LOVE HAZARD 1
作:草渡てぃあら





 プロローグ

 そのとき彼は恋に落ちた。
 冴えない高校二年生・早瀬鷹明(はやせたかあき)――春の出来事である。
 それはまさに、「落ちましたぁーっ!」というような激しい衝撃だった。
 頭の中は見事なまでに空白で、奈落の底に転落していくような錯覚の中、心臓だけがバクバク鳴っているのが分かる。
「ストゥームザイムの名のもとに」
 彼の耳に少女の可憐な声が響く。くびれた腰。艶やかに流れる黒髪、凛とした横顔。そして形の良い唇が動く。
「……滅びよ!」
 刹那――激しい爆風がその場を襲った。間髪入れず、彼女は手にした剣を魔物に振りかざす。よどんだ空気が切り裂かれ、鮮やかな閃光が走る。
 次の瞬間。
 彼女の剣は、容赦なく獲物の心臓部を捕らえていた。
「ギャァァァァアッ!」
 背筋が凍りつくような悲鳴が響き渡り、魔物は恐ろしい断末魔だけを残して、跡形もなく消え去っていた。
 ほんの数分前まで、鷹明を殺そうとしていた魔物だ。
 そう――彼は絶体絶命の危機、生きるか死ぬか最中に、あろうことか一人の少女に一目惚れしてしまったのである。
「無事か? 怪我はないか?」
 振り返った少女に、鷹明は上手く言葉を返せなかった。当然と言えば当然である。
 平凡な高校生がいきなり異世界に飛ばされ、救世主に祭り上げられた直後、魔物に襲われて死にかけたのだから、平常心でいろと言う方が難しい。
 さらに悪いことに彼は今、目の前の少女に我を失うほど激しい恋しているのだ。
 爆発寸前の胸の高鳴りは、先ほどまでの恐怖から来るものなのか、それとも恋のトキメキというやつなのか、パニック状態の彼には判断が出来ない。
 けれどそんな彼の混乱をよそに、少女はあざやかに剣を鞘に戻すと、鷹明の方へと近づいて来た。小さな顔と知性が光る黒い瞳が、心配げに鷹明を覗き込む。
「本当に……大丈夫?」
 魔物に襲われたショックでしゃがみこんだままだった鷹明を、心配げに見下ろす彼女の優しい瞳。その眼差しに鷹明の心臓は再び高鳴っていく。
(な、何か言わないと……っ!)
 気持ちは焦るが、まだ上手く言葉が出てこない。
「……」
 あとから考えると、そのときに鷹明は、別に「怖かったぁ」と泣いて抱きついても良かったのだ。その少女もきっと、優しく抱きしめ、慰めてくれたに違いない。何故なら――。
 何故ならこの世界で彼、早瀬鷹明は正真正銘、フツーの。
 女の子だったのだから……。


第一話『恋の花咲くコトもある!』

 時間を少し前に戻そう。その上で、この複雑な事の成り行きを説明していく必要がある。平凡な高校生・早瀬鷹明が何故、異世界に飛ばされ魔物に殺されそうになったか、そして何故女の子の身体になってしまったのか。
 何が原因で、何が問題だったのか、すべては放課後に始まった。

 その日、事件は会議室でも現場でもなく彼の通う校内で起こった。
 穏やかな日差しが舞い込む、午後の保健室である。
 鷹明君、と年上美人はゆっくりと彼の名前を呼んだ。キレイな足を色っぽく組んで、保健室のベッドに腰掛けていた鷹明の隣に座る。
 そして呆然と立ってた鷹明の制服のネクタイをグッと引っ張ると、耳元でこうささやいたのである。
「脱いで。お願い」
 低めのセクシーヴォイスが、鷹明の耳をくすぐらせる。高二の春に、こんなおめでたい体験をするなど、なんとも羨ましい――いやいや好ましくないことである。
 ともかく、そのとき鷹明は「人生はなんて素晴らしいんだっ。これぞ幸福の絶頂期!」と思っていた。人生はそんなに甘くないということを学ぶには、彼はまだ若かったのだ。
 後の展開を考えれば、彼も気の毒な少年である。
 ……もう少しだけ、話を前に戻そう。
 一体、鷹明の行動の何がいけなかったのか、理解できたような気がするのだが。
 この事件の発端は、おそらく放課後だ。
 その日、鷹明は彼なりに結構深刻なトラブル――今となっては、なんという平凡で平和に満ちた悩みなのかと泣けてくる――を抱えていた。
「部長候補だとぉ!?」
 まともな部活動もせず、散らかった部室で今週号分の様々な週間少年誌を読み漁っていた鷹明は、驚いて顔を上げる。
「……すすす、すみませぇん」
 出欠簿のファイルで半分顔を隠しながら、後輩マネージャーの神崎巳子(かんざきみこ)は泣きそうな声でペコリと頭を下げた。
「でもでもでも! 三年の先輩方は一、二年で適当に決めろって言われるし。二年の先輩方は、みんな部長になりたくない一心で汚い裏工作ばっかりされて……このままでは部活動にも支障をきたすという話になって結局、一年の推薦で決めようってことになったんですぅ……」
「で、それが俺ってわけ?」
 思いっきり嫌そうな顔の鷹明に、巳子は黙ってうなずいた。部員の中でも人一倍気弱な彼女は、すでにメガネの奥の瞳を潤ませている。
(おいおい、泣かれてもなぁ……)
 もちろんこの事態はマネージャーの責任ではない。部員全体のやる気のなさと、それに由来するまとまりのなさが、一気にしわ寄せとなって現れた結果なのだ。
 鷹明が所属するスポーツ総合部は、校内でもかなり特殊な存在である。一応、運動部に所属しているのだが、その内容は実に様々で、当初はあらゆるスポーツに通ずる人間を育成しよう≠ニいう狙いがあったらしいが、現実はそんなに立派なものではない。
 結局、あまり熱心に部活に打ち込めない中途半端な体育会系ばかりが集まってきた。
 もちろん鷹明も例外ではなく、夏に水泳、冬にはスキーと、真っ当に頑張っている他の部活に寄生しては、『てきとー』をモットーに、限られた青春の日々を『てきとー』に謳歌しているのだ。
 そんな部活なので、もちろん鷹明は今まで機嫌よく楽しんできたのだが――。
「なんで俺が部長候補なんだよ?」
 他にも二年はいるだろー、という彼のクレームに巳子は真剣な瞳で首を振ると、メガネを押し上げて説明に入った。
「田中先輩は医学部受験だからのん気なことやってられないし、大和先輩は助っ人していたサッカー部でいつの間にかレギュラーになっちゃったし……あと柳先輩は、生徒会長になって水泳の時間を男女一緒にするって選挙の準備に大忙しなんです」
「……相変わらずバカだねー」
「ですからここはひとつ、先輩が」
「待て待て待て!」
 話の流れで部長にさせらそうになった鷹明は、慌てて他の候補を探す。
「えっと。あと出てない二年は、と……そうだ! 中村がいるじゃねーか」
「あ、それは無理です。中村先輩の彼女、すごーく怖い人で部活始めたってだけで「会う時間が減った」ってクラブハウスに怒鳴り込んできたんですから。部長なんかやらせたら、私達みんな殺されますよぅ」
「……」
「そろそろ諦めてください。ね? 私達一年でよく考えたんです。進路も未定、彼女もいない、他にやることもなさそうな早瀬先輩が一番手頃……じゃなくて適任かな、と」
「……ホント、先輩想いの一年で涙が出るぜ」
 彼のささやかな嫌味に気づくことなく、巳子は「ありがとうございますぅ」と真面目に頭を下げた。
(にしても、やっかいだな)
 可愛い後輩を困らせたくはないが、鷹明だって部長などという面倒くさい仕事は絶対、死んでもごめんである。だいだい彼は、『人の為』とか『みんなを代表して』という立場が一番嫌いなのだ。
 そう、鷹明にはずっと以前から密かに決心していることがある。
(俺は、俺は誰が何と言おうとこれからもずっと、ひっそりこっそりと自分のためだけに生きてくんだもんねっ!)
 何ともセコイ上に意味のない決心であるが、本人はいたって真剣である。その為にも。
(何とか逃げる方法を考えないとなー……)
 頭を悩ませながら鷹明は部室の汚いソファに体重をかけ、天井を仰いだ。
 その時である。
「はーやせー」
 部室のドアがあいて、少し鼻にかかったような丸い声が聞こえてきた。
 このとろんとしたハニーボイスの主は、鷹明のクラスメイト兼部活仲間の菜波嘉穂(ななみかほ)に違いない。視線を投げると思った通りの当人ともう一人、嘉穂の後ろに入谷あさき(いりやあさき)も立っていた。
 いつもニコニコと愛想の良い嘉穂とは対照的に、あさきの顔には『何にも全然面白くない』とでも言いたげな仏頂面が張り付いている。
「あ、また巳子ちゃんいぢめてるー! ダメよ? 後輩は大事にしなきゃ」
 嘉穂が巳子の頭をよしよしながら、鷹明をにらみつけた。といっても、身長が百五十に満たない嘉穂は、後輩の巳子よりも少しだけ低い位置から頭を撫ぜている……イマイチ頼りにならなそうな助け舟だが、巳子は「センパーイ」と泣きついた。
 鷹明はそんな二人に「いじめられてるのは俺だっつーの」と不服そうに言い返す。
「それより、嘉穂も入谷も今日は部活サボリか?」
「うん。昨日までバレー部の助っ人やってたんだけどね。入院してた子が戻って人数が足りるようになったからって円満退職しちゃった。今からあさきと、駅前のカフェに春限定のイチゴパフェ食べに行くんだ」
「入谷は大丈夫だとしても、嘉穂はますますブタになっちまうな」
 鷹明の言葉に、嘉穂は「いじわるー」と頬を膨らませた。
 元来のベビーフェイスに似合わず、妙に色っぽい瞳とでっかい胸が彼女を校内美人リストに押し上げたが、その大半はマニアックなファンによるものだと鷹明はふんでいる。
 鷹明的には、正統派美少女・入谷あさき(いりやあさき)の方に軍配が上っているのだが、彼女の場合、得点が入るのはあくまでルックスのみだ。
 性格的にはいささか……というか割と、いや、相当問題があった。
 ほんの数ヶ月前にも、バスケ部のエースがあさきに告って見事玉砕した――とここまではよくある話なのだが、その断り文句がものすごかったらしく、明るく爽やかな人気者な彼が、しばらく登校拒否にさえなったという伝説がある。あさきに何を言われたのか誰もが聞きたがったが、そのたびにその男は涙目で遠くを見ながら、
「高嶺の花に手を伸ばしたら、その花に突き落とされたという感じだ……」
 とだけ答えたのだという。それ以上は誰も――怖くて聞いていない。
 そんな入谷も、正反対のへらへらとした性格の嘉穂とは何かしら気の合うところがあるらしく、一緒にいる場面が多かった。
 二人とも、スポーツ総合部の花形部員であり、特にあさきはスポーツ万能なので、県大会が近づくとどこの部活からでも熱心な助っ人のお誘いが来るらしい。
 役立たずの男性部員達とはエライ違いである。しかし、女子部員はその分暗黙の権力も持っており、部長候補というやっかいな役どころはすべて自動的に男子に廻ってくるのだ。
「で、何? 二人揃ってパフェよりも甘い鷹明君のマスクを拝みにきたわけだ」
 ソファーに寝転びながら鷹明が言った。すかさず、あさきの涼しげな目元から冷た過ぎる視線が鷹明を直撃する。
「バカか、おのれは」
「……」
 今日始めて鷹明ととったコミュミケーションがこれだ。無口なくせに、言うことだけは言ってくれるものである。鷹明はため息をついて嘉穂に助けを求める視線を投げた。
 しかし、さすがの嘉穂もあきれ顔であさきの意見に同意する。
「まったくおめでたい頭だよねぇ早瀬って」
 と可愛らしく肩をすくめてみせると、
「あのね、保健室の前で女の人が鷹明を呼んでるの。帰ろうとしてたのに声掛けられちゃった。早瀬鷹明って人いますか、だってー」
 と言った。天然栗毛のサラサラボブを揺らして首をかしげる。
「二十歳ぐらいのお姉さんだったよ。見たことないし、学校の人じゃないかもー……はっ! ということはっ」
 何を思いついたのか、嘉穂はひらめいたように顔を上げる。そして鷹明の背中をバンバンと叩いて言った。
「ダメじゃん、はやせー。いくら童貞捨てたいからってプロに手を出しちゃさぁ」
「なんだよそれ?」
「だってすごい美人のお姉さんだったもん。短めのスーツ、バシッと着こなしてさぁ」
「……美人なんだ?」
 美人という発言に、鷹明の目つきが変わる。
「そりゃもうバツグン! 早瀬なんて金つまなきゃ無理って感じィ?」
「だからって、なんでそういうオヤジくさい発想になるわけよ?」
 嘉穂の言葉に、鷹明はソファーからずり落ちた。清貧な高校生相手によくこういう発想が湧くものである。嘉穂と鷹明は幼稚園からの知り合いだが、鷹明は未だに彼女の思考回路が全く読めないでいた。
「じゃあさぁ、ちゃんとした知り合いなのー?」
「いや……心当たりはゼロ。大丈夫なのかよ? 俺、そのお姉様に誘拐されちゃったりして」
 ないない、と嘉穂が顔の前で手を振る。あさきも白けた顔で横を向いてしまった。巳子だけが「どうしましょう」と心配顔で鷹明を見ている――真面目な子のだ。
「美人のお姉さんかー……自慢じゃないが、まったく心当たりがないな」
 鷹明はソファーに座りなおして考え込む。
 兄弟は弟一人だったし、親戚一同、年配ばかりで年頃の女の子などいない。バイト先は運輸業だから恰幅の良いおじさんだらけだ。
 つまりは現時点で彼の人生に、年上の美人お姉さんなどと知り合う機会は皆無なのである。
(……待てよ、ひょっとして)
 鷹明はふと瞳を上げて、意味ありげに眉を寄せた。
「いつまでも童貞の俺を心配して、未来の俺が送り込んでくれたとか」
「ドラえもんか、おのれは」
 あさきの鋭い突っ込みが飛ぶ。なんというか、ハリセンでも出てきそうな絶妙のタイミングである。
「下らないことウダウダ言ってないで早く会ってきな」
「そうですね。早瀬先輩にわざわざ会いに来たのなら、待たせちゃ悪いですよ」
「そうそう。早くしないと美人が帰っちゃうゾ」
 切り捨てるように入谷が言い、巳子の真っ当な意見に嘉穂もこくこくとうなずいた。
 三人に促されて、鷹明はしぶしぶ部室を出る。
 春の日差しを受けた渡り廊下には、部活動に励む部員達の掛け声が響いていた。廊下の突き当たりから本校舎に入って右に進むと、用務員室と職員室があって、その隣が目指す保健室である。
(俺を待っている美人のお姉さん、ねぇ……)
 午後の日が斜めに差し込む廊下を、鷹明はぼんやりと歩いていた。その先に、彼の人生を大きく変える出来事が待っているとも知らずに――。


「あなたが早瀬、鷹明くん……?」
 保健室のドアにもたれ、前で腕を組みながら待っていた女性は、確かに美しかった。涼しげな目元に真っ直ぐに腰まで伸びた黒髪。二十歳後半という感じの落ち着いた容姿で、マイクロミニからすらりと伸びた足が見事である。
「確かに、そういう名前ですけど……」
 鷹明にはまったく見覚えがない。見覚えはないが――。
(わおー超ド級の美女っ! カンペキ! しかもモデル体型ってやつじゃないですかー)
 理性をぶっ飛ばして見惚れてしまっている鷹明に、その美人はつかつかと歩み寄ってきた。
「思ったより早くに探し出せてよかったわ。時間がないの、急いで」
 彼女の細い腕が、鷹明の手を掴む。「柔らかいにゃあ」などと余韻に浸る間もなく、結構な力で彼は引っ張られた。これには鷹明もさすがにビビる。
「ちょっと……全然話が見えないんですけど……っ! 急いでってどこに行くつもりなんですか!」
「人目につかないところよ。そうね、この保健室でいいわ」
「保健室? でも奈々子先生は?」
「今は留守。大丈夫、誰もいないから」
 その言葉を聞いて、鷹明はひとまず安心する。とりあえず、怖いところに連れて行かれる心配も「男女不純異性行為よっ」と奈々子先生に怒られる心配もないようだ。
 保健室には本当に誰もいなかった。もし鷹明が用心深い性格だったなら、一番奥のベッドで保健の奈々子先生がスヤスヤと眠らされていることに気付いたに違いない。だが、あいにく彼はそれほど注意深い人間ではなかった。
 いや、鷹明の頭にある心配はひとつ。誰もいない保健室に、男女が二人っきりという状況になるわけで――。
(教育上、よろしくない環境なんじゃないですかーこれは?)
 しかし肝心の美人の女性は、そのようなことを気にする様子もなく「早く」と彼の手を引っ張った。
 近くのベッドまで連れていき、区切りのカーテンを引いていく。白く揺れるカーテンの波を見ながら、鷹明は随分と早い展開に呆然と座っていた。
「あの、何か質問とかしたい気分なんですど?」
 遠慮気味に言う鷹明の言葉を、しかし美女はきっぱりと切り捨てた。
「悪いけど説明している時間がないわ」
 そして、振り向きざまにこう言ったのである。
「世界の崩壊が迫っているの!」
 窓から舞い込む春の風が、鷹明達のいるベッドのカーテンをふわりと躍らせる。
「……はい?」
 鷹明は間抜けな顔で聞き返した。世界の崩壊とは随分大げさな話である。いたって真剣な彼女のテンションを推し量るかのように、鷹明はポリポリと頬を掻いた。
「世界が、危ないんですか?」
 まぁ厳密に言うと地球は、あらゆる面において崩壊の危機にさらされてはいるのだろうが、それでもクラブ部長ですら尻込みしている鷹明にとって、世界などまったく無関心の事柄である。
 しかし、鷹明の反応とは対照的に、その女性はきっぱりと「そうよ」と言った。
「特別な存在のあなただけがこの世界を救うの。でも詳しい話はあとで、ね」
 彼女は、真剣な面持ちで鷹明の隣に座る。
 そういう流れで鷹明は今、保健室のベッド上で美人のお姉様に迫られているのである。
「脱いで……お願い」
 甘い声に導かれるように、鷹明は自分の制服のシャツのボタンを外す。もちろん、鷹明は先ほどの「世界の崩壊」など、きれいさっぱり忘れていた。
 とは言え、言い出した彼女もまた待ちきれないとでも言うように、彼のはだけた胸のど真ん中に柔らかい唇を当てていた。
 鷹明の身体には、なんとも言えない感情がこみ上げてきて、胸が痛いほどだ。
 せつなく痺れるような痛み。これが初体験の入り口なのか――。
(つーか……マジ、で……?)
 ふいに鷹明の表情が変わった。
(マジで! マジでっ痛いんスけどっ!)
 そこにはもう甘い表情はなかった。想像を絶する激痛に顔を歪ませる。
「イ、イタイ! 痛いってば、ちょっと!」
 気づいた時はすでに、彼の胸は真っ赤に染まっていた。反射的に逃げようとしたが、鷹明の両腕はしっかりと掴まれいる。情けないことだが、お姉さんの力に完全に押さえ込まれている状態だ。
(こ、こんな展開……ありかーっ!)
 彼女の唇の下で、痛みはさらに増していく。鷹明は恐怖で声も出くなっていた。
 完全にパニックを起している鷹明の脳裏には、去年の夏にTVで見た『歌舞伎町・私がサド女王だ!』とか『怪異! 実在する吸血鬼』とかその辺りがちらつく。
 だがこれは噛まれているような痛みではなく――。
(な、なに? 石みたいなのを埋め込まれている……っ?)
 背筋がザワリとあわ立つ。石が埋め込まれた胸の中央あたりが異常に熱を持っているのが分かった。胸の隙間から垣間見る彼女の顔は、気味が悪いほど真剣だ。
 しかし彼を襲った怪奇現象はこれで終わりではなかった。
「この石の輝き、やはりストゥームザイム資格が……」
 一旦、唇を離した女性はひとり眉を寄せてそう言った。
「一度マザーサイドに連れていかなくては、本来の姿には成らないということか」
 お姉さんの唇から次々と奇妙な単語がこぼれ落ちるのを、鷹明はただ呆然と聞いていた。もちろん、押さえ込まれた体勢のままである。
(どうなっちゃうんだ、俺?)
 あまりの展開に泣きそうになりながら、鷹明は救いを求めるように天を仰いだ。
 ――の途端。
「!」
 鷹明が押し付けられていたベッドが、ふいに姿を変えたのである。
 まるで鏡のように硬質化したかと思うと、ベッドはゆらりと不気味に揺らめいた。そしてさらに水のように変化をしていき――。
「わっ!」
 鷹明は、現実、あり得ない空間へと落下していったのである。
 抱き合いながらともに落ちていくお姉さんは、そこで初めて鷹明の顔を見た。上目遣いで美しく笑う。濡れたような瞳とあやしげな唇が色っぽかった。
(やっぱり美人だなぁ)
 何とも間の抜けた感想ではあるが、ともかくそれが、鷹明が最後に描いた思考である。
 次の瞬間、彼はあっさりと意識を手放していた。