鍛冶屋の値段 胡蝶
作:AKIRA





 関にいる孫六は、鍛冶屋である。
日々、刀を打ち込んで、魂を込めるのを生業としている。
 若い頃は、京で剣術に明け暮れ、剣術の妙技を持って、関に帰ってきている。帰ってからはずっと関で、ここから離れた事がない。
 新介という息子がいる。新介は、剣術をやったことは無いが、小さい頃から刀を友として過ごしてきた。ここ暫くは一人でも仕事をこなすようになり、若い弟子達もつくようになっていた。
 そんな新介にも家内と男の子がおり、今は一緒に暮らしていない。
「もうそろそろ、新介にも名跡を」
と孫六は日頃、その事ばかりを思うようになった。
 考えてもみれば若い弟子達に仕込む事のみで、暫くは自ら鎚を振るった事がないのだ。それゆえ、
 ――― 隠居しようか。
という往年には似つかわしくない寂れた気持ちが出始めている。

 そんな頃である。

 ――― 町に奇妙な男がいる。
どうも、きみょうというより、凶暴な性質の男らしい。
「その男は、どんな男だね」
孫六は、日頃の憂さ晴らしのように嬉々として、見合わせた、という太助に尋ねた。
「へい、それがなんとも薄気味悪い男でして」
「ほほう」
「まず、姿が異常なんでさ」
「どう、異常なのだ」
「そう、眼は落ち窪んで右目に大きな刀傷」
と太助は右人差し指で右目を斬る真似をし、
「で、右腕があるような、ないような。それで背格好が、丁度若さん程で、枯れ木のようなすらり、とした男でさ」
「で、格好は」
「格好、といえば白いしゃれこうべをあしらった着流しに、内から見えるのは女物の長襦袢」
「長襦袢、とは奇態な。よほどの風流な町人か、遊び人だな」
「いや、それが二本差しなんで」
 浪人であるらしい。
(会いたくなってきたな)
日頃の暇つぶしに丁度いいであろう、と思い始めた矢先である。
「人斬りだあ」
人斬りだ、と大声で呼ばわっている者がいた。
 孫六は太助を連れて外に出てみると、太助と仲の良い吉、という男が叫んでいた。
「あ、太助。やったよ。片目の浪人、やっちまったよ」
「何。・・・先生」
太助の言葉に孫六は頷いた。
「とにかく急ごう。・・・吉。悪いが、新にも伝えておいてくれ」
というなり急ぎ早に歩き出した。

「乾雲は、どこだ」
関の町辻で一人の浪人が大刀を振りかざして暴れまわっている。
 浪人の足元には、一人の百姓らしき男が無残にも右肩から左胸下までざっくりと割れている。
浪人を囲むように人垣の壁が出来上がり、浪人は左肩に刀を担ぎながら睨めまわしている。
(あれが、太助の言った男かえ)
孫六は、人垣の頭の隙間をぬって目をやった。
 たしかに、右目が無い、一見すれば隻眼隻腕の浪人である。すらり、と背が高いが、枯れ木のような痩せこけた風ではなく、むしろ鍛え上げた、全身がばねのような、無駄な贅肉がついていない感じがする。少し面長の顔の右半分を埋めた大きな刀傷は、その右目すらも断ち切ったほどの深さを推察できる。
(よほどの修羅場を潜り抜けてきたようだな)
孫六がそう感じたのは、あの浪人の全身から放たれる独特の雰囲気である。
まるで、餓えた狼のような禍々しい殺気は、かつての妖刀村正を髣髴とさせ、寄らばその全身が否応なく鱠のように切り刻まれるような戦慄を感じたのである。
「父上」
吉を伴って現れたのは、新介である。
「新、か。あの浪人、どう思う」
「あの片目の。・・・奇態な。あの殺気は何々ですか」
「ほう、お前も感じるか。あの殺気、只者ではないな。・・・しかし、ここらの人間ではなさそうだが、わかるか」
「いやあ、私には皆目」
「という事は、流れ者か。それにしても」
なんとも迷惑至極な男だ、と孫六は人垣の後ろで見ていた。しかし、
「『関の孫六』の名刀、『乾雲丸』をどこにやった」
という例の隻眼の浪人の言葉に、孫六の顔色がにわかに変わった。
「父上」
「いや、儂は知らんぞ。そんな乾雲などという刀は鍛えた事がない」
「しかし、『関の孫六の名刀』と」
「先代にも、先々代でも聞いたことが無い。恐らくは何かの勘違いであろう。が、一応聞いてみる必要はありそうだ」
と、孫六は人垣を掻き分けていってしまった。

 例の隻眼の浪人は、相変わらずいつ牙向くとはなく、威嚇している。
「これ、そこの浪人」
人垣から抜け出た孫六が、声をかけた。周り者が、一同に慄く。
「何だ、爺い」
「お前さん、さっき『孫六の乾雲』とかいったね。それは本当かい」
「何だと。俺が法螺でも吹いてるっていいてぇのかい」
「いや、そうではないよ。ただ、何か勘違いをしているんじゃないか」
と言い終わらぬうちに、浪人の刃は孫六の喉元におさまっている。
「・・・。手前ぇ、何者だ。邪魔しやがったらたたっきるぞ」
「そんな物騒なものは仕舞いなさい。・・・話は聞いてやるから」
うるせェ、と浪人は左で器用に振りかざした。孫六、肩口から一歩前に進み、左腕を掴み取るや、一挙にねじり伏せた。
(この爺ぃ、やる)
ねじり伏せられた浪人、さすがに片腕ではどうする事も出来ず、遂に刀を放してしまった。間髪いれず、孫六は刀の柄を踏んだ。
「お前さん、相当な修羅場を潜っているようだ。だが、この町ではこれ以上の無体はさせん。わかったなら、こちらに来なさい」
 関の役人が出てきたのは、丁度二人の決闘が終わった頃である。
「お前さん、えらく出てくるのが遅いね。儂が斬られていたらどうするね」
「いや、先生。どうも、準備に手間取りまして」
「やけにかかる準備だな。・・・ま、よかろう。儂はこの者に用があるから、家に引き取る。お前さんたちもついて来なさい」
 この時、すでに浪人の刀は腰に収まっている。
(よほどの手練、と見えるが、器用な御仁よ)
内心、孫六は浪人の剣技に舌を巻いた。尋常に立ち会えば、いかな孫六とて易々と勝てる相手ではないだろう。
「浪人さん」
「何でェ」
「その、腰のものをその男に預けなさい。・・・なに、別に盗ろうというわけではない。それに、あんたは人を一人、殺している。・・・新」
心得ました、と新介は浪人の腰から抜き取ろうとしたが、一つ奇妙な事に気がついた。
「もしかして。・・・」
「そうだ。俺ァ、右腕がねェんだよ。へッ、どこに落としたかも、見当がつかねえ」
浪人は、自嘲気味にうすら笑った。右目の傷が大きく歪んだ。

 この隻眼の浪人、隙を見つけては刀を取り返して、斬って捨てようと道中考えていたが、どうにも隙が無い。
まず、自分の目の前を歩く爺だが、背中から感じる圧力は早々に逃れ得るものではない。
(この爺、・・・何者だ)
一見すると、何のとりえも無い好々爺に見えるが、その底知れぬ威圧感は、並大抵のものではない。どれほどの修羅場を潜り抜けたのか、容易に察せられない。
 隣にいる、息子という男もそうだ。爺ほどではないにせよ、大概の男ならばその威圧に気圧されてしまうだろう。
「さあ、ついたぞ」
不自由そうに見上げると、町に似合わぬ大きな屋敷にたどり着いた。どうも、この「爺」の家であるらしい。
「さ。・・・お前さんは客人ではないから、こちらの土間においで貰おうか。・・・お役人、儂の質問を先にしてもよろしいかな」
 例の浪人を土間の柱にくくりつけてしまうと、返す刀で役人に尋ねた。何せ、捕らえた本人であるから、役人達もさすがにこれには先を譲らざるを得ない。
「うーん」
と、孫六、一言唸って
「・・・そういえば、お前さんの名前を聞いていなかったね」
「・・・姓は、丹下。名は、左膳」
丹下左膳、というのがこの隻眼の浪人の名前らしい。
「なるほど。・・・では聞こう、左膳とやら。お主、『関の孫六の名刀、乾雲丸』と言ったね」
左膳、わずかに顎を引いた。
「それは、どういう刀だね」
「・・・手前に教える筋合いじゃあネェ」
「まま、そう言わずに」
孫六は宥めたが、左膳と申す浪人、ぷい、と顔を背けた。役人が出張ろうとするのを、孫六は手で制した。
「・・・仕方あるまい。ならば、言おう。お主の申す『乾雲丸』という刀は無い。儂がはっきり断言する」
「何ィ。なんで手前がそれを言える」
「なんで、とはしたり。儂こそがお主の申す『関の孫六』さ。私で三代目だ。そして、お主の刀を取り上げたのが、倅の新介さ」
左膳の左目が大きく見開き、忙しなく動いている。
「・・・いや。あるはずだ。絶対に『乾雲丸』はある。なぜなら、俺が差してたからな」
「これのことなのか」
と新介は黒拵えの太刀 ―左膳の腰に差してあったものだが― をかざしたが、左膳は激しく首を振った。
「違ゲェ、違ゲェ。『乾雲丸』ってなァ、陣拵えの太刀作り、鞘は平糸巻き、赤銅の柄に刀には叢雲の彫り物が仕込んである大刀ってェ代物だ」
(赤銅の柄。・・・)
はて、どこかで。・・・と孫六は未だ衰えを知らない記憶を頼りに、頭の中でその「赤銅の柄」を蔵の中から探している。近くでは、二人が言い争っている。
「いい加減な事を言うなよ。現に父上が無い、と断言されたではないか」
「へっ、知らないってェなァ。・・・本当の『関の孫六』かよ」
左膳の言葉にさすがの新介も激高し、手に取っていた刀を抜くや、斬りかかろうとした。
「新。ここでの争いは許さん。・・・お前は蔵を見てきなさい。・・・左側の古ぼけた方の蔵だ。その中に赤銅色の柄の刀があったような気がするのだ。とにかく、探してきなさい」
と、孫六は新介に蔵の鍵を渡した。
 新介は不承不承ながら裏手に向かった。
「ま、蔵を調べればじきに分かる事だ。・・・事に左膳とやら。お主、そもそもどこから来た。少なくとも岐阜のご城下の人間ではあるまい。・・・おそらく江戸だろう。違うかい」
「ああ、今は江戸にいる。が、根っから江戸じゃねェ」
「ほう、ではどこの生まれで、今まで何してた」
「俺ァ、元は相馬中村藩六万石の家臣だった。だが、侍の暮らしに辟易しちまって、脱藩した」
「という事はだ、おぬしのその傷は。・・・」
そうだ、と左膳は頷いた。
「・・・。まま、お主の身の上は分かったとして。お主の言っている『乾雲丸』という刀はどういういきさつの刀だね。孫六の鍛えた刀だというが、儂には皆目見当がつかない」
孫六の記憶の中にある「赤銅の柄」が果たしてこの隻眼のいう『乾雲丸』なのかは分からない。そもそも孫六自身、先代から、あるいは先々代からもそのような話を一切聞いたことが無いからだ。
「実はな、俺にもわからん」
「何だと」
「まァ、聞けィ。そもそも乾雲丸は脇差の坤竜丸と一対になっている。この二つが相揃って枕してるときは別段平穏なんだが、離れ離れになっちまうと血屍山河を築く。・・・そんな厄介な代物だそうだ」
「ならば今は離れ離れになっていて、一人殺した、という事かえ。迷惑千万な刀じゃの。・・・まあ、よいわさ。ここに無ければお主はすぐに奉行所行きだ。・・・新を待つしかあるまい」
 暫く待つ事、新介が裏手から戻ってきた。抱え込んでいるのは、孫六の記憶どおりの赤銅色の柄をあしらった太刀であった。
「父上。・・・」
「あったか。古い蔵の方か」
孫六の問いに新介は神妙に頷いた。抱えていたのは、陣拵えの大仰とも云える大きく反った太刀であった。
 孫六は赤銅の太刀を抜き放った。丁度、鍔から立ち上るように二筋の叢雲の彫りが施されている。左膳という眼前の浪人が言った代物と寸分違わない。
(まさか、とは思っていたが)
これにはさすがの孫六も驚いたらしく、暫くは呆然と叢雲の彫りを眺めていた。
一同が戸惑っている中、唯一歓喜の声をあげたのは、柱に括りつけられている左膳であった。
「へっ、やっぱりあったじゃネェか。・・・おい、それさえ手に入りゃ用はネェ。早く縄、ほどいてくれよ」
「駄目だ。そもそもお前さん、自分で何したのか分かっていないのかえ。お前さんは人を一人、殺してるんだぞ。そんな危ないお前さんにこれを渡して逃がした、とあれば虎を野に放つようなものだ。断じてならん」
孫六が珍しく声を荒げた。
「先生、もうよろしいですか」
役人が奉行所まで連れて行きたい、というのである。
よかろう、ただしくれぐれも気をつけなさい、と孫六は新介を付けて用心とし、左膳を奉行所に送った。

 この左膳の騒ぎからおよそ十日程経た頃である。
関は、実に平穏であった。
 奉行所に送られた左膳は、沙汰が出るまで牢屋敷で預かる事になっている。
問題となった例の『乾雲丸』は、というと孫六が蔵から出したまま鍛冶場に置いている。
 あの一件があってからというもの、新介も久しぶりに孫六と共に起居している。用心棒をかってでているつもりのようで、孫六には何かこそばゆい気持ちがしないでもない。
新介と二人揃っての仕事は中々単純ながら、久しぶりに何やら新鮮な気持ちであった。
 この時代にもなると孫六のみならず刀鍛冶は軒並み一種の芸術家然として、名刀はその所有者の自慢の種程度のものであったが、血を吸うよりはよほどましであろう。
 この時期の孫六の仕事、といえば主に鍬や鋤、といった農業工具を中心に生計を立てていた。無論、刀や槍を鍛える事もあるが、それはごく少数でしかない。
「しかし、先代はなぜあの刀の事を教えてくれなかったのか」
孫六は鋤の先を磨きながら呟いた。
「父上、もしかすれば知らなかったのかもしれません」
「確かに、蔵にはあれだけの差料があるだけに伝え漏れたのかもしれん。しかし、それをあの浪人がどうして知っておったのだ。それが不思議で気味が悪い」
「確かに、そうですね。・・・。」
「それにだ、あの浪人が申しておったであろう。『坤竜丸』という脇差も気にかかる」
と、孫六は徐に立ち上がり、膝あたりをはたくと、すぐさま土間に向かった。
「父上。どこに行かれます」
「知れた事よ。牢屋敷までさ」
そういうなり孫六は鉄の買い付けにでもいくような素振りで番屋に向かったのである。

「爺さんが、動いた。栄三郎さんに伝えて来い」
どこかの剣術の道場にでも通っていそうな若い侍たちが、丁度孫六宅の玄関から死角になる岩陰に潜んでいた。
 どうやら、爺さんというのは孫六の事らしい。
何人かいる侍衆のうち、もっとも小柄な男がすぐさまその場を離れた。
 暫くして、先ほどの男が連れ立って戻ってきた。
背はゆうに五尺を越えようほどで、体格も申し分なくつりあっている。目元は涼やかながら一本、凛、とした爽やかな厳しさを持ち合わせている。単なる優男ではなく、誠実と清涼を絵に描いたような男である。
 ようやら、この男が栄三郎、という男らしい。
「爺さんが出て行ったのはまことか」
声も凛として響きがいい。
「はっ。二振りとも、あちらにあるものと」
「確かめたのであろうな」
「いえ、それが」
「出来なかったのか」
「申し訳ない。しかしながら、あの宅が孫六殿の宅である事には間違いなく、もしあるとすれば」
「あるとすれば、あの宅の中か。・・・ご苦労だった」
「諏訪殿。今踏み込めば容易に手に入る事が出来申す。押し込んでは如何」
「いや、それはなるまい。それに、我らの事を説明するとなると、骨が折れる」
ふむ、と栄三郎は腕を組んだ。
(正面から乗り込むか)
栄三郎がそう思い至った時、すでに体は孫六の宅の前であった。
 そうとは知らぬ孫六である。
牢屋敷は、孫六の宅から目と鼻の先で、長屋の如き通りを抜け、店の並ぶ通りを横切って、町の中心を北東に外れると見えてくる。仰々しい建物である。
 江戸の小伝馬町の牢座敷に比べれば規模をずっと小さいのだが、それでも奉行や代官の役宅よりずっと大きい。
 孫六は門番に左膳の一件によって来た事を告げ、取次ぎを願った。
暫くして左膳自身をしょっ引いた役人が奥から現れた。
「ああ、どうもどうも。わざわざ御用、とは」
「あ、いやいや、やつに聞きたい事があってね。それよりも、大人しくしておるかね」
「いえいえ、全く。相変わらず『乾雲を持って来い。ここから出せ』の一点張りで」
「まあよいわ。わしに会えばやつも少しは大人しくなろう」
「それは有難い事ですが。・・・聞きたい事、っていうのは『乾雲』とかいう刀の事ですか」
「それだけではないのだが、まあ似たようなものだ。・・・案内してくれるかえ」
と、孫六と役人は牢座敷に向かった。
 牢座敷には色々な囚人が数人、共同で起居している。
しかし左膳はその凶暴な性格と、思わず後ずさりをするほどのの怪異な風貌とで、囚人達と諍いが絶えず、一人だけ別の独房に入れられている。
「しかしながら、なんだってこんなところに。・・・『乾雲』と『坤竜』を素直に渡しゃ、すぐにでもおさらばするってのに、なんで」
と左膳は窮屈そうに天井を見上げながら、
「こんなところに居なきゃイケネェんだィ」
と悪態をついた。
「それほどの元気ならば、大丈夫だのう」
声の方向に目を向けると、老人が立っている。孫六である。孫六は左膳の前にしゃがみ込んだ。
「何だ、爺。何か用か」
「そうだ。用が無ければこんな所へは来ぬわ。ひとつ聞きたい事があってのう。いや、お前さん、何故、儂の知らぬ刀を知っていたのだ。それがどうも気に掛かってな」
「んな事ァ、知らねェよ。ただ、関の孫六が鍛えた刀だ、って事を聞いていただけだ」
「そうか。それと、『乾雲丸は脇差の坤竜丸と一対になっている』と、そう言ったね。その坤竜丸とはどういう刀だね」
「・・・冥土土産に教えてやる。赤銅の柄に陣太刀作りで、鞘は平糸巻き。ここまでは同じだが、なかにある鎬の彫りが違う。『乾雲丸』は叢雲だが、『坤竜丸』は上り竜の彫りがある。・・・それがどうかしたかい」
「最後に一つ。お主以外にこれを知っているものは居るのかえ」
「・・・。俺以外に欲しがっている奴はいる。元々の持ち主である小野塚鉄斎なる剣術の爺の弟子で、諏訪栄三郎ってやつだ」
「すわえいざぶろう」
「そうだ」
「どんな御仁だね」
「・・・。聞いてどうする」
「知れた事よ。縁も所縁もないお前さんが、儂の知らぬ刀を知っておる。こんな不可思議な事はあるまい。だとすれば、誰か他に知る者がおっても不思議ではなかろう。で、どのような御仁だね」
「・・・。俺とは似つかぬ野郎さ。目元涼やかで凛々しく、武士、ってやつの典型さ。・・・思い出しただけで反吐がでらぁ」
「確かに、聞けばお前さんとは合わぬ御仁のようだ」
と、孫六は膝を伸ばして扉に向かっていった。
 ここから出してくれよ、と左膳は叫んだが、孫六は一言、儂に出来るはずがあるまい、と背中越しに呟いた。

 頼もう、という詩吟のような朗々たる声が土間の引き戸を越えて新介の耳に入ったのが、日も落ちよう、という暮れ六つの頃である。
新介は、というとすでに工房を出、板敷の囲炉裏で一服していた。
 はい、と返事をしながらも左膳の一件もあってか、脇差を一振り腰に差し、引き戸を引いた。
丁度、西日が差し込み、訪問者の顔が見えなかったが、どうも一人ではないらしい。
 その内、一番手前の影―声の主であろう―が口を開いた。
「拙者は諏訪栄三郎と申す者。失礼ながらここは孫六先生のお宅でよろしいですか」
 新介はさりげなく柄に手をかけながら、
「父なら生憎出ておりますが」
「ああ、そうでしたか。実は『乾雲丸』と『坤竜丸』という二振りの刀があることを聞いて伺ったのですが」
(左膳と同じような事を)
この「影」は言っている。もしかすると、仲間であろうか。それにしては毛色が余りにも違いすぎるような気がしないでもない。
「なぜ、その事を」
「実はその二振りは、元々我々神変夢想流の云わば『宝刀』というやつでして、それがある浪人によって盗まれてしまいました。それでその浪人がこの町に来ている事を風の噂で聞きつけ、馳せ参じた次第」
「その浪人、とは丹下左膳殿の事でしょうか」
「ええ。隻腕隻眼でやせ浪人の。・・・という事はやつはここに来たのですね」
「ええ。しかも、人を一人斬りました。・・・今は、牢屋敷に入っていますが」
そうでしたか、と栄三郎は唇を噛んだ。
「・・・どうぞ」
新介は柄から手を離し、中に誘った。
 諏訪栄三郎と名乗った男は、共を表に待たせると御免、と軽く頭を垂れ、颯、と宅に身を入れた。
(ほう)
と新介は心の中で唸った。栄三郎の身のこなし、挙措に別世界を見た心地がしたのである。
「ささ、こちらへ」
新介の勧めるままに、栄三郎は囲炉裏を囲った。
「しかし、左膳殿といい貴方といい。一体どうなっているのか、父子共々全く分からぬ事ばかりなのです。そもそも乾雲、坤竜という二振りの刀は当の孫六本人ですら知らなかった事。それを何故、貴方も含めて全くの部外者が知っているのか。それに、貴方のいう『神変夢想流の宝刀』という事も分からない。もしですよ、もしこれが」
と新介は、鍛冶場に置いていある乾雲丸を持ってくると、
「貴方達のものであるとするならば、何故ここにあるのか。・・・分からぬ事ばかりなのです」
「そ、それは。・・・もしかすると」
「そう、貴方が仰っておられた乾雲丸です。ここに乾雲丸があるならば、蔵を探せば坤竜丸とやらも出てくるかもしれませんがね。話していただけますか。あなた方の事、左膳殿の事。知っている全てを」
「・・・そうですね。先生もいわば巻き込まれた当事者。知るべくはあるでしょう。しかし、これは先生にもご同席いただいた上でお話したいのです」
「わかりました。父上にもそうお伝えしましょう」
栄三郎は明日の明け四つに出直す事を約束した。

 そして、明くる日の、明け四つ。孫六父子は、すでに起き、朝餉を迎えていた。
「新、その『諏訪栄三郎』というのは信用できるかえ」
「まだわかりません。が、嘘をいうような人物ではない、と私は見ましたが」
「儂はまだそやつの顔を知らぬが、左膳に聞けばあやつは正反対のような御仁らしい。そこにお前がそういうのだから、信じるとしようか」
 二人は囲炉裏の挟んで向かい合いながら朝餉を迎えていた。奥には新介の家内が世話をしてくれている。
表戸から、御免、諏訪栄三郎でござる。孫六先生はご在宅か、という相変わらずの朗々たる声が聞こえた。
 新介が戸を引くと、昨日の諏訪栄三郎が供を率いていた。
「諏訪でござる。・・・奥にいらっしゃるのが孫六先生とお見受けしたが、相違ありませぬか」
「ええ。こちらに上ってください」
御免、と栄三郎は軽く頭を下げ、敷居を跨いだ。
 囲炉裏の西側、丁度下手に当たる孫六と相対峙する格好になった。
「まず、我々と丹下左膳の因縁からお話しましょう」
「うむ、それだ。きゃつはお主を知っておった。無論、嫌そうな顔をしてはおったがな。ということはお前さんも、刀のくちかえ」
「その通りです。乾雲、坤竜は神変夢想流、小野塚鉄斎先生が差しておられたものであり、以降いわば我らの守り神とでもいうべき宝刀でした」
「その小野塚某、という名前も左膳から聞いておる。お主の師匠であろう」
「はい。我ら神変夢想流は年一度、内試合を行います。その時一番になった者がその二振りを持って剣舞を披露する、そういう事になっております」
「そこへ、あの片目が割り込んできた」
孫六の問いに栄三郎は頷いた。
「『乾雲、坤竜を賭けて勝負としゃれこもうじゃネェか』と道場の看板を担いで踏み込んできたのです。嫌なら道場の看板を頂いて帰る、とまで言いました」
「で、お前さんが請け負ったのだね」
「はい。結果からいえば引き分けでした。しかし、左膳は隙を見計らって、『乾雲丸』を盗んだのです」
「わからん」
「はあ」
「お主の言う事はほぼ合点がいく。しかし、なぜ江戸から遠く離れたこの町なのか。それにだ、もしお主のいうふた振りの刀がここにあるのだとしたら、どういう道筋でうちの蔵にあったのか。儂にはそれが皆目わからん」
「先生の仰るとおりです。実は、左膳が『乾雲丸』を盗まれた際、わが師匠である小野塚先生から『坤竜丸』を預かっておりました。しかし、この町に入ってから、私の腰から『坤竜丸』が消えていたのです。もしや、あるとすれば二振りを鍛えられた孫六先生のところになら、あるやもしれずと思い、来た次第」
「そうであったか。しかし、何でそう思ったのだね」
「それは、孫六先生がお鍛えになっているからです」
「儂は、鍛えた覚えが無いのだよ」
「ええ、そうでしょう。しかし、先生がお鍛えになっているのです」
「・・・不思議な事を言うのだね、お前さんは。何故分かるのだね」
「それは、後になれば分かります。必ず」
と栄三郎は不思議な笑みをこぼした。
「・・・よく分からんが、これ以上言っていても埒が明かん。・・・ついてきなさい」
と孫六が二人を伴って赴いたのは、裏手にある二つの蔵である。その内、左側の古ぼけた方の蔵の鍵を開けると、中に入っていった。
 かすかに入ってくる日光を光明とし、孫六はそこいらに眠っている刀の柄をかざして見ては元に戻している。
「父上」
「入ってこずともよい。いつぞやの時もこの蔵から見つかっておる。だとすればだ、もしかすればここから見つかるかもしれぬ」
「成程」
「・・・。というておる間に、新、見つかったぞ。多分、これであろう」
孫六が手にした赤銅の柄が施された脇差を抜いてみると、案の定、今にも飛び出さんとするような竜が彫られていた。「やはりな。栄三郎さん、一応おぬしも見てみるかえ」
栄三郎に手渡すと、栄三郎の表情に安堵が浮かんだ。
「ええ、これです。間違いありません。まさしく『坤竜丸』です」
「二振りとも此処にあった。・・・それぞれが持っていたはずの刀が」
「とにかく戻りましょう。話はそれからでも」
新介の言葉に二人は頷いた。

 三人が頭を突き合わせながら『坤竜丸』をじっ、と睨んでいる。
「覚悟はしておったが。・・・こうして実際に拝んでみるとどうにもしようがないわい」
「確かに。・・・父上、本当に御存知ありませなんだか」
「先代や先々代からは聞いた事がない。それに、あれだけの数だ。もれても不思議はなかろう」
「しかし、元々は栄三郎さんの剣術の道場に置いてあった代物でしょう。それが、なぜここに」
「さあ、それだよ。どこをどう回ってうちの蔵にあったのか。皆目分からん」
孫六父子は考えあぐねていた。そこへ、
「先生、先生」
不意に、土間から声が聞こえた。太助の声である。
「開いている。入ってきなさい」
言うや否や太助が息せき切って飛び込んできた。時折、えずくほどである。
「どうしたのだ」
「先生、牢破りだ。片目の浪人が」
「何ぃ」
孫六はとっさに例の二振りを押っ取り刀に破られたという牢屋敷に向かった。新介、栄三郎もこれに続いた。

 三人が番屋に着いたとき、番屋はすでに荒らされており牢番の屍が数体、転がっている。
「来たかェ」
 何処となく聞きなれた声である。左膳の声であった。
「ジジィ、持ってきたか。・・・二本ともたァ御揃いだな。・・・手前。諏訪じゃねェか。こんな所で何してやがる」
「黙れ。丹下左膳、一度ならず二度までも罪のない人を斬るとは。・・・許せん」
「待てよ、待てよ。元を糺せばだ、そこのジジィが素直に『乾雲』を渡せば俺があんなせまっくるしい所に入る事も無かったし、こうやって死ぬ事もなかったんだぜ」
左膳、血に染まった刀の鎬で肩口を軽く叩きながら言い放った。
 おのれ、と諏訪、刀の柄に手をかけた。刹那、孫六が柄を押さえる。その力は凡そ老齢とは思えぬほどの力であった。
「先生」
「ここは私に任せなさい。この二振りとも知らぬ事とはいえ『関の孫六』の刀。ならば、この尻拭いも儂がせねばなるまい。それに、もし万が一、儂が斃れた時に、あんたが代わりにきっと始末をつけてくれればよい」
 孫六は手にしている二振りを腰に差し、うち『乾雲丸』を抜き放った。
その瞬間、鋼が擦れた高い金属の音が響き渡った。刀身は程よく濡れており、光に当たると鮮やかな群青がはっきりと映った。
「止めときな。ただでさえ老い先短けェ命を無駄に散らすことはあるまいよ」
左膳は、刀の切っ先を振ったが聞くような孫六ではない。
平正眼に構え、じっ、と左膳を見据えている。
「・・・。しょうがねェ、爺ィ、覚悟しな」
左膳も左手一本で、正眼に構えた。切っ先がぶれてないのが、この男の膂力を物語っている。
 左膳は、すり足で間合いを詰めながら振り下ろした。しかし、孫六は、逆に間合いを詰めながら刀を寝かせ、一挙に左膳の右わき腹目掛けて振りぬいた。
 新介と栄三郎は身動ぎ一つせず、行方を睨んでいた。
「やりゃあがる」
左膳、一言ぼそり、とつぶやくと大きく膝をついた。支える刀が今にも折れんばかりに鳴いている。
 孫六の表情は怪訝であった。
「おかしい。・・・左膳よ、お前さん、生きているね」
「父上、何を」
「いや、確かに手応えはあったのだ。肉を裂き、臓物を斬った感触が確かにあった。・・・しかし、やつからは臓物どころか、血一滴すら垂れておらぬ。刀もこの通りだ」
孫六は新介に向かって『乾雲丸』を翳してみせる。なるほど、血糊どころか刀身は抜いたままの時のようである。
「しかし、父上。現に左膳殿はああして」
「だからわからん、と言っておる。・・・足があるから物の怪の類であるまいに」
「俺ァ、・・・物の怪でもねェ。・・・斬られ、たよ」
左膳は崩れ落ちるように斃れた。刹那、左膳の身体がぼんやりと薄紙に包まれるようにして消えてしまったのである。
「な。・・・」
孫六も新介も、ただ呆然と見過ごすしかなかった。
「これで、終わりました」
二人が後ろを振り返ると栄三郎が、左膳と同じように薄ぼんやりとして、今にも消えそうである。
「栄三郎さん。終わった、とは」
「新介さん。実は私も、左膳も存在してはならない人間なのです。この時代の人間ではない。多分ですが、こうして私が消えかかっているのはこの時代のどこかで殺されたからでしょう。そして、左膳も今、ここで殺された。これで全てが元通りとなる」
「では」
「ええ、その二振りも本来ならば『今』存在していないはずなのです。これからはどうなるかは、わかりませんが。しかし、少なくともこれで全てが終わる」
栄三郎が孫六の腰を指した。孫六の腰から『坤竜丸』が消えており、『乾雲丸』もその手からすでに消えていた。
「・・・。何の事だかわからんが、お前さんがそういうのならそれでいいのだろう。とやかくは言うまい」
「私も、父上と同じです」
「新介さん、それに先生。ありがとうございました。左膳もこれで満足でしょう。では、さらば」
栄三郎は掻き消えてしまった。
「父上」
「ん」
「何だったのでしょうか。この幾日は」
「さあ。大方、二人して狐につままれたのであろうよ。だがな、この儂の両手には、確かに斬った感触、それも生々しいやつが残っておる。儂は、それを信ずるよ」
二人は、空を見上げた。鳶がくるり、と輪を描いていた。

 あの不思議な騒動から半年余りが経った。
その頃になると、孫六も新介も、かつての左膳の騒動はすっかりと忘れ、久しぶりに刀を二振り、二人で鍛えている。
「そうだ。新介、この二振りも出来上がった事だ。どうだ、彫りでも入れてみようか」
「彫り、ですか。よろしいですが、どんな彫りを」
「こいつには」
孫六は大刀の方を取り上げ、
「・・・雲だ。入道雲のような彫りを施せばよい」
「わかりました。では、そちらの脇差の方は」
「・・・『雲を掴む竜』。こっちには、上り竜を彫ればよかろう」
と孫六は言ったが、新介は、どこか怪訝な表情を浮かべている。
「どうした」
「あ、いや、どこかで聞いたような。・・・」
「気のせいだよ、気のせい」
「・・・。そうですね。早速、彫りましょう」