LOVE HAZARD 4
作:草渡てぃあら





 スポーツ総合部の新米マネージャー神崎巳子は、今日も泣きそうな顔で鷹明のいる2年8組のドアの前に立っている。
「き、今日こそは絶対、何かなんでも必ずっ、強引にでもっ、早瀬先輩にサインをしてもらわないと……!」
 力強い単語を並べてはいるものの、握り締めた小さな拳はかすかに震えている。
 もう一方の手には『次期部長確定書』が握られており、承認欄には鷹明の名前がすでに書かれていた。あとは本人直筆のサインさえもらえば、新部長成立なのである。
 廊下側の窓からそっと覗くと、放課後の教室には人もまばらで、後ろから二番目の窓際に鷹明がだらしなく机に突っ伏している。
 遠目から見る鷹明は非常にやる気のない姿なのだが、頭の中ではかなり画期的で偉大な決心をしているのだ。
(よーし! 俺はやるぞっ)
 横向き視界のまま、鷹明は窓から春の空を見上げる。からりと晴れ渡った青空には雲ひとつなく、どこが世界の危機なのだと言いたくなる――だが。
(アレクや戸津川達の話が嘘だろうが本当だろうが、ナオとの接点は俺がストゥームザイムであることだけなんだ)
 世界を救うなんて今でもピンとこないけれど、とりあえずは戸津川のために頑張りたい――それが正直な気持ちだった。
(戸津川っていうか、如いてはナオの為に!)
 そこまで思って、鷹明はガバリと身を起した。
「俺は今日から頑張るぞー!」
「ひゃあ」
 いつの間にか隣に立っていた巳子が驚いて両手を挙げる。
「あれ? いたの巳子」
「ははは、はい。今日こそ正式に部長になってもらおうと、生徒会に提出する書類をもらってきたんですぅ。だから」
 だがしかし。テンションマックスの鷹明は、すでに巳子の話など聞いていない。自分の両手を広げてじっくりと見つめると、今度は拳を強く固めてみる。
 不思議なことに力が漲っていくような感覚があった。その気になってみると、ヒーロー気分というのも意外に爽快なものである。
「俺の両肩にみんなの未来がかかってるんだ。頑張らないとなっ」
「? そ、そうですね……」
 奇妙な行動の鷹明に戸惑いながら、巳子はそっと顔色を伺う。少し妙だが、昨日よりも部長になることには前向きなようだ。前向き過ぎな気もするが――。
 巳子は、鷹明の気分が変わらないうちにとさっそくペンを握らせる。
「ここに早瀬先輩の名前を書いてください。あとは私が生徒会に提出しますので」
 鷹明はペンを握らされてることにも気づかないで、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
(……でも本当に今の俺であんな化け物に勝てるのか?)
 鷹明の胸に一抹の不安がよぎった。
「いや、だからこそ変身があるのか。ひとまずはアレクにでも方法を聞かないと」
「変身? 方法ならこの部分にサインをしてもらえれば、それでいいです」
「了解、了解って……ああ!」
 気付いたときには遅かった。目の前で巳子が無邪気に微笑んでいる。
「ありがとうございますっ。これで新部長の決定ですぅ」
「……あれ?」
 だんだんと状況が把握できてくると鷹明は、自分の犯した失敗に眉をしかめた。冗談ではない。自分はこれから世界を救う仕事をしなければならないのだ。部長などやっている場合ではない。
 しばらく考えた末に、鷹明はある暴挙に出ることにした。大事に用紙を抱えている巳子に近づくと、
「こうしてやる!」
 と用紙を奪い取り、開いている窓へと持っていった。そして巳子に向かってにっこりと笑うと、用紙を持っていた指先を離す。
「ああっダメですぅーっ」
 涙目の巳子の静止も叶わず、『次期部長確定書』はひらりひらりと落ちていく。
「ひどいですぅーセンパイの馬鹿ぁぁぁ!」
 泣きながら教室を飛び出した巳子の背中を見送りながら、鷹明はフンと鼻を鳴らした。
「俺は世界を救うのに忙しいっつーの」


 魔物が出現するのは夜中になるだろうとアレクは言った。本当はナオと一緒に真夜中の学校見回りをしたかったのだけれど、この世界で変身して魔物を倒せるのはアキだけだし、ナオにはマザーサイドでの魔物退治があるのでそういうわけにもいかない。
「私もアキに一通りのことを教えたら、別行動に入る。一人でもしっかり戦えるように早く慣れてくれ」
 そういうアレクに、学生服姿で男ままの鷹明はうなずく。鷹明がマザーサイドから少女の姿を呼び出せる時間は、無限ではない。双方の世界の歪みや鷹明の体力を考慮しても一時間が限界であり、戦闘を挟むと更に短くなる可能性があった。
(必要なときに必要なだけってわけか……)
 少女に変身して色んな楽しいことをしようと企んでいた鷹明にとっては、まったく残念な事実であるが、まぁ仕方がない。
 また、マザーサイドの闇の生き物である魔物はこちらでは夜にしか姿を現すことができないらしい。
 変身しなければ戦えない鷹明にとって、敵の出現が人気のない夜の学校に限定されるのは有難いことではあった。
 しかし当然、夜の学校に潜入しての魔物退治になるわけであり――。
「本当にここであってるの? アレク」
 夜中の理科室は、かなり薄気味悪かった。当然人影もなく、足元のバケツには割れたガラス管と、薄汚れたカーテンが黒い影を落としている。
(うー、不気味だなぁ……)
 鷹明は、弱気に首をすくめる。別にマザーサイドの魔物じゃなくても、悪霊とかラリった不良とか、ともかく何か悪い奴らがいそうな雰囲気だ。
「とりあえず様子を」
 見た目はただの上品なお姉さんなのだが、躊躇することなくズカズカと奥へと入っていくアレクに、意外にも男≠感じて鷹明はひとり感心していた。しつこいようだが、外見はただの美人OLなのだ。
「ちょっと待ってくれよー」
 鷹明も慌てて後を追う。サイドにあるグロテスクな標本は意識して見ないようにした。
「何も……いないようだけど?」
 恐る恐る声を掛けた鷹明を、アレクは「シッ」と鋭く制した。
「……分かるか、アキ。左の奥――柱の辺りだ」
「……」
 言われた辺りに目を凝らすと、淡い暗闇の中にかすかに渦のようなものが見える。
「何あれ?」
「闇のエネルギーが集中している」
「魔物ってこと?」
 確かにこんなものが理科室にいたら、七不思議がいくつあっても足りないだろう。
 突如、低い唸り声が響いた。応えるかのように闇の渦がその濃さを増していく。
「!」
 見えない敵に、鷹明達は反射的に身構える。
「アキ、来るとしたらあの渦だ。目を離すなっ」
 アレクの指示に緊張してうなずく。しかし、鷹明の腰は完全に引けていた。
(うう……こえーよー)
 鷹明の思惑を見透かしたように、その声はさらに重低音でせまってくる。
 次の瞬間。
 闇の塊から糸のようなものが伸び、すごいスピードで放射線状に襲ってきた。
「わ!」
 鷹明は何とか避けたものの、無様にしりもちをついてしまう。
 これではマザーサイドで襲われたときと同じだ。ビビッたまま、何も出来ないなんて。
「アキ! 変身するんだっ」
 アレクが叫んだ。鷹明は驚いて顔を上げる。
「言っただろう、奴はマザーサイドの生き物だ。このままでは何も攻撃できない!」
「そんな急に言うなよー」
「胸の石に指をあてて願いを込めるんだ。急げ!」
 鷹明は慌てて、先ほどアレクから教えてもらった変身の言葉を思い出す。
「ええと……ストゥームザイムの名の元に。女神よ、加護と光のお力を。我、正義を為す……!」 
 果たしてこれで合っているのか? と不安になった瞬間、鷹明の指先から光があふれ出した。いや、違う。正確には光は胸の石から生まれていた。膨大な量の光たちが、とめどなく溢れ出てくる。それは、まるで意思を持った生き物のように鷹明を包み込んでいく。不思議な高揚感が鷹明の全身を駆け巡った。
「ス、スゲー!」
 思わずつぶやく鷹明の様子を、アレクは少し遠くから満足げにうなずいて見守っている。やがて胸の石から放たれる光が鷹明の全身を満たし、その光の中に立つシルエットはすでに変化が始まっていた。
「……!」
 体温が上昇していくような感覚を感じながら、鷹明には自分の身体が女になっていくのが分かる。心地よい波に身を任せるように鷹明は目を閉じた。
 少女独特の細くしなやかな指先まで光のエネルギーが通っていくと、その先で光の一部がゆっくりと集まり、まばゆいばかりに煌く光の剣になってゆく。
「こ、これは!」
「ストゥームザイムの武器である『光の剣』だ。闇の魔物はそれでのみ斬ることができる。ただし、扱えるのもまたストゥームザイムのみ。気をつけろ」
 手にした不思議な剣を見つめながら、アキはアレクの説明を聞く。光はやがて、波が引くように消えていった。
「変身完了と」
 その中央には一人の美少女。アキは閉じていた瞳をゆっくりと開く。
「闇の魔物、覚悟!」
 闇に響く少女の可憐な声。一まわり小さくなったボデイに、戦闘用のコスチュームがよく似合っている。
「変身したからにはこっちのモンだからな! この間みたいに無様な戦いはゴメンだぜ」
 手にした光の剣を斜めにかざし、アキはそう叫んだ。
『グアアアアッ』
 魔物は突然、天敵が現れたことに驚愕しているらしかった。怒りと恐怖の波動が、こちらまで伝わってくる。
 しかし次の瞬間。
 ゴォォォォォ!
 ものすごい勢いで、魔物の中心に闇が集まっていく。巨大な渦は、貪欲に闇を吸収していった。そして。
 中心部分に現れたのは――。
「何だよ、あれ……」
 闇の魔物は、その姿を巨大な熊のようなものに変えていた。真っ赤に燃える――実際に炎となって燃えているのだ――双眸と、常識ではありえない牙の凶悪さが、ダブルパンチでアキを襲う。
(に、逃げたい……俺は今、とてつもなく逃げたいぞ……!)
 心の中で叫ぶが、もちろん状況はそれを許さない。
「アキ! 左へ回り込め。私が正面で敵の気を引くから、そのうちに近づくんだ」
 指示と同時に走り出すアレク。反論する余地もなくアキも指示に従った。
「いいか。魔物は、ストゥームザイムであるアキにしか刺せない――頼むぞ」
 正面に立つアレクは、自らをおとりにして魔物の気を逸らしている。サイドからじりじりと近づくアキの緊張は、すでに極限に達していた。
(うう……こっち向かないでくれよ?)
 好都合なことに、魔物の目線は挑発するアレクへと注がれていた。魔物的にもアレクの方が倒しやすいと考えたのかもしれない。
 それともストゥームザイムを嫌がる傾向があるのだろうか?
 魔物を翻弄するようなアレクの動きとは逆に、アキは息を殺してゆっくりと距離を詰めていく。
 あと一メートルというあたりまできた――アキはゆっくりと剣を振り上げる。
 刹那。
「ガァァァ!」
 怒号のような威嚇が、闇に沈む教室を襲った。恐怖に凍りついたアキを、魔物がさらに威嚇する。
 ド派手な牙の奥から、滴り落ちるように燃える真っ赤な炎が見えた。
(どういう身体の構造してんのよっ……?)
 魔物が牙を剥いた。今度は威嚇ではない。跳躍するとアキ目掛けて襲い掛かる――!
「!」
 とっさに身をかわすが、いかんせん魔物がデカ過ぎる。闇に飲まれるように、アキの小さな身体は見えなくなった。
「アキ!」
 アレクは叫んだが、アキの返事はない。アレクの心配を笑うかのように、闇の魔物は不気味に蠢いた。
 その時――。
 闇の中央から幾筋もの光が立つ。同時に魔物の悲痛なわめき声が響いた。
 逃げようともがく闇は、しかし何かに阻止されたかのように次々と光に飲まれていく。
 さらに光は増えて、ついに魔物すらも消滅させた。
「……アキ!」
 消えていく黒い霧の中から、剣を逆手に持ち、魔物に突き立てたままのポーズで呆然としているアキが浮かび上がる。
 アレクはホッとした様子で近寄ると、アキの肩を軽くたたいた。
「無事で良かった。初戦にしては上出来だ」
「怖かったー…」
 やっと我に返ったアキの第一声は意外にも女の子らしくて、アレクは緊張した顔を思わず緩めていた。
「その調子でこれからも頑張ってくれ」
「ヤだよー。絶対ムリだってば」
「そうでもない。中々いい感じで戦えていたと思うぞ?」
 泣きそうなアキの顔を見ながら、アレクは肩を軽く叩いた。
「!」
 しかしその表情に再び緊張が走る。
「……まだ校内にいるみたいだ。アキは二階へ行ってくれ。私は一階を廻る」
「ええ! 一人にしないでっ」
 アレクの言葉に再び身の危険を感じて、アキはほとんど反射的にすがる。
 しかし、ショックから立ち直れないままでいるアキを一人置いて、アレクはさっさと魔物を追いかけて立ち去った。
(マジかよー?)
 一人ぼっちの教室から出て、アキはそっと長々と続く廊下を見る。アレクの姿はもうなかった。嫌な雰囲気だ。妙に「シィィィン」としている。
 理科室から伸びる廊下の突き当たり、L字型になっている踊り場あたりまで視線を走らせると、アキはほっと息をついた。
「何だよ、何もいないじゃん」
 自分に言い聞かせるように、声に出して言ってみる。魔物はきっと、アレクが向かった一階の方だろう。
(でもアレクはトドメをさせない言ってたから……やっぱり俺が戦わなくちゃいけないのかー?)
 ここまで連れてくるのだろうか? そう考えるとブルーになる。
 その時だった。
「キャッ」
 遠くで少女の小さな叫び声がした。アキは顔を上げる。しかし廊下には誰もいない。
「誰か、いる……?」
「キヤァァァー!」
 アキの呼びかけを遮るように、再び少女の声がした。さっきより明確に耳に残る。
 途端――廊下の突き当たりであるL字型の異方向から、少女の身体が投げ出されるのが見えた。
 ドサッという音が響き、ついでアキの方に何かが回転しながら滑ってくる。
「!」
 廊下の隅からアキのいる方向へと滑ってきたもの、それは眼鏡だった。しかも縁の華奢なデザインのフレームには見覚えがある。
「み……!」
 巳子、と思わず名前を出しそうになってアキは口を押さえる。そうなのだ。目の前で泣きそうな顔で震えている少女は、後輩の巳子に違いなかった。巳子はしばらく言葉もなく震えていたが、やがてプツリと糸が切れるように倒れると動かなくなった――気でも失ったのか。心配で駆け寄ろうとした瞬間、動く闇がアキの行く手を遮った。
「出たかバケモノ……!」
 さっきの戦闘でアキを助けてくれたアレクはいない。この最悪の状況に、しかし泣き言を言っているヒマはなさそうだ。不思議なことに「巳子を守らないと」という気持ちが、アキの気持ちを少しだけ強くさせていた。
 励ますように、手に持った光の剣が輝きを増す。魔物は怯えるように身を縮めた。理科室にいた魔物よりも随分と小柄だ。
(これなら勝てるかも!)
 じりじりと間合いをつめ、魔物を追い込んでいく。プレッシャーに耐えられなくなった魔物は大きく宙へと跳び、アキ目掛けて襲い掛かる。
 しかし、魔物の動きに慣れてきたアキは、驚くことなく冷静に魔物に狙いをつけると、そのまま思いっきり剣を振り切った。魔物を切る瞬間に、目を閉じてしまうのがいまいち素人くさいが、ともかく大きな水の塊を切るような、奇妙な手ごたえがアキの手に伝った。ゆっくりと目を開ける。魔物は跡形もなく消えていた。
「やったぁ!」
 思わず飛び跳ねて喜ぶ姿は、どう見てもただの可愛い女の子である。
「あ、喜んでいる場合じゃないっ」
 アキは慌てて倒れている巳子に駆け寄る。意識を取り戻した巳子は、相当怖かったのだろう、それが見知らぬ少女であるにも関わらずほとんど反射的にしがみついてきた。
「だ、大丈夫?」
「ふえぇぇ怖かったですぅ」
「もう、大丈夫だと思うから、ね。でも何でこんな時間に学校にいるの?」
 腕の中で震える巳子に、アキはそう尋ねる。メガネをしていない巳子は、涙の溜まった大きな瞳を上げて言った。
「あ、あの私。部活の先輩からサインをもらった大事な書類をなくしちゃって……探していたらこんな時間になっちゃって」
 巳子の言葉にアキは思わず表情を固くした。
(それってまさか、俺の飛ばした書類じゃ……)
 部長になりたくないばかりに窓から捨てたあの書類を、巳子は今まで一人で必死に探していたというのか?
(うーすまん巳子っ!)
 その真面目さと健気さに、鷹明はギュッと抱きしめたくなる衝動に駆られたが、もちろんそんなことはできない。第一、今の巳子からすれば鷹明は別人の少女、アキなのだ。
 自分のせいで怖い思いをさせてしまったという罪悪感を、無理やり正義感に変えてアキは暗闇に向かって叫んでいた。
「どんだけでもきやがれ、魔物め! この子には絶対、指一本触れさせねぇからな」
 キッと睨みつけると、アキは光の剣をかざす。気のせいか、手の中の剣は先ほどよりもずっと軽く感じた。呼応するように剣が輝きを増し、体中のエネルギーが高まっていくのが分かる。
 だが、しかし。
「……アレ?」
 いつまで待ってもアキの目前には、静かな廊下が広がっているだけだった。学校はただ暗いだけで、魔物の気配はない。
「ひょっとして、もう全部倒しちゃったかな」
「あ、あのー魔物って?」
 遠慮気味に、巳子の声が背後から聞こえる。
「えっ、あ。あのー変なモノ見なかった?」
「見たような見なかったような……さっき私、一人で廊下を歩いていたら突然教室のカーテンが風で揺れて。きっと窓が開いていたんだと思うんですけど、なんか暗闇が動いたように見えてびっくりしちゃったんです。走り出した途端に足元の雑巾に気がつかなくて滑っちゃって――」
 雑巾、アキは繰り返す。
 どうやら直接襲われたわけではなく、巳子がはっきりと魔物を見たということでもなさそうだ。
 巳子が倒れていた場所に目を向けるが、そこにはひしゃげた雑巾しかなかった。
「あの、魔物って何ですか? 思えばその格好も変かも」
 パニックが収まった分、色々と冷静考えられるようになったのだろう、不思議そうな顔で、巳子は小首をかしげる。アキは慌てて手を振った。
「ちょっと、学園祭の練習をね!」
「そっかー演劇部の方なんですねー。遅くまでお疲れ様ですぅ」
「そう! 実はそうなのよー、リアル且つハイテンションな演技力を養うため、日々こうして練習しているのですわっおほほほほ」
 苦しい対応で何とか誤魔化すアキだったが、巳子は素直に感心している。そして、
「ありがとうございました」
 と、丁寧にペコリと頭を下げる。
「どういたしまして。でももう、夜中の学校なんか来ちゃダメだよ?」
 そう言って、アキは座り込んだままだった巳子を立たせる。
 こうしている間に魔物が来たらまた大変なことになるし、何よりアキの適当な嘘にボロが出る可能性もあった。
「早く校内から出て。そこまで送るからさ」
 巳子の腕を引っ張りながら、アキは急いで昇降口まで連れて行く。アレクは学校に結界を張っているといっていた。
(ということは学校さえでればとりあえず魔物は襲ってこないはず……)
 夜も遅いので、出来るなら家まで巳子を送ってあげたい気持ちもあるが、魔物と戦えないアレクを置いたまま学校をあけるのも危険な気がした。
「あの、あの!」
 出口付近で、巳子は突然歩みを止める。
「何?」
 不思議そうに振り返ったアキを、じっと見上げる巳子。その瞳は何故か潤んでいる。
「今日は本当にありがとうございました。それで――帰る前にひとつだけ、お願いがあるんですけれど……いいですか」
 そう言って、憧れの眼差しでキラキラとアキをみつめる。赤い薔薇が咲いたように頬を火照らせて、何かを言いよどむ巳子の唇を見ながら、アキの胸には嫌な予感がよぎった。決心するように一呼吸置くと、巳子は小さな声で言う。
「お姉さまって……呼んでいいですか?」
「へ?」
 これで鷹明をめぐる恋愛関係図は、また一段とややこしくなりそうである。