その男、好評につき…
作:聖桜





 オレの名前は、フィル・オードー。
 お袋はイタリア人、親父が日本人のハーフで、アメリカ在住。なんでこんな所に住んでいるかというと、ココが親父とお袋の出逢った地で、さらに結婚後ココに居を構え、そして俺がココで生まれたからだ。
 親父は、俺が五歳の頃に失踪した。お袋はそれがショックでか、その後病気で死んじまった。ポックリとな。
 別に、それ自体はどうでもいい事だ。俺みたいな境遇のヤツァ掃いて捨てるほどいるし、何より、俺の過去なんぞどうだっていいだろう? 何しろ、『過去』、だからな。
 俺の職業は、私立探偵だ。ガキの頃から、十数年間働いていた別の探偵事務所から独立して、早一年。問題も無くは無いが、おおむね順調だ。
 何で探偵なんかやってるかって?
 はっ。最初の頃は、親父を見つけたかったから。それだけだ。
 だが、そいつがスラムの路地裏で、死体で見つかってからは、他にやる事が無いからってトコかな。
 さっき、『問題も無くは無い』って言ったよな?
 客も来るし、美人の助手も見つけた。ある程度の蓄えも出来た。こんな俺に、問題があるように思うか? 思わなかったなら、あんたは普通の人間だ。いや、バカにしてるワケじゃねえよ。これは、当事者にしか判らない問題ってヤツさ。
 その『問題』だが、もうそろそろ、かな…?
「ウィル…、お客よ」
 美人助手の声が、二回のノックの間に挟まれて聞こえて来た。
「おう」
 俺の返事のすぐ後にドアが開き、助手と、妙齢のご婦人が現れた。栗色の髪に、目立たない色彩の、ドレス風の服装。更に帽子を目深に被ったフル装備だ。紫外線防止の為だろうが、暑くはないのかね。
 今回のクライアントは彼女なんだが、…今日は嫌な一日になりそうだ。
「火星大王さん、助けて下さい」
 ………。
「あ、あの、火星大王、さん…?」
 …判ったか? 以前いた探偵事務所所長の意向で、所員全員にニック・ネームがつけられた。何でも、『警察より、犯罪者に近い我々は、素性を出来るだけ明かさず、偽名を名乗るべきだ』、という事らしい。別に、それ自体はどうでもいい事だ。所詮名前なんて、記号でしかないからな。
 だが、…しかし………。
「ウィル、お客様に失礼でしょ? 返事ぐらいしたら?」
「ああ。『ウィルさん』とか『オードーさん』だったら、喜んで返事して、手の甲にくちづけだってしてやるさ。だがな、俺は今日一日、俺の事を『火星大王』と呼ぶヤツには返事をしないと、コンマ二秒前に決めたんだ」
「スタッカート夫人が、ウィルの事を『火星大王』と呼んだのはそれよりも前ね。でも、そんな事どうだっていいじゃない。名前が記号なら、ニック・ネームだって記号よ。それが有名なら、なお更ね」
『火星大王』
 俺が前の探偵事務所に居た頃、そこの所長につけられた、ニック・ネーム。
 このニック・ネームで、何をどう間違えたのか、数々の事件を解決してしまい、裏ではおろか、表にさえ有名になってしまった。
 これが、俺の『問題』だ。
 どうだ、判ったか? 判ったなら、せめて笑ってくれ。
「ウィル!」
 助手のノエル・オールド。
 綺麗な金髪に、モデル並のプロポーション。そして、ハーバード大学法学部卒の学歴。少し前まで、結婚まで考えた、優秀な助手だ。
 今は、結婚は考え直しているところだ。
 何故かって? 結婚したら尻に敷かれるのは目に見えてるからだ。判るだろ?


「で、本日はどういったご用件で? 旦那の浮気? それとも、隣りの家の家庭事情を知りたいとか?」
 俺の軽いジョークをキッパリと無視して、モール・スタッカート夫人は、持っていたハンドバッグから、一枚の写真を取り出し、俺に差し出した。
 俺は受け取って、その写真を見る。そこには、年の頃十四、五歳の少女が、元気いっぱいの笑顔を、惜しげもなく振りまいていた。
「娘です」
 スタッカート夫人は、短くそれだけ言い放った。
「可愛らしいお嬢さんですな」
 言いつつ、もう一度、写真に注意を向けた。ショート・カットの金髪は、写真の中では風になびき、その笑顔からは、清楚という言葉は似合わないものの、見ている者も、思わず笑い返したくなるような、そんな笑顔だ。
 十年と言わず、もう七、八年もしたら、さぞ男泣かせの女になるだろう。
「…難しい年頃です」
 スタッカート夫人は、俯いたまま、ポツリと呟いた。
「で、依頼は、この娘さんの捜索で?」
 俺は、写真をスタッカート夫人に返しながら訊いた。答えは、思った通りのモノだった。
「ええ。実は、主人が行方不明になりまして、…数日前、スラム街の路地裏で、変り果てた姿で発見されまして…」
 おっと、未亡人か。これはこれは。
「その事でショックを受けたのか、娘は学校にも行かなくなり、最近では、あまり良くない友人ともお付き合いしている様で…」
「…そういう事ですか。取り敢えず、ご主人のご冥福を祈ります」
 そう、俺が言った直後、スタッカート夫人は不可解そうな表情をした。
「何故、ウチの主人の冥福を祈るのです?」
「え? だって、ご主人は、スラム街の裏路地で、変り果てた姿で見つかったんでしょう?」
「ええ。でも、私は死んだなんて一言も言ってはいませんよ」
 スタッカート夫人は、手にしたバッグから、一匹のネズミを取り出して、こう言った。
「主人です」
「…このネズミが、ですか?」
「はい」
「見たところ、クマネズミの様ですが…」
「私は、そういった事には疎いのですが、警察の方も、そう仰っておりました」
 俺は、スタッカート夫人の掌の上で大人しくしている旦那(?)に視線を移した。
 何処から見ても、ただのネズミの様だがなぁ。警察は、路地裏なんかにゃ掃いて捨てるほどいるネズミの中から、何を基準にこのネズミを旦那さんと断定したんだろうか。
「で、引き受けて貰えるのでしょうか…」
 その事については、特に急ぐ依頼も無かったし、何となく興味がのったので、引き受ける事にした。


「しかし、こうもアッサリ見つかるとはな…」
 まぁ、所詮ガキって事か。その方が面倒も無くて助かるが。
「キャハハハハ!」
 背後から、聴いてると耳がバカになりそうな笑い声が聞こえてきた。
「ナニそれー。バッカみた〜い」
 とあるバーで、彼女等は戯れていた。なんとも、内容空っぽの会話だな。彼女等は笑っているが、その笑い声は、とても空虚なものに聞こえた。
 ま、そんな事はどうでもいいか。さて、お仕事お仕事、と。
 俺は若干温くなったビールを一息に飲み干し、何となく違和感の残る耳を掻きながら、彼女等のテーブルへ近づいていった。
「よう。元気か? 若人よ」
「ァア? っに言ってんだぁ?」
「ンだよ、このオヤジ」
 オマケにボキャブラリィも貧弱ときた。こりゃもう末期だな。せっかくこちらはフレンドリーに話しかけてやったってのに。
「フィア・スタッカート嬢をご存知ないかね?」
「ぎゃはははは! 『ご存知ないかね』だってよ。聞いたかよ、みんな」
「聞いた聞いた。ヘンなオヤジ〜」
「ご存知ないね。引っ込め。オヤジ臭いんだよ」
「ほう。意見が合ったな。俺も、ションベン臭い貴様らのようなガキに、いつまでも付き合ってられる程ヒマじゃないんでね」
「…ンだとコラァ!」
「スカシてんじゃねーぞジジィ!」
 やれやれ。オヤジの次はジジイか。その後は白骨体か? 化石とまでは、言われたくないな。
「やっちゃえハリ〜」
「ンなジジィ、ノしちゃえよ」
「そうだ、な! っぁああぁぁ!?」
 セリフの語尾を悲鳴に変えて、ハリーとやらは飛んで行った。
「いきなり殴りかかって来るなんて酷いじゃないか。上手く手加減出来ないじゃないか」
 床に落ちた時に背中を強打したのか、ハリーは起き上がって来る気配はない。復活するにしても、もう暫らくは、呼吸困難の苦しみを、ゆっくりと吟味している事だろう。
「で、もう一回聞くが、フィア・スタッカートという少女を知らんかね、そこのお嬢さん?」
 俺に声をかけられ、その少女は身を強張らせた。
「…てめぇ、サツか」
 その少女と俺との視線の間に、もう一人の男が割り込んできた。まあ、それはどうでもいい事だが、これはまた面白いセリフが聞けたもんだ。この俺が、サツなんぞに間違われるなんて、な。笑っちまうや。
「だったら…!」
 俺の苦笑いを別の意味に取ったのか、この男も突然殴りかかって来た。思ったよりも鋭いパンチで、俺は慌てて身を沈めて身を躱し、追撃を避ける為に後ろへ下がった。
「逃げろ!」
 視線はこちらに向けたまま、男は叫んだ。残りの連中(三人の女の子だけだったが)は、一瞬の躊躇の後、何も言わずに店から出ていった。
「お〜、カッコイイね」
「っざけんな! フィアは渡さねぇぞ! それに、アイツはヤクも盗みもやってねぇ!」
「と、いう事は、お前はどっちもやってるって事か。いやそれより、お前、あの娘に惚れてんな?」
「………!」
 図星をさされたのか、男は顔を朱や青に変え、奇声ともとれる大声を出し、殴りかかって来た。精神的に追詰められた為か、先程のパンチより、数段劣って見えた。
 男のパンチを弾いて、交差しながら、俺は男の腹に拳を打ち込んでやった。
「…最後に言っとくよ。俺はサツじゃない」
 俺の言葉が聞き取れたかは判らないが、男は何も言い返さずに気を失った。
 …そういや、こいつの名前、聞かなかったな。


「こ、ここまでは、追って来ないわよね…」
「そりゃ、そうでしょ。だってココは…」
「そんな事よりもさ、ハリーとマイケルを助けに行かなくていいの?」
「バカ! あたし等が行ったって、なんにもならねぇよ」
「うむ。それは正しい見解だな」
 三人の少女は、一瞬身体を強張らせ、ゆっくりと、こちらに向き直った。その表情は三人三様で、端から『嫌悪』『侮蔑』『恐怖』となっていた。
「なんだ、その表情は」
「いや、『何だ』って…」
「ココ、…女子便所だよ?」
 取り敢えず、俺は辺りを見回した。ピンクの色彩のタイルが敷き詰められ、立ち用の便器は無く、個室ばかり。
「うむ。確かに女子便所だな。おめでとう、君の説は立証された」
 俺は、先程侮蔑の表情をしていた少女に言った。
「そうじゃなくって!」
 その隣りの、嫌悪の少女が声を荒げた。
「何? 君には、反対意見があるのか?」
「そうじゃないってば! ハリーとマイケルはどうしたのよ」
 彼女の真剣な声に、俺はいい加減ふざけるのをやめた。
「別にどうもしてないさ。さっきのバーでノビてるよ。それよりも、フィア」
 俺は侮蔑の表情の少女――― フィア・スタッカートに視線を移した。
「…警察が、あたしに何の用だってんだ?」
「まだ言って無かったかな。俺は警察じゃない。探偵だよ」
「探偵…? 探偵が、フィアに何の用だっての?」
 残りの女の子のうちの一人が、不思議そうな表情をした。当のフィア本人は、心当たりがある(ま、当たり前だろうが)のか、きまりの悪そうな表情をして、俺から視線を外した。
「それはフィアのプライベートに関わる事だからな。知りたければ、フィア本人に聞けばいい」
 彼女たちは顔を見合わせ、そしてフィアの方に向き直った。
「フィア…」
 二人は、それ以上何も聞かなかった。見た目より、物事を考えてるんだな。
「…ゴメン。言えない」
 それで納得するハズは無かったが、彼女たちはそれ以上何も聞かず、
「話したくなったら、何時でも言いな。出来るかぎりの手助けはしてやるから…」
 フィアは黙ったままだった。いいねぇ。いかにも青春ってカンジだ。
「さて、フィアと込み入った話をしたいのだが…。別に変な事はせんよ。生憎と俺には、少女趣味は無いんでね」
「ゴメン、二人とも…。そのうち、話せる…かな」
「そ。それじゃ、また今度ね」「バイビ〜☆ フィア」
「うん…」
 フィアは、トイレから出て行く二人を見送り、五秒ほど経ってから、いきなり出口へ向かって走り出した。しかし、遅い遅い。
「離してよ!」
「そうはいかん。君のお母さんに、君を連れ戻す様、依頼されている。これも商売なんでね。悪く思わんでくれ」
「嫌よ! あんな家なんかに帰りたくない!」
 フィアがあまりに暴れるため、俺はやむなく手を離した。フィアは、逃げるかと思ったが、こちらに背を向けたまま、その場に立っていた。
「だって、ネズミよ? パパがいきなりいなくなって、何ヶ月も経って、いつ、死体が発見されましたって、警察の人が言いに来るか、不安で…」
 フィアは、勢いよくこちらに向き直った。その拍子に、目から涙が溢れた。
「それが何!? 警察の人が来て、いよいよパパが死んだって言われるんだって思って、気絶しそうだった! だけどでてきた言葉は、『ご主人です』! そう言って差し出されたのはただのネズミ! それでママは何て言ったと思う!?」
 少し考えたが、結局、しっくりくる答えは浮かばなかった。俺が答えられずにいると、フィアはさらに語気を強めて言った。叫ぶように。
「『お手数かけました』よ!? 思わず気絶しちゃったわよ! そのとき頭を打ってできたコブ、まださわると痛いんだから!」
 フィアは肩で息をしながら、ようやく言葉を切った。
「しかし、だ。君のそのコブは、君の責任じゃないか」
「そっ………!」
 怒りで声が出なくなったのか、フィアは顔を赤くして、沈黙した。
 そして大きく深呼吸し、一応の平静を取り戻したフィアは、
「…もういい。何にしても、あたしは家には帰らないから」
 そう言い放つとフィアは、くるりと反転し出口へ駆け出そうとした。
 俺は当然、それを阻止しようと手を伸ばした。
 だが、そのどちらよりも早く、何か小さな物体が俺の頭上を越え、フィアの後頭部に命中した。そしてそれは、伸ばした俺の手の上に、きれいな放物線を描いて着地した。
「…ったいわね! そこはコブ、の………」
フィアは、俺の手の上に乗ったモノを見て絶句した。ついでに俺も驚いた。
「…パパ」
 俺の手の上には、一匹のクマネズミが鎮座……いや、仁王立ちしていた。二本足で立ち(それくらいなら普通のネズミもするだろうが)、フィアの方をじっと見据え(これもあり得るか)、そして前足を腰に当てて(これだよ…)いた。そんな事の出来るクマネズミなぞ、この親父さんくらいだろう。
(そんなワガママを言うもんじゃない)
 と、言っている様に見えた。
(私がこんなになってしまったのだから、お前が母さんを支えんでどうする)
 とも、言っている様だった。
「パパ…」
 フィアの目に、大粒の涙が浮かんで、流れた。
「パパ! あたし、…あたし! そんなふうに叱って欲しかったの!」
 叫ぶ様に言ってフィアは、俺に…いや、親父さんの胸に飛び込んだ。そして勢い余って、俺ごと親父さんを抱擁した。
 ポキ。
 フィアと俺の体に挟まれ、俺の小指は嫌な音を立てた。そして、それによく似た音も、もう一つ、した。


 死因は、頚椎の骨折による呼吸不全、要は、窒息死だ。
 全ては、『過失』という事で処理された。


「変わった依頼だったが、…ま、こういう事もあるって事か。いや〜、世界って広いねぇ」
 曲げられないよう、しっかりと固定された小指を眺めながら、俺はノエルにともなく言った。
「…そうね。でも、深く考えるのはやめましょう。キリがないし」
 俺は無言で、ノエルのいれたコーヒーを啜った。俺の好みの、熱くて濃いヤツだ。
「ん〜、くつろぐね〜」
 デスクのチェアに沈み込み、俺は深呼吸とともにその言葉を吐き出した。
「でもね、ウィル。こういった時間て、そうは長く続かないのがセオリーってものじゃない?」
「ああ。そういう話をすると、必ず、な。しかし、それはむしろ『ジンクス』と言った方が適切じゃないか? 俺は信じてないけどな」
「そう。けれど、信じていなくとも、こんな世の中だと、探偵の仕事っていうのはどんどん入ってくるみたいね。『火星大王』さん?」
 俺は答えない。何しろ、俺の事を『火星大王』と呼ぶヤツには、何の返答もしないと決めたからな!
 無視する俺をさらに無視し、ノエルは今日の来客予定表を見た。
「え…と、今日の二時半の予定だから、…あら、丁度時間だわ」
 まさに絶妙のタイミングだった。ノエルが言い終えるのとほぼ同時に、事務所のドアがノックされ、ノエルが返事をし、ドアを開ける。そこには、一組の老夫婦が佇んでいた。
 その老夫婦は、まったくの同時に口を開き、こう言った。
『火星大王さん、助けて下さい』

                                      終