ミッドシップ・エンジェル 〜公道天使〜 1
作:清文





<<注意>>

 これは全てフィクションです。
 出演する人物などは架空のものです。
 当然、宮城県では「仙台キャノンボール・トライアル」なんてモノも、「仙台バイパス信号グランプリ」なんてトチ狂ったモノも行われておりません。
 最後に、この小説で行われている行為は重大な道路交通法違反です。
 公道バトルを楽しむのは、映画とゲームとアニメと漫画と小説だけにしてください。本当に車を楽しむ人の迷惑になります。
 ご注意を。


<SS1 : 一流ということ>

 西仙台ハイランド、サーキットコース。
 グループA。ファイナルラップ、最終コーナー。

 一見緩やかなこのコーナーも、六百馬力オーバーのチューンドカーには高度なアクセルワークとハンドリングをドライバーへ要求する。
 車はアクセルさえ開ければ速く走れる。しかし高い速度では決して曲がらない。
 世界最高のメカニックがどれほどの時間をかけても、この法則は決して変えられない。

 コーナーの内側で加速を止めないのは、蒼いニッサン・スカイランR34・GT−R。
 直列六気筒エンジンRB26を搭載する四輪駆動車。日本レース界に金字塔を打ち立てた車の正当な伝説継承者(車)である。

 コーナー外側で若干後輪をスライドさせているのは、純白のアンフィニ・RX7。
 世界でも希少な超高回転型パワーユニット、「ロータリーエンジン」を搭載する後輪駆動の世界的芸術品。五十対五十という理想的な荷重バランスと「マツダ・フェニックス・プロジェクト」の熱い信念が作り上げたピュアスポーツである。

 RX7は先に減速を始め、コーナーリングを開始。これには最も基本的な理由があった。
 アウト・イン・アウト。
 コーナーを速く抜けるには、ハンドルを可能な限り切らなければ良い。つまりコーナーを道の一番外側から、一番内側を抜けて、再び一番外側へと抜けるのだ。速く、安全に走るための方法である。

 対するスカイラインR34は四輪の接地能力を失っていた。
 四輪はアスファルトの上を空しく空転し続ける。
 原因は明らかな速度超過だった。
 タイヤはずるずるコースを外れながら、道の隅ぎりぎりまでそれていく。
 サーキットでレースを見ていた誰もが、スカイラインR34のコースアウトを確信した。

 刹那。

 スカイラインR34の四輪は同時に煙を上げ、猛烈な勢いでコース縁石ぎりぎりから復帰。コーナー内側へ向けて爆発的に加速。

 突然、自分のコーナー脱出経路を塞がれたRX7は、アクセルを踏む事も出来ず、ロータリーエンジンの回転数は下がる。失速。
 それを尻目にスカイランR34は、コーナー脱出。勝者のみを待つ最後のストレートを突き抜けて行く。
 そしてレース終了を告げるチェッカーフラッグ。
 唯一の勝者のみへ与えられる名誉の旗印であった。

 スカイラインR34の最終コーナーで見せたものは「ドリフト」。
 特に難しいとされる「慣性ドリフト」だ。
 出している速度とハンドリングのみで車を捌き、一切車両を失速させる事無くコーナー脱出をする超高等テクニックである。優勝の掛かった最終コーナーの接戦で、相手を邪魔しながら繰り出す大技ではない。一つ間違えば順位どころかクラッシュ、車両大破である。

 ウイニングランを済ませ、コース上に停止するスカイラインR34。
 軽量化されきったドアから、ドライバーは現れた。
 身長は百七十センチほど。体に貼りついたようなレーシングスーツは大きな胸と、まろやかな腰を強調させ、女性らしい、くびれたラインを示す。
 スカイラインR34のドライバーは、おもむろにヘルメットをぬぎ、髪を掻き上げた。
 セミロングの日本女性。
 間違い無く一流であった。


<SS2 : レーサーであるということ>

「優勝おめでとう!!」
「これでポイントトップですよぉ、小鳥さぁん!」
「ファイナルラップの最終コーナー・・・ “終わったぁ〜”って思っちまったゼヨォ」
「タイヤ、その為に温存していたし、四駆は運転楽だし。あの“坊や”、根は素直なのよ。もちろん、みんなの整備を信頼しての走りだけどね」
 レーシングチームのクラブハウス。
 小鳥と呼ばれたセミロングの日本人女性は、周囲のメカマンやピットクルーに囲まれながらシャンパンで、優勝の余韻に浸っていた。
 白雪小鳥。
 シーズン中盤から抜擢された、グループAの新人ドライバー。
 グループA期待の超新星である。
 彼女は初出場から破竹の五連勝を成し、今日ドライバーズポイントの一位を掴み取った。
 カンフーでもしているような引き締まった肉体に、不釣合いに大きな胸。くびれた腰つきは、レース界のみならず、グラビアを始めとする芸能界からも脚光を浴びている。
「小鳥さぁん! あれだけのドリフトかまして、“四駆の運転は楽”ですってぇ〜〜!?」
 小鳥の発言どおり、確かに四輪駆動の運転は他の駆動方式に比べ楽なのは事実である。
 ただし、それは四輪をしっかりグリップさせて、のことだ。

 四輪駆動でのドリフトは難易度が高い。
 理由は単純。「四輪が同時に回っている」からである。
 四輪駆動は全てのタイヤで加速をするために、前輪タイヤの向く方向へひたすら方向を変化させる特性がある。
 速く走るためのドリフトを四輪駆動で行うのは、針の穴を通すような難しさなのだ。
 オンロードで高速ドリフトするだけでも難しいのに、彼女は最も重要な場面で最高難易度の業を、相手のラインを塞ぎながら勝利を勝ち取った。

 恐ろしい腕と度胸、駆け引きに長けた能力の持ち主である。

「おい、電話入っているぞ。お祝いの電話じゃないのか?」
 携帯の着信音。「ミッション・イン・ポッシプル」のテーマ曲だ。
 チーム監督直々、小鳥の携帯電話をジャケットごと持ってくる。この監督は立場を気にしない、相当気さくな人間だ。故にチームでの信頼も厚い。
「へ? ああ。サンクス、木馬監督・・・もしもし、小鳥だ」
『優勝おめでとう“ミッドシップ・エンジェル”さん』
 聞いたことの無い、男の声。
 電話口の後ろでは悲鳴が木霊した。
 小鳥の顔に緊張が走る。
「・・・誰!?」
『キミの古い友達も喜んでいるよ。可愛そうに、“キミのせいで”左目を無くした友達、ボクの目の前で部下どもにボコられているよ。痛そうだなぁ。替わってやろうか・・・ああ。うぁ汚ねぇ、ゲロ吐きやがった。アルマーニのジャケットが・・・代わるかい? 電話』
「・・・頼む」
 暫しの沈黙。
 小鳥は貧乏ゆすりを始めた。
 待ちきれずにいると、スピーカー越しに弱々しい声。
 昔から聞き慣れた声だった。
『小鳥ぃ・・・だめだぁ・・・折角・・・チャンスなのに・・・来ちゃ、ダメだぁ・・・』
「・・・エイジ? エイジなの?」
『明日の夜十一時。“秋保・工芸の里”駐車場で待っている。お友達と一緒にね。別に来なくても良いけど、分かってるんだろ。ボクたちが夜のデートへお誘いする訳を。経歴に傷をつけたくないんだったら、来ない方が良い。折角のワークス・レーサーなんだから。その時は代わりに、君の友達と遊ばせてもらうよ。では』
「ちょっと! 待てよコラァ!! エイジに、エイジに何したぁ!!!」
 一方的に電話は切れる。
 小鳥は携帯電話を地面へ叩きつけた。


<SS3 : 幼馴染であるということ>
 
 月曜日の深夜であるにもかかわらず、「秋保・工芸の里」駐車場に集まっている全員は、これから始まろうとしているのイベントに胸を高鳴らせ、一様に談笑しつつ待機していた。
 場所も山奥なだけに、集まるものも車で来訪。沢山の車種で賑う。

 アルファ・ロメオ・スパイダー、トヨタ・MR−S、スズキ・アルトワークスRS/R、トヨタ・スターレット、205トヨタ・セリカGT−FOUR、ホンダ・シビックSIR、アンフィニRX7・FD−3S、ニッサン・スカイラインR32GT-Sタイプt、ニッサン・マーチ・スーパーターボ、フォード・Ka。
 他にもシルビアS13、S14、86レビンGT−APEX、101レヴィン、92トレノGT−Z、スカイラインR31、新旧のインプレッサWRX−STIverなど、スポーティーなマシンたちで目白押し。
 さながらスポーツカーの祭典だ。
 中にはワゴンRやミラージュ・ディンゴ、レガシーワゴンなどのファミリーカーもちらほら並ぶ。
 
 異様な盛り上がりの中、この駐車場へ続く坂道を登ってくる一台のマシン。
 真紅のスカイラインR34GT−R・V−SPEC。
 白雪小鳥の現在駆る愛車であった。

 真紅のスカイラインR34は、祭の中心部に陣取る大型トレーラーと、雰囲気の悪い集団へ向けて急きょ加速。地べた座りでヘラヘラ笑う四人の男たちへドリフトをかまし、奴らの鼻先10センチで停止する。
 金髪男たちは、我を失った。
 ドライバーズシートから貴婦人のように足をそろえ降車する白雪小鳥。
「ゴメンあそばせ、脇役さん」
「・・・こいつぅ、大川さんの用事が終わるまで五体満足でいられると思ってやがる」
「女のクセしやがって。チョイと名が知れてるからってナメんな」
「運転できりゃイイんだろぉ? 少々シメたって構いやぁしねぇ」
「前座にストリップショウさせてやる。ビデオに取りゃあ、高値がつくぜ。何せ芸能界注目の女ドライバーさんだからヨォ」
 見下された男たちは、我を取り戻し、小鳥を囲んだ。

 小鳥は黙って男の一人へ拳を突き立てた。
 その疾さたるや電光石火。
 こめかみ付近へ命中。男は脳震盪で崩れ落ちる。
「で、ストリップが、何だって?」
 唾を吐き捨てた小鳥へ、三人の男は同時に襲いかかった。

 同時に旋風が駆け巡る。

 ナイフを突き立てる男へ、身体を引きながらの右足蹴り。金的へ当たって沈没。
 後ろから羽交い絞めを狙った男は、胸骨へ肘打ちを受ける。
 金的と肘うちは同時に命中し、それぞれカウンター。与えられた打撃は想像を絶した。
 残る一人が側面から組みかかってくるも、小鳥は身体をひねり、顎へジャブのような右ハイキックを突き上げる。
 ナイフ男への攻撃からの蹴りゆえパワーは無いが、男は大きくバランスを崩す。
 態勢を立て直した小鳥は、左ミドルハイキックを直線的に打ち込んだ。
 腹部中央に爪先をめり込まれた男は悶絶し、嘔吐しながら大地へ伏す。顎へ攻撃を受けたため、防御へ大きな隙を生じたのだ。筋肉を締めない腹部は、弱点以外の何者でもない。
 戦いはあっけなく幕切れた。
「男四人のストリップショウって、売れるのかしら・・・マニアぁ!? げぇ・・・」
 小鳥の喧嘩は我流だった。唯一勉強したとすれば、ブルース・リーの本を読み、プロレスやK−1を観戦する位か。
 元の反射神経と動体視力、雌豹のような肢体から繰り出される俊敏な動きによる、天性の強さだった。

 奥から拍手をしながら遣って来る、茶髪で二十代後半の男。
 アルマーニのスーツだ。
 両脇にはで真っ赤な長髪をしたヒョロ長な男と、緑の髪を後ろで束ねた小太り男が待機している。それぞれ洒落たつもりのスーツで身を包み、すかした態度で小鳥を見下ろす。後ろには、ケバいキャバクラ勤めのようなの女。下品にタバコを吹かしている。
 アルマーニは小鳥の目前で堂々と立ち止まると、男“だった”粗大ゴミへ片足を乗せた。
「すまないね、ボクの部下たちが勝手な真似をした」
「あなた、ペットを買うならもっと可愛いのになさいな。それから車もね」
 アルマーニたちの後ろにある車は、何れも小鳥の感覚からは下品極まりないものばかりだった。

 メタリックグリーンのニッサン・シーマ。
 イエローのミツビシ・ランサー・エボリューション7。
 漆黒のトヨタMR−2。
 それぞれ、車としては非常に洗練されたマシン達だが、問題はその改造である。

 まず、ギタギタのメタリックグリーンで塗装したシーマ。
 本来高級車という位置付けなれど、目の前にあるそれは余りに安っぽい。車体よりはみ出した平たすぎるタイヤを履き、後輪を八の字のようにさせている。一昔前の暴走族だ。持ち主の時代錯誤さを如実に表していた。

 黄色のランサー・エボリューション7は、シーマに比べればまだ、まともだ。
 問題は「まだ」というだけの話で、攻撃的過ぎるエアスポイラーを全身へまとわせ、あまつさえ、ボンネットには巨大なスーパージャージャーユニットの加給口を覗かせている。映画、マッドマックスだ。紛れもなく直線番長仕様。世界ラリー選手権を愛する人間ならば、見ただけで涙するだろう。

 黒のトヨタMR−2は公道車両というより、空力を計算され尽くしたファクトリーレーシングそのものであった。
 サーキットの上であればさぞかし美しく見えるであろうそれも、公道の上では常識違いも甚だしい。金に物を云わせただけの車は、小鳥の最も嫌うものであった。

 何れの車にも巨大なリアウィングが取り付けられており、堂々とチーム名であろう「SYSCOM」のネームをペイントしている。

「あんたが大川?」
「何時名乗ったかな」
「最近のペットって喋るのよ、知ってた?」
「初耳だ。以後勉強しておくよ。それより久し振り・・・なのだが覚えていないようだね」
「あんたら位、個性あれば大抵覚えているんだけどねぇ。バカ話って酒のつまみになるだろ。で、エイジは何処!?」
「・・・連れて来い」
 緑髪はメタリックグリーンのシーマから、一人の男を引きずり出してきた。
 投げ飛ばされたのは、左目に眼帯をつけている一寸太めの男性。
 身長は小鳥とほぼ変わらず、その分か、横幅だけ小鳥の倍はあった。
 全身打撲で傷だらけの彼は、転がり込むように小鳥の足元までやって来る。
「小鳥ぃ〜〜〜」
「エイジ!!」
 小鳥は両膝を折り、エイジを抱きしめた。
 エイジは見た目と裏腹に筋肉質だ。
 毎日重い機械と格闘している分、食べる量も凄まじいので筋肉と同量の脂肪があるに過ぎない。
 ただし小鳥と違い、喧嘩はからっきしだった。
「何された!? 骨は折れていないか」
「イデデデ・・・痛いヨォ、小鳥ぃ〜」
「よかったぁ・・・折れているのは肋骨くらいなモンだ」
「えぇ〜〜! 肋骨折れているのぉ〜〜」
「肋骨なんて唾つけときゃ直る!! 喚くな! お前は昔から、オレがいないとダメなんだからなぁ・・・」
「ごめんよぉ、小鳥ぃ〜」
 小鳥とエイジは幼馴染だった。
 昔から小鳥はスポーツ万能で小学校では番長。
 エイジは大人しく、工作ばかり。
 そして内気なエイジをいじめる輩を、完膚なきまでブチのめすのは何時も小鳥。それは中学、高校を経ても変わらず、高校卒業後、エイジは自動車整備士学校へ進み。小鳥は近所のファミレスで店員となった。
 二人は気付けば、突然小鳥の買って来たMR−2という車を只管いじり、走り回らせた。
 ドライバーとメカニック。それだけで楽しかった。
 気付けば、二人は仙台走り屋たちの頂点へ。
 彼らは二人を車と伝説的な走りに、恐怖と敬意を込めこう呼んだ。

 ミッドシップ・エンジェルス、と。

「さて、話というのは他でもない。ボクと勝負してもらいたい。『ミッドシップ・エンジェルス』に。丁度峠に興奮を感じなくなった頃でね。ボクらは君の噂を聞いて仙台キャノンボールへ顔を出す気になった。だがキミたちは、ボクらが来るなり引退してしまった。原因は確か、スーパーへ買い物に行く途中、直線で突然スピン・・・だったかな? 車両は大破、エイジ君は片目を失った。未だに事故原因は不明だそうだね。天使さん方」
「調べているんだったら、云うんじゃないわよ。アルマーニ」
 震えるエイジを抱きかかえながら、小鳥はアルマーニ大川を睨み付ける。
 小鳥は喧嘩も車も百戦錬磨。チンピラも小鳥を避けて通る。
 大川はひるまず、見下す瞳で小鳥を捉えた。
「ボクはキャノンボールを機に、わざわざNSXからMR−2へ乗り換えた。NSXでキミたちに勝利しても当然だからだ。でも、同じマシンなら誰にでもボクの勝利を認めさせることが出来る。名実ともに仙台・・・いや東北最強の名を得られる。だが、キミたちは逃げ出した。迷惑したのはボクだ。誰もボクを仙台最強と認めはしない。口々に奴らは言いやがる、“仙台最強はあの二人、ミッドシップ・エンジェルスだ”と!!」
「つまりオレらを負かして、皆に“すごいでちゅねぇ〜〜〜”って誉められたい訳だ。ばかばかしぃ・・・。ガキに付き合うほどヒマじゃない。エイジは連れて帰るぞ」
「いいよ。でも、大変だろうな。きっと帰宅した頃はエイジくんの工場は火達磨だ。消防隊は決死の消火活動をしたにもかかわらず全焼・・・とかって。テレビ局は喜ぶ」
 エイジは震えた。
 エイジは自分でスクラップ工場を営んでいる。キャノンボールで溜めた金が元手だ。
 あのスクラップ工場はエイジの夢の場所であり、エイジの宝だった。
「てめぇ・・・」
 小鳥のこめかみは、今にも血管が切れそうに浮き上がっていた。
 小鳥はエイジがどれだけ苦労して、あの店を始めたか知っている。
 店は仕事もようやく軌道に乗り始め、これからという時。

 元々気弱な男。自営業をするなど、人生最大の覚悟だったに違いない。
 だから小鳥は大川を許せなかった。
 むかつく奴はブチのめす。小鳥の信条だ。
「その挑戦、受けてやろうじゃねぇか」
 沈黙を守っていたギャラリーたちは一斉に歓喜の声を上げた。
 伝説最速と現在最速。
 誰もがこのカードに興奮した。
「知っての通り、昔の車はない。こっちの車はアタシのGT−Rでいいか? アルマーニ」
「おいおい。仮にも“ミッドシップ・エンジェルス”だろ? もっとキミたち向けの車があるじゃないか。エイジくん、あのトレーラーの中だ。すまないが我々で勝手に運ばせてもらったよ。見せてあげるといい」
「エイジ?」
「・・・来て。小鳥」
 エイジは足を引きずりながら小鳥の手を取り、祭りの中央部に鎮座する大型トレーラーへ導いた。スイッチを入れると、後部の扉は跳ね橋のように下りてくる。扉は降り切ると、車のスロープへ変化した。
「これは・・・エイジ!!」
「へへへ・・・」
 内部灯に照らされ、小鳥を出迎えたのは、真紅のMR−2だった。


<SS4 : 再会ということ>

「まさぁ・・・“エンジェル”!?」
「そう。ボクらの“エンジェル”さ」
 エンジェルと二人に呼ばれた車は、赤のMR−2。
 外見はほぼノーマル。唯一最低地上高6センチという点だけ目を引いた。
 塗装は赤。
 ノーマルと違う点は、フロント部分とリアスポイラーに一対ずつ、白い四枚の羽根が描かれていること。
 これこそ“エンジェル”の所以だった。
「まさか・・・あの事故のとき廃車になったんじゃ・・・」
 如何なる状況であろうと事故を起こさなかった二人が、唯一起こした事故。
 軽い気持ちでスーパーへ買い物に行く途中、直線で突然起こしたスピン。速度も出ておらず、路面もドライで起伏はない。事故後に車を見てみても前輪の足回りに異常はなし。車両は大破、事故でエイジは片目の光を失うこととなる。
 小鳥は自分の運転技術を責め、エイジは己の車両整備技術を責めた。
 二人に愛されたエンジェルは最後に彼らの命を守り、廃車。
 ミッドシップ・エンジェルスは解散した。
 そうであるはずだった。
「うん・・・でもね、プレス機に掛けられる寸前、ジャンク屋から買い戻したんだよ。小鳥はグループAで頑張っているし、ボク、片目の整備士だから、何も助けてあげられないだろ。でも小鳥のために何かしなきゃ! って・・・。フロントは殆ど無事だったろ? 悪徳中古車屋じゃないけど、リアの生きているジャンクのMR−2を手に入れて、切って、くっつけて、シャーシに強化入れて、音波で応力確かめて・・・。すごく手間掛かったけど、結果、車体剛性は昔のエンジェルより優れている。保証するよ」
「あんた・・・仕事しないで、こんなことばかりやっていた訳!?」
「本当はさ、グループA優勝のプレゼントにって、思ってたんだけど・・・ははは。世の中は、上手くいかないね」
「・・・ばか」
 小鳥はエイジにそっぽを向いた。
 エイジは気まずそうにポケットから、トヨタエンブレムの入った鍵を取り出す。
 小鳥はエイジへ顔は向けず、腕だけ伸ばして受け取った。
 さっさと“エンジェル”へ向かう小鳥。エイジも後を追う。
 ドアを開け、バケットシートへ潜り込む。MR−2のシートポジションはかなり低い。車高も低くしているので、大衆車がトラックのようになる。小鳥はこの快感を久し振りに味わった。
「エンジン掛けてみてよ、小鳥」
「・・・ああ」
 小鳥はキーを差込み、勢いよく回転させる。
 “エンジェル”は一発で目を覚ました。
 二、三度小鳥はアクセルで空ぶかし。
 全ては昔のまま。
 時間が戻ってきたようだった。
「エンジンのお釈迦になっちゃったから別物だけど、上玉だよ。チューニングは昔どおり。エアクリーナーとマフラー、電装系、それに伴うコンピュータのセッティングのみ。あとは冷却系を徹底的に鍛え上げたよ。嫌いだもんな、過度なチューンは。その点、小鳥、足回りの五月蝿い事といったら・・・」
「消せ」
「へ?」
「トレーラーの室内灯を消せといっているんだぁ!!」
「う、うん!!」
 小鳥の叫びにエイジはMR−2から飛び出して、慌てて室内灯のスイッチを切る。
 MR−2のエンジンは高らかに復活の息吹を歌い上げ、トレーラー内に爆音を響かせた。
 暗闇の中、小鳥はコックピットで動かない。
 15分間エイジは、暗闇の小鳥を呆然と見ていることしか出来なかった。


<SS5 : キャノンボールということ>

「レースは単純。決められたチェックポイント(CP)で得られるステッカーを順番にボンネットへ貼り、相手より早くゴールすること。CPさえ通過すれば、どんな経路を通っても構わない。もし、警察に捕まっても、このことは絶対に口にしないこと。警察に追っかけられても、CP及びゴールここへは決して引っ張ってこないこと。これを守らなかったら、先にゴールしても敗北扱い。ジャッジはギャラリーが決める。両者ともOK!?」
 中立を守る第三チームのトップらしき若者は、仙台キャノンボールのルールを説明。今回の仕切り屋だ。
 二人のドライバーは黙ってうなずく。
 アルマーニの襟を直す大川。
 サングラスを掛け、表情を出さない小鳥。
「では、今回のチェックポイントを発表する。

第一CPはすぐ傍、286号沿い釜房ダム向かいの休憩所。
第二CPは地下鉄長町駅タクシープール前。
第三CPは仙台バイパス遠見塚古墳前バス停。
第四CPは地下鉄泉中央駅そば泉図書館正門前。
第五CPは秋保大滝駐車場。
そしてゴールはここ、秋保・工芸の里、入り口。

いつも通り、各チームとギャラリーの承諾を取っている。やるかい?」
「ボクは挑戦者だからね」
「ヒネってあげるわ」
「で、ビットするものは?」
 キャノンボール・トライアル。
 仙台の場合、タイマンで行われ、それぞれ賭けるものを提示する。
 金であったり、車であったり、土地や株券であったり。仙台では、企業がらみの代理戦争として行われることも珍しくは無い。
「こっちはエイジの工場掛けている」
「なら、こっちは一千万の小切手」
「だめね。安すぎる。建物代にもなりはしないわ」
「やる気無しかい? 今、連絡を入れて燃やしたっていいんだよ」
「燃やしなさい。一緒に貴方の名誉も焼け落ちるから。二度と東北地方じゃ走れないわよ。それに負ける気しないんでしょ? わざわざ手の込んだことしてオレ呼び出し、こんなにギャラリーまで集めたくせに・・・一億。それなら乗るわ」
「・・・くぅ、いいだろう」
 大川は胸から小切手を取り、一億円の文字を書き入れる。後は判を押すだけだ。
 小鳥は人差指と中指で挟み、小切手を受け取る。
 キャノンボールの条件は全て成立した。
「じゃぁ、スタートは二時間後の午前二時半。おのおのマシンの整備をしてくれ」
 小鳥と大川は、それぞれの車へ戻っていく。
 当然握手など無い。
 静寂と興奮が、秋保・工芸の里駐車場を包んでいた。


<SS6 : 走り屋ということ>

 エイジはトレーラーから真紅のMR−2エンジェルを外へ動かし、ライトで照らしながら各部のチェックを行っている。
 このトレーラーもジャンク品で、エイジが直したもの。中には車両一台分のスペースと、各種工具、予備パーツなどでひしめき合っている。さながら移動工場であった。
「エイジ。セッティングは何時からヤる?」
「まってよ、小鳥ぃ〜。ただでさえエンジェルは3日も奴らの手にあったんだ。一通り見てあげないとエンジェルが怖がるよぉ」
 相手はエイジを拉致して無理やり小鳥を呼び出した大川だ。如何なる手を使ってくるか分らない。
 それこそ、エンジェルに細工をしてでも。
 小鳥は親指を噛みしめた。
「・・・徹底的にやってやんな」
「うん・・・」
 その時、二人とエンジェルへ集まるギャラリーの一団。
 中から、数人の男たちが腕まくりをして小鳥たちへ近づいてくる。何れも身体の何処かに油をにじませている連中だった。
「何だい、あんたら」
「小鳥さん、MR−2の整備、手伝わせてもらいたい」
 長身の男の発言に、小鳥はサングラス越しに眉をひそめた。
 大川の罠かも知れない。
 エンジェルに仕掛けられたトラップを隠すためか、もしくは今から細工を始めるか・・・。
 男たちと小鳥の対峙に割って入った者は、スカイラインR32のオーナーだった。
「・・・久し振り。相変わらず“羊の皮を被った狼”ぶりだねぇ。わざわざ福島から?」
「小鳥さんの走りをまた公道で見れるって云うなら、ブラジルまででも行っちゃうって。それより彼ら、俺のダチなんだ。信用してくれ。俺は峠でもサーキットでも世話になってる。腕も素性も、大川とは縁ねぇから。頼むヨォ」
「・・・いいのかい? オレが負けたら東北じゃ走りにくくなるぜ」
「構いやしねぇさ! あいつらにデカイ顔されながらコソコソ走るくらいなら、堂々と小鳥さんに付いて行くぜぇ!! なぁ、みんなぁ!!」
 スカイラインオーナーの連れてきたメカマンたちは、一様に親指を立てる。
 周囲のギャラリーたちも一様の笑顔。
 小鳥の敗北などありえない、といった面持ちだ。
「・・・バカな奴ら、だねぇ」
「頭のいい走り屋なんていねぇよ」
「ふっ。メカの件、こっちから頼む。エイジを手伝ってやってくれ。全身打撲に肋骨の骨を折っている。その上、オレに隠してはいるけれど、前の事故で鞭打ち症のはずなんだ・・・」
「わかった。おい、ヤリさん達とマワさん達。エイジさんに詳細聞いて手伝ってくれぇ。それっとぉ・・・公道は久しぶりだろぉ? 情報収集だ。秋保全般はチョーさんのテリトリーとして、286号線と長町はロッキだ。仙台バイパスはオガ公か。泉周辺はグッチョン。仙台北環状線はベットモくんだな。国道48号線周辺は大公閣下か。それから・・・」
「悪いな。借りが出来た」
「タダとはいわせねぇ。全員にテンイチ・ラーメン奢り。それが条件さ」
「大盛り肉多めで手を打とう」
「OっKぇ!! 皆集まれぇ!! メシ食えっとぉ!!」
 小鳥は、サングラスをさらに目深にかけ直す。
 二時間後。
 エンジェルはセッティングまで無事に終え、最高の状態にへと仕上がっていた。


<SS7 : 恐怖ということ>

「小鳥ぃ〜。案の定、酷いものだったヨォ〜」
 スタートまで、あと10分。
 エンジェルはウォームアップを終え、暖機のためエンジンで静かなビートを打ち続けている。
 エンジェルの脇で大の字になって倒れているエイジは、誰の目から見ても披露困憊だ。
「オイルは使い捨てのヤツ入れてやがるし、プラグは四本とも粗悪品。警報計類のケーブルは全部切断。ブレーキオイルのパイプには切れ目は入れてやがったし・・・数え上げたら切りが無い!!」
「ここまで走れるようにしてくれたんだ。オレもエンジェルも感謝しているよ」
「でもまだ・・・見落としているところがあるかもしれない・・・」
「エイジや他の皆が徹底的に見てくれたんだ。セットアップも十分さ。後は信じて走るだ け・・・後はそこでクタバッていな、エイジ」

 小鳥はフロントノーズのトヨタエンブレムに指を触れた。
 エンブレムの両脇には一対の白い羽根。
 MR−2は震えていた。

 小鳥の指は、静かにMR−2のボディーをナメながら車左側面へと流れてゆく。歩き出し、ボディーを指でつたったまま、コックピット側サイドへ。
 小鳥はTバールーフの丘へ指を這わせ、滑らせるようにエンジン傍までたどり着く。
 ゆっくりと。
 いとおしむように。
「事故の時、助けてくれてありがとう、エンジェル。怖かったでしょ・・・怖かったよね」
 リアサイド。
 リアスポイラ。
 そこにも純白に羽ばたく翼の紋章。
「でも・・・もう一度助けて。貴方の力が必要なの」
 給油口。
 助手席側のルーフ。
 小刻みに震え続けるボディー。小鳥には、まるで怯えているかのように感じられた。
「貴方のエイジが、大変なの。沢山殴られて、貴方を作り直してくれた工場を奪われようとしている。痛いのはイヤだよね。失うのはいやだよね。貴方なら分かるよね」
 フロントサイド。
 再びフロントノーズ。
 白銀のトヨタエンブレム。
「怖いだろうけど・・・怖いだろうけど、もう一度だけ、もう一度だけ貴方の力を“私”に貸して。その翼で、もう一度だけ、私を導いて」
 ボディーの“鳴り”が止んだ。
 エンジンの回転は突如高まり、アイドリングは高々と吠える。
 数分前の弱々しさは微塵もなく、真紅のMR−2は過去の勇姿を取り戻していた。小鳥には、分かるのだ。
「・・・・ありがとう。エンジェル」
 小鳥はボンネットにキスをした。