人という禽獣
作:AKIRA





 まるで、餓狼であろうか。ぎらぎらとした、血管の走っている両のまなこには狂気しか宿っていないように見えた。実際、本来ならば両膝を折って対峙しなければならないのに、男は立てひざを突いていた。
 いかにも飛び掛らん勢いのある両の腕は狼の前足の如く床に乗せていた。
(こういう男は扱いやすい)
という確信を男は掴んだ。
その双眸に、些かの聡明、あるいは知識、素養といってもいい最小限のあるはずであろう、武士言葉でいう「武士道」という普遍的底辺美意識が決定的に欠けてしまっている。
 太平の世であるならば、彼は全くの浮浪として生涯を終えてしまっていただろうが、幸いにも時代はそんな彼に多少ながら味方した。
「で、誰を殺りゃイんだい」
と、男は喉を鳴らした。その音がいかにも下卑ているようで対峙している男は、露骨に眉を歪めた。
「夷狄だ。メリケンの役人を一人」
「今、流行の攘夷ってェやつかい」
と、また男は喉を鳴らした。
「そうだ。貴様のような奴にはわからんだろうが、この神州を踏みにじられる訳にはいかんのだ。これは、天よりの誅殺であるのだ」
と、昨今の流行である「天誅」という言葉を用いた。この頃は巷でもこういう言葉が飛び交っているらしい。
「この神州は」
と、聞き慣れない言葉を発したが、日本は、という程の意味であろう。
「遥かいにしえより、神の創られた土地である。それを今、洋夷どもが我が物顔で蹂躙している。判るだろう」
「わかンねェなぁ」
『餓狼』は鼻の頭を人差し指の腹で擦りながら、半ば眠たげに云った。本人にとっては、些かの興味もない話題である。
 殺す
という事象のみが、彼を突き動かしている原動であり、また眼前にいる端正に正座している男の依頼も受けたのだ。決して大義や、あるいは正義といった独善的な正当化によって動いた訳ではない。
「・・・。よかろう。取りあえずだ、支度料として、十両」
と云って依頼人である男は、袱紗に包んだ金を懐から出して、床に置いた。
『餓狼』はその袱紗の布を剥ぎ取って後ろに投げ捨てた。要は、金が目当ての盲目的かつ享楽的な殺人であるから、最低限の常識とも云うべき「作法」も知らない。
 単に、武家髷を結った単なる狼である。であればこそ、依頼もしたのだが。
「で、やってくれるのだろうな」
と、依頼者は身を乗り出した。これだけが、唯一の心配事である。
「殺りゃいいんだろうが。金さえもらえば、やることはやるさ」
と、『餓狼』は契約を成立させた。
「但し、俺のやり方でやらせてもらう。あんた達が手を出す時は、俺が云う」
と、『餓狼』は刀を掴み、立ち上がった。存外に長い刀である。
「わかった」
と依頼者は頷くしかなかった。其れほどに、『餓狼』の両眼は別の意味で鋭かったのである。

 日本全体が、「攘夷」という一種の「発作」を起こしている。
後の歴史的な流れを考えると、たぶんに一過性のものに過ぎないのだが、日本人特有の習性及び「安政の大獄」という大弾圧、更に「夷狄」という知らざる異形の人種(当時の印象として)が、足を踏み入れるという生理的拒否という三つの要素が混ざり合ってしまったがゆえに日本は攘夷に沸いた。
 前述した三つの要素だけであるならば、まだ攘夷熱は沸点まで到達していない。が、この攘夷熱は、この句によって沸点を越えた。

 身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂

 というこのたった三十一文字が、日本史上における「革命」へと突き進む事になる。
「(私の)この身は、例え武蔵(江戸。現在でいう東京都)の土に還ろうとも、この大和魂は、いつまでもこの日本を見続けているぞ」
という意味合いの言葉である。長州藩士である吉田松陰寅次郎の辞世の句であるが、「攘夷の先駈け」であるこの松陰が死ぬ事で、皮肉な事に世に一世の「攘夷熱」を巻き起こしたといえる。
 ともすれば日本そのものが、外国という脅威に対して完全玉砕しかねない、いわゆる「破滅的かつ焦土的イデオロギー」の完成が、泰平の日本を再び戦国時代に(闘争する対象は大きく違うが)逆戻りさせたといってもいい。
 その完成が、提唱者の死によるものであるという事にいささか理不尽な気がしないでもないが、とにかく「革命」は『警鐘』という第一段階から『実行』という第二段階に映った。

 現在は、その第二段階にさしかかった、「過渡期」という時期である。
『餓狼』と「依頼者」は、品川宿の「稲葉屋」という引手茶屋の二階、奥の座敷にて対面した。
『餓狼』は、ある意味『餓狼』ではない。
「薩摩藩士・樋渡八兵衛」と名乗っている。
ざんばらに近かった髷を元の武家髷に結いなおし、どこから調達してきたのか、黒縮緬の定紋入りの紋付に、仙台平の袴をはき、長めの大小を差しているあたり、立派な薩摩藩士になりきっている。
「ここまで変わるとはな。恐ろしいものだ」
と、その姿を見た依頼者は唸った。
(同じ人物なのか)
と思う。今の「樋渡八兵衛」と『餓狼』を見れば、まず別人と思うに違いない。
『餓狼』は変装の名人でもあったらしい。
「樋渡、か。これからそう呼ぶのだな」
「呼んでくれなければ困る」
という事を樋渡は薩摩弁で云った。流暢過ぎるあたりにも、変装の妙才がわかる。
「では、仕事は頼む。私は会合に出て、人数を集める」
「いらん」
人数は少ない方がいい、できれば一人で仕留めたい、と云った。
「それは困る」
と、依頼者は手のひらを見せて左右に振った。
 この「暗殺」という非常手段(この時期では常套手段であったが)は、乾坤の勢いで完遂せねばならない。つまり、二度目はないのである。その為にありとあらゆる場合を想定して動かねばならない。能動側、つまり暗殺を行うにあたって目的完遂率を上昇させる項目が一つでもあるのなら、例えそれが極めて微小であったとしても上げておかねばならない。今回の場合、それが人数集めであるのだ。
「ま、邪魔さえしなけりゃいいんだがね」
と、また薩摩弁で話した。同郷の者が聞いても、この言葉が異郷の人間より発せられているとは思わないであろう。
「では」
といって、依頼者は刀を掴み、すっくと立ち上がった。どうやら、会合の刻限が迫っているらしい。

 会合という。
幕末時代、特に前述した「革命」における第二段階、つまり実行段階においてよく見られる現象である。それゆえ、この入り組んだ並列世界(パラレルワールド)を語る上で、しばしば登場する用語である。というより、避けては通れない事柄の一つであろう。
 雄藩、とよばれる(主に長州、薩摩、あるいは土佐などの京都以西の外様大名)中から、特に尊王攘夷の志高い、志士、と呼ばれる下級武士階層が、料亭や、あるいは妓楼等に集まり、議論を交わし、時には他の会合にて他の志士と密約を交わす、あるいは互いに議論しあうことで、相互理解および相互価値をより確かなものとする為に、東奔西走する事で、革命の下地はこのような「横の繋がり」が存在していたといっていい。
 現代のように情報やあるいは書物が少ない時代、志士たちは人と会うことで己の価値を高め、相性の似通った者同志や、それに賛同した者達が結成するのが、「党」と呼ばれるものであり、そこで持ちえた情報を元に今後の行動方針――それはたれかを暗殺するという事務的な事柄も含めて――を決めていく。
 その実行にあたって大抵の場合は、その会合ごとに行う。例えば、吉村寅次郎らの「天誅組」であったり、また武市瑞山の「土佐勤王党」、肥後浪人宮部鼎三の「肥後勤王党」などである。しかし、この大抵は幕末の風雲の中に身を投じ、非業の死を遂げてしまう。そして、彼らの累々たる屍の最果てに「維新」は成立し、「革命」は第三段階である「完成」と導かれる訳だが、それは本稿よりもやや後の話である。

「依頼者」も、昨今の「会合」に御多分に漏れず、自ら会を創設している。
現在、その名前は決められていないが、本人は「虎尾の会(こびのかい)」という名前にする事に決めている。
虎尾、つまり虎の尾を踏むほどの危険な攘夷を断行する、という意味である。
 一応、この樋渡もその盟に名前を連ねている。
他には、伊牟田尚平(薩摩藩士)、益満新八郎、あるいは安積五郎など後には大体が路傍に屍を晒す事になるが、一人だけ異質な人間がその名前を連ねていた。
 山岡鉄太郎
と、その時の血判に記してある。この鉄太郎は幕府講武所世話役、という役目についている。いわば幕臣の中でもとりわけエリートに近い。
 後、鉄舟と号した。超人的とも云うべき剣豪で、維新後「一刀正伝無刀流」という流派を開創する。いわば「維新期の宮本武蔵」ともいうべき人物で、数少ない「剣禅一如」の境地にたどり着いた一人である。
 が、この頃はまだ、尊王攘夷に踊らされていた剣術の書生の雰囲気が抜けきれず、後世のような落ち着いた人物とはとても似つかぬ激昂しやすい人物である。若さの至り、ともいうべきか。
「で、その男はできるのだろうな、清河」
剣術には心得のある鉄太郎自身、その樋渡某という人物が信用できない。
 剣に悟りを見出す者としても、樋渡の暗殺の為に剣が使われる、というのは鼻持ちならぬ事らしい。
「ああ、あの男は見込みがある。まるで土佐の岡田以蔵に近い」
この所、京都で「人斬り以蔵」という異名を取っている、「土佐勤皇党」の党員である。まるで獰猛な禽獣を人間化したような所が案外通じ合っている、と「清河」と呼ばれた依頼者は感想を述べた。
「岡田に近いのならば、仕事は出来ようが、万が一という事もある」
「故に、君を呼び寄せたのでないか」
「私は、剣をその様には使わん。剣は私にとって苦行なのだ」
幕末から明治にかけて、剣豪でありながら殺人の剣を生涯振るわなかった人物らしい剣術観であるが、清河にとっては、それが甘い、という。
「それほどの才がありながら、実に勿体無いではないか」
「勿体有るや無しや、という事ではない。確かに夷狄は憎むべき相手なれど、其れを斬る、という事とは違う。私は」
と、鉄太郎は残っていた猪口の中身を喉に流し込んで、
「清河、君が攘夷を決行するというので賛同し、そこの名前にも連ねた。夷狄を一人殺す事が攘夷かね」
と、舌に残っていた液体を飛ばし散らした。
 確かに、鉄太郎の言い分も一理ある。局地的なテロリズムで西欧諸国が簡単に撤退するとは思えぬし、よしんば撤退したとしても、その軍事力の差を見れば歴然と判るであろう。が、この時代、「攘夷」は志士階層の中では普遍的な常識としてすでに認知されて久しい。開国派といういうのも少数ながらいる。勝海舟、後の坂本竜馬、あるいは松平慶永(春嶽)らである。最も、これら開国派が真の意味で歴史の表舞台に躍り出るのは、今から数年後の事であるが。
「そうだ。夷狄を残らず駆逐すれば、我らの怖さを存分に知るだろう。さすれば、
異国とて、いずれは手を引く」
という、現代の感覚からすれば失笑されるであろうこの、軍事的欠乏の思考回路は当時の志士達の間ではこれが普遍的通念であり、「常識」と呼ばれる「正常な思考回路」であった。
 無論、これに反対(というより無視)していた人物もいる。それが上記している「開国派」である。
 時代の転換をするには、その起動させるガソリンとして、血を欲する。それを夷狄や、それに屈する者の血で行おう、というのが当時の、現代で云う「テロリスト」達の考え方である。
 それに、歯止めをかけるべく京都を奔走するのが、後の新選組になるのだが、この頃の近藤勇は、土方歳三や沖田総司らと市ヶ谷の道場で汗を流している頃で、彼らが京都における世界史上でも屈強の「私設特殊公安部隊」として、名を刻む事になるのは今から三年後の春近い頃になってからである。
 その「公安部隊」を“作ってしまった”のが、今、激論を交わしている、攘夷の先駈けになった男というのは、時代の奇妙な化学反応であろうか。
「清河。・・・まあ、いい。ぬかりは無いのだな」
と、鉄太郎は念を押した。
「あやつには、信頼を置いてもいいだろう。いざとなれば私も出ればいい」
清河自身も、剣術の腕は立つ。北辰一刀流の皆伝である。

 幕末時代、志士階層はどれも剣術に長けているものが多かった。武市半平太、桂小五郎、あるいは清河などらがそうである。
 それは、剣術道場が一種の討論の場になっていたからであろう。主に志士階層は十代を過ぎて二十代の前半が多くの割合を占める。現在でも、大学生が就職活動に力を注ぎ始めるときに、初めてといっていいほどに政治や経済を目の当たりにする。多くは、友達と共に語らい、其れを情報として吸収する。当時もそれとほぼ同じ事であろう。
 が、一つ大きな違いがある。それは、戦争が自国に降りかかるかもしれない、という直面した危機の中でも討論である。
 ――― 志士、なんてなァおっちょこちょいさ。
と、当時、勝海舟は志士階層の行動(つまりは暗殺であるが)を見て、公然と云ったという。勝ら「成熟した大人」から見れば、志士階層の行動が、いかに衝動的かつ発作的であったか、という事が手に取るようにわかるのであろうが、二十代の特に前半、という世代は論が鋭鋒過ぎ、さらに付け加えるならば現実を直視せずに議論を語る事が多い。故に、理想から起こる行動がひどく粗雑であったり、また極小な行動に終わる事が多い。
 これが改革の第二段階の『実行』という段階に当たるのだが、この『実行』時期に路傍に晒した屍の路を通り抜ける事で、新たな段階に進むのであるが、これは本編の筋から離れる。

 さて、樋渡は。
「稲葉屋」を清河が出てしまった後、彼はふらりと店を出た。
下田に向かう為である。
 ――― 伊豆下田には、メリケンの領事がいる。
という事は、清河から聞いていた。
(ヒュースケンとは、どんな奴か)
聞けば、鼻は岳のように鋭く高く、眼が水浅葱の如き淡い水色を帯び、髪はというと淡い乳白色を帯びた白色に近いらしい。
 ちなみに、ヒュースケンはアメリカ人ではない。彼はオランダ人で、英語に堪能であった事で駐日アメリカ公館付の通訳として、この下田に来ていた。
 日本語も堪能で、イギリスのアーネスト・サトウと共に、対幕府外交渉において辣腕を振るっていた。
 つまり、このヘンリー・ヒュースケンとアーネスト・サトウはいわば米英の公使代行といってもいい程の地位の人物である。
 が、彼やサトウは、タウンゼント・ハリスや、あるいはスータリング等と違い、日本をこよなく愛する極親日家であった。むしろ、商売目的でくるイギリスやフランス、あるいは植民地化する狙いもあったアメリカには嫌悪を抱いていた感さえある。
 彼が著した「日本日記」の随所にも当時の江戸の治安の良さや、あるいはそこに住む生活など、幕末の日本を知る上では貴重な資料を、その短い生涯の間に残している。
 樋渡は無論、その様な事を知るはずもないし、知るつもりもないのであるが。
が、樋渡は彼、ヒュースケンの情報は手に入れている。
 ――― お富、という女を妾にしているらしい。
というのが、清河が「稲葉屋」でもたらした情報である。
(そいつからだ)
樋渡は、独特の“嗅覚”ともいうべき勘で探った。

 この時期、蒸気船というものはそれほど日本に浸透しておらず、当然ながら移動手段は己自身の足になる。
 大抵の志士階層は内陸において行動を起こす。この時期、日本にはまだ蒸気船が存在していないからで、海洋にて行動が出来たり海戦を行うなど、舞台が海に出向くようになるのは、まだ剣術書生である坂本竜馬や旗本である勝海舟の歴史的な出現を待たねばならない。

 日本人はよくあるく。現代こそ歩かなくなってしまったが戦後、自動車という歴史的な画期的移動手段が普遍的に定着するまで、とにかく日本人は歩いた。
 それは遡れば遡るほど顕著に見られる傾向である。この事は、幕末時代においてもそれは例外ではない。
 樋渡が伊豆下田の玉泉寺に着いたのは十一月の下旬あたりで、この時期、目的の人物であるヒュースケンという人物を一度、この眼に見たいと思っている。
 樋渡は、風聞にてヒュースケンの事は聞いていても、実際にこの両眼にその姿を焼き付けておかねば、相手を見間違うかもしれない。より確実にする為に、狼は周到に罠を張らなければならず、その事は樋渡自身よく知っている。
 ヒュースケンは下田の玉泉寺の程近い庄屋に、お富と共に暮らしている。
樋渡はその痩せた長身を屈めて、裏に回った。
 お富は、かまどに居た。
つややかな黒髪を丸髷で結い、細いうなじがその白さを際立たせ、柄にもいわれぬ艶かしさが匂いたつようで、あたかも性臭を放つ雌に誘引されるが如き夢遊の体で樋渡は正面土間に戻って御免、と叫んだ。
 程なくしてお富本人が小走りに近づき、膝を折って三つ指を突いた。
胸元が少々はだけ、鎖骨の付け根が露になっている。鬢(びん)が乱れ、整えていない所を見ると、昨夜はそのヒュースケンという夷狄を受け入れていたらしい。
「それがし、薩摩藩士樋渡八兵衛と申す。ここにヒュースケンなる人物が起居せらる事を聞くに及び、是非に御教授願いたく、参上した次第。・・・。いや、別段に危害を与えようというつもりは毛頭ござらん」
樋渡は、いつになく多弁になっている。

 この時期の「人斬り」といわれている人物は寡黙である。同じ薩摩藩の田中新兵衛は普段でも、酒が入った時でも殆ど口をきくことはなかったし、土佐の岡田以蔵なぞは、人を斬る時の奇声以外は、殆どが唸るほどの低い声で傍に居た者でさえ聞き取る事が困難なほどであった。
 つまり、およそ「人斬り」という人種は、殺人行動のみが己の存在を知らしめる唯一、といっていい手段であり、またそれ以外に己の意義を見出せない不器用な集団ともいえ、またその行動を起こしている瞬間そのものが自己が唯一この混沌とした時代に関わっている(たとえそれが実に瑣末な瞬間的行動であったとしても)という意識が働き、己自身を昂揚させる(逆をいえばそれ以外に昂揚する手段を知らない)ある種麻薬化した行動によってのみ自己の存在を確認できた、そんな人種である。
 寡黙、あるいは寡黙たがるのはその反動なのかもしれない。あるいは時勢にたいする己の感覚がすこぶる遅れている為、議論に関わる事が出来ない。現に、この種類の人物で御徒士(大名との接見が赦されている役目)以上はおらず、殆どが足軽かそれ以下で、下級階層のなかでもとりわけ差別を受けられる「人ニシテ人ニアラズ」といった人間視すらされない、存在そのものがすでに侮蔑されるという凄まじい階層の人間達である。
 自然、議論に入るを赦されず、またそこから情勢について行くことも出来ず、それでいて自尊心は強いものだから「行動」によってしか存在を認知してもらえないという、哀しい存在なのである。
 その点、樋渡が一線を画しているのは彼の動機が「金」目的の殺人であり、上記と違い、彼自身にはその人斬りの共通の「負い目」というものが無かった。
 些か過ぎたので、筋を戻すとして。

 つまり樋渡はあくまで「金」以外に目的が無い。故に思想、という滑稽で、説明しがたい形而上的概念(本人が見れば)には全く興味が無い。
 そういう意味では樋渡は俗物的に過ぎる。裏を返せば金という契約条件さえ合えば確実に任務は遂行する。今度の場合も同様である。
「まぁ、わざわざ薩摩から。・・・生憎、主人であるヘンリーは江戸の芝赤羽の方に出向いておりますが」
と、お富は顔を上げた。
 白い小ぶりのあごに、薄い紅をひいた唇。鼻も小ぶりで通り、切れ長の両眼に吸い込まれそうな黒い瞳、眉は緩やかな曲線を描き、それを細い首に乗せている。
(気に入るわけだ)
名状しがたい成熟した女性にしか出ないであろうなまめかしさと、夷狄の妾(というより他人の妾)という、えにも云われぬたぶんのぬめりけを感じさせるその存在に、些かの破壊行動を伴う背徳行為を感じずにはいられなかった。
「・・・」
樋渡は、お富のその白い顎を右手で引きよせるや、唇を奪った。
あまりの突然の出来事に、身を委ねる事以外お富にできる行動は皆無であった。
「な、なにを」
されます、と漸くお富はほそい腕(かいな)で突き放した。が、樋渡の膂力は凄まじく、今度はお富の体を抱きすくめた。
「惚れた」
と、樋渡は一言そういっただけで、また唇を奪った。
お富の瞳はすでに濡れ、左手で裾の中を割った時、小さな声が漏れた。

 半時ほど、まるで獣の接合が如き男女の交わりは果てることなく続いた。
樋渡も、またはお富もこの時はただの『餓狼』と雌に成り果てていたであろう、お富のその声は、とても女性のそれとは思えなかった。
 ともすればお富という女性は性欲が強すぎたのかもしれない。もしくは、不満が残っていたのか。ヒュースケンが其処を判っていたのかどうかは樋渡は勿論、筆者も判断しかねるところである。
「ヒュースケンはどう話していた」
「・・・ヘンリーは、芝赤羽の接遇所にでプロシャの方と面会された後、夜は麻布の善福寺でお泊りになられ、その後こちらに」
と、お富は樋渡の問いに、息も絶え絶えに話した。漸く腰が落ち着いたのか、着物の乱れを直している。樋渡も仙台平の袴の裾を払い、大小を差す。
(上等だ。それだけわかれば)
と、樋渡が出て行こうとすると、お富は樋渡の袴の裾を引いた。
「全部が終わったら相手してやる」
とお富の手を払うと、江戸に戻った。

 江戸では。
正式に「虎尾の会」と名付けた清河らの出迎えがあった。
「どうであった」
という清河や伊牟田尚平、あるいは山岡の姿もあったが山岡は不機嫌であった。
 どうやら、依然山岡は承服いたしかねているらしい。
「この所はプロシャとかいう異国の人間達と接見しているらしい。で、いまの常駐宿は公使館の麻布の善福寺だそうだ」
と、樋渡は語った。お富との事は伏せている。
「いつがいい」
「わからん」
と、樋渡は云った。なかば面倒くさげに聞こえた。
「どうしてだ」
「相手がどの道を通って帰るかわかっておかねばならんだろう。それにだ、俺はヒュースケンの顔を知らん」
それなら俺が知っている、と少し痩せた男が入ってきた。伊牟田である。
「そうか。なら、お前がそのヒュースケンの通る道を探れ。必ず通る道だ。だが、絶対に手を出すな。手を出す時は俺が指示をする」
この事だけに関しては樋渡の方が清河らよりも一日の長があった。自然、二人も従わざるを得ない。山岡は相変わらず不機嫌のままであった。

 それから、一週間が経つ。
要は、伊牟田次第なのだ。伊牟田がヒュースケンの足取りを確実に補足できれば、目的はほぼ完遂するといっていい。
十二月にかかろうか、という時期である。木枯らしが吹き、日を増すごとに寒くなっていく。
 その伊牟田は。
芝赤羽やや南の古川を渡った「中の橋」という馬が一丁通り抜ける程のの橋のたもとで息を殺している。
 唯一そのヒュースケンの顔を見知った事から、左記の人物の動向を伺っていた。
 七日が経った。
 すでに、黒縮緬の紋付から饐えたような皮脂独特の臭いを出し、髪は皮脂が浮かび上がって硬くなっており、袴が張り付いて股間の辺りがむず痒い。
(もうそろそろだ)
と、伊牟田は首を伸ばした。なるほど、一頭の馬が提灯を首の根元に付けながら悠然と闊歩している。
手綱を曳いているのは、一目で夷狄、とわかるくらい容貌がはっきり見えた。
鼻は岳のように鋭く高く、眼が水浅葱の如き淡い水色を帯びている。ただ、髪の色が淡い栗のような茶色であった。
(間違ったか)
と、伊牟田は首を縮めながら覗いたが、ヒュースケンに間違いは無い。
(やはりな)
この一週間の間、常に中の橋たもとで息を殺し続けてヒュースケンの動向を見たが、彼はほぼ夜四つ頃(午後九時あたり)に必ずこの中の橋を通って右に曲がる。
「本当か」
このときばかりは、さしもの樋渡も口元が緩んだ。
「間違いない。中の橋を必ず通る」
(決まった)
樋渡の頭の中にはすでにヒュースケン(といっても顔はわからないが)の死に逝く様が、手に触れられる程に実体を伴った映像として浮かび上がった。
「樋渡、いつ決行する」
清河も同じ映像が浮かんだのであろう。
「明日だ。俺と伊牟田、それにあんたの三人だけでやる」
「・・・。わかった。明日の戌の下刻(午後八時半頃)に古川沿いの茶屋だ」

 十二月四日の戌の下刻。
この時の月は三日月であったが、幸い雲に隠れていなかった為に思ったよりも道がはっきりと浮かび上がっていた。
 茶屋の奥座敷では、先に清河と伊牟田の二人が既に待っていた。
清河は平然と猪口を口に運んでいたが、伊牟田は昂奮しているのか、血走った眼で猪口を睥睨すると、一挙に中の酒を飲み干した。
「飲み過ぎるな。仕損じるぞ」
と清河は静かに窘めているが、当の本人も酒の進み具合も尋常ではない。
「あ、ああ。・・・わかっている」
と、伊牟田は漸く猪口を置いた。
店の戸が開くと、樋渡が立っていた。
「・・・。来たようだ。行くぞ」
と清河は佩刀を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
 伊牟田も立ち上がる。緊張の度合いが激しいのか、用をたそうと厠に入るが程なくして出てきた。

 三人は古川の中の橋のたもとで待った。
小半刻せぬうちであろうか、一頭の馬が悠然と闊歩しながら近づいてきた。
(あれだ)
と伊牟田は樋渡に耳打ちした。樋渡も頷く。
 手綱を曳いているのは、眼が水浅葱の如き淡い水色を帯びていた夷狄だった。
髪も色も、伊牟田から聞いたとおりだった。
 樋渡は悠然と、まるで散歩をしているような足取りで裾の中で腕を組んだまま、馬の前に立った。
「誰かな」
ヒュースケンの声を聞いた者はさすがに居なかったが、思ったよりも声が高い。
「ヘンリー・ヒュースケン殿とお見受けするが」
「確かに、私がヒュースケンだが。あなた方は」
思ったよりも流暢で、しかも聞き取りやすい。よほど勉強したのか、それともあのお富から教授されたのか。
「名乗るほどのものではないが、お主の命を頂戴する」
と、樋渡らは抜いた。他の二人は正眼に構えたが、樋渡だけは切先を下げている。
(何故構えない)
と清河は云ったが、すぐに状況を飲み込んだ。
ヒュースケンは六連発式短銃を既に構えていた。
「君達の行為は何もならない。私一人を斬って何になる。私は君達の味方なのだ」
「味方であろうがなんであろうが、関係ない。俺は頼まれて此処にいるのだ。そしてあなたを斬りに来た」
「無意味なのだ、すべてが。君達は私達を『夷狄』と云って嫌悪しているが何故だ。私はこの国をもっと世界中に知ってもらいたいだけなのだ。これほど自然と調和し、文化レベルも非常に高い国は無い。何故それほど排他的なのだ」
ヒュースケンの云う通りで、江戸時代の犯罪検挙率はほぼ百パーセントに近いほど高く、また犯罪の発生率も他の国に比べて格段に低い。
 それは日本の警察機構である奉行所の存在と、岡引の存在があるからなのだが、この本稿とは関係が無い。
「余計な事なのだ。この神州に踏み込む夷狄はたとえ何であっても容赦しない」
と云ったのは清河である。伊牟田も頷くが、樋渡は微動だにしない。
「・・・。ま、兎に角。あんたの命は貰う」
と、樋渡は漸く構えた。
「私は、まだ死ねない」
とヘンリーは、一発放った。威嚇か、地上に向けて発射した。
が、樋渡は一挙に間合いを詰め回り込むと、上段から勇躍し馬ごとヘンリーを二つに割った。
ヘンリーは右肩から縦に割られ、崩れ落ちた。馬も胴も臓物を出しながらどう、と斃れた。
清河はヘンリーの首を落とすや持っていた手拭で包むと、脱兎の如く現場から姿を消した。

 ヘンリー・ヒュースケンの死は、本人の想像以上に紛糾した。
領事であるタウンゼント・ハリスはすぐさま幕府に陳情、幕府は外国御用出役の新設し、ヒュースケンの母親に一万米弗を払う事で弔慰金とした。
 無論、お富にもハリスからその一報を聞き知っている。
(あの薩摩藩士だ)
と、お富はすぐにわかった。が、どこにいるか皆目見当がつかなかった。

 それから一ヶ月程経った。
「御免」
と土間の方で声がしたのでお富は向かった。
 其処に立っていたのは、嘗て自分を犯した男だった。
「・・・」
「すべてが終わった。だから、相手してやる」
と、男はぞんざいに家に上がった。
 樋渡は逃げるお富を捕まえ、すぐに唇を奪うや手を裾に忍ばせ、白く細い腿を割ろうとした。
「いやっ」
と、お富は手を振り解き、かまどに向かった。
「無駄だ。・・・そんなものを持っていてもな」
樋渡はお富が包丁を自分に向けて構えていたのを見てそう云った。
「ひとつ、答えて。ヘンリーを殺したのは貴方ですか」
「そうだ」
「何故」
「金さ」
「では、金のために私を犯したのですか」
と、お富の眼は憎悪に満ち満ちていた。
「そういう事になる。しかし、犯したとは酷いな。アンタだって喜んでいたじゃないか」
という樋渡の言葉に、羞恥のあまりお富の顔が怒気を含んだ赤黒い色に変色していくのがありありとわかった。
「・・・。その包丁をしまえ」
と、樋渡はお富から包丁を取り上げようとする。が、お富は必死に足掻き、抵抗した。
 その時である。
 どん
という衝撃が、樋渡の全身を襲った。
樋渡がゆっくりと自分の腹の辺りをさぐると、異様に硬く冷たいものが自分の腹から生えていた。
「てめぇ・・・」
と樋渡は仰向けに斃れた。暫く樋渡の体がひきつけを起こしたようにぴくん、ぴくん、と波打つと暫くして、治まった。すでに樋渡の瞳孔は開ききっている。
お富は生えている包丁を引き抜くと、溜まっていた血が一挙に吹き出て、お富を顔を濡らした。
 紅く染まったお富は、その引き抜いた包丁で喉を突いた。