ミッドシップ・エンジェル 〜公道天使〜 2 |
作:清文 |
<SS8 : チームということ>
午前二時二十八分。
スタート2分前。
二台のMR−2は駐車場出入り口に並んで停車。互いのエンジンは切られている。
仙台キャノンボールはエンジンスタートから開始されるのだ。
「・・・で、エイジ。なんでお前が乗っている」
「酷いよ小鳥ぃ〜。昔から二人で一人だったじゃないかぁ。“ミッドシップ・エンジェルス”だろ? ボクも乗るのは当然だヨォ」
「テメェ肋骨折ってるだろうがよぉ! エンジェルのG圧に耐えられるのか! パッセンジャーシートでギャーギャー騒がれると邪魔なんだ、じゃ〜ま!!」
エイジは黙ってふて腐れる。
小鳥はサングラスをかけたままエイジを見ない。
喉の奥から出すような声で、エイジは小鳥へ反駁した。
「騒がなきゃいいんだろ・・・」
「・・・ムリだ」
「騒がない!!」
「ムリだ!!」
「ぜぇ〜〜ったいに、騒がない!!」
小鳥の左ジャブが飛ぶ。
目標はエイジの右脇腹。
エイジは痛みのため仰け反り、ヘッドレストへ頭部を強打した。
「ほら、ムリだ」
「・・・さ・・・さわいで・・・ないもん・・・」
もう一発、ジャブ。
エイジは動かない。
目には満面の涙。
「ささささささ・・・さわいで・・・なな・・・い・・・」
小鳥はあきれた。サングラスを外す。
エイジは精一杯の虚勢で笑顔を絶やさないでいた。
小鳥は四点式シートベルトを外し、乗り出しながらエイジの襟首を掴んだ。
「あと、お前は一つ間違っている」
「な、何を?」
「昔から、三人で一人だ」
エンジェルは左右にゆれて呼応した。
<SS9 : スタートということ>
午前二時三十分。
スタートタイム。
仕切り屋の男は赤と黒、二台のMR−2へ最後の確認を取ると両者の間に立ち、フラッグを掲げる。
「カウント5からスタート、いいな」
「ボクは構わない」
「さっさとやんな」
「じゃぁイクゼ、5!!」
ギャラリーのざわめきが静まった。
「4!!」
「降りるなら今のうちだよ、エイジ」
「3!!」
「俺たち三人で一人だろ、小鳥!!」
「2!!」
「勝ちに行くよ! 死ぬ気でキバんな!!」
「1!!」
「・・・Wake up my“Angel“・・・」
「GO!!」
小鳥はスターターを立ち上げた。
エンジェルは一発で目覚める。
大川のブラックMR−2は猛然と後輪をホイルスピンさせ蛇行しながら駐車場から公道へ走り抜ける。視界を曇らすほどの白煙だ。
小鳥はエンジンをスタートし、全ての計器を確認してから初めてクラッチを切った。
4000rpmで動力を繋げる。
大川のMR−2とは対照的に、ロケットのような素早さでエンジェルは駐車場から消え去った。
ギャラリーから大歓声が沸き起こる。
誰もが絶賛するスタートだった。
「秋保温泉川崎線・・・北山を一気に下って釜房湖に出るルート・・・。ワインディングロードだよ、小鳥ぃ〜」
「知っている、怪我人は黙ってろ!!」
秋保工芸の里から二連のS字を抜けると、後はジェットコースターのように山間道を駆け下りる一本道。対向車以外に気を使うものは無い。
小鳥は初っ端からエンジェルへ鞭を入れた。
エンジェルはターボ・タービンへ火を入れ、心臓へおもいっきり息を吸い込み、真紅の車体を残光にして秋保の一本道を突き抜ける。
エンジェルのコックピット後部へ搭載されているエンジンは「3S」と呼ばれるターボエンジン。元々ラリー・チューンのエンジンで、最大馬力よりエンジン中回転域での力強さに特徴がある。特にエンジェルの心臓は、それを良く生かし、持ち味を殺さないようにチューニングされている。過度のパワーを持たせず、小鳥の無茶苦茶な走りに耐えるタフな作りだ。
エンジェルは上り一つ目のS字を抜け、頂上付近の二つ目へ突入する。
その時、小鳥はとんでもない異常に気付いた。
「なんだ!? このタイヤ!?」
無難に二つ目のS字を抜け、やや急な中速コーナーを滑り降りる赤いMR−2。
前方にテールランプを捉えるも、自由に速度を上げられない。
小鳥はアクセルの開度へ強烈にジレンマした。
「ポテンザじゃないよ・・・デジタイヤなんだぁ・・・」
「ダンロップ!?」
ブリジストン・ポテンザは、日本屈指のハイ・グリップタイヤである。
他社のメーカーを圧倒的に上回る接地能力は、コーナーリングでの限界を高めてくれる。初心者が早い走りを求めるならば、足回りやエンジン改造よりも、まずハイ・グリップタイヤを手に入れることが一番の早道。如何に車の性能を上げようと、結局地面についているのはタイヤなのだから。
一方ダンロップ・デジタイヤは、グリップ力より耐久力、対雨能力に優れたタイヤだ。
接地性能はブリジストン・ポテンザと圧倒的に劣るものの、耐磨耗性はポテンザより上。つまり、レース後半まで安定してペースを維持できるのである。しかも、巷の風評は雨天時のグリップ力ならポテンザを上回るとのこと。
ちなみに大川のMR−2はブリジストン・ポテンザ。
両者のコーナーグリップ能力は、同じ乗り手ならば最大で30Km/h以上に達する。
小鳥は舌打ちした。
「何故ブリッジストンじゃないのぉ!! いいなさい!!」
「ボクを信じてぇ・・・こ、こ、小鳥ぃ〜〜〜」
「ったくぅ!!」
小鳥はグリップによる走行から、タイヤを積極的に流す走法へ切り替えた。
タイヤチョイスは加速と減速にも影響する。ならば、端からブレーキを酷使せず、コーナー事前からタイヤをスライドさせて減速。脱出口からの加速路線の長さを確保しようとしているのだ。
車は減速より加速に時間が掛かる。
減速の時間をつめるより、加速の時間を長くした方が結果速いのである。
「もう追いついちゃったヨォ〜〜」
「同じタイヤならもう抜いている!!」
三連でつづくJコーナーをテール・トゥ・ノーズで突入する二台のMR−2。
理想的なラインでグリップ走行を行う大川のMR−2に対し、エンジェルは豪快な慣性ドリフトで抜けていく。
長い高速コーナーを抜けると、目前には三叉路。釜房湖へのルートは真っ直ぐだ。
三叉路で一時減速する二台のMR−2。
万が一でも三叉路から一般者が現れ事故でも起こせば大惨事のうえレース敗退。互いの賭け金と多大の損害賠償、実刑が待っている。キャノンボールは重大な犯罪行為なのだ。絶対に事故は許されなかった。
三叉路を無難に通過し、再び短いワインディングへ入る二台。
漆黒のMR−2はあざ笑うかのように、猛然とした加速でエンジェルを突き放す。
「パワーとタイヤはあっちが上!! 釜房ダムには夜釣り客が居る! どうする!?」
「小鳥ぃ! スタート直前にチョーさんが馴染みのフィッシャーに連絡したって!」
「・・・ってぇと、“あれ”をヤれってかぁ!!」
「やっぱり“あれ”!? やるのぉ〜〜〜」
「がたがた五月蝿い! 覚悟しな!」
「ひぇぇぇぇ〜〜〜」
釜房湖。
半径約1.5Km四方にわたる人工湖は、この時期、夜釣りの客で溢れ返る。
特に釜房ダムは賑わいを見せ、多くの釣り客を楽しませていた。
第一CPまで行くには160号線をつかい、釜房湖を丸々一周しなくてはならない。唯一のショートカットルート「釜房ダム」は一方通行。おまけに釣り客で一杯だからだ。
距離にして12Km以上。
大きく三つの直線で構成される釜房湖周回ルートは、非力なエンジェルにとって余りにも部の悪い戦いであった。
釜房ダムと、釜房湖沿いに通っている160号線。
前方を疾駆する大川。黒のMR−2は迷うことなく“右折”。
3キロ続く直線道路、160号線へ飛び込む。
「見えた! 釜房湖! 用意は出来た? 神様に命乞いは!?」
「神さま神さまボクの神さま・・・」
「よし、突っ込むぞぉ!!」
「もぉ〜〜わるいことはしませぇ〜〜〜ん!!!」
エンジェルは“左折”した。
目前には「釜房ダム」。
非常に狭い路面は一方通行で、しかも釣り客で溢れている。
「右? 左?」
「ええと・・・湖よりだからぁ」
「はやく!!」
「みぎ!! 右だよ!!」
小鳥の笑み。
エイジは目を瞑る。
小鳥はエンジェルの左前タイヤを段差へ乗せた。
「跳べ!! エンジェル!!」
同時にハンドルを右へ。
エンジェルの左側タイヤ二本は宙に浮く。
MR−2は斜めになったまま前進を続行。
片輪走行である。
釣り客たちは、大慌てで左側へ。大型バイク一台なら抜けられそうな道幅はあった。
「流石チョーさん!! では、南無三!!」
片輪走行であるにもかかわらず、一切速度を落さない真紅の天使。
エンジェルは右足二本だけで、数十メートルの釜房ダムを突っ走った。
釣り人たちは、呆然とエンジェルの車体下を見つめ、歓声を上げる。
小鳥は釣り客の誰にも恐怖を与えさせず、あまつさえ歓喜すら与えながら、すみやかに釜房ダムを渡り切った。
対向車とのタイミングを計りながら、バイクの様に286号線へ合流する赤いMR−2。
片輪のままウィンカーを出し、強引に再び左折。小鳥はようやくエンジェルを四輪車へ戻してあげた。車体全体に強烈な衝撃。特に固めたサスペンションは車内への衝撃を和らげてくれなどしない。それはハンドリングにもダイレクトに現れた。
荒くれる前足を、小刻みにハンドルで捌く小鳥。
車体が素直になると、即座に小鳥はエンジェルへ加速を命令した。
「片輪は、降ろす方がムズいのよねぇ〜〜〜」
「毎度ながら、生きているぅ〜〜〜」
釜房湖をショートカットしたことにより、MR−2エンジェルはレース序盤で一気に12Km以上の貯金を作ったのだ。
エンジェルは、ダムを尻目に第一CP、休憩所を発見。
小鳥は速やかにエンジェルを滑り込ませる。
ボンネットに、一枚目のステッカーが張られた。
<SS10 : “MR−2“ということ>
MR−2はミッドシップと言われる、特殊なエンジン搭載方式である。
F−1を始めとする、多くのモータースポーツに採用される方式といえば分かりやすい。
通常の車はエンジンを前方におき、前輪駆動、後輪駆動、四輪駆動と分けられる。
しかし、ミッドシップと言われる形式はエンジンを車の中央に搭載するのだ。
エンジンはマシンの重量物の中で一番重い。一番重いものを中央に置けば、当然車は回りやすい。回転のしやすさを四つのタイヤで制御できれば、より速い速度でコーナーを回れる。コマの原理だ。ただし、原理がコマだけに、一度グリップを失うと簡単にエンジンを中心にして大回転し操作不能・・・スピンする。文字通り鉄のコマ。
絶対的速さと限界後の地獄が同居する、本物のレーシング・パーケージングだ。
国道286号線。
山形蔵王、仙台長町間を繋ぐ幹線道路だ。
道は山形から秋保付近までは一車線。秋保から仙台南部道路入り口まで二車線。以降は三車線道路となり、前半はテクニカルコーナの連続、後半は馬力勝負の直線で構成されている。
「なぁ、エイジ。あのステッカー・・・何だ?」
「う〜ん。たぶん“ハムちゃんズ”」
「なんだよ、それ」
「ボクに聞かれてもぉ〜」
エンジェルのボンネット、天使の羽根の斜め上には、眼鏡をかけたハムスターのシール。ステッカーと呼ぶには少々疑わしいものだ。
天使の羽根にハムスター・・・お笑いの世界か。
小鳥は目を覆った。
「あんなのが、あと四枚も・・・」
エンジェルは二倍以上のマージンをもって、東北自動車道仙台南インター脇を突き進む。
もうすぐ車線は三つに。
ここからは当分、馬力重視のセクションが続く。
小鳥たちはここからが正念場だった。
「見えた! 長町駅!」
東北本線長町駅。宮城県仙台駅となりにあるこの駅は、主に通勤通学客で賑う。周辺には商店街もあり、買い物にも不自由しない。近年、大型デパート店の進出でさらに便利になった仙台のベッドタウンだ。
エンジェルは、周囲と同じ速度で、無難に長町駅へ侵入。エンジンも音を出さぬよう、低回転を守る。近所に仙台南警察署があるためだ。
長町駅でも第一CP同様スタッフが待機。
今度はドカタ姿のハムスターステッカーを貼られる。小鳥は眉をしかめた。
エイジはコックピット中央部にあるナビゲーションシステムをいじり、ルート検索。
「ここからなら長町駅を右折して、広瀬橋前をまた右折。鹿の又交差点にでて、仙台バイパスへ出よう。そうすれば第三CPの遠見塚古墳まで4キロってところだよ、小鳥」
「仙台パイバスまでは我慢ね。ロッキの話だとこの時間帯、暴走族対策で南署のパトが出ているらしいから」
「じゃぁ、一休みだ。安全運転でお願いするよ・・・ふぅ・・・」
「オレは何時も安全運転だ!!」
小鳥は、息を吐き出すエイジのわき腹へジャブを入れた。
大川は焦っていた。
まさか釣りなどという暇人の趣味と小鳥の曲芸に、12Km以上遠回りさせられるとは思ってもみなかった。どうやっても大川に片輪走行など出来はしない。
「くそぉ・・・時間を潰す事しか知らない非能率主義者どもめ!」
「何で回り道なんてするのヨォ〜。無理やり通っちゃえば良かったじゃなぁい」
「CPがすぐ傍だ。サツを呼ばれると不味いんだよ!!」
大川は助手席の女を罵倒しながら、とあるコントローラのダイヤルを上昇させた。
大川のMR−2はファクトリーチューンドの上に、エンジンも特別製である。
もちろんMR−2であるからエンジェルと同じ3Sターボエンジンなのだが、大川のMR−2は、大幅なエンジンチューンを施してあった。タービンを大型のものに交換し、コントローラと専用のコンピュータを搭載。通常の0.9気圧から最大1.5気圧まで上げ、馬力を一時的ながら通常時の380馬力オーバーから500馬力アンダーまで引き上げることが出来た。
ターボ。
正確には「ターボ・チャージャー」という。
ターボはタービンのことを指し、エンジンから出る排気ガスをタービンへ導き、タービン内の風車を回す。回された風車は高速で回転し、同軸上につけられた別の風車を回しだす。二つ目の風車は、エンジン内へ送られる新鮮な空気を大量にエンジンへ送り出し、空気を豊富に与えられたエンジンは、濃密となった空気にガソリンを与え、爆発させる。
その爆発力は風車の回っていない時の比ではなく、何十、何百馬力もの追加パワーをエンジンへ与えるのだ。
これをターボブーストという。
風車への圧力を増加させれば、沢山の空気をエンジンへ送り込めるので、馬力は増加。
大川は、この圧力をコントロールするシステムを、MR−2へ搭載しているのだ。
エンジンを殆どチューンしていないMR−2エンジェルは280馬力オーバーなので、最大時、馬力格差はほぼ倍となる。
大川は致命的なタイムロスを埋めるため、ターボのブースト圧を上げ、馬力を400馬力以上に押し上げる。
漆黒の荒れ馬は、さらに後ろ足を滑らせながら猛然と加速。
バンピーな路面であるにもかかわらず瞬間最大250Km/hをだせたのは、ひとえにファクトリーチューンドの空力性能と、煮詰められた足回りのおかげだ。なにより、それに慣れ親しんだ大川の技術。
直線を高速で走らせるのは大川の最も得意とする分野だった。
車はアクセルを踏み、規則正しくシフトアップすれば簡単に速度が出る。速度が出ると、低速では問題なかった些細な起伏が容易にマシンの方向を変化させ、直進を妨害する。特にミッドシップは難しい。それを御するにあって大川は、天才といってよかった。
かくして大川は、マシンの加速力を駆使してMR−2エンジェルを猛追撃。
仙台バイパス四号線、第三CPを過ぎ、バイパスの後半へ差し掛かる頃には、真紅に染まったテールを確認できるまで到っていた。
<SS11 : “クロス・ストリート・アタック”ということ>
仙台バイパス国道四号線。
東京〜青森間を繋げる物流の動脈は、果てしない直線道路である。
第三CPである遠見塚古墳から、地下鉄泉中央駅へ続く35号線合流まで約13km。
信号数は35号線合流を含め13。50キロから60キロを基準として車を流している。
この信号を如何にクリアしていくか。これこそ仙台バイパス攻略の要であった。
「あぁ〜。追いついてきちゃったヨォ」
「案外速かったね。直線番長ってのも伊達じゃない」
真面目な誉め言葉である。小鳥は速度の出た車を公道という悪路を、高速で巡航し続ける難しさを知っている。
黒のMR−2は背後まで迫った。
目前の信号はイエロ。
二台の車は急ブレーキで減速、停車。
如何にルール無用のキャノンボールと言えど、クロスに流れる大量の対向車の作る壁の前では、立ち往生せざるをえない。事故は敗北を意味するからだ。
大川はエンジェルの隣へ、自分のブラックMR−2を寄せる。
「おら、エイジ! テメェのせいで並ばれただろうが!!」
「逆切れだヨォ〜〜小鳥ぃ〜〜」
大川は信号を指差し、親指を下へ突き立てる。
“信号グランプリ”の申し込みだ。
キャノンボールである以上、信号を待つ必要は無い。車の切れ目はスタートの合図。
しかし、信号グランプリは違う。青信号と同時に車両を発進。マシンパワーとスタートのテクニックを競う、仙台バイパスでは有名な違法競技だ。
「小鳥・・・受けるのかい」
「テメェのせいだろうが! コケにされて引けるかってんだ」
「全くの逆切れだヨォ、小鳥ぃ〜〜」
MR−2は後輪駆動車。通称MR(ミッドシップ・リアドライブ)である。
MR最大の特徴は、絶大なるグリッピングコーナリングの速さと、加速力の高さにある。
エンジンは重い。車両搭載重量物では最大だ。それを中央に置くMR−2は後輪タイヤの真上に最大車重量をかける。特に加速時、重力は加速度という現象を生み、車の加重は大幅に後方へ移動。後輪タイヤは重量配分と加速度により重みをかけられタイヤと地面の接地を親密にさせられる。
結果、大馬力をかけてもしっかりタイヤは動力を地面へ伝え、他の駆動方式では実現できない加速力をドライバーへ与えるのだ。
もちろん、それを引き出すのはドライバーの腕だが。
歩行者信号が点滅した。信号切り替わりの前兆である。
交差車線の車は途切れる。それでも二台のMR−2は動かない。
闇に身を隠す赤と黒いMR−2は、己の存在を示すように咆哮を上げた。
信号、青。
両者は唸りを上げて後輪を駆り立てる。
先に飛び出したのは真紅の雌豹、MR−2エンジェルだった。
小鳥の絶妙なスタートワークは強化クラッチに支えられ、限られた動力を全く無駄にせずMR−2の後輪へ与えていた。
殆どエンジンへは手を加えられていないMR−2エンジェル。信号グランプリには不向きな車だ。しかし、小鳥たちは大馬力の車両相手に何時も互角の戦いを演じ、時には勝利していた。現在小鳥の所属するレースチームの監督、木馬も、レースの帰りに偶然見た小鳥のスタートワークへ感涙し、レースの世界へ引き込んだくらいである。
キャノンボール開始と同じく後輪の白煙を巻き上げ、蛇のように蛇行しながら前進する大川の荒れ馬。
後輪駆動方式はドライバーの発進技術を如実に表す。
タイヤの接地能力に対し僅かでも動力を与えすぎれば、タイヤはその場で空転。グリップしきるまでタイヤは磨耗し続けながら足場を探す。こうなれば最後。アクセルを離し、動力を緩めてやるより他しかない。たとえ発進に優れたミッドシップ方式でもだ。
先行するエンジェル。
グリップを取り戻し、驚異的な追撃を開始する大川のワイルドホース。
一般車両をパイロンスラロームさながらに抜け、二台は夜の仙台バイパスを疾走する。
「なんだ、エイジ、あの加速!! さっきより凄くないか!?」
「ターボブーストの圧力を上げたんだよ・・・ブーストコントロールだ」
事実、大川は更に荒れ馬のブースト圧を上げていた。
「一般車のあるうちはイイけど、一回車線が空けば、エンジェルじゃ阻止できない。どぉしヨォ〜〜小鳥ぃ〜〜〜」
「・・・“クロス・ストリート・アタック”を掛ける」
「ええ!!」
日出の町、立体交差点。
北上する二台に、仙台のメディア・ステイション「ミヤギテレビ」の看板が見える。
この看板は、片道三車線から二車線へ減少する目印であった。
交差点突入時、絶妙なスラロームテクで、パワーで押す大川の鼻先へ赤い車体を潜り込ませた小鳥。
二車線道路へ入ると、法定速度で走行する大型トレーラーを発見。真横につき、減速。
道路を完全に塞ぎ、真後ろへつける黒のMR−2に追い越しを許さない。
キャノンボールはタイムを競うレースではない。「先にゴールする」レースなのだ。
直線道路加速合戦は、法定速度の安全走行へ切り替わる。
「・・・小鳥ぃ。このまま無難にバイパスは切り抜けない?」
「ダメ。ここを過ぎれば今度は仙台北環状線が待っている。あの強烈な登りは四号線以上に不利だ。悪いがここで差を作らせて貰う。オレを信用しねぇのか、エイジ」
「やっぱりやるのね、“クロス・ストリート・アタック”・・・」
エイジは四点式シートベルトの安全性を再チェックし始めた。
小鳥は周囲の観察に全力をあげる。
目前に信号。
交差車線の車両量を見た。セブンイレブンと、車買取専門店ガリバーの間にある一般道には、丁度4,5台のケバい高級車系ドレスアップ車両。
ポイントは信号変化のタイミング。
前方は黄色信号。
条件はそろった。
小鳥はエンジェルのギアを三速に落し、エイジは四点ベルトへ手を掛け構える。
赤信号。
小鳥はMR−2エンジェルに加速を命令した。
流星のように疾駆するMR−2エンジェル。コックピットの二人はシートへ押し付けられた。
慌てたのは大川だ。急いでギアを下げ、荒れ馬のエンジンへ鞭を入れる。
助手席の女が悲鳴を上げた。漆黒の悪魔はエンジェル以上の加速力でドライバーたちをシートに押し付け、大川の視界は急激に狭まる。
大川は恐怖した。
エンジェルの突破した真横から唐突に車が飛び出してきたのだ。
フルブレーキングと左側へのハンドル回避。同時に行われた動作は加速されすぎた速度と後方への加重移動が仇となり、容易にスピンを巻き起こす。
大川のMR−2は何とか右折車との衝突を避けるも、左側にあった路側帯に左フロントを激突。スピンの方向を変え、酒のやまや駐車所のチェーンを突き破って進入する。最後にエンジン左後部を店舗入り口のシャッターへ激突。店内へ入り込み、ようやくMR−2は停車。店舗側が全てガラス張りであることが幸いした。
エンジェル、突然のダッシュ。
隣の大型トラック。
加速による視界低下。
全ての要因は、小鳥によって計算された罠。
「クロス・ストリート・アタック」だった。