LOVE HAZARD 5
作:草渡てぃあら





 5

 初めての変身を経験した初戦の夜から、すでに一週間が経とうとしていた。あれから鷹明は毎晩、学校のパトロールをしている。魔物は出る日と出ない日があり、最初の二、三回は一緒にまわってくれたアレクも、鷹明が戦いに慣れてくると「私には別の仕事がある」と姿を見せなくなっていた。
「ストゥームザイムの名の元に。女神よ加護と光のお力を。我、正義を為す!」 
 光が満ち、そして引いていく。いつものようにそこにはひとりの美少女が立っている。闇の魔物と健気に戦う光の救世主、アキだ。
「変身完了。魔物ちゃん、覚悟はいい?」
「ガァァァ!」
 牙を剥いて襲い掛かる魔物。アキは素早く身をかわすと光の剣でなぎ払う。魔物は瞬時にして煙のように消え去った。
「ワンパターンなんだよな。たまにはセクシー系お姉様的な敵と戦いたいもんだぜ」
「不謹慎な」
 後ろで声がする。ひとりだとはかり思っていたアキは、びっくりして振り返った。
「王様?」
 見覚えのある小さな女の子は、まさしくマザーサイドで見た王だった。
「なんでこんなとこにいるの? ってか、性別が変わってないんですけど」
 アキの驚きぶりに、王は「失礼な」と頬を膨らませた。
「アキがきちんと仕事をこなしているか見に来たのだ。それから王族と運命の子は、性別が変わることはない。アレクから説明は受けなかったのか?」
「知らないよ。王様は百歳超えてるってのは聞いたけど」
「……余計なことばかり」
 王はそう言うと廊下の端に座る。アキも仕方なく隣に腰掛けた。
「戦闘時以外の変身はやめておけ。本体の細胞に負担をかける」
 王の言葉にアキも「そうだった」と深紅の石に手を当て目を閉じる。シュンというかすかな音がして、アキは鷹明の姿に戻っていた。
「今宵で幾晩目になる?」
「ちょうど一週間かな。おかげ様で、魔物との戦いにも慣れましたって感じ」
「そのようだな。見る限りでは問題なく戦っている」
 先ほどの魔物との戦いを見ていたのだろう、王はあっさりとそう言った。
「でもさ、こんなこといつまで続ければいいわけ? 毎晩遅くまで帰ってこないから親もうるさいし、来年になれば俺、受験生だぜ」
「世界が滅亡しれば受験すらなくなってしまうのだぞ」
 それはそれでラッキーだな、と鷹明は思う。
「今、それはそれでラッキーだな≠ニ思っただろう?」
「な、何でわかんのっ?」
「それぐらい、顔を見ていれば分かる。大体、アキの思考回路は単純すぎるのだ」
「そりゃ悪かったねー」
 王は少し笑って言った。
「変わったヤツだ。二十年前、我らの世界を救ってくれた救世主とは全然違う」
「ナオの父親のこと?」
「そう。あやつは世界を救うことに、全人生をなげうって必死に戦ってくれた。まさに正義の味方という印象だったぞ。ナオだってしっかりとその血は受け継いでおる」
 王の言葉に、鷹明は肩をすくめる。
「残念だけど俺は個人主義なの。人のためとか世界のためなんて言われても、全然ピンとこないよ。大体さ、核兵器だの温暖化だのってベビーサイドは常に滅亡の危機にあるんだぜ? そんな世界を背負って頑張るヤツの気がしれないねー」
「でも今はこうして戦っているではないか」
「それはそのー、さすがの俺でも非道じゃないし。人が困っていたら助けてあげたいとは普通に思うよ。アレクも王様も実際、何か困っていたみたいだし」
 本心はただひたすらナオのためなのだが、ここで正直に言うのもためらわれる。鷹明は当たらずも遠からずの発言に留めておくことにした。
 「いい加減なやつだ」と怒られるのを覚悟していたが、意外にも王はしんみりと言った。
「それぐらい楽に考える生き方も良いかもしれんな」
「……」
「魔物という生き物は、決して自ら生まれない。人間の恨みや妬み、怒りや悲しみといった暗い感情によって呼び出される」
 そう言って王は、つらいことでも思い出すように目を細める。
「もともと魔物はマザーサイドから消えてなくなることはない。しかし二十年前、魔物は王族の者によって爆発的に増えた。私の王位継承を阻む、義理姉の闇の感情が多くの魔物を誕生させたのだ。魔物は一気にマザーサイド全域に広がり、真の統治者である運命の子は心労のあまりに倒れそのまま帰らぬ人となった。誰もが世界の滅亡を覚悟していた……」
「だが予言の通り、ストゥームザイムが現れた、と」
「そうだ。古くから伝わるその予言を、信じているものは少なかった。いや、真剣に予言を信じて探し続けたのはアレクだけだったといっても良い」
「アレクが?」
「アレクは我が王族に仕えるもっとも近しき側近であり、運命の子の世話役でもある。当時はまだ幼い少年に過ぎなかったアレクは、真なる統治者が途絶えぬよう、病床の運命の子に次の継承者を指名させると、周囲の反対を押し切り危険を冒してベビーサイドへと向かったのだ」
 鷹明の脳裏には、マザーサイドで見た生真面目な男のアレクが思い出される。保健室での女性版アレクは美しさも手伝い二十代に見えたが、男としては見た目、三十代ぐらいに見えたから、二十年前というと十数歳といったところか。
 その頃まだ少女だったはずのナオの父親とともに、それからずっと魔物と戦ってきたのである。
「偉いねー」
 素直に感心する。王も同じくうなずいた。しかし、その後に小さなため息をつく。
「だが、アレクはいささか思いつめ過ぎるところがある。いくら父親がストゥームザイムだったとはいえ、ナオはまだ肉親の死から癒えきっていないのだ。彼女はあのような性格だから弱音は吐かないが――つらい戦いに違いない。アキの貴重な学生生活を犠牲にしても、協力して欲しかった理由はそこにある」
「俺?」
「もちろん変身はアキだけの特殊能力であるし、学校内の魔物はアキにしか倒せないことに変わりはない。けれども、それ以上に、私としてはナオの負担を減らしたかった」
「……」
「正直に言おう。もしもアキという存在がベビーサイドで見つからず、本当にナオとアレクだけで今度のことを片付けなければならないのなら、我らは魔物をベビーサイドに侵入させない方法を取れる――両世界を結ぶ扉はひとつ、その扉を見張ればよいのだ。魔物がベビーサイドに出て行かないように」
「そっか! 待てよ、そしたら俺だって別に、学校内をうろうろ廻らなくても保健室で待機してりゃ――」
「ところがそうは上手くいかない。ベビーサイドに侵入した魔物は、その身を闇に隠し、気配を消すことができるのだ」
「なんで?」
「我らの世界、マザーサイドには夜がない。影がなく闇も存在しない。だから魔物はその身を上手く隠すことが出来ないのだ。しかしベビーサイドは違う」
「なるほど……だから魔物が出現するのはいつも夜なのか。やっぱり俺の仕事は楽にはならないわけだ」
「そういうことだ。しかし、アキのおかげでナオやアレクは、今度の犯人だと言われている姿なき魔女≠ニ運命の子≠フ捜索に専念できる」
 そう言って王は、賢そうな瞳を鷹明に向けた。幼い瞳だが妙に貫禄がある。
 そう言えばさ、と鷹明は顔を上げる。
「その、姿なき魔女ってなんなの?」
 その質問に、王は少し言いよどんだ。
「今回の魔物を呼び出している人物のことを、我々はそう呼んでいる。ナオの父親が殺されてから三年、我らは必死にマザーサイド全土を調べたが、それらしい人物を見つけることが出来なかった。我らの世界は非常に閉鎖的な密封社会だ。三年かかってみつからないということは通常、あり得ない。同じ頃運命の子≠フ世話役であるアレクが血相を変えて私の元へきた。目の前で、運命の子≠ェ消えてしまったと」
「魔物を呼び出している人物と運命の子をさらった人物の共通点は「姿がみえない」ということか」
「そういうことだ」
 そんな犯人を、アレクとナオは一体どうやって見つけるのだろう? 二人の口調では、すでに目星は付いているようだったが、これからどうやって解決していくのか見当もつかない。自分は一体、いつになれば平凡な高校生に戻れるのか――。
 窓から見上げる夜空には、大きな月がひとつ。関係ないよ、とばかり照り輝いている。


「うー……だりぃ」
 最初にあった緊張感も取れ、戦闘にもだんだんと余裕の出てきた鷹明としては、逆に身体の疲労が身に重くのしかかる時期でもある。 
 特に今日は、昨日の王との長話のせいで、眠気は最高潮に達していた。
 ほとんど睡眠補給に充てている授業が終わると、鷹明は部室へ直行し、放課後から夜までソファでひと休みすることにする。鷹明はぐったりとした身体をソファに横たえて、うとうとと眠りの世界をさ迷っていた。
「よしっと」
 鷹明のすぐ横では、コンビニで新作のチョコ菓子をたくさん買い込んできた嘉穂が、嬉しそうにうなずいている。
「これで春の限定チョコは制覇したわね」
 部員十数名の中堅規模を確保しているにも関わらず、スポーツ総合部の稼動員数はその半数にも満たない。
 その上幽霊部員になるでもなく、日々こうして部室に溜まり好き放題している実態が現状なのである。
 本日の部室には、ソファを占領して昼寝をしている鷹明とお菓子に夢中の嘉穂、そして奥の机で出欠簿の整理をしている巳子の三人がいた。
 一週間前まで「新部長になってくださいよぉ」と鷹明を追い掛け回していた巳子であるが、最近なにやら様子がおかしい。
 今も出欠簿の記帳を中断しシャープペンシルを頬に当てて、中途半端な距離の空間をぼんやりと見つめていたかと思うと、急に我に返ったように嘉穂の方に椅子を向けた。
「どう思います? 嘉穂センパイ」
 思いつめた表情の巳子とは対照的に、嘉穂はきょとんと首をかしげた。
「……何の話だっけ?」
 ひどぉい、と頬を膨らませると巳子は、車輪つきの椅子ごと嘉穂の方に近づいてくる。
「昨日、相談した話ですぅ。助けてもらったお礼を言おうと、その憧れの人に会いに演劇部に行ったら、そんな部員はいないって言われちゃって……」
「ああ、夜中の学校で巳子を助けてくれたって女の子?」
 夢現(ゆめうつつ)の中、聞くとはなしに聞いていた鷹明は、二人の会話にソファからずり落ちそうになる。
(おいおいおい! なんだそりゃ?)
 とりあえずたぬき寝入りで聞き耳を立ててみる。
「他の学校じゃないの? うちの演劇部と合同制作しているとか助っ人にきているとか」
「そう思って探してみたんですけど」
 収穫なしなんです、と巳子はしょぼんと頭を下げる。
(巳子のやつ、部長の件で俺を追い掛け回さなくなったと安心してたら、かわりにアキを追いかけていたのかー)
 どちらも本人には間違いないのだが、アキの場合は事情が事情だけに再び会うことだけは避けたい。しかし巳子は、鷹明と違ってとても辛抱強い頑張り屋さんなのである。今後もあきらめずアキを見つけるまで探し続ける可能性は非常に高かった。
(まいったなー……近いうちにアレクにでも相談すっか)
 今悩んでもしょうがないとばかりに寝直すことを決めた鷹明の横で、嘉穂が嬉しそうにチョコを並べている。
「う〜ん、どれから試そうかなぁ? どれもおいしそ!」
「センパーイ! 私の話ちゃんと聞いてますぅ?」
 能天気な嘉穂に、巳子が不服そうに頬を膨らませている。
「まぁそんなにかりかりしなくても、ね。一緒にお菓子食べよー」
「……ありがとうございます」
 まだ不満そうだが、とりあえずチョコを受ける巳子。嘉穂は、男女ともに人気のある花のような可愛い笑顔で微笑むと、
「簡単だよ、巳子ちゃん」
 と言った。そして自分の口の中にもチョコを入れる。
「?」
「簡単にその憧れの人に会える方法、教えてあげよっか?」
 もうひとつチョコをつまみながら、嘉穂は意味深に指を立てた。
(……)
 なんとなく嫌な予感がして、鷹明は再び身を固くして聞き耳を立てている。もちろん、そんなことには全く気がつかない二人は会話を続けている。
「そ、そんな方法あるんですかっ?」
「張り込めばいいんだよ。同じ時間に同じ場所で」
「同じって……夜の学校に? でも一人じゃ怖いですよ〜」
「大丈夫! なんなら私も一緒に行ってあげるから。そうと決まったら今夜の張り込みに向けてお弁当とか準備しなくちゃね」
「それはまずいだろっ!」
「キャッ」
 突然ガバリを飛び起きた鷹明に、嘉穂も巳子もびっくりする。
「寝てたんじゃなかったんですか?」
「起きるなら起きるって言ってよね、もう!」
 二人のクレームが飛ぶ。しかし鷹明も負けずに言い返した。
「だからそりゃマズイだろってば」
「な、なによ急に」
「夜の学校なんて忍び込んでもいいことないって。大体、巳子だって実際に危ない目に遭ったんだろ?」
「え、でも……」
「でもそれじゃあ、その女の子も危険だって教えてあげなくちゃ」
 すかさず嘉穂が言う。まったくの正論である。
「いや……それは、だな」
「じゃあじゃあ、早瀬も一緒に来てよ。女の子ばかりじゃ怖いし」
 いかにもグットアイデアだとでも言うように、嘉穂が提案した。巳子も「それがいいですね」と隣で大賛成している。
 痛む頭を押さえながら、鷹明は深いため息をついた。事態は複雑かつ深刻である。闇の魔物との戦いに慣れてきたと思った矢先にこれだ。
 しかも、夜の学校で嘉穂達と行動を共にすれば、目前で変身しなければならないことになる。鷹明としてはそれだけは避けたかった。
(でもそれじゃあアキに会えなかった巳子は納得しないか?)
 鷹明の脳裏に、キラキラを輝く瞳で「お姉様」と言っていた巳子の姿が浮かぶ。
「……サイアクだ」
 ピクニック気分ではしゃいでいる二人をみながら、鷹明はガシガシと頭を掻いて一人、宙を仰いだ。


 理科室前の廊下の隅――まるで冬の椋鳥(むくどり)のように、三人の女子が座り込んでいる。嘉穂に巳子、そして嘉穂に無理矢理引っ張られてきた入谷である。
 相変わらずの不機嫌面の入谷に、憧れの人との再会に胸トキメかせている巳子、そして能天気に楽しんでいる嘉穂を、少し離れた場所から盗み見しながら鷹明は何度目かのため息をついた。
「……一体、どうすればいいんだよ」
「こちらとしては、別に隠さなければならない理由はないが?」
 後ろでアレクがあっさりとそう言う。
「そうはいかねぇよ。アレクはあっちの世界の人だから分かんないだろうけど、世の中、俺みたく柔軟な性格と高い順応性を持ち合わせた人間ばかりじゃないんだぜ?」
「アキの能力も高まってきたし、彼女達を魔物からは十分守れるだろう」
 アレクの言葉に、鷹明は「冗談じゃない」と顔をしかめて見せた。
「目の前でクラスメイトの男が女の子に変身してみろ。大パニックもいいとこだねっ」
 それに女装変態野郎と思われてもヤだし、と鷹明は付け加える。どうやらそっちが本音らしい。
「個人的な理由で困っているなら、個人で解決するんだな」
 アレクは冷たくそう言い放った。埒があかないと判断した鷹明は、説得モードからお願いモードに切り替える。
「そんな冷たいこと言うなよー。仲間だろ、俺達。俺もアレクが仲間だと思ってるから毎晩毎晩、宿題返上でこんなに頑張ってるんだぜ? アレクがそんな態度だと俺もやる気なくなっちゃうよなぁ!」
「宿題は、以前からずっと返上しているようだが」
「……」
 仕方がない、とアレクは首を振る。
「今日だけはナオと私で学校内を見張ろう。だが前にも言ったように魔物と戦えるのはアキだけだ。危険な状況になったらすぐに知らせるから、その時は潔く変身すること」
 厳しい顔のアレクに、鷹明は胸の前で軽く両手を合わせて言った。
「サンキュー! 助かる。あとはこっちでなんとか納得してみるよ」
「……まぁ、心配しなくても今宵、魔物は出ないだろう」
「? 何でそんなこと分かるの?」
 不思議そうに聞いた鷹明に、アレクは少し戸惑ったように言った。
「気配で、わかる……だろう」
 慣れてくるとそういうモンかねー、と鷹明は感心した。
「あれ早瀬じゃないのー?」
 背後で嘉穂の甲高い声が響く。振り向くと、鷹明を発見した三人がこちらを見ている。
「センパーイ! 遅刻ですよぉ」
 見つかったか、と顔をしかめる鷹明。そのままジェスチャーでアレクに「よろしく頼みます」と伝えると、意を決したように「悪ぃ悪ぃ」と三人娘の方へと向かった。
 アレクは複雑そうな瞳で鷹明の背中を見送ると、小さなため息をつく。
「魔物はでない、か……」
 そのつぶやきを、当然ながら鷹明は聞くことはなかった。

「なぁ。もう帰ろうぜ。誰もいないって。巳子は夢でも見たんだよ」
 ほとんど頼み込むような鷹明に、嘉穂は「ヤだ」と短く首を振った。
「帰るって。さっき来たばっかりじゃないですかぁ?」
「ホントだよ、早瀬の根性なしー! あ、ひょっとして怖いのー? 学校の怪談話大会してあげよっか」
 キャアキャアと楽しげにはしゃぐ嘉穂を見ながら「そうじゃなくてだなぁ」と鷹明は頭を抱える。
 来るはずのない少女を待ってすでに一時間が過ぎようとしていた。
 巳子と嘉穂はまったく帰る気配がない。というか、恐ろしいことに徹夜でも出来そうな夜食の量である。
「入谷からもなんとか言ってやってくれよー」
「……可愛い後輩の頼みだ。気の済むまで頑張ればいい」
 無表情のまま、入谷はそう言って長い髪をかきあげた。
「……優しいんだな、女の子には」
 その優しさの半分でも校内の男性に向ければ、入谷は間違いなく校内ナンバーワンの人気者になれるだろうに、とどうでもいいことを考える鷹明である。
「それにしても巳子も困った奴だよな。どうせ晩熟(オクテ)なら男に惚れろっての」
「わ、私はそんなつもりで会いたいわけじゃないんですぅ! ただもう一度ちゃんとお礼が言いたくて」
 鷹明の言葉に、巳子が顔を真っ赤にして抗議する。これには嘉穂も加わった。
「ホント失礼ねー。世の中の人間みんなが、早瀬みたいに下心だけで生きている発情アニマルじゃないの。憧れとか友情とか好き≠チて気持ちは、男女問わず沢山あるんだからねっ」
「発情アニマルってお前……」
 ものすごい表現だな、と感心しつつ、鷹明は嘉穂の言葉に妙に納得していた。
(そっか……好き≠チて気持ちにも色々あるんだよな。俺がナオとか戸津川に対して抱いている感情もきっと)
 憧れや友情であってくれ、と思う鷹明である。そうすれは話は一気に分かりやすくなるし、鷹明がこんなに悩む必要もないのだ。だが。
 戸津川はともかく、本当にナオに抱く気持ちは恋愛ではないというのか? 命の恩人であるナオへの気持ちは憧れなのか。二人の間にあるのは友情? 鷹明の脳裏には、ナオの流れる黒髪や清しい瞳が浮かんでは消える。いや違う。
 自分は確かにナオのことが好きだ。できることならこの手で――。
「……抱きしめたいっ……!」
 思わず拳を握り締める鷹明に、嘉穂が不思議そうな顔で首をかしげる。
「? 何か言った?」
「いや、何でもない。何でもない……ちょっと俺、そこらへんブラブラしてくる」
 鷹明はそういうと一人立ち上がった。
「散歩ですか?」
 巳子が不思議そうに見上げる。
 魔物が出現することも頭をかすめたが、ここはアレクの言葉を信じることにした。
「こんなとこにじっと座ってたらおしり冷えちゃうぜ。あ、でも三人娘はちゃんとここに居ろよ? ひょっとしたら噂のヒロインが登場するかもしれないし」
「早瀬先輩は会えなくていいんですか?」
「巳子の話じゃすっごい可愛い子らしいよ」
「興味ないね」
 バッサリそう言い捨てた鷹明は「ちょっとカッコイイかも」と自分でうっとりしている。悲しい哉、男にとって可愛い≠ニいう単語に、こんなにもクールでいられる瞬間などほとんどないのである。そんな鷹明に入谷が冷たい視線を送る。
「……ふん」
 下らなそうに鼻を鳴らす。隣では嘉穂が大きな目をさらに大きくして驚いていた。
「へぇ〜早瀬にしては珍しい……ってか、あやしー…」
 ほっといてくれ、と鷹明は三人を残して階段を下りる。「珍しい」というのは、まさしくほっといてくれ≠ナあるが、「あやしー」の方は、かなり図星なので内心焦っていた。
 もちろん、目的の人物が現れないと知っていてじっと座っていることも、鷹明にとっては単純に退屈に違いなかったが、何よりナオに会いたくなったのである。
 ストゥームザイムではあるが、タイプ0(ゼロ)ではない戸津川は鷹明のように変身はできない。だからナオ自身に会えるわけでもないのだが――。
(せめて戸津川だけでも。挨拶がてらちょっとだけ、見て来よう)
 これぞ恋する男の悲しい性である。
 戸津川はアレクと一緒に、校内のどこかにいるはずであり、うろうろしていればそのうち会えるだろう。割と呑気に構えて、鷹明は夜の廊下を歩いていた。
 理科室のすぐ横にある階段を下りて、一階の廊下へ出る。昨日は満月だった月も、今日はほんの少し欠けている。
(アレクの言葉どおり、なんとなく魔物のいる感じはしないな)
 保健室の前に差しかかった。中からかすかに声がする。アレクと戸津川に違いなかった。一気に嬉しくなって、鷹明はドアに近づく。
「……!」
 しかし、その足が止まった。反射的に身を潜め、その声の主を確かめるためにドアに耳を寄せる。
「そんな、バカな」
 鷹明は呆然とつぶやいた。中からは確かに聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 ひとりは確かにアレクだ。そしてもう一人。それは戸津川に似ているが、違う人物だった。そうだ。忘れもしない、あのガラス細工の鈴のような声。
(ナオ……)
 わけが分からない。ナオに変身能力はないはずだ。ここはれっきとしたベビーサイド。ここにナオが居るわけがない。
(どういうことだよ? でもこの声は確かに)
 咄嗟に身を潜めた鷹明は、勇気を出してドアの隙間からそっと中を伺う。月の明かりだけを受けた薄暗い保健室には、アレクともう一人――確かにナオが立っていた。
「……!」
 鷹明の驚きをよそに、二人は深刻そうな顔で話し合っている。
「ナオが決心しなければいけない」
 アレクが静かにそう言い、ナオはその端正な顔を悲しげに伏せる。二人の様子は明らかにおかしかった。
「なにをためらっている? 姿なき魔女はあいつだ。お前が息の根を止めなければ確実に世界は終わるのだぞ。アキだって文句を言いながらも毎日必死に戦っている。私としても、アキをいつまで騙し通せるかかわからない」
「分かっている……でも」
 鷹明の胸が高鳴っていく。喉に強い渇きを感じていた。騙すって何だ? ナオとアレクは何かを隠しているのか。
「騙しているのはアキだけでない。王もまた、真実には気付いておられず、運命の子の継承者は未だ行方不明のままと思っておられる。アキだけならともかく、王に対して偽らなければならないのは心苦しい」
「……アレクには迷惑ばかりをかけているね」
 震えるナオの小さな肩を、アレクはそっと抱き寄せた。
「すまない、きつく言い過ぎた。私のこといい。ナオに協力することが私の努めであり願いだ。けれども申し訳ないという思う気持ちがあるのなら、ナオは一刻も早く世界を救いアキに平凡な高校生活を返してやれ。今のアキを危険に晒しているのは、ナオなのだから」
 長い沈黙があって、ナオの「ごめん」という泣き声がポツリを聞こえてくる。
 寄り添いあうシルエットを直視することが出来ず、鷹明は目線を保健室から外すとグラグラする頭を抱え込んだ。
(一体、何がどうなってんだよ……っ?)
 血液が逆流しているような衝撃が、鷹明を襲う。冷たくなった指先がしびれ、心臓音だけが異常に体内で響いている。
 混乱した頭を落ち着かせる為に、目を閉じてゆっくりと大きく息をついてみる。
(聞き違いの見間違い……いや、いっそ夢であればいいのに)
 祈るような気持ちで、もう一度だけ覗き見たドアの向こうには、確かにアレクに肩を抱かれたナオがいた。
 本当ならばマザーサイドという異世界でしか見ることの出来ないはずの姿で、一目惚れした可憐な横顔もそのままに。
 ナオはこちらの世界、鷹明のすぐ側にいる。
 にも関わらず、鷹明にとって今の彼女はあまりにも遠く、手の届かない場所にいる気がした。


 ショックな心を抱えたまま鷹明が三人の元に戻ると、彼女達は同じ場所で大人しく座って待っていた。ただし、鷹明の足音に気付いて顔を上げたのは入谷だけだ。
 「未成年なんですからっ」という巳子の強い要望で、皆ノンアルコールのビールを飲んでいたはずなのだが、なぜか巳子と嘉穂は酔っ払いよろしく肩を寄せ合って仲良く眠りこけている。
「アルコール入っていないのに、よくこんなに酔っ払えるよなー」
 幸せそうにすやすやと眠る二人を見下ろしながら、鷹明はまだ空いていないビールを手に取って隣に座る。
「眠ったのは、単にお子様体質だからだろ。もう十一時過ぎているし」
 腕時計をちらりと見ながら、入谷が答える。そして少し間を置いてからこう言った。
「……なんかあったのか?」
「え?」
「ひどい顔してる。まるで」
 入谷は鷹明の方を見ると、心配というより冷静に分析しているように目を細めた。
「失恋でもしたみたいだ」
「……」
 女の直感というヤツだろうか。その鋭さに鷹明は内心で舌を巻いていた。
「なんつーか失恋すら出来ない状況だよ。何を信じて良いのやら……俺、好きだったヤツに騙されてたのかもしんなくてさ。愛だの恋だの語る前に、人間不信になちゃいそー」
 泣きそうな感情をかき混ぜたくてわざと明るく言ったのに、あまり効果はなかった。
 仕方がないので、手にしたビールを不自然な空気ごと喉に流し込む。
「彼氏とかさ、作らないの入谷は? 入谷だったらすぐに出来るだろうに」
 普通に聞いたら殴られそうな質問だ。
 それでも鷹明の口から自然とついて出たのは、先ほどのショックと夜の妙なテンションのせいかもしれない。人生、ちょっと自棄になっているという感覚もあった。
「……今はまだ、付き合うということに対して疑問がある」
 少しの沈黙を置いて、意外にも入谷は真剣に答えてくれた。
「疑問?」
「基本的に男の愛情を信用していない。その人間を深く知ろうともせず、少し見ただけで可愛いとか好きだとか簡単に言ってる気がするから」
 入谷の言葉には、鷹明もけっこう思い当たるふしがある。大体男という生き物は、地球上の半数以上の女の子のことは好きなのだ。
(それにしても)
 鷹明は改めて入谷を見た。彼女が恋愛に対して、そんな風に考えているとは思わなかった。なんというか、美人は美人なりの苦悩があるのだ。
「俺も人のことは言えないくらいフラフラと色んな女の子に気があるけどさ」
 空になった缶を横に置いて、鷹明は両手を顔の前で組むとビールで冷たくなった手を温める。春とは言え、夜の校舎は結構寒かった。
「でも、男だって本気で好きになったら違うと思うぜ? 可愛いなぁ≠ニかそういうプラスの感情よりも、どっちかっていうと「ヤバイ」みたいな、マイナスの危険信号が出るみたいな……」
「危険信号?」
 面白そうに入谷が繰り返す。
「そうそう。なんつーか、心に警告がくるんだよ。気をつけろ、目の前にいるこの人間はこれから自分の人生に大きく影響するぞ、みたいな。かっこよく言うとラブ・ハザードってやつだな」
「……ラブ・ハザードか」
 入谷と話しながら、鷹明はナオとの出会いを思い出していた。確かにあのとき、自分の胸には警戒音は鳴り響いていた。
 平凡だった自分の人生は、まさにナオとの出会いで変わっていったのだ。世界の滅亡云々は、鷹明にとっていまいちリアリティーがなかったし、こんなややこしい仕事、アレクや王の頼みだけでは引き受けなかったかもしれない。
 そう、すべてはナオのためだったのだ。なのに――。
「さっきの話だけどさ」
 入谷が言った。
「信じることに、良いも悪いもないと思う。相手が好きなら、なおさら」
 冷たい印象しかなかった入谷の横顔が、いつになく近く思える。
「騙されたとか信じられないとか傷つく前に、たとえ嘘をつかれていても「何か深い理由があるんだ」って思えること、その嘘すらも受け止める覚悟を持つこと……信じるってそういうことじゃないのか」
 それは、鷹明にとって目の覚めるような言葉だった。
「私なら自分で確かめる。相手がどうして嘘をつかなければいけなかったのか。ちゃんと理由があるはず……本当に落ち込むのは、その理由を知ってからだ」
「……」
 淡々と話す入谷の言葉が、自棄になっていた鷹明の気持ちに浸透していく気がした。
 そうだ。今の今まで自分の気持ちに手一杯で相手まで気が廻らなかったが、傷ついて落ち込む前に、もう一度考え直すことが出来るはずだ。ナオにはきっと深い事情がある。
 病院の屋上でも確かに悩んでいる様子だった。
「そうだよなー。一度好きになっちまったんだから、今さら騙されたとかどうだとか、損得考えて被害者意識もっても仕方ないか」
 吐き出した息とともにそうつぶやく。
 投げやりになっていた心が不思議なぐらい落ち着いてくる。
「そうだよ。本当に相手がどうしようもなく好きなら、どんなに傷ついても相手の為になることに全力を尽くすことしか出来ないはずだ」
「なんか、すげー理想だけどな。俺、入谷みたいに強くないし」
 鷹明の言葉に、入谷は笑った。
「自分の想いに強い奴なんていないよ。でも恋愛のすべては理想から始まるんだろ、きっと」
 そうだな、と鷹明は天を仰ぐ。
(俺に出来ることはナオの為に頑張ることだけ……おしっ、いっちょここは、いい男ぶってやったるかー!)
 胸の痛みが完全に消えたわけではないが、ともかく前向きに決心しながら鷹明は、目の前の闇へと真っ直ぐに視線を向ける。
 何故か変身していた戸津川、アレクの謎の言葉、そしてナオの苦悩――分からない。本当に分からないことばかりだ。
 それでも闇の先に何かを探そうとして、鷹明はひとり目を凝らしていた。

 その晩はアレクの予想どおり、魔物はまったく出現しなかった。