!勇者カナ姫!〜五色のミサンガ〜 プロローグ
作:鈴羽みゆう





 その日は、とても静かな夜だった。
 丸く、遠く、どこまでも広がる夜空には星、その空の下には木々。風も軽く頬をなでるくらいの強さで、草や葉をざわめかせるには程遠い。
 そう、聞こえる音といえば、海の、なんとも心地よい波の音。
 そんな静寂に囲まれた、一つの王国。
 トワライトブルー。
 波を象徴とした旗を立てた城。美しい城下町。今は明かりが灯っていない家々。
 真夜中。昼とはまた違う空気。こんな様子を見ていたのは、ただ一人、トワライトブルー城の一室にしかいなかった。
 それは十二歳の少女。この王国の王女。
 彼女の名前はカナコ。カナコ・トワライト。
 純白の肌に大きなふたえの瞳。長いまつ毛はくるりと巻いて、形がいい。
 漆黒の髪はその白い肌と対照的で、かつ綺麗な色合いを生み出している。少し喋ろうと思えば、薔薇の花びらの唇から細く高く、小鳥のような声が漏れる。体は小枝のように細い。
 姫と言う名に相応しい、美貌を持っていたが。
 カナ姫はお転婆、世話焼き、しかもおっちょこちょい。食欲もすさまじい。
 こんな性格なものだから、毎日毎日脱走や問題を起こし、城じゅうが引っ掻き回されているのだ。
 それでもどこか憎めず、皆に好かれている、不思議な魅力を持った持ち主だった。
 本人はまるで気づいていないが。
 そう、今も。
 カーテンの揺れる窓から黙って外を見ているカナ。その頭の中には、やはりとんでもない計画が練られていたのだ。
 こんな夜中に起きているくらいだから当たり前といっては当たり前なのだが。

「今夜こそは……絶対、冒険に出るんだから」

 ぽつりと呟く。決心に満ちた声で。
 その瞳にはこれからやることに対する緊張感と、冒険に対する好奇心が燃えていた。
 ふぅ、と息を吐き出して、着ていたネグリジェを脱ぎ去る。下に着ていたのは、どこででも手に入るようなTシャツとスパッツ。
 カナは小遣いのありったけを全部袋に詰めて、ベルトをつけ、袋をベルトにさげた。
 普段使っている靴では歩きにくくて仕方が無いので、汚い運動靴を変わりに履く。

 すぅ。はぁ。
 深呼吸を一つ。

 逸る心を落ち着かせ、窓枠に足を掛ける。そこからの出来事はまさに「あっというま」だった。
 まず目の前の大きな木の枝に飛び移り、そこからさらに次の木へ。門番に見つからないように枝と葉の陰に隠れながら、木と木の間を次々に移動していく。
 城壁を越えたところで、やっと木から地面に飛び降りる。身軽なカナは、これを三分もかからずやってのけた。
 それからはもうひたすらダッシュ。城下町を駆け抜ける。
 静かな町に響く足音。映し出される自分の影。走ったことによって弾む息。
 夜中に抜け出したことはまだ一度もなかったから、これらの全てが嬉しかった。
 ようやく町を抜け、カナは走るのをやめた。今度は呼吸を整えながらゆっくりと歩く。
(やった。脱出成功。あとは夜明けまでに、村につければ大丈夫だ。)
 カナは安心し、空を見上げてにっこりと笑った。


 何故、カナは、急に夜中の脱走などを試みたのだろうか。
 それは、先ほど呟いた言葉どおり。「冒険」……その二文字のため。
 生まれつき、そういうのを求めずにはいられない性分なのだ。しかも、一度決めたらやらないと気がすまない。
 今までも何度も脱走をした。だけどそれは短いもので、せいぜい隣りの村までいくくらいだった。
 けど、今回は違う。旅をするのだ。長い、長い旅をしながら、たくさんの冒険をするのだ。
 それが、カナの目的―――


 ぼんやりしていた。これからの冒険のことをあれこれ考えていたからだろうか。気がつけば、だいぶ町からは離れていた。
 振り返っても、あるのは草と木の道だけ。
「父さま、母さま、ごめんなさい。でも、あたしはどうしても………」
 言いかけて、口をつぐんだ。そばの茂みが、がさがさと音を立てたのだ。
「……?」
 立ち止まってその場所を見つめる。相変わらず、茂みは動いている。
 と。
 突如、何か黒い影が飛び出してきた。とっさに身を引き、距離をとった。
 カナは見た。月明かりに照らし出されたそれは、汚れた灰色。犬ほどもある化けねずみだった。真っ赤な目を鋭く光らせ、大きく裂けた口からは透明な液体がたれ続けている。
 いきなりのことに、カナは呆然と立ち尽くした。なんだこれ? ………
 大ねずみが飛び掛ってきた。あっけにとられていたカナは反応が遅れ、慌てて転がってよけたときにはTシャツの肩が裂けていた。
 しかしそれを気にする間もなくまた大ネズミが襲い掛かってくる。カナは避け続けながら、パニックになる頭で必死に考えた。
 いったい、こいつはなんなんだ?何で急に、こんなありえないもんがでてくるのっ!?
 でもでも、そんなことより…この状態を、どうやって切り抜ける?
 スパッツのポケットを探る。何か、何か無いか。と、右ポケットに突っ込んだ手に、硬いものが触れた。
 掴んで引っ張り出すと、金色の柄がでてきた。――ナイフだ。
 王家の紋章が彫ってある。色々と役に立つだろうと、昼間用意したものだった。
 もう考えてる暇はない。爪を光らせて襲ってくるねずみに向かって、ナイフを突き出した。

 ぐさり。

 鈍い音がする。続いて、大ねずみの叫び声。
 刺したところから真紅の血が飛び散り、服にしみをつけ、ナイフの柄に埋め込まれたルビーが、さらに赤く染まる。
 思わず顔を歪めた。
「うぇ………」
 目を逸らしたくとも逸らせない。意思とは反し、手が勝手に動いて、ナイフは上にねじり上げられた。こうでもしないとまた襲われると、考えなくとも本能的に動いたのだろう。けれどもその嫌な感触に鳥肌がたった。
 ナイフを引き抜く。大ねずみがどさりと倒れる。
 大ねずみは動かない。僅かに痙攣しているだけ。草と土だけの地面に、血が広がっていく――
 カナは、自分で自分の体を、ぎゅっと抱きしめた。震えているのが解る。襲い掛かられたときにはこなかった恐怖が、今ここできたのか。それとも、生き物を殺してしまったことに対して、動揺しているのか。
「大丈夫、落ち着いて……落ち着いて……」
 何度も息を吸って吐いているうちに、震えはおさまってきた。それでも、あの嫌な感触がまだ体中を渦巻いている。手もナイフも血で真っ赤になっている……。
 たまらなくなって、駆け出した。夜中の、誰もいない道を。
 恐怖から逃れるために。今起こったことを、できるなら、忘れたいために。


 辺りが明るくなったことに気づき、顔を上げると、目の前に民家がいくつも並んでいた。…村に着いたのだ。
 時間はわからなかったが、太陽が半分しか顔を出していないところを見ると、まだかなり「早朝」らしい。
 小鳥が鳴く。
 見慣れた景色に、なんだかすごくほっとした。
 知らず知らずのうちに流れていた汗をぬぐって、前のめりになりながら歩き、何件目かの家の前で立ち止まる。
「…………」
 軽く屋根を見上げて、ドアを叩いた。
 一瞬間が開いて、すぐに「はーい」という返事が中から聞こえた。ドアが開き、巻き毛の少女が顔を出す。
「あ、カナ? 何でここにいんの? というか……顔真っ青だよ? すごい汗だし。大丈夫?」
「エリ……」
 カナは一気に力が抜けて、そのまんま倒れそうになった。エリが慌ててそれを受け止める。
 エリはカナを家の中にいれ、椅子に座らせ、紅茶をいれてくれた。ハーブの香りが体を巡り、穢れを浄化する。
 カナが落ち着いてきたのを見て、エリが話を切り出した。
「いったい、何があったん? こんな朝早くに来るなんて、珍しい」
 カナは疲れた首を無理やり上げて、目の前の友の顔を見た。村の娘らしく健康そうに日に焼けている。それをちょっと羨ましく思いながら、ぽつりぽつりとさっきまでのことを話しだした。
 旅に出て、冒険をたくさんするために城を出てきたこと。途中で今まで見たことの無い生き物…大ねずみが、襲い掛かってきたこと。殺した後の、あの嫌な感じ。そこから走ってここまで来たこと。
 エリは、大ねずみのことに興味がわいたようだった。
「何だろうね? そんなもん、一度も見たこと無いぞ。それにしても………」
 言いながら、チラリとカナの持っているナイフを見る。
「そんな物騒な物、さっさとしまっちゃいな。血だってついたままじゃんか。ほれ、これで拭いときなよ」
 カナはエリから布切れを受け取って、ナイフについたままだった血をぬぐった。ナイフをポケットに入れる。
 エリは黙ってそれを見届けた後、ふっと息をついた。
「……で、旅をするの、怖くなった?」
 ぴくり。聞き捨てならぬ、と言う風に、カナがエリを睨む。
「そんなことないっ! まだ始まったばかりだもん。あたしは絶対、世界を一周してやる! それに…もう、
  最初に冒険しにいくところだって決まってんだから!」
「へぇ? それはどこ?」
 カナはよくぞ聞いてくれたとばかりにふんぞり返った。
「この村から、ちょっと東に行ったところにある、祠。立ち入り禁止になってるし、何か宝があるって聞いてる。面白そうでしょ?」
「あぁ、あそこ。…ま、止めはしないけどね。立ち入り禁止になってるくらいだから、危険なのは当たり前だぞ?」
「わ、わかってるよっ! 危険は承知の上だってば。」
 唇をぎゅっと結んで、立ち上がる。
「お宝持って帰ってくるからね! 待っててよ!?」
 嵐のように立ち去っていこうとするカナの背中に、エリが呼びかけた。
「ま、念仏くらいは唱えてあげるよっ!」

 *


 祠は、荒野の中にぽつりとあった。
 いつからあったのか、知るものはいない。中に入っていった者が大怪我をして帰ってきたということから、立ち入り禁止になってしまっているらしい。
 その「大怪我をした者」は、なぜ怪我をしたのか、全く覚えていないそうだ。
 どこか地面が脆くなっているところでもあったのか。天井から、何らかの形で岩でも落ちてきたのか。
 それとも…………。
 解らないことに、人は恐怖を覚える。だから以後、近づくものはいなくなったのだ。
 しかし今、何も知らない子供が一人…いや、二人…入ろうとしている。


「全く、一人で行けないなら、最初っからくるなよ!!」
「だって知らないところに行くんなら、一人より二人の方がいいでしょ!!」
 エリとカナ。二人は、祠の入り口で言い争っていた。
 そう。カナは、やはり一人じゃ怖かったらしく(夜中のこともあるので)、エリを説得して連れてきたのだ。
「ほんっとに、怖がりだな、カナは!」
 いっこうに祠に入っていこうとしないカナに向かって、エリが呟いた。カナは涙目になりながら鋭くエリを見る。
「何よ。そういうエリだって、全然お化けだめじゃんか!」
 お互い火花を散らして睨み合う。しばらくして、エリが皮肉交じりに言い放った。
「じゃあ、入れば? わたしは後からついていくよ?」
「なっ、何でっ」
「だって、カナが行くって言い出したんだし」
 カナは、恐る恐る祠の中を覗いた。真っ暗だ。何も見えない。しかも、この世のものとは思えないような、ゴウゴウという音が聞こえる。
 ごくりと唾を飲み込んだ。
「よ、よよよよしっ! いってやろうじゃん! …そのかわり、何かあったらエリ、その弓矢で守ってよ!」
 エリの背中にあるのは、矢立と弓。幼いころから弓使いとして育てられているエリの腕は、莫迦にできない。
 実際、本当になにか危険なことがあったらかなり役に立つはずだし、エリもそれを頭に入れて持ってきたのだろうが。
 今は素直に答えられるようなときじゃない。せいぜい冷ややかな目をカナに向けるだけだ。
「ま、ほんとに何かあって、カナも戦ってくれるなら、援護してやろうじゃないか」
 エリの言葉にビクッと身を震わせながらも、ポケットの中でナイフを握り締め、強気で「いいよ」と頷いた。
 それから、通行を止めているロープを跨いで、後ろを振り返りながらも、少しずつ祠の中に入っていった。

 外から見るより、祠の中はさらに暗かった。
 あらかじめ用意してあったマッチを擦り、火を木切れに灯す。これが松明代わりになる。取りあえず、前は見えるようになった。
 天井や壁から、ごつごつと岩が飛び出ている。岩は、ほんの僅かな金粉を含み、松明の揺れに合わせて煌いた。
 埃っぽいような、湿っているような、夕立の後の臭いがする。でもその中に、僅かに動物臭も混ざっているようで、不安を煽られた。
 しかし、生物の気配はしない。
 黙って奥に進むと、地下へ続く階段へめぐり合った。カナとエリはちらりと顔を見合わせたが、すぐに階段を下りていった。滑らないように、よく注意をして。
 階段が終わり、また平らな地面に足を踏み出す。と、その瞬間。
 いきなり、いくつもの大きな影が飛び掛ってきた。二人同時に左右へわかれ、火をかざして相手の姿を確かめようとした。
 …大ねずみだ。
 カナが夜中に出会った、あの大ねずみ。しかも今度は集団の。
 カナは何度かまばたきをし、目を凝らして周りの様子を見た。
 入っていたときの通路より、ずっと広々しているようだ。けれどそれも、今は蠢く灰色の物体たちによって、すっかり塞がれている。
 大ねずみたちは、一匹残さず、爛々と光る赤い目でこちらを見ている。…エリが、弓を構えた。
 攻撃が始まった。大ねずみたちは、爪を光らせ、尾をうねらせ、体ごとぶつかってきた。カナもナイフを抜いて、振った。
 ナイフは一匹のねずみに上手くあたり、毛皮を切り裂いた。血しぶきが花火のように上がる。
 びくん。思わず身を引いてしまった。
 あの嫌な感覚がよみがえる。
「なにしてんだ、カナ!! ぼやぼやしてたら引き裂かれるぞ!」
 エリが、矢を大ねずみに向かって放ちながら叫んだ。
「だ、だって……」
 いくら化け物といったって、ねずみじゃないか。戸惑いの目で、エリはその言葉を読み取ったらしい。
「生きるか、死ぬか! 殺らなきゃ殺られるんだよ! こんなときにまで甘えたこというな!」
 カナはぎゅっと唇を噛んだ。ちくしょう。そんなに言うなら…やってやろうじゃないか!
 再び襲い掛かってきた大ねずみを、今度は心臓を狙ってナイフを刺した。絶叫が狭い洞窟に響き渡る。
 皮が裂ける音。矢がひゅんひゅんと飛ぶ音。エリの放った矢は、全て一撃で大ねずみたちを仕留めていた。
 そして、突然に静かになった。
 二人の荒い息だけが聞こえ続けている。辺りには、大ねずみたちの骸が累々と積みあがっていた。
「…ふぅ。ホントにいたんだねぇ、こんなん。ところで、どっからでてきたんだろう? 危ないったら……」
 言いかけて、エリは、カナが黙り込んで大ねずみを見ているのに気づいた。
「……どうしたん?」
「…やっぱり、あたしたちが……殺したんだね。」現実離れしたような声でカナが言う。
「わたしゃらがやってなきゃ誰がやったのさぁ。…それとも、やっぱし怖くなった?」
 カナは、エリのからかうような口調には反応しなかった。
「…違う。そっちの怖さじゃなくて。……殺すことに、慣れてしまいそうで怖い」
 エリは眉をひそめ、カナの真剣な顔を見て、ため息をついた。
「しょうがないだろ。私も最初はやだったさ。そりゃぁ。でも、弓使いをやってるからには、獲物をとって暮らしていかなきゃならない。
 弱いものは強いものに喰われる。自然の原理つーか心理つーか…ってもんだろ?」
「そうなの?」
「知らない。とにかく先にいこうよ。それとも、やめるかい?」
 カナはむっとした様子で首を振った。

 しばらく行くと行き止まりにあたった。
 仕方なく後戻りして、すぐさま別の道を発見し、進んだ。
 ときたま大ねずみに襲われたが、ある程度戦闘慣れしていた二人は苦も無く倒していった。
「しょせんはネズミだよねぇ。ここは大ねずみたちの巣だったんだな」
 エリは納得顔で頷いていた。
 ひたすら湿ったでこぼこ道を歩いて、ふと、カナが異変に気づいた。
「…なんか、変な臭いがしない?」
「…ん? ……う〜む。よくわからんけど。今鼻がつまってんだよ。」
「う〜ん、でも確かに……」
 用心深く足を踏み出しながら、松明の火で辺りをくまなく照らし出していく。
 と。ちょろちょろっ、と足元を何か小さいものが駆け抜けた。
「うわぁっ!? な、なに?」
「な、なん…あ、ねずみだよ。普通の、小さい奴。あれ、でもなんか……」
 後を追いかけていくと、壁の隅っこでねずみは止まった。何かを飲んでいるようだ。
「………?」
 カナは顔を近づけた。「変な臭い」がつん、と鼻をついた。どうやら、ねずみの飲んでいるものが臭いの元らしい。
 とたん、ねずみがブルブルと震えだした。震え続け、メキメキと枝を踏みしめるような音が耳に飛び込んだかと思うと、
 むくむくとねずみの体が巨大化していった。
「………………………っ!!!!??」
 いきなりのことに、驚きすぎて一歩後ろに跳び退った。頭がエリの顎にぶつかる。
「何すんだよっ!」
「ご、ごめん…ってそうじゃなくて、ててててて…ね、ねずみが……」
 エリは巨大化したねずみに視線を向け、すぐに矢で射った。今は獰猛な顔つきになったねずみがどどうと倒れる。
「なるほど。これが大ねずみ発生の原因。ところで、この液体は何?」
 松明をカナからひったくって液体に近づける。液体は青く、怪しく揺らぎ、輝いた。
 液体の周りにはいくつかのビンが散らばっている。
「どーやら、このビンの中に入ってたらしい。でもこのビン、酒っぽい名前が書いてあるぞ」
 言われてみれば、確かに、「おっか」とか、「しん」とか、人間が飲む酒のまがい物のような文字が雑な字で書かれている。
「悪魔の、酒……?」
 呟いたカナに、エリが鋭い視線を向けた。
「縁起悪いこというなよっ。それが本当だったらどうするのさ。全く、こんなすえた臭いの酒なんか誰が飲むんだ」
「ねずみは飲んだ」
 カナがすかさず口を挟む。
「自ら、飲みにいった。それで巨大化した。」
 エリは横目でカナを見ていたが、ふう、と吐息をついて首を振った。
「まぁ、そうだけど。酒という証拠はないんだし、狂った人間が作った薬かもしれない。できれば触れたくないね」
 カナは頷きながらも、気持ちは違うところへ飛んでいた。
 やはり、自分達は罪もないねずみを殺めていたのか。謎の液体によって、なりたくもないのに巨大化して化け物となったねずみを。
 ひっそりと、ため息をつかずにはいられなかった。

 松明を持ったエリが、突如立ち止まった。
「どうしたん? 何かあったの?」
 エリはすぐには答えなかった。じっと確かめるように前方を見て、それから振り返った。
「宝箱が、ある」
 カナはぽかんとして…それも一瞬だったが…すぐに、前に飛び出た。
 確かに、行き止まりのその場所に小さな箱があった。古び、汚れてはいたが、どこか神秘的な輝きを帯びている。
「あ、開けて大丈夫かな」
 エリは「いいんじゃないの?」と頭をかきながら嘯いた。
 逸る心を抑え、そっと箱の蓋に手を掛ける。箱は、あまりにも簡単に、開いた。
 中には海水が…いや、海にあまりにも似た、布が入っていた。
 色は群青。触れれば、まるで波打つように揺れる。持ち上げると、手が水の中にいるような感覚に包まれた。
 薄暗いためよく見えないのだが、その美しさはよく解った。綺麗に折りたたまれたその長い布は、艶良く、
 思わず頬擦りしたくなるような肌触り。感動でついため息がこぼれる。
「気に入った?」
 エリが後ろから言う。
「持ち帰れば?」
「そんな。…いいのかな?」
「いいんだよ。発見したんだから。宝は見つけた人の物なんだよ」
 カナはその言葉にやけに納得し、戸惑いつつも箱から布を出して、抱きかかえた。
「じゃ、帰ろうか……」
 エリが振り向く。その動きがぴたりと止まる。
「? どうしたの?」
 カナがエリの肩越しに、前を見ようとする。
 エリは何も言わずに、背中から弓をはずして持った。
「武器構えろ」
「えっ?」
「突っ込むぞ」
 言うと同時に素早く矢をいれ、放つ。前で固まっていた何かがわらわらと動く。そこでやっと、カナも理解した。
 宝を見つけているあの間に、大ねずみたちが増えたのだ。しかも、すっかり帰り道を塞ぐ形で。
 カナはナイフを構えてエリの後に続いた。襲ってくる大ねずみたちを蹴り倒し、ナイフを振り回して道をあけた。
「カナっっっ! キリがないぞ! すぐに前に来い!」
 当惑しながらもエリの前にまわる。エリは、後ろにあるあの液体めがけて、松明を放り投げた。
 すさまじい音をたてて、液体が炎上する。祠が熱気に満たされる。炎はあっという間に広がって、大ねずみたちを覆い尽くした。
「きやぁーーーーーーー!!!」
 大ねずみより驚いたのは、カナ。ものすごい勢いで、それこそ炎よりはやく、出口向かって駆け出した。
「ちょっ、カナ! 置いてかないでよっ……げほっ、げほっ! …ええーい、もう!」
 エリもカナを追いかけた。

 後には、大ねずみたちの悲鳴と、肉の焼ける臭いだけが残っていた。



「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…あぁ〜、熱かった………」
 ようやく祠を抜け出した二人は、煙に噎せながらよろよろと歩いた。後ろでは祠がときたま爆音を上げながら燃えさかっている。
「さすがに、死ぬかと思ったよ……げほっ。………そういえば、布は大丈夫?」
 カナははっとして、腕に抱きかかえた布を見た。あれだけの熱の中走ってきたのに全く変質していない。
 着ているTシャツには幾つか焦げたあとがあったが、この布にはそれがないのだ。
 カナがそのことを言うと、エリは感心したように目を見開いた。
「ふえぇ。ホントに宝って感じだねぇ。色もカナが好きな青色だし、もうけたじゃん」
「うん。…それより、あの祠から火が広がって、大火事になったりしないかな。大丈夫かな。」
「大丈夫さ。なんとかなる。だって、ほら。」
 エリが空を指差した。もともと明るくない空(夕方になってしまったらしい)に、黒い雲がどんよりと覆いかぶさっている。
「直に、雨が降るよ。今だって、ちょっとポツリときたでしょ。この雲だと、きっと大雨だ。だから大丈夫」
「そっかぁ」
 そして、村に帰宅した。

 村に戻ったその日は、カナはエリの家でじっとしていた。いや……せざるをえなかったのだ。
 村に帰ってからすぐ、村人にあるものを見せてもらったからだ。
 その、あるものとは。

「カナコ・トワライト王女 脱走
   見つけた者は、すぐに王宮に連絡を入れるように。
     トワライトブルー王国トワライトブルー城 ラメット・ラリファー・ド・マリンドット王」

 そう書かれた紙。それに情報を聞けば、昼間、兵士たちが何人か姫を探しに来たらしい。
 カナは村人に、お願いだから城へは知らせないでくれ、と頼み込んで、一日だけ村に滞在することに決めたのだ。
 何しろどうしようもなく疲れていたから。
「あ〜あ、『旅に出ます、心配しないでください』っていう置手紙もしたのに。何で探しに来るんだろう?」
「そういうもんだって。それよりも、明日はもう出発するんでしょ? 休みなよ」
 軽い夕食をとり、その晩はエリはハンモックで、カナは床で(普通逆だろう、とカナはぶつぶつ言ったが)、早く眠った。

 翌朝、まだ日も昇りきらないころ、カナは目覚めた。
 薄布の布団をそっと横にどけて、軽く髪を整える。ナイフがポケットにあるのをしっかり確認し、外へでようとした、その時。
「もういくの?」
 寝ぼけた声が後ろから発された。ぎくりとして後ろを見る。
「まだ4時半だよ?」
「だって…早く行かないと、また城の兵士が探しに来るかもしれないし」
 エリは寝癖でぐしゃぐしゃになった髪の毛を押さえつけながら起き上がり、ハンモックから飛び降りると、湿ったタオルで顔をふいた。
「それにしたって、待ってくれたっていいでしょーが」
「へっ?」
 カナがすっとんきょうな声をあげた。
「エリも来るの?」
「失礼な。来ちゃいけないっての?」
 そういうわけじゃないけど、とぼそぼそ言うカナを無視して、エリは弓の準備を始める。
「……あぁ、眠い。まぁいいや。いこうか。…何つったってんの?」
 ドアを開けられ、仕方なく外に出ながら、カナはぐりんと無理やり顔をあげた。
「何で、エリは旅に出る気になったの?」
「はい?」
「だってさ、あたしの考えなんか解らない、っていっつも言うくせに」
 エリは、さもカナを莫迦にしたように鼻を鳴らした。
「別に、カナと同じ考えで旅に出るわけじゃあないよ。私には、私の目的があるんだよ」
「へぇ? なーにそれ?」
「さぁね」
 カナは、教えてくれたって、と頬を膨らませ、しかしすぐに顔をゆるませた。
「ま、一人より二人、の方がいいしね。へへ、エリが来てくれれば敵が来ても怖くないし」
「どういう意味?」
「さぁ。……それは置いといてさ。」
 カナは大きく大きく息を吸って、肺の中を新鮮な空気で満たした。冷たい空気のおかげで、目がしっかり開く。
「よぉし!!」
 まだ顔を出したばかりの朝日に向かって、駆け出した。エリが一瞬呆気にとられて、すぐに後に続く。
「こら、カナ、待ちなさいっつのー!!」
 二人の少女が走る道を、僅かな日の光が煌々と照らしだしていた。