!勇者カナ姫!〜五色のミサンガ〜 第一章
作:鈴羽みゆう







 太陽が高く昇る、昼。
 遠くが揺らめいて見えるくらい、暑い日だった。
 陽はじりじりと岩を焼き、肌を焼いた。地面からも水分を全て吸い取って、人から流れ落ちる汗さえも、一瞬にして蒸発させる。
 カナとエリは、足を引きずるようにして歩いていた。
 朝からずっと、歩き詰め。朝食だってとっていない。そう、あまりに急いででてきたため、食料を持ってくるのを忘れたのだ。全く、何てことだろう。
 何しろ、この暑さ。朝のうちはまだよかったが、時間が経つごとに気温はぐんぐん上がる。ときどき川のそばで休憩を取ったが、それでも、口の中はいつでもからからだった。
 カナは、乾いた唇を湿そうと年中舌でなめるため、その唇は、いつも甘やかに濡れていた。
 身に着けているものはみな汗でぐっしょり。肌に張り付いて気持ちが悪い。
 最初のころは二人で話して気を紛らわそうとしていたが、今はそんな元気もない。口を開いても、きっと相手の言ったこと全てが癇に障る。こんなに太陽が照り付けてたんじゃ、機嫌だって悪くなるのも当たり前である。

 ざく、ざく、ざく……

 乾いた足音と同時に、蹴り上げられた砂埃があがり、喉をいがらっぽくする。
 二人はときどき咳き込みながら、歩き続けた。
 ふとカナが顔を上げる。重たくなったまぶたを何とか持ち上げながら、ずっと遠くを見ている。
「……どうしたの」
 カナを見もせずに、エリが言った。
「あれ………村………?」
 カナの呟きに、エリも目をこすって先を見つめた。
 確かに、うっすらとだが、家や建物の影が見える。何度目をこすっても、瞬きをしても、消えない。暑さのあまりに見た幻ではないはずだ。
 カナはその唇に笑みを浮かべ、力を振り絞って歩く速度を速めた。もちろんエリも。
 村の影は見る見るうちに近づいて、すぐに目の前となった。
「ふあぁぁ〜! 助かった!」
 カナは喜びのあまり甲高い声を出した。が、エリに睨まれて、黙った。
「とにかく、どこか休めるところにはいるよ。……あ、あそこ店じゃない?」
 エリの指差した先には、酒場らしき建物があった。二人はすぐさま店の中に駆け込んだ。
 店は、昼間だというのに、人で溢れかえっていた。皆、さかんに飲み食いを繰り返している。冷房はもちろん効いていて、外よりはだいぶ涼しかった。それでも客達の熱気も負けてはいない。
「なんなんだろう。この客の多さは。」
「知らないよ。よほど栄えた村なのかもしれない。とにかく何か飲もう。死にそうだ」
 二人はカウンターの席に座って、水とホットドックを注文した。
 間もなくでてきた水を一気に飲み干し、ホットドックにかぶりつく。カナなんかは、もう半分平らげてしまっている。
「あ〜、生き返る。それにしても、水筒も何も持ってこなかったのは迂闊だったね」
 水のおかわりをしながら、エリが言った。
「もごもごもぐ…うむむ。ほれれも、ほごほほふひはほりりりふ……」
「ちゃんと飲み込んでから話しなさい、カナ。……ああ、水ね、どうも。さて、これからどうする?」
 カナはホットドックを全部食べ終え、水を受け取り、落ち着きを取り戻してから話し出した。
「えーとね。次の目的地は、山だよ。」
「山!? なんでそんなところにいくの?」
「そのふもとの村が、風車とかいっぱい回ってて、面白いとこらしいんだよ。待って。今地図で……」
 ごそごそとスパッツのポケットを探る。ぴたりとその動きが止まった。
「……ない…」
「へ?」
「地図、なくしちゃったみたい」
「はぁ!!!??」
 頭をかきながら笑うカナに、エリはチョップをくらわした。
「はぁーーっ、まったく」
 エリが頭を抱える。
「どうすんだよぉ。これじゃぁどこにも………」
 そこで言葉を切った。切ったというよりも…店の客の歓声によって、切らずにはいられなかった。
「な、なんだ?」
 カナとエリが同時に振り向くと、客達が一箇所に集まっているのが見えた。
「お、始まったかな」
 カウンターの向こう側にいる店主が、背伸びをしながら呟いた。
 カナたちも見ようとしたが、すでにその場所は人で埋め尽くされ、何が何やら全く解らない。とうとう二人して椅子によじのぼって、人の輪の真ん中を覗き込んだ。
「見える見える。…でも、なんだろ?」
 人が囲んでいるところは、ステージのように少し盛り上がっている。天井からはライトがぶら下がり、ときどき色を変えながら下を照らし、そこに立った人物を映し出していた。
 そこに立った人物。そう、その者こそが、客達の目当てらしい。
 それは、カナたちと同じくらいの少女だった。
 腰までのびた長い黒髪。それには、ダイヤ型のガラス細工がいくつも繋がった髪飾りが編み込まれ、少し動くたびに髪と一緒に揺れて輝いた。
 瞳もまた黒で、伏目がちのまつ毛には星屑のような練粉を宿し、唇には控えめに色つきのリップが塗ってある。肌は、カナとは反対に南国風に黒く、また小柄な体格。服装は決して目立ちすぎず、かといって地味ではない。短いスカートの下にはレースのズボンを穿いている。
「おやまぁ…随分と可愛い女の子。カナより美人なんじゃない?」
「うん」
 カナは短く答えた。それより、その娘が何をするのかが気になった。
「何するんだろ?」
 二人の目の前で、少女は優雅にお辞儀をした。顔には笑みを浮かべて。そして…一歩、ステップを踏んだ。
 二人は、少女を食い入るように見つめた。少女は、まるで、蝶のように美しく舞った。
 髪飾りが揺れ、ライトを反射して煌く。まるで、見ている人全てを夢の中に連れ込みそうな、やわらかい踊り。音楽も何も流れていないのに、誰も飽きずに少女を見ていた。
 踊りが終わる。少女がまたお辞儀をした。
 静まっていた観客の中から、わっと拍手が起こる。指笛をふいているものもいる。カナもはっとして、慌てて力いっぱい拍手をした。
 少女が控えの部屋に去っていく。それでもまだ、客は騒いでいる。
「ふあ〜、すごかったねぇ。時間の感覚がわからなくなったよ。カナ、椅子から降りよう」
 二人は椅子に座り、残りの水とホットドックをかたづけた。
「ふぅ、腹も満たされた。そろそろいこっかぁ? 宿でも探そうよ。」
「うん、そうだね」
 立ち上がろうとした、そのとき。カナが肘でエリをつついた。
「何さ、カナ――」
 振り向いたエリも、カナの視線の先に目を留め、目配せしあってそこに行った。
 カウンターの隅っこに、あの踊りの少女が座っていたのだ。
 そろそろと足音を忍ばせて、何気ない素振りで席に座る。
「あ…こんにちは」
 で、何気なく挨拶をする。
 少女はくるりとした目でこちらを見て、微笑んで「こんにちは」と返した。
 二人ともどぎまぎして(何故か緊張したのだ)ぺこりと頭を下げた。
 少女はまだ衣装のままだったが、上着を羽織っていた。指先は、花の汁で紅く染められていた。
「あの、踊り、見てくれたんですか?」
 か細い、小鳥のような声で少女が言う。
「うん。とっても上手だったよ。すっごく綺麗だった。どこで覚えたの?」
 カナが聞くと、少女はまたにこりと笑って、
「ある町の、劇団に入ったんです。そこで色々と学びました。その前には舞踏も教わりましたし……だいぶ腕もあがったので、故郷のこの村にとどまっていたんです」
「へぇ〜。あたしたちとそんなに変わらない年なのに……そういえば、年いくつ?」
「十三です」
「わたしゃと同い年だ」エリが口を挟む。「カナは十一月で十三だよね」
 カナはこくりと頷いて、また少女に向き直った。
 少女は二人を交互に見た後、口を開いた。
「お二人のお名前を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「あ、うん。いいよ」
 カナが受ける。
「んじゃ、私から。私はエリ。エリ・ライトウィンズ。」
「あたしはカナコ。カナコ・トワライト・ド・マリンドット。」
 途端、カナはエリに蹴り飛ばされた。
「あんた、本名言っちゃぁまずいでしょうがっっっ!!!」
「え? 何で?」
「何でって……あー、もう、一応王女だってこと少しは自覚しなさいよっ!」
「へ? あ、そうかっ!」
 しかし気づいたときにはすでに遅く。少女は椅子から飛び降り、床にひれ伏していた。
「カナコ姫さま」
 頭を床につけたまま、少女が言う。
「姫さまだとは知らず、失礼を致しました。私はミルフィー・ラヴィリスという者です。ミムとお呼びください。
どうか…無礼をしましたこと…お許しを。」
 カナは耳まで真っ赤になって、手や足を無意味にばたばたさせながら、
「そ、そんなやめてよ。あの、あの、あのね。あたしはね、別にそんな……こっそり旅に出てるんだから、そうやるとほら、ばれちゃうでしょ。だから、普通にしてて。ねっ」
「で……でも……」
「ほら、顔上げてっ!」
 ミムはようやく顔をあげ、椅子に座りなおした。それからカナから色々と話を聞き、普通に接することを了解した。…なかば、カナが無理やり了解させたのだが。
「あの…姫さま」
「カナでいいって! カナまたはカナちゃん。それから敬語はなし!」
 自分で「ちゃん」づけすんなよ、とエリはボソリと言ったが、カナは気づかなかった。
「えぇっと…カナちゃん。エリちゃん。この村を出たら、どこへいくの?」
「う〜んとね、山にいく手筈だったんだけど、地図なくしちゃったから、とりあえずどっかてきとーに歩いて…」
 エリがカナを肘でうつ。
「てきとー、じゃどこにもいけないでしょーが」
「そんなこと言ったって…じゃぁどーすれば」
「あのっ」
 突然ミムが口を挟んだ。
「どこに行くとしても………この村を西にでたところにある、森は通らない方が、いいです……いいよ。」
 カナは眼を丸くした。
「どうして?」
「えっと…実は、あまり大きな声ではいえないんですが………」
 ミムは辺りをきょろきょろと見回して、皆が今まで通り騒いでいるのをしっかりと確認してから、声を潜めた。
「森には…魔物が出るんです。それも、夜になると、村まで出てくるんです」
「えぇっ!!?? まも………」
 エリがカナを押さえ込んだ。
「それって、どんな魔物?」
「よく見たことはないんだけど……植物みたいなものでした。みんな、夜になると魔物を恐れて、家にこもったっきり出てきません。だって、その魔物は、人間を見つけると同時に食べてしまうんです。最初のころ、たくさんの人が犠牲になりました。
 この村の外れに、お墓があります。…皆、もちろん対抗しました。腕の立つものが剣を振るって、火を使って。でも、敵わなかったんです。なんだか恐ろしく強いんです。…昼間、こうやって騒いでるのも、少しでも恐怖を和らげようとしているからなんです」
 そこまで言うと、ミムは黙った。エリも眉を顰めたまま、何も言わなかった。
「もがもがもが!!」
 エリに押さえられたカナが暴れる。放された瞬間、椅子から飛び降りた。
「ふぅ〜、まったく。黙って聞いてれば。ちょっと敵わなかったら、すぐに諦めちゃうわけ?」
 エリに睨まれても、カナはそっぽを向いたまま続ける。
「こーなったら、あたしが行って、そいつをやっつけてやる! ぎったんぎったんのけちょんけちょんにしてやるんだから!」
 そう言い放ったかと思うと、カウンターにきっちり代金を置き、風のように店内を駆け抜け、止める間もなく店を出て行ってしまった。
「ちょっ、カナ!!! こら待ちやがれ!!!!」
 エリも椅子から降りて店を出る。ミムは、ぽかんと一人、店の出口を見つめていた。

 店から出たエリは、カナを探した。
「えーっと、西、西。あり、こっちは反対だ。ちぇっ、逆戻り……」
 道を引き返そうとして、ふと、気づいた。建物の全く無い、草むら。白い綺麗な柵に囲まれている。
 その場所に固まっていたのは……墓だった。いくつもいくつも並ぶ、ぴかぴかに磨かれた墓石。その中に、エリは二つの名前を発見した。

 ルーザ・ラヴィリス ラモリ・ラヴィリス

「ラヴィリス………」
 ……まさか…でも、そうか。あの子も。…ミムちゃんのお母さんとお父さんも。
 踊りを学び、やっと帰ってきたと思ったら、消えた両親。化け物によって、殺された両親。エリは、何かが沸き立つのを感じた。ふつふつと。燃えるような、熱いものが。体の奥から。
 墓に、そっと手を合わせる。そして、もときた道を走り出した。

 村の西出口に、やっとたどり着いたエリは、カナを発見した。…呆然と、その場に立ち尽くすカナを。
「…カナ?」
 エリが呼びかけると、カナはびくっと震えて、後ろを振り返った。声の主がエリだと解ると、張り詰めた顔がホッと緩んだ。
「どうしたん? 意気込んで飛び出ていったくせに、そんなところで」
 カナは何も言わなかった。青い顔をして、黙ったまま前を指差した。
 エリは見た。その場所を。
 それは、森。けれど、異様な雰囲気が漂っている。
 木の葉は緑だが、枯れかけていた。茶色く、歪んで垂れ下がってしまっているのもある。森は暗い灰色の雲に覆われ、雲は森の真ん中を中心に渦巻いていた。
「うっわぁ、やなかんじ」
 エリが思いっきり顔をしかめる。
「すんごい勢いで、化け物の住み家ってかんじだよ。」
「化け物よりも、森の雰囲気が怖い……」
 カナが震える声で言った。
「森には化け物しかいないでしょ? 化け物が怖くないなら行こうよ」
 カナはまたビクッと震え、恐る恐る、森を、雲を見て、視線を地面にうつし、もう一度睨むように森を見て、ナイフを握った。
「よし…いくぞ!」
「よし いくぞう?」
「変な冗談言わないでよ! 力抜けるでしょー!!」
「はいはい。甲高い声もださないでね。」
 場にそぐわない会話を交わしながら、森へ踏み込んでいく。

 ………その、二人の姿がぐんぐん小さくなり、一つの魔力を帯びたガラス玉の中へ収まった。

「……こいつらか」
 低く、大地を唸らせるような声。細く、硝子に罅をいれるような声。
 魔力を持った硝子玉、水晶を見つめながら、呟いた者。
 場所は闇の中だった。どろどろと、黒く、さらに黒く、恨みや憎悪、嫉妬などの人間の暗い部分が滲み、混ざり合った闇。
 そこは地上ではなかった。天空でもなかった。かといって、地下でもなかった。
 そこは時の狭間。時と時、その間に挟まった人間達の心の闇。
 時が過ぎていく中、人間達は様々な思いを残す。その中の暗い部分は、ある一定の時に溜まり、暗黒の空間を作り上げたのだった。
 闇の生き物達は、その場所を住処とした。絶対に光の届かない、時の空間を。
 水晶を持った者が軽く手を振ると、水晶の映像はぼやけて消えた。
「麗しき、トワライトブルー王国の姫君よ」
 彼が…そう、彼が。水晶玉を持っていた者が。微笑を含んだ表情で呟いた。声に反応するように、ランタンの薄明かりが揺らめき、彼の顔を照らす。
 その顔は、この世の何よりも白く、透き通っているようだった。背中を覆う髪もまた、硝子を糸のように細くしたような透明感。
 爪も、肉と骨を隠す肌も、全て同じ色合い。
 瞳は、水晶とも見間違えるほど硝子のようで、無色透明。ときに踊るように揺れる明かりによって、オレンジに染まりもした。
 それは、完璧とも言える美貌だった。恐ろしいほど、美しい顔立ちをしていた。
 ただ、背格好は子供のそれに似ていて、顔つきなどはどことなく幼稚。踝までも隠す衣服は身長を隠すどころか、尚低く見せていた。
 だが、その顔から作られる表情は、子供のものとは言えないほど凛々しく、澄ましていた。
 彼は時の皇子。数ある権力争いの中で、ただ一人勝ち抜き残った者。名を、マトレクティといった。
 彼は微笑を浮かべたまま、マントを翻し、闇の中へ立ち去った。

「トワライトブルー…かの美しい王国を、我の手に!」

 闇が渦巻き、マトレクティを包み隠した。



 場面は、カナの方へ戻る。
 二人は、昼も尚暗い森を歩き進んでいた。
 風はざわざわと木々を揺らし、葉は常に、二人の頭へ雨のように降っていた。
 カナとエリが落ち葉を踏みしめ、ときどき枝をぽきりと踏み折る音と風の音を除けば、この森は不自然なくらい静かだった。ただ、背筋がぞくっとなるような嫌な気配だけは、二人が森の中へ足を踏み入れたときから続いている。
「化け物は、どこにいるんだろう? ちぇっ、虫が多いと思って虫除けスプレーだって持ってきたのに、虫いないし」
 カナが辺りを見回しながら呟く。エリはちらりとカナを見ながら、
「虫除けスプレーって…どっから持ってきたの。…化け物の方は、なるべくでてこないことを祈るけどね」
「エリの家から出かけるときにかっぱらってきた。だけどそんな腰抜けの怪物だったら、最初にやっつけられちゃってるよ! それとも、エリは逃げたいの?」
「かっぱらうな……まぁ、できるなら。でもそういうわけにもいかなくなっちゃったから」
 カナは「どうして?」と首をかしげた。
「あんたは見なかったの?村の端っこにある、お墓のある場所」
「うん? 見なかった。」
 エリは「やっぱりね」とでも言いたげなふうで肩をすくめ、少し間を置いた。
「お墓の中に、ラヴィリスって苗字の二人がいたんだよ」
「ラヴィリス?……えっと、それってミムちゃんの苗字だっけ。」
 カナは言った直後、さも「何か嫌な予感」という顔をした。
「そのお墓って………」
「…ミムちゃんのお父さんとお母さんだね」
「でも、お祖父ちゃんとかお祖母ちゃん、って可能性も……」
 エリが首を振る。
「それにしては、新しすぎた。両方ともね。まだピッカピカの墓石だったし。…チラッと見たんだけど、もうちょっと奥のほうにもう一つスペースがあったんだ。そこにいくつも「○○家の墓」みたいな感じで墓が並んでた。おかしいんじゃない?お祖父ちゃんとかお祖母ちゃんだったら、普通そっちにいくでしょ?あの新しいお墓は、すごく急いで作ったような、そんな感じ」 
 カナはふうん、と一声だけ発し、黙った。
 その後は、ひたすらじめじめした嫌な道を進んだ。
 しばらくして、不意に、カナがびくりと顔を上げた。
「……なにか、やな雰囲気が…今までもそうだったけど、なにか……」
「なんか……ね」
 二人して武器を構える。と、その途端。
 気のてっぺんにいた烏達がぎゃあぎゃあと声を立てながら飛び立つのと同時、草のつるがずるずると地面を這うような音が背後から聞こえてきた。
 はっと振り向く、その刹那。カナのTシャツの脇が、何か鋭いもので切り裂かれた。
「!!??」
 エリが矢を放つ。ひゅうん、と風を切る音に続いて、ぐさりと命中する音。
 エリは顔に歓喜の笑みを浮かばせたが、それもすぐに凍りついた。……つるのような物で、打たれ、飛ばされたのだ。
「げほっ」
 噎せる声が聞こえる。カナはその方向を見れなかった。敵を、敵の姿を見極めようとするので精一杯だったのだ。
 敵は、毒々しい色の花だった。巨大で、自ら動き、花からのびるつるが体のようなものを作っているのを抜かせば、完全に花だった。花びらに囲まれた真ん中には、牙まで生えていて、まるで口のよう。エリは口元を拭って起き上がった。
「なんだ、たかが花じゃないか。お前が村を襲ってたのか!?」
 花は答えない。まあ当たり前なのだが、喋る言葉は解るのか、笑うようにシューシューという音を口らしきところから漏らしている。
「ちぇっ、気味の悪い花」
 カナがナイフを抜いて敵に襲い掛かる。
 すぱりとつるの一部が切れたが、見る見るうちに他のつるが生えてきて、切れたつるをカバーする。
「カナ、こいつキリがないぞ! どっか弱点を探すんだっ!」
 カナは目を凝らした。つるは、ダメだ。ってことは、あの花の本体。でも花びらなんか狙ってもしょうがないし……
「口だっ!」
 ナイフで切りかかろうとしたが、つるが邪魔をする。エリが変わりに矢で口らしきところを打った。
「ぎゃっ!!!」
 花はもんどりうって倒れた…が、その瞬間、花びらから紫色の粉末が飛び出してきた。
「!?」
「なっ、なにこれ? うっ…げほげほげほっ」
 粉末はたちまち目や鼻や喉に入り込んだ。目からは涙が止まらず、体はだんだん痺れるような感覚で動かなくなる。
「し…びれご…な!?」
 筋肉がぎゅっと縮まって、水分を取らずに運動を続けたときのように、身動きができない。二人は躓いて地面に倒れこんだ。
 霞む目で花を見れば、種をいくつも吹き出していた。その種は頭から芽を出し、足のようにつるをのばし、跳ねるようにしてカナとエリの背中に飛びついた。

 ああ、このまま栄養にされちゃうのかな……

 唯一動かすことのできる頭で、それだけ考える。
 動きたい。死にたくない。…でも、力が抜けて動けない。ぎゅっと目をつぶり、拳を握る。
 花の幼生が、まさにその根をカナの体に突き刺そうとした、その時。

 ぴかぴかぴかっ

 目もくらむような光線が走ったかと思うと、幼生たちが声ではない声で叫び、背中から転げ落ちた。
「……!!!??」
 ふわり。
 二人の目の前に、華奢な体型をした人間が、妖精のように可愛らしい人間が、一人、地面に降り立った。
 黒髪に流れる髪飾りを煌かせて。短いスカートと、その下のズボンを、風にはためかせて。
「ミムちゃん……!?」
 カナとエリが同時に名を呼ぶと、少女は振り返った。
 それは、まさに、ミルフィー・ラヴィリス本人だった。
「待っていてください。今、ミムがやりますから」
 ミムは小さな声でそう言うと、またカナとエリの背中によじ登ろうとしている幼生たちに向かって手を開いて向けて、叫んだ。
「フラッシュ!」
 ミムの手の平から光の玉がいくつも生まれ、飛び出し、幼生たちに直撃した。幼生たちが光に呑み込まれ、消える。
 呆然としたように止まっている親花に顔を向け、ミムは微笑んだ。
 とたんに、花が気がついたように動き出し、怒りを表すかのようにつるを振り回し、周りの木を折った。
 ミムは手に火種を持っていた。ちろちろと揺らめく小さな火。
「ちょっと、貸してくださいね」
 カナのポケットから虫除けスプレーを抜き取る。そしてそれを、火を前に持ってかざした。
「怪物さん。これが何だか解りますか?」
 花は相変わらずつるを振り回し、痺れ粉を振りまき、ミムに近づいてくる。
「火は、このスプレーで大きくなります。さらに、それをミムの力で大きくすれば………」
 花がつるを振り上げ、ミムに打ちかかる。
「あっ、危ないミムちゃ………!!!」
 ミムはにっこり、微笑んだ。
「解りますよね?」
 スプレーが噴射された。火が火炎放射のように前に飛び出す。それがさらに、ミムの手から起こる光によって、増幅された。
「ぎゃぁあああああ!!」
 炎は花本体に真正面からぶつかって、たちまちのうちにつるまで燃え広がる。
 花の口から緑色の液体が飛び散り、地面に気持ちの悪い染みを作った。
 やがて、のた打ち回っていた花は急激に大人しくなり、土の上へ倒れて静かに燃えた。しばらくたって、全てが燃え尽きた。
 幸い、あらかじめ花が周りの木をどかしてくれていたおかげで、他に燃え移ることはなかった。
 ミムが汗を拭い、ため息をつく。カナとエリの方に向き直った。
「大丈夫でしたか? 今、直しますから」
 そっと、二人の体の上に手を置いて、何事か呟くと、暖かい光が二人を包んだ。体がみるみる楽になる。強張っていた筋肉がほぐれ、痺れが取れた。
「信じらんない…」
 エリがあっけに取られた顔で起き上がった。
「いったい、何したの?」
 カナも体を起こす。
 ミムは服の埃を軽く掃い、息を落ち着かせ、やわらかく言った。
「魔法です。ミムは…一応、そういうのに多少は知識があるんで。」
「多少はって…かなりすごかったじゃん! かっこよかったよ〜?」
 カナがはしゃいだ。ミムが苦笑いをする。
「でも、あのエネルギーを球体にしてぶつける攻撃魔法と、人を回復させる魔法、あとは予めあるエネルギーを増幅させる、その他小さい魔法、くらいしかできませんよ。それに………」
 ミムは空を仰いだ。
「ミムが戦えたのは、カナちゃんとエリちゃんのおかげですから……」
 カナとエリは顔を見合わせた。
「どうして?」
「なんで?」
「……ミムは、村に帰ってきて、初めて「怪物が村に来た」ということを知りました。その時はまだ、父と母もいました。でも…二人が外出したとき…あの…花の化け物がやってきたんです」
 エリは複雑な表情をした。
「じゃぁ…やっぱりお父さんとお母さんは……」
 ミムは…少し寂しそうに…微笑んだ。
「はい。二人とも、同じように外出していた人と共に戦いました。けど…ミムは見たんです。窓のところから…二人が痺れ粉にやられて、倒れているのを。そして…怪物が…つるを刺して…」
 がんっ!!!
 ものすごい音がして、エリとミムが驚いてカナの方を見た。
「もういいから。そこはもういいから」
 にこにこ笑ってはいるが、額からは血がだらだら流れている。…どうやら、近くの木に、自ら頭をぶつけたらしい。
「だから、あたしたちのおかげってのが、どういうことなのか教えてくれる?」
 カナは、ぽかんとするミムの横で、エリが「やるじゃん」と呟いたのに気づいて、血だらけの顔でにっと笑って見せた。
「あっ、ごめんなさい! すぐに回復魔法を…」
「いや、いいからいいからっ! バンソーコとかはっときゃー直るから。それより、続き」
 ミムはカナに促され、カナの怪我を気にしながらも話し出した。
「えっと。だから…父と母を殺されたのに、ミムには仇をうつ勇気がなかったんです。戦う勇気が、なかったんです。だけど…カナちゃんは、何の迷いもなく森へ行きました。エリちゃんも、嫌がらずにカナちゃんを追いかけて。
 ミムは一緒に行くのを迷いました。途中でお客さんにアンコールを頼まれて、舞台に立ったとき、ああこれじゃいけない、って気づいたんです。お客さんには悪いことをしちゃったけど…すぐに森へいったんです」
 ミムが深呼吸をしている間、カナはぽりぽりと頬を掻いて、
「じゃぁ、あたしがいったからよかったんだ?」
「はい。」
 自慢げにエリを見るカナ。
「でもこの人、森の前で立ち止まってたよ。迷いがだいぶ……」
 エリの言葉の途中、カナが肘打ちを食らわし、すぐさま仕返しを食らって、いたたと頭を押さえた。
「うん、でも倒したのはミムちゃんだよね。みんなで力を合わせたって事でいいじゃん! …よし……それ
じゃぁ、村に帰ろう?」
 ミムは驚いたような顔をしてカナを見て、にっこり笑うカナにつられ、ミムもぎこちなく笑った。

 綺麗な風が、森の中を突き抜けた。



 三人は村に帰った直後、村人に囲まれた。
 急に森の邪気がなくなった、いったいどうしたんだ、と矢継ぎ早にくる質問に、ミムが冷静に答えた。
「このお二人が、怪物の退治をしてくださいました。皆さんの仇を、とってくださったんです」
 その言葉に、村人達は一斉にカナとエリの周りに集まり、口々に礼を言った。
「ありがとう、君達には救われたよ」
「ほんとに倒してくれたのかい? すごいなぁ」
「ありがとう、ありがとう。これで親父も救われる」
 カナは困り果てた。倒したのはあたしたちじゃない、ミムちゃんだよ、と何度も言おうとしたが、その度に村人達の言葉で遮られた。
 エリがどうすりゃいいんだ、という顔でミムの方を向くと、ミムは僅かに微笑んだ。
「これでいいんです」…ミムの表情は、そう言っていた。

 カナとエリは村人達の親切を断りきれず、歓迎のお食事会とやらに参加し、宿屋に部屋をとってもらった。
 二人はとても美味しい食事に満腹になったが、心から幸せの気分にはなれなかった。…やはり、自分たちは歓迎を受けるほどのことをしていない、と考えていたからだ。
「エリ…ホントに偉いのはミムちゃんだよねぇ……」
「うん。……どうも、ミムちゃんは遠慮しすぎるよ……」
 いまいち落ち着かない気分の中、二人は眠りについた。

 翌朝、カナもエリも早くに宿屋を出た。
 ぐずぐずしていたら、また村人に捕まってしまうかもしれない……親切は嬉しいのだが、こう自分達ばかりもてなされているのでは、ミムに申し訳が立たない。
 まだ霧がかかった道を、二人は早足に歩いた。
 と。
「カナちゃん。エリちゃん」
 後ろから二人を呼ぶ声をして、カナはキャッといって飛び上がり、エリは多少驚きながらも振り向いた。
 ミムだった。
 昨日の衣装とは違う、質素な格好をしている。化粧もしていない。それでも、襟元にレースがついている白いブラウスに、長い紺色のスカート(多少ヒラヒラしている)の服装、三つ編みにした髪の毛は、まるで童話の主人公のようで、とても可愛らしかった。
「み、ミムちゃん? どうしたの?」
 カナが服の埃を掃いながら聞く。
「いえ…その……もう、村を出て行かれてしまうのですよね?」
 エリがカナの隣りで、「そのつもりだけど」とボソリといった。
「やっぱり…そうですか。」
 ミムは少し俯いた。瞳がチラリと揺れ、その中に映った迷いを飲み込んだ。カナとエリの方に、真っ直ぐ向き直る。
「あの……ミムも、一緒に行っても、いいでしょうか?」
 一瞬間があった。カナは事態を飲み込めず、エリは聞き間違えたのかと耳を指でかっぽじる。
「今、なんて?」
 カナとエリが同時に言う。ミムは少したじろいだが、またきっぱりと言った。
「ミムも、連れて行ってください」
「……驚いた」
 エリが目を白黒させる。
「ほんと、驚いた」
「うんうん」
 カナも夢中で首を縦に振る。
「あの、ダメだったらいいです。ミムなんか、お邪魔になるだけでしょうし………」
「そっ、そんなことはないよっ! でも……」
 カナが頭をぽりぽりと掻く。
「あたしたちなんかについてきても、きっと全然得ないよ?」
「おぉ、自分でも解ってんじゃん」
 カナはエリの呟いたことは無視した。ミムは薄く微笑んで、首を振った。
「行きたいんです。外へ。…ここに留まっていたら、きっと父や母のことを考えてしまいますから」
 カナとエリは同時に顔を見合わせ、目配せをした。
「…うん。いいよ。ミムちゃんがいたら、色々と心強いと思う」カナがにっと笑う。
「カナのせいでめちゃくちゃな旅になると思うけど、覚悟しといてね」エリも笑って親指を上に向ける。
 ミムは顔中をほころばせ、潤んだ瞳を袖で拭った。
「はい…はい…! よろしくお願いします……!!」


「さあ、いこうよっ! 次の場所へ!」


 新たに「ミム」という仲間を加えた二人は、朝の冷たい空気の中を歩き出した。