the knight of nighthawk 〜夜のどこかで〜 |
作:F−MON |
ふと目が覚めかけたのは、静けさのせいだった。周りの客の陽気な騒ぎが、ぱったり鳴りを潜めてしまっていた。
(もう看板かぁ。早いな、この店は……)
テーブルに顔を伏せたまま、そんなことを思った。酔いと眠気で頭がボケて、聞こえているはずの竪琴の調べに気が付かなかった。
……いきなり、歌が始まった。
「おお! 闇に迷える、かの白き手よ!」
飛び起きた。テーブルは引っくり返さずにすんだが、今度こそ本当に目が覚めた。
店の中が、ばかに薄暗い。
両手で顔をこすりながら、辺りの様子をうかがった。僕のいる席は壁際の一番奥で、この居酒屋を端から端まで見渡すことができた。
天井から下がっているランプは、どれも消えていた。店の真ん中の少し空いた場所を囲むように、幾つかのテーブルの一辺に、手持ちの燭台が置かれていた。
中央でその光に照らされているのは、竪琴を手に歌っている男だった。
小洒落た身なりの軽薄そうな奴だったが、歌は悪くない。……いや、巧いかもしれない。
(へぇ)
どうやら、いわゆる吟遊詩人というやつらしい。ウルスの都に来て半年くらいは経ったが、こんなものを実際に見たのは初めてだった。
どのテーブルにも、まだ客がいた。……と言うより、増えているような気がする。みんな黙りこくって、歌に聞き入っていた。
僕はなるべく控え目にため息をつきながら、空っぽのグラスに目を落とした。お代わりが欲しくなったが、金が無い。席を立つのも、何だか間が悪い。
仕方なく、またテーブルに突っ伏した。せめて、もう一眠りしたかった。
「……夜気を湛えし、森の水底。導くものは、風一つなし……」
聞くでもなく聞いていた歌の内容は、何かの物語らしかった。
――真夜中のどこかの森で、騎士と乙女が互いを探している。追手がかかっていて、二人は逃げながら互いの名を呼び続けている。
(それじゃ、見つかっちまうだろ)
うとうとしながら、突っ込みを入れた。
……眠れそうだが、眠れない。下宿にいるのと変わりが無かった。少しイラついた気分で体を起こし、頬杖をついた。
ずっと向こう、反対側の端の席に、一人の少女が座っている。
17・8才ぐらいだろうか。さっきからそこに居たはずだが、今はひときわ目を引かれるのを感じた。顔の向きが少し変わって、ほのかな灯りによく映えていたのだ。
切なげな、いい表情だった。どうやら、すっかり物語の中に入り込んでしまっているようだ。
彼女がほっと息をつき、華奢な体を揺らして椅子に座り直すのが見えた。――乙女が、危ういところで追手をやり過ごす場面だった。
一方、騎士の方は、まだ由々しき状況にあるらしい。
「……ああ三日月は、血に飢えしあぎと。寄せ来る刃、光に冴えて……」
僕は頬杖をついたまま、横目でグラスを睨んだ。
(あー、喉乾いたな……)
少女はと見れば、彼女は両の手を握り合わせ、じっと瞳を閉じているのだった。
一斉の拍手そして歓声が、続けざまに耳の中で弾けた。ぎょっとして、顔を上げた。
(……あれ?)
いつの間にか、また居眠りしていた。
詩人が何度も腰を屈め、喝采に応えている。どうやら、歌は終わってしまったらしい。
(どこまで聞いたっけ?)
首をひねったが、思い出せなかった。少女を眺めつつ耳を傾けるうち、何だかいい気分になってきたような記憶はあるものの……
その彼女は周りの大騒ぎも耳に入らない様子で、ただうっとりと遠くを見つめていた。
あの様子では、物語は幸せに終わったのだろう……たぶん。
でっぷり太った店の亭主が、奥の厨房からワゴンを押して現れた。彼は上機嫌で詩人に拍手を送り、客達に向かって一礼すると、ワゴンと共にテーブルを廻り始めた。
ワゴンには燭台と、大鍋が一つ載っている。亭主が天井のランプに灯を移している間、客はめいめい、鍋にコインを放り込んでいる。
(うっ)
金を取られるとは、思ってもいなかった。――吟遊どころかあの詩人、店に雇われているのかもしれない。
銅貨や銀貨が、次々といい音を響かせていた。金貨を弾む奴までいた。
僕もとりあえず、ポケットの財布を取り出した。中を覗いてみたが、無いものは無い。
鍋と亭主が、こちらに近付いてきた。その向こうでは、客の出入りでちょっとした混雑が始まっていた。
新しいジョッキが、次々と厨房から運ばれてきた。喋り声や笑い声が響き、店は酒場らしいざわめきに戻ろうとしていた。
少女が、ふわりと席を立つのが見えた。今の雰囲気では、彼女はもう場違いに見えた。
(あの子は、ちゃんと払ったんだろうな……)
情けない気分で、その姿から目をそらした。
一文無しで、酒場に居残り――これだって場違いだ。それとも、慣れてしまえば済むことだろうか……
……視線を、鍋の方へ戻しかけたときだった。
少女と入れ違いに、三人の男が店に入ろうとしていた。一人が戸口で立ち止まり、彼女に何か話しかけた。
少女は、目もくれずに通り過ぎた。男の顔から、薄笑いが消えた。
どこかで、乾杯の声が上がった。竪琴が、おどけた調子で曲を奏でていた。
「……」
僕は足下の床へ手を伸ばし、そこに転がしていた自分の剣をつかんだ。少女を追って、男が店を出て行くところだった。
残りの二人が顔を見合わせ、にやけた笑みを浮かべて男の後に続いた。僕は立ち上がり、壁伝いに戸口へ向かった。
「おや、おや!」
亭主がワゴンを押す手を止めて、僕に向かって人差し指を振った。
「まったく、情けない耳だ。ルアファンスの歌声は、帝国一だよ!」
空の財布を鍋に投げ、僕は店を出た。後ろで、客達がどっと笑っていた。
居酒屋は、広場を囲む店々の一隅にあった。どうやらまだ宵の口で、どの建物からも灯りが溢れ、行き交う人々を照らしていた。
見回すと、中央の泉の傍らを歩き過ぎる少女の後姿が目に入った。……少し離れて、その後を付ける三人の姿も。足を速め、奴らとの距離を詰めた。
三人とも、ベルトに短剣を差している。それほど手強そうな物腰には見えなかったが、やってみなければ判らない。
(やるしか、ないか……)
左手で鞘ごと剣を握りしめ、深く息を吸いこんだ。まだ少し、酔いが残っていた。
――と、ふいに少女が駆け出した。
三人が足を止めた。その後ろで、僕も立ち止まった。
「ラドロっ!」
はしゃいだ声が、辺りに響いた。広場を抜ける通りの角から、見上げるほどの大男が姿を現していた。
「もうっ、遅いんだからっ!!」
彼女は手を振りながら、跳ねるように走って行く。大男は足を止め、駆け寄る少女を、にこりともせずに見ていた。
二人はやがて、通りの向こうに消えた。
「……」
ぽかんとしたまま、見送るしかなかった。
――どうやら、騎士は用無しらしい。乙女は、どっかの巨人と駆け落ちを……
「よぉ」
呼ばれて我に返ると、三人がこちらを向いていた。……僕は、奴らの頭越しに見送っていたのだ。真ん中の奴と、目が合ってしまった。
「何だよ。何見てんだよ。あぁ?」
近付いてきたそいつは、さっき最初に彼女を追って出た奴だった。口をねじ曲げ、細い目で斜めに僕を睨み上げていた。
こっちも、無言で奴を見下ろした。……冗談を一つ思いついたが、あまり面白くなかった。
……そろそろ初夏のはずなのに、真夜中の雨は妙に冷たかった。
僕は立ち止まり、血の味が残る唾を、街路脇の溝に吐き捨てた。
殴り合いは、決着がつかないまま、都の警衛兵に追いかけられて終わった。
一対三だ。まあ、上出来だろう……殺すことも、殺されることもなかったのだから。
雨が額を流れ落ち、目に入った。ぐっしょりと濡れた袖で顔を拭うと、くしゃみが二回、続けざまに出た。
(今、何月だっけ?)
重い足を引きずりながら、考えた。思えば都に来たとき、暦を見る習慣をつけようと決めていたはずだった。すっかり、忘れてしまっていた。
……それにしても、寒い。
去年まで、兵役義務で南の辺境にいた。秋も冬も無く、一年中ぬるい雨が降っていた。
(ここより、マシだったかな……)
腹の中でそう呟く自分に対し、僕は、独りで首を横に振っていた。少し、イカれかけているような気がした。
あの雨を有り難がる奴なんか、あそこでは誰も――僕を含めて――いなかった。パンも肉も、傷口さえも、たちまち腐らせてしまう雨だった……
……いつのまにか、どこかの路地に入りこんでいた。
雨音に混じって、弦の響きが聞こえてくる。気が付けば耳を澄ませ、闇の中を辿りながら歩いていた。
少し調子が外れていたが、聞き覚えのある節だった。それは、あの吟遊……じゃない、雇われ詩人が弾き語っていた歌の、竪琴の調べに似ていた。
ぼんやりと見える白い壁に、鎧戸を閉ざした窓。その向こうから、曲は聞こえていた。
手探りで、窓の傍らにもたれた。できればそのまま座り込んで、眠ってしまいたかった。
「ふーっ……」
また袖で顔を拭っていると、ふいに曲が止んだ。
やがて、床のきしむ音が、ひそやかに窓の方へ近付いてきた。思わず顔を上げたとき、鎧戸の向こうから声がした。
「遊ぶんでしょ?」
ごく若い、女の声だった。
「それとも、ずぅっとそこで雨宿り?」
……何を言われているのか、三拍子ぐらい遅れて悟った。
僕は、あわてて壁から身を剥がした。戸口の方を透かし見たが、周りと同じ普通の家だ。看板が出ているわけでもない。
鎧戸が片方、細めに開いた。中から、淡い灯が漏れた。
「あ……いや、違うんだ」
戸惑いながらも、僕は答えた。
「……知らなかったから。もう、行くよ」
「ああ、待ってよ」
押し開けた戸に手を添えながら、女が顔をのぞかせた。栗色の豊かな髪が、少し乱れて頬にかかっていた。
「もう、知ったわけでしょ。入れば? 風邪ひくよ」
「……」
黒い瞳に見つめられたまま、僕は立ち尽くしていた。
(――ちきしょう、本当にイカれちまった)
そう思いながら。
目の前の彼女が、酒場にいたあの少女そっくりに見えていたのだ。
(声が違うだろ、声が…… いや、本当に違うか?)
彼女はくすっと笑い、小首を傾げた。
「どしたの?」
「今の曲……」
やっと、僕の口が動いた。
「……いい曲だったよ」
「あ、でしょ? あたしも好き」
彼女が、窓から身を乗り出した。細い肩から髪がこぼれ、胸元が僅かにはだけた。
「……あとで、もっと聞かせてあげる。ね、入って?」
路地を、ゆるい風が吹き抜けていった。うつむく僕の顔に、あおられた雨がしぶいた。
「……ごめん」
「ん?」
「金が無いんだ。全部飲んじゃって、家に帰るところさ」
彼女を見た。
……やっぱり、似ていた。儚く消えたはずの幻が、血を通わせてそこにいた。でも……
ふっ、と彼女が微笑んだ。何も読み取れない、ただの寂しげな微笑だった。
「そう…… うん、そっか」
彼女は僕を見上げ、手を伸ばした。
「また今度、きっとね。待ってるから」
指が、頬に触れた。その温かさは、すぐにひりひりとした痛みを呼び覚ました。
――実は一発食らって、腫れ上がっていたのだ。ちょっと不思議そうな表情が、彼女の顔をかすめた。
「……よく見りゃ、不細工だろ?」
彼女の手を取り、苦笑してみせた。
「さっき、喧嘩しちゃってさ。……じゃ、さよなら」
軽く握ったその手を放し、僕は歩き出した。
「それ、冷やしたほうがいいよ……?」
彼女の声に、肩越しに答えた。
「雨が、また冷やしてくれるよ」
振り返ってみた。鎧戸を閉じながら、彼女が小さく手を振るのが見えた。
応えて手を上げかけたけど、間に合わなかった。降り続く雨の中、路地はまた、灯り一つ無い闇に戻った。
やがて、あの曲が流れてきた。さっきと変わらない、調子の外れた旋律が。
「……」
僕は踵を返し、再び歩き始めた。ここがどこなのか、それさえ分らないままに……
ひと月ほどして、僕は、ある傭兵団に加わることを決めた。遥か東部の、国境地帯へ行くとのことだった。
募兵が終わると、傭兵団は程なく都を発った。あの居酒屋へも、そして彼女の所へも、僕は結局、二度と足を向けることはなかった。
しかし――都が西へ遠ざかるにつれ、なぜか気になり始めたことがある。聞き逃してしまったあの歌の、物語の結末だ。
騎士と乙女は、本当に出会えたのか? 周りの連中に聞いてみたが、誰も知らない。
(あの時、彼女に聞いていたら……どうだったろう)
それだけを、今は心残りに思う。
―終―
あとがき
こんにちは。作者のF−MONです。読んで下さって、ありがとうございます。
昨年9月のSSSS以来、久しぶりの投稿になります。何やら、とても地味なお話になってしまいましたが……(^_^;)
ご感想を頂けましたら幸いです。宜しく御願い致します。