス・テストラントの声そのままに。



 少女の死刑が行われる場所には、きっちり千体のエス・テストラントたちが集まりました。『真っ白な千一体目のあの子』を見てみたい。全員、その好奇心は否めなかったのです。
 いきなり暗い地下牢から出されて、大勢の目の前に晒された少女は、それでも全く動揺していませんでした。いえ、何も感じることができなかったのです。ただ誰かに綱で引かれるまま、ふらふらと頼りない足取りで歩いていきました。

 やがて、死刑が執り行われる場所に辿り着きました。そこには一体のエス・テストラントがすっぽりと入るくらいの大きさの穴があって、そこに少女は生き埋めにされることとなっていました。
 死ぬ時ですら、少女は『世界の死んでいく場所』であるナザ・ラザに行かなければなりませんでした。そうでなければ、この忌まわしい『千一体目が生まれた過去』を完全に葬ることができない。それが彼らの、そして彼らの長の考えでした。


 長であるティス・エス・テストラントが、少女のあまりの白さに驚嘆の息を漏らしました。彼は、その白さを一瞬だけ、「なんと美しいのだろう」と思ったのです。
 それは、他の誰もが同じでした。驚き、混乱し、そして行き着く先は感嘆でした。「美しい」と思わず声に出すものもおりました。

 けれど、それは憎悪の気持ちでもありました。
「私の肌は、灰色なのに」「どうしてこいつは」「こんなにも美しい白」
「羨ましい」「妬ましい」「憎らしい」
 ……人間と、何も変わりません。美しいものを愛でる気持ちと、それを憎む気持ち。その二つは同じで、違って、表裏一体なのです。

 彼らはその罪深い少女を早く生き埋めにしろと騒ぎ始めました。ティス・エス・テストラントも、同じように複雑な気持ちにとらわれていました。ですから、即刻少女を生き埋めにするように、との命令を下しました。


 そして、少女は何の抵抗も無く、その穴にすっぽりと入りました。あとは上から土をかけていくだけで、少女は生き埋めとなります。
 少女はぼんやりと、他人事のように思いにふけっていました。

「やっぱり、真っ暗だわ」
「私はここで、死んでいくんだわ」
「どうして私、死ぬのかしら」
「私が他とは違って、真っ白だからかしら」
「別に私のせいじゃないのに」
「私が望んだことじゃないのに」

「私が望むのは、普通に皆と生きていくことなのに」


 少女は、久し振りに涙を流しました。誰を想うでもなく、自分の不運を嘆くでもなく、ただただ涙を流していました。


 パキパキ……

 小さな音が、穴の中で響きました。
 少女が「なんだろう」と見てみると、それは少女の足元から響いていました。

 パキパキ……

 それは段々と大きな音となり、固唾を呑んで成り行きを見守っていた観衆の耳にも届きました。

 パキパキ……

 それは、少女の流した涙がゆっくりと凍っていく音でした。
 異変に気付いた長が、急いで少女を引きずり出そうとします。けれど、既に少女の足元は氷で覆われていて、少女は足を動かすことができませんでした。

 パキパキ……

 氷はゆっくりと少女の身体を覆っていきました。穴の周りに集まってきた民衆は、皆驚きの声をあげました。
 氷は、そんなことはお構いなしとでも言うように、何もできない彼らの前でゆっくりと形を作っていきました。

 パキキッ

 千体のエス・テストラントが見守る中、とうとう少女は完全に氷に包まれてしまいました。
 透明な氷の中でうっすらと瞼を閉じた、真っ白い少女。光が氷に反射して、少女は眩く輝いて見えました。その光景は美しく、神々しくさえありました。

 その美しい彫刻を、彼らは涙を流しながら見つめ続けました。
 自分たちの罪を知り、醜さを見つめ、そして少女の孤独を想いました。

 少女を包むその氷は、触れると冷たいはずなのに、エス・テストラントたちの心をどこかしら温かくしてくれました。



 ―その後。また元通りに千体になったエス・テストラントたちがどうなったのか、知る者はいません。
 ただ、今この星には生命体が全くいないことは事実です。

 そして、この星のどこかには、今も少女が眠る氷があると言います。
 時が止まったこの星で、孤独にじっと息をひそめて。真っ白な少女はずっと、眠り続けているのです。


 もしかしたら、少女は待っているのかもしれません。
 この氷を優しく溶かしてくれる、誰かが現れるのを。ずっと。