失われし刻 第一話 −1−
作:SHION





第一話 −1− 
「夢か、現か、幻か」

「卒業式の予行を行いますので3年生の皆さんは体育館に集合してください。繰り返します…………」
 休み時間でざわついている校内に放送が響いた。
 冬が終わりを告げようとし、春がその息吹を芽生えさせる3月初め。生徒たちは彩りを鮮やかにする花を背に、窓から入る少し暖かくなった風を受け戯れていた。
 星稜市にあるここは星稜南高等学校。
 それなりの学力レベルの高校で、かつ自由度の高い校風が人気らしい。
 若葉色をした制服に男子はネクタイ・女子はリボン。それぞれの色は個人の自由で好きな物を選択できる。また女子のスカートはタイトやプリーツなど色だけでなく形状までも選択出来るのが好評であった。
 成績のいい学校だけあって真面目な生徒も多かった。自由度の高い学校は生徒自身の素行も悪くなり不良が多くなるのがだいたいのパターンだが、この学校はそれが少なかった。いい加減な生徒はほんの一部しかいなかった。
 そして大半の3年生はすでに進学や就職が決まっており、3学期になれば自主登校になるので学校に出てくるのは久々であった。
 その自主登校の間に世間を騒がせた大物芸能人の結婚話や戦争の話、そして今時流行らない神隠しの話などすらも生徒たちにとっては気にするほどでもなく久しぶりの友人との再会を楽しんでいた。
 ざわつきは収まることもなく生徒たちはゆっくりと、またははしゃいで走りながら体育館へと足を運んだ。
 そんな生徒たちと同様、一人春の始まりを感じさせる陽射しを浴びながら廊下を一人歩く少女がいた。
 茶色の長いストレートの髪を光に反射させ、正しすぎるほどのその姿勢は長身の彼女を目立たせるには十分だった。
 それでもなくとも彼女の成績はトップクラス、そして運動神経も他から群を抜くほどで憧れる生徒は後を絶たなかった。
 しかし彼女は誰にも心開くことはなく常に近寄りがたい雰囲気をかもしだしていた。決して人あたりが悪いわけではないが……それでも会話が成立することすらも珍しいが……深入りしようとすればその拒絶は強大だった。
 彼女の名前は未来(ミク)。
 誰よりも未来を願っていないだろうと思われる彼女には重い名前であった。
「未来ーーー!」
 そんな彼女の名を呼ぶ声が背後から聞こえてきて未来は少しだけ後ろを振り返った。
 未来の拒絶をもろともせずに寄ってくる数少ない生徒のうちの一人、由佳(ユカ)である。
 未来とは反対に背が低く、とても童顔で愛らしい顔つきの少女だ。人見知りもせずにいつも積極的で責任感もあり友達の数もとても多く大勢から好かれていた。
 そんな由佳だからこそ未来の拒絶も気にせず、ついにはまともに会話も出来るようになったのだ。
 由佳の姿を確認してから未来はすぐに再び歩きはじめた。
 由佳のことは嫌いではないが静寂と孤独を好む未来は一人でいたかったのだ。それに今朝は妙な夢を見ていつもとは少し自分のテンションがおかしいことに未来は戸惑いを感じていたのだ。
 走って追いついてきた由佳は未来の隣に並ぶとそんな未来の様子を気にもせずに話しを続けた。
「もうすぐ卒業だねー。なんか3年間ってあっという間だったよね。卒業式当日はあたし絶対泣いちゃうだろうなー」
「これから何度も卒業式の予行をするのに本番で泣ける精神が分からないな」
 未来は由佳と目も合わせずに言う。
「何言ってるの!やっぱ練習と本番とじゃ違うわよー。なんか……こう……グっとくるのよ。うるうるって自然になっちゃうんだってば!未来もなるわよ、きっと」
 由佳は身体全体で泣く感情を表現したかと思うと、次の瞬間には極上のスマイルを見せていた。
 由佳を放っておかない男が多いのも彼女のこの感情の起伏の激しさと、とびきりの笑顔に魅了されたせいであろうことは容易に想像がついた。
(わたしが涙なんて……流したことがあるのかどうかも知らないけれどね)
 未来は胸中で呟いた。
 その後の由佳の話をそれとなく聞き流しつつ未来は体育館まで辿りついた。

 体育館にはすでに集まっていた生徒たちがグループで固まりを作って何箇所かで私語を繰り広げていた。
 生徒が座るための椅子は事前に教師や代表者が並べていてくれていた為未来は由佳に別れも告げぬままさっさと自分の座るべき場所に腰を下ろした。
 未来のそんな行動は慣れっこなのであろうか、由佳は嫌な顔一つしないでまた別の友人の元へと声をかけに走っていた。
 一人席につき未来は嘆息した。
 未来は生徒たちが集まったこの騒がしい空間が嫌いだった。複数の人間が好き勝手に喋りまくる……それはもう騒音でしかなかった。
(今朝は妙な夢を見た……。あれだけ非現実的なのに、何故かリアルな感触だった。だから余計にこの喧騒が苛立つんだな……)
 未来は自己解釈をして自分を落ち着けようと努めた。
 その時ドンっと勢いよく背後から誰かにぶつかられ未来はバランスを崩し少しだけ前へ身体を傾けた。
「あっ。悪い」
 声の主をギロリと一瞥した。
 長身で細身の男子生徒だった。明るい性格で常に周りに誰かがいるようなの人気者の少年だった。また声も大きく目立つため未来でさえも名前を覚えるほど知名度も高かった。
 未来は一瞥しただけで特に何を言うこともなく体勢を戻した。
 少年は何かをまだ言いたそうではあったが未来がすぐに体勢を戻し前を向いてしまったので言葉を無くさざるを得なかった。
「大和ー!そんな所で何してるのー!?」
 大和(ヤマト)と呼ばれた少年はそれまで一緒にいたと思われる小柄な少女に名前を呼ばれて元いた場所に戻っていった。
 少女は大和の彼女であるのか何故か未来を睨みつけていた。未来の知るところではなかったが。
 ある程度の時間が経過すると生徒たちはだんだんと各自の席につきはじめ体育館は静寂に包まれ始めた。
 完全に生徒たちが席につき体育館全体が静かになった頃、教師たちも体育館に集まりそして卒業式の予行は始まった。
 馬鹿馬鹿しい校歌斉唱に卒業証書授与の練習。来賓の長ったらしい話までをも再現する。正直、未来だけでなく生徒の半数はうんざりしていたはずだ。
 欠伸をする生徒や私語を始める生徒の姿も見えはじめた。教師すらも退屈そうに目を泳がせていた。
 そんな時に異変は突如として起こった。
「な、なんだ!?」
 突然教師たちが悲鳴をあげ始めたのだ。
 教師の座っていた椅子は教師を乗せたまま床から10cmほど浮上していた。有り得ないその光景に生徒たちはただ呆然と眺めるだけしかできなかった。
 それは未来も同様だった。
「何!?ちょっと……誰の悪戯なの!??……きゃぁぁぁ!!??」
 普段スパルタな女教師も体格のいい体育教師も校長ですらも動揺し、悲鳴を上げた。
 椅子は浮上したまま凄まじいスピードで動きを見せた。教師たちは恐怖に声を上げることも忘れ必死に椅子にしがみついた。
 呆気に取られている間に教師たちを乗せたまま椅子は全て体育館の外へと押し出された。いや、椅子が教師たちを体育館の外へ押しやったというのが正解だろうか。
 最後の教師が外へ出た瞬間に次は体育館のドアや窓の全てが一斉に閉じた。
 あっという間の出来事だった。
 突然起こった非常事態。通常起こりえない異常事態に体育館は卒業式の予行の時よりも静寂に包まれた。
 誰もが硬直したままただじっと体育館の入り口を見つめていた。
「…………ぁ…………。や…………。いやぁぁぁぁ!!何なのこれーー!??」
「……っざけんなよ……!出せよ!俺たちどうなんだよ!??」
 数人の生徒が硬直状態から解き放たれそしてパニック状態に陥り悲鳴を上げた。先刻の教師たちの悲鳴よりもそれは大きく切実だった。
 さすがに今度は生徒たちも我にかえり、体育館の入り口に殺到する生徒やパニックになってその場でオロオロする生徒などでごった返した。
 しかしドアは硬く閉ざされ運動部の男子生徒が何人束になって体当たりしてもビクともせず、まるで意思を持っているかのようだった。
「先生!先生ー!!助けて!!」
 ドアが開かないことに諦めを覚えた女子生徒たちが体当たりを続ける男子生徒の横で外に向かって叫び始めた。
「何の冗談だよ!開けろよっ……おい!聞こえてんだろ!?」
 普段は教師にたてついてばかりで反抗的な生徒たちでさえ今は教師に救いを求めた。
 しかし外では教師もパニックになっているであろうと思われるのに何の応答もなく気配すら感じられなかった。
 ドアの前の生徒たちは体当たりと助けを求める声を止めずに続けた。それ以外の生徒は体育館1階の窓や体育教官室、2階のギャラリーを駆け上がり窓からの脱出を試みようとしていた。残りはその場でパニックになっているだけだった。
 当然のように他の扉も開くことはなく、ギャラリーの窓には暗幕が張られそれすらも開くことは出来なかった。
 そんな中で未来は一人冷静にそのまま椅子に腰を下ろした状態でいた。
「やだー!何なの!?ここから出してよーー!!」
 泣き叫ぶ声が四方八方から聞こえる。皆、きっと同じ考えが頭をよぎっていたのだろう。
 未来はこの有り得ない非現実的な状態を現実で体感して認めざるを得なかった。
 最近ニュースでやっていた神隠しの話を思い出していた。この数ヶ月の間に未来たちと同じ年齢の高校生たちがやはり今のように閉じ込められて、そして消えるという事件が何件か発生しているらしいのだ。
 神隠しなんて馬鹿馬鹿しい。しかし集団家出にしては規模が大きすぎる。マスコミや大人たちは色々な憶測をめぐらせ、そして不安に思っている子供たちもいた。いつ自分の番になるか分からなかったからだ。
 多分生徒の全員が今この神隠しのニュースを思い出していただろう。こんな事態に陥る前まではあくまで他人事で会話の中の一部にすらならなかったはずなのに。
 未来は瞬間的にこのニュースを思い出した自分に対して失笑したが、その確率をまた高めるような物体が現れたのだ。
 物体……。球状の物体。黒い塊。表現するならそうとしか言えなかった。
 それは体育館のステージのちょうど真ん中に突如出現した。
 ドアに走り寄っていた生徒も、オロオロするだけの生徒も、泣きじゃくる生徒も全て静まりかえりその物体を黙って見つめた。
 まるでブラックホールのようなその物体は小さく、手のひらサイズであった。しかしそこから発せられる奇妙な重低音が生徒たちを威圧した。
 誰かが息を呑む音が聞こえた。