失われし刻 第二話 −1−
作:SHION





第二話「術はただ一つ」  −1−


「選ばれた冒険者……?」
「名もなき大陸って、何? ここは日本じゃないの!?」
 女性の言葉に生徒たちは再びざわめき始めた。無理もなかった。突然体育館に奇妙な物体が出現し、それは生徒たちを襲いその体内に取り込んだ。そして気がつけば氷に覆われた場所に、薄着のまま倒れていた。当然右も左も分からない見知らぬ場所だった。今まで生きてきた中で“有り得ない”とされる出来事ばかりが目の前で展開していた。そしてようやく、この場所を、そして生徒たちの今後の道を教えてくれると思わせる女性が現れたのだ。恐怖と混乱でパニックになる反面、ほっとした気持ちになる生徒も大半だった。生徒たちは口々に女性に質問を投げかけた。人の形をしているのならば――――実際、女性はもの凄い美女であったし――――翼が生えていようがなんだろうが今は関係なかった。ここはどこなのか、何故こんな場所に来なくてはいけなかったのか、あの球体はなんだったのか、助かる方法はないのか、他の人ではいけなかったのか…………とにかく質問を投げかけ続けた。
 救ってほしい、その一心で。
 有翼人の女性はそんな生徒たちを1人1人見つめながら投げかけられる質問をただ黙って聞いていた。
 未来は1人訝しげに女性を見つめ続けていた。これからこの女性が話そうとしていることが真実なのかどうか見極めようとしているからだった。けれど同時に、例え真実でなくともかまわない、どうでもいいという考えが芽生えるのは未来の性格のせいだろうか。
(「夢」に現れた女だ。間違いない。名もなき大陸……か。そういえば「夢」でもそんなことを言っていたな。しかし何故わたしたちが冒険者なんだ?)
 生徒を見回していた女性とふいに目があった。そんな気を覚えて未来は思わず視線をそらした。何故そらしたのかは分からなかった。ただ、「夢」で見たあの瞳をもう一度真っ直ぐに見つめるのは苦痛だった。それだけは確かだった。いや、むしろそれだけが理由だったのかもしれないが……。
 女性は全員の姿を確認し終えたのか、生徒たちの声を遮るように両手を広げた。生徒たちは女性の言葉を待って黙りこんだ。
「わたしの名前は、セシリア。貴方達に危害を加えるつもりは一切ないので安心して聞いてください。これからわたしは貴方達のこれからにとってとても大事なことを話します。この話が受け入れられないのならば…………命の保障はできません」
 セシリアと名乗った有翼人の女性は淡々と告げた。最後の言葉に生徒たちは大きく反応を見せてざわめきが起こった。それも予想範囲内なのであろうかセシリアは広げていた両手を素早く天に掲げた。
 瞬間、それまで浮遊していた火の玉が再び激しく燃え上がった。
 騒いでいた生徒も泣いていた生徒も驚いて空間の中央に集まった。何事も受け入れられる覚悟をするにはまだ時間が足りなかった。
「これは威嚇です。貴方達が静かに話しを聞いてくれるのであれば今までの質問にも答えられる範囲で全て答えます。理解していただけましたか?」
 生徒たちは互いに顔を合わせながら小さく頷くしかなかった。“威嚇”とは言いつつも、この火の玉だけで生徒たちを殺すには十分だということを全員が理解することが出来た。今は素直に話を聞くしか選択肢はなかったのだ。セシリアはその様子を見つめると微笑み、手を元の位置へと戻した。
「それでは話を始めます。……その前に、そんな薄着の格好では貴方たち人間にはこの場所は辛いかもしれませんね。マントを差し上げましょう」
 そう言うとセシリアは指を一度だけパチンと鳴らした。途端に生徒たちの周りを風が包んだ。それは目に見えないものだったが、空気の動きからそれが分かった。
「な、に……これ」
「天上人のマントです。それで身を包めば寒さは完全に防げます。保冷効果もあるので、ある程度暑い地域でも涼しさを体感できるでしょう。さぁ、これで危害を加えるつもりがないことを理解していただけましたか?」
 セシリアはにっこりと微笑んだ。生徒たちは明らかに先刻よりもセシリアを信用する気になっていた。極限の状態では何にでもすがるしかないのだ。そんな中でも比奈は不満な表情で生徒たちの輪の中から一歩外に出てセシリアへと近づいた。生徒会長としての責任だけではなく、純粋に生徒を想い、割りに合わない仕事だとは欠片も思いもしない比奈でこその行動だった。
 未来はセシリアに近づいていく比奈を横目で見ながらマントの感触を確かめていた。赤茶色をした柔らかい布であった。どんな精製をしたかなど未来に分かるはずもないが、しかし自分たちの住んでいた地球にはない素材、ない精製方法であることは容易に検討がついた。冷気を完全に遮断する布。便利であることに違いはなく、今の自分にとっても必要だということにも違いはなく未来は火の玉とマントによって温められていく身体を感じるために何度かこぶしを握ったり開いたりしてみせた。そうこうしているうちに比奈の自己紹介――演説にも似てはいたが――が終わったらしく、セシリアが本題に入ろうとしていたので未来は再び耳を傾けた。
「まずは貴方たちがいるこの世界についてお話しましょうか。気づいているとは思うけれども、この世界は貴方達の知っている“チキュウ”と呼ばれる場所ではありません。ここは“名もなき大陸”……。遥か昔には貴方達の世界のように名前があったのかも知れないけれど、それは遠い遠い昔のこと。誰からの記憶からも消されるほどそれは昔で、そして破滅の世界だった。破滅から救われた少数の人々によって築かれた新しい世界、それが“名もなき大陸”です。名前などは意味がない。けれどいつしか人々は名前のないこの世界を“名もなき大陸”と呼び始め、それが定着しました。それが貴方達のいるこの世界です」
「そんな所にどうしてあたしたちが連れてこられたんですか!? あたしたちが選ばれた冒険者っていうのは何故なんですか!?」
 セシリアに届くように声を張り上げ疑問をぶつける比奈。まさに今生徒たち全員の言葉や気持ちを代弁して伝えていた。おかげで生徒たちは一斉に声を張り上げることもなく、代弁する比奈の言葉と、それに対するセシリアの回答を黙って聞くようになったので良いことではあったが。そんな比奈をセシリアは視線だけで見やると話を続けた。
「しかし、ここは実際の名もなき大陸ではありません。名もなき大陸であって名もなき大陸でない場所なのです。ここは彼女の精神世界……。この永遠に溶けることのない氷の壁、永久氷壁の中に眠る彼女が造りだした実際の名もなき大陸に酷似した仮想世界なのです。彼女はある時から深い眠りにつきました。理由などは様々でしょうが、それはわたしの知るところではありません。しかし、今名もなき大陸――現実世界のです――には彼女が必要なのです。今彼女を解き放たなくては世界は混沌と闇にひれ伏すでしょう」
「仮想世界? そんなのテレビや映画だけの話よ! 存在するはずがないわ!」
 比奈はセシリアの言葉を受け止めようとはしながらも、それを信じてしまったら全ての望みや希望が失われるようで断固拒絶しようとしていていた。
「では、貴方……そう、ヒナと言うのね? ヒナはニホンという場所から出たことはありますか?」
 セシリアは比奈へと質問を投げかけた。しかしそれは生徒全員に対する質問でもあった。
「日本から……? 海外ってことね。あるわ。……2、3回だけだけど……」
「では、チキュウの外へ出たことはありますか? そしてチキュウがどのようなものであるか知っていますか?」
「地球の外って宇宙じゃない。あるわけないわ。でもどんなものかは知ってるわ。丸くて青い……それがあたしたちの住む地球よ」
 比奈は自信たっぷりに答えた。セシリアはそんな比奈を見ながら嘆息した。
「それは貴方が目で見たものではなく、貴方はチキュウを知ってはいない」
「見たことあるわよ! テレビでだって雑誌でだって授業でだって写真や映像なんかいくらでも見ることが出来るわ! それが今の話と何の関係があるの!?」
 敬語を使うことすらも忘れて比奈は怒鳴った。自分の代表者としての存在を無視する相手は初めてだったために苛立ちと嫌悪感を隠せなくなっていたのだ。それとは逆にセシリアは話す速度を変えずにゆったりと話続けていた。それも比奈の癪に障ったのだろう。しかし次のセシリアの言葉は比奈の苛立ちを絶望へと変えた。
「貴方が見たというのは書物や文献からでしかないのです。それは“見た”や“知る”という言葉では言い表すことは出来ません。何故なら貴方はそれを直に見てもいないし、知りもしていないから。そうではありませんか? 考えてもみてください。今、貴方の目の前にいるわたしのこの姿――有翼人という人種ですが――これは見たことがありますか? 知ってはいましたか? 翼は作り物だとでも思いますか? では、何故わたしは何の力も借りずに宙に浮くことが出来ているのでしょう? そういうことです。つまり、頭ごなしに仮想世界を否定するのは無意味なことなのです。たまたま貴方が聞き知らなかっただけで、たしかにこの場所は存在し、わたしという有翼人も存在し、そして貴方も今はここに存在しているのです。ここは仮想空間であり、貴方達にとっての現実なのです。凍えるほどの寒さも感じるでしょう? 少しずつ身体が温まっていくのも分かるでしょう? それが現実でなくてなんだというのです」
「くっ…………」
 比奈は歯を食いしばり罵声を浴びせようと用意していた口元をきつく閉じた。しかし次に出そうとしていた言葉は、セシリアの話を聞いたあとであっては至極無意味でしかなかった。そして比奈だけでなく、生徒全員が――「ここはもしかしたら夢なのかもしれない。目が覚めればまた1日が始まるかもしれない」――という淡い期待を打ち破られたことも至極当然だった。
(仮想現実ってやつか。まさかこの身で体感できるとはね。なら、ここで何らかの事故で死んだ場合は現実でもわたしは死ぬのか? ここで消滅して地球では跡形も残らないのか? ……それならそれで、それに越したことはないな)
 未来は胸中で呟いた。どこか自暴自棄なような発言ではあるが、同時に何故か胸が熱くなる想いもあった。それが何なのか今の未来には知る由もなかったが……。
「理解していただけたのなら話を進めます。そうですね、まずは先程ヒナが質問したことに答えましょう。“何故連れてこられたのか”……。まずはこれを見てください」
 セシリアはそう言うと、生徒たちに背を向け――――未来の「夢」の中でシオンがいたと思われる場所へ――――不透明な永久氷壁の巨壁へと手をかざした。
 セシリアの手に光が収束し、そしてその手を永久氷壁にかざしながら一振りした。するとセシリアの手がなぞった場所から永久氷壁にまるで水面を思わせるような波紋が起こった。それまで不透明だった永久氷壁が波紋を受ける度に透明度を上げ、壁一面はゆるやかに変化を始めた。
 その変化を見ながら未来は息をのんだ。
 未来だけでなく、比奈は勿論、生徒全員が息をのみそれを見続けた。見続けた、というよりはまるで金縛りにあったかのように目が話せなかったのだ。
(――――シオン――――!)
 そこには未来が「夢」で見たままの姿でシオンが眠っていた。しなやかな身体に、美しいエメラルドグリーンの長い髪。そして片側だけしかない、翼。その存在は見るものを圧倒させる力と魅力があった。瞳は閉じたまま。心はどこに行ってしまったのか検討もつかなかった。
 セシリアはシオンが完全に永久氷壁から透けて見えるのを確認すると再び生徒たちへと向き直った。
「貴方達が理解、そして行動がしやすいようにわたしはこの仮想世界を少しだけ操作しました。貴方達が親しみやすい“ゲーム”という形を模しました。これは“ゲーム”です。この“ゲーム”の目的は、彼女を救い出す方法を探し出し、そして彼女の精神が崩壊する前に救い出すこと。もし、この世界で貴方達が死ねば現実世界でも死が訪れることでしょう。しかし、誰か一人でもこの“ゲーム”をクリアすることが出来たのならば、全員がチキュウへと帰還できます」
 生徒たちはセシリアの“死”への説明でざわついた。しかしセシリアはそんな生徒たちを気にもせずに続けた。
「これは“ゲーム”です。彼女……シオンを救い出すことのみが貴方達選ばれた冒険者たちに課せられた使命であり、唯一の道です」
 本当ならば今日という日はただの何気ない普通の日々であったはずだ。卒業式の予行が終われば、あとは自由に遊びに行けていたはずなのだ。
 それが今、自らの命を危険にさらす使命をおびてしまった。
 自分の意思とは関係もなく、勝手に。
 信じたくもなかった。けれども信じるしか道はなく、生き残るためには従うしかないことも本能的に悟った。
 これから生徒たちの運命の歯車が少しずつ動き始めるのであった。
「ゲーム…………?」
 セシリアの突然の話に生徒の誰もが戸惑いを隠せなかった。涙も出尽くしたのか放心している女生徒もいる。先刻よりも覚悟が決まってきた生徒は戸惑いながらも必死で冷静に今の状況を理解しようと試みていた。理解など平和に過ごしてきた生徒たちに出来るはずもないが、理解しようと努めた。
「死ぬ可能性があるのか?」
 今まで生徒代表として――率先していただけだが――セシリアと話していた比奈が言葉を発する前に口を開いたのは、大和だった。大和はそれまでなかなか体温の戻らなかった彼女である真澄を自分に配布されたマントで包んでいた。そのままの体勢でセシリアに質問を投げかけた。
「ゲームを模しているってのは分かった。まぁ、分かりたくもない気もするがとりあえず理解はしたつもりだ。ここは地球じゃない。俺たちの知らない世界なんだな。んで、そのシオンって女を救い出す方法を探し出して救うこと。それをすれば俺たちの世界に戻れるんだろ。あんたは俺たちに危害を加えるつもりはないと言った。けれど死ぬ可能性もあるようなことを言った。あんたが危害を加えないのなら、何故俺たちに死ぬ可能性が発生するんだ?」
「まず一つの理由として、シオンの精神状態が現在芳しくありません。長い時間をこの永久氷壁へと委ねているせいでしょう。ですから、シオンの精神崩壊も近いのです。シオンを救わなければ貴方方はチキュウへ戻ることはできません。よって死ぬことになるでしょう。もう一つの理由は…………貴方方がシオンを救う旅の中で事故や魔物に殺されて死ぬこと。誰かがクリアすれば問題はありませんが――死んでいる間は虚無の空間で彷徨うことになるでしょうが――誰もシオンを救うことが出来なかった場合は全員がチキュウに戻れないことは勿論、この世界においても完全に存在が抹消されることでしょう。貴方たちはシオンを救う以外道はないのです」
 “ゲーム”という物に対して“魔物”という名は必須項目だった。けれどそれはゲームの中だけで実際にいるはずもないものだと思っていた生徒たちには衝撃となった。絶望だけが生徒たちを包む今、反論する気力の残された生徒はわずかしかいなかった。
「大和……」
 不安そうに真澄が大和のマントをつまむ。真澄はとても小柄な少女だった。身長は150cmほどであろう。手のつけられていない真っ黒な髪は頭の上部で一つに結ばれていた。一見頼りなさそうに見えがちだが、運動部に所属しているためか性格は活発そのものだった。しかしさすがに普段は勝気でも今はその瞳に不安の影がさしており、彼氏である大和に頼るしかなかった。マントを掴むその手が震えているのをすぐに察知した大和は、その手をそっと握り「大丈夫だから」と小さく言った。何が大丈夫なのか、大和本人すら分かってはいなかったのだが。
「あんたの造りだしたゲームをクリアすれば全ては終わるんだな?」
 大和は確認するようにセシリアに言った。
「そうです。それで貴方たちは解放されチキュウへと還ることが出来るでしょう」
「魔物っていうのは何なの!? 熊とかライオンみたいな猛獣なの!?」
 それまで黙り込んでいた比奈が再び口を開いた。今まで優等生で育ってきた比奈には“魔物”という響きに馴染みはなかったようだ。
「それよりももっと獰猛な生き物でしょう。人の形を模しているものもあれば、完全に動物が変異したような姿のものもいます。ただ、彼らは争いを好み人肉を好物とするものが多い――全部がそうではありませんが――遭遇してしまったら気づかれる前に逃げるか、気づかれてしまった場合は戦闘は免れないことでしょう」
 顔色の悪い比奈にさらりと述べる。
「そんなの戦闘に入った場合は死ねって言ってるようなもんじゃねーか!」
 生徒の中の誰かが叫んで抗議する。それを口火に、それまで黙っていた生徒たちも最初は個々の呟き程度であった声が次第に大きくなり、それは永久氷壁の内部に響き渡った。セシリアは不快な表情で再び手をかざした。その動作を見た瞬間、生徒たちは自分たちを囲む火の玉に対して身の危険を感じて声は収まり、そして静かになった。
 セシリアは黙り込んだ生徒たちを気にもせずに動作を続けた。何か呪文のような言葉を紡ぎながら指先で宙に何かを描く。その指先には光が収束しており、なぞった空中には眩い光を放つ魔方陣が描かれていった。生徒たちは次は何が起こるのか恐れを抱きながら固唾を飲んでその光景を見つめていた。見つめることしかできなかった。
 ほんの少しの時間だった。
 セシリアの描く魔法陣は完成し、そしてセシリアはそれを水平にし生徒たちの足元へと放った。周囲は火の玉に囲まれ、足元は得体の知れない魔方陣が占めている。逃げれる場所といえば空中しかないのだが生徒たちには翼が生えているわけもなく、例え飛べたとしてもセシリアが待ち構えているのでいずれにしろ逃走は不可能だった。未来は表情を変えずにただセシリアが何をしようとしているのかを眺めていた。他にも数人の生徒がセシリアの“危害を加えるつもりはない”という言葉を信じたのか、それとも覚悟が出来たのか、ただ黙って見つめる生徒もいた。大半の生徒は脅えた表情を隠せないではいたが…………。
 セシリアが掲げていた手を勢いよく振り下ろした。すると反応したのは今度は火の玉ではなく、足元の魔方陣だった。
 魔方陣は光を一層増した。そして足元から生徒たちを照らし……無数かと思われる光の粒子が拡散して生徒一人一人を包んだ。それはまるで蛍の舞う夏の夜のような幻想的な雰囲気でもあった。生徒たちは今までとはうってかわって恐れることを忘れ、その雰囲気に酔いしれる者もいた。逆に警戒心をさらに強め光の粒子を必死で振り払おうとする者もいた。それぞれがそれぞれの行動を見せ、そしていつしか粒子は個々の生徒の左腕に収束し、そしてその場に留まった。
 次の瞬間光の粒子は生徒たちの左手首に金色の腕輪を残して姿を消した。
「今のままでは貴方たちは魔物と遭遇した時点で逃げることも戦うことも出来ずに死を迎えることになるでしょう」
 驚きながら腕輪を眺め、覗き込んでいる生徒たちを見届けるとすぐにセシリアは話を続けた。再び生徒の視線はセシリアに集中した。
「それはディルティリングと呼ばれる腕輪です。このゲームを開始するにあたってわたしが作成しました。この腕輪は貴方たちがこの世界にいる限りはずれることはありません。そして同時にそれは貴方たちにチキュウにいた頃の身体能力を更に増大させる機能を持っています。それをつけていれば魔物との戦闘になった場合、現在の能力で戦うよりも遥かに戦闘が行いやすいでしょう。なのではずそうなどとは思わないことです。まぁ、はずれることはないけれど」
 比奈は気に入らない様子で腕輪をはずそうと試みていた動作を止めた。
「じゃぁ、これをつけていればせ……セシリアさんのように飛ぶことも出来るんですか!?」
 眼鏡をかけた小柄な生徒が興奮を隠せないように叫ぶ。覚悟を決めた……というよりも今は好奇心が勝っているという様子だ。
「ディルティリングは、ただ本人の限界能力や潜在能力を引き出す手助けをしてくれるだけであって、貴方たちが人間であることには変化はないのでそれは無理でしょう」
「じゃぁ、魔法とか!」
 面倒くさそうな表情でセシリアは顔を歪めて一瞥した。さすがに気迫が伝わったのか、生徒はそこまでで口を閉ざした。
「ディルティリングは身体能力を上げるだけがその機能の全てではありません。実際に使いながら説明した方が分かりやすいでしょう。リングに埋め込まれている水晶に触れてください」
 セシリアが促すと、生徒たちは渋々言われた通りに行動した。
 それは未来も同様だった。ディルティリングを受け取ってから未来は一通りその形状を把握した。
 幅の広い厚めのリングは、中央にその3分の1ほどを占めるぐらいの水晶が埋め込まれていた。そしてその両脇には押せば窪むようなボタンが左に1つ。右に4つあった。大きさの割に重さを感じないのはやはり地球にはない素材を使っているせいなのかと勝手に理解した。
 未来はセシリアの言うように空いている右手で水晶をそっとなぞった。
 途端、未来の目の前には半透明な――うっすらと青みがかかっている――画面が現れた。その大きさは様々だった。というのは、それを使用している自身の意思で自在に変化させるとことが可能だったからだ。視界いっぱいに広がる画面もあれば、手の平サイズの画面もある。しかしそれでは使いづらいことは明白なので、未来はコンピューターのディスプレイほどの大きさをイメージして画面を展開させた。画面には右下に世界地図らしきものが表示されていた。何箇所かに黒い点があり、赤い点滅の点が一箇所だけあった。きっとここが現在地なのであろうと推測する。赤い点滅は、地図の北にあった。それ以外の文字は日本語でも英語でもなく、地球では見たことのない字であったので未来には何が書いてあるのか分からなかった。それは他の生徒も同じのようで首を傾げている姿が見えた。しかし、他の生徒は何か画面を見ている仕草はしているものの、未来には空中を見ているようにしか見えなかった。自分の画面は自分にしか見えないようだった。
「そのディスプレイで貴方たちのデータが全て見ることができます。現在位置、詳細地図、所持アイテム、所持金、そして武器のショートカットなど。他の機能も貴方たちの冒険の仕方次第で増えることもあるでしょう」
「あの……何て書いてあるのか読めないんですけど……」
 おずおずとセシリアに発言したのは意外にも先程脅えきっていた真澄だった。セシリアはさきほどから話を中断されることが多かった為、今も些か不機嫌そうな表情でいた。話し掛けてきた真澄を見た時、思わず睨んだ形相になる。真澄はビクっと身体を震わせてディスプレイを真剣に眺めている大和の背後に隠れた。
「機能のうちの一つを試しに起動してみましょう。ディスプレイの右上に言語アイコンがあります。現在は名もなき大陸の言語に設定されています。この世界の言葉は貴方たちには当然馴染みもないでしょうから、文字を読むことは勿論、住人たちと話すことすら出来ないでしょう。その問題を除去する機能で、翻訳モードがついています。本当ならわたしの話す言葉も理解できないはずなのですが、今はわたしが貴方たちの世界の言葉で話しているので問題はありません。では、本題を続けます。ディスプレイの言語アイコンに手を触れてください」
 言われるままに未来はディスプレイに触れた。すると画面が波紋を描きながらぶれ、静止した時には表示されていた文字は未来にも、そして他の生徒にも読める言葉となっていた。
 よくよく改めてディスプレイを見やると、そこには確かに自分の情報――ステータスとでもいうのだろうか――が表示されていた。その内容は簡単なものであったが、重要なものでもあった。左上から始まった横書きの文字。名前、武器、アイテム、現在の日付、レベル、経験値、所持金、そしてパーティー表に地図だった。本当のゲームのような表示だった。未来のディスプレイには武器が“剣”とだけ記されていた。他のアイテムもレベルも経験値もまだ何も記入されていなく、所持金だけが100Gと書かれていた。
(3507年2月19日? それが今のここでの日付か……)
 未来はこの世界の知識を頭に叩き込む為に想像をめぐらせた。
「基本的にはディスプレイに触れるだけで可能ですが、ディルティリング本体についている右側の4つのボタンでも操作は可能です。そして大事なのが武器です。魔物と戦う為の武器があらかじめセットされています。それは個人個人の特性に応じた武器です。武器というものはいつでも携帯するものと思っているかもしれませんが、貴方たちのような戦闘慣れをしていない者たちにそれは酷だろうと思い、武器のショートカット機能を搭載しました。リングの左側のボタンを押すだけで水晶の中から瞬時に武器が取り出すことができるでしょう」
 ここまで話すとセシリアは一呼吸置いてにこりと微笑んだ。
「とにかく戦闘は習うより慣れろ、です。実際に戦闘を行ってみましょう」
 いきなりの言葉に生徒たちは落ち着いた心をすっかり取り乱してざわつきはじめた。
 そんな様子を気にもとめないで、セシリアは右手の指をパチンと鳴らす。すると先程と同じような魔方陣が永久氷壁の壁一面に出現した。
 そして次の瞬間、光輝く魔方陣の中から顔を覗かせたのは、テレビや映画、漫画やゲームの中でしか見たことのないような異形の物だった。
 それを“魔物”と呼ぶのだろうことに気づいて生徒たちは悲鳴をあげた。
 未来は先程セシリアが説明したように瞬時にショートカットを使って武器を取り出していた。刃が長くて、両手で扱わなければいけないような重量感のある剣だった。
(身体能力の上昇を促進させる機能か。そんなものでもなければ扱えないな、これは。感謝して使うか)
 胸中で独りごちると未来は剣を構えて目前の魔物を見据えた。
「危害は加えないんじゃなかったのか!?」
 大和も同じように剣を構えながらセシリアに抗議する。背後で大和に守られている真澄は、リングの扱いに戸惑いながらも必死で武器を取り出そうとしていた。しかし慌てれば慌てるほど手は震え、思うように武器が取り出せない。取り出せても構える程の余裕も、向かっていく度胸もない生徒も大勢いた。
「危害ではありません。これは訓練です」
 平然と微笑みを崩さずセシリアが言い放つ。
 魔物の咆哮が永久氷壁を震わせた。
「訓練だって? それにしてはやけに気合が入ってるじゃねぇか」
 大和は苦笑しながら眼前の敵を見つめた。
 魔方陣から現れた魔物は全部で4体だった。全部が同じ容姿にも見えたが、よく見れば持っている武器が違うものであった。壁に浮かび上がった魔方陣からだんだんと姿を現わし、そして大きな音を立てて地面に着地した。生徒の周りを囲むように4体の魔物は動いた。身体の大きさは未来の2倍は軽くあった。巨大な頭には、それに見合った巨大な目や鼻、口などのパーツがあり、耳は尖っていた。角のついた兜のようなものを被っている魔物もいた。身体は素肌――と呼べるのかどうかは分からないが――に胸当てをつけただけの簡易的な装備で、太い腕にはそれぞれ棍棒や斧を携えていた。素手の魔物もいるがそれはそれで殴られれば一発で身体を粉砕されるだろうことを予想するのは至極簡単だった。くすんだ緑色の肌には切り傷がいたる箇所に存在していた。大きく開いた口からはだらりと赤い舌が覗いていて、真っ黒い瞳がギロリと生徒たちを睨む。
 魔物を恐れた生徒はじりじりと中央に集まっていった。一部の勇敢――無謀かと思われる者もいたが――な生徒は武器を手に取り魔物に対峙していた。
「それはオークと呼ばれる魔物です。真剣に戦って、そして勝利してください」
「ふざけんな! 今死んだらあんただって困るんじゃねーのか!?」
 大和は棍棒を持ったオークと対峙していた。真澄をかばいつつ、視線はオークから逸らさずにセシリアに叫ぶ。
「この程度の魔物も倒せないようではクリアは到底出来ません。貴方たちはそんなにも脅えていますが、身体能力はディルティリングの効果で上がっているんですよ? それを試してみたいとは思いませんか? さぁ、戦いなさい、選ばれた冒険者たちよ」
 セシリアが言葉を言い終えると同時に再び4体のオークは永久氷壁いっぱいに広がる咆哮をあげた。
 未来は4体のオークの中でもセシリアに最も近くの場所にいる斧を持った魔物と向かいあっていた。対峙しながらセシリアを横目で見やると、微笑みを絶やすことはないながらもその目は生徒全員の動きを追っていることに気づいた。
(試しているのか……この中に“シオンに近い存在”とやらがいるのかどうかを、か)
 ふと、生徒の動きを視線で追っているセシリアと目があった。まるで未来の考えていることが読めるかのように一瞬未来だけに微笑んだ。その瞳は「夢」で見たものと全く同じで反射的に目をそらしてしまった。
 次の瞬間、未来の目の前にオークの斧が振り下ろされた。体格のいいオークからの一撃は、振り下ろすのにあと一瞬遅れて気づいていたら未来を頭から叩き潰していただろう。
 未来はセシリアから目を逸らした瞬間にオークの行動に気づき、寸での所で背後へ飛んでよけた。本来であれば未来がいた地面――氷ではあるが――が飛び散るだろうと予測しててを腕で覆い庇う仕草をしたが、その衝撃は来なかった。視線を巡らすとそこには無傷のままの地が残っていた。溶けないだけでなく、どうやら物理的衝撃すらも皆無のようだ。
 未来は自分の手が震えていることに気づいた。いくら死に対する覚悟が出来ていたとしても、実際になれば震えるものだということを実感して嫌な気分になる。
「くだらない。ただ魔物を殺すことだけを考えれば造作もないことだ」
 未来はこの世界に来てから初めて言葉を発した。それは誰かに聞かせるための言葉ではなく、自分自身に言い聞かせるための言葉だった。
 剣の柄を握る手に力がこもる。
 背を伝う冷たい汗を無視して、この次どう動くかを思考する。
 逃げ惑う生徒たちが邪魔で苛立ちを覚える。騒ぎ立てる悲鳴が集中力を殺ぐ。
 未来は頭を振り雑念を振り払おうとした。柄を持つ手にさらに力を込め、握りなおす。
(……どうする!?)
 考えるより早くオークは2撃目を繰り出していた。今度は振り下ろしではなく、横へ水平に斧を滑らした。その巨体からは想像のつかない程の速度で。
 未来は背後へ避けようとしたが、恐怖にのたうちまわる生徒たちが邪魔な為それは不可能だと察知した瞬間、躊躇いもなくオークへと直進していった。至近距離で繰り出される斧の攻撃を体勢を低くして避ける。オークが再び斧を振りかざす前に、未来も行動する必要があった。
 斧が頭上を過ぎるのを風の動きで感じながら、すべきことを考えた。
 生まれて初めて、殺傷出来る武器で相手を切る。
 相手は人間ではないにしろ生き物であることに変わりはなかった。
 それを殺すつもりで切る。
 いや、一撃で息を止めなければならなかった。
 ならばどこを狙うか。
 オークの身体が強靭であることはその外観の筋肉から想像はつく。首を狙って切り落とすのが一番確実な方法なのだろうが、この体格差だ。いくらなんでも届かない。届いたとしてもそんなことをしている間に斧に未来自身がぶった切られるのが関の山だろう。どこを狙ってもオークの皮膚を傷つけることが出来るのかどうかも分からない。
「身体能力の向上ってやつに期待しますか!」
 未来はオークの斧を避けた低い姿勢のまま剣を水平に構え走り続けた。
 すぐに視界に入ってきたオークの足に狙いを定める。そして、今込められるだけの精一杯の力を剣へと伝わせて、思いっきり叩ききった。
 オークの太ももに剣が食い込んでいく嫌な感触が伝わる。オークの身体から緑色の血液が流れるのが見える。
「――っ!」
 剣は思っていたよりも深くオークに切り込みをつけた。しかしその代償か、剣はオークの足に刺さったまま未来の力でははずれなくなった。舌打ちして剣を放棄してその場から離れる。オークは予想していなかった攻撃に怒りを見せて叫んだ。
 足を切断は出来なかったものの思った以上に手ごたえを感じた未来は、その中に勝機を見た。
 近くをオロオロしながら逃げ惑う未来と同じような剣を持った生徒の武器を奪い取り、再びオークに対峙する。
 呼吸を整える。
 集中力を高める。
 そして、相手の動きをよく見る。
 未来は再び走り出した。
(動体視力も回避能力も普段とは全然違う。それに賭ける!)
 オークは今度こそ邪魔な小さき人間たちをその斧で仕留めようとしていた。未来も同じだった。この攻撃が通用しないのであれば勝ち目はない、と。
 オークは真っ向から勝負を仕掛けてきた。直線的に走って近づいてくる未来に斧をふりかざして横へなぎ払う。オークは確かなその手ごたえを感じた。
 いや、感じるはずだった。
 未来はオークの動きを正確に見ていた。オークの攻撃モーションの一瞬の隙を見逃さず、オークの斧の届かない足元へと滑り込んだ。
 一面氷の床はここぞとばかりによく滑り、あやうく行き過ぎる所をオークの太ももに刺さっている自らの剣を掴み、止める。
 その衝撃で剣はさらにオークの太ももに深く突き刺さったがやはり切断には至らない程度だ。
 オークが上半身だけを背後に向けて斧のない空いた手で未来の頭を掴もうとした。
 瞬間、未来は持っていた剣をオークに投げた。未来の剣と同じような物だが、これはそれよりも軽く出来ていた為それが可能だった。
 剣は大きく開いたオークの口へと真っ直ぐに向かい、そして刺し貫いた。
 反撃にそなえて未来は半歩後ろへ飛んで防御の体勢に入る。とはいっても、相手の攻撃を防ぐ物など何も持っていないのだから防具は自らの腕しかない。反撃を受ければそんなか細いものなど何の効果も得ずに散るのは目に見えてはいたが。
 ずしん……と、重い音が聞こえてきてオークが朽ち果てたのが分かった。
 死に行くオークの黒い瞳に光がなくなっているのを見つめながら未来は吐き気を感じた。
「……殺すというのは、こういうことか……」
 独りごちるように呟く。
 未来によって倒されたオークは、しばらくの後その身体を発光させ光の粒子となった。その粒子は真っ直ぐに未来の水晶に入り、そして消えた。
 残されたのは口内に突き刺さっていた剣と、未来の剣だけだった。
 未来は剣を手に取ると、次の敵を探す為に首をめぐらせた。

「凄いな。いきなり一人で倒しやがったぜ」
「よそ見しているほど俺らには余裕ないはずなんだけどね、大和」
「敵が一体でも減ったのはいいことじゃねーか。明日への希望に繋がるって、マジで」
「じゃぁ、俺らもその明日への希望ってやつを拝むためにいっちょ頑張りますかね?」
「あぁ。当然だ!」
 未来とは間逆の位置にいた大和は、棍棒を持ったオークと対峙していた。親友である陸と協力してなんとか棍棒を離させることには成功したものの、素手は素手でもっと手ごわい相手となってしまったので困り果てているのが現状だった。
 次はどうするか。
 真澄を守る為、自分を、友人を守る為の最良の行動は何かと模索していた。
 そして、視線の隅で未来がオークを倒す所を見ていた。
(マジで凄いな。さすだな、未来は)
 胸中で感嘆する。それを未来自身に伝えたいと思いはするが、まずは目の前の敵をどうするかを考えて重い気分になる。
「大和。どうしようか? そろそろあちらさんもお怒りっぽいけど」
 陸が聞く。金髪の髪に黒い肌。それは陸の趣味ではなかった。元々は性格の穏やかな好青年だった陸をこんなギャル男のようにさせたのは、陸の彼女である桃香の趣味のせいであった。しかし外見はいくらチャラチャラしていても内面まではそうそう変えることは出来ない。桃香は優しすぎる陸にいつも不平不満をぶつけていた。そんな桃香を相手に2年という交際記録を持つ陸はやはり大した男だった。
「アンタたちぃー! 男でしょ!? しっかりあたしを守りなさいよねぇー!」
 背後から桃香が騒ぐ。彼女の武器は鞭であった。陸と大和、真澄でさえもそれを見た瞬間納得した。
 彼女に最良の武器であると。
「桃香にも援護くらいさせろよ。案外、最強かもな」
「危ないじゃないか! 桃香を危険な目にあわせたくないんだ。魔物なんて俺が倒すよ! 大和だって同じだろ? 真澄ちゃん守るためにここは男を見せないと」
「守る為にか……そうだな! いくか!」
 大和と陸は生徒を追いかけまわっているオークの元へと走り出した。